軍貫使いはZEXALで寿司を握る 作:Dの軍貫 シンキハヨ・チョーダイナ
場違いなほど軽快で不敵な足音が、空間に響き渡る。
「……おうおう、ここだけお通夜か?」
スタジアムの喧騒を軽々と切り裂き、異様な存在感を放ちながら現れたのは、派手な柄シャツを無造作に着崩した大男だ。隣には付き添うようにこちらはワンピースを着こなした少女がいる。彼は彼女にどこかに行くよう言った後、ずんずんとこちらに近づいてくる。
この場の氷点下の空気などまるで気にする様子もなく、彼は不敵な笑みを深く口元に刻んだままだ。
「……ここだけ客席がやけに開いてると思って来たら、随分面白いことになってるじゃねぇか」
両手をポケットに突っ込み、面白がるように歪めた唇から漏れ出た声。
「何故か教えてもらってもいいか……厳造ォ?」
その男の大胆過ぎる乱入に、俺とアンナは呆然と目を見開くしかなかった。
「スミスさん」
「スミス?!」
俺とアンナの驚愕のつぶやきが重なる。姿を現したのは、親父の大学時代の同級生であり、俺とアンナが以前開店を手伝った菓子屋の店主。
出門スミスだった。
まるで荒波が打ち寄せる冷たい崖っぷちに、突如として予測不能な暴風が吹き荒れ始めたかのような錯覚。一方で、親父の厳めしい表情は目に見えて苦虫を噛み潰したように歪み、額には太い青筋が浮かび上がっていた。鋭い眼光でスミスを睨みつけるとその威圧感は増し、低く濁った声で忌々しそうに舌打ちを鳴らす。
「チッ……スミス、何の用だ」
絶対零度の冷徹さで俺を追い詰めていた親父の態度に、旧友の不躾な割り込みに対する苛立ちと、隠しきれない警戒心が混じり始める。しかし、スミスはそんな親父の殺気立った視線など意にも介さず、肩をすくめると、あからさまに大袈裟な身振りで周囲のぽっかりと空いた席を見回した。
「いや?俺はただ昨日と同じようにラクリと座って、なんなら今日はお前の息子、寿とその嬢ちゃんと一緒に楽しーく、観戦する予定だったんだがな?」
スミスは太い指で顎をしゃくり、広大なスタジアムの全貌を指し示す。眼下に広がる巨大なすり鉢状の会場では、まだ試合は始まっていないというのに、既に無数の観客たちが熱狂の渦を作り出していた。青空の下で繰り広げられる祭典の熱気と、この座席を取り巻く刺々しい断絶。その対比を強調するように、スミスは芝居がかった溜息を吐いてみせる。
「周りは皆和気藹々だ。けど、どうにも自分のエゴを優先しちまってそれを台無しにしてぇ奴がいるみてぇでな……どうだ、身に覚えはねぇか?」
皮肉たっぷりに突きつけられた問いかけ。だが、親父は腕を組んだまま微動だにせず、鋼のように頑なな態度のまま相手を突き放す。
「知らん。邪魔をするなら帰れ」
取り付く島もない冷酷な一言。
「知っとけ。お前のことを言ってるんだよ、頑固親父が」
しかしスミスは全く言葉を意に介さず、寧ろ不敵な笑みをさらに深めながら一歩前へと踏み出し、親父との距離を詰めた。
「……一体何時から見ていた」
地を這うような親父の重い問い。その威圧に対しても、スミスは鼻で笑い飛ばすように、これよがしに人差し指を立ててみせた。
「一部始終。お前が親父風を吹かせて偉そうに寿をネチネチ追い詰めて、あまつさえ擁護する嬢ちゃんにも文句を言い出す辺りからさ。10年以上経っても相変わらず、針金を飲み込んだようなクソ面白くねぇ堅物っぷりだな?」
親父の過去を知る男だからこそ放てる、容赦のない煽り。通路から吹き抜ける風がスミスの派手なシャツをはためかせ、緊迫した空間に異物のような熱量を流し込んでいく。自分の領域を荒らされた親父の眼光が一層険しさを増し、重厚な声で職人としての絶対的な鉄則を叩き返した。
「……職人として当然の道理を説いていただけだ。結果を出せない者に、過程を語る資格はない」
一切の揺らぎを許さない教義。だが、その完璧に見える論理の壁に対し、スミスは心底呆れ返ったように大きく肩を揺らし、豪快な溜息を吐き出してみせた。
