「私。第三皇子ローランドはマルシア伯爵令嬢フレデリカとの婚約を破棄する……」
その言葉が学園の中庭に響いた瞬間、あるものは宣言者の正気を疑い、またあるものは当然の報いだと笑みを浮かべる。
そして、大半のものは普段高慢なフレデリカがどんな反応をするのか、興味深々という様子であった。
フレデリカ・マルシア。西部辺境を束ねるマルシア伯爵の長女であり、豪奢な金の髪と獅子より気の強いと評判の御令嬢である。
ただまあ、実際のところ生徒からの評価はどうもまちまちとのようだ。
つまり天の上の存在過ぎて、実際の人となりをよく知らないものが多いらしい。
大半の者たちは突然の事態に驚き、ヒソヒソと成り行きを見守っている。そんな野次馬共の後ろで、男はそっと自分の腰へと手を伸ばす。
腰にある
――さても皇都は平和で結構。
この場にいる生徒の少なくない数が帯剣している。皇子とその取り巻き立はもとより、剣を腰にした男子生徒はよく見かける。
それもそのはず、剣とは礼装である。騎士と言う「戦う身分」の象徴なのだ。
故に外部から来た帯剣の人間もあっさりと通れるとは……。勿
まあこの「学園」はある意味特別な場所だ。無論、教育機関や社交の場と言う側面もあるが「学園に残って勉強をする」と言う名目で「素行に問題のある子息を隔離する場所」としても使われる面もある。
そう言う意味で言えば、不幸な「事故」や「病気」が起こる事を望まれているのかも知れない。
最も告発されている件の令嬢に関しては単なる花嫁修業の一環であったが……。
皇子の告発を聞きながら、男はローブの中でにやりと嗤った。
――やはり、こうなったか……。
男はひっそりと心の内で呟く。
告発されたフレデリカ嬢の嫌疑はローランド皇子の後ろに侍る下級貴族の子女であるという少女への嫌がらせや直接的な暴力に対する嫌疑だった。
被告人はまだこの場に姿を現してはいない。フレデリカ・マルシア。西部辺境を束ねるマルシア伯爵の長女であり、豪奢な金の髪と獅子より気の強いと評判の御令嬢である。
伯爵自身が北部辺境への援軍で不在の今が、事を起こす絶好のチャンスだったのであろう。国境を預かる大貴族の令嬢。そんなとてつもない後ろ盾を持つ相手に手出しする事は、例え王族と言え簡単に出来るものではない。
告発者である青年は豪奢な衣装に身を包み、銀色の前髪を華奢な指先で弄びながら、自信に満ちた笑みを浮かべている。
ともあれ整った顔立ちは、女性であれば誰であれ溜息をつく端正なそれ。このやや軽薄そうな青年こそ、我らがグリアス王国の第三皇子である。
なんにせよさしものフレデリカ嬢も旗色が悪そうであった。なにしろこの第三皇子は庶民の「評判」はかなり良いのだ。王都の学園では下級貴族の娘にも分け隔てなく接する人格者だとか……。
要するにその下級貴族の娘とやらに見苦しい嫉妬をして、なんのかんのと嫌がらせをしたのがフレデリカ嬢であるとの事だった。
第三皇子はまるで舞台役者のように大仰な身振り手振りで、フレデリカ嬢の「悪行」の数々を告発する。
いよいよもって望み続けた瞬間が、今まさに訪れたと言うわけだ。
なにせ、このフレデリカ嬢ときたら容姿そのままに気が強い。父親である辺境伯相手でも理路整然と反論するし、幼い頃は騎士修業に来ていた寄子の少年を家来のように連れまわしていたほどだ。
――
彼女の婚約を聞かされてから幾星霜……この光景を目にする事をどれほど夢見た事か……。
男が口を開こうとした瞬間、その言葉を押しとどめたのは、透き通るような声であった。
「それは――国王陛下も納得のことですのよね」
磨き抜かれた水晶のように、静かでありながら凛とした芯を感じさせる響き。
その場にいた有象無象共が弾かれた様に声の主に道を開けた。
喪服のような黒いドレスに艶やかな金の髪を纏める水仙を象った銀細工、口元を隠す扇から除く切れ長の瞳。西部辺境伯マルシア公の一人娘、フレデリカ・マルシアその人である。
