恋の埋火 作:日菜推しはみんな古明地こいしも好き
「アイドルって大変なんだな」
「うん。とっても忙しそう」
「そりゃそうか。売れてる芸能人なんてヒマなわけないし」
12/22。つぐみがケーキをせっせと
クリスマス当日はファン関連のイベントがあるから、友人同士の催しは前日に済ませるのだとか。
ブルーベリーとレーズンをアクセントにしたチーズケーキ。王道だけれどショートケーキほどメジャーでもなく、次の日に別のケーキを食べるだろう日菜ちゃんを思えば良いチョイスなのではないだろうか。味見役を頼まれながら、上から目線でそんなことを考えた。
「お兄ちゃんは?」
「クリスマス?」
「うん。お出かけするの?」
「いや、大学とバイト。つぐみは店の手伝い?」
「そのつもり。……夜はAfterglowのみんなとご飯食べるけど」
高校生らしいことで。自分があまりイベント事で盛り上がったりしなかったから、少し眩しい。高校時代は勉強と部活でそれどころではなかった、とも言う。
大学生になった今もサークルとバイトに追われている訳だが。
「27は? 暇だって言ってた……よね?」
「特に予定はないけど。何かあんの?」
「ううん。でも、空けといてね」
「はぁ。……まあ、できる限りは」
ケーキのラッピングを手伝いつつ、そんな会話をした。
日菜ちゃんからLINEが来たのは、翌日の夜だった。
ホワイトクリスマスという言葉があるが、クリスマスだって晴れていた方が良いと思う。雪が降るとただでさえ混むクリスマスがさらにぐちゃぐちゃになるし、天気は悪くて薄暗いし、寒い。そりゃあドラマや映画で聖夜を撮るのなら雪が降っていた方が映えるだろうけれど、天気は良いに越したことはない。
べつに、誰かの気分に水を差すことはしないつもりだけれど。
「すっかり雪だねぇ」
「どうりで朝から寒かったわけだ」
27日は空いてるよね? というメッセージの後に半ば強引に取り付けられた約束に従って、駅前の喫茶店で待ち合わせた。
朝から霜が降りていた。放射冷却の厳しい凍て晴れから一転して、空を覆う雲はちらちらと雪を降らせた。
二つも歳下の、しかも妹の友達と二人で会うのはどうかと思ったが、これも今更だった。夏以降、何度か同じことを考えている。その度に思考放棄するあたり、自分も大概この空気に流されている。断ち切るつもりがないのなら、考えるだけ意味はない。
最近よく被っているイメージのあるワッチ帽に、暖かそうなダウンジャケット。普段は華奢で驚くほど小さく見える彼女が、ダウンのお陰で幾分一般人並みに見える。タイツを履いているとはいえ、ミニスカートは寒そうでどうかと思ってしまうが。
「けっこう待った?」
「んー、15分くらいかな。ほとんど待ってないよ」
「もう、そこは最初から『待ってないよ』って言うところでしょ!」
「そういうのが効くタチでもないでしょ」
「女の子は誰でも多少はときめくんじゃない?」
「……そうですか」
それは好きな人に言われた場合に限るんじゃないか、とか、ただしイケメンに限る、と注釈をつけるべきなんじゃないか、とか、いくつか軽口が浮かんで、ついぞ黙殺した。少なくともJKという人種に関しての解像度で現役JKアイドルには敵わない。
彼女はキャラメルラテを頼んだ。同じく頼んで、少し早く届けられたホットコーヒーにスティックシュガーを入れる。二杯目はトイレが心配になるけれど、何も頼まずに急かすような格好になるのも好ましくない。
「ところで今日のご予定は?」
「おにーさんと遊びたかっただけ、って言ったら?」
「……そうだな、昼まで科学美術館にでも行こうか。悪いけど、この激混みの中テーマパークなんかに連れていくほどの甲斐性は期待しないで欲しい」
「え、いいじゃん科学美術館。それじゃあ、お昼からはショッピングしよ?」
「そっちがメインの目的じゃないの? 優先していいよ」
「んー、今決めただけだから。それにあたしも科学美術館行きたい。行ったことないし」
じゃあそうしよう、ということになった。現役JKアイドル(この言い方は彼女の属性に焦点を置きすぎている気がするけれど)を連れ回すにはいささか無骨で、宇宙の理に支配されすぎている。
