軍貫使いはZEXALで寿司を握る 作:Dの軍貫 シンキハヨ・チョーダイナ
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霊使いは無事推しを引けました。それでは、どうぞ。
ナンバーズが集い、異様な力と相対する者の絡み合った想いが交錯するスフィアフィールドの中心で、トロンは不敵な笑みを浮かべた。
「フフフ……まさか君が一ターンに3体ものナンバーズを呼び出すとはね。運だけはあるようだね?」
遊馬はデュエルディスクを構えたまま、眼前の強敵を真っ直ぐに睨み返す。額にはじわりと汗が滲んでいるが、その瞳の奥にある熱い想いは決して消えていない。彼を支えているのは、敵も味方も超えて託された、重い想いだった。
「運なんかじゃねぇ!これが俺の実力だッ!」
運ではなく、自分の選択によってトロンを倒す。その想いの元放たれた遊馬の言葉を聞いても、トロンの態度は微塵も揺るがない。トロンは指先で自らの頬を軽く叩きながら、わざとらしくため息をついてみせる。
「ボクがⅢに渡したナンバーズと君が愛してやまないナンバーズを出しといて、よく言うよ……ミラクルワンダーボーイ?」
トロンの幼い顔立ちに、小馬鹿にしたような冷たい影が落ちる。その言葉に遊馬はギリッと奥歯を噛み締め、感情をそのままデュエルへの原動力へと変換していく。己の信念を曲げるつもりは毛頭なかった。
「うるせぇ!だったら行動で証明するまで!俺は《No.17 リバイス・ドラゴン》の効果発動!」
遊馬の力強い宣言と共に、フィールド上に陣取る青き水竜が天に向かって雄叫びを上げた。その声は空気を震わせ、周囲のエネルギーを大きく波打たせる。
「オーバーレイ・ユニットを一つ使い、攻撃力を500ポイントアップさせる!」
周囲を旋回していた光の球が一つ弾け、水竜の全身に力が増幅されていく。
《No.17 リバイス・ドラゴン》ATK 2000 → 2500
遊馬は躊躇うことなく右腕を前方へと力強く突き出す。その指先が狙うのは、トロンのフィールドに立つ光の騎士だ。
「バトルだ!!《アトランタル》で《イルミネーター》に攻撃!」
遊馬の号令を受け、巨神がゆっくりとその腕を振り上げる。圧倒的な質量を持つその巨体が動くたびに、重低音が空間を震わせる。巨神の胸部に集束された莫大なエネルギーが、一気に臨界点へと達する。
「ディヴァイン・パニッシュメント!!」
眩い光を放つ騎士へ向けられた、熱線を伴った一撃は白騎士を容赦なく貫いて爆発を引き起こした。凄まじい衝撃波がスフィアフィールド全体を激しく揺るがし、猛烈な爆風が吹き荒れる。
《No.6 先史遺産−アトランタル》ATK 2600 vs《No.10 白輝士イルミネーター》ATK 2400
煙が晴れる中、爆風を顔に受けたトロンがわずかに顔を顰めた。
「くっ……」
トロン LP 2000 → 1800
確かな手応えを感じ取った遊馬は、勢いづいたように声を張り上げる。敵の守りが崩れた今こそが、一気に勝負を決める絶好の好機だった。
「後少しッ!もういっちょだ!」
休む間もなく、遊馬は次なる刺客へと攻撃の指示を飛ばす。指さす先には、トロンのフィールドに残されたもう一体のナンバーズの姿があった。
「行けぇっ、《グラディエール》!《ゲノム・ヘリター》を攻撃!!」
続いて、音階を纏う天使が紋章王へと猛然と突撃する。天使の奏でる音が空気を切り裂く鋭い音を立て、ゲノム・ヘリターの体躯を力強く一刀両断にした。再び巻き起こる爆発が、トロンのフィールドを更なる業火で包み込む。
《No.72 諧調光師グラディエール》ATK 2700 vs《No.8 紋章王ゲノム・ヘリター》ATK 2400
トロン LP 1800 → 1500
自らのモンスターが次々と粉砕される光景を前に、トロンは不快げに舌打ちを漏らしてしまう。
「チッ……」
敵の盤面が完全に焼け野原となったことを確認し、遊馬は勝利を確信したように前を見据えた。
「もうお前のフィールドにモンスターはいねぇ!トドメだ、トロンッッ!!」
フィールドがガラ空きになったトロンへ向け、遊馬は高く腕を振り上げた。彼の背後で、信頼する相棒である希望の戦士が静かに剣を構え、遊馬の命令を待ちわびている。遊馬の全身から発せられる熱気は最高潮に達していた。
「食らえぇぇぇ!《No.39 希望皇ホープ》で、トロンに直接攻撃!」
ホープの背中の翼が大きく展開され、飛び上がると同時に黄金のオーラが放たれる。
「ホープ剣・スラッシュ!!」
希望の戦士が大剣を振りかざして空高く跳躍し、無防備なトロンへと一直線に飛びかかる。圧倒的な光の刃が、トロンの小さな身体を真っ二つに切り裂くかに見えた。誰もが遊馬の勝利を確信し、決着の時が訪れたと思った、まさにその刹那。
