軍貫使いはZEXALで寿司を握る 作:Dの軍貫 シンキハヨ・チョーダイナ
それでは、シャークvs遊馬戦スタートです。どうぞ。
スタジアムの喧騒が遠のき、張り詰めた空気だけがフィールドを支配する。Dゲイザー越しに見える景色は、青空を背にして自分の最高のライバルの一人である、神代凌牙が虚ろに立つ姿。遊馬の知る彼の、全てを嚙み砕くような意志が感じられない姿に、遊馬の背筋には異様な冷たさが走る。
「「デュエル!!」」
システム音声が無機質に響き渡り、両者のライフポイントが空中に点灯する。スタジアムが揺れ、デュエルへの期待が最高潮に高まろうとしていたが、反して遊馬は目の前の凌牙の姿に、不安しか感じられなかった。
凌牙 LP 4000 / 遊馬 LP 4000
「おい、しっかりしろシャーク!」
遊馬はまず、フィールドの向こう側に向かって声を張り上げた。どう見ても今の凌牙は虚ろな目しかしていない。もしや、前日の激闘の疲れが取れていないのでは無いか。
「シャーク、おい、シャーク!!」
そんな懸念から遊馬は叫ぶが、しかしその声は虚空に吸い込まれるだけで、相手は何の反応も示さない。
「……」
凌牙は、まるで糸の切れた操り人形のように力なく突っ立っていた。いつもなら鋭く光るはずの瞳は濁りきり、焦点を結ばないまま虚空を彷徨っている。
「返事を、しろっ、シャークッ!!」
苛立ちと不安が入り混じった遊馬の叫びがフィールドにこだまする。頼むからいつものように舌打ちをして、いつものように俺を鋭い目で睨みつけてくれ。こんなシャーク、シャークじゃねぇ……そんな切実な願いを込めて睨みつけるが、状況は変わらない。
「……」
微かな風が凌牙の髪を揺らすが、彼自身の筋肉はピクリとも動かない。まるでそこに心が存在していないかのような、異様すぎる静寂だった。
「どうしちまったって言うんだよ……?」
遊馬の声が震え、弱々しくかすれる。虚空に疑問を問いかけても、答えてくれる相棒が隣にいない今、この得体の知れない事態に一人で立ち向かわなければならない孤独感が、遊馬の足をすくませようとしていた。だが、次の瞬間。
『愚問だな、九十九遊馬』
突然、スタジアムのスピーカーからでも、ARシステムの音声でもない声が直接遊馬の脳内に響き渡った。
「えっ!?どっから声が!?」
それは、決してアストラルのような冷静な声では無く、それよりも、重々しく威厳のある、老人のような声だった。突然の声に遊馬はビクッと肩を震わせ、周囲をキョロキョロと見回す。声は、明らかにアストラルでは無い。しかし、虚空から聞こえる声など彼以外に今の遊馬には思いつかない。誰もいないはずの空間から聞こえた声に、自然と一瞬だけ、胸の奥で小さな希望が弾けた。
「アストラル!?アストラルなのか!?」
相棒の名前を叫びながら、遊馬は縋るような目で宙を見つめる。あの青く透き通った姿が、いつものように自分の隣に浮かび上がってくるのを必死に探した。
『残念だが違う。良く見ろ、お主の左後ろだ』
淡々とした声が、遊馬の淡い期待をあっさりと打ち砕く。言われるがままに左斜め後ろへと視線を向けると、そこだけ空間が歪み、蜃気楼のように何かのシルエットが浮かび上がっていた。
「えっ……?あっ、お前、寿の!」
そこにいたのは、奇妙な形状の杖を持つ、灰色の肌をした魔人だった。遊馬は息を呑み、目を丸くする。見覚えのある姿に、遊馬は瞬時に思い出した。彼は、確か寿の店に入り込んで寿を支配しようとしたけど、逆にあいつの料理の腕にやられたナンバーズ。アストラルで無いことに一瞬落胆すると同時に深くは知らないが、全く見知らぬ奴が現れるよりかはよほどマシだとその姿に遊馬は一抹の安心を抱いた。
『その通り、我は《No.60 刻不知のデュガレス》。主の要請に応え、お主に助け船を渡しにやってきた一介のナンバーズよ』
デュガレスは腕を組み、見下ろすように遊馬を見据える。安心したとは言え、だからと言ってこの事態を納得できるかは別だ。他人のナンバーズが、自分の元に何の前触れもなく現れたというあり得ない光景に、遊馬の頭は混乱する。
「なんでお前がこんなところに?って、あっ!」
パニックになりかけた遊馬の脳裏に、デュエル前のちょっとした出来事が閃く。彼は思い出したかのように、自分のジャケット裏にある胸ポケットから両面スリーブに隠されたカードを手元に取り出した。
『そうだ、あの娘から託されたカードがあるだろう』
デュガレスの言葉に従い恐る恐る、こっそりスリーブの開け口を指で開き、ゆっくり、ゆっくりと慎重に取り出す。
「ま、まさかそれに……」
唾を飲み込みながら、遊馬はそのカードの表面を確認する。──《No.60 刻不知のデュガレス》。スタジアムの光を反射するそのカードには、紛れもなく目の前の悪魔の姿が描かれていた。
「どわあぁっ!な、なんでお前がここに!?」
遊馬は思わずカードを取り落としそうになり、慌てて両手で掴み直す。本来なら持ち主の寿の元にあるはずのナンバーズが、何故ここにあるのか、全く理解が追いつかない。
『話は後だ。今はデュエル中、待たせているあの虚ろな鮫を正気に戻したいのだろう?』
呆然とする遊馬を、デュガレスの鋭い一言が引き戻す。フィールドの向こう側では、凌牙が相変わらずピクリとも動かず、ただ虚ろな目で宙を見つめ続けていた。
「……ああ」
『このデュエル、ただの単なるデュエルでは無い。大人が陰謀を張り巡らして作られた、舞台装置の一部よ』
遊馬はデュガレスのカードをスリーブに入れ直し、胸ポケットに戻す。デュガレスの声は低く、しかし確かな怒りを孕んでいた。WDCの決勝トーナメントの裏で蠢く、見えない悪意の存在を明確に指摘する。
『今のお主はアストラルが隣にいない。しかし、奴が正気で無いままデュエルするのはお主の望みでなかろう?』
相棒を失い、さらに目の前で親友が心を壊されている。遊馬の抱える痛みを正確に見透かしたかのようなデュガレスの言葉が、遊馬の胸に重く突き刺さる。
「……つまり、どういうことだよ?」
遊馬は拳を固く握り締め、デュガレスを睨み返す。自分が今、誰と、何と戦わされているのか。その正体をハッキリと知る必要があった。
『抗え。奴をデュエルを通して揺さぶれ。奴を、トロンの呪縛から解き放て』
「トロンの、呪縛……まさか!」
