軍貫使いはZEXALで寿司を握る 作:Dの軍貫 シンキハヨ・チョーダイナ
商店街の喧騒を掻き分け、息を切らして走り抜ける。肺に刺さる夏の熱りよりも、胸の奥で燻る焦燥の方が熱い。見慣れた暖簾がある。辿り着いた暖簾を潜った瞬間、外世界の喧騒が嘘のように遠のく。
店内には、カウンターが放つ仄かな香りと、熟成された赤酢の香りが混じり合い、凛とした静謐さが支配していた。だが、その静寂はどこか重い。カウンターの端には、常連たちが所在なげに肩を寄せ合い、壁に掛けられたテレビの臨時ニュースを食い入るように見つめていた。
「済まねぇ、お客さんたち! 待たせちまった!」
俺は声を張り上げ、板場へと滑り込む。親父が本来握るはずだった予約時間は既に回っている。客の顔には不安と、そしてそれ以上に、この異常事態に対する戸惑いが色濃く影を落としていた。
「寿、お帰り! 飛行船……外で見たのか?」
声をかけてきたのは、向かいの魚屋の店主だった。その指は微かに震え、テレビ画面を指差している。そこには、ビル群を縫うようにして地面に接する巨大な飛行船とそれに関するテロップが映し出されていた。
『エンジントラブルが原因との見解──』
『──ハートランド氏、WDCに影響は無いと発表──』
カイトとオービタルは間に合ったのか、無事に胴体着陸は成功したらしい。その事実だけを確認し俺はホッと息をつく。
「……見ましたよ。でも、店は開けます。腹を空かせた客を放っておくわけにはいきませんから」
俺は迷わず白衣に袖を通し、清潔な布巾で指先の一本一本までを清める。まな板に向き合い、鋼の包丁を握る。掌に伝わる凍るような冷たさが、脳にこびりついていた焦りを一気に削ぎ落としていった。WDCの熱狂も、ナンバーズを巡る奇妙な戦いも、今はすべてまな板の外のことだ。
「アンナ、お茶の準備をしろ。お客さん、まずはいつものコハダからでいいですか?」
俺の問いかけに、隣で硬直していたアンナがハッとして頷き、手際よく湯飲みに熱い茶を注ぎ始める。
「お、おう……! 寿のやつ、親父さんが乗ってるってのに……大した根性だ。よし、景気付けに食わせてもらうぜ!」
俺は丁寧に酢締めされたコハダを取り出し、指先でとるシャリの温度を感じながら空気を含ませるようにして左手の中で形を作る。一、二、三。淀みのない動作で握られた一貫が、しっとりと水分を含んだ木板の上に置かれる。
「やるなぁ、寿……。所作が厳造に似てきやがった」
八百屋の店主が、感心したように呟く。俺の家はハートランドに今年引っ越してきたばかりだが、親父が不安な俺を元気づけるため、開店祝いの時に商店街の親父さんたちを招いて寿司を振舞ってからすっかり俺は商店街の連中との顔なじみとなっていた。
「なんでも最近はデュエルでも勝ちまくっているらしい、って噂があるからな。店主、ワシは真鯛と赤身で」
鞄屋の先代が、アンナから差し出された茶を啜りながら注文を重ねる。
「へー、あのいかにも頑固!って感じの厳造が、そんなこと許すもんなんだな? なぁ寿」
「まぁ……色々粘ったんで……」
軽口を叩かれるが、その分析はあながち間違っていないことに気づいて気があまり進まない。
(親父……さっさと帰ってきてくれ……)
俺は心の中で毒づきつつも、己の未熟さを寿司に込めないよう細心の注意を払いながら、次々と注文を捌いていった。
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ナンバーズ。それは有象無象のカードとは一線を画す、世界に百枚程度しか存在しないと言われる超希少なカードである。しかし、その希少性に反して、一般世間での認知度は驚くほど低い。それはなぜか。
第一の理由は、それがアストラルの失われた記憶の断片という、極めて抽象的で形而上学的な存在であるためだ。レアカードという物理的な価値以前に、存在そのものがあやふやな幽霊のようなものなのだ。
だが、それ以上に決定的な理由がある。それは、カードの中に「魂」という名の、あまりにも強大な自我が宿っているからである。ナンバーズは常に拠り所を求めて彷徨う。所有者のいないカードは、都合のよい人間を発見するや否や、その精神へと深く爪を立て、欲望を増幅させ、性格を歪め、結果として己を使役する傀儡へと変貌させる。自ら正気を捨ててまでナンバーズを手に取ろうとする者はいない。カード自身が使用者を選り好みし、その精神を食い尽くすため、表舞台にその姿を留める期間が極めて短いのだ。