ひそひそと何やら話している有象無象をしり目に、その花道を確かな足取りで歩く。
「良くもこの場に顔を出せたものだな」
それに対してローランドの返答は嘲笑であった。
「陛下にとりなしを頼んでも無駄だ。いかにお優しい陛下とはいえ、お前が嫉妬に駆られて犯した罪までは許さぬだろう」
嫉妬、と言う言葉が響いた時にフレデリカの眉が僅かに上がる。扇を握る手に僅かに血管が浮いたのはとっさに入った力ゆえであろう。
「そんなつもりはありません。何故なら、あなた方の言う『嫌疑』とやらは事実無根だからです……」
毅然として言い放つ。だが、その扇の裏の表情はどうであろうか。僅かに震えた声の端の真意は……。
なるほど、意外にも皇子の放言は応えているらしい。
――果たしてあの盆暗にその気持ちが伝わっていたかは怪しいものだ。
教養もあり、頭の回転も速い。淑女としての礼節も完璧である。
なるほど、確かに二物三物も与えられたような女は可愛げが無いのかもしれない。
だが、彼女の美点が全て生まれ持ったものであったとしても、それを磨くための並々ならぬ努力は、皇子とて知っている筈であった……。
――知っていたところで、劣等感で目が曇っていれば、憎しみをさらに燃え立たせる薪にしかなるまい。
皇子の表情には元婚約者への情など欠片も感じられない。それはフレデリカも気づいているらしく、それを見て僅かに顔を歪めた。
――さすがに婚約者からそこまで疎まれているとは思ってなかったらしいな。
昔からそうだったが、フレデリカ嬢はズケズケとものを言う割には面倒見は良い。そして彼女はそれを当然だと思っている。
要するに、心の狭い人間の嫉妬と言う奴に疎いのだ。
「むろん確たる証拠あっての事ですわね」
務めて冷静にフレデリカが返す。皇子は一瞬顔をしかめると、目配せをした。
側近として名乗り出たのは、皇子の側近とは名ばかりの取り巻き共。
「随分と公平な証人達ですこと」
フレデリカの声は呆れを通り越して氷のようであった。
「分別のないお前も、その程度の事は分かるらしい」
もはやローランド皇子は侮蔑の感情を隠すことはない。
確かに行動を起こすには絶好のタイミングだったのであろう。そしてフレデリカ嬢も冷静さを取り繕ってはいるが、婚約者からの告発と言う不意打ちへの動揺を隠しきれていない。
「もはやお前を庇ってくれるものなど誰もおるまい!!」
勝ち誇ったように皇子が言い放った瞬間。
響いたのは嘲るような失笑であった。
「!? 無礼者ぉぉっ――「異議があるッ!!」」
ローランドの取り巻きの声を遮るように男が怒鳴る。
――さて、もう茶番を見物するのはもう良いだろう。
進み出た男の姿を見て、皇子とその取り巻きは顔をしかめた。
小汚い外套を着こんだその男は、明らかに周りの着飾った子女たちとは毛色が違う。
黒革の腕当ては縫いつけられた鋼片が歪んでおり、外套の隙間から見えるボロボロの
腰にあるのは単純無垢な
「き、貴様。辺境伯からの刺客か!! 皇子の御前で帯剣など……」
取り巻きの一人が咎めようとするが、男はそれを鼻で笑う。
「あいにくと戦地で不穏な噂を聞いた伯爵様が、俺にこの剣を託したのよ。戦場から馳せ参じた故、格好についてはご容赦願いたい」
男は一度、言葉を切ると取り巻きを頭の先から足の先までワザとらしく見回した。
「時にお歴々は随分と小ぎれいになさっているな。いやはや結構な心得。
そう吐き捨てながら、無精ひげだらけの顎を撫でる。北の戦からこっち髭を剃る暇すらなかったのだ。
――それに引き比べて、
こちらの意図はきちんと伝わったらしく、皇子とその取り巻きが紅潮した顔でこちらを睨む。
耳元から流れる向こう傷がひきつるのを感じる。どうやら、知らぬうちに笑みを浮かべていたらしい。
フレデリカは何が起こったか理解できぬようで、呆然とした表情でこちらを見ている。