その言葉を聞いた瞬間、遊馬の全身に悪寒が走る。記憶の欠落、虚ろな目、力無い足。そのすべての症状が、昨日自分が間近で見たある人物の姿と完全に重なった。
『そうだ、そのまさかだ。我が助けとなろう。珍しい主からの仕事なのだ、我も失敗するわけにはいかぬ……頼んだぞ?』
デュガレスの姿がスッと薄れ、遊馬の背後の空間に溶け込むように消えていく。姿は見えなくなっても、その重厚な気配は確かに遊馬を後押ししていた。
「ああ。分かったぜ、デュガレス……」
遊馬は誰もいない空間に向かって小さく呟く。寿からの見えないエールと、託された強大な力。それらが遊馬の心に燃えるような熱をもたらした。
「……トロンッ……ドロワの時と同じことをやったっつうこと……よくもっ!俺のターン、ドローッ!!」
怒りに任せて、遊馬は右腕を大きく振り抜いた。風を切る音と共にデッキからカードを引き抜き、その勢いのまま戦いの火蓋を切って落とす。
「俺はモンスターをセットし、カードを1枚伏せてターンエンド!」
得体の知れない状態の相手に無防備に突っ込むのは危険だと判断し、遊馬はカードをディスクに叩きつける。
「さぁ、かかってこいシャーク!」
遊馬は両手を広げ、あえて大きく挑発するような声を上げる。どんな形でもいい、少しでも感情を見せてくれと祈るような思いだった。
「……俺のターン、ドロー……」
しかし、返ってきたのは絶望的なまでに平坦な声だった。凌牙は機械のように滑らかな、だが一切の熱を帯びていない動作でデッキに手を伸ばす。
「俺は、《スピアー・シャーク》を召喚」
カードの内容を確認する素振りすら見せず、凌牙はモンスターを召喚した。フィールドの空間が波打ち、鼻先が鋭い槍のようになった鮫のモンスターが姿を現す。
「まるで聞こえてねぇ……つうか……今のシャークが、まともにデュエルできんのか?」
遊馬は思わず後ずさる。自分の声にも、自ら召喚したモンスターにも全く反応を示さない。ただプログラムされた手順をこなしているだけに見えるその姿に、底知れぬ不気味さを感じていた。
「……バトル」
感情の欠片もない低い呟き。凌牙は指を差すことも、声を張り上げることもなく、ただ淡々とフェイズの移行を宣言した。
「……マジかよっ」
遊馬の額に冷や汗が伝う。相手のセットカードに対する警戒も、コンボの準備も一切なく、初手から単騎で特攻してくる。普段の計算高い凌牙のデュエルからは、絶対にあり得ないプレイングだった。
「《スピアー・シャーク》で裏守備モンスターに攻撃」
一切の抑揚を削ぎ落とした、ただの作業報告のような声。凌牙は腕を微かに前に突き出し、それ以上の動作を何一つ見せずに攻撃を宣言した。鋭利な槍を模した鮫のモンスターが、遊馬の伏せカードに向かって一直線に突進していく。
《スピアー・シャーク》ATK 1600 vs 《ドドドポット》DEF 1900
激しい衝突音と共にホログラムの煙が舞い上がる。遊馬の伏せモンスターであった《ドドドポット》が現れ、握りしめる強固な盾で《スピアー・シャーク》の突撃を見事に弾き返した。
「シャークっ!」
反射ダメージによる衝撃が凌牙を襲う。
凌牙 LP 4000 → 3700
弾き返された突撃の余波が、凌牙の身体を容赦なく打ち据える。後ろに勢いよく薙ぎ倒される凌牙。しかし、次に立ち上がった彼の表情には痛みを堪えるような苦悶の色すら浮かばなかった。
「カードを1枚伏せ、ターンエンド……」
彼は苦痛の声を上げることも無く、ただ削られたライフポイントの数値をも無視するかのように、凌牙は機械的な手つきでディスクにカードを滑り込ませた。その瞳には、悔しさの欠片も宿っていない。
『まさか、ここまでとは……これは重症だな』
遊馬の脳内に響くデュガレスの声には、明確な驚きと呆れが混じっていた。寿のデュエルをエクストラデッキから見続けていたナンバーズから見ても、目の前の少年の精神状態はあまりにも異様だった。
「ああ。シャークが何も警戒しないで攻撃なんて、明らかに変だ」
遊馬はギリッと奥歯を噛み締める。本来の神代凌牙であれば、相手の伏せカードに対する警戒を怠らず、緻密な計算と苛烈な攻めを両立させる完璧なデュエリストのはずだ。こんな自暴自棄にも等しい、まるで初心者のようなプレイングをするはずがない。
『恐らく、思考力を極限まで削ぎ落されていると見た。単調すぎるデュエルはそのため。九十九遊馬、早く目を覚ましてやれ』
トロンは凌牙から思考や理性を奪い、ただの空っぽの器に作り変えてしまったのだと判断したデュガレスの冷静な分析が、遊馬の背中を強く叩く。
「上等だぜ!俺のターン、ドロー……俺は《ゴゴゴゴーレム》を召喚!さらに、守備表示の《ドドドポット》を攻撃表示に変更だ!」
遊馬は力の限りカードを引き抜き、盤面に叩きつけた。重厚な岩の身体を持つゴーレムが地響きと共に現れ、重戦士も臨戦態勢へと移行する。守っていても仕方ない、無理やりにでも起こすなら、引っ張叩くしかない。正気ではない凌牙を攻撃するのは気が引けるが、遊馬は腹を括る。
「行くぜ!《ゴゴゴゴーレム》で、《スピアー・シャーク》を攻撃!」
《ゴゴゴゴーレム》ATK 1800 vs 《スピアー・シャーク》ATK 1600
突撃した重い拳が鮫の頭部を正確に捉え、粉々に打ち砕く。ARビジョンの破片が散らばると同時に、強烈な爆風が凌牙の立ち位置へと殺到した。
凌牙 LP 3700 → 3500
爆風を受け、後ろに吹っ飛ぶ凌牙。地面に背中を打ち付け、彼は鈍い音を立てて転がった。しかし、すぐに糸で操られたかのような不自然な動作で、ゆっくりと上半身を起こす。立ち上がるが、その目は依然として虚ろなままだ。焦点の合わない瞳は、遊馬のことすら認識しているのか怪しい状態だった。
「ダメか……まだ正気に戻らねぇ」
遊馬は悔しさに唇を噛む。肉体的な衝撃を与えれば、あるいは痛みが洗脳を破る鍵になるかもしれないという淡い期待は、あっさりと打ち砕かれた。
『それだけトロンの呪縛が強いということだ。迷う必要は無い』
躊躇いを見せた遊馬の心を、デュガレスの冷徹な声が再び奮い立たせる。ここで手加減をしてしまえば、それこそトロンの思う壺だ。倒すべきは目の前の凌牙ではなく、彼を縛る見えない鎖なのだ。
「ああ!それなら、《ドドドポット》で直接攻撃!」
