屋上に降り注ぐ太陽の微笑みを一身に受けて、わたし、甘織れな子は四方に囲まれたフェンスの一角に体を持たれかけながら日向ぼっこをしていた。いや、日向ぼっこというには表現が可愛すぎるな……。日光消毒だね、うん。わたしの体から蒸発した気体のように出てくる陰気オーラをお祓いするために、わたしは今日もお布団よろしく太陽さんに除菌してもらっているのだ。ありがとう太陽さん、願わくばそのままわたしの過去ごと白紙に戻してくれ……。
フェンスに体をもたれかけ、軽く漕いだブランコのようにぷらぷらと上半身を揺らしながらリラックスをする。秒針が動くたびに空へ身体を漕いでいくと、ゆらゆらし始めてから数分が経ったとき、わたしは唐突に、しかしゆっくりと、入学時から今までの脳内の記憶が、水彩絵の具が混ざりあうように青空のパレットへと溶けだしていった。
思い返せば、濃くも短い1か月が芦ケ谷高校とわたしのカレンダーをめくっていた。高校入学初日、あの王塚さんに恐れ多くも声をかけ奇跡的に友達となり、芦ケ谷に雨がこぼれた二日目には、純度百パーセントの天使である紫陽花さんをわたしの傘に入れるという『誉』を賜ったわたしは、ありがたいことに香穂ちゃんと紗月さんを加えた"王塚グループ"の末席に名前を埋める栄誉をいただくに至った。濃い……なんて濃いわたしの高校生活……!!
なにはともあれ、そんなチート級の加護を手に入れたわたしの学校生活は、まるで流れるプールに身体を委ねるかのように、すいすいとストレスなく流れていくものだと思われた。しかし、しかしだ!!
ここ最近、気づいてきちゃったんだよね。こう、他の四人とかかわっているとさ、陰キャの宿命だけど、すぐに自分と比べちゃって。
わたしと他四人の力の差というか、スペックを見ると、『うーむまずいのォ 王塚グループ あれ わしじゃぁムリじゃね?』とこの世の真理に手が届きかけてしまったのだ。
最初は頑張って否定しようと、脳内にあるあらゆる語彙を総動員して詭弁空弁を心へと溶かしていたが。それも対処療法にしかならず。その効果も日に日に陰りが見え始め、ここ数日は、こうして昼休みに屋上でリラックスタイムを興じることにしたのである。
先ほどまで、王塚グループでの高速パス回し会話ドッジボールを受けていたからか、脳と体は24時間使い続けたパソコンみたいに熱せられていて。それが今、屋上に流れる風がうちわを仰ぐみたいに体と心を冷ましてくれる。
(はぁ、ちょっとおちついてきた……)
……わたしという存在は、今はまだ、なんとか、辛うじてオーバーフローを起こさずに生きている。心の容量はぎりぎり空白を残しているし、身体も中学みたいな不調を叫んでいない。なんとか、本当になんとか高校生活と王塚グループについていけている。
(……けど大丈夫かなぁ、わたし)
空からミルクのようにこぼれる春の日差しは、胸中に広がる不安を投影したように、にわかにキタノ映画のような仄暗く青い色合いに様変わりしたようで。わたしは不安を洗い流そうとため息を吐くが、効果はさほどなかった。
……もしこの先、わたしのどうしようもない内面が、ハリボテの外面からこぼれだしてしまったら、王塚さんたちはわたしを見限るだろうか。ゆらゆらと見つめる先、すべてを抱きしめてくれるかのような雄大な青空は、しかし顔色一つ動かさず、雲はのんびりとたゆたっている。
……いや、そもそもわたしは、王塚さんやまわりの人にどう思われているのだろうか。実はもうわたしの陰キャ性に気づかれていて、"ハハ、甘織サン、まだ陽キャの皮被れてるって思ってるっぽいね"なんてことを他グループの人からは思われてるのかもしれない。
