死んで若返ったら色んな人がヤンデレだった 作:かわうそ☆ゆう
「……ぅ、う……なんか、話そうとは思うんですけど……
中々、どう話していいか……」
ようやく少し落ち着きを取り戻した菜々は、そう言うと頭を抱えた。
「ゆっくりでいいから。話せるところからで、全然いい」
俺はそう声をかける。
菜々が戸惑うのは当然だ。
俺だって、自分の過去を話せと言われたら、色々ありすぎてどこから手をつければいいのか分からなくなる。
「……じゃあ、とりあえず……」
そう言って、菜々は俺に背を向け、ゆっくりと服を持ち上げた。
「……っ……」
露わになった背中を見た瞬間、息が止まった。
そこには、
まるでムチで打たれたような跡が、幾重にも重なり合い、背中全体を覆っていた。
中には、まだ新しいと分かる赤黒い痕もある。
言葉が、出てこない。
毒親――
そんな生易しい言葉では片付けられない。
これは、明らかな虐待だった。
「ごめんなさい……急に、こんなの見せちゃって……
でも、もう二の腕も見てるから……一緒かな、って……」
「……親の仕業か。こんなこと、したのは」
自分の体温が、じわりと上がっていくのを感じた。
さっきの緊張とは違う。
胸の奥から、確実に怒りが込み上げてきているのが分かる。
「はい……。
これにも、理由があるので……話しますね。
先に見せておいた方が、分かりやすいと思ったので……」
俺の内側で沸騰する感情とは対照的に、菜々は小さく笑ってそう言った。
そして――
静かに、自分の過去を語り始めた。
◆
私の母は、とても優しい人でした。
何をしても怒らず、
クラスの皆が「理想のお母さん」と口を揃えるような人。
私が小さい頃に両親は離婚して、
母は女手一つで、私を育ててくれていました。
家庭環境に問題がなかったとは言えません。
でも、母と過ごしたたくさんの思い出や、他愛のない会話は、
そんなことを忘れさせてくれるくらい、私を幸せで包み込んでくれていました。
私は、そんな母が大好きでした。
本当に、本当に――大好きでした。
……そう、その時までは。
「菜々!
中学校の受験まで時間が無いわよ!
さっさと勉強しなさい!」
小学五年生に進級した途端、
母は何かが壊れたかのように、私を怒鳴りつけるようになりました。
突然の変化に、私は驚きと恐怖を感じました。
けれど――ちゃんと言うことを聞けば、
また、あの優しい母に戻ってくれる。
そう信じて、恐怖を押し殺し、言われるまま勉強を続けました。
それから二年。
怒声が響く生活の末、ついに中学受験の日が訪れました。
母の言う通り、勉強に明け暮れた私は、
母が望んでいた女子中学校に合格しました。
「……これで、戻ってくれる」
そう、思っていました。
「ママ、私、頑張ったよ!」
「流石ね、菜々。よくやったわ。
……でも、頑張るのはこれからよ」
母は微笑みながら、そう言いました。
「あなたを、絶対に良い子に育て上げるわ。
……私みたいにならないように、ね」
その瞬間、
母が二度と元に戻らないことを、私は悟りました。
母の中で何かが壊れたように、
私の中でも、確かに“何か”が壊れる音がしました。
それからは――
敬語の徹底。
母の呼び方は「お母様」。
スケジュールは全て管理。
遊びは禁止。
異性との交流も禁止。
まるで刑務所のような生活。
私の心は、日を追うごとに削れていきました。
そして、事件は起きました。
中学一年生、最後のテスト。
無理なスケジュールのせいで体調を崩した私は、
数日間、入院することになり、そのテストを受けられませんでした。
恐る恐る退院し、家に戻った私を待っていたのは――
花瓶や皿が割れ、家具が倒れた、荒れ果てた光景でした。
まるで、強盗でも入ったかのような部屋。
「……お、お母様……?」
割れた物を避けながらリビングへ向かうと、
母は、部屋の中央でうずくまっていました。
「……わ……が……だめ……」
近づくと、母は壊れたように呟いていました。