「……フッ」
必殺の一撃が迫る中、遊馬の耳に微かな笑い声が届いた。
「!?」
迫り来る凶刃を前にしても、トロンの顔には狂気じみた余裕の笑みが張り付いていた。剣がトロンに届くほんの手前、空中に突如として案山子が実体化する。その脆そうな見た目とは裏腹に、案山子はホープの渾身の斬撃をガッチリと受け止め、火花を散らしながら煙と共に攻撃を完全に停止させてしまう。
「甘いんだよね、ツメが……」
完璧なタイミングで防がれた遊馬は状況をすぐに飲み込めず、呆然と立ち尽くす。
「何で……何で、ライフポイントが0になってねぇんだ?ホープの効果は使ってないはず……!?」
煙が晴れ、現れたのはライフポイントが尽きていないトロンの姿。弾き返されたホープが定位置へ戻る中、遊馬は信じられないものを見たように目を見開いた。完璧な布陣を敷き、すべてを読み切ったはずの猛攻だった。それがたった一枚のカードによって水泡に帰した事実が、遊馬の心に冷や水を浴びせる。
「《速攻のかかし》の効果だよ。こいつは直接攻撃時に手札から捨てることで、その攻撃を無効にしてバトルフェイズを終了させる」
種明かしをするトロンの口調は、ひどく軽薄で遊馬を嘲る喜びに満ちていた。
「残念だったねぇ、遊馬?」
トロンは手札から役割を終えたカードを墓地へ落とし、仮面の奥でねっとりと嘲笑う。遊馬が渾身の力を振り絞って組み立てた戦略を、指先一つであしらった絶対的な優越感。
「そういうことかッ……俺はカードを一枚伏せ、これでターンエンド!」
遊馬は歯を食いしばりながら、遊馬デュエルディスクにカードをセットし、ターンを終える。
「ファ〜ア」
トロンは小さな身体を大げさに伸ばし、退屈そうにあくびをする素振りを見せた。その仮面の奥にある瞳には、獲物をいたぶる捕食者のような冷酷な光が宿っている。彼にとって、遊馬の猛攻など余興に過ぎない。
「漸くボクのターンか、待ちくたびれたよ」
圧倒的な不気味さを漂わせる相手に対し、遊馬は臆することなく前を見据えた。
「なら、かかってきやがれトロンッ!」
遊馬の気迫を嘲笑うかのように、トロンは小首を傾げた。
「なんか、本気でボクに勝とうと思ってるようだね。遊馬?」
その声色は無邪気な子供のようでありながら、底知れぬ狂気を孕んでいる。遊馬の脳裏に、傷つきながらも自分に託してくれた仲間たちの顔が次々と浮かび上がる。彼らの想いを晴らすには、ここで立ち止まるわけにはいかない。
「当たり前だ!俺はⅢにシャークに寿に、カイトに、お前を倒すって誓ったんだ!だから、絶対に勝つ!!」
「フーン。根拠の無い自信って奴か」
トロンは芝居がかった手つきで、自分と遊馬のフィールドを交互に指差した。片や空っぽの陣地、片や屈強な4体のナンバーズが立ち並ぶ盤面。誰の目から見ても遊馬が圧倒的に有利な状況であるにも関わらず、トロンの態度は微塵も崩れない。
「ま、とはいえ。ボクのフィールドにナンバーズは0体、君は4体だ」
その言葉と共に、トロンの全身から発せられるプレッシャーが一段と跳ね上がった。周囲の空気が急速に冷え込み、重圧が遊馬の肩にのしかかる。それは、これまで見せていた余裕の態度が、単なる遊びであったことを無言で告げていた。
「頑張ったねぇ遊馬。どうやら、ボクが本気を出す舞台が整ったようだ」
遊馬は思わず身構え、息を呑んだ。
「何?」
悪寒と、本能的な危機感が全身の毛穴を逆立てる。対するトロンは、目前の敵を仮面の奥から見抜いている。
「必死に勝とうと思ってても、最初から勝算が無い相手に勝てるわけが無いんだよね……このフィールド、君をぶっ潰すには十分だ!!」
トロンは遊馬をあからさまに真似て、右腕を大きく振りかぶった。
「これがボクのディスティニードローッ!かっとビングだぜ、ボク!!」
デッキの一番上に指をかけ、勢いよくカードを引き抜く。引き抜いたカードを一瞥すると、トロンはすぐに元の無邪気で残酷な子供の口調に戻った。人を食ったようなその態度は、遊馬の神経を逆撫でするための意図的な挑発であった。
「なんちゃって」
ベロを子供らしく出しながら、トロンは手札から一枚の魔法カードを叩きつける。あからさまな煽りに、遊馬の握り拳が更に強くなる。
「君はめちゃんこドローしてたからね、ボクもお返しとして発動させてもらわなきゃ割に合わないってもんだ!《エクシーズ・トレジャー》発動!」
発動したカードの表面が眩い光を放ち、デュエルディスクに眠るデッキに力を与える。そのカードの効果を瞬時に悟った遊馬の顔から、一気に血の気が引いていく。手札ゼロの状況から一転、相手に莫大なリソースを与えてしまう最悪の展開だった。
「……まじか」
