軍貫使いはZEXALで寿司を握る   作:Dの軍貫 シンキハヨ・チョーダイナ

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Q.グルタミン酸って?
A.ああ!それってうま味成分の一種で、主に昆布などの海藻類に含まれる物質?





鳴動するグルタミン酸

夕方の冷え始めた空気は、研ぎ澄まされた砥石で磨き上げられたばかりの刺身包丁のように、鋭い針となって肌を刺す。商店街の喧騒から少し離れた路地裏。そこに静かに佇む『軍艦処・赤司』の周辺は、オレンジ色の街灯がぼんやりと霧がかったように灯り、家路を急ぐ人々の影が、冷え切ったアスファルトの上に長く、頼りなげに伸びていた。

 

「よし、固定完了……と」

 

愛車の自転車の荷台に年季の入ってはいるが、しっかりと親父の手によって鏡面のように磨き抜かれた岡持ちを、弾力のあるゴム紐でしっかりと括り付けた。親父が野暮用で店を空けてから、かなり時間が経過している。客足も途絶え、店仕舞いの準備をしていた手持ち無沙汰な時間に、一本の電話が入ったのはつい先刻のことだ。相手は、この界隈で長く鞄屋を営んでいた先代の爺さん―─うちがハートランドに来てからずっと通ってくれている、筋金入りの常連客だった。

 

『寿……済まねぇ。カカアが腰を言わせちまってよ、一歩も動けねぇんだ。んで、俺は飯がつくれねぇってつったら拗ねちまってな。せめて、おめぇさんの店のかんぴょう巻きが食いたいって、さっきから枕元でうるさくてな。店はもう閉めてんだろうが……なんとかならねぇか』

 

電話口の向こうで、普段の頑固さが嘘のように弱り切った爺さんの声。時計の針はとうに営業終了の時刻を回っている。主である親父が不在な以上、本来なら勝手に店を動かすわけにはいかない。だが、腰を痛めた連れ添いのために、プライドの高い鞄屋の先代がわざわざ頭を下げているのだ。それを「それはそれ、これはこれですから」の一言で切り捨てるほど、俺の心は乾いちゃいない。板前の修行以前に、人間としての道理がある。

 

「お安い御用だ。今から最高のやつを、俺の全力で握って届ける。奥さんに、喉を鳴らして待ってろって伝えてくれ」

 

俺は受話器を置くと、一度大きく深呼吸をしてから板場に戻った。まだ温もりの残る羽釜から米を掬い、赤酢の香りを立たせる。それから、秘伝の出汁で数日間じっくりと煮含めておいた、琥珀色に輝くかんぴょうを取り出した。まな板の上で、包丁がト、ト、ト、と小気味よいリズムを刻む。海苔の香ばしい、磯の香りが鼻腔をくすぐる。職人の世界じゃ派手な大トロや雲丹の陰に隠れがちだが、一切の誤魔化しが効かない、腕の差が如実に出る一品。それがかんぴょうだ。岡持ちを軽く叩いて中身の無事を確認し、俺はサドルに跨がった。ペダルを漕ぎ出すと、夜の支配を強め始めた冷たい風が正面から容赦なくぶつかってくる。けれども、背負った岡持ちの重みは妙に頼もしく、心地よかった。

 

 

 

####

 

 

中心街に向かうにつれ、風景は劇的な変貌を遂げる。夕焼けの残光を無理やり塗りつぶすように、巨大なホログラムが夜空を舞い、街を宝石箱のように輝かせている。WDCの開催期間中ということもあって、人並みはそこそこ多く見える。伊達に世界中からデュエリストが集まっていると言われる訳ではないということか。高層ビル群が放つネオンの光は、あまりにも明るすぎて、かえって現実味を欠いて見える。まるですべてが作り物のような、美しくも無機質な、冷たい未来都市。

 

しかし俺は最短ルートを通るため、煌びやかな大通りを一本外れる。そこは再開発の喧騒から取り残された、古びた建物が点在する沈黙のエリアだ。いや、ところどころに家のガラスが割れていたりするのが見えるのを鑑みると沈黙、というよりは忘却されたエリアと言ったほうが正しいか。その道中にある、人っ子一人も声が聞こえない公園を通り過ぎようとする瞬間。

 

キィ……ッ。

 

不意に、俺の指がブレーキを強く握っていた。錆びついた街灯がチカチカと断続的に明滅し、死に際のような異音を立てている。その真下、冷たいコンクリートのベンチに、一人の少年がポツンと座っていた。