「私の育て方が甘かったのね……ダメだったのね……」
同じ言葉を、何度も、何度も。
私は恐怖を感じ、
ここに居たら何をされるか分からないと思い、玄関へ向かいました。
――殺されるかもしれない。
そんな恐怖と戦いながら、ドアノブに手を伸ばした、その瞬間。
「――ぁあッ!!」
背中に、激痛が走りました。
風船が割れたような音が、玄関に響き渡り、
私はその場に崩れ落ちました。
「私は甘すぎたようだわ、菜々。
今日からは、あなたの為に、もっと頑張るからね!」
母の手には、
竹で作られたムチのような物が握られていました。
「ごめんなさい……ごめんなさい……!」
恐怖は、確信へと変わりました。
私は謝ることしか出来ず、
逃げるという選択肢すら、頭から消えていました。
こうして私は――
再び、あの日々へと逆戻りしたのです。
母の虐待は、その日を境にさらにエスカレートしました。
通報することも考えました。
でも、心のどこかに、
あの優しかった頃の母の顔が残っていて……。
私は、行動に移せませんでした。
◆
休みの日と、学校以外の時間を母に支配されていた私は、
学校だけが、唯一の居場所でした。
母のことなど、口が裂けても言えません。
それでも、少しだけ友達はいました。
「菜々ってさ、なんでそんなに勉強できるの?
めちゃくちゃ羨ましいんだけど」
「……お母様のおかげですよ」
「へぇ〜。菜々のお母さん、頭いいんだ。
家庭教師みたいで、いいなぁ」
そんな何気ない会話ですら、
最初は、私の心を深く抉りました。
けれど、次第に――
それくらいのことには、慣れていきました。
普通の子達が、そう思うのも仕方ない。
……そう思い込むことで、私は平和を保っていたのです。
そんな、平和な学校生活に――
ある噂が流れ始めました。
「学年トップの菜々ってさ……
背中、シマウマみたいな模様があるらしいよ」
常に学年トップの成績を取り続け、
周囲から妬まれていた私のそんな噂は、女子校では一瞬で広まりました。
もちろん、その話は私の耳にも届きました。
体育の時間の着替えの時に、見られたのでしょうか。
一応、トイレで着替えるようにして、極力見られないようにはしていたのに。
……でも、今さらそんなことを考えても仕方がありません。
私はこれ以上傷跡を見られないよう、
より一層注意することにしました。
「菜々〜、トイレ行こ〜!」
友達にそう声をかけられ、私は席を立ち、教室を出てトイレへ向かいました。
正直、あまり大声で言ってほしくはありませんでした。
トイレに辿り着くと、そこには――
噂を流したであろう女の子達が、数人いました。
その瞬間、私は全てを悟りました。
「菜々ちゃん、シマウマらしいね。背中見せてよ!」
そんな、あまりにも無神経な言葉と同時に、
女の子の一人が私の服を掴み、強引に個室へ引きずり込みました。
「っ……! 嫌です! やめて!」
「おい、早く脱がせて!」
抵抗する私を、数人がかりで押さえつけます。
そして――
私の服を脱がしてきたのは、
私が“友達”だと思っていた女の子でした。
「うっ……気持ち悪っ。
マジでシマウマじゃん」
「噂、マジだったんじゃん。やば〜」
私の服を脱がし、そう言ったその
汚いものに触れたかのように服を投げ捨て、
他の女の子達と笑いながら、そのまま去っていきました。
その瞬間――
私の唯一の居場所が、音を立てて崩れ落ちました。
友達も、
楽しかった時間も、
全部、全部――
無情にも、その一瞬で消え去りました。
足から力が抜け、
上の服が無いことすら気にせず、私はその場に座り込みました。
大粒の涙を流しながら、
声を殺して、ただ泣き続けました。
――世界の全てが、私の敵になった瞬間でした。
私が自傷行為をするようになったのは、
そこからでした。
◆
私の傷跡が学校中に知られてから数日。
先生達は面倒事を避けるように、
私のことを相手にしなくなりました。
母も、相変わらずでした。
