軍貫使いはZEXALで寿司を握る 作:Dの軍貫 シンキハヨ・チョーダイナ
遊馬の追撃を振り切るため、俺――赤司寿は、昨日駅前に置いておいた出前用の自転車を確保するやいなや、全力で漕ぎ続けた。 ハートランドの舗装された道路を、ママチャリとは思えない回転数で激走すること数十分。
ごめんよチェーン。ごめんよ途中危なかったオバさん。
背後から聞こえていたはずの「待てよ寿ーっ!」という、あのやかましい、だが真っ直ぐな絶叫が遠ざかっていく。
(……はぁ、はぁ! 撒いた、撒いたぞ……! さすがにここまでは追ってこれまい……!)
肺が焼けるような熱さを堪えながら、ようやく実家である 『軍艦処・赤司』の裏口に滑り込む。 暖簾を潜り、一歩足を踏み入れれば、そこは別世界だった。冷房の効いた調理場の空気が、火照った体に心地よく染み渡る。
俺は汗ばんだ学校の制服を脱ぎ捨て、手早く清潔な白衣に袖を通した。鏡を見るまでもない。紺色の前掛けをギュッと締め上げた瞬間、俺の中のスイッチが切り替わる。 さっきまで中庭で繰り広げていたデュエリストとしての昂ぶりは霧散し、代わりに職人としての静かな、そして研ぎ澄まされた集中力が身体の隅々まで満たしていくのを感じた。
「戻ったか」 「……ああ。……親父、悪い。少し遅くなった」
厨房の奥で、黙々と包丁を研いでいた親父に短く答える。親父は視線すらこちらに向けなかったが、その背中からは「仕事ならさっさと入れ」という無言の圧力が漂っていた。
俺はすぐに板場に立ち、作業を始めた。さっきのデュエルの余韻――シャークさんの猛攻、アストラルのあの射抜くような視線――その追憶したくなる欲求を振り払うように、仕込みに入る。 銀色の皮に柳刃包丁を滑らせ、アジのぜいごを削ぐ。シュッ、シュッという一定のリズム。 刻一刻と、淡々と。
この無心の作業、指先に伝わる魚の生命の感触こそが、今の俺を癒してくれる唯一の錨だった。
だが、そのささやかな癒しの時間は、十五分もしないうちに唐突な終わりを告げた。
ガラガラッ!!
威勢が良すぎるほどに引き戸が開く音が、店内に響き渡る。
「ちわーっす! 寿ーっ、遊びに来たぜ!」
聞き慣れた、そして今この瞬間に世界で一番聞きたくない声。俺の肩が、条件反射でびくんと跳ねた。 手に持っていた包丁が、一瞬だけ止まる。
「……うそだろ」
顔を上げると、そこには案の定、夕日を背負って満面の笑みを浮かべた九十九遊馬が立っていた。その後ろには、申し訳なさそうに控えめに手を振る小鳥ちゃんの姿。
「ゆ、遊馬……! お前、なんでここが……」 「だって寿、さっき『店に来い』って言ったじゃねーか! だから小鳥に道を聞きながら走ってきたぜ! いやー、一時はどうなるかと思ったけど、かっとビングでなんとかなるもんだな!」 「……あれは神代さんに言った社交辞令だ! お前までセットで来る奴があるか! それに、観月さんに聞いたって、それ俺を追いかけてきたんじゃないのかよ!」
俺が包丁を握ったまま、つい素の声で抗議していると、遊馬の影から、もう一人。 さらに重苦しい、氷の塊のようなプレッシャーを纏った人影がヌッと現れた。
「……フン。道を教えろと言ったのは俺だが、よもやこれほど入り組んだ場所にあるとはな。無駄に歩かされたぜ」
漆黒のマフラーをなびかせ、不機嫌を絵に描いたような顔で入ってきたのは、神代凌牙――シャークさんだった。 いや、うちの店、目立たないとはいえ、一応はハートランドの商店街のメイン通りに面した場所にあるんですけども……。 どうやら、遊馬と小鳥に案内される形になったのが、相当プライドに障ったのか、彼はカウンターの端に座るなり、俺を鋭く睨みつけた。
「おい、板前。……早速さっきの約束だ。お前の言った『アナゴ』とやらを食わせてもらおうか。……もしあのデュエルや、さっきの勢いだけのハッタリだったら、この店ごと沈めてやるからな」 「……念のため言っときますが、うちはデュエル場じゃなくて寿司屋です。店内でデュエルディスクを起動したら即、退店していただきますからね? それに……まぁいいです」
俺は深いため息を吐き出し、一度包丁を置いた。 想定外。いや、この世界に転生し、九十九遊馬と同じクラスになった時点で、いつかこうなることは覚悟すべきだったのかもしれない。だが、主人公とライバルが揃ってカウンターに座り、俺の握りを待っている。ここは今、ハートランドで一番危険な特等席に変貌していた。