だが、何事にも例外は存在するもの。
稀に強大な精神干渉の波に晒されながらも、それを己の技量という名の檻に押し込め、ナンバーズを屈服させて使役する人間がいる。その人間こそ、赤司寿である。
彼がなぜ、ナンバーズの狂気に耐えられるのか?その答えは未だ不明だが、一つ推察するならば彼の中に宿る「板前」としての哲学にあると言えるだろう。どんな毒を持つ食材であっても、正しく捌けば至高の逸品となる。その絶対的な自負が、精神の防壁となっているのかもしれない。
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ここは意識の深層、心象世界。現実と虚無の狭間に広がる絶対的な領域。そこには、無数の巨大な黄金の歯車が音もなく噛み合い、時の流れを物理的な重圧として感じる静謐な空間が存在していた。中心には白金で飾られた豪奢な玉座があり、一人の老賢者が静かに座していた。
《No.60 刻不知のデュガレス》。
彼は、漆黒の毛皮を肩にかけ、幾千の過去と未来を覗き見てきた深い知性をその瞳に宿している。老賢者は、長く沈黙を守っていたその瞼を、ゆっくりと押し上げた。
「……ふむ。少々、寝入りすぎてしまったようだな」
威厳に満ちた、枯木が擦れるような重厚な声が空間に響き渡る。デュガレスは玉座の肘掛けに置いた手を動かし、時の砂が流れる音を聴いた。主に力を貸してから、現世の時間でおよそ十二時間と少しといったところか。
「主……赤司寿は今、現実という名の荒波の中で包丁を振るっておるか。」
ふと目を逸らすと、座の横にある小物置に何かが置かれていることに気づく。
「ああ、そういうことか。我の要望に答えてくれたということか。つくづく、よい主を持ったものだ。」
一瞬そのようなものは無いはずと当惑するが、デュガレスは即座にその物体に込められた意味を理解した後に躊躇うことなくその物体を手に取り、口へと運ぶ。
「うむ、やはり絶品だ。」
先日デュガレスが貸した力の対価として要求した、寿の炙り中トロはしっかりと味がしている。
「やはり主に頼んで正解であったな……!」
その味を何遍も、何回も、噛みしめるたびに彼の心は高揚してゆき、一つの結論へとたどり着く。
すなわち、満足である。
「にしてもあやつの精神は、以前にも増して研ぎ澄まされているような……」
惜しみつつも絶品であった寿司を食べ終えてから現世を投影する写し鏡に映る主の無事を確かめたデュガレスは、ふと、玉座の周囲に漂う不純な気配に眉をひそめた。一つは、濃厚なまでの酒の匂い。そしてもう一つは、古びた石造りの建造物が腐敗し、崩れ落ちるような、不吉な死の予感。
「なんだ、この騒がしさは。静寂を好む我が庭に、招かれざる客が紛れ込んだようだな」
直接的な声や物音などは一切聞こえない。ただ彼の空間察知能力が、その異物に対する警鐘をけたたましくならしていたのだ。デュガレスが立ち上がり、錫杖を床に突く。その波動が空間を震わせ、霧の向こう側に隠れていたそれを照らし出した。
「……なるほど」
玉座のすぐ足元。そこには、灰色の丸々とした体躯を持ち、空の酒瓶を大事そうに抱え込んだまま、幸せそうに鼻提灯を膨らませている魔獣がいた。
《No.41 泥睡魔獣バグースカ》だ。
怠惰をそのまま形にしたような、あらゆる戦意を削ぎ落とすだらしない寝姿。その周囲には、触れる者の精神を強制的に休止させる泥睡の霧が重く立ち込めている。
「……なんという醜態。このような獣が、いつの間に主の元へ。バグースカよ、貴様には矜持というものがないのか?」
「ぐう……むにゃ……いっぱい……飲めたよ……」
バグースカは寝言をこぼし、より快適な寝床を求めてデュガレスの玉座に体を擦り付けた。
「……同族とは思えんな。」
デュガレスが深く溜息をつく。バグースカとデュガレスは同じ悪魔族と言えど、漂う雰囲気から感じさせる知性は余りにかけ離れている。顔見知りとは言え、それはあくまでナンバーズであるからというだけ。そこに交流や親交などといったものは一切存在しない。
「……デュガレスか……また明日ね……ぐぅ」
それは向こうも同じなのか。主が変わったというのに全く動じず、むしろ目の前にいるデュガレスという顔見知りという存在すら今のバグースカの天秤には軽く扱われるようだ。