遊馬は己の中に生まれた一瞬の迷いを振り払い、真っ直ぐに凌牙を指差した。重戦士が剣を掲げ、無防備な凌牙の身体へ向かって放たれた電撃が一直線に突進していく。
《ドドドポット》ATK 1800
強烈な電撃が、凌牙にモロにクリーンヒットする。凄まじい衝撃音がスタジアムに響き渡り、凌牙の身体はくの字に折れ曲がった。
「ぐぁぁああ、あ、ああ、あああ……っ」
苦痛に満ちた叫び声が、ついに凌牙の喉から絞り出された。彼の身体は激しく吹き飛び、今度こそ地面を何度も転がって仰向けのまま動かなくなる。
凌牙 LP 3500 → 1700
あっけない、あっけなさすぎる直接攻撃だった。そこに、遊馬が求めていた熱い魂のぶつかり合いなど微塵も存在しない。舞い上がった土煙の向こうで、凌牙は微かに痙攣しているように見えた。
「立てよ、シャーク!いつものように俺に向かってこい!!」
こんなデュエルをしに、自分はシャークと戦いに来たのでは無い。その一心で喉が裂けんばかりの大声で叫んだ。どんなに俺を痛めつけてもいいから、あの鋭い眼光で自分を睨み返してほしい。その一心だった。
「……」
土煙が晴れていく中、凌牙は俯伏せのままピクリとも動かない。横たわる体からは何の感情も、何の意志も感じ取れなかった。
「何やってんだ、早く立てよシャーク!お前、いつだって相手に嚙みつきそうな勢いで向かってきただろうが、だからシャークはシャークなんだろ!!」
遊馬の叫びには、もはや悲痛な響きが混じっていた。どんな絶望的な状況でも絶対に諦めず、牙を剥いて噛みついてくるのが、遊馬の知る神代凌牙という男の真の強さのはずだ。
「戦うことを諦めたシャークなんてシャークじゃねぇ!」
怒り、悲しみ、焦燥。全ての感情を乗せた遊馬の叫びが、フィールドに虚しくこだまする。どうかこの声が、あの心の奥底まで届いてくれと祈るしかなかった。
「……」
「ダメかっ……絶対正気に戻してやる、カードを1枚伏せて、俺はターンエンド!」
倒れたまま動かない凌牙の姿に、遊馬は血の滲むような思いで唇を噛んだ。決して諦めないという意志を示すように、デュエルディスクにカードを一枚力強く叩きつける。巨大な伏せカードが出現し、遊馬のフィールドを守るように鎮座した。
「さぁ、お前のターンだ!立て、立つんだ、シャーク!!」
遊馬の声が悲痛な響きを帯びてスタジアムにこだまする。どんなに傷ついても、どんなに絶望的な状況でも、這い上がって闘志を燃やしてきたのが自分の知る神代凌牙だ。頼むからいつものように自分を睨みつけてくれと、遊馬は祈るように叫び続けた。
「あぐっ、あ、あ、あああ!!」
不意に、うつ伏せになっていた凌牙の身体がビクンと大きく跳ねた。彼は両手で自らの頭を乱暴に抱え込み、獣のように低く、苦痛に満ちた呻き声を漏らし始めた。
「シャーク!?」
『……自力で抜け出そうとしている?いや、これは』
####
(遊、馬……そうだ、俺はデュエルをするためにこの場所に……)
光の届かない、どろどろとした深い闇の底。凌牙の意識は、底なし沼に沈んでいくようなおぼつかない感覚の中で漂っていた。遊馬の叫び声が、水面の上から聞こえるように遠く反響している。
(だが、何故戦う。俺は、何のために戦っているんだ)
自分がデュエルの舞台に立っていることは分かる。しかし、その核心的な理由がぽっかりと抜け落ちていた。心の一番大事な部分に分厚い霧がかかり、いくら手を伸ばしても掴むことができない。
(何故、何のためなんだ!)
焦燥感が凌牙の精神を蝕んでいく。戦わなければならない強烈な衝動だけがあるのに、その矛先が分からない。暗闇の中でもがく彼の耳に、唐突に、無邪気で残酷な声が響いた。
──忘れちゃったのかい?
「……トロン」
声のした方を振り向くと、そこには半面に不気味な仮面をつけた少年の姿が浮かび上がっていた。トロンはまるで迷子を見つけた子供のように、無邪気な笑みを浮かべて暗闇の中をふわりと漂っている。
『良かったぁ、ボクのことは覚えていてくれたみたいだね』
『どうやら中途半端に自我が残っていたみたいだ……でも大丈夫。ボクの言うことを聞けば、迷うこと無くデュエルできる!』
トロンの声は甘く、しかし抗いがたい呪縛となって凌牙の鼓膜を撫でる。その言葉が響くたびに、凌牙の心に立ち込めていた霧が、さらに濃く、不気味な紫色へと染まっていった。
『良いかい?よーく、よーく聞くんだよ……』
トロンがゆっくりと顔を近づけてくる。仮面の奥で妖しく光る瞳が、凌牙の精神の奥底を覗き込み、彼の自我の隙間へと滑り込もうとしていた。
『君は何故戦うのか。それはね……ボクのためさ』
「!?」
その言葉を聞いた瞬間、凌牙の中に残っていた誇りが微かに反発した。誰かの言いなりになって戦うなど、孤高の鮫である彼にとって最も受け入れ難い屈辱のはずだ。
『驚いた表情だね、それも当然。君は忘れているんだから、当然だよ』
「お前の、ため……だったら俺は、何故」
トロンの紡ぐ矛盾した言葉に、凌牙の思考は激しく軋み始める。拒絶しようとする心と、強引に植え付けられる偽りの認識が衝突し、精神世界に亀裂のような痛みが走った。
『そう、君はボクのために戦うんだ……ボクの人形としてね』
『そして倒すべき相手は』
トロンが腕を掲げると、凌牙に向けて紫色の禍々しい紋章を放つ。
「俺が、倒すべき……相手……」
放たれた紋章は一直線に凌牙の胸元へと突き刺さり、ジュワッと肉を焦がすような幻聴と共に彼の心臓へと焼き付いた。
「ぐ、ググっ!!あ、頭がッ……グッ!!」
凌牙は崩れ落ち、頭を抱えて悶え苦しむ。焼き印を押されるような激痛と共に、彼の脳内にあった本来の記憶がズタズタに引き裂かれ、トロンの都合の良いようにパズルのピースが組み替えられていく。
『しょうがないなぁ、まだ思い出せないか。昨日教えてあげたのにね……分かったよ、復習の時間だ』
『もう一度教えてあげる』
『君が倒すべき、相手は』
苦しむ凌牙の前に、トロンは一枚の映像を映し出した。それは、病室のベッドで眠り続ける、世界で一番大切な存在。妹、璃緒を傷つけた、人物は。
「Ⅳ?」
凌牙の口から、最も憎むべき男の名前が自然とこぼれ落ちる。それは彼がずっと抱き続けてきた、紛れもない真実の復讐の対象だった。しかし。
明滅とともに移り変わる。
「トロン!?俺が倒すべき相手は──」
