軍貫使いはZEXALで寿司を握る 作:Dの軍貫 シンキハヨ・チョーダイナ
何か変に思うところあったら教えてください。
親父が用意してくれたタキシードは、若干色落ちはしているものの、袖を通すとやはりと言うべきか威厳を放っていた。光沢の失せかけた襟元をなぞれば、俺たちが深い眠りに落ちている間、わざわざ正装のレンタルのために走ってくれた親父の背中が浮かぶ。
(そう言えば今日、晩餐会があることを伝えていなかったな……すまねぇ親父……)
胸の内で静かに感謝を捧げたものの、鏡に映る自分の姿はどうにも浮ついて見えて落ち着かない。肩パッドが食い込む生地の硬質な感触は、これから足を踏み入れる会場への不安を、鋭い針のようにじりじりと煽り立てていた。
隣に並び立つアンナも同じく、その心中は穏やかではないようだ。歩くたびにフリルが騒がしく波打つピンクのドレスは、彼女の奔放な魂を束縛する鎖に他ならない。檻に入れられた猛獣のごとき不機嫌な足取りで俺の後に続くその様は、可憐な衣装との間に凄まじい乖離を生んでいた。夜の帳が下りたハートランドの街を遥か眼下に、黄金色にライトアップされた巨大な塔が、下界の迷いなど知らぬげに傲然と夜空を突き刺している。
「……なぁ師匠。このドレス、胸のあたりが窮屈で深呼吸もできねぇ。こんなヒラヒラしたもんを着て、本当に飯なんて食えるのかよ?」
アンナは重たい裾を忌々しげに蹴り上げ、まるで行軍中の兵士のような鋭い視線を会場の入り口へと向けた。彼女の額には衣装への不快感からくる微かな汗が滲み、その瞳には豪華な装飾への感動など微塵もなく、ただ空腹という名の純粋な戦意だけが宿っている。
「我慢しろ。というより、これは親睦を深める交流会みたいなもんだ……飯をバカスカ食うような所ではない」
宥める俺の言葉を鼻で笑うように、彼女はドレスの肩紐を苛立たしげに直した。洗練された紳士淑女が集うこの空間において、俺たちの存在はあまりにも異質だ。
「あー、なるほどな?あれ?これってWDC予選突破した人への招待だよな、今さら俺がついて行っていいのか?」
「同伴者は認められているから安心しろ」
俺はそう答えながら、ホールの巨大な扉を仰ぎ見た。重厚な装飾が施された門が開かれた瞬間、中から溢れ出した暴力的なまでの眩い光が、俺たちの困惑をあざ笑うかのように視界を真っ白に塗りつぶす。
「さて、この招待状を見せつけに行くとしようか。……アンナ、忘れるなよ。今夜、俺たちは決闘者としてここにいるんだ」
胸ポケットに収まった招待状の硬い感触を指先で確かめる。その薄い紙切れ一枚が、地獄のような予選を勝ち抜いた証であり、今夜の狂乱への通行証だった。
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会場へ一歩足を踏み入れれば、そこには現世の贅を尽くした美食の山が、まるで一つの都市を形成するかのように築かれていた。中央には呆れるほどに巨大な色とりどりのスイーツが積み上げられたタワーケーキがある。
「すげぇ……でけぇな……!?」
「町長主催とだけあって規模も文字通り桁違いということだろうな……それにしても恐ろしいな」
天井に吊るされた巨大なシャンデリアから注ぐ、暴力的なまでに眩い黄金の光が、クリスタルグラスや銀食器に乱反射して視界を白く焼き切る。最新鋭の配膳ロボットが、重力さえ感じさせない滑らかな軌道で招待客の間を縫い、招待客たちは上等なワインの芳香を漂わせながら、宝石を散りばめたような洗練された会話に興じていた。
だが、俺の意識は目前の豪華な皿に並ぶ料理ではなく、自身の内側へと向けられていた。胸の内に潜むデュガレスとの約束、彼への供物――。実体を持たぬナンバーズが、如何にしてこの物理的な恵みを享受すべきかという極めて現世的な問題が、俺の思考を占拠していた。
その実利的な疑問に、意識の底から響く、地を這うような重厚な振動が答えを出した。
『案ずるな、我が主よ。話は簡単だ……我が貴公に憑依し、感覚を共有すればよい。我が満足するまで食べ、その充足感を我が吸い上げる。これぞ最も効率的な供物の捧げ方よ』
