アンドロイド「人間とかいう戦場のお荷物」 作:らっきー(16代目)
炎というのは酸素を使って燃焼する。火事が起きた時の死因として最も大きなものは当然火傷であるが、それに次ぐのが一酸化炭素中毒、窒息である。
であれば。地下という酸素の限られた空間で炎を燃やせばどうなるか。その結果はまさしく、火を見るよりも明らかだろう。
混乱。今の人類の状況を表すとしたらただその二文字があれば事足りる。或いは狂乱と表してもいいかもしれないが。
単なる防衛戦のつもりだったのだ。極東に逃げ延びて、一息ついたと思ったら海を渡る怪物が現れだして。それでもどうにか対抗できるようになり落ち着いた。これを繰り返していれば、資源こそ損耗するだろうが時間は稼げると、人類はそう安心していた。
昨日と同じ今日。今日と同じ明日が来る。そんな保証はどこにも無いというのに。
元々、最初の神話生物は天より降りて来たのだ。ならばそれがこの極東の地で再度起きない保証がどこにある? 海の怪物が進化しない保証は? そもそも他の神話生物にしろ明日海を渡って来ないと何故言い切れるのか?
事後孔明でならなんとでも言えるが、答えは単純。そうであって欲しかったからだ。
希望が無くては人は生きていけない。絶望的な状況で笑って前を向けるのは、英雄と呼ばれるような一部の異常者だけだ。
だからこそ、人類の代表者として選ばれた彼らは、目の前の現実に対して無策だった。そのような絶望的な現実を認めたくない民衆の代表者であったから。どこまでも普通の人間によって選ばれた、少し優秀なだけのただの常識人の集まりだったから。
軍──などと仰々しい名前は付いているが、良く言って戦闘部隊──に指示を出すはずの彼らは、目の前の情報を未だ受け入れられていない。今日もいつも通りの戦果を聞くだけのつもりでいたから。事前に概算された損耗と現実の損耗を比べて資源を調整するだけがこの数年間の仕事になっていたから。
前線に居るアンドロイドの視覚情報と同期して投影されている映像は、端的に言えば地獄だった。
火の海と化しつつある地上。熱傷を負った戦闘員たち。身体の一部が溶け落ちてもなお、どうにかこの場を打開すべく動くアンドロイド。
それら全てが些事に思えてしまうような、強大で殺意に満ちた炎の怪物。
現実逃避の一環として『クトゥグア』と名付けられたそれは、まさしく人類に対する死刑執行人であった。
回収できたであろう地上に残っていた資源を焼き尽くし、武器も装甲も関係ないと言わんばかりに飲み込んでいく炎の身体。あの巨体が生活区域に接近すれば、クトゥグアが何かをするまでもなく人類は蒸し焼きにされて滅びることになるだろう。
だが──一体なにが出来るというのか。増援を向かわせる。どう戦えばいいかもわからないのに? 今前線に出ている面々を退却させる。僅かに稼いでくれているこの瞬間こそが人類の余命かもしれないのに?