――随分と驚いているようで何よりだ。
何しろこの俺は、
それが妙に滑稽で、つい笑みを浮かべてしまう。フレデリカはなんとも気まずそうに男から目を背ける。
「き、貴様は一体どこのならず者だ」
「これは失礼。我が名はエルデン。西部辺境の田舎騎士よ――」
男の言葉を聞いて、皇子とその取り巻きの顔が一瞬、青ざめる。分不相応にも【疫病】などと大仰な悪名で呼ばれているが、相手も聞き覚えがあったらしい。
それ以上に顔を青くしているのは、フレデリカであった
確かに幼馴染にこんなどうしようもない愁嘆場は見られたくあるまい。
「さて、その上でだ。――俺は騎士としてこの告発に異議を唱える」
「貴様如きがこの我らと決闘するつもりか?」
護衛を気取っているのだろうか。皇子の取り巻きの若者が剣の柄に手をかけて皇子の前にでる。
「なんと!? 甲冑どころか鎖すら纏わぬ身で、それだけほざければ上等よ」
ハッとしたように自身の格好を顧みると、取り巻きの若者はさらに顔を青くして喚く。
「な!? 貴様!! 卑怯だぞ!!」
「笑わせるな、卑怯も恥知らずも立場を笠に着てそこの令嬢の名誉を汚した貴様らの事だろ」
――ずっと我慢してきた。
「我々は正統な告発を――」
彼女があの男に嫁ぐと言う話を聞いてから……。幼き時分にまみえた時よりこの胸に宿った分不相応な欲を――。
――ずっと耐えてきた。
家の為に嫁ぐ彼女を黙って見送る事を――。
「正当な告発であれば――異議を唱える事もできよう」
「きき、貴様はフレデリカの擁護者になるつもりか!!」
皇子が正気とは思えぬ、と言わんばかりの目でこちらを見る。
――正気など、北の果てに置いてきた
「なれば……剣を以て天の采配に任せるのみ」
そうして男は腰の長剣に手をかけた。
「お待ちなさい!!」
それを遮ったのは、涼やかな声。渦中の人であったフレデリカ嬢であった。
「ここは神聖な学び舎です。血で汚すことは許されません。決闘であれば作法がございましょう。後日取り交わした場にて行いなさい」
それだけ言い捨てると、令嬢は素早く踵を返した。
「では、いつなりとお相手しよう」
唖然とする皇子とその取り巻き達に、そう言い捨てると男が先ほどの令嬢のように優雅な動作で踵を返す。
最前までの野卑な態度とは裏腹な所作に聴衆はあっけにとられた様に道を開ける。
まるで王者のように、彼は堂々とその場を歩き去った。
尽きぬ戦いの中で、何度、再び見える日を願ったろう。
いっそ報われぬ思いと共に戦に燃え尽きてしまいたかった……。
――だがそれでも……もう一度、お前に会いたかった。
しばらく後、学園の中庭。
「一体何を考えているのです!!!!」
先ほどの冷静さはどこに消えたのか、まるで嵐の日の海もかくやとばかりに激怒しているのは、伯爵令嬢フレデリカその人であった。
相手の男はボロボロの
「何も糞もないだろ。俺は伯爵の寄子だし、君は主家の令嬢だ。――まあ、一応は」
引き抜いた長剣の刃に砥石を添わせながら、男がニヤニヤ笑いながら答える。かろうじて男爵の位を許される程度の騎士であり、伯爵家の寄子の一人。
騎士修業のために主家に預けられた同い年の少年は、フレデリカにとっては兄弟に等しい幼馴染であった。
「一応でもなんでもなく主家の令嬢よ!!」
フレデリカ嬢が、顔を真っ赤にして怒鳴る。
騎士修業は7歳から始まる。寄子の少年が彼女の家に来てから過ごした時間は実の家族と過ごした時間より長い。
「だいたい、あなたは昔から無謀なのです!!」
「おう」
「北の戦に出て音信不通になったと思ったら、いきなり帰ってきて……決闘沙汰なんかにして…………」
フレデリカ嬢の声が震え始める。
「ホントに決闘する気なの……」
「まあ何とかなるだろ、戦に出た事もない連中だし」
呑気な様子で答える男に、フレデリカがバチンと扇を閉じた。
「あんなのでも貴族なんだから剣の扱いかたくらい知ってるわよ!」