遊馬が思わず漏らした声を聞きながら、トロンはデッキトップに指を置く。
「君のフィールドにエクシーズモンスターが4体いる……よって、ボクは4ドローッ!」
トロンの指先がデッキの上を滑り、流れるような動作で4枚のカードを一気に引き抜いた。先ほどまで空だった彼の手札が、瞬く間に供給された。トロンは引いたカードを顔の前で扇状に広げ、仮面の奥で満足げな笑みを浮かべた。
「……良いね。最高の手札だ」
戦局をひっくり返す準備は、これで完全に整ったのだ。
「さぁ行くよ!ボクは手札から、《紋章獣グリフォン》の効果発動!」
手札の一枚がトロンの指に挟まれ、前方に突き出される。フィールドの空気が微かに歪み、紋章の力が具現化するための空間が形成され始めた。
「手札から効果……特殊召喚か」
遊馬は油断なく身構えながら、見覚えのある手札効果から、相手の動きの意図を瞬時に読み解く。
「大正解。このカードの効果はちょっと代償があってね」
トロンは小馬鹿にした口調で遊馬を褒める。しかし、その代償という言葉を口にした瞬間、彼の声には獲物を罠に誘い込むような毒々しい響きが混じる。
「ボクはこのカードを特殊召喚する時、デッキから別の《紋章獣》を墓地に送らなきゃいけないんだ」
デュエルディスクが駆動し、デッキからカードを一枚弾き出す。トロンはそれを見ずに指で弾き、墓地と滑り込ませた。彼にとって、デッキからカードを墓地に送ることはペナルティなどではなく、むしろアドバンテージの始点でしかない。
「ボクは効果で、《紋章獣スタット・ホエール》を墓地に送り《グリフォン》を特殊召喚する!さらに、《スタット・ホエール》の効果発動!墓地から自身を除外し、墓地にある《ユニコーン》二体を特殊召喚する!」
トロンのフィールドに魔法陣が浮かび上がり、獰猛な鳴き声と共にグリフォンが実体化する。次に墓地へ送られたはずのエネルギーが地底から噴出し、紫黒い瘴気を纏った二体のユニコーンがフィールドへと這い出そうとしてくる。
「全然代償になってねぇじゃねぇかッ、《グラディエール》の効果発動!オーバーレイ・ユニットを一つ使い、《紋章獣ユニコーン》1体を吸収する!」
遊馬は相手の展開をこれ以上許すまいと、即座に反撃の指示を飛ばす。天使が纏う光の球が一つ弾け、そこから放たれた光の帯がトロンのフィールドに這い出ようとするユニコーンの一体を正確に捕らえた。ユニコーンは抵抗する間もなく光の帯に絡め取られ、グラディエールの力の一部として吸収されていく。
「おお怖い。ま、それも織り込み済みだし、代わりにボクはこのターンずっと、ナンバーズか紋章獣のモンスターでオーバーレイしなきゃエクシーズできないんだけどね」
だがトロンはそれすら想定済みとでも言わんばかりに、肩をすくめた。むしろ、自らが課した微々たる制約をさも重大なペナルティであるかのように語り、遊馬を嘲笑い続けている。
「……代償って何だよ?」
遊馬は呆れと怒りが入り混じった声を漏らした。この異常なデュエリストを相手に、わずかな油断も許されないことを彼は理解している。
「ご明察、そういうとこは一馬そっくりだ。そう言う訳で、まだまだボクのかっとビングは終わらないよ!さらにボクは手札からもう一枚の《紋章獣スタット・ホエール》召喚!」
そんな遊馬を嘲笑うかのように、デュエルディスクから放たれた光が、フィールドに二体目となる鯨の姿をした紋章獣を実体化させた。
「《スタット・ホエール》の効果発動!ボクは手札を1枚捨てて、デッキから紋章と名のついた魔法または罠カードを2枚手札に加える!ボクが加えるのは、《無敵の紋章》と《高等紋章術》の2枚!」
トロンは手札の一枚を墓地へと放り投げると、流れるような手つきでデッキから二枚のカードを引き抜いた。さらに彼の指先が次なるカードを弾き出し、スフィアフィールドの空間が脈打つように激しく明滅し始める。
「さらに手札から、《紋章獣エアレー》を特殊召喚!」
風を切り裂くような甲高い鳴き声と共に、フィールドに新たな紋章獣が舞い降りた。遊馬は息を呑み、次に訪れるであろう脅威に全身の筋肉を強張らせる。
「レベル4の《エアレー》と《スタット・ホエール》と《グリフォン》の3体でオーバーレイ!」
トロンが高らかに宣言すると、フィールドに並んでいた三体の紋章獣がそれぞれ眩い光の球体へと姿を変えた。それらは一直線に天空へと舞い上がり、スフィアフィールドの上空に巨大な渦を巻く銀河を構築し始める。
「エクシーズ召喚!!」
銀河の中心から、雷鳴のような轟音が響き渡った。スフィアフィールドに満ちていた異様なエネルギーが、凄まじい勢いで一箇所に収束していく。空間そのものが軋みを上げ、激しい震動が遊馬を襲った。
「現れろ、《No.69──!!