「全く、嘆かわしい……常に寝ておるのなら、明日も今も変わらぬ結果を得られるだろうに……」
その時、空間の反対側から、冷徹で硬質な音が響いた。カチリ、カチリと、石の蹄が床を打つ音。
「……時の番人よ。そう急くな。滅亡の運命は、すでに刻まれているのだから」
霧の中から姿を現したのは、異形なる預言者だった。下半身は、崩れかけ、ひび割れた石造りのケンタウロス。力強い四肢が床を踏み締め、その背中からは、古びたターバンを被った男の上半身が、呪われた木の実のようにせり出している。滅びを予知し、世界を石の静寂へと誘う者の禍々しき姿。その存在感は、バグースカの存在感を石ころに変換してしまうほどに鋭く、冷たい。
「……ほう。石造りの馬に、予言者が接木されたかのような姿か」
デュガレスは、威厳を保ったままロゴスを見下ろした。時の番人としての風格は、いささかも揺らぐことはない。
「如何にも。私は《No.45 滅亡の予言者 クランブル・ロゴス》。世界に終焉の予兆を告げる者である。」
ロゴスはアンデッド族。纏う雰囲気こそ近しいものを感じさせるが、思考回路や思想は全く異なるものだ。
「貴様の古臭い時計は、もはやこの世界の崩壊を止めることはできぬ。これからは、私の予言がこの世界の理となるのだ」
ロゴスは石の腕を広げ、大げさな身振りで宣言した。その言葉に呼応するように世界の空に不吉な紫色の雲が広がり始める。ロゴスは自分の力こそが今の主、すなわち赤司寿に勝利をもたらす唯一無二の鍵であると、寸分の疑いもなく信じているようだった。
「……主、赤司寿を勝利へ導く、だと?」
デュガレスは、錫杖の先端で自分の顎を叩き、くっくっく、と喉の奥で笑った。
「新入りよ。お主、自分の立ち位置を理解しておるか? ナンバーズという名声に酔いしれ、己の足元がどれほど危ういか、まだ気づかぬとは」
「何を笑う! 私はランク2ナンバーズの精鋭!我が魔導書から繰り出される滅亡の示しは、あらゆる鉄火場を制するはずだ。主もさぞ、私という最高級のネタを手に入れたことを喜んでいるに違いない!」
ロゴスは自信満々に、石の蹄を高く鳴らした。その姿は、確かに恐ろしく、威厳に満ちている。しかし、デュガレスの瞳に宿っているのは、恐怖ではなく、深い哀れみだった。
「ハハハ……哀れなことだな。新入り、いやロゴスよ。お主はまだ、我が主……赤司寿という男の本質を知らぬようだな」
「……何が言いたい?」
ロゴスは自らの考えが絶対的であると信じていたようで、その言葉に青筋を立てたのが見て取れる。
「あやつは、板前なのだよ。確かに最高の板前は、最高級のネタを欲しがるが……それ以上に、自分のまな板で扱えないネタには、一顧だにしないのだ」
デュガレスは指を一本立て、ロゴスの目前に現実という名の映像を投影した。そこに映し出されたのは、現実世界で黙々と寿司を握る寿の姿。そして、彼が愛用するデッキ──すなわち【軍貫】のリストだった。
「見よ、この美しき一糸乱れぬ布陣を」
《しゃりの軍貫》、《いくらの軍貫》、《うにの軍貫》。
「気づいたか? ロゴスよ。このデッキに集いし具材たちは、皆ことごとくレベル4と5なのだ。あやつが握るシャリも、あやつが選ぶネタも、すべてはエクシーズという頂を目指すために最適化されておる」
それぞれの軍貫がオーバーレイ・ユニットへと変換され、《弩級軍貫-いくら型一番艦》と《超弩級軍貫-うに型二番艦》が荒波から現れる。その光景は幻影といえども、確かな存在感を感じさせる。
「……それがどうした。レベルを調整するカードなどいくらでも……」
デュガレスが指を鳴らすと同時に幻影は消える。そのあまりに思慮不足の言葉にロゴスは溜まらず反論するが。
「あやつは、不純物を嫌う。寿司とは、余計なものを削ぎ落とす美学。主の持ちうる武器は自ら繰り出す軍貫らと、その助けを得るために多種多様な防御法を用いる物のみ。そこにお主のようなランク2を呼び出すために、わざわざ無駄な雑魚をデッキに潜り込ませるような真似は、一寸たりとも存在せぬし、決してせぬだろうな。」
デュガレスの言葉が、ロゴスの石の肉体に、物理的なヒビを刻んだ。
「お主はランク2。しかし、主のフィールドに並ぶのはレベル4と5のみ。……つまりだ、ロゴスよ。お主が自力で、その華々しい姿を戦場に現す確率は……ゼロに等しい」
「な……な、なんだと……!? 私は……私は滅亡の予言者ぞ! 滅びを招来せんとす呪文が、日の目を見ぬというのか!?」
