軍貫使いはZEXALで寿司を握る   作:Dの軍貫 シンキハヨ・チョーダイナ

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爆走列車、お届けします

焼きたての出汁巻き卵から、ふわりと柔らかな鰹出汁の香りを孕んだ湯気が立ち上る。丹念に幾重にも重ねられた黄金色の層は、箸を入れればじゅわりと滴るほどに繊細だ。本来ならば心解き放たれる至福の味であるはずだが、今のカウンターに流れる空気はひどく刺々しい。白木の机を挟んで座るアンナは、獲物を目前で取り逃がした猛獣のような険を隠そうともせず、乱暴な手つきで箸を動かしていた。

 

「……ったく、師匠があんなに必死に庇うからだぞ。あいつの面を見るたびに、あの屈辱を思い出しちまって、腹の虫が治まらねぇんだ」

 

アンナは厚焼きの破片を口に放り込み、まるで仇を討つかのように力強く咀嚼する。鼻から漏れる荒い吐息が、彼女の内に渦巻く苛立ちの深さを物語っていた。屈辱、か。確かに彼女と遊馬の出会いは、ある種の喜劇であり、同時に最悪であった。かつての恋慕の相手だと信じ込んでいた少年が、実は全くの別人による記憶違いだった。その上、遊馬が無駄に男気を見せてしまったせいで、彼女の中の勘違いは捩れに捩れ、今や執念深い復讐心のような何かに昇華してしまっている。正直、端から見ればただの逆恨み以外の何物でもないのだが――それを今の彼女に指摘するのは、火に油を注ぐも同然だ。

 

「そう言うな。遊馬も悪気があって来たわけじゃないんだ。あいつは俺のことを心配して来てくれたんだぞ?」

 

俺が宥めるように言葉を投げかけても、彼女の頑なな態度は解けない。

 

「うぐぐ……あいつの心配なんて……ぐぐぐ……」

 

悔しさを噛みしめるように卵焼きを頬張り、リスのように頬をパンパンに膨らませるアンナ。その横顔を眺めながら、俺は手元の箸を置き、ふとした違和感に意識を向けた。神月アンナという少女は、普段であれば俺を無理やり叩き起こすほど朝という時間帯に対して異常なバイタリティを誇るはずだ。俺が言えたことではないが……それなのに、今日の彼女は昼近くまで眠りこけていた。単なる夜更かしにしては、その様子はどこか不自然だ。改めてその表情を観察してみれば、いつもの勝気な瞳の奥に、隠しきれない色濃い疲労の影が、まるで抜けない毒のように張り付いているのが分かった。

 

「そういえばアンナ、お前がこんな時間まで寝てるなんて珍しいな。昨日、何かあったのか?」

 

その問いが投げかけられた瞬間、彼女の手がピタリと止まった。箸の先が空中で微かに震え、彼女の視線は行き場を失ったように、どこか遠い虚空を彷徨い始める。その脳裏を過ったのは、平和なこの店内の風景とは対極にある光景。静寂に包まれた豪邸の闇と、肌を刺すような悪意、そして――。

 

「ああ……それなんだけどさ。実は昨日、とんでもねぇ地獄に遭ったんだよ」

 

口から漏れたのは、普段の快活さとは程遠い、沈殿した澱のような重い声だった。その重い口調で、彼女は昨日の出来事をぽつりぽつりと話し始めた。

 

 

 

####

 

 

 

昨日、燃えるような橙色の夕刻が店内に長く影を落としていた時のことだ。仕込みの合間の、凪いだ海のような静寂を切り裂くように、カウンターの隅で電話がけたたましく鳴り響いた。その無機質な音は湿度を含んだ空気を震わせ、呼び寄せられるように親父――厳造が大きな手で受話器を掴み取った。

 

「へい、軍艦処・赤司です」

 

威勢の良い、職人らしい張りのある声。だが、受話器の向こうから返ってきたのは、それとは対照的な、凪いだ海のように静かでどこか舞台俳優のような芝居がかった青年の声だった。

 

『出前をお願いしたいのですが……』

「ご注文は?」

『きまぐれ軍艦巻き握りの、並を……ひとつ』

 

最初は、どこにでもあるありふれた注文に思えた。だが、受話器を首の付け根に挟み込み、無骨な指先で伝言メモに住所を走らせていた親父のペン先が、ある地点でぴたりと凍りついた。西日から逃れるように深まった眉間の皺が、刻一刻と険しさを増していく。

