リ・エスティーゼ王国の王城会議室。
「北部の村が消えた、だと?」
「はい、陛下。報告によれば、まるで巨大な何かに踏み潰されたような……」
「竜か? 魔獣か?」
「それが……巨大な足跡らしきものだけが……。逃げ延びた村人によると巨大な何かが現れたとのこと。しかし周辺にはそういった痕跡はなく、近くにはそのような巨体の魔獣なども発見されておりません」
王と重臣たちの顔に、困惑の色が浮かぶ。
「王都からは遠い。放っておいても問題はなかろう」
発言したのは、王の側近の一人だった。
「辺境の開拓村など、いくら潰れようが、直接の脅威にはならん。兵力を割く必要は……」
「しかし被害は拡大傾向にあるぞ」
「遠いうちは、そのまま放置しておけばよいのでは」
結局、王はその議論に明確な指示を出すことなく、対応は有耶無耶となり、実質情報収集を行うという消極的な選択となった。実際、王は三年前に虎の子ともいえるガゼフ・ストロノーフを筆頭に信頼のおける部下ははじめ、戦士団や軍といった手足の多くを失ったため、積極的に動くことができないという理由はあった。
だからといって相手が待ってくれることなどなかった。
最初に消えたのは、地図にもろくに載らないような小さな村だった。
次に消えたのは、交易路の途中にある宿場町。
気が付けば農業で支えられている地方都市。
いくつもの村と町が“何か”に踏み潰され、
地面に巨大なクレーターと足跡だけを残して消えていく。
やがて、ようやく誰の目にも見えてくる。
その進行ルートを線で結ぶなら
──目的地は、王都ではないか? と。
***
王国も、座して死を待つほど愚かではなかった。
数だけは回復軍を派遣し、地方都市に騎士団を集中させ、“巨大な何か”を迎え撃とうとする。
地平線の向こうが、最初に歪んだ。
いつもなら、丘と森の境目がぼんやりと揺らめくだけの陽炎だ。だがその日、揺れていたのは空気ではなく──大地そのものだった。
「……なぁ、あれ、見えるか?」
門番の一人が、槍の柄を握りしめたまま、信じられないものを見るように目を細める。彼の視線の先。地平線の線が、ぐにゃり、と曲がっていた。いや、曲がっているのではない。何か“黒い塊”が、丘の向こうから少しずつ頭をもたげているのだ。
最初は、小さな影だった。
見間違いだと笑い飛ばせる程度の、小さな黒点。
だが──数秒、数十秒と経つうちに、それはみるみる大きく、そして高くなっていく。
「……山が動いている?」
「バカ言え、あんな山がどこから生えてくるってんだよ」
冗談を言ったつもりの兵士の声は、ひどく乾いていた。誰の喉も、同じように渇いていた。飲み込んだ唾の音が、やけに耳につく。
やがて視界を遮っていた丘の稜線を、黒い何かが越えた。
最初に見えたのは、一本の脚だった。細いと、一瞬、誰もが思った。人と比べれば、たしかに細い。だが次の瞬間、その脚が大地を踏みしめたとき、街の城壁までもがかすかに震えた。
ズドン──。
腹の底を殴られたような衝撃。
続く二歩目、三歩目。振動は規則正しいリズムとなって、地面から足、膝、背骨へと這い上がってくる。
その脚は一本ではない。二本、三本、四本──気づけば、六本の脚が大地を掴み、黒い巨体を支えていた。
「蜘蛛?」
誰かがそう呟いた。
だが、それは森に潜む魔物のような、可愛げのあるサイズではなかった。村ひとつ飲み込めるほどの胴体。その重みを支える六本の脚は、まるで山に打ち込まれた杭のように、地面を抉りながら進んでいく。
黒光りするその表面は、陽光を鈍く反射して、冷たい光を散らしていた。それを金属と気が付くものはいない。それほど馬鹿げたサイズなのだ。
風が運んでくるのは、土煙と焦げた油のような臭い。生き物の皮膚ではない、焼けた鉄の匂い。
「おい……。あれ、動いてるよな?」
「当たり前だ。山が歩くわけないだろ!」
巨体は、ゆっくりと、しかし止まることなく近づいてくる。一歩ごとに、丘が削れ、木々が押し倒されていくのが遠目にも分かる。森の緑が、まるで粗雑にこすり落とされる絵の具のように消えていき、そのあとには土の地肌と、黒い轍だけが残る。
胴体の前方──顔にあたる場所には、いくつもの砲塔が並んでいた。それは眼窩のようにも見えるし、口のようにも見える。ただ一つ、誰の目にも共通して映ったのは、「あれは、こちらを見ている」という確信だった。
「……こっち、来てるよな」
近づくほどに、その“音”は増していく。地鳴り。押しつぶされる木の音。砕ける岩の音。
それらすべてを飲み込んで、最後に残るのは、規則的な異形の唸り声、聞きなれる不気味な音。
その音が響くころには軍も集結し状況を見守っていた。
ドン。
ドン。
ドン──。
足元から響いてくるそのリズムが、やがて街全体の鼓動と同調しはじめる。心臓が、勝手にそのリズムに合わせて跳ね、息が浅くなる。とてつもない恐怖となって待ち構える者たちの心を圧し折ろうしてくる。
「ば、化け物だ……」
誰かが、思わずそう零した。
機動要塞デストロイヤー。
もちろんこの場にその名を知るものはおらず、前進を止めようと王国軍は一斉に攻撃を開始した。矢の雨が降り注ぎ、炎と風と雷の魔法が連続して叩きつけられる。
だが──
その巨体の表面に触れる前に矢が折れていく。魔法の閃光も金属の装甲にすら届かず焦げ跡すら残さない。兵士たちは知る余地もないことだが、強力なシールドで守られているデストロイヤーに、この程度の攻撃など届きはしなかったのだ。
やがて、デストロイヤーは地方都市の城塞に接触する。誰もが、そこで止まると確信していた。倒せないまでも、動きを止めればやりようはあると。
「とまったか?」
先ほどまで鳴りやまなかった地響きが止まり、そんな声が各所からあがる。
一分・二分。
静寂の中、誰もがかたずをのんで見上げている。
だが、それは幻想であった。
不気味に光る箇所が目とするならば、その頭部がゆっくりと動き、城壁の一角へ向けられたのだ。
次の瞬間。
白い光が放たれ──
城壁の一角ごと、兵士たちの列が、消し飛んだ。
面には、半分溶けた鎧と武器だけが、黒い塊となって取り残される。吹き飛ばされた瓦礫は、近くの建物の壁や屋根を貫き、巨大な煙を上げる。なにより衝撃はすさまじく、少し離れていたところに待機していた兵たちでさえ、悲鳴を上げる暇すらなく吹き飛ばされたほどだ。
その状況に、後方に陣取っていた王国の将は、震える声で叫んだ。
「撤退──撤退だ!!」
それでも、デストロイヤーの前進は止まらない。
地方都市の城壁が、その巨大な脚に踏まれて崩れ落ちる。
進路の邪魔になる塔や館が、赤熱した砲撃に焼き払われる。
王国の民は、空を見上げ、泣き叫ぶことしかできなかった。