 

「…………」

 

その姿は、あまりにもこのハートランドという空間に馴染んでいなかった。雪のように透き通った白い肌、手入れの行き届いた、明らかに良い家柄を思わせる上質な服。だが、その顔は服とは対称的に生気というものが一切感じられない。

絶望というよりは、感情の源泉そのものが枯れ果てたような、正に「無」に近い表情。

心神喪失とまで思わせるその異様な雰囲気が、板前の直感というか、生存本能に近い何かを激しく揺さぶり、俺の足を止めさせた。俺は自転車を止め、少年に意識を集中させた。

 

「……迷子か?」

 

問いかけても、反応はない。常人だったら、ここで不気味がって逃げ出すのだろう。ただ、俺は目の前にいる少年の名前を知っている。

 

「………」

 

やはり、答えられないか。少年――ハルトは、俺の存在に気づいているのかさえ怪しいほど、虚空の一点を、あるいはこの世界の裏側に広がる深淵でも見ているかのように、じっと見つめていた。その瞳は、澄んだ冬の湖のように綺麗だが、焦点がどこにも合っていない。

 

(……WDC二日目、ハルトが登場していた……のは覚えているんだが……)

 

俺は原作の知識――かつて画面の向こう側の物語として消費していた記憶を必死に手繰り寄せる。ハートランドタワーの最上階。カイトが魂を削って守ろうとしている、唯一の光であり、希望。同時に、この少年は異世界を破壊するための兵器としての役割を押し付けられ、その叫びは宇宙の理を歪めるほどに強大であることを、俺は知っている。

 

周囲を見渡すが、やはりゴーシュなどの護衛や追手のような姿はない。原作通りのストーリーを重視するならば、ここは俺の関わるところではないのだろう。だが。常識的に考えて、こんな時間にこんな吹きさらしの公園に子供が一人でいるなんて、異常事態を通り越して怪異に近い。普通なら不審に思ったり、警察を呼ぶべき場面かもしれない。だが、俺は足が動かなかった。彼が纏う空気が、あまりに冷たかったからだ。

それは、北風の冷たさじゃない。圧倒的な孤独。強制的な絶望。あるいは、自分の意志とは無関係に、世界の終焉を背負わされている者の、重苦しい圧。放っておけば、このまま夜の闇が彼を飲み込み、その存在を歴史の染みのように消し去ってしまいそうな危うさがあった。

 

(確かに夕方、遊馬たちと会って交流していた……その後が思い出せねぇ。Ⅴだったかゴーシュとドロワだったかが連れて帰ったような……してないような……あー、分からん。記憶の老化とはこのことか……)

 

前世の自分の不勉強さと、大脳皮質の出来の悪さを心中で嘆く。だが、そんなことは目の前の少年には知ったことではないし、この後の都合なんて今の俺には関係ないことだと思い出す。そう結論付けると無意識に自転車のスタンドを立て、俺は岡持ちに手をかけていた。

 

 

 

####

 

 

 

「おい、坊主。」

 

俺は努めて明るい声を作り、ハルトへ歩み寄った。

 

「こんなところで夜風に当たってると、腹が冷えるぞ? 親に怒られたのか?」

 

ハルトの首が、油の切れた古い機械のように、ゆっくりと巡った。俺の顔を映し出したその瞳に、ようやく現実の光が僅かに、本当に僅かに宿った。それは水底から泡が一つ浮き上がってくるような、微かな兆しだった。

 

「兄さんに……会わなきゃ……でも……」

 

ようやく絞り出されたのは、掠れて今にも霧散してしまいそうな声。それは助けを求める子供の声というより、何か巨大な、失ってはならないものの欠落による痛みに耐えているような、魂の慟哭に聞こえた。

 

「おなかが、いたいんだ……」

「だろうな。痛いのは、中身が空っぽだからだ」

 

俺は岡持ちの蓋を慎重に開け、竹皮の香りが染み付いたかんぴょう巻きを一つ取り出した。本当は出前用の、あの鞄屋の先代の奥さんのための品だ。だが、一切れくらいなら爺さんも未来への投資だと言えば許してくれるだろう。

 

「ほら、これ食ってみろ。かんぴょうだ。お得意さんの分から内緒で拝借した、出来立ての特等席だぜ」

 