病室の映像がノイズまみれになり、Ⅳの顔がトロンの仮面へとすり替わる。かつて自分からすべてを奪った元凶。その真実へとたどり着きかけた凌牙の思考を、紫色の紋章が容赦なく塗りつぶした。
再び、映り変わる。
『──Dr.フェイカーさ』
「Dr.フェイカー。フェイ、カー……その名前、どこかで聞いたような……」
トロンが囁いたその名前が、パズルの最後のピースのように凌牙の脳内にカチリとはまり込む。本来なら直接的な恨みを持たないはずのその名前が、トロンの力によって絶対悪として改竄されていく。
『そりゃそうだ。君がこの名前を耳にしたことがあるのは当然だ……』
『だって、君はずうっと奴を追いかけてきたじゃないか。忘れたのかい?』
トロンの声が響くたび、存在しないはずの記憶が次々と捏造されていく。フェイカーの陰謀によって璃緒が傷つけられ、自分がその影を血眼になって追い続けてきたという、虚構と欺瞞に満ちた過去が作り上げられていく。
『自分の妹を傷つけたDr.フェイカーに、復讐するんだと』
『思い出すんだ』
『心に深く、深く誓ったあの時の記憶を!』
凌牙の脳裏に、怒りに震えながら復讐を誓う自分自身の偽りの姿が鮮明に浮かび上がる。愛が深いほど、その思いは簡単に真っ黒な憎悪へと反転させられてしまう。
「復讐……復讐、復讐ッ……!!」
凌牙の瞳から、最後の一筋の理性的な光が完全に失われた。残ったのは、トロンに与えられた標的をただ喰い殺すためだけの、濁りきったドス黒い殺意だけだった。
『自分の大事な妹を、傷つけた。だから俺は絶対に許さない、だから復讐するんだ……!!』
「俺は、妹を傷つけた奴を、許さない……それが、Dr.フェイカー!!」
洗脳が完了したことを告げるように、凌牙の世界を覆っていた闇が完全に紫色の光に支配される。彼は自ら進んでトロンの操り糸を首に巻きつけ、従順な復讐の獣へと成り果てた。
『そうだ、それともう一人居たよね』
「もう、一人?」
凌牙は感情の抜け落ちた声でオウム返しにする。新たな標的を求める狂犬のように、トロンの次の言葉を待ち望んでいた。
『君の復讐を邪魔しようとする、目障りな奴がもう一人』
──フフフ、ハハハ、アーハッハッハ!!!
突然、暗闇の中にひどく歪んだ笑い声が響き渡った。それは遊馬の声だったが、いつも彼が見せる明るい笑顔とは程遠い、他人を嘲笑うような悪意に満ちたものに改竄されていた。
「九十九、遊馬ァ……!」
凌牙の視界に、フェイカーと並んで邪悪に微笑む遊馬の幻影が映し出される。その瞬間、彼の中にあった遊馬との絆や熱いデュエルの記憶はすべて、復讐を阻む目障りな障害物へとすり替えられた。
『そうだ、ずっと君はあいつのことが邪魔だったよね?君のやることをいつも邪魔してくる彼を!!』
『そいつが今、目の前にいる……!』
トロンは歓喜に満ちた声で叫び、現実世界で凌牙を呼ぶ遊馬の姿を指差した。偽りの記憶と、目の前にいるという現実が見事にリンクし、凌牙の憎悪はついに頂点に達する。
『Dr.フェイカーと遊馬が手を組んで、君の妹を酷い目に遭わせた、片割れが、君の目の前にいる……さぁ復讐を今こそ、果たすんだ、凌牙!!』
####
「くっ……」
地面に突っ伏していた凌牙の肩が、ピクリと動いた。呻き声と共に、土煙の中からゆっくりと彼の身体が持ち上がる。その動きは先ほどまでの糸の切れた人形のような虚ろさとは違い、明確な意志と重苦しい憎悪を孕んでいた。
立ち上がる凌牙。俯いていた顔が上がり、遊馬を真っ直ぐに射抜く。その瞳から生気のない濁りは消え失せていたが、代わりに宿っていたのは、氷のように冷たく、どす黒い殺意の炎だった。
「シャーク!」
遊馬は喜色ばんで身を乗り出した。正気に戻ったのか。そう期待を込めて名を呼ぶが、直後に凌牙から放たれた異様な威圧感に、思わず息を呑んで立ち竦んでしまう。
「絶対に許さねぇ、遊馬ァ!!」
スタジアムの空気をビリビリと震わせるほどの、地の底から響くような咆哮。凌牙の顔は怒りに激しく歪み、遊馬をまるで親の仇でも見るかのような凄惨な形相で睨みつけていた。
「えっ!?」
遊馬は信じられないものを見るように目を見開く。自分に向けられた明確な敵意。かつてのデュエルでぶつけ合った熱い闘志とは違う、ただ相手を徹底的に破壊することだけを目的とした狂気がそこにあった。
『……最悪だ九十九遊馬。トロンの呪縛が完成してしまった』
遊馬の背後で、見えないデュガレスが苦々しく吐き捨てる。もはや目の前にいるのは、誇り高き鮫ではなく、以前までの復讐という鎖に縛られた殺戮鮫だ。
「なっ、マジかよ」
遊馬は愕然として呟く。デュガレスの言葉を裏付けるように、凌牙の全身からは紫色のオーラのようなものが立ち上り始め、周囲の空気までが冷たく淀んでいく。
「貴様の、貴様のせいで……!」
凌牙はギリッと歯を食いしばり、遊馬を指差して呪詛のように呟く。怒りで全身をわななかせながら、力強く握り締められた彼の右腕が前に突き出された。震える拳を見ると、そこには見覚えのある紋章が浮かんでいる。手の甲に、皮膚を内側から焼き焦がしたかのように浮かび上がる禍々しい紫色の紋章。それは間違いなく、トロンが対象に刻み込む悪意の烙印だった。
「あれは!」
遊馬は全身から血の気が引くのを感じた。あの時ドロワが、トロンに心を壊された時と同じ印。それが、今一番見たくなかったライバルの手に、残酷なほどくっきりと刻まれている。
『トロンの操る紋章。奴は今、復讐の標的をお主に定めて逃さない……トロンによる誤認とは言えど、一度喰らい尽くすことを決めた鮫は易々とは倒せぬぞ』
デュガレスの警告が、冷たく遊馬の脳裏に響く。怒りに身を任せただけの素人ならいざ知らず、神代凌牙というデュエリストが殺意を全開にして牙を剥いてくるのだ。そのプレッシャーは計り知れない。
「上等だっ……これくらいアストラルを取り戻すためなら、屁でもねぇよっ!さぁ、来いシャーク!!」
遊馬は湧き上がる恐怖を振り払うように両頬をバチンと叩き、力強く叫び返した。トロンがどんなに記憶を弄ろうとも、自分が凌牙の友であるという事実は変わらない。真っ向からその憎しみを受け止め、打ち砕くしかないのだ。
「奪ったお前が取り戻すなど語るなぁっ!俺のターン、ドローッ!!」
凌牙は遊馬の決意など歯牙にもかけず、怒りに任せてデッキトップのカードを激しく引き抜いた。そのドローは空気を切り裂き、鋭い風の刃となって遊馬の頬をかすめる。