「道理ねぇ。なあ厳造、お前いつからそんな、大量生産の工場長みたいな薄っぺらいセリフを吐くようになったんだ?聞いててヘドが出そうだ。お前は機械か?18世紀の上辺の成果しか見れない資本家か?0か1でしか判定できない二進法の生物か?」
弾丸のように畳みかけられる痛烈な比喩の数々。アンナは息を呑んで二人のやり取りを見守り、俺もまた、旧友という、俺では到底補完が効かない唯一無二の存在が親父の強固な城壁に楔を打ち込んでいく様を、ただ圧倒されながら見つめることしかできなかった。親父の唇が固く結ばれ、怒りで微かに震える。
「いくら捏ね繰り回しても屁理屈は屁理屈だ」
だがその言葉をスミスは鼻で笑う。
「屁理屈、か」
ポケットに手を突っ込んだまま不敵に肩をすくめるスミス。親父から放たれる殺気すら、まるでそよ風でも受け流すかのように飄々と受け止めている。だが、その瞳の奥には確かに、鋭い光が宿っていた。
「まぁそう思うは勝手さ、思い込みを修正することなんて面倒くさいし、かったりぃ」
呆れたように首を振ったスミスは、ふっと笑みを消し、じりじりと親父へと距離を詰める。
「なぁ、お前が言う『結果』ってのはなんだ?皿の上に乗ったもんが全てか?なら聞くがな……お前が大学ん時、先代の前で初めて握ったあのゲテモノを覚えてるか?」
その単語がスミスの口から飛び出した瞬間、親父の厳めしい顔容が目に見えて強張った。過去の領域。そこに躊躇なく踏み込まれたことで、親父の目から冷徹さが消え、動揺の色が露わになった。
「ッ……!?スミス、お前それは……昔の話だ!」
「ああ昔の話さ。だがな忘れたとは言わせねぇ、お前は結局跡継ぎから逃げ切れなかっただろ?大学まで行って先延ばししても、な」
逃げ場を塞ぐように畳みかけるスミスの声は、どこか楽しげでありながらも、突き刺すような真実の重みを帯びていた。俺は息を呑み、これまで見たこともない親父の狼狽した横顔を凝視する。傍らのアンナもまた、二人の間に漂う異様な気迫に圧倒され、固まったまま身を縮めていた。
「だがお前も、先代に対して猛烈に反抗しつつもいざとなったらめちゃくちゃ焦ってたじゃねぇか。反骨心と伝統を守りたい心。お前は優しい奴だから、あん時ほど慌ててたのを俺らは見たことなかった」
スミスは懐かしむように、だが一切の手加減なく親父の最も不恰好だった過去を暴き立てていく。親父は拳をきつく握りしめ、言い返す言葉を探すように激しく胸を上下させていた。
「あの時、緊張でガタガタ震えてシャリは潰れてガチガチの岩石……ネタも最悪で生温い!あんなもん、客に出したら一発で店が潰れるレベルの『最悪の結果』だったよなぁ?」
愉快そうにスミスは頭を傾げながら言う。その様は、まるで忘れたとは言わせない、という強い意志が裏に籠っているようにすら感じられた。
「黙れ!あれは俺がまだ未熟だった頃の──」
たまらず怒号を張り上げた親父の声を、スミスは確かな小さな声でかき消す。
「そう、未熟だった。当然だ、二か月しか修行してねぇ突貫工事も良いとこの急ごしらえだったんだからな。オマケに当時のお前は、性格のみならず手先も抜群の不器用だった……頼み込んで包丁の握り方からを教えたのは俺と誰だったかな?深夜まで先代のお弟子さんにレッスン受けてたのは誰だった?」
背後のメインスクリーンからは、WDCの華やかな演出音と観客の歓声が絶え間なく降り注いでいる。しかし、この一角だけは、まるで時間の流れが歪んだかのような濃密な緊迫感に包まれていた。旧友だからこそ知る、泥臭い『過程』。それを容赦なく突きつけられ、親父の額には太い青筋が浮き上がり、息を荒らげていた。
「だがな、お前のその結果が全てっつう至上主義に則るなら、先代はあの岩石寿司を食った瞬間にこう言うべきだ。『結果が全てだ、お前はもういらん!とっとと出て行け!』ってな……どうだ?先代はあの時、お前を勘当したか?」