網膜と色眼鏡を通したフェンスの輝きは、いつのまにか鈍重なものに変わっていて。わたしはゆったりと肩を落とす。その行動に意味なんてない、なんてわかってはいるが、そうしたい気分だったのだ。
仄暗い青空と、鈍い光を放つフェンスの不安が、段々と明度を下げながら、それでいて倍々に増えて心を塗りつぶしていくようで。フェンスの上でぷらぷらとしていた上半身を止めて、足を地面へと落とす。お腹をフェンスにもたれかけさせて、両手をフェンスにつけ、握りこむ。冷えた金属が、手のひらを介して体へと広がっていくようでくすぐったいが、心に広がる不安はいまだ止まる気配を見せない。わたしは、フェンスをそのまま握りながら、額を手と手の間のフェンスへとつけて、悪い思考を切ろうと目をつむった。しかし、悪い思考は一向にきれず、ゆっくりと、着実に、雀の涙ほどもない心の容量を蝕んでいった。
☆☆☆☆☆☆
何分経っただろうか、力という力の入っていない自身の体が突然打ち震えた。それはわたしが急に過去の黒歴史を思い出して身もだえしたからではない。突然耳元に温かくて甘美な空気が吹かれて、想像以上に熱かったお風呂に手を入れた時みたいに、反射的に体が震えたのである。
「ひゃあ!?」
そんな素っ頓狂な声を鳴らして、わたしはお腹に当てていたフェンスから飛びのき、右耳をさすりながら、生暖かい風の発生源へと向けて、体を屋上のドア方向へと半回転させて見る。
するとそこには、悪戯が成功した小学生のような笑みを浮かべた、しかしひと際大きな身長を持つ女性が佇んでいた。見れば、身長はあの王塚さんよりも大きい……、もしかしたら170センチ以上の背丈をもっていて、シャープな輪郭と鼻筋は、耳元付近の高さで揃えられた栗色のボブカットと合わさってまるでどこかの王子様のような印象を受ける。
いや、しかしその輝きに満ちた顔には人懐っこいようなクリッとした双眸をもそなえていて、あるいはお姫様の印象も受けた。なんてことだ。この心に抱いた印象の二択、どちらを選んでも対面の少女には一国の主の称号を被せてしまうことになる。王冠、あるいはティアラを被って玉座に座るこの人?もしかして最強か?そう思ってしまうほどには美しい人だった。
「あはは、突然ごめんね?ここ最近よく屋上で見かけるから、声かけたくなっちゃって」
不躾にも彼女の顔を眺めていると、彼女はけらけらとした笑みをどうにか心の底へと仕舞い、手のひらをあわせてそんなことを言ってきた。ご丁寧に背をかがめて、顔の角度は45度で……、同性のわたしでもドキッとしてしまうそんな動作に、思わず見とれてしまう。
しかし突然、彼女はクスリと笑みを浮かべて、わたしのプライベートスペースを侵略しながらこちらへと歩みを進めてきた。わたしは反射的に、自身の安全地帯を回復させようと後ろ手に後ずさる。
「え、なんで離れるのさ」
なにか予想外なことが目の前で起こったように、彼女は素っ頓狂な顔を張ってこちらへと歩み寄ってくる。
「いや!なんでもないんですけど!ちょっと近いかなって」
そういって、熊から逃げるように、彼女の目を見ながら距離を空けていくと、背中に感触を覚えた。はっと気が付いて後ろを振り向くと、フェンスが腰を支えつけていて、これ以上後ろには進めないようなっていた。
「ははーん、なるほどね?」
首筋に吐息交じりの声が乗った。わたしは目の前に突然現れた車を見るように、視線をフェンスから件の生徒へと向けようとして。
不意に視界がまっくらになった。
えっ、と声を出そうとして、しかしうまく言葉の輪郭が作られない。圧迫感と、謎の視界不良、そして生々しい温かさ。あとめっちゃいい匂い!!もしかしてわたし……抱きつかれてる!?