実際のところ既に現場判断で退却出来る部隊はそれを選んでいたのだが、ともかくどちらの決断も出来なかった。出来たのは精々が話し合いという名の罵りあいぐらい。そんなところに
『あー、あー、こちらアマテラス』
場違いに明るい声が響いた。
『聞こえてる? 通信のやり方あってる? これ。……聞こえてるはず? じゃあいっか』
指示を待ちきれなくなった一機のアンドロイド。彼女は別に、使命感だとか責任感だとかそんな高尚な目的で出撃しようとしているわけではない。
『削れるだけ削って、助けられるだけ助けてくる。その間に死ぬか生きるか決めといて。ただまぁ──』
今自分にできることを全力でやる。それだけのこと。
『──泣くよかひっ飛べ、ってね!』
単機で万軍の働きをする。ワンオフのアンドロイドに求められている能力とはそれであり、アマテラスはまさしくその通りの働きをしてくれた。
退路を確保し、窮地に陥った友軍を助け、クトゥグアと渡り合う。一人が挙げる戦果としては十分すぎるほどのものだ。
だがしかし、結論から言えば、それでもなお足りなかった。
退路を確保した。窮地に陥った友軍を救い出した。クトゥグアの一部を切り落とした。それが限界だった。
投影されていたはずの映像はアマテラスが月光を振り下ろした時から途切れている。エネルギーを一点に集中する為に余力が無かった……というのなら、時間をおいて復旧しただろう。しかしアマテラスからの情報として表示されるのは無機質なシグナルロストの文字のみ。それが意味するのはつまるところ──
「負けた、か」
誰かが呟いた言葉が、その場の空気を重苦しく支配した。事ここに至っては、もはや潔く自決するべし──などと考える人間は、ここには一人も居はしなかった。繰り返しになるが、彼らはどこまでも普通の人間によって選ばれた、少し優秀なだけのただの常識人の集まりだったから。自分が死刑台の最後尾に並ぶためなら喜んで他人の命を差し出す。英雄でもない凡人故の思考回路。
アマテラスの戦闘は貴重な情報を齎してくれた。表皮の内側であれば、少なくとも怯むぐらいにはダメージが通ること。それに極大のエネルギーであればその身体を崩壊せしめるということ。
ならば身体の内側に直接決戦兵装を叩き込んでやればいい。出された結論はそのようなものであった。
「オーディン隊、命令を下達する」
金髪に隻眼、それと今の時代では珍しい武装となった槍を携えた一機のアンドロイド。
「『────事ここに至ってはもはや通常の手段で勝利を収めるのは不可能である。この戦局を打開するには故障したら動かなくなるような機械ではなく人間の狂気が必要である。身命を賭して──』」
「あーお嬢、悪いけどそれ以上お偉いさんの無駄な演説を聞かされたら俺達は眠っちまう。もっと分かりやすく言ってくれ」
「私がグングニルを叩き込む為の捨て駒として死んでくれ、だそうだ」
「流石お嬢の説明は分かりやすい」
「……毎度言うがお嬢はどうなんだ? お前ら全員私より年下だろうに」
「そんな! お嬢が夜トイレを怖がっている頃から面倒を見て来た仲じゃないですか」
「勝手に過去を作るな」
よよよ、と泣き真似をする男と呆れるアンドロイド。笑って囃し立てる周りも含めて、オーディン隊の日常風景である。
「さて、愛すべき馬鹿共。真面目な話をするぞ」
オーディンの言葉で空気が引き締まる。とはいえ別に、軽口が無くなる訳ではなかったが。
「お偉方は何のかんの囀ってはいるが、私達は要は蜥蜴の尻尾だ。私が失敗しても、次はゼウスかラーでも派遣するだけだろう」
「お嬢が負ける相手に勝てる奴がいるのかね」
「アーちゃんならいけるんじゃないか?」
「あーあの和服美人?」
「……アマテラスならもう先行している。敗北したらしいが……どうせアイツのことだから生き延びてはいるだろうさ」
「また無駄な慰霊碑が増えちまうなあ」
「今はあのアホはいい。今回の作戦……こんなものは作戦ではないな。この出撃から生きて帰ってくる確率はゼロだ」
ヒュウ、と誰かが口笛を吹く。