スミスがぐっと顔を寄せ、親父の瞳を真っ直ぐに見据える。真実という名の絶対的な正論の刃が、親父の築き上げてきた完璧な城壁を過去の自分という内側からズタズタに切り裂いていく。
「……それは」
「どうなんだって聞いてんだよ」
逃げ道を完全に塞がれた親父は、絞り出すような低い声で苦渋の回答を口にするしかなかった。
「……追い出さなかった」
「当然だ。なぜなら先代はお前の『過程』を見たからだ。不格好で不慣れ手でも、魚を捌く下処理だけは誰よりも丁寧だった。それは不器用故でもあり、絶対に美味いもんを食わせてやるっつう執念を見たから。先代はな、お前の過程を丸ごと飲み込んで、もう一貫握れって言ってくれたんだよ……違うか!?」
叩きつけられた亡き先代の教え。己が職人として産声を上げた瞬間の記憶を揺さぶられ、親父は歯を喰いしばり、必死に最後の反論を組み立てようと足掻く。
「……ッ、だが、職人の世界とデュエルは別物だ!」
土俵を変えて逃れようとする親父の苦しい一言。だが、スミスはその浅はかな回避行動を、嘲笑うかのように一瞬で叩き潰した。
「屁理屈こねて逃げんな。ついさっき『寿司もデュエルも同じだ』って言外に匂わせて、このお嬢ちゃんにもボコボコに正論吐かれてただろうがよ?自分の都合が悪くなった時だけ土俵を変えようとするな、ダサいぞ大将!」
「……ぐ……ッ!」
完全に論理を粉砕され、親父の口から苦しげな呻きが漏れ出た。絶対者として君臨していた厳造という男が、完膚なきまでに叩きのめされ、言葉を失って固まっている。スタジアムを駆け抜ける冷たい風が、二人の間に残された深い沈黙を揺らしていた。その隙、スミスは見逃さない。退路を完全に断たれた親父の目の前に立ちふさがり、その威風堂々たる巨躯から放たれる圧倒的な気迫で、さらに深く鋭い言葉の楔を打ち込んでいく。
「それにだ、寿が出してみせた結果から目を逸らすな。俺はラクリとのデュエルで見たぜ?こいつのデュエルの腕は鮮やか、彩りに満ちている。俺は確証を持って言える、きっと裏でお前の目を盗んでまでデュエルの腕を磨いて見せたんだろうよ、それも板前修業と並行してな!」
自分の与えた試練の合間を縫ってまでして、二つの道を両立させていた息子。それを突きつけられた親父の眼光が、驚愕と狼狽で微かに揺らぐ。するとおもむろにスミスは力強い手で、アンナの肩をガシッと叩いた。
「ひゃっ!?」
「それに見ろ、この嬢ちゃんを。自分の全てをかなぐり捨てて『俺が貰ってやる』なんて啖呵を切るほど、お前の息子は他人に慕われてんだよ!これのどこが結果を出してないって言うんだ?これ以上の最高の結果がどこにある……!?」
突然引き合いに出されたアンナはビクッと身体を跳ね上がらせたが、その瞳には変わらず、親父に対する譲れない熱意が宿っていた。スミスもそれは同様だった。
「……」
頭上のモニターからは、幾重にも重なる観客の大声援とMr.ハートランドの高らかなアナウンスが鳴り響いている。一方親父の唇は固く一文字に結ばれ、額の青筋を浮き立たせながらも、返す言葉を見つけられずに固まっている。スミスは腕を組み、冷ややかながらも現実的な未来設計図を、逃げ場のない正論として叩きつけた。
「逆に、お前が今出そうとしている『結果』を教えてやろうか?意地張ったまま息子を勘当して、大切な跡取りを失う。当然、息子を庇うほど情に厚いこの優秀な弟子も愛想を尽かして出て行く」
言葉の一つひとつ、そのすべてが、親父の意地を容赦無く切り刻んでいく。
「商店街っうコミュニティの中に店を構えている以上、噂は絶対蔓延するだろうなぁ?風の噂も七十五日って言うけど、状況が変わるには十分。結果、『軍艦処-赤司』の暖簾は落ち、お前はたった一人で空っぽの店に取り残される……ガハハ!随分と笑える『結果』じゃねぇか、おい?それがお前の望んだ究極の寿司の形か!?」
刺さるような皮肉混じりの高笑いが、凍りついた空間に木霊する。親父の肩が、微かに震えているのが見えた。威厳に満ちていたその背中は急激に小さく見え始め、地を這うような掠れた声で、破れかぶれの反論を絞り出そうと足掻く。