「そりゃまあそうだろうな」
そう言いながら、相も変わらず砥石でリズムよく澄んだ音を鳴らす。
「本物の剣なんか使って……死ぬかもしれないのよ」
済んだ音を聞きながら、フレデリカ嬢がポツリと言った。
「俺は騎士だからな―――」
「せっかく無事に帰ってきたのに……死んだり怪我したらどうすんのよ」
俯きながら、顔を扇で隠す。
「すまん」
男は極まりが悪そうに頭をかく。フレデリカはハッとしたように顔を上げた。
「まさか、お父様が命じたの?」
「まあ、そう言う話はあったな」
「だったら、私からお父様に――「願い出たのは俺だ」」
男はハッキリと言い切るとまた砥石を動かした。
「だから何なのよ。そんなに出世したいならお父様に言って」
「別に出世したいわけじゃない」
フレデリカ嬢は突然立ち上がって扇で男の肩を小突いた。
「はあ? あんたいくら幼馴染だからってそこまでされても重いんだけど――」
見知らぬ家に預けられて心細かったのもあったのだろう。それも相手は主家の令嬢だ。
彼は昔から彼女の我が儘で連れまわしても文句ひとつ言わなかった。
それでも、これは屋敷の庭園を探検するのとはわけが違う。
彼女の問いに男は心底呆れたような顔で答えた。
「そんな馬鹿みたいな理由なわけないだろ」
「誰が馬鹿よ!? てかあんたにだけは何があっても言われたくないわ!!!」
男のあんまりな態度にムッとして言い返す。王家に嫁ぐからと深窓の令嬢のようにふるまうように躾けられたはずだが、やはり親しい者が相手だと地金は隠せないらしい。
まあ、隠す気が無いともいうが……。
「まあとにかく気にすんなよ」
子供の頃のようにのんびりと下口調で言われて、フレデリカは逆にそれがつらかった。
「そんなの……! 気にしないで居られるわけ無いじゃない!!!」
「……泣くのは反則だろ」
「泣いてないわよ!!! そんなはしたない事しないわ」
男はそっと彼女から背を向けた。彼が見ていなければ、彼女が涙を流したことを知る者はいない。
「帰ってきてくれたのに、死んじゃうかもしれないのよ」
しゃくりあげる声が聞こえる。男は砥石をかける手を止めた。
「良いのかよ。俺はお前の婚約者を殺すぜ」
「……あんたが死ぬかもしれないじゃない」
「かもしれんが、あいつ等は必ず死ぬ」
果たしてその声は決然としていた。
「――さっきなんで決闘するのか聞いたな」
「……だからなによ」
少し落ち着いたのか、扇から少しだけ顔を覗かせたフレデリカが答える。
「惚れた女を虚仮にされて――黙って済ませたら
「――へ?」
彼女の口から珍しく間抜けな声がこぼれ出る。
「な、な、なあんた」
唐突な言葉に、フレデリカは顔を真っ赤に染めて言葉を失った。
「だから、お前の婚約者は必ず殺す」
騎士はゾクリとするほど覇気のある笑みを浮かべた。
「――ずっと、この日が来るのを夢見ていた」
剣を取り立ち上がる。その時見上げた背は彼女が思っていたよりもずっと大きくなっていた。
「本気、なのね」
フレデリカの言葉を受けて、彼はさっぱりとした笑みを返した。
「作法に悖れば死ぬ。貴族とは、いや、
透き通るような空の下、鞘に納められた剣が、澄んだ音を立てる。それは無言の誓いのようであった、
それからしばらくして王国の第三皇子とその側近たちが次々と「病」に倒れた。
どうも恐ろしい「重病」であったらしく、葬儀の準備のために外科医が呼ばれたという。
婚約者であった伯爵令嬢は失意のままに、寄子である男爵家の子息を婿に取るしかなかった。
「疫病」の異名を取るほどの恐ろしい騎士に嫁いだ伯爵令嬢であったが、意外な事に王国でも有数のおしどり夫婦として仲睦まじく暮らしたそうだ。
「騎士も悪鬼も疫病も、恋の病にゃ勝てはせぬ」
夫婦の様子を見た宮廷道化が残した言葉は、今も吟遊詩人たちに語り継がれている。
なんかオリジナルも色々書いてるんですけど、おりを見て投稿していこうと思います。