激しく瞬く閃光の中から、血のように赤い数字が空中に刻み込まれる。それは周囲の光を全て飲み込むほどの禍々しい輝きを放ちながら、圧倒的な重圧となってフィールド全域へと広がり始めた。
「見せてあげるよ、ボクの本当の切り札を!」
トロンは両腕を大きく広げ、天空から降臨する絶対的な力を歓迎するように天を仰ぎ見た。嵐のような爆風が吹き荒れ、遊馬は腕で顔を庇いながら必死に足を踏ん張る。猛烈な風の奥から、神々しくもひどく冒涜的な姿をした巨大な影がゆっくりと実体を取り戻していった。
「──紋章神コート・オブ・アームズ》!!!」
ついにその全貌を現した究極のナンバーズ。無機質でありながら底知れぬ怒りを感じさせるその威容は、まさに復讐を象徴するような姿そのものであった。コート・オブ・アームズが波動がスフィアフィールド全体を完全に支配し、遊馬のフィールドに立つモンスターたちの光を容赦なく塗り潰していく。
「現れやがったか……くっ……!」
その絶対的な神の足元で、突如としてトロンが異変を見せた。彼は小さな両手で自らの顔面──鉄の仮面を押さえ込み、苦しげな声を上げる。その体が小刻みに震え、仮面の隙間から禍々しい粒子が流れ出ている。
「……ああ、苦しい」
ギリギリと音を立てて仮面を引っ掻くトロンの指先から、黒い瘴気のようなオーラが立ち昇る。彼の内に宿る憎悪の心は、もはや飽和状態。彼は荒い息を吐きながら、拘束具を引き剥がすように仮面の端に指を立てた。
「憎しみが溢れて、息苦しい!もう仮面なんて、どうせ君はこのデュエルが最後なんだ」
その声を聞き遊馬は背筋が凍るのを覚えた。禍々しく底冷えのする声が、スフィアフィールドに響き渡る。
「終わったらボクが記憶を……いいや、何もかも奪い尽くすんだからねぇ……」
トロンは仮面に手をかけたまま、顔を少しだけ遊馬の方へと向けた。指の隙間から漏れ出す不気味な光が、彼の顔の奥底でうごめいている。
「見せてあげるよ、特別に」
トロンはニタリと歪んだ笑い声を上げながら、己の顔を隠していた無機質な仮面を力任せに引き剥がす。
「ボクの素顔を!」
ガシャンッ、と冷たい金属音を響かせ、取られた仮面がを宙を浮いていく。あらわになったその素顔を直視した瞬間、遊馬の心臓が早鐘のように激しく跳ねた。
「!?」
遊馬は全身の産毛が逆立つほどの戦慄を覚え、言葉にならない悲鳴を喉の奥で引きつらせた。
「……か、顔が」
そこにあるべきはずの、人間の顔が存在していなかった。トロンの顔の左半分は、ぽっかりと空いた虚無の空間と化しており、その奥にはブラックホールの星雲のような空間がドクドクと脈打ちながら渦を巻いていたのだ。皮膚も、肉も、骨すらも削ぎ落とされた宇宙の深淵が、トロンの顔面を侵食している。
「そう、異世界との狭間を彷徨う間に、ボクはこんな姿になってしまったよ。ボクの身体に残っているのは……復讐の心だけさ!」
トロンは己の悍ましい顔を隠そうともせず、むしろ誇示するように両手を広げた。虚無の星雲が渦巻く顔から放たれる声はひどく歪んだ歓喜に満ちている。
「どうなってんだよ……もはや、人間じゃないってのか……」
目の前の存在が抱える闇の深さと、あまりにも残酷な現実に、遊馬の唇は小さく震えていた。復讐という呪縛が、人の姿すらもここまでおぞましく作り変えてしまうのか。その事実が、恐怖と共に遊馬の胸を激しく締め付けていく。遊馬の戦慄を嘲笑うかのように、トロンは顔の左半分で渦巻く虚無の星雲の端を指先でなぞった。
「人間じゃない?そうだねぇ、前も口煩い奴から聞かれたよ。けど、そうだね。認めるよ、君とボクは違うしボクは君になれないし君もボクになれないだろう。親友と思っていた人間に裏切られたことの無い、生温い君には絶対にね!!」
異世界の狭間でたった一人、絆に裏切られ絶望と孤独の中で魂をすり減らしてきた彼にとって、仲間との絆をあくまでも信じる遊馬の存在は、自らの思想と相反する憎悪の対象でしかない。トロンは狂気に満ちた叫び声を上げながら、両腕を大きく天へと突き上げた。
「ボクはもはや人間じゃ無い!復讐を成し遂げる、それだけの生き物さ!!」
トロンの全身から噴き出したドス黒い瘴気が、物理的な圧力を伴ってフィールドを荒れ狂う。
「……ッ!」
あまりの重圧とトロンの気迫に遊馬は声も出せずに顔を歪めた。周囲の空気が呼吸を許さないほどに圧縮されていく。
「遊馬、見なよ!ボクの力を!!」
トロンが指差した先では、彼の絶望と復讐心の結晶である《紋章神コート・オブ・アームズ》が、呻き声をあげながらスフィアフィールドの上空に君臨していた。
「これがボクが手にした、究極のナンバーズ!《コート・オブ・アームズ》は、カード効果により破壊されず、さらにこいつ以外のフィールドにいる全てのモンスターの効果を無効にして、自分のモノにできる……!!」
究極のナンバーズの能力が宣言された瞬間、遊馬のフィールドに立ち並んでいた4体のモンスターたちから一斉に光が失われた。彼らが纏っていた闘気は無惨にも掻き消され、まるで見えない鎖に繋がれた囚人のように、その力を神の元へと吸い上げられていく。