ふと、遊馬の隣。 誰も座っていないはずの空席から、肌を刺すような冷たいプレッシャーを感じた。
(……いる。確実に、アストラルのやつがそこに座って俺を観察してやがる……)
俺には見えない。設定上、見えるはずがないし、実際見えない。 だが、そこだけ空気が凪ぎ、物理的な温度が数度下がっているのが分かる。俺の指先の動き、視線の配り方、そのすべてを見透かされているかのような感覚に冷や汗が流れる。 だが、俺は職人のプライドを振り絞って顔を上げた。ここで怯えたら、職人としての恥だ。
「……へい、喜んで。神代さん、あんたのそのトゲトゲした気分、うちの穴子で綺麗に
俺は丁寧に仕込んだ煮穴子を手に取り、サッと炙りを入れる。 シュワッという音と共に、香ばしい匂いが店内に広がった瞬間、誰も座っていないはずの遊馬の隣から、言葉にならない感銘――静かな驚きという名の気配が揺れた気がした。
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(…………)
寿司を握りつつも、俺は改めてカウンターに並んだメンツを見て心中で天を仰いだ。 中央で「腹減ったー! 寿、一番のおすすめ頼むぜ!」と騒ぐデュエル馬鹿、その隣で「もう、遊馬ったら恥ずかしいわよ」と苦笑いするヒロイン。そして、端っこで「不味かったら看板割る」とか物騒なことを吐き捨てている不機嫌なサメ。さらには、俺に興味津々なのか、それとも単なる分析対象なのか皆目見当もつかないが、変わらず氷点下のプレッシャーを放ってくる見えない幽霊。
ここは寿司屋だ。決して、ストーリーの
「……騒々しいな」
厨房の奥から、一段と重苦しい空気と共に親父が姿を現した。 研ぎ澄まされた包丁を清潔な布で拭いながら、鋭い眼光でカウンターを一瞥する。その威圧感。ただの職人のそれではない。 さっきまで「かっとビングだ!」と騒いでいた遊馬も、トゲトゲしていたシャークさんさえも、その気迫に当てられたように、一瞬で背筋をピンと伸ばした。
親父の視線が、遊馬の胸元――そこに吊るされた、黄金に輝く『皇の鍵』で止まる。
「……おい、ボウズ」 「は、はいっ!」
遊馬が、まるで厳しい教官を前にした二等兵みたいな返事をする。 ……意外とこういうところは聞き分けがよくて助かるが、それだけ親父の圧が凄いということでもある。
親父は遊馬の顔をじっと、射抜くような強さで見据えた後、低く、重みのある声で言った。
「……お前が九十九の倅か」
「えっ? もしかして、倅って……父ちゃんの知り合いなのか?」
遊馬が目を丸くして問い返す。親父はそれに直接は答えず、ただフンと鼻を鳴らすと、俺の方へ視線を投げた。
「寿。……そいつには、しっかりしたもんを食わせてやれ。九十九の血を引く奴に、半端なもんは出せん」 「……え、あ、はい。……って、親父、やっぱりその口ぶりからして、知り合い、なのか?」 「いいから手を動かせ。客を待たせるな」
親父はそれだけ言うと、余計な説明を一切拒絶するように、また無愛想に奥の作業に戻ってしまった。 俺は唖然としたまま、炙りたての穴子を小皿に乗せる。 遊馬は俺の方向にもれなく「えっ、何、今の!? 寿、何か知ってるのか!?」という視線を向けるが、残念ながら俺も何も知らない。前世の知識にも、遊馬の父と寿司屋が知り合いだなんて設定はなかったはずだ。
だが、確かなことが一つ。
「すっげぇ! 寿、お前の父ちゃん、俺のこと知ってるみたいだぜ! さすが父ちゃん、どこに行っても有名なんだな! かっとビングだ!」 「……ああ、そうだな。……(頼むから店内で『かっとビング』を連呼しないでくれ、他のお客さんがびっくりするだろ……)」
遊馬のテンションは最高潮に達し、一方で端の席のシャークさんは、親父が放った職人の威圧感に毒気を抜かれたのか、黙って俺の手元を凝視している。
(……フラグだ。これ、絶対に後戻りできないタイプのフラグだ。遊馬、シャーク、そしておそらくはアストラルに目をつけられた上に、親父に限っては過去の因縁持ちだなんて……)
俺は絶望的な予感に震えながら、一世一代の穴子をシャークさんの前に差し出した。
「……へい、お待ち。神代さん、冷めないうちにどうぞ」