 

「……ご予約、確かに承りました。失礼します」

 

受話器を置く音が、静まり返った店内に妙に重く、湿った響きを残す。親父は手元のメモに記されたその住所を、まるで呪いの言葉でも解読するかのように、穴が開くほど見つめていた。

 

(……この住所。以前、寿に出前に行かせた場所だな)

 

厳造の脳裏にある、記憶の引き出しが軋みながら開く。あの時、寿は間違いなく届けたと努めて平然を装って帰ってきた。証拠に先方からのクレームも一文字として届いていない。しかし、暖簾をくぐった時の息子の姿は明らかに異常だった。どこか魂の拠り所を失った抜け殻のようで、色を失った顔でふらふらと戻ってきたあの姿が、夕闇の影と重なって彼の胸を騒がせる。厳造は一抹の不安を振り払うように、常連客の笑い声で満ちた店内へと視線を転じた。

 

「えぇ!? ここの商店街ってそんなにデカいのか!?」

 

「フフフ……聞いて驚け。ハートランド商店街は一番街から三番街まである、この町の巨大な胃袋なんだぞ?」

 

「し……知らなかった……」

 

そこには、常連の隠居爺さんと湯呑みを片手に熱っぽく語り合うアンナの姿があった。そういえば、寿がこの住所へ出前に行った後、ひょんな縁で連れ帰ってきたのがこの嵐のような娘だった。彼女の屈託のない、向日葵のように眩しい笑顔を見れば見るほど彼の内側に澱のように溜まった正体不明のざわつきは、形を変えて膨らんでいく。

 

(迂闊だった……。寿は今、出かけているんだったな……)

 

店は今、常連客たちで埋まりつつある。板場を預かる主人が持ち場を離れるわけにはいかない。

 

(とはいえ、家に転がり込んできたばかりの娘に任せるのは、文字通り虎の尾を踏ませるようなもんか……)

 

厳造は太い腕を組み、鼻から重い溜息を漏らした。寿の側にいる時の様子を見る限り、根は真っ直ぐな娘なのだろう。だがその性格は、控えめに言っても台風そのもの。礼節を重んじる格式高い客層だった場合、店の看板が粉々に砕け散りかねない。しかし、一度受けた依頼を「不安だから」と断ることは職人の矜持が、そして赤司厳造という男のプライドが許さなかった。ましてや、割増料金を払ってまでこの店の味を求めている客の期待を、無下に打ち砕くことなどできようはずもない。

 

「アンナ! ちょっとこっち来い!」

 

「ん? ああ、厳造か。アンナちゃん、親父さんが呼んでるぜ?」

 

厳造の声が、醤油の香りと談笑に包まれた店内に響き渡る。その声に気づいたカウンターの常連客が、面白がるように顎で板場を指した。板場から鋭い視線を向けられたアンナは、手元に置いていた湯呑みをカタンと置き、椅子の脚を鳴らして立ち上がる。

 

「おう、どうしたんだ親父さん? 改まってよ」

 

葛藤の末に、意を決した親父は、弾むような足取りで歩み寄るアンナに対し、まるで呪いの札でも渡すかのような慎重さで、行き先のメモを押し付けた。

 

「お前に出前を任せる。これは住所と、簡単な受け答えのメモだ。いいか、客の前ではその乱暴な口調は封印しろ。言葉遣いは丁寧に……それから、道に迷わずさっさと帰ってこい!」

 

厳造の顔は、これまでに見たことがないほど真剣だった。ハイリスクローリターン。眉間の皺にはまるでしたくもない博打を打つような悲壮感すら漂っている。勝てば代金が帰ってきて、負けたら信頼は当然失い、最悪こっちが何かしらの代金を支払わなくてはならない。……割に合わないとしか言えない。

 

「わーったよ、親父さん! 出前くらい、この俺にかかればお茶の子さいさいだぜ! 任せとけって!」

 

対するアンナは、渡されたメモを適当にポケットにねじ込むと、鼻を鳴らして笑った。その余りに軽快な返答に彼は一抹の、いや巨大な不安を抱かずにはいられなかった。一度突き出したメモを取り戻したい衝動に駆られながらも、最後の確認として震える声で問いかけた。

 

「……ちなみに、出前の経験はあるのか?」

「ゼロだ!」

 