「……ッ、俺は……俺はただ……」
「お前は怖いだけ。自分が先代に拾ってもらったように、息子と向き合って、もし息子が自分の期待に応えられなかったら、自分が傷つくのが怖いんだ。だから結果だなんだと予防線を張って、傷つく前に切り捨てようとしてる……女々しいのはどっちだ、厳造!!」
決定的な一撃だった。
「…………ッ!!」
親父はまるで物理的な衝撃を受けたかのように言葉を詰まらせ、その場の空気を全て吸い込むかのように息を呑んだ。長年、職人としての厳格さという仮面の下に覆い隠していた己の情けなさ、弱さ、そして恐れ。それらを旧友の眼光によって白日の下に晒され、完膚なきまでに叩きのめされていた。
「過程を切り捨てるってことはな、お前自身が過程に救われた過去まで全否定するってことだ。あの世の先代や京香に胸張って顔向けできんのか?」
逃げ場を失い、完全に硬直した親父の胸ぐらを掴むかのように、スミスの容赦のない言葉が突き刺さる。先代という、親父にとっての絶対的な原点。
自己矛盾だった。
その問いに対する答えなど、最初から持ち合わせているはずがなかった。親父の顔から血の気が引き、かつてないほどの狼狽がその表情を支配する。しかし、スミスはそこで追及の手を止めることはしない。やると決めたらトコトンやる、それが彼の流儀だからだ。
「しかも、寿は偉いじゃねぇか。お前の言い分を聞くに、寿はお前と違って板前修業に全然反抗的じゃねぇんだろ?」
スミスの声色が、先ほどの刺すような怒気から、どこか呆れと慈愛の混じったものへと変化する。俺が板前としての修業を疎かにしたことは一度たりとももない。親父自身が一番よく知っているはずのその事実を他人の口から突きつけられ、親父の唇が微かに震えた。
「偉いじゃねぇか、誇らしいじゃねぇか。中1なのに合間を縫ってまでデュエルに励む情熱と、跡取りという重圧から目を背ける情熱に賭けて大学まで逃げ切ったお前」
伝統を守るという絶対的な重圧から逃げ出し、大学というモラトリアムへと行き場を求め、避難した若き日の厳造。それに対し、修行を怠らず、そして誰にも頼らずに己の足でWDCを駆け抜いた中学生の息子。どちらが本当に困難な道を選び、それに立ち向かっているのかは、火を見るよりも明らかだった。
「重ねて見ろ、どうだ?随分昔のお前とは違うように見えねぇか?お前よか大層堂々としてねぇか……寿はよ?」
とどめを刺すように優しく落とされたその一言が、親父の張り詰めていた心の糸を、とうとう完全に断ち切った。これまで周囲を威圧し続けてきた鋼のような両肩から、不自然なほどの力みがスッと抜け落ちる。固く結ばれていた拳は力なく解け、まるで憑き物が落ちたかのように、その横顔からは冷酷なまでの厳しさが消え去っていた。
「………」
空間を支配する、長く重い静寂。何万人という観衆がデュエルの始まりを待ちわびて熱狂の渦を巻いているというのに、ここだけが世界から切り離されたように静まり返っている。親父はゆっくりと目を閉じ、胸の内に溜め込んでいた澱をすべて吐き出すように、深く、大きなため息をついた。
「……ああ、分かっているさ。今の寿は昔の俺よりも遥かに立派だ、一人でも寿司を握るのだって任せられる」
ゆっくりと目を開き、白旗を揚げるように零れ落ちたその呟き。それは、頑固親父の殻が砕け散り、息子である俺の歩んできた『過程』と、その先にある確かな実力を、彼が初めて真っ向から認めた瞬間だった。
「あぁ?だったら、何で寿を認めねぇ?」
実力を十分に認めているというのなら、なぜ息子を激しく拒絶し、勘当などという極端な暴挙に出ようとしたのか。スミスの率直で逃げ場のない問いかけに対し、親父は口元を引き結び、何か痛みを伴う異物を噛み殺すかのように深く目を伏せた。
「……やはり、か」
分厚い唇から微かに漏れ出たのは、これまで彼が頑なに守り続けてきた鉄の意志が、内側からひび割れ、音を立てて崩れ落ちていくような響きだった。絶対に己を曲げることのなかった厳格な職人の肩から、不自然なほどの力みが抜け落ちていく。
