死んで若返ったら色んな人がヤンデレだった 作:かわうそ☆ゆう
地区大会当日。
朝の空気は、少しだけ冷たかった。
でも競技場の中は、もう熱を持っている。
アップ前のトラック外周には、他校のジャージがぐるぐると回っていて、スパイクの音、スタート練習の号令、観客の声、全部が混ざって一つの“大会の匂い”になる。
(……これだ)
俺の二度目の人生で、初めての公式戦。
たかが地区大会。されど地区大会。
「翔ー!おい翔!こっち!」
でかい声が飛んできて、振り向く。
山岸が両手を振っていた。
その隣で小和がぴょんぴょん跳ねてる。元気すぎる。
「先輩達朝から元気っすね」
「テンション上がるだろ!大会だぞ大会!」
「やばいよね!競技場ってさ、地面までカッコよく見える!」
「地面は地面ですけども……」
ツッコミながら、俺は部の集合場所へ向かった。
◆
「よし、朝日ヶ丘、集合!」
三年の部長、氏原海斗が手を叩く。
声が通る。さすが部長だ。
「今日は地区大会。出るやつは怪我だけはすんな。準備はしっかり。アップ、動的、流し。いつも通り、やることやれ」
「了解!」
副部長の桜陽菜が淡々と頷き、ストップウォッチを確認する。
「男子短距離、流しは三本。一本目は六割、二本目七割、三本目は八割。フォーム崩すな」
「はい!」
いつもの部活の延長みたいな口調なのに、周りの空気は明らかに違う。
当たり前だ。今日は“記録”が残る。
(……俺も、やるか)
視線を動かす。
結衣は少し離れたところでストレッチしている。
いつも通りの無表情のはずなのに、今日は目が鋭い。
「……翔」
呼ばれて近づくと、結衣は俺の肩を軽く叩いた。
「無理すんなよ。……いや、無理はしていい。でも怪我はすんな」
「矛盾してんぞ」
「うるさい。伝わればいい」
言い方は乱暴なのに、心配が混ざってるのが分かる。
目を逸らさないところが、結衣らしい。
「お前こそ」
「私は私で勝つだけ」
短い会話。
それだけで、妙に背筋が伸びた。
次に菜々。
菜々は、部の荷物をまとめる係をしながら、他の部員にも飲み物を配っている。
本来マネージャーがすることまで、自然にやってしまうのが菜々だ。
「翔さん」
呼ばれて振り向くと、ボトルが差し出された。
「水分、ちゃんと取ってくださいね。今日は緊張で忘れがちなので」
「ありがと」
菜々が一瞬だけ目を伏せる。
(……やっぱ、まだ)
陽華祭終わりから続いてる、あの微妙な空気。
菜々は笑ってる。普段通りに見える。
でも、どこか“頑張ってる”笑い方をする時がある。
夏樹は——
「翔くーん」
紙をひらひらさせながらやってきた。
「はいこれ、エントリー表コピー。翔くん100m、レーン割り出たよ」
「マネージャー力高すぎだろ」
「当然でしょ。私が最強のマネージャーなんだから」
胸を張ったあと、夏樹は小声になる。
「……ねえ」
「ん?」
「今日、勝てそう?」
直球。
でも、夏樹らしい。
俺は少し考えて、正直に答えた。
「分かんねぇ。でも——出し切る」
夏樹は、ほんの一瞬だけ口を結んで、それから笑った。
「それでいい。……それなら、見てられる」
(見てられる、か)
遠回しなのに、めちゃくちゃ刺さる言い方するな。
◆
アップが始まる。
動的ストレッチ、腿上げ、スキップ、流し。
身体を温めていくにつれて、心も研ぎ澄まされていく。
流しの二本目。
脚が軽い。呼吸が整う。
(……悪くない)
三本目。八割。
風を切る感覚が、いつもより強い。
(いける)
そう思った瞬間、逆に怖くなる。
期待は、裏切った時に刃になる。
だから俺は、余計なことを考えるのをやめた。
(ただ、走る)
俺のエントリーは100m。
呼び出しが近づいてきて、集合場所へ戻る。
氏原が肩を叩いてきた。
「翔」
「はい」
「お前、最近フォーム綺麗になった。あとはビビらず行け。スタートで迷うな」
「……了解です」
陽菜も淡々と一言。
「翔。呼吸浅くなる癖ある。スタート直後、肩上げないで」
「はい」
短いアドバイスが、逆に効く。
小和が拳を握って叫ぶ。
「翔くん!めっちゃ応援するんで!勝ってください!」
「勝てますかね」
「勝てますよ!なんかもう雰囲気が勝つ人のそれです!」
山岸が乗っかる。
「そうだそうだ!俺、翔の走り見て“うおおお”ってなる自信ある!」
「先輩はうおおお言いたいだけでしょ」
笑いが起こる。
その笑いが、緊張を少しだけ溶かしてくれる。
そして、呼び出し。
「男子100メートル、予選——」
名前が呼ばれ、俺はトラックへ向かった。
◆
スタートライン。
「木下翔、レーン4」
レーンに立つと、世界が急に狭くなる。
視界に入るのは、前方の直線。
耳に入るのは、心臓の音。
(……ここだ)
観客席を見る。
結衣、菜々、夏樹。
三人は同じ場所にいるわけじゃない。
でも、目線は同じ方向を向いている。
俺だ。
(……ああ、そうだ)
俺は決めた。
誰か一人のためじゃない。
誰かを選ぶためでもない。
結衣、菜々、夏樹。
三人全員の前で——
俺の全力を、走りで見せる。
それだけ。
「On your marks」
腰を落とす。
ブロックに足をかける。
「Set」
静寂。
——パンッ!