「家族が居る奴もいるだろう。まだ死にたくない奴もいるだろう。本作戦の参加は私の独断で任意とする。30分後に──」
「お嬢、時間の無駄だぜ? そんなの」
「む? ……いや、確かにそうか。好んで死にに行く馬鹿がどこに居るんだという話だな。ならばここで解散し──」
「いやいや、そうじゃなくて……おい、抜けたい奴いるか?」
そう問われたオーディン隊の面々は、問われる意味が分からないと、一様に似た表情を浮かべていた。
「そんな奴がこんな貧乏くじ部隊に残っているわけないでしょ?」
「お嬢を見捨てて生き残ってもなぁ」
「あ、副隊長。俺は5分欲しいです。墓に刻む最高にカッコイイ謳い文句考えなきゃいけないんで」
「バーカ、5分も要るかそんなもんに」
副隊長と呼ばれた男は部隊を代表してオーディンへと、金髪隻眼の、人類が保有する最高戦力へと向き直る。
「『人類史上最強の部隊ここに眠る』そう称えて貰うために俺達はお嬢の所に志願したんだ。そのチャンスを逃すわけないでしょう」
「……馬鹿共が」
「馬鹿だから、お嬢以外のところじゃ働けないんですよ」
「本当に、救いようのない馬鹿共め。……ならば共に行こう。未だにマトモな作戦の一つも立てられない無能なお偉方と、いつも通りに眠って起きれば今日と変わらない明日が来ると信じている平和ボケした連中の為に」
「そいつぁ、命を懸ける理由としちゃ贅沢すぎるな」
その言葉に誰からともなく笑い始めた。
これから死にに行くだなんて悲壮感を感じさせない、いつも通りの馬鹿笑いだった。
「ほら見たことか、このアホが壊れる訳がないんだ」
「満身創痍のアンドロイドに会って一言目がそれ!?」
オーディン隊の行軍は何一つ遮る物のないスムーズなものだった。しいて言うなら耐熱装甲の重みで軽装備の時よりは遅くなったという程度か。
「それで、戦況は?」
「んー……膠着状態? 私も流石に、このザマじゃ月光も振れないしねぇ」
そう語る彼女──アマテラスは、両の腕の肘から先が溶け落ちていた。
「……どうやってそれで膠着させてたんだ?」
「え、まだ口も脚もあるし。ブレードは沢山置いてってもらえたし──ね!」
語っている最中にも器用に足で落ちているブレードを拾い、エネルギーを過剰供給させ動こうとしたクトゥグアの至近距離で爆発させる。何度も繰り返していたのであろうその動作は無駄に洗練されてはいたが、少なくともオーディンには真似できそうもない。何故かと言えば
「エネルギー残量は?」
「数時間前からゼロのまんま。こんだけあっついんだから、熱を変換出来たらいいのにねぇ」
どうして残量ゼロで動いているんだ、とか、じゃあ今ブレードに込めたエネルギーはどこから持って来たんだ、とか。突っ込み所はあまりにも多かったのだが、オーディンは口を噤んだ。そもアマテラスというアンドロイドに常識とか物理法則とかを適用する方が間違っている。
「まあ、まだ援護ぐらいなら出来ると思うから。上手いこと使い潰し──あれ?」
言葉の途中で、ガクンと崩れ落ちる。エネルギーが枯渇した故の当然の帰結……ではなく、軸足として使っていた左脚が付け根からへし折れたから。地に倒れ伏す寸前でオーディン隊の隊員が支えていなければ地を舐めることになっていただろう。
「随分と色っぽい格好してんなぁアーちゃん。今度抱かせてくれ」
「うーん、私は大歓迎だけどオーディちゃんが拗ねるからダメかなぁ」
「……あと一文字ぐらい略さずに呼べ」
「あ、否定はしないんだ」
「このアホはその辺に放り投げておけ」
「私! 怪我人!」
やいのやいの騒ぎながらもバケツリレーの要領で後ろへと運ばれていく。アンドロイドはそれなりに重いのだ。とはいえ両腕と片脚を失っている分軽くなってはいたが。
「それじゃあ馬鹿共」
残ったのはオーディン隊のみ。最強のアンドロイドと、彼女の為に僅かな時間を稼ぐ捨て石となるべく集まった、イカれた人間達のみ。
「人生最期の時間だ。化け物も空気を読んでくれている。遺言があるなら私がデータとして残しておいてやる。怖気付いたと泣き喚いても構わないぞ?」