この穴子が美味ければ美味いほど、彼らはまたこの店に来るだろう。 だが、不味いものを出すことだけは、板前として死にも等しい。俺は覚悟を決めた。
「遊馬にはイカを出してやる。……観月さんは、この赤身をどうぞ」
今思うと俺の日常は、ここから変わり始めた。例えるならば……そう、穴子のタレのように、どろどろとストーリーと複雑に絡まり始めていた。
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「……フン、イラつくぜ」
俺――神代凌牙は、カウンターの端で独りごちた。 何に対してイラついているかって? 全部だ。
あの得体の知れない寿司の軍艦を使う転校生、赤司寿に敗北したこと。 その敗北の落とし前として穴子を食わせると言われたのはいいが、肝心の店の場所が分からず、よりによってあの九十九遊馬と観月小鳥の後にノコノコついてくる羽目になったこと。 そして何より――この店の暖簾を潜った瞬間から肌を刺す、この尋常ならざる気配だ。
(……この店、普通じゃねえ)
商店街の隅にある、なんてことない寿司屋。だが、一歩足を踏み入れればそこは、研ぎ澄まされた刃物のような緊張感に満ちている。 特に、奥で黙々と作業を続けるあの親父。 あれはただの料理人の目じゃない。本物の「強者」の目だ。
「お前が九十九の倅か」
大将が放った一言に、遊馬が二等兵のように縮こまる。 ……九十九一馬。あの行方不明の冒険家と、この寿司屋に何の接点がある? わけが分からんが、あの親父が放つ威圧感は、俺のトゲを沈黙させるには十分すぎた。
「……へい、お待ち。神代さん、冷めないうちにどうぞ」
思考の海に沈んでいた俺の前に、小皿に盛られた一貫の穴子が置かれた。 絶妙な火加減で炙られた表面からは、香ばしい、それでいて甘い香りが立ち上っている。 甘辛いツメの照りが、店内の明かりを反射して宝石のように光っていた。
(ハッタリか、本物か。……確かめてやる)
俺は箸を伸ばし、その穴子を口に運んだ。 その瞬間――俺の思考は、文字通り「
「…………っ!」
まず、驚くほどの柔らかさだ。 舌に乗せた瞬間、時間をかけて煮込まれた穴子の身がホロリと崩れ、濃厚な旨味が口いっぱいに広がる。 炙った皮目の香ばしさがアクセントになり、後から追いかけてくるツメのコクがすべてを完璧にまとめ上げていた。
重い。 味の奥行きが、さっきのデュエルと同じだ。 寿のタクティクス――無駄のない動き、相手の攻めをいなす冷静さ、そして最後にすべてを刈り取る一撃の重さ。 それが、そのままこの一貫に凝縮されている。
(……負けたな。デュエルだけじゃねえ。……この『味』にもだ)
隣の席では遊馬が「うめえええ! 寿、このイカも最高だぜ!」と騒ぎ、小鳥も赤身に目を細めている。 だが、俺は声が出なかった。 ただ、静かに穴子の余韻に浸る。 これほどの「仕事」をされては、看板を叩き割るなんて文句は、恥ずかしくて口が裂けても言えねえ。
「……おい、板前」
「……へい、お口に合いませんでした?」
寿が、不安そうな、それでいてどこか俺の反応を見透かしたような顔で尋ねてくる。 俺は一呼吸置き、残ったお茶を飲み干すと、視線を逸らして吐き捨てた。
「……フン。今回はこれで満足していてやるよ。勘定だ」
「……え、あ、はい!」
寿が少しだけ驚いた後、今日一番の職人らしい顔で笑った。
(赤司寿……。お前が何者かは知らん。だが、お前が隠し持っている『牙』は、こんな小さい寿司屋に収まりきるようなモンじゃねえはずだ)
「旨かった」
伝票を受け取り、代金をカウンターに置く。 店を出る間際、俺は背中を向けたまま、短く一言だけ投げかけた。
「え? あ! どうも! まいどあり!」
予想外の言葉に、寿が慌てて、だがどこか嬉しそうに声を返す。 その返事が背中に届く頃には、俺は既に夜の帳が落ちつつある街へと踏み出していた。
不機嫌だったはずの胸のうちは、不思議と少しだけ軽くなっていた。
この事実こそ気に食わないかと思って、胸中に不満を滾らせようにも。
それすらも不思議に思えるほど、その感情は沸いては来なかった。
この心を形容する言葉を、神代凌牙はまだ知らない。
※脳裏に浮かんだ方もいると思いますが、この作品は某シェフの影響を強く受けています。
何とは言いませんが。