アンナは一点の曇りもない満面の笑みで、親指を立てて言い放った。

 

「……だろうな」

 

深く天を仰ぐ。ああ、やっぱりダメかもしれない。厳造の深刻な懸念を置き去りにして、アンナは自信満々に自らの厚い胸を叩いてみせた。数分後、彼女は出来立ての軍艦巻きが詰められた岡持ちをしっかりと包みで囲ってから抱え、愛機である浮遊砲台を起動させる。

 

「行ってくるぜ、親父さん!」

 

空気を引き裂く轟音と共に、夕焼けの空へと飛び出していく彼女の背中を見送りながら、厳造はただ、何も起こらずに、ただひたすらに彼女が早く帰ってくることを祈るしかなかった。その出前先で、底知れない逃れようのない純粋な悪意が、毒蛇のように鎌首をもたげて待ち受けていることも知らずに。

 

 

 

####

 

 

 

「……で、行ってみたらあんなことになったんだよ。思い出すだけで知恵熱が出そうだぜ」

 

アンナは手元の湯呑みを掴み、熱い茶を一気に喉に流し込んだ。その拍子に、彼女の額にはうっすらと脂汗が浮かぶ。それは昨夜、彼女が味わった精神的な消耗がいかに激しいものであったかを物語っていた。

 

「なるほどな。親父も親父で、お前に任せるなんてよっぽど困ってたんだな……」

 

寿は腕を組みながら、板場の隅で黙々と作業を続ける親父の背中の姿を想起する。

 

「師匠がいなかったからだろ!? 俺は代役だったんだよ、代役!」

 

「……そうとも言う」

 

アンナが身を乗り出すのを見て、思わず笑みが漏れてしまった寿は苦笑いしながら、アンナの語る話の続き、すなわち災難の核心部に耳を傾けることにした。

 

 

 

####

 

 

 

アンナは店裏に停めてあった愛機、フライング・ランチャーに慣れた手つきで飛び乗ると夕闇を切り裂くようにして浮上し、ハートランドの摩天楼が織りなす極彩色のネオンが煌めき始める夕焼けの中へと消えていった。だが、Dゲイザーのナビゲーションが指し示した目的地は、そんな華やかな繁華街から遠く離れた、静寂が支配し人の気配すらしない住宅街だった。

 

街灯が等間隔に並び、手入れの行き届いた並木道が続く。その突き当たりに鎮座していたのは、周囲の住宅を圧倒するような重厚な門構えを誇る豪邸だった。冷たい鉄柵の向こうには広大な庭園が広がり、夜の帳に包まれた館は、まるで意志を持つ巨大な怪物が眠っているかのような、不気味な静けさを湛えている。

 

「へぇ……えらい金持ちなんだな。こんなところで寿司を食うなんて、気取った奴だぜ」

 

アンナは砲台を器用に低空飛行させ、門の前で着地した。砲台を背中に背負うと共に、岡持ちを片手に厳造から渡された丁寧な口調のメモを頭の中で反芻する。

 

「えーっと……『お待たせしました、軍艦処・赤司です。出前のお届けに参りました』……よし、完璧だ」

 

重い鉄門を潜り、玄関へと続く石畳を歩く。自分の足音だけが夜の空気に不自然に響き、アンナの肌に微かな粟立ちをもたらした。

 

「……しかし、静かすぎるんじゃねぇか?」

 

彼女は違和感と同時に何かを本能的に感じ取っていた。ここには、自分の知っている日常とは決定的に異なる、濃密な何かが渦巻いている。呼び鈴を鳴らすまでもなく、重厚な玄関の扉が音もなく開いた。

 

「……おや、想定外だね」

 

開かれた扉の奥、暖かな明かりを背負って立っていたのは、一人の青年だった。整った顔立ち。丁寧にセットされた髪。そして、一分の隙もない上品な衣服。右目辺りには十字の傷跡が見えるが、それすらもスタイルに組み込んでいるような不敵な笑みを浮かべた男だった。彼は現れたのが赤司寿ではなく、見慣れない少女――アンナであったことに、一瞬だけ怪訝そうに目を細めた。だが、その瞳に宿った温度のない光は、即座に優雅な微笑によって覆い隠される。

 

「てっきり、寿君本人が来るものと思っていたが。……運命というのは、時として悪戯が過ぎるようだね」

 