慌てためふくロゴスの体に、デュガレスは冷徹に決定打を決める。
「強い、と『使える』は別問題なのだよ」
理解力が高いのも考え物。
ヒビが更に広がる音がするが、彼は容赦なく追い打ちをかける。
「お主が使われる時があるとすれば……それは、相手の小細工によって主のモンスターのレベルが2に下がらされた時ぐらいだろうな……。ああ、永遠とエクストラデッキの底で眠る姿も、石造りのお主には似合っておるかもしれんな」
「う……うわああああああ!」
ロゴスの絶叫が心象世界に響き渡った。石造りの四肢がガクガクと震え、自慢の予言書は屈辱に歪む。滅亡を予言するはずの者が、自分自身の出番の滅亡を予言されてしまったのだ。これ以上の皮肉はない。
「……ひっ、ひどすぎる。私は……私は何のためにこの男の元へ……。あんなゴミ箱に突っ込んでいた男の方が、まだ私を正当に評価していたというのか……!」
ロゴスは膝を突き、その石の顔を床に伏せた。あまりのショックに、石の表面からパラパラと絶望の粉が舞い散る。その光景は、滅びの予言者というよりは、捨てられた石像のように哀れだった。
「むにゃ……出番? ……寝るのが一番の……貢献だぞ……ぐぅ……」
その隣で、バグースカが寝言を言いながら、ロゴスの震える前脚を抱き枕にした。泣き崩れるロゴスの前に、デュガレスが静かに歩み寄った。老賢者の瞳からは先程の冷たさが消え、代わりに柔らかな光が宿っている。
「……泣くな、新入り。絶望するにはまだ早い」
「……何が、早いというのだ。私は出番のない、ただの鑑賞用の石像ではないか……」
「お主は、赤司寿をまだ見くびっておるな。あやつは、板前だと言ったはずだ」
デュガレスは、ロゴスの石の肩にそっと手を置いた。
「板前はな、常に『隠し味』を探しておるのだ。今はまだ、お主を出すための素材が揃っておらぬかもしれぬ。だが、あやつが必要だと感じた時……あやつは、お主という異質のネタを活かすために、常識を覆すレシピを作り上げるだろう」
「……本当か?」
ロゴスが、涙のような石の粉を拭いながら顔を上げた。
「ああ。あやつは軍艦を寿司にした男だぞ? ランク2の予言者一人、握れぬはずがなかろう。……そのためには、お主も準備をしておくのだ。主がいつお主を求めてもいいように。その滅亡の力を、主を救うための力として研ぎ澄ませておけ」
デュガレスの言葉に、ロゴスの中に微かな希望の火が灯った。
そうだ。自分はナンバーズ。滅亡を司る者。いつか、あの板前が自分を必要とするその日まで、牙を……いや、予言を研ぎ澄ませて待つのも悪くない。
「……ふん。そこまで言うのなら、待ってやろうではないか。赤司寿……私の価値に、いつ気づくか見ものだな」
ロゴスは再び立ち上がり、不遜な笑みを浮かべた。その表情には、先程までの絶望はなく、主に対する奇妙な期待が混じっていた。
「よろしい。……さて、バグースカよ。貴様もいつまでも寝ておらんと、少しは新入りに場所を譲れ」
「……むにゃ……狭い……もうちょっと……挟んでくれ……」
バグースカはさらに深くロゴスの脚に顔を埋め、平和な夢を継続させた。デュガレスは呆れたように首を振ると、再び自身の玉座へと戻っていった。
「気づかぬうちに、賑やかになったものだ。……さあ、主よ。宴の準備は整った。存分に、その手腕を振るうがよい」
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「寿、いい握りだ。親父さんに負けてねぇぞ」
客のその言葉に、俺は少しだけ口角を上げた。客たちの顔から不安はとっくに消え、代わりに満足げな表情が広がっていく。テレビの中では、飛行船の乗客らのインタビュー映像が流れている。当然親父の姿は見えない。
「アンナ、あのお客さんに茶の補充を。」
……さあ、夜は長いぞ。親父が帰ってくるまでこの店は俺が回すのだから、覚悟が自然と決まる。冷静に、かつ慎重に、俺は海苔をシャリに巻いて。
「へい、お待ち! いくらの軍艦巻きとうにの軍艦巻きです!」
これが『軍艦処・赤司』の看板メニュー。その顔を決して汚さないようにと意気込んだ俺は一気に加速し、寿司を握り続けていった。心が沸き立つ。それは新たな具材たちが、俺のまな板の上に乗る日を待ち侘びている鼓動のようだった。
作中でナンバーズが反乱した理由にはこういう不満もあるのかなって。