音が鳴った瞬間、身体が弾けた。
(行く!)
スタートの一歩目。
地面を蹴った感触が、異様にリアルだ。
二歩、三歩。
(前に出る)
スタート直後は、恐怖が顔を出す。
“置いていかれるかもしれない”っていう本能的な恐れ。
でも、俺は知ってる。
そこで迷ったら、負ける。
腕を振る。
肩は上げない。
呼吸は刻む。
(伸びる)
30m。
隣の気配が薄い。
並んでるはずなのに、視界の端で相手が少し後ろにいる。
(……勝てる)
そう思った瞬間、心が揺らぐ。
「勝てる」と思った時、人は緩む。
だから、俺は自分に言い聞かせた。
(勝つじゃない。“出し切る”だ)
50m。
脚がまだ回る。
地面の反発が返ってくる。
一歩ごとに、速度が乗る。
(速い)
ここで、さらに前に出る。
70m。
肺が熱い。
でも、止めない。
(このまま)
残り20m。
ゴールが近づく。
視界が狭くなる。
でも、前だけは見える。
(最後まで!)
最後の一歩で、身体を前に投げ出した。
◆
ゴール。
勢いのまま数歩流して、トラックの外へ出る。
膝に手をつき、呼吸を整える。
「……はぁ、はぁ……」
顔を上げると、スコアボード。
1位
記録 10.67
(……よし)
胸の奥が、じわっと熱くなる。
その瞬間——
「うおおおおおおお!!!!!」
山岸の声が競技場に響き渡った。
「おい山岸うるせぇ!」
誰かがツッコむ声。
でも、笑いが起こる。
小和が手を振って跳ねている。
「翔くんやばいです!やばいです!!」
氏原が腕組みして、ニヤッと笑った。
「やるじゃねえか」
桜陽菜がストップウォッチを見て、淡々に言う。
「……今の、綺麗だった」
その一言が、妙に嬉しい。
俺が水を飲んでいると、周りの部員がわらわら集まってきた。
「翔、今の何?速すぎ」
「翔って本番強いタイプだったんだな、にしても全国レベルの記録だぞ!」
「てかフォームマジで綺麗」
「お前ほんとに1年かよ!」
口々に言われて、俺は苦笑するしかなかった。
「いや、俺もよく分かんねぇっす」
(本当だよ)
自分でも、今日の身体が出来すぎてる。
そして——
三人の方を見る。
◆
結衣は、最初声が出なかった。
ただ、目を見開いて、俺を見ている。
驚きと、誇らしさと、悔しさと、全部が混ざった顔。
(……何、それ)
心臓が跳ねる。
今日の翔は、逃げない。
迷いがない。
「……」
結衣は小さく息を吐いた。
そして、口元だけで笑う。
(……かっこよ)
悔しいくらいに。
また、好きになってしまった。
◆
菜々は、唇をぎゅっと噛んでいた。
走る翔の背中が遠ざかるたびに、胸が締め付けられて。
ゴールした瞬間、息が止まった。
(翔さん……)
優しい。
でも今日は、優しいだけじゃない。
自分の意志で走っている。
(強い)
怖いくらい、惹かれる。
頬が熱い。
視線が逸らせない。
胸の奥で何かが確かに再点火した。
◆
夏樹は、一拍遅れて笑った。
「……はぁ」
分かってた。
こうなるって。
決めた翔はズルい。
出し切る翔は、もっとズルい。
(ほんとさ……)
悔しい。
でも、それ以上に誇らしい。
「……惚れ直すに決まってんじゃん」
小さな声。
でも、それは自分に言い聞かせるみたいだった。
◆
視線が集まっているのが分かる。
三人とも、同じ目をしてる。
“見せつけられた”って顔。
俺は照れくさくなって、
片手を上げた。
そして、軽く。
ピース。
◆
一瞬の沈黙。
それから——
結衣が顔を真っ赤にして視線を逸らす。
菜々が小さく息を呑む。
夏樹が呆れたように笑う。
「……ズルい男」
その空気が、俺の胸を熱くした。
(……やべぇな)
俺は今、確かに前に進んでる。
でも同時に——
三人の心も、もう一回動かしてしまった。
◆
予選が終わり、次の種目に向けて部が動き出す。
「翔、次もあるだろ。休め、糖分取れ」
陽菜が淡々とゼリー飲料を投げてくる。
「ありがとうございます」
「受け取るの上手いな、今の反応距離感」
「どこ褒めてんすか」
氏原が笑って背中を叩く。
「いい顔してるぞ。あとは調子に乗って怪我すんな。……でも、乗れ。今日は乗れこのまま決勝まで突っ走れ」
「はい」
山岸が肩を組んでくる。
「おい翔!今の走り見て俺も100出たくなったわ!」
「先輩はうるさいから100m出たら失格になりますね」
「ひどくね!?」
小和が手を叩く。
「でも本当にすごかったです!あの感じ、見てるだけで胸が熱くなりました!」
(胸が熱くなる、か)
たぶんそれは、俺も同じだ。
大会の空気。
走る音。
応援の声。
全部が一つになって、背中を押す。
(……もう一回)
俺はトラックを見た。
まだ終わってない。
これからも走る。
そして、走るたびに——
三人の心も、俺の心も、また揺れる。
ゴールはまだ先だ。
でも今日、俺は確かに一歩進んだ。
“花火の余熱”は、まだ消えない。
むしろ——
次の火を点ける熱になって、燃えている。