「お前の言っていることは正しい。やはり、ただの俺の高望みだったのかもしれないな」
絞り出すような自嘲の響き。そこにいつもの冷徹な響きは微塵もなかった。スミスが怪訝な顔をして無言で先を促す中、親父はゆっくりと重い瞼を上げ、目下に広がるスタジアムの中央へと視線を向けた。その眼差しは、熱狂に包まれる目の前の現実を捉えているのではなく、ずっと遠い過去の、決して手の届かなかった亡霊を見つめているかのように虚ろで、どこかひどく寂しげだった。
「……寿が負けた奴の、デュエルの相手。名前を、九十九遊馬と言う」
「気になっちゃいたんだが、九十九?……まさか!」
その名を聞いた瞬間、スミスの顔色が見る間に変わった。普段の飄々とした態度は完全に吹き飛び、驚愕に目を見開いて親父の横顔を凝視する。その反応だけで、その名前が彼らにとってどれほどの重量を持っているのかが痛いほどに伝わってきた。
「一馬の息子だ」
「……テメェまさか、一馬に!」
九十九一馬。それは、彼らの最後の青春時代に強烈な足跡を残し、今なお親父の胸の奥底に消えない影を落とし続けている、型破りで巨大な男の名前なのだろう。何か因縁めいた過去、あるいは取り返しのつかない確執を察したスミスが反射的に声を荒らげるが、親父は力なく首を横に振り、その言葉を静かに遮った。
「いや、俺は何も言われてない……ただ、寿とデュエルして、勝ってみせたあいつの倅が、あいつに重なって見えて、あまりにも眩しく見えただけ、それだけなのかもしれない」
ぽつりと零れ落ちたその本音には、分厚い胸の奥底で長年発酵していた泥臭い葛藤が、隠しようもなく混じり込んでいた。親父の視線の先、メインスクリーンに映し出されたフィールドには、これから始まる途方もない激闘に向けて歩みを進める遊馬の姿がある。
「がむしゃらな熱量は健在のようだ。一馬の血を引く男が、デュエルで真っ直ぐに輝き、結果を出しているのを見て……俺は、嫉妬していたのかもしれない。かつて一馬という男に遠く及ばなかった俺の無力さを、寿に重ねて、勝手に絶望していただけだ」
職人としての絶対的な威厳という、彼を守っていた強固な仮面が完全に剥がれ落ちた。その背中は、俺がこれまで見上げてきたどんな時よりも、ひどく小さく、脆く見えた。そこにあったのは、過去の劣等感に囚われ、自分より眩しい存在から逃げ続けてきた不器用で情けない、一人の父親の姿だった。
「……親父」
九十九遊馬。一馬の、息子。かつて彼の領域に及ばなかった自らの劣等感を、彼の息子と自分の息子という新世代の存在で払拭しようとしていた。だから、あれだけ、親父は遊馬のことを気にかけていたのか。俺はその思考に至るとストン、と納得できた。そしてそれが同時に、どうしようもなくやり場の無い感情のように感じられてしまった。それは、理不尽だと思いつつ、深く同情してしまう自分が確かにいたからだ。
「……なーんだよ、結局そこかよ」
しかしスミスは張り詰めていた気を一気に緩めるように、呆れたように長く息を吐き出し、ガシガシと乱暴に自分の頭を掻いた。巨大なメインスクリーンからは、WDCの決戦を待ちわびる観衆の地鳴りのような歓声と、華々しいファンファーレが響き渡っている。
「どこまでも面倒くせぇ親父だな、お前は。自分の過去の敗北感を息子の背中に押し付けて、勝手に幻滅して勘当だぁ? 笑わせんな」
厳しい声音でありながらも、そこにはこれまでのような容赦のない敵意はなかった。代わりに滲み出ていたのは、どうしようもない弱さを抱えた旧友を慮るような、乱暴で不器用な優しさだ。
「一馬だってな、自分の息子にそんな重荷を背負わせるような真似、ちっとも喜ばねぇはずだぜ?大体、お前と一馬は違うし、寿とその九十九遊馬も違う人間だろうがよ」
冷え切り、ひどく淀んでいた空気を、その風が少しずつ外の世界へと攫っていく。