それでも彼女を連れていく先にポンと浮かんだのは、つぐみから聞かされてきた「日菜先輩」像の影響が大きいだろう。百科事典を読んでけらけら笑える女子高生は、美術館や博物館でも楽しめるに違いない。自分がそうだったから勝手に決めつけている。
「しかし、呼び出しておいてあて無しは酷いよ」
「えへへ、ごめんね? その方がおにーさんの素に近い気がして……」
「俺はいつも素のつもりだけど」
「事前に言ってたら科学美術館は選ばなかったんじゃない?」
小悪魔め。Pastel*Palettesのファンはこのしぐさにすっかり誑かされているに違いなかった。
「そうだな、ショッピングと……映画とか」
適当に言ってから、映画にしておけば良かった、と思った。二時間は潰れるし、話題も増える。誰とでも気まずくはならなさそうだ。
「おにーさんは何の映画が好き?」
「最近観た中ではフォレスト・ガンプ」
「わ、好きそう」
「日菜ちゃんは?」
「んー、最近良かったのは『ゲルハルト・リヒター』」
「知らない映画だ。画家じゃないの?」
「おにーさんの大学の同好会が作ってたやつ」
「いつそんなの観たのさ」
「学祭! つぐちゃんと行ったの。おにーさんとは鉢合わなかったけど」
「声掛けてくれれば良かったのに」
「カノジョさんとか居たらやばいかなーって」
「杞憂すぎ」
「あははっ、じょーだん!」
以前も思ったが、芸能人のくせして彼女はあまり忍ばない。変装らしい変装はせず、ラウンドタイプの眼鏡くらい。偽名で呼ぼうかと尋ねたこともあったけれど、名前で呼ぶように言われたし、危機感が無さそうで心配になる。友達の兄と二人で出掛けようとすることとか。
「美人さんだったのになぁ。おにーさん勿体ない」
「……俺には勿体ないよ。住む世界から違いそう」
「美人過ぎない方がいいんだ?」
「高望みできるならするさ」
「モテそうだけどな〜。なんか女の子慣れしてるし」
「……つぐみがいるからそう見えるだけでしょ。姉がいる男はモテるみたいな」
「妹がいる男の人もモテるの?」
「さぁ」
電車に乗る。ホームに滑り込んでくる列車に押し退けられて吹き込んだ風が冷たかった。そして、車内は効きすぎた暖房でサウナのようになっている。駅に着く度に流れ込んでくる空気が心地良い。日菜ちゃんも流石に暑かったのか、ダウンジャケットの前をヒラヒラと扇いでいた。
「おにーさんは何を基準に大学を選んだの?」
「近い中で安い大学」
「ふうん。お金持ちそうなのに」
「まあ、困ってはないだろうけど。つぐみも私立だったら流石にね。……金持ちではないから」
羽沢珈琲店はお陰様で盛況だけれど、所詮は薄利多売の飲食業。学生向けの商売形態や、地価を思えば儲かるはずもなく。
父さんの小遣いよりは自分のバイト代の方が温かいだろう。
大学の話をしているうちに、目的の駅に着いた。ホームに足が着くなり、ほっと息をつく。……しかし、出たら出たで寒いな。
「寒いから、って恋人同士が手を繋ぐの、あるじゃん」
「うん」
「あれ、自分のポケットに手を入れる方が暖かくない?」
「ドキドキして体温上がるんでしょ」
「慣れてきたら暖かくないってこと?」
「痛いとこ突くね」
日菜ちゃんは寒そうに指先を擦って、ダウンのポケットに突っ込んだ。慣れてきたカップルは彼氏のポケットに繋いだ手を突っ込むんじゃないか、とか、そんなことを考えたが、なんとなく、そこでふつりと会話が途切れた。エスカレーターを降りて、案内の通りに科学美術館へ向かう。道中の様子からも窺えたが、いざたどり着いた科学美術館はそれなりに混んでいて、かと言って覚悟していたほどの大混雑の様相ではなかった。少し早い時間帯なのもあるだろうか。
「プラネタリウムもあるんだ」
「天文部としては気になる?」
こういうのは大抵、初学者でも分かりきった内容の解説だろう。星座の成り立ちであったり、銀河の誕生に関する説であったり。客層を考えれば当たり前のことで、それに善し悪しなどないけれど、天文部には退屈だろうと思った。
「あたしはけっこう好きだよ。普段見えない星も見えるから」
「なるほど。六等星も見えるのか」
「うん。……あ、特別展だって。谷川俊太郎の世界を体験……おにーさんの本棚にあったよね」