「それじゃあお嬢に一つだけお願いを。俺達はこれからヴァルハラで浴びるように酒を飲んで美女を抱く予定なんだが、肴にする話題が無い。冥土の土産に、お嬢の恥ずかしい話の一つでも聞かせてくれやしませんか?」
実際のところクトゥグアは新しく現れたオーディン隊を警戒していただけなのだが、それは彼らには関係の無い話。
「また難しいお題を……そうだな、私はお前達に散々跨ってきた訳だが」
「おう。お嬢の槍捌きは天下一品ですからねぇ」
「最近気が付いたんだが、私はどうも下で組み伏せられる方が好きらしい。……誰にも言うなよ?」
「クッ……ハッハッハ!! そりゃあいいや! ヴァルハラの美女で練習しとかないとなぁ!」
オーディンのモニター類はクトゥグアに接近した時点で全て焼き切れた……事になっている。
「そんじゃあ、こっちは楽しくやっておくんで、精々ゆっくり来てくだせぇや」
「ああ。ヴァルハラでまた会おう。愛しい馬鹿共」
故に。この会話はオーディンのメモリー以外のどこにも残ってはいない。
アマテラスが持つ決戦兵装『月光』は許容出来るエネルギーの量に主軸が置かれて開発された武装である。膨大なエネルギーで飲み込めばどんな怪物だろうと焼き滅ぼせるであろうという……ある意味では対峙していたクトゥグアと似たようなものかもしれない。
ではオーディンの持つ『グングニル』はと言えば、その特徴はエネルギーの収束性。
「──起動」
高地に陣取り、決戦兵装へのエネルギーの供給を始める。
何か感じ取る物でもあったのか、クトゥグアがそちらを向こうとするが、そんなことはさせるかと突撃する人間の姿。
些事である。自分の元へと辿り着く前に蒸発して消え失せる。そう判断したクトゥグアの思考回路は全く持って正常であり──つい先程まで戦っていたアマテラスから何一つ学べていなかった。
衝撃。小賢しくもまた武装を投げ付けてきでもしたかとそれを無視しようと──否。否である。
突き立っていたのは融解して最早ブレードと一体化している生物の残骸。動くはずのないそれが傷口を広げにかかる。
「エネルギー、圧縮」
酷い物に至ってはパワードスーツが空中でバラバラになって千切れ飛んだ腕しか着弾していないものもある。瞬きをするほどの時間すら必要とせずに消滅するはずのソレが、クトゥグアの身体を抉っていく。
『■■■■■!!』
クトゥグアは何かを振り払うように吠えていた。咆哮と共に解き放たれた高熱は実に呆気なく人間程度溶かし尽くす。命を賭して、生物としての限界を越えて、物理法則を意志の力で捻じ伏せて。それで稼げたのは一分にも満たない僅かな時間。
人類を救うための数十秒。
「グングニル──ッ!」
頭部にあたるであろう部位に突き立てられたその槍の穂先から発されるのは、物質化寸前まで縮退された高エネルギー。
「消えろ、化け物!」
解放されたエネルギーは大気中の分子及び原子を電離させ、激烈なプラズマ渦流と灼熱の奔流を引き起こす。使い手の無事など考えずに放たれたそれは、多くの犠牲と引き換えに、見事に炎の怪物を討ち果たした。
「──ぅ」
「ん? オーディちゃん、起きた?」
「アマテラス……そうか、生き残ってしまったか」
「いやぁビックリ。なんであんなもの撃っといて壊れてないの?」
「同意だが、お前にだけは言われたくはないな」
クトゥグアが放っていた熱だけでも壊れるには十分すぎるのだ。それを仕留める程のものとなれば果たしてその規模はどれほどか。
「肩貸してくれない?」
「立てるように見えるか?」
「全然」
原型が残っている分だけアマテラスよりはマシだろうが、それでも四肢は焼け焦げ、エネルギーは尽きている。
「あの馬鹿共が居れば運ばせたんだが……なんでこういう時だけ律儀で素直なんだあいつらは」
「……カッコよかったね」
「当然だ。私の部隊なのだから」
けど。小さく呟いた言葉は、人類最強のオーディンとしてではなく、ただの一機のアンドロイドとしてのもの。
「カッコ悪くても、馬鹿でも、臆病者でも。私はあの馬鹿共に生きていて欲しかったよ」
「……泣いてる?」
「アンドロイドにそんな機能があるはずないだろう。雨だよ。ただの」