「俺は、《ツーヘッド・シャーク》を召喚……さらに魔法カード、《アクア・ジェット》を発動!《ツーヘッド・シャーク》の攻撃力は1000上昇する!」
凌牙が先ほどまでの弱弱しい姿を払拭するかのように、デュエルディスクにカードを連続で叩きつける。双頭の凶悪な鮫が海面を割って姿を現すと同時に、魔法カードの効果で高圧の水流がその背中に推進器のように装着され、荒々しい咆哮を上げた。
《ツーヘッド・シャーク》ATK 1200 → 2200
「バトル!《ツーヘッド・シャーク》で、《ゴゴゴゴーレム》を攻撃!!」
《ツーヘッド・シャーク》ATK 2200 vs 《ゴゴゴゴーレム》ATK 1800
容赦のない凌牙の号令と共に、鮫が凄まじいスピードでゴーレムへと突進する。二つの巨大な顎が、獲物を噛み砕こうと大きく開かれた。
「罠発動、《攻撃の無敵化》!効果により、《ゴゴゴゴーレム》は戦闘破壊されない!」
遊馬は素早く罠カードをオープンする。強固なバリアがゴーレムの周囲に展開され、鮫の突撃を迎え撃つ準備を整えた。しかし、凌牙の表情には嘲りの笑みが浮かんでいた。
「甘いぜ!俺は速攻魔法、《シャーク・スパーク》を発動……このカードを墓地に送ることで、相手の罠を無効化できる!」
「何?!」
絶対の自信を持っていた防御を凌牙にあっさりと破られ、遊馬は驚愕に目を見張る。先ほどの虚ろなプレイングは一転鳴りを潜め、元の、いやそれ以上に容赦のない凌牙の戦術が牙を剥いていた。
「攻撃は続行!」
凌牙が腕を振り下ろす。鮫が岩の身体に食らいつき、そのまま激しく首を振って粉砕した。同時に発生した爆風が遊馬を強襲する。
遊馬 LP 4000 → 3600
「ぐっ!」
「まだ終わりじゃない!《ツーヘッド・シャーク》は二回攻撃できる、《ドドドポット》を攻撃!!」
凌牙の追撃の手は止まらない。獲物を粉砕したばかりの鮫がすぐさま反転し、今度は残されたもう一つの頭で重戦士へと襲い掛かる。
《ツーヘッド・シャーク》ATK 2200 vs 《ドドドポット》ATK 1800
「ぐあああぁっ!」
続けて重戦士が紙屑のように噛み砕かれ、強烈な爆風が遊馬を大きく吹き飛ばした。背中から地面に激突し、遊馬は苦痛の叫び声を上げる。
遊馬 LP 3600 → 3200
「まだだァッ!俺は速攻魔法、《デッド・スイープ》を発動!バトルでモンスターを破壊したとき、墓地にある水属性モンスターを攻撃力を1000下げて特殊召喚する!」
遊馬が立ち上がる暇すら与えず、凌牙はさらに畳み掛ける。デュエルディスクから死者を呼び覚ますような不気味な光が放たれ、そこからが鮫が浮上する。
「俺が呼び戻すのは、《スピア・シャーク》!」
《スピア・シャーク》ATK 1600 → 600
既に遊馬のフィールドは空っぽだ。
「そのまま直接攻撃ッ!妹を傷つけた恨み、晴らさせてもらうぜ、遊馬ぁぁぁ!!」
凌牙の顔が復讐の悦びに狂気じみて歪む。遊馬への憎悪を剥き出しにした絶叫と共に、鮫の鋭い鼻先が遊馬を目掛けて一直線に突き刺さった。
遊馬 LP 3200 → 2600
「ぐっ……本気のシャークはすげぇぜ!」
遊馬は吹き飛ばされた勢いのまま地面に膝をつく。だが寧ろライフを削られた痛みよりも、手加減を一切捨てた凌牙の圧倒的なプレッシャーが肌を刺す。虚ろだった先ほどまでの彼とはまるで違う、獲物を確実に仕留めようとする獰猛な鮫の威圧感だった。
『やはり……今の彼を突き動かしているのは、復讐心か。残念なことだ』
遊馬の背後で、見えないデュガレスが深いため息をつくように低く唸った。その声には、せっかく主である寿が軌道修正したはずの神代凌牙の心が、再び真っ暗な泥沼に引きずり込まれてしまったことへの哀惜が滲んでいた。
「えっ?それ以外にあんのかよ?」
遊馬は思わずデュガレスの言葉に眉をひそめた。シャークといえば、妹を傷つけられた怒りでⅣを追いかけていたはずだ。復讐心以外に彼を突き動かすものがあるのか、遊馬には見当もつかない。
『そう言えば、九十九遊馬。お前は見ていなかったのだな。良かろう、我から話す。デュエルを続行しろ、その間に語ろうではないか』
デュガレスは腕を組み、静かに語り始める態勢に入った。目前では殺意に満ちた凌牙が立ちはだかっているが、このデュエルを制するためには、彼の中で何が起きたのかを遊馬が正しく理解する必要がある。
「俺はこれでターンエンド!さぁ、かかってこい遊馬!!」
凌牙は遊馬を睨みつけたまま、復讐の完了を急かすように荒々しくターンエンドを宣言した。その顔には、かつて遊馬とのデュエルで見せていたような純粋な闘志はなく、ただ憎悪だけがドロドロと渦巻いている。
「分かった……俺のターン、ドローっ……で、何をだよ?」
遊馬は痛む身体に鞭打って立ち上がり、デッキからカードを引き抜いた。手札を確認しながらも、意識の半分は背後に立つデュガレスの言葉に向けられている。
『我が主、赤司寿はお主が今相対している神代凌牙に負けて敗退したことは把握しているな?』
「ああ」
遊馬は短く頷く。寿がどれほどの強さを持っていたかは、デュエルを交えて親交を深めた遊馬もよく知っている。その寿が凌牙に敗れたという事実は、当時の遊馬にとって半分は凌牙に対する感嘆であり、同時に寿に対する驚きだった。
『その前にも、トロンの傀儡であるⅣのデュエルでも彼は勝利を収めている……彼は復讐に支配された鮫だった。妹を傷つけた、Ⅳを倒すという目標が、彼の原動力だった』
デュガレスの声が、過去の凄惨なデュエルをありありと蘇らせる。Ⅳに対する凌牙の怒りは凄まじく、それは周囲の者すら恐怖させるほど深く暗いものだった。
「それは俺も知ってるぜ。あのⅣがシャークの妹を傷つけたんだろ、で、今復讐の標的が俺に代わっている。だからシャークはあんなドギツイ目で俺を睨んでんだろ?」
遊馬は凌牙の右手に浮かぶ紋章を横目で見ながら、悔しそうに唇を噛んだ。トロンの卑劣な洗脳によって、本来なら向くはずのない殺意が自分に向けられている。その理不尽さが腹立たしかった。
『全くその通り。理解が早くて助かるぞ。その道中、彼のナンバーズ《No.32 海咬龍シャーク・ドレイク》はⅣへの復讐心を糧として、カオス化を果たした』
「えっ!?シャークのナンバーズが、カオスナンバーズになったってことか!?」