「詩集は持ってるけど、詩は難しいなって思ったよ」
「文学部でも?」
「文学を読み解くことと、楽しむことは似て非なるものだからね」
入りたい、と日菜ちゃんが言った。
次の部には滑り込めそうだったので、チケットを買ってそのまま中へ。
入った瞬間に、少ししり込みした。よくある座席がないタイプや、逆にリクライニングシートが並べられているタイプではなく、カップルやファミリー向けの、大きなクッションが沢山設置されているタイプのレイアウトだったから。
仕方が無いのでそのうちの一つに二人で寝転んで、ほの明るく照らされた天井をぼんやりと眺めた。
「日菜ちゃんは読んだことある?」
「いくつか知ってるだけ。『二十億光年の孤独』とか」
まさにこのプラネタリウムのメインテーマだろう詩のタイトルを挙げて、日菜ちゃんはくるりとこちらへ寝返りを打った。暖色の灯りに照らされて、彼女は悪戯っぽく笑う。
「ネリリしちゃうかも」
「それにしては元気そうだけど」
「昨日は夜更かししたから」
「この時期は忙しそうだね」
「ううん、お仕事とかじゃなくて、今日が楽しみで」
「……くしゃみでもした方が良いかな」
「夢は長く見ていたくない?」
努めて天井を眺めたまま、深く息を吐いた。
どうにもペースが狂う。どうにも、ではないか。明らかにペースを狂わせに来ている元凶が隣にいるわけで。
「あたし、あの詩はけっこう好きだったなぁ。『万有引力とは、ひき合う孤独の力である』」
音楽とともに、公演が始まった。
内容としては、案外興味深かったように思う。二十億光年という数字の具体的な出典と、宇宙の誕生、それから膨張。もちろん、知っている内容も多かったけれど、文学作品と絡めた解説は聴きやすかった。よだかの星を絡めた公演もこんな感じだったのだろうか。
君は孤独なのか、と、問い損ねた。
30分程の公演が終わってから、心に残ったのはそんな思いひとつだった。
常設展を眺めながら、取り留めのない話をした。宇宙科学に関する展示が多かったから、話題の方向もそちらに寄る。それから、滅んだ動物たちに関する展示も。宇宙でただ一人になった彼らの最期の孤独は如何程だったろうか。プラネタリウムの余韻のせいか、美術作品の展示も「孤独」のテーマに合わせられているように思えてくる。
「つぐちゃんは、おにーさんには遠慮がないよね」
「兄妹だからね。そりゃあ仲が良くても先輩後輩とは違うよ」
「ううん、そうじゃなくって、他のきょうだいと比べても。おにーさんとつぐちゃんは対等じゃないけど、対等に見える」
「そうかな。じゃあそれは、兄妹にしては遠慮しあってるからだね」
「遠慮?」
「つぐみは俺を足蹴にしたりはしないし、俺もつぐみを罵倒したりはしない。……昔からね」
「それは普通じゃないの? あたしもおねーちゃんにそんなことは──多分。あんまり昔のことは覚えてないけど」
「あとはつぐみに聞いて。俺よりは上手く説明してくれそうだから」
隠しているわけではない、と思う。けれどあくまで「つぐみの友達」である日菜ちゃんには、こちらから込み入った話をすべきではない。
ただ、羽沢兄妹には義がつく秘密があり、それを他人に喧伝したことはなかった。
「日菜ちゃん達は対等じゃないの? 仲が良さそうには見えるけど」
「うーん、わかんない」
「双子だと勝手が違うのかな。姉妹の上下も僅差過ぎるし」
「でも、はっきりはしてるよ。おねーちゃんがおねーちゃんで、あたしは妹」
それは確かに、歪かも。
よく分からない、という顔をした日菜ちゃんに内心で頭を下げる。ごめんね、つぐみに聞いてくれ。俺には少々荷が重い。
双子の正しいあり方なんて知らないけれど、双子の知人は大抵、横並びの関係を築いている。
しかし──言いかけて、やめる。男に家族関係の悩みをひけらかさない方がいい、という助言を飲み込んだ。つけこまれるぞ、という忠告のための言葉が、拒絶のように聞こえるのを恐れたから。
「それも悪くはないんじゃない。俺は、つぐみの兄貴をやれてることが幸せだって思うし。日菜ちゃんの姉も、そういうところがあるかもしんない」