俺はかんぴょう巻きを一切れ、ハルトの目の前に差し出した。醤油と砂糖で、じっくり、じっくりと、気の遠くなるような時間をかけて煮込んだかんぴょう。噛めば滋味深い、どこか懐かしい甘みが脳まで届く、手のかかった一品。ハルトは躊躇いがちに、震える小さな手でそれを受け取った。指先から伝わる人肌の温もりが、彼の意識を現世という岸辺に繋ぎ止めたようだった。ハルトは恐る恐る、それを口に運ぶ。

 

「…………」

 

噛み締めた瞬間、ハルトの瞳が大きく見開かれた。海苔のパリッとした、乾いた感触。赤酢の柔らかな、脳を揺らす刺激。そして、かんぴょうの優しい、すべてを許すような甘さ。それらが複雑に絡み合い、凍りついていた彼の内側の氷土を、暴力的なエネルギーではなく、春の陽だまりのような温かさで溶かしていく。

 

そうして、一言。

 

「…………あまい」

 

その一言は、俺を笑顔にするにはお釣りがくるほどの価値があるものだった。

 

「ああ、甘いだろ。かんぴょうってのはな、ただ煮ればいいってもんじゃない。硬い皮を剥き、塩で揉み、余計なものを削ぎ落としてから、時間をかけて丁寧に、丁寧に育ててやる。そうしなきゃ、この『安心する甘さ』は出ないんだ。急いじゃいけない。……お前も、同じだ」

 

ハルトは夢中で差し出した二切れ目も口にした。咀嚼し、嚥下するたびに、死人のようだった彼の顔に、少しずつ、けれど確かな生命の血色が戻ってくる。

 

「どうだ? 美味いか?」

「うん……美味しい。」

 

その言葉を聞いて、俺はようやく背負っていた緊張の重圧を降ろした。ナンバーズだの、デュエルだの、そんな破壊的な「力」が支配するこの街で、たった一切れの、木から生まれたかんぴょうを巻いた寿司が、一人の子供の心を繋ぎ止める。板前を目指し、包丁を握り続ける俺にとって、これ以上に誇らしく、重厚な勝利はなかった。

食べ終える頃には、ハルトの瞳にははっきりと俺の姿が、そしてこの公園の景色が映っていた。

 

 

 

####

 

 

 

「……ありがとう、おにいさん」

 

ハルトが、今日初めて微かに微笑んだ。その笑顔はあまりにも儚く、冬の朝に咲いた雪の結晶のように脆い。けれど、確かにそこには心の熱があった。……しかし、「おにいさん」か。俺は一人っ子なんだが……まぁ、カイトの存在も考えると今のこの状況では些細な問題か。

 

「礼には及ばねぇよ、元気になったか?」

「少し……元気に……」

「ならよかった、やっぱかんぴょうはうめぇよな!」

 

俺は少しおどけて見せ、空になった小皿を岡持ちに仕舞い、蓋を閉めた。

 

「さて、俺にも仕事がある。客が、それこそ首を長くして……腰の痛みに耐えながら待ってるんだ。もう行かなきゃいけねぇ」

 

俺が自転車の方へ歩き出すと、ハルトが慌てたようにベンチから身を乗り出した。その仕草には、先程までの無気力さはなく、子供らしい寂しさが宿っていた。

 

「もう……行くの?」

 

その寂しげな声に、胸の奥がキュッと締め付けられるような、後ろ髪を引かれる思いがした。できることなら、この子が誰かに迎えに来るまで側にいてやりたい。だが、鞄屋の爺さんとの約束もまた、俺が背負った板前としてのプライドだ。

 

「ああ、すまねぇな。できることなら、そばに居てあげたいんだが。……大丈夫だ、誰かがお前の助けになってくれるはずだ」

 

俺は振り返り、ハルトの目を見て、魂を込めて言い切った。

 

「……また、会えるかな?」

「当然だ。来られるようになったら、何時でも店に来い。商店街の、一番奥にある寿司屋だ。その時は、今日みたいに一切れじゃねぇ。腹がはち切れて、動けなくなるくらい、もっと美味いもん、沢山握ってやるからよ」

 

ハルトは驚いたように目を見開き、やがて、決意を秘めた力強さで頷いた。

 

「約束だよ……僕の名前は、天城ハルト。」

「俺は赤司寿。『軍艦処・赤司』の板前見習いだ。ハルト、次は店で待ってるぜ!」

 