遊馬は思わず素っ頓狂な声を上げ、目を見開いた。自分の《No.39 希望皇ホープ》が《CNo.39 希望皇ホープレイ》へと進化したのと同じ現象が、知らぬうちに凌牙の身にも起きていたという事実に衝撃を受ける。
『お前のナンバーズは勝利心であったように。シャーク・ドレイクはⅣとのデュエルを通し、カオスナンバーズへと昇華した……トロンの唆しもあって、だが』
デュガレスは忌々しそうに付け加えた。遊馬のカオス化が絆と勝利への渇望から生まれた光だとするなら、凌牙のカオス化は憎悪と復讐という名の底なしの闇から引きずり出された力だった。
「トロンが、唆した……あいつ、それだけ妹のことを……」
遊馬はポツリと呟く。凌牙にとって、妹はどれほど大切な存在なのか。その深すぎる愛が、逆にトロンにつけ入る隙を与えてしまったのだと痛感してしまい、やるせない。
『愛だな。だが、言った通りⅣはトロンの傀儡。Ⅳが妹を傷つけた原因も、トロンの指示だったらしい』
「えっ……じゃあ本来シャークは、Ⅳを倒して、次にトロンを倒そうとしているってことか?えっ、でもそれじゃなんでトロンはシャークに態々カオスナンバーズを?」
遊馬の頭の中に疑問符が浮かぶ。自分を狙ってくるかもしれない相手に、わざわざ強大な力を与えるなど、まともな悪役の考えることではない。
『まだ話は終わっていない。復讐は完結せず。おのずと次の標的は定まるところだ……ここがトロンの狙い。トロンは、衝動のみで支配された神代凌牙をⅣに代わる強力な傀儡とすべくカオスナンバーズを得させたのだ。そして実際、その狙いは今この形で完成してしまった』
デュガレスの冷徹な分析が、トロンの底知れぬ悪意を暴き出す。凌牙を最強の刺客に仕立て上げ、最も残酷な形で遊馬にぶつける。すべてはトロンの掌の上で踊らされていたのだ。
「……トロンッ!!」
遊馬は怒りに拳を震わせた。他人の心や絆をまるでおもちゃのように弄び、踏みにじるトロンのやり方は、遊馬の信条に最も反するものだった。
『我が主はそれを見かねてか、あるいは予見していたのかは知らぬが、神代凌牙にデュエルを申し込んだ。復讐は過ちだ、と言いたかったのだろうな』
「あっ、そういうことだったのか……じゃ、寿はそのトロンがシャークにゲットさせたカオスナンバーズに倒されちまったってことか?俺のホープみてぇに、あいつもめっちゃ強い切り札を手に入れたってことなんだろ?」
納得したように頷く、なるほど、それで寿はシャークとデュエルしたのか。だが思い果たせず、新しい強大な力を手に入れたシャークを前に、寿が為す術なく散っていってしまったのだと遊馬は少し悲しみながらも、寿の敗因を自分なりに推測する。
『否。我が主は神代凌牙の復讐心をデュエルを通して晴らすことに成功した』
しかし、デュガレスから返ってきたのは、遊馬の予想を完全に裏切る言葉だった。
「えっ!?あいつがっ、どうやって!?」
遊馬は信じられないといった顔でデュガレスの気配を振り返る。あの深く黒い復讐心を、デュエルだけで完全に払拭したというのか。
『傾聴せよ、ここがウィークポイントになりうる部分だ。我が主は復讐ではなく、妹の無念を晴らすためにデュエルせよ、とデュエルを通して神代凌牙に誓わせた。つまり、本来の彼は彼自身の衝動ではなく、彼の妹のために戦っているはずなのだ。言わば逆戻りしてしまっているのだな』
デュガレスはもったいぶるように間を置き、静かに核心を突いた。過去の傷に囚われて過去の敵を討つのではなく、未来で目覚める妹のために戦う。その意識の変革こそが、寿が凌牙に遺した最も大きな功績だった。
「妹の、無念……それって、復讐とは違うのか?」
遊馬は首を傾げる。言葉のニュアンスの違いは分かるが、相手を倒すという目的そのものは同じではないのか。
『無論。言い方は悪いが復讐とは自らの鬱憤晴らしと同義よ。しかし自分の愛する妹のため、目覚めた時に陰鬱な感情を抱かせないため、俺が晴らしてやると誓い、戦うというのは献身的な行為他なるまい?』
デュガレスの言葉は、氷を溶かす陽光のように遊馬の心にスッと染み込んでいく。自分の怒りをぶつけるための戦いと、愛する誰かを守るための戦い。その根底にある魂の在り方は、似て非なるものだった。
「……そっか、それは全然違うな……あいつ、あいつ自身の恨みから戦ってたのか、確かに、そうだ……けど、寿の狙いは外れて、それ全部ひっくるめてトロンに操られちまってる……そうだろ?」
遊馬は目の前で殺意を放つ凌牙を悲しげに見つめる。寿がせっかく光の差す方へ導いたのに、トロンの呪縛はそれすらも強引に書き換え、再び復讐の連鎖へと引きずり込んでしまった。
『聡明だな、正にその通りだ』
「焦ってんだよ……当然だろ!」
遊馬のその声には確かな焦燥感が混じっていた。このままではシャークが完全に壊れてしまうし、自分もこんな現状は許せない。一刻も早く助け出さなければならないという焦りが、遊馬の背中を叩いていた。
『であれば、次はこれを理解せよ。知っての通り、神代凌牙は復讐に支配された鮫だった。それを晴らし、言い換えれば上塗りすることを成功させたのは……彼自身の新たな衝動であった』
デュガレスの声が一段と低く、重みを増す。
『我が主とのデュエルを通して、彼は我が主を超えるため、復讐では見えぬ領域を手に入れた……シャーク・ドレイクを二回目のカオス化に成功したのだ』
「に、二回目ぇ!?ホープレイがさらにってことか!?」
遊馬は信じられない言葉に、思わず素の声を張り上げた。一度カオス化したナンバーズが、さらなる進化を遂げるなど、遊馬は信じられなかった。
『ああ。赤司寿は神代凌牙に賭けたのだろう。トロンが知りえぬカオスナンバーズ、それこそがお前が堕ちた鮫を再浮上させるカギとなりうる、とな』
デュガレスは淡々と事実を述べる。その言葉に、遊馬は正直半信半疑とは言えども飲み込むしかなかった。
寿の従わせるナンバーズだ、アンナ経由で自分に渡してきたナンバーズ。自らの力を託すというのはとても重みのある行為。そこまでして、寿は俺を期待してくれているのだ。今疑うことは愚かでしかない。信じよう、寿を。
遊馬は脳内でそう結論づける。トロンの計算外の力。それこそが、トロンの張り巡らした洗脳の呪縛にバグを生じさせうる唯一の希望なのだ。
「……寿が……一体、どうやったってんだ?」