「どんなモンスターを持っていようが、《コート・オブ・アームズ》の前じゃ無力!見せてあげるよ、友情なんて、希望なんて無いってことを!!」
トロンの哄笑が響き渡る中、コート・オブ・アームズの胸部に禍々しい光が集束していく。遊馬が仲間たちから託された想いの結晶であるナンバーズたちが、無抵抗のまま無力化されていく光景は、まさに絶望そのものだった。
「《コート・オブ・アームズ》の効果!ゴット・メダリオン・ハンド!」
体から無数の巨大な紫光の手が出現し、遊馬のモンスターたちへと襲い掛かった。光の手はアトランタルやリバイス・ドラゴンの身体を容赦なく鷲掴みにし、彼らの核となる能力を根こそぎ引き剥がしていく。
「モンスター効果が、奪われた……!」
色を失い、項垂れるナンバーズたちを見て、遊馬の心臓の拍動が加速する。
「それじゃ、早速使わせてもらうよ。っていうか、元々ボクのモノなんだけどね。ボクはオーバーレイ・ユニットを一つ使い、《アトランタル》の効果発動!」
コート・オブ・アームズの周囲を旋回していた光の球体が一つ弾け飛ぶ。すると、神の巨大な腕が遊馬の方向に向けられ、辺りから収束するように光を充填し始めた。トロンは遊馬を指差し、無慈悲な処刑の合図を下す。
「君のライフポイントを半分にする……オリハルコンゲート!!」
放たれた極太のレーザーが遊馬の身体を容赦なく貫く。凄まじい熱量と衝撃波が彼を襲い、スフィアフィールドの床を焦がす。
遊馬 LP 1300 → 650
「うぐっ……あッ、ぐっ!!」
遊馬は全身を焼かれるような激痛に耐えきれず、片膝を突く。しかし、トロンの無慈悲な猛攻はまだ終わらない。
「さらに《リバイス・ドラゴン》の効果も使わせてもらうよ!オーバーレイ・ユニットを一つ使い、《コート・オブ・アームズ》の攻撃力を500ポイントアップさせる!」
二つ目の光の球体が砕け散ると共に、今度はリバイス・ドラゴンから奪い取った効果がコート・オブ・アームズの筋肉を膨張させ、その攻撃力を跳ね上げていく。
《No.69 紋章神コート・オブ・アームズ》 ATK 2600 → 3100
「さらにこの瞬間、墓地にある《紋章獣レオ》の効果発動!自分モンスターの攻撃力が変化した時、このカードを除外し、その変化したポイントだけ、相手モンスター一体の攻撃力を下げる……ボクが選ぶのは《リバイス・ドラゴン》!」
トロンのデュエルディスクの墓地から紫黒い瘴気が噴き出し、咆哮を上げる獅子の幻影が這い出てきた。その幻影は一直線に海竜へと飛びかかり、呪いの牙を突き立ててその力を強制的に削ぎ落としていく。
《No.17 リバイス・ドラゴン》ATK 2500 → 2000
「お礼として、やっちまえよ《コート・オブ・アームズ》!《リバイス・ドラゴン》を遊馬ごと葬れ!!」
完全に弱体化し、無防備となった水竜へ向けて、トロンが死の宣告を叩きつけた。コート・オブ・アームズの口が開き、圧倒的な光源が一点に集中していく。
「食らえ……ゴッド・レイジ!!!」
トロンの怒りを体現したかのような、極太の破壊光線が解き放たれた。
《No.69 紋章神コート・オブ・アームズ》 ATK 3100 vs 《No.17 リバイス・ドラゴン》ATK 2000
「不味い、罠発動ッ!《オーバーレイ・バスター》!効果で《リバイス・ドラゴン》の攻撃力を500上げる!」
《No.17 リバイス・ドラゴン》ATK 2000 → 2500
「くっ……ぐはあぁぁぁああっ!!!」
遊馬 LP 650 →50
伏せカードを開き、窮地を免れた遊馬。海竜は消え、吹っ飛ばされた遊馬は息を絶え絶えにして目の前の敵を見据える。トロンは圧倒的な破壊の余韻を楽しむかのように、肩で息をする遊馬を見る。
「しぶといねぇ……ボクはカードを一枚伏せて、ターンエンド……!」
全身の骨が軋むような激痛の中、遊馬は床に手をついた。残っているライフポイントは50のみ。風前の灯火という言葉すら生温い、完全な死地。それでも、彼は震える腕に力を込め、重力に逆らうようにゆっくりと上半身を起こし始めた。
「あぐっッ……はぁ、はぁ、はぁッ……まだだ、まだ……!」
満身創痍でもなお戦おうとする少年の姿を見下ろし、トロンは呆れたように肩をすくめた。
「まだ?もう、いい加減諦めちゃいなよ。使えないⅢやⅣやVとは違って、ボクは無敵なんだ……」
「そう!この《コート・オブ・アームズ》は親と子ほどの差があるのさ。だから抗えない、絶対的に埋められない差だからね!」
絶対的な強者を自称し、家族の絆すらも自らの力の誇示にしか用いないその思考。遊馬は虚空に浮かぶ、コート・オブ・アームズを睨みつけた。
「親と子ほどの差……」
周囲の光を喰らい、ただ他者の力を奪い尽くすだけの空っぽな怪物。遊馬は、その禍々しい巨神の姿と、目の前で歪んだ笑いを浮かべる男の姿を重ね合わせた。
「……確かに、そのモンスター!」