「シャドーボクシングはここまでにしろ。いつまで過去の幻影と戦ってんだ、厳造」
親父は静かに目を伏せ、やがて長年憑き纏っていた悪霊が落ちたかのように、ひときわ深く、短く息を吐いた。
「……お前の言う通りだ、スミス。俺は……本当に、どうしようもない馬鹿野郎だな」
そう自嘲気味に呟いてゆっくりと顔を上げた親父の視線が、今度は逃げ場のない、まっすぐな強さで俺を捉えた。
「……寿」
地を這うような低い声。だが、先ほどまでの刺々しい拒絶の色はすっかり消え失せ、代わりに確かな熱を帯びた、掠れた響きだった。
「俺は、己のちっぽけな意地と過去の亡霊に目を奪われ、職人としての矜持すら忘れて、お前に理不尽をぶつけた」
親父はそこで一度言葉を切ると、深く息を吸い込んだ。
「結果が全てだと嘯きながら、一番結果から逃げていたのは俺の方だったのだな」
転生してからずっと見続けてきたあの頑固な男が、一切の言い訳を排して真っ向から俺の目を見据えて口にしたその言葉は、確かな重みを持って、俺の胸に響いた。
「……俺の、負けだ。勘当云々は全て撤回する……すまなかった」
静かな、けれど痛切で決定的な謝罪。観客たちの咆哮が抜けるような青空へ吸い込まれていく中、これまでずっと俺の全身を縛り付け、息をすることすら苦しくさせていた鉛のような重圧が、ゆっくりと、確実に溶けて消えていくのが分かった。
「……親父」
喉の奥につっかえていた硬い塊が取れたように、俺の口から自然と言葉が溢れ出る。
「俺も、言い訳ばかりで親父とちゃんと向き合ってなかった。重圧から逃げてたのは俺も同じだ。だから……もう、いいよ」
俺が短くそう返す。瞬間、何かが終わって、何かが始まりを告げた気配がした。
####
そうした後、隣で極度の緊張状態のまま硬直していたアンナが、ついに張り詰めていた限界を迎えたように、へなへなとその場にしゃがみ込んだ。
「あ、あぁぁ……よかったぁ……ほんっとうに、死ぬかと思ったぁ……!」
膝を抱えてへたり込み、涙目で大きく安堵の息を吐き出すアンナの情けない姿に、重苦しい空気が一気に弛緩し、霧散していく。
「嬢ちゃん、よくあの堅物に噛み付いたな!大した度胸だぜ!」
スミスが豪快な笑い声を上げてアンナの肩を叩き、その健闘を労う。親父は小さく鼻を鳴らすと、立ち上がったまま前方の空いていた席に移ろうとする。
「看板を渡すには、まだお前にはほど遠い……だが」
呟きながら振り向き、俺に向けられたその横顔は、いつもの頑固で厳しい職人のそれに戻っていた。だが、先ほどまでそこにあった絶対的な冷気と、他者を一切寄せ付けない城壁は感じられなくなっていた。
「今日のところは理解してやる。今日はお前がWDCで何を為したのか。そしてこれからそれにより何が為されるのか……勘違いするな、俺はそれを見定めるために見てやる。決して九十九の倅のためじゃない」
親父は静かに腕を組み、熱気渦巻くスタジアムのメインステージへと視線を向けた。その言葉に、俺は力強く頷き、同じように巨大なモニターへと顔を上げる。そこに映し出されているのは、主人公にして、かつて親父が劣等感を抱いた男の息子であり、俺の大切な友人であり、最高のライバルだ。
「お前は弟子と見ていろ、俺はスミスと見る。行くぞ」
「はいはい、どこまでも不器用な奴だ」
親父はスミスを強引にこちらに来るよう引き込み、スミスはやれやれと言いつつも親父に従い、二人で前方の席へと歩みを進めて行った。
「ああ……見ててくれ親父」
俺はその背中を見送りながら、どこへともなく呟いた。スタジアム全体が、今にも爆発しそうなほどの熱狂に包まれている。今、俺の胸の中には澄み切った熱だけが残っていた。
「九十九遊馬の、あいつにしか出来ない……かっとビングって奴をよ」
ZEXALは親子愛が様々な形で深くストーリーに関わる作品。
オリ主であってもそれは私にとって決して無視できないモノでした。当然厳造に対する厳しい意見もあると思いますが、これも一つの形ということでどうかご理解ください。