だが遊馬は思わず茫然と呟く。自分と同じ参加者の一人にすぎない寿が、一体どこまでこの先の未来を見据え、どれほど深い覚悟でシャークとのデュエルに臨んだのか。想像するだけで鳥肌が立つ思いだった。
『それは我の領域に非ず。だが我が主は知らずしてか、時として未来を知っているかのような行動を起こす。九十九遊馬、我がここにいること。そしてトロンが知りえぬカオスナンバーズを、神代凌牙が手に入れていること。図らずともここまで我が主がお膳立てしてやったのだ、であれば、お主が為すべきことは分かっているだろう?』
デュガレスの言葉は、遊馬への強い期待と叱咤を含んでいた。ここから先は遊馬自身の役目だ。舞台は整い、剣は渡された。あとは遊馬がそれを使って、友の魂を切り裂く鎖を断ち切るだけだ。
「そんなの、最初から分かってんだよっ!でも、どうやってやれってんだ!?今のシャークはトロンに操られて俺をぶっ潰してぇシャークだ、こっからどうすれば」
遊馬はデュエルディスクを構え直すが、その指先はわずかに震えていた。やるべきことは分かっている。だが、具体的にどうやって洗脳を破るのか。その方法が全く見えてこなかった。
『言ったはずだ、抗え。お主はこれまで常にそうしてきたはずだ。例外を許すな』
デュガレスの短くも力強い一言が、遊馬の迷いを断ち切る。そうだ、今までだってずっとそうしてきた。どんな強敵が相手でも、どんな絶望的な状況でも、決して諦めずにもがき、抗い続けてきたのだ。それこそが、自分の魂。かっとビングだ。
「……そうだったな。寿がここまで頑張ってくれたんだ、俺は負けるわけにはいかねぇ。それに勝てばいいんだろ、このデュエル。勝って、シャークの目を覚まさせてやるっ……」
遊馬は顔を上げ、凌牙を真っ向から見据えた。その瞳にはもう迷いはなく、かつての熱い闘志が力強く燃え上がっていた。腕に力がこもり、遊馬は凌牙の心を救い出すための反撃の一手を模索し始めた。
「よっしゃ行くぜ!俺は、《ゴゴゴゴースト》を召喚!バトル、そのまま《スピアー・シャーク》を攻撃っ!!」
遊馬は迷いを振り切るように叫び、手札からカードを力強くデュエル盤に叩きつけた。不気味な紫色のオーラを纏った幽霊戦士が地中から這い出すように現れる。遊馬はその勢いのまま腕を振り下ろし、凌牙のフィールドに浮遊する鮫への突撃を命じた。
「罠発動!《ゼウス・ブレス》!このカードは、相手モンスターの攻撃を無効にして、さらに俺のフィールドに水属性モンスターが存在するため800ダメージを与える!!」
しかし、遊馬の気迫に満ちた攻撃宣言に対し、凌牙は冷徹な声でリバースカードをオープンした。伏せられていた罠カードが瞬時に巨大なホログラムとなって立ち上がり、激しい水流が吹き荒れる。モンスターの突進は分厚い水の壁に阻まれ、行き場を失った水圧の塊が遊馬へと牙を剥いた。
「っ!?う、うわぁぁぁあああっ!!」
高圧の水流が遊馬の身体を容赦なく打ち据える。予想だにもしなかった凄まじい衝撃に抗うこともできず、遊馬はスタジアムの床を転がるようにして大きく後方へと吹き飛ばされた。
遊馬 LP 2600 → 1800
「……俺は、カードを1枚伏せて……ターンエンド!」
起き上がり、荒い息を吐きながら、遊馬はカードをセットする。現状のフィールドの戦力差は歴然だったが、それでも凌牙の目を覚まさせるまでは絶対に倒れるわけにはいかなかった。
「終わったな、遊馬」
ターンを渡された凌牙の口から、氷のように冷たく、しかし確かな憎悪を含んだ声が紡がれた。彼の瞳には、虫の息となった獲物を見下ろす捕食者のような昏い光が宿っている。
「!?」
「お前にはもう、俺を倒す術は無い。妹の恨み、今こそ晴らさせてもらうぜ!」
凌牙は遊馬を真っ直ぐに指差した。トロンによって歪められた記憶が彼の中で確固たる真実として燃え上がり、愛する妹を傷つけた憎き仇を討つという狂気に満ちた決意が、その全身から紫のオーラとなって立ち上っていた。
「俺じゃねぇ!目を覚ませシャーク!お前の妹を傷つけたのは、トロンだ!!」
遊馬は喉が張り裂けんばかりの大声で叫んだ。偽りの記憶に囚われた友の魂を引き戻そうと、事実をありのままに叩きつける。しかし、その必死の叫びは、固く閉ざされた凌牙の心には届かない。
「くっ……命乞いをするならまだしも、この期に及んでまだ言い逃れをするなど……許せねぇ、この場で地獄に送ってやる!!」
凌牙の顔が、激しい怒りと嫌悪によって醜く歪んだ。彼にとって遊馬の言葉は、罪から逃れようとする卑劣な嘘にしか聞こえていない。右手の甲に刻まれたトロンの紋章が、呼応するように禍々しく明滅した。
「俺と、俺のナンバーズによってな!!」
凌牙がデッキのトップに手をかける。その瞬間、スタジアムの空気が急激に重くなり、肌を刺すような冷たいプレッシャーがフィールド全体を覆い尽くした。
『既に凌牙のフィールドにレベル4モンスターは2体……来るぞ。九十九遊馬、ここが勝負時だ。油断するな』
背後に立つデュガレスの声が、かつてないほど鋭く響く。デュガレスの目には、凌牙の精神の奥底から呼び覚まされようとしている、規格外の闇の力がハッキリと見えていた。
「俺のターン、ドローッ!!俺は、《シャクトパス》を召喚!行くぞ……レベル4の《スピアー・シャーク》、《ツーヘッド・シャーク》、そして《シャクトパス》の3体を、オーバーレイ!!」
凌牙の宣告と共に、フィールドの3体のモンスターが光の粒子へと変わり、上空へと舞い上がる。それらは渦を巻き、禍々しい混沌のエネルギーを帯び始めた。
「3体のモンスターで、オーバーレイ・ネットワークを構築!!」
足元に巨大な銀河が現れ、3つの光の球がその中心へと吸い込まれていく。空間が歪み、落雷のような轟音がスタジアムを揺るがした。
「エクシーズ召喚、現れろ!《No.32 海咬龍シャーク・ドレイク》!!」
鋭い牙と赤黒い装甲を持つ巨大な海咬龍が雄叫びを上げて這い出てきた。その圧倒的な巨体と、周囲を威圧する凄まじいエネルギーの波が、遊馬の全身を打ち据える。
「出やがった……思い出せ、シャーク!お前、そのナンバーズをどこでゲットしたんだよ!?」
「うるせぇ、《シャーク・ドレイク》……!《ゴゴゴゴースト》を攻撃!!デブス・バイトォ!!」