パニックになりながらもごもごしていると、暗闇の上から声が下りてきた。蜘蛛の糸のように優しくたらされたそれは、しかし秘密の楽園に実った禁断の果実みたいな背徳感を孕んでいた。
「もしかしてキミ……女の子が好きなタイプ?」
ささやくような甘い声音でそう訊かれた瞬間、間髪入れずに視界は彼女の服から芦ヶ谷高校の屋上へと戻ってきて。わたしを押さえつけていた彼女の身体は、その圧迫感を霧散させて、集合写真に入るように、わたしの視界に収まるために後ろへと下がっていく。
目くらましのように鋭い太陽の光に慣れてきて、目をごしごしと拭いてから彼女の様子を見ると、そこにはにやにやと口角を上げて、いたづらっこのような笑みを浮かべていた悪ガキの姿が見えた。
そんな様子を見て一矢報いようと口をパクパクするが、しかしいつのまにか言語野が甘く痺れていてなかなか言葉が出てこない。
そんなわたしの様子をみて、彼女はまたニマニマと目を輝かして、芝居がかった調子でこちらへ言ってくるのである。
「わわ、その様子じゃホントに好かれちゃったかぁ!いやぁ、ワタシオンナノコのカノジョなんてハジメてダナぁ!」
競技ダンスのようなステップを踏みながら、感動に打ちひしがれるように自身の身体に手を絡ませて言う彼女に、わたしは……わたしは!
「そ、そんなわけないじゃないですか~~ッ!!」
両手を胸の前で構えて、せめて一言、純然たる事実を言葉に込めて、そう空へと叫んだのだった。
☆☆☆☆☆☆
誤解を解こうとわめくわたしを、まぁまぁと丸め込んでくる先輩(1年のわたしと上靴のワンポイント色が違うことで気が付いた)は、名をミヤビと言うらしい。ミヤビ先輩は人懐っこい笑みをたたえながら、屋上のそのまた上、梯子を上った先にある、家のロフトのような最頂部に腰を置きながら、上からわたしの名を呼んで、手招きしてきた。わたしは少し悩んだ末に、先輩の誘いを断ることなんてムリだと結論を上げて、梯子を登った。
「ここはね、ワタシのお気に入りのサボりスポットなんだ」
梯子を登り終わると、体育すわりで待っていたミヤビ先輩が、花にでも呟くように言ってきた。ナイショだよ?と口元に人差し指を沿わせて、これまたいたずらっぽく笑いかけてくる。わたしは立ちっぱなしのまま、あ、えっと、なんて取り留めのない言葉を零す。わたしのバカ!
あわあわしているわたしを見て、しかし先輩は表情を曇らせることはなかった。わたしの挙動不審ぶりを肌で感じた先輩は、口元に当てていた人差し指を離して、
「ほらほら、早く座りなよ」
と自分の座っている場所の隣を手で数度叩きながら、微笑みかけてくる。先輩のボブの髪型が、日光に照らされてブラウンを映えさせて、上空を吹く風は彼女に従うように、緩やかに彼女の髪を梳かしていく。ふわふわと流れる彼女の髪につられるように、わたしは先輩の隣に、いやちょっとだけ離れて座った。いやなに!?べつに二人でぎゅうぎゅう詰めになって座らなきゃいけないほど狭くないし!断じてさっきのいじられのせいで先輩にどぎまぎしてるとかではありませんし!?
わたしが先輩の身体より少し離れて座ると、先輩はははっ、と明朗に空へと笑って、わたしの方へ体を向けた。どきっとしたわたしを見ながら、先輩は言葉を放つ。
「さてさて、入学早々一年坊やが進入禁止なはずの屋上に転がり込んで、ゆったりぼーっと空を眺めるなんて。なにか理由があるんだろうね?お困りごとかな?」
先輩の投げた質問は、わたしの心に広がる悩みの根幹を捉えたものだった。しかし、見ず知らずの先輩に打ち明けるほどのことではないと結論付ける。突然わたしが先輩に向かって、今所属しているクラスのグループのレベルが高すぎて心が折れそうです、なんて言って、どうなるというのか。変な空気になるに決まってる。
「い、いえいえ。なんていうか、そのぉ、外の空気を吸いたくなったって感じ…です」
しかし言い訳を紡ごうとして、この始末だ。手をバタバタと振りながらしゃべったものだから、対面にいる人が小学生でも"お姉さんそれウソじゃん"と言われかねない惨状だった。あば、あばば。
しかし、先輩は視線をわたしから空へと向けて、
「……まぁ。自分の悩みは、受け止めてくれる誰かに話したくなるものだし、別にムリして話さなくてもいいよ」
そう、無表情で言った。ちょっと……いや、正直意外だ。
「意外だ、って顔だぁ」
「いやっ、そんなことないですよっ!?」
「ほんとかねぇ」
探偵のように顎を親指と人差し指でつまみながら、ミヤビ先輩は心中を看破されてあたふたとするわたしを見てくる。ひっ、なに!?