脳髄を直接鷲掴みにされるような、強烈な圧迫感に俺は思わず眉をひそめる。神経の一本一本が、異質なエネルギーによって侵食されていくのが分かった。
「デュガレス!? まさかお前、俺の意識を乗っ取るつもりか……」
『案ずるな。言動の主導権は主が握ったままだ。我はただ、貴公の五感を特等席で味見させてもらうだけに過ぎん。準備はいいな?』
抗う間もなく、その意志は神経の深部へと強引に侵入を開始した。視界は鮮やかに彩度を増し、会場を漂う香りは、獲物を狙う鷹の嗅覚のごとく、極めて動物的で冷徹な鋭さを持って美食の在り処を特定していく。胸元のカードから伝わる異常な熱量は、彼の中に宿る食への底知れぬ渇望を証明していた。
「……よし。来い、デュガレス」
覚悟を決め、その名を密かに唱えた刹那。俺の血管を熱い溶岩のような奔流が駆け抜け、理性がわずかに後方へと追いやられた。胃袋の中に底なしの奈落が口を開けたような、理性を焼き切る凄まじい飢餓感が、瞬く間に脳の全領域を支配する。
「うわっ……おい、引きが強すぎだろ……!」
叫びと共に、吸い込まれるようにカウンターへ歩み寄る俺の所作は、驚くほど優雅に洗練されていた。一分の隙もない、完璧なマナーに基づいた無駄のない動き。しかし、その遂行スピードは、もはや生物の物理限界を超えていた。一口、また一口。最高級のローストビーフが口腔へと吸い込まれ、咀嚼の音さえ立てぬ機械的な正確さで皿が次々と空になっていく。
「ンモッ、ンモッ、モッ……旨っ……。なんだこれ、脂が溶ける……!」
「師匠、飯をバカスカ食ってるじゃねぇかよ……。さっきの説教は何だったんだよ!」
アンナが呆然と呟くが、今の俺にはその声さえも、遠い異界から届く雑音にしか聞こえない。赤ワインの濃厚なソースが唇を濡らそうとも、俺の腕は一瞬の停止すら許されず、次の獲物であるフォアグラのテリーヌへと吸い寄せられていく。
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「……随分と賑やかだな。少しは場を考えたらどうだ?」
ふいに、背後から氷点下の静寂を伴った、低く硬質な声が差し込んだ。ホールの太い大理石の柱に背を預け、周囲を寄せ付けぬ鋭い眼光を放つ男。シャークが、吐き捨てるような、だがどこか呆れた眼差しを俺たちに向けていた。彼はゆっくりとこちらへ歩み寄ると、猛然と美食を嚥下し続ける俺の、およそ人間離れした異様な姿を一瞥し、深く、底知れぬ溜息をついた。
「……久しぶりだな、赤司」
「シャークモッ、久しぶりだな。お前モッ決勝に進出したのか。最近はどうなんンモッだ?」
俺は口内に溢れる芳醇な肉汁を飲み下す暇さえ惜しみ、食事のテンポを一切崩さずに言葉を返した。シャークの視線は、俺の頬を伝う脂や、目にも止まらぬ速さで舞うフォークの銀光、その異常な軌道に釘付けになっている。
「……普通だ。それよりも、貴様……」
言葉を切り、彼は俺の顔をまじまじと見つめた。そこにはかつて一度、死線を越えた決闘を繰り広げた宿敵への僅かな敬意と、それを遥かに上回るほどの、理解し難いものを見る当惑が混在している。
「ンモッ、モッ……なんだ? 俺の顔にソースでも付いてるか?」
「……いや、なんでもねぇよ。その異常な食い意地を見る限り、余計な心配だったようだな。じゃあな、赤司」
シャークの瞳には隠しきれない呆れが宿っていた。一度はその腕を認めた男が、無表情に、それでいて鬼神のごとき迫力で料理を平らげていく。そのナンバーズの器としての底知れぬ異質さを、彼は本能的に察知し、毒気を抜かれたのかもしれない。
「待て、シャーク。お前もどうだ? あそこのレバーのパテは、血の巡りを良くするぞ。今は親睦の時間だろう? 腹を割って話そうじゃないか」
俺の口から漏れた言葉に、シャークはあからさまに顔を背ける。
「……そんな調子じゃ、この大会の先が思いやられるぜ。元よりここに長居する気はねぇ。じゃあな」