痛む身体を引きずりながら、遊馬はトロンに向かって力強く指を突きつける。
「お前ソックリだぜ!!」
怒りに満ちた遊馬の鋭い一言が、スフィアフィールドの淀んだ空気を一気に切り裂いた。
「何?」
予想外の侮辱を受け、トロンの笑い声がピタリと止まる。仮面の奥の目が不快げに細められた。一歩も引くことなく、遊馬は言葉を紡ぎ続ける。彼の脳裏には、これまで見てきたトロン一家たちの悲痛な顔が鮮明に浮かんでいた。
「今じゃよく分かる。Ⅲだって、Vだって……皆大した奴だった、立派だった。必死に崩れ落ちそうな自分を支えてた。Ⅳだってそれはきっと同じはずだ、今にも壊れそうな性格を隠して、演じて、チャンピョンにまで成り上がったんだから。それはお前の命令だったとしても、絶対にその栄光を掴んだ実力は本物だ、あいつだけのもんだ!」
彼らは決して、トロンが言うような使えない駒などではなかった。それぞれが必死に足掻き、仮面を被り、血を吐くような努力で己の強さを証明してきたのだ。その誇り高き魂を、父親であるトロン自身が否定することなど絶対に許せなかった。
「Ⅲはあんたのために全てを投げ出して、俺からアストラルを奪った。けど、あいつは俺に謝ってくれた。あいつは本当はお前のせいなのに、自分のせいだって、Ⅲは優しさから俺にそう言ってくれたんだ」
Ⅲの涙が遊馬の記憶を締め付ける。本当は誰よりも争いを嫌い、家族の温もりを求めていた彼が、どんな感情に苛まれながらアストラルを奪ったのか。その痛いほどの優しさを、遊馬は決して忘れない。
「Vも本当はカイトのこともハルトのことも恨んでなかった。大好きだった。けれども、父親のお前が大事だから、親だから。そのただ一つの変えようのない理由で、あいつは大事な弟子さえも切り捨ててお前に着いていったんだぞ!」
Vの、あの静かで悲しい瞳。かつての弟子であり、親友でもあった者を切り捨ててまで、彼は父親という呪縛に殉じた。彼らが犯した過ちの全ては、元を辿ればたった一つの純粋な愛情から始まっていた。遊馬の目から、たまらず熱い涙が溢れ出した。
「そんな……そんな良い奴が、どうしてあんたみたいな奴の為に犠牲になんなきゃいけねぇんだ!!!」
遊馬の魂の叫びが、心を震わせる。利用され、傷つき、それでもなお父親を愛し続けた兄弟たちの理不尽なまでの当て付けに対する、心の底からの慟哭だった。
「あんたはそれを親子だからって当たり前だと思ってる。親だから、子が従うのは当然のことだって思ってる……けど、そうじゃねぇ!!!」
親の復讐のために子が手を血に染めることなど、決して当たり前であっていいはずがない。遊馬は拳が白くなるほど強く握りしめ、トロンの狂った価値観に真っ向から叩きつける。
「皆信じてるんだ!あんたがいつか、元に戻ってくれるって!!」
異次元に消え、変わり果てた姿になってしまっても、彼らにとってバイロン・アークライトはたった一人の大切な父親だった。彼らは、いつかトロンが昔のような優しい笑顔を見せてくれると、その希望だけを胸に地獄のような日々を耐え抜いてきたのだ。
「どうしてあんたは戻ってきた時、あいつらだけにでも優しくしてやらなかったんだよ!どうして、どうして復讐なんてことに、あいつらの絆も過去の自分さえも切り捨てさせちまったんだよ!!!」
遊馬の声は悲痛な響きを帯びてスフィアフィールド中に木霊した。世界中を敵に回したとしても、せめて実の息子たちだけは抱きしめてやるべきだった。復讐という黒い炎にくべられ、灰にされてしまった兄弟たちの愛情を想い、遊馬の瞳はトロンへの激しい怒り悲しみで燃え上がっていた。遊馬の魂からの叫びに、トロンは一瞬言葉を詰まらせた。
「……ッ」
虚無の星雲が渦巻く顔が微かに震える。彼の中で完全に焼き尽くしたはずの感情が、遊馬の真っ直ぐな言葉によって無理やり揺さぶられていた。
「分かるはずが無いさ。君みたいな子供になんて……」
トロンはギリッと奥歯を噛み鳴らし、強引に動揺を振り払う。己の内に芽生えかけた過去の未練を殺すように、彼はひどく冷たく、そしてどこか悲痛な声で吐き捨てた。
「分かるさ!」
遊馬は一歩も引かない。傷だらけの身体で大地を踏みしめ、燃えるような瞳でトロンを真っ向から見据える。
「ッ」
その強烈な眼光に、トロンは思わずたじろいだ。
「父ちゃんが居なくなっちまった時、どんなに寂しい思いをするか俺には分かる!あいつらは皆、あんたが居なくて寂しかったんだ……」
一馬が突然行方不明になった時の、喪失感。毎晩のように泣きたくなった。いつも帰りを待っていた。それでも、父の教えであるかっとビングを胸に生きてきた自分の過去と、兄弟たちの姿が完全に重なっていた。たった一人の父親を失い、泣きたい気持ちを必死に殺しながら生きてきたのだ。同じ痛みを知る遊馬だからこそ、その想いは痛いほどに理解できた。
「不安で泣きたくて、でも一生懸命だったんだよ!!」
「黙れ、お前にそんなことを言われる……ッ」
