第二話 パンドラズ・アクターという怪物
アインズとNPC達が学園で過ごしていた三年間。ナザリックはどうなっていたのか。
その答えは簡単だった。
──三年の歳月は流れたが、ほとんど変わっていなかった。
ナザリックの外壁は傷一つなく、内部の構造物も磨き上げられたまま。侵入者もなく、ギルドの財宝は厳重に守られていた。そしてナザリックに生きる者たちも、己の責務を全うしていた。
魔導国も同様で、時々姿を現す魔導王アインズ・ウール・ゴウンや英雄モモンのもとで、円滑な統治がなされていた。エ・ランテルを例にあげるなら、アンデッドが休むことのない労働力として提供されている関係上、生産力や治安が底上げされ庶民生活は豊になっていた。
あえて違いを明確にするならば、いままでの生活で培ったアンデッドに対する忌避感は、三年もたてばある程度は緩和されたことだろう。しかし所詮はある程度。とはいえ、安定した生活は、得難いものであり、少しずつ変化していくのだった。
魔導国にとっても重要な意味を持つカルネ村は、大いに発展していた。村は新設した壁に囲まれ、壁の外に農地や牧場などが増設。さらにその外周に低いとはいえ二重の壁と空堀ができ、人々の生活圏は拡大されていた。なおエンリは村長となり、ンフィーレアと結婚し子供も産まれているが、世界情勢からみれば些細なことである。
そんな魔導国は周辺国家へも交易や支援そして影響工作も活発である。
たとえばバハルス帝国とはある程度協調関係を保ちつつ、スレイン法国などの周辺国家と過度に結びつかぬよう適度に分断工作がされていた。アゼルリシア山脈のドワーフは支援を受けることで何とか生存圏をぎりぎり確保している。同様に亜人の脅威にさらされている聖王国と竜王国には食糧・物資支援や一部戦力供与もされ、三年間一進一退の拮抗状態を何とか維持している。
つまり。
ほぼすべての近隣勢力が拮抗状態に抑え込まれていたのだった。
表面的には、三年前とまったく同じ“仮初の秩序”が維持されていた。
ただし、その秩序を三年間支えていたのは、たった一人の非常に厄介な存在ということはほとんどのものに知られていない。
──パンドラズ・アクター
アインズがかつてプレイヤーだった頃、自ら創造した悪趣味なまでにオーバーリアクションが軍服をまとったドッペルゲンガー。彼は、異世界カルテットの学園世界にも「運営側」として姿を見せていたが、同時にこの世界のナザリックにも存在していた。
まるで二つの世界を跨いで存在しているかのような在り方は、もはやゲームの設定を超えた「謎」としか言いようがない。後にアインズや他の守護者に説明はされるが、誰も理解できないのに受け入れた時点で、世界の法則なりが働いているのだろう。
そんな謎の状態のパンドラズ・アクターは、三年間魔導国の政務を一手に引き受け、残されたNPC達を納得させ、各国への威圧・諜報そして支援などありとあらゆる方法を駆使し、この状況を維持しつつけていたのだ。
***
玉座の間でアルベドから簡単な説明を受け、ナザリック内を簡単に確認したアインズは、三年ぶりに執務室に戻ってきた。
三年ぶりということで机の上に書類の山が積み上がっている光景を覚悟していたが、実際にそこにあったのは、完璧に分類・整理された書類と、それらの要点をまとめた資料であった。そして、机の中央に置かれた一枚のメモにはこのように書かれていた。
《アインズ様、お戻りを心よりお待ち申し上げておりました。
魔導国および周辺国家は安定しております。ご帰還後の方針に応じて、如何様にでも調整可能です》
丁寧な文字が静かに輝いていた。
「あいつ。あの世界で教師側にいたよな? なぜ一人だけこっちの世界にも存在し、国家運営をしていたのだ? ドッペルゲンガーだからか? いや。ならナーベラル・ガンマは、そんな感じはなかったし……」
アインズは自分が創造したNPCのはずなのに、その行動が全く読めないパンドラズ・アクターの件は脇に置き、三年間の状況確認を優先する。
「概ね問題ないようだが……」
聞けば、残されたNPC達も、パンドラズ・アクターの手腕には一目置いている評価がきこえてくる。
「アインズ様や他守護者様がたの不在の間、政務の采配、情報管理、外交対応……どれも完璧でした。さすがはアインズ様自らが創造された存在。あのようなことがあっても対応できるようアインズ様が指示されていたのですね」
褒め言葉はすべてアインズ本人に跳ね返ってくる構造になっていることも、アインズの心を削る要因ともなっていたのだった。
「アインズ様、急ぎご確認いただきたいものはこちらとなります」
「ありがとう。アルベド」
学園生活に巻き込まれた守護者らも同様に、何気ないやり取りであるが、学園生活で身についた“クラスメイトとしての距離感”が、無意識のうちアインズの心を癒す。
「まあ。悪くはないか」
アインズは現状に概ね満足しているのだった。
***
宝物殿の一角、謎の計器や映像に囲まれた場所で、パンドラズ・アクターは楽しげにその様子を眺めているのだった。
そして急にこちらに向き直ると
「アインズ様がご満足いただけているようでなにより。では皆様、次のシーンでまたお会いしましょう」
その完璧な政務の裏で、パンドラズ・アクターは異世界カルテット由来と思しき現象を、抜け目なく観測し続けていたのだった。
***
一方その頃──リ・エスティーゼ王国。
王都は、一見すれば穏やかな日常を保っているように見えた。中央広場には露店が並び、焼いた肉の香ばしい匂いと、甘い果物の匂いが、人々の笑い声と混じって漂っている。石造りの建物が肩を寄せ合うように立ち並び、遠くには王城の白い塔がそびえていた。
だが、その華やかさの裏で、貴族たちの内側はきしみを上げていた。
「魔導国が動かない今こそ、我らの勢力を広げる好機だ!」
「馬鹿を言うな。三年前の惨事を忘れたのか。あの怪物どもが、沈黙しているなど、むしろ不気味だ」
「動かぬ覇王ほど恐ろしいものはない……」
王都の社交界や、秘密の会合。果ては裏社会の会議の場も、こんな会話が日常茶飯事となっていた。
民衆は民衆で、別種の不安と期待を抱える。
「あの魔導王が、三年も何もしないって、逆に優しいんじゃ……? ほら魔導国からいろいろな物資が流れてきて、生活も安定してきているし」
「いや、きっと何か企んでいるに違いない。静かなときほど危ないって、親父が言ってた」
市場の片隅で交わされる他愛もない会話。
だが、その中に時折混じる“異様な噂”が、王都の空気をじわじわと変えていった。
「よく分からない揃いの服を着た人たちを見た」
「空から落ちてきた謎の物体を拾った商人がいるらしいぞ」
「森で光の渦を見たやつがいたらしい」
「見たことない酒が流通しているらしい」
「空に見たことない巨大な魚? が浮かんでたらしい」
もし、アインズが聞けば、あの学園世界で見た光景を、誰かがこの世界へ乱雑にコピー&ペーストしたのか? ぐらい言いそうな事象である。時系列でいえばアインズらが帰還する少し前あたりからだったのだが、世間はそんなことを知る由もない。
そして王国の役人たちも、それらをただの戯言・噂話として処理し、公式な報告書に載ることはなかった。
だが、王都に張り巡らされたナザリックの情報網は、そうした噂話まで余さず拾い上げ、すでにパンドラズ・アクターの元に集められていた。街路の陰に潜む不可視のモンスター。路地や屋根裏をうごめく小さな虫。彼らは皆、魔導国の影──ナザリックの目と耳なのだから。