シャークは不快げに文句を言い捨てながらも、どこかやり場のない困惑を抱えたような、煌びやかな喧騒の奥へと去っていく。それを見届けたアンナが、顔を熟れた林檎のように真っ赤に染めて俺の背中を激しく叩いた。
「師匠! ドレス姿の俺より目立ってどうすんだよ! 恥ずかしいから、もう他人のフリしていいか!?」
彼女の切実な叫びがホールに空しく響き渡る。シャークは吐き捨てるように文句を言い残すと、翻るコートの裾を夜の闇に似た軌跡として残し、煌びやかな喧騒の奥へと消えていった。
彼が去った後のわずかな空白を埋めるように、周囲の招待客たちの、薄氷の上を歩くような洗練された会話が再びホールを支配し始める。アンナは顔を熟れた林檎のように真っ赤に染めたまま、ドレスの裾を強く握りしめ、俺の背中を激しく叩いた。だが言葉は当の俺には、彼女の怒声さえもさざ波のようにしか感じられない。憑依の反動か、あるいはデュガレスの意志がより深く根を下ろしたのか、俺の五感は依然として現実の輪郭を失い、ただ目前の美食だけを異常な解像度で捉え続けていた。
(……静かだな、デュガレス)
心の中で問いかけるが、先ほどまで饒舌だった精霊は、満足げな沈黙を保っている。代わりに俺の肉体を突き動かすのは、もはや食欲ですらなく、生命維持の理を超越した処理への義務感だった。再びフォークを手に取る。銀色の刃がシャンデリアの光を反射し、次の獲物である真鯛のポワレを無慈悲に切り裂いた。
「ンモッ、ンモッ……。アンナ、気にするな。今は……エネルギーを蓄える時だ」
「何がエネルギーだよ! 完全に目が据わってるじゃねーか!」
呆れ果てるアンナを余所に、俺の周囲だけが物理的に切り離されたかのような静寂に包まれていく。それは、どんなに豪華なシャンデリアの下にいても拭い去ることのできない、ナンバーズを宿す者だけが背負う熱だった。
ふいに、会場を包む熱気が一瞬だけ凪ぎ、背筋を撫でるような微かな寒気が通り過ぎる。
俺は無意識にフォークを止め、視線をホールの吹き抜けへと向けた。
黄金色の装飾が施された二階のテラス、その深い影の中に、誰かが立っている。
そこだけが光を吸い込むブラックホールのように暗く、冷徹な観察者の気配を湛えていた。仮面の奥で愉しげに瞳を細めているのか、あるいは獲物の熟成を待つ狩人のような冷笑を浮かべているのか。その視線が俺の食欲という名の醜態を眺めているということを俺の本能が確信していた。
「師匠……? 急にどうしたんだよ、そんな上ばっかり見て」
アンナが訝しげに俺の視線を追い、二階を見上げる。だが、その瞬間に影は霧が晴れるように消え去り、そこにはただ、無機質な大理石の手すりが光を反射しているだけだった。
「……いや。なんでモッない。……少し、食べ過ぎたのかもしれンモッ」
俺は皿の隅に残っていた最後のパセリを機械的に口へと運び、ようやく、微かではあるが憑依の熱が引いていくのを感じた。脳内を支配していた狂気的な飢餓感が潮が引くように去り、代わりに急速に引き戻される現実の感覚。過剰に詰め込まれた胃袋の確かな重みと、親父が用意してくれたタキシードの容赦ない窮屈さが、今さらながらに鈍い衝撃となって俺の全身にのしかかってくる。
晩餐会の光は依然として眩く、人々は変わらずワイングラスを片手に、たわいもない談笑に酔いしれていた。
「……食べながら言われても、説得力のかけらもねぇよ」
呆れ果てたアンナの視線が、俺の手元に残る空っぽの皿を射抜く。だが俺は、残った理性を振り絞って、彼女をこの異常な静寂から連れ戻そうと試みた。
「ほら、お前もいつまでも見てないで、食べるか話すかしろ。あそこのチキンなんて、見たところかなりの業物だぞ」
「ん?おおっ、ありゃ美味そうだぜ!」
俺が指さした先――ハーブと共に美しくスライスされた鶏肉の輝きを捉えた瞬間、アンナの瞳にパッと野生の光が灯ったのが分かった。ドレスの窮屈さも、師匠の奇行への困惑も、その食欲の前ではもはや些細な問題でしかないらしい。彼女が勢いよく料理へと飛びつく背中を見送りながら、俺は会場の隅に設置された時計へと目を向けた。ケーキタワーの崩壊まで、あと15分。