トロンが激しく頭を振り乱す。脳裏に、灰燼と化したはずの温かかった時の家族の写真が浮かぶ。温かい記憶。Ⅲ、Ⅳ、Vが笑顔で幸せだった、あの日常。忘れたはずの記憶が浮上したことに、トロンはそれすらもあの時消したのだと、胸の底から吐き捨てるように言う。
「……捨てたんだ、復讐を誓ったあの時。ボクは過去の全ての想いも、希望も!」
フェイカーへの憎悪だけが、異次元で自分を繋ぎ止めた命綱だった。それ故に、だからこそ。それ以外の感情など、彼にとっては自分を弱くする猛毒でしかなかった。
「だったら俺が思い出させてやる!俺は諦めないぜ、このデュエル……俺は皆から色んな想いを託されてきたんだ!あんたにそれが伝わるまでは……絶対に諦めねぇ!!」
遊馬が強く言い切る。彼が背負っているのは、もはや自分一人の運命ではない。自分に託された切実な願いを、なんとしてもこの父親に届けなければならない。それが、彼らと戦い、想いを受け取った遊馬の使命だった。
「どうやって?幾ら御託を捏ねようと、口だけでは何も為せない……幾ら希望に満ちた感情であっても、如何に折れない信念であっても、絶対的な力の前では無力なんだよ、だから絶望は絶望なんだ」
だが、トロンは心傷など無価値と吐き捨て、絶対的な悪意の権化へと立ち戻る。盤面の状況だけを見れば、遊馬が逆転する可能性は完全にゼロに等しい。トロンはその絶対的な優位性を盾に、冷酷な現実を突きつける。
「諦めな、遊馬!!」
トロンの死刑宣告が、重々しい重力を伴ってスフィアフィールドに響き渡った。それは単なるデュエルの敗北ではなく、遊馬の信じる絆や希望そのものへの全否定であった。
「だとしても……だからこそ、諦めねぇよ。ライフが尽きる、0になるまで負けじゃねぇ。ここだけは、この一戦だけは負けられないんだ、絶対に俺は……!」
遊馬は唇を噛み締め、最後の力を振り絞って顔を上げた。どれほどの絶望的な状況に追い込まれようとも、彼の胸の中で燃える炎だけは決して消えはしない。
(手札は0枚。このドローで、全てが変わる)
震える右手をゆっくりとデッキディスクへと向ける。同時に、遊馬の視線が、自身のデュエルディスクへ向けられる。デッキトップに手をかけようとするその指先は、極度の緊張と疲労で小刻みに震えていた。絶対的な絶望を前にしても、遊馬は歯を食いしばり、デッキの一番上にあるカードにそっと触れた。
「……ッ!」
(……この時だ)
絶体絶命の窮地。全身の血が沸騰するような極限状態の中、遊馬は両目を閉じる。
(俺の手札はゼロ。運命が、ここで決まる)
スフィアフィールドの喧騒が遠ざかり、遊馬の意識は深く、静かな自問自答へと沈んでいく。
(こんな時、あいつが居てくれたら……どんなに心強いか)
脳裏をよぎるのは、自分の隣に浮遊していた青白く輝く相棒の姿だった。
(……俺は、弱かった。けど、あいつが現れてから、俺は強くなれた。あいつが俺にデュエルのイロハを教えてくれた。だから今日俺はこうして、大舞台に立っているんだ)
遊馬は目を閉じたまま、空いた左手で、胸元で冷たく揺れる皇の鍵をぎゅっと握りしめた。硬い金属の感触が、手のひらを通して痛いほどの喪失感を際立たせる。
(居なくなって、ようやく分かったんだ。あいつが、俺にとってどんなに大切な存在だったかってことを)
(でも、だとしても。あいつが居なくなっちまって、今に至るまで、俺はあいつ無しでも戦ってこれた)
トロンの圧倒的な力を前にしてなお、自分の心が完全には折れていない事実。激しい息を繰り返しつつ、遊馬は閉じた瞼の裏で、一つの巨大な疑問に直面していた。
(何でだ?あいつは、何で消えたんだ?)
(ナンバーズ。あいつは、昔の記憶のピースって言うナンバーズを俺に託して、消えた……)
アストラルが消滅する直前、彼が残した行動の意図が、頭の中でぐるぐると渦を巻き始める。
(……じゃあ、あいつは何で自らの記憶を俺に託して消えたんだ?元々と言えばあいつはナンバーズを集めるのが目的のはず。寿から託されたナンバーズをデッキケースに入れても、全く反応しねぇ)
(……分からない。あいつは、何で消えたんだ。俺に、何か伝えたいメッセージがあった。俺に一人で、デュエルさせることで、伝えたい言葉。居なくなってから俺はデュエルで一人で戦って、強くなれた。それだけは言える。けど、ナンバーズまで何で託してくれたんだ?)
スフィアフィールドの重苦しい空気が遊馬の思考を圧迫する。いくら考えても、明確な答えは出てこない。ただ、胸元にある鍵だけが、確かな重みを持ってそこにあった。
(皇の鍵は何も言わない……けど、あいつは生きている。だから、俺はナンバーズを使えるのか?)
思考の海を深く沈んでいく中で、遊馬はふと、ある絶対的な矛盾に気がついた。握りしめていた皇の鍵から手を離し、自分の震える両手を見つめる。
(あれ?待てよ。ちょっと待てよ。何で、俺はあいつがここに居ないのにナンバーズを使える?)
(俺はあいつの力でナンバーズを使っていた。なら、何であいつが居ない今、平気で俺はナンバーズを使えるんだ?)