世界のどこにも居場所がなくなった私は、
ある日ふと、死のうと思いました。
学校帰りの駅のホームで、大勢の方に迷惑がかかるのは分かっていましたが、そんな事考える余裕なんてありませんでした。
ホームで電車を待つこと数分。
電車到着の放送が流れ、
その数秒後、踏切の音が鳴り響きました。
……なんて、不気味なレクイエムだろう。
そんなことを思いながら、
私は一直線に線路へ向かいました。
電車のライトが白い線を引き、
風が髪を巻き上げ、
世界の音が遠くなっていく。
やがて、電車の姿が視界に映り、
私の体は、すでに黄色い線の外へと出ていました。
死ぬ瞬間が、スローモーションのように流れ、
頭の中で走馬灯が回り始めます。
けれど――
最初の頃の母との思い出以外、
ろくな記憶は流れませんでした。
私は死を覚悟し、目を閉じ、線路へ身を投げました。
「危なぁぁぁい!!」
男の人の叫び声がホームに響き、
次の瞬間、私は誰かに強く抱き抱えられていました。
「だ、大丈夫?」
その人は、私と同じくらいの年の男の子でした。
私をベンチに座らせ、
心配そうに顔を覗き込んできます。
「……はい。ごめんなさい……」
「なんで謝んの?
助かったんだから、全然いいんだよ」
そう言って、男の子は続けました。
「……って、俺この電車乗らないと!
良かったらこれあげるよ。さっき買ったやつ!
それ食べて、もう帰りなね〜!」
そう言い残し、
男の子は私に菓子パンを投げ渡すと、
慌てて電車に乗り込んでいきました。
包装のビニールが、太陽に反射して光りました。
その温度だけが、
世界のどこにも無かった優しさのように感じられました。
嵐のような出来事に思考が追いつきませんでしたが、
もう、死ぬ気分ではありませんでした。
私は、家へ帰ることにしました。
「あ……お礼、言えてない……」
そう思い、
先ほど男の子が乗った方向を見ましたが、
そこにはもう、電車の姿すらありませんでした。
私はその場で、深く頭を下げました。
その時――
足元に、何かが落ちているのに気づきました。
拾い上げると、それは――
先程の男の子の学生証でした。
◆
あの日から時が流れ、
地獄のような日々は相変わらず続きました。
それでも――
あの時助けてくれた男の子のことを思い出すと、
なぜか、全てを乗り切れる気がしたのです。
こんな世界でも、
人は人を助けてくれる。
そう思えるだけで、
死ぬわけにはいかないと思えました。
それから二年。
私は、受験を迎えていました。
私が受験する高校は――
朝日ヶ丘高校。
偏差値は五十前後の、ごく普通の高校。
でも、私はどうしても、
この学校に行きたい理由がありました。
最初に提案した時、母は発狂しました。
それでも、
どれだけ叩かれても、怒鳴られても、
私は音を上げませんでした。
そしてついに、母は折れました。
「……大学は、私の言うことを聞きなさい」
その条件と引き換えに、
私はこの高校への受験を勝ち取ったのです。
◆
「……って感じですね。
私の、この傷の理由は……」
そう言って、菜々は小さく笑いました。
「だから陸上部に入るのも正直、大変でしたし……
翔さんの看病をした日も、ほんとは結構無理してました」
「あ、でもでも!
今は全然、自傷はしてませんよ! あはは」
気を遣っているのが分かる、無理な笑顔。
俺の目からは、
自然と涙が零れていました。
「……ごめんなさい。
大丈夫ですよ、翔さん」
そう言って、
今度は菜々が、泣いている俺を抱き締めました。
……完全に立場が逆だ。
泣きたいのは、
どう考えても菜々の方なのに。
「あ、そうだ」
ふと、菜々は立ち上がると、
勉強机の参考書の間から、
一枚のカードを取り出しました。
「ずっと隠してたんです。
お母様に見つかったら、処分されそうで……」
大切そうにそれを握りしめ、
菜々は俺に差し出しました。
「あの時は――
助けてくれて、ありがとうございました」
そして、はっきりと。
「……翔さん」