そうだといいなぁ、と彼女はふわり笑って、くすんだ色の案内表示に導かれながらレストルームにふらりと歩いていった。常設展を通り抜けた後に、セザンヌの絵が展示されている。これから始まる展示のプレオープンらしい。
戻ってきた日菜ちゃんが、「リンゴだ」と呟いた。すっかり気分を切り替えたらしい。
「昔からさ」
彼女は人差し指を立てて、セザンヌの絵画の前に翳して見せた。
「両目で見ると、この指の影になる部分まで見えるのが不思議だったんだよね。片目だと見えないのに」
「キュピズムの話?」
「まあまあそう」
今度は、こちらへ向けて人差し指を翳してみせる。
それからためつすがめつこちらを見つめて、わざとらしく肩を落としてみせた。
「ユニクロってさぁ、塩だよ」
「はぁ」
「おにーさん、もっとオシャレしたらいいのに。素材の味で戦いすぎ」
「急にディスられてる?」
「2割くらい褒めてる」
屋外へ出ると、昼食には少しだけ早いくらいの時間になっている。ここからリードは日菜ちゃんに差し上げたいところだけれど、少し嫌な予感がしている。日菜ちゃんは買い物が長いタイプだろうか。あまりそうは見えないが、こういう時に限って直感は外れるものだ。
彼女に連れられて電車に揺られ直し、東京で1番無地のシャツの割合が低そうな街へ。
「なんか無難すぎ」
それが、セザンヌのリンゴを見たあとの日菜ちゃんの感想だった。もちろん、セザンヌではなく自分のファッションセンスに対して。無地と無地、もしくは柄物と無地。柄は派手すぎず、色は互いに被らず喧嘩しないもの。アクセも派手すぎず、差し色は意識できたらする程度。
守りに入っている、というのが日菜ちゃんの指摘。ごもっとも、と五体投地で白旗を掲げるほかない。
日菜ちゃんがドアを叩いたのは、軒を連ねるセレクトショップの一つだった。
「わ、日菜ちゃん。いらっしゃいませ…………彼氏さん?」
「おにーさん! コート見せて」
「はーい。この間のやつ?」
「うん」
ちらりと目に付いた値札が、普段買う衣服の値段と一桁違って震える。ジャケットじゃなくてブラウスに10万円以上支払える人間はそりゃオシャレだろう。ここまで来ると着こなしが悪くても、アイテムの質が『オシャレ度』を押し上げるのでは? とさえ思う。
日菜ちゃんが何言か店員と言葉を交わしたあと、バックヤードに引っ込んだ彼女が持ってきたのはカーキのコートだった。着てみてください、という圧をかけられて、つとめて値札を見ないようにしながらコートを羽織る。重い。
鏡に映った自分は、幾分身長が高く見えた。
ふふん、と得意げな顔をする日菜ちゃんに2度目の敗北宣言をして、コートをかけ直した。その際に揺れた値札が六桁を示していて、財布の中身を確認したい衝動に駆られる。
「じゃあこれは確定ね。シャツでも見てきてよ」
シャツも高い。確かに安っぽい柄はないし、触ってみれば生地の質感も段違いなのだけど、そこに投資できるわけでもないので、その値段分の価値があるようにはどうしても感じられない。気に入った柄があれば、とは思っていたのだけど。
解体新書のパロディだろうネズミのイラストがプリントされたシャツを眺めていると、日菜ちゃんがコートを手に近寄ってくる。
「ん、これ着て」
「え、高いんじゃ、これ……」
「うん。だから着こなしてね?」
「無茶を……」
「んふふ、元を取るまでデートしてくれればいいから」
コートを手渡して、彼女はへにゃりと笑った。ぴらぴらと指先でぶら下げられた紙切れは、値札のタグに違いなかった。返せる額だろう、と信じる他ない。
困る。本当に、困る。何が困るって、のせられかけている自分が嫌になる。
店内をぐるりと一周してから、店の外に出た。譲らず回収したコートの領収書をポケットに入れて、買ったばかりのカーキのコートを着たまま外の風に当たる。さすがの断熱性と言うべきか、先程よりも幾分温かい。しかし、返し切るのにどれくらいかかることやら。
「あったか〜い」
左のポケットに日菜ちゃんの右手が突っ込まれて、体が傾く。行き場を失った左手が、ポケットの表面を撫でた拍子に食いつかれる。
「それ大学に着てったら、『彼女できた?』って訊かれるかも」
「それは困るな」
「なんて答えるの?」
「検討しとくよ」