絡み合った謎が限界に達し、張り詰めた糸が切れたように、遊馬の口からやり場のない感情が堰を切って溢れ出した。目をゆっくり開いた彼は虚空に向かって、悲痛な叫び声を上げる。
「分からねぇ……分からねぇよ!」
頭を抱え、ただその場で震えることしかできない遊馬の姿を見て、トロンは顔をさらに歪ませた。圧倒的な力の差を見せつけ、希望が完全に圧し折れるその瞬間を、彼は切望しているのだ。
「さぁどうした、遊馬!絶望を前に、いよいよ平伏するのかい!?」
外野の悪意に満ちた声は、今の遊馬には届いていなかった。彼の意識はただひたすらに、胸元で冷たく光る皇の鍵の奥深くへと向けられている。自分の中で欠け落ちたピース。相棒が残していった不可解な謎。要素は、全て完璧に揃っている。
「あいつは、きっと全てを知ってる。分かってる……」
あと一歩、核心的な何かが足りない。遊馬は両手で鍵をきつく握りしめた。金属の鋭いエッジが手のひらに食い込むが、その痛みすらも今の彼にとっては唯一の頼みの綱だった。
「答えてくれ、答えてくれよ……」
どれほど呼びかけても沈黙を続ける鍵に対し、ついに限界を超えた遊馬の感情が爆発する。暗闇の中でたった一筋の光を探し求めるように、彼は魂の底から絶叫した。
「……アストラル!!!」
限界まで見開かれた瞳から、堪えきれなくなった一筋の涙がこぼれ落ちる。それは重力に従って真っ直ぐに落下し、遊馬が握りしめていた黄金の装飾品へと静かに落ちた。
一筋の涙が、皇の鍵に落ちる。瞬間、次に現れたのは門だった。
「えっ……!?」
意識が急速に現実から引き剥がされる。鼓膜を劈くようなスフィアフィールドのノイズが嘘のように消え去り、絶対的な静寂が遊馬を包み込んだ。足元には広大な暗黒が広がり、目の前には天を衝くほど巨大な、禍々しい龍の顔が彫り込まれて鎖に巻かれている扉がそびえ立っている。
「……!?こ、ここは……!?」
遊馬が息を呑んだその時、地の底から這い上がるような、重く、底知れぬ威圧感を持った声が暗黒の空間に響き渡った。
『お前との契約を続行する……』
かつて、この扉を前にした日の記憶が蘇る。あの時、扉は確かに一番大事なモノを代償に力を与えると言った。そして遊馬は今、その意味を誰よりも残酷な形で痛感している。
『この扉を開く者は、新たなる力を手に入れる……しかし、その代償として一番大事なモノを失う……!』
巨大な龍の眼窩から放たれる不気味な光を睨み返し、遊馬は怒りと悲しみを込めて叫び返した。失うものなど、もう何もない。自分の一番大事な者は、とうの昔に抉り取られて、どこかに消えているのだから。
「馬鹿野郎、俺はもう、アストラルを失っちまってんだよ!!」
しかし、扉から返ってきたのは、遊馬の絶望を根底から覆す驚愕の真実だった。
『アストラルは、消えていない。お前に希望の記憶を託し、眠りについた……』
「えっ!?」
遊馬の心臓が激しく跳ね上がった。消滅したわけではない。自分の中に希望を残し、ただ深く眠っているというのか。絶望の底に突き落とされていた彼の世界に、強烈な光が差し込む。
『契約を遂行する。この扉に飛び込み、ゼアルの力を手にしろ……』
「ゼアル……?なんだよ、それ……?」
その問いに扉は答えない。ただ、絶対的な運命を強制するかのように、重々しい言葉だけが遊馬の全身に降り注ぐ。
『運命を切り開け。目覚めろ』
何重にも扉を縛り付けていた巨大な鎖が、ガシャン、ガシャンと凄まじい音を立てて弾け飛んでいく。
『さぁ、扉の中に飛び込め』
鎖が解き放たれ、重々しい音と共に門が少しずつ開いてゆく。
『この扉の中に飛び込み、新たなる力を手に入れる……お前の一番大事なモノを、代償として捧げられるのならな!!』
扉の向こう側に広がるのは、底なしの暗黒。触れれば一瞬で存在を消し飛ばされそうなほどの、暴力的な風の奔流が渦巻いていた。
『お前にその覚悟があるか……!?』
門番の最終確認。だが、遊馬の足は一歩も後ろへ下がることはなかった。迷いなど微塵もない。彼は両目をカッと見開き、目の前に広がる絶対的な暗黒へと向かって、思い切り地を蹴った。
「……もう、俺は一番大事なモノを捧げてんだよ!だから覚悟なんて、そんなモノ……とっくに、できてるさ!!」
暴風のように吹き荒れる底の中へ、小さな体が真っ逆さまに飛び込んでいく。全身が引き裂かれそうな激痛と重圧の中で、遊馬は必死に両手を前に伸ばした。その手で掴むべきは、決して自分を見捨てなかった、あの青き相棒の魂だ。
「頼む、アストラル……力を貸してくれ!眠ってんなら、叩き起こしてやる! 俺一人じゃ、あいつらの想いを届けきれねえ……!!」
闇の中で、遊馬の叫びが木霊する。一人で戦い抜き、強くなったからこそ分かる。一人では絶対に届かない境地があるのだ。
「だから……いい加減、戻ってこい!!俺に、いつものように口出ししやがれッ!!」
これまでのすべての戦い、すべての想い、すべての悲しみを右拳に込め、遊馬は魂の限界を超えて咆哮した。
「超かっとビングだ、俺ぇぇぇ!!!」
遊馬の叫びが暗黒を限界まで震わせたその瞬間。真っ暗だった世界に、一つの眩い光の粒が生まれた。それは瞬く間に広がり、柔らかな、しかし絶対的な力強さを持った波動となって遊馬を包み込む。
(遊馬……!)
脳裏に直接響き渡る、あの落ち着いた、理知的な声。
「その声は!」
瞬間、遊馬の目から再び涙が溢れ出し、光の中へと吸い込まれていく。
(仲間たちの託した願い……君が一人で守り抜こうとし、そして私を求めてくれたその魂の叫びが、私を再びこの場所に呼び覚ました)
かつてないほど温かい光が、傷ついた遊馬の身体と心を癒していく。それはアストラルが遊馬の成長を見守り、そして彼が真の意味で自分を必要とするその時を待っていた証でもあった。
(私が君の元に戻らなかった理由……それは、君は1人では無いと言うことを教えるため。君と、私で共にかっとビングをするためだ!!)
現実のスフィアフィールド。トロンの眼の前に立つ遊馬の身体から、突如として目も眩むような光の柱が天に向かって立ち昇った。強大なエネルギーを掻き分けるようにして、青白く輝くその姿が、遊馬の隣にゆっくりと実体を取り戻していく。
「何だって……?」
トロンの口から、思わず困惑が漏れ出る。光の中から姿を現したのは、遊馬が誰よりも待ち望んでいた無二の相棒。彼は静かにトロンを見据え、力強く宣言する。
「待たせたな、遊馬!!!」