戦々恐々としていると、しかし彼女は、草木に水を零すように、優しい口調でさらりと質問を投げかけてきた。
「なら。キミは、学校楽しいかい?」
彼女の瞳孔は少し絞られていて。表情は柔らかいのに、自然と背を正してしまう。
「わ、わかりません!まだ1か月もたってないので!」
先輩に失礼のないようにそう答えると、先輩はそれもそうかという顔をして、一呼吸置くようにふとため息を吐いた。少しの静寂が屋上に広がって、突然先輩はこちらの顔を見据えて、凛と微笑みかけてくる。
「ワタシは最近ヒマなんだ、後輩よ。たまにでいい、ここへ遊びに来てくれ」
そう言って、手をひらひらと振ってきた。わたしは困惑しながら訊く。
「えと、ちなみになんですけど……。来なかったらどうなるんですか」
すると先輩は怪しい笑みを浮かべながら、わたしに向けて指をさして軽々という。
「そうだね。コウハイにフラれちゃったって学校中に言いふらすかな」
「脅しじゃん!?!?」
空を突き抜けるような声量でわたしは思わず突っ込んで、頭を抱える。その様子を見ているであろう先輩は、愉快そうに軽快な笑い声をあげていく。
あぁ、なんてことだ。王塚さんと奇跡的に友達になって、紫陽花さんや香穂ちゃんとも、紗月さん……まぁ紗月さんはわからないとして、そんな超絶陽キャたちとせっかく仲良くなれたというのに!あとはバラ色の学校生活がエンドロールのように流れてくれると思っていたのに、実際はそんなことなくて、あげく今度はこんなクセの強い先輩に目をつけられてしまって!!もしかして神様、ハッピーエンドはお嫌いか??
にわかに昼休み終了のチャイムが鳴った。はっと姿勢を正してポケットからスマホを出すと、液晶には13時30分の文字が浮かんでいた。
「やばい次移動教室じゃん!?ミヤビ先輩、すみません失礼します!」
わたしは急いで教室に戻る準備をする。
「おー。行き急げ若人よ。老輩は捨てておけぇ」
「あの、先輩はいいんですか!?もう授業始まっちゃいますよ!?」
踏み外さないように梯子に足を掛けながら、しかし一向に動こうとしない先輩に声をかける。しかし依然先輩はひらひらと手を振って、あげくこて、と猫のように体を倒して寝始めた。
「はやくいけー。また来るんじゃぞー」
こちらに背中を向けながら、寝言を言うように呟いた言葉は、もう絶対に動かないという意思を多量に含ませていて。
「ま、また来るかは別として、時間がないのでもう行きます!さようなら!」
そう挨拶を投げて、急ぎながら、しかし踏み外さないように梯子を下りていく。屋上のドアを開ける瞬間、もう一度上を見るが、先輩が起きている様子は見られない。
(いや、腹をくくれれな子。この時期から遅刻なんてすればこんどは先生に目を付けられてしまうぞ……)
後ろ髪を引かれる思いが心の中を黒く塗りつぶす前に、まずは自分の心配をしなければと胸を叩いて、わたしは屋上のドアをひったくるように開けた。
瞬間、屋上に流れていた春風が、ひらけた渡り廊下に流れ込んできて。
「おわっ」
優しくも強引な風に背中を押されて、わたしは屋上から校舎へ向かう一歩目を踏み出していた。