俺が自転車に跨り、手を振る。ハルトも小さく、けれどしっかりと手を振り返してくれた。ペダルを漕ぎ出し、遠ざかる視界の中で、明滅していた街灯の下に座る彼の姿は、もう夜の闇に消えてしまいそうな影ではなかった。

 

 

 

####

 

 

 

その後、俺は全速力でペダルを漕ぎ、心臓が破けるかと思うほど呼吸を乱しながら客の家にかんぴょう巻きを届けた。

 

「遅いぞ寿! おかげでカカアの機嫌が直って、俺の腰まで治りそうだ!」

 

なんて爺さんの軽口を背中で聞きながら、冷え切った身体の芯に残る達成感と共に店へと戻った。店の前には、一台の無骨な軽トラックが停まっている。そして、店の入り口には、街灯の光を背負って仁王立ちする、あまりにも巨大な影があった。

 

「寿……遅くなって悪かったな」

 

親父、赤司厳造だ。普段の、空気が震えるような豪快な声に比べると、どこか湿り気を帯びた、深い夜の底から響くような重厚な響き。

 

「……遅かったな、親父。アンナはあんたがいつまでも帰ってこないからって痺れを切らして、とっくに奥の部屋で寝ちまってるぞ」

「そうか。……予約客を押し付けるつもりじゃなかったんだが、どうしても外せん用件があってな」

 

親父はそう言いながら、前掛けを揺らして店の中へ入った。俺も後に続き、白衣を脱いでタオルで首筋の汗を拭う。板場に残る赤酢のツンとした香りと、静まり返った店内の空気。つい数十分前、不気味なネオンの下で出会ったあの少年の、震える手の感触が、掌に熱を持って残っている。あの凍りついたようなハルトの瞳を温めたのは、ナンバーズでもデュエルでもなく、料理そのものだった。他人の人生を削るための「力」より、他人の人生を支えるための「幸せ」。その手応えを噛み締めながら、俺は作業台を片付ける親父の背中に問いかけた。

 

「……なぁ、親父」

「…………なんだ」

 

「親父の言ってた『野暮用』っていうのは、結局何だったんだ? WDCに関係することか?」

 

俺の言葉に連動して親父の動きが、面白いくらいにぴたりと止まった。服で隠されていても分かるほどに露骨な、筋肉の強張り。親父は後頭部を掻き、そして瞼を閉じる。ここまでされて、察せないものなどいないだろう。親父は何かを……迷っている。

 

「それは……お前に簡単に言っていいものか。……今は言葉が纏まらん」

「どういうことだよ。俺だって、この店を背負って立つつもりなんだ。隠し事はなしだぜ」

 

親父は幾何か思案したのちに、瞼を開ける。その瞳には、いつもの静かながら確かにそこにある熱量ではなく、どこか深い憂いと重苦しい覚悟のようなものが混じっていた。

 

「……明日言う。今日はもう遅い。さっさと風呂に入って、寝ろ」

「えぇ……。そこまで言っといてお預けかよ」

 

俺は肩をすくめたが、親父の顔があまりに真剣――否、悲痛なほどに真面目だったので、それ以上は追求できなかった。

 

「……わかったよ。じゃ、おやすみ。……あ、そうだ。今日、最高の出来のかんぴょうが握れたぜ。常連さんも喜んでた」

 

親父の背中が、微かに揺れた。

 

「……そうか、ならば上出来。今日のお前の仕事は、合格だ。」

 

短い、けれど岩のような重みのある言葉。親父はまだ仕事があるのか、その言葉を俺に投げかけてから再び外へと出る。一方俺は二階の自室へと階段を上りながら、窓の外に広がる夜景を見つめた。それは、偽りの隆盛による光で満たされたハートランドだった。気づくと、俺の手は硬く強く握りしめられていた。

 

(約束だからな、ハルト。……また会う時はちゃんと暖簾を潜って、店に来てくれよな)

 

俺は独り言を呟きながら、寝間着を用意してから風呂場へと向かう。疲れ果てた体に、シャワーの肌打つ水の流れがよく響く。体を洗い終わったのちに、全身を湯舟へと沈める。その時にはすっかりWDCのことなど忘れ、当たり前のように俺は嵐前の静寂の中にいることなどなんて終ぞ、気づきはしなかった。







ハートランドシティ、実はインナーシティ問題を抱えている説。
寿のWDC二日目はこれにて終了です。
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