凌牙は遊馬の言葉に耳を貸すどころか、怒りを増幅させて攻撃命令を下す。彼の憎しみを吸い上げた海咬龍が、喉の奥で恐ろしい光を明滅させながら、巨大な顎を幽霊戦士へと向ける。
『記憶の綻びを突こうとしても、取り付く島すら無いか』
デュガレスが小さく舌打ちをする。トロンの施した精神操作は、過去の事象そのものを都合よく書き換えており、外からの言葉による説得を完全に弾き返していた。
《No.32 海咬龍シャーク・ドレイク》ATK 2800 vs 《ゴゴゴゴースト》ATK 1900
海咬龍の顎から放たれた高圧縮のエネルギー弾が、圧倒的な質量を伴って一直線に放たれた。幽霊戦士などまるで存在しなかったかのように消し飛ばし、そのエネルギーの奔流が遊馬へと殺到する。
「ぐああぁぁぁああーーーっ!!!」
遊馬 LP 1800 → 900
凄まじい水圧の直撃を受け、遊馬はスタジアムの硬い床に勢いよく叩きつけられる。全身の骨が軋むような痛みに顔を歪め、削り取られたライフポイントの音がけたたましく耳に鳴り響く。
「まだだ!《シャーク・ドレイク》の効果発動!!バトルでモンスターを破壊した時、オーバーレイ・ユニットを一つ使い、破壊した《ゴゴゴゴースト》を攻撃力を1000下げ、墓地から攻撃表示で特殊召喚する!!」
しかし、追撃の手を緩めるつもりなど毛頭ない凌牙の声が、フィールドに冷酷に響き渡った。海咬龍の周囲を回っていたオーバーレイ・ユニットの一つが体内に吸い込まれると、遊馬の墓地のポータルが強制的にこじ開けられる。
《ゴゴゴゴースト》ATK 1900 → 900
漆黒の泥水と共に、たった今粉砕されたばかりの幽霊戦士がフィールドに引きずり出された。
「さらに、《シャーク・ドレイク》はこの効果で特殊召喚を攻撃できる!!」
海咬龍が喉の奥で再びエネルギーを圧縮し、禍々しい光を放ち始める。凌牙の目は、無防備なモンスターごと遊馬を完全に消し去るという、純粋な殺意に染まりきっていた。
「お前のライフはもう風前の灯、終わったな……遊馬ぁ!!」
勝利を確信した凌牙の顔に、歪んだ復讐の悦びが浮かぶ。あと一撃。その一撃で、妹を傷つけた憎き仇を地獄へ叩き落とせる。
「《シャーク・ドレイク》!再び《ゴゴゴゴースト》を嚙み砕けぇぇ!!」
凌牙が力強く腕を振り下ろす。海咬龍が巨大な顎を限界まで開き、再びエネルギー弾を放つ。
「ちょっと待ったぁッ!!俺の《ゴゴゴゴースト》は特殊召喚された時、墓地にある《ゴゴゴゴーレム》を蘇生して、こいつは守備表示に変更される!」
迫り来る巨大な影を前に、遊馬は痛みを堪えながら叫んだ。遊馬の指示に従い、幽霊戦士が防御の構えへと移行する。
「俺は《ゴゴゴゴーレム》を守備表示で特殊召喚!」
同時にフィールドの地面が隆起し、堅牢な岩の身体を持つゴーレムが盾となって立ち塞がった。遊馬は間一髪のところで、死を食い止める防壁を築き上げる。
「何!?命拾いしやがって……バトルは続行だ!」
確実な死を回避された凌牙は忌々しげに舌打ちをするが、その攻撃の勢いを止めることはしなかった。怒りに任せた力押しの突撃が、守りを固めた遊馬のモンスターへと殺到する。
《No.32 海咬龍シャーク・ドレイク》ATK 2800 vs 《ゴゴゴゴースト》DEF 0
海咬龍の巨大な牙が、防御姿勢を取った幽霊戦士を再び容赦なく食いちぎる。
「チッ、俺はこれでターンエンド!!」
今すぐにでも殺したいが、意地汚く逃げられた。その事実に凌牙は思わず舌打ちしてしまう。凌牙はデュエルディスクを構えたまま、遊馬を睨みつけたままターンを終了した。仕留め損ないはしたが、海咬龍が盤面に居座り続ける以上、遊馬の絶望的な状況に変わりはない。
「俺のターン、ドローッ……なっ!!」
遊馬も自身が置かれている状況は理解している。神に祈るような思いでデッキに手を伸ばし、カードを引き抜いた。現状を打破するためには、逆転の一歩となるモンスターを引き当てなければならない。だが、引いたカードを見た瞬間、遊馬の顔からスッと血の気が引いた。
「《パワー・チェンジ・バリア》……!くそっ、モンスターカードじゃない……!」
それはモンスターを出し、エクシーズ召喚に繋げなければならないこの局面において、単体ではどうすることもできない罠カードだった。手札に打開策はなく、盤面には守備表示のゴーレムが1体のみ。
「目を覚ましてくれ、シャーク!!お前の中に本当の心が残ってるなら、思い出してくれ、俺たちのデュエルを!!」
絶体絶命の窮地。遊馬はデュエルディスクを下ろし、ありったけの思いを込めて凌牙へと叫んだ。カードの力でどうにもならないのなら、直接その心に呼びかけるしかない。何度もぶつかり合い、熱い火花を散らした本当の記憶を。
「俺たちの、デュエルだと?」
その言葉に、凌牙の眉が微かにピクリと動いた。濁りきっていた彼の瞳の奥に、一瞬だけ、小さな波紋のようなものが広がる。
「ああ!お前と俺が最初会った時──」
手応えを感じた遊馬は、力強く頷き、話始める。このまま語り続ければ、あるいはトロンの呪縛を内側から解きほぐせるかもしれない。そう希望を抱いた時だった。ふと先ほどまでの雰囲気が消えうせていることに気が付き、後ろを一瞬見ると、デュガレスはその場から姿を消していた。
「あれ?」
「あぁ?」
「何でもねぇよ!俺は、お前とタッグデュエルした時があって──」
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『……貴様……何者だ』
深い海の底のような、暗く冷たい世界。トロンの呪縛が渦巻くその空間に、地を這うような低く唸る声が響き渡った。
『初対面だな、シャーク・ドレイクよ。我は《No.60 刻不知のデュガレス》』
今にも荒れ狂いそうな海咬龍の正面に悪魔は静かに降り立つ。暴力を体現したような威容を前にしても一歩も引くことなく、威厳に満ちた声で正面から問いを投げかける。
『……貴様の主は誰であるか問いに来た、ただの一介のナンバーズよ』
主から課された任務を果たすため、陰謀によって歪められた少年たちの戦いを正すため。時を弄ぶ悪魔が、今か今かと狂える時を待つ海竜へと対話を試みようとしていた。
9月が終わり、また冬が来ましたね。秋は夏として扱う。ただし二度と取り戻せないモノとする。
列車ワンキルでマス1登頂配信終わる切り抜き見て爆笑しました。運命って面白いものですね。