その声は凪いだ海のように静かでかつ、その内に何かを潜めているようなものだった。アンナは彼が何者であるかなど知る由もない。だが、目の前の青年の微笑から漂う、肌を刺すような違和感。それはまるで底知れない毒のようななにかだった。

 

「なんだ、師匠の知り合いか?悪いな、師匠は今ちょっと手が離せなくてよ。代わりにこの俺!一番弟子の神月アンナが届けてやったぜ!」

 

アンナは威勢よく岡持ちを差し出した。親父さんの丁寧な言葉遣いの忠告など、この圧倒的な威圧感を前にして、既に彼女の記憶から欠落していた。

 

「一番弟子、か……」

 

目の前の男はその言葉を慈しむように反芻した。彼の瞳の奥で、冷徹な計算が高速で火花を散らす。本来の獲物ではない。だが彼を慕う弟子を完膚なきまでに叩き潰せば、その絶望の悲鳴は、いずれ最高に脂がのった獲物をここへ誘い出す最高の撒き餌になるだろう。

 

「ふふ、なるほど。君のような勇ましいお嬢さんが、彼の弟子か」

 

男は優雅に手を差し伸べ、アンナを屋敷の中へと促した。その微笑は、まるで獲物を蜘蛛の巣へと誘う、残酷な捕食者のそれだった。

 

「君には、特別なサービスが必要なようだ。……そうだろう?」

「……? なんだよ、飯ならあっちの部屋で食えばいいだろ。なんでこんな外に来るんだ?」

 

アンナが誘い込まれたのは、手入れの行き届いた芝生が広がる庭園だった。夕闇に浮かび上がる照明が、周囲の柱々を不気味に照らし出している。アンナが不審げに眉を寄せると彼は足を止め、月明かりを背負ってゆっくりと振り返った。その顔には先ほどまでの貴族的な微笑とは似て非なる、歪な愉悦がほんの少し滲み出していた。

 

「食事の前に、少しばかり興じようと思ってね。……デュエルという名の余興を」

「は? デュエルだぁ!?」

 

男の表情に浮かぶ少しの滲みなど一片も気づかないアンナの瞳が、驚きと闘争心でパッと輝く。

彼女にとってそれは、出前の仕事よりも、厳造との約束よりもはるかに優先順位の高い言葉だった。

 

「お前、デュエリストだったのか! へへっ、そうこなくっちゃな!」

 

「ふふ、君の師匠……赤司寿君とは、かつて熱いデュエルを交わした仲でね。一番弟子を名乗る君がどれほどのものか、この私が直々に見てあげよう」

 

「ええ!?マジかよ!?」

 

その言葉は、控えめな謙遜を装った真っ赤な嘘だ。目の前の少女が、熱しやすく、そしていかにも経験の浅そうな無知な獲物であることは、彼のような狡猾な男にとってみれば、その呼吸一つで手に取るように理解できた。彼が右腕のデュエルディスクを起動させると、鋭い起動音と共に刃が冷徹に展開された。その光に当てられるように、アンナの瞳が闘争心でパッと輝く。彼女は自らのディスクを勢いよく展開し、重い岡持ちを足元に置いた。

 

「いいぜ! 師匠から教わった俺のデュエル、たっぷり拝ませてやるよ! お前も腰を抜かすんじゃねぇぞ!」

 

「……ふふ、いい威勢だ。その威勢が、いつまで続くか見ものだね」

 

彼は優雅に一歩踏み出し、前髪を指先で払った。その仕草一つ一つが洗練されており、どこか残酷な美しさを湛えている。

 

「申し遅れたね、私はⅣと言う。……デュエル大会の、しがない極東チャンピオンだよ」

 

「チャンピオンだって!? そりゃまた師匠は、とんでもねぇ凄腕と友達なんだな! だったら手加減なしだ! 行くぜ、デュエルだ!」

 

アンナは、相手がチャンピオンであるという事実に、臆するどころかさらなる高揚感を覚えていた。自分がいま、どの程度の悪意に晒されているのか。そして、目の前の男がかつて寿に、どのような教育を施したのか。何も知らない無垢な挑戦者は、底知れない奈落の淵で、最高の笑顔を浮かべてデッキに手をかけた。

 

「「デュエル!!」」

 

Ⅳ LP 4000 / アンナ LP 4000







極東チャンピョンという称号が絶妙に語呂がよくて好きです。
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