最高評議会議長室。静寂が支配するその空間で、ギルバート・デュランダルの手によって、アスラン・ザラの赤服の襟元に新たな輝きが添えられた。
「己の信念に従い、この混迷する世界をより良き方向へ導くために戦う……その証だ。期待しているよ、アスラン・ザラ」
デュランダルの穏やかな声と共に授けられた、特務隊FAITHのバッジ。かつて父から授けられた時とは違い、今のアスランの瞳に迷いの色はなかった。
世界との向き合い方、その絶対的な正解はまだ見出せていない。しかし、今自分の隣で、喉元に刃を突きつけられたような危うい均衡の中で「ラクス・クライン」を演じ続ける一人の少女──ミーアを守り抜くことに、一切の疑念はなかった。それはイザークやディアッカと交わした無言の約束であり、何より、彼女の掌の震えを知る自分自身への誓いでもあった。
「アスラン、準備はよろしいかしら?」
議長室を後にしたアスランを待っていたのは、薄紫の和服に白い羽織を纏ったミーアだった。その襟元にも、アスランと同じFAITHの翼が光っている。
「地球へ降りて、ミネルバと合流しましょう。あの艦もきっと……かつてのアークエンジェルのように、多くの運命が交差する場所になるはずですわ」
未来を予見するような、あるいは確信に満ちた彼女の言葉に、アスランは短く頷いた。彼女の瞳には、ただの替え玉には持ち得ない、先を見据える者の鋭い光が宿っている。
数刻後、プラントの軍用ドック。
二機の新型MSが、漆黒の宇宙へとその巨躯を現した。
一機は、真紅の装甲を纏った可変MS、ZGMF-X23S セイバー。
そしてもう一機は、巨大なドラグーン・プラットフォームを背負い、かつての世界の終焉を想起させる「神意」の名を持つ機体──ZGMF-X13A プロヴィデンス。
「アスラン・ザラ、セイバー、出る!」
カタパルトから射出されたセイバーが、真紅の閃光となって加速する。その直後、後を追うように重厚なプロヴィデンスが宇宙へと滑り出した。
「ラクス・クライン、プロヴィデンス、発進します!」
通信回線から流れる彼女の声は、どこまでも澄み渡り、凛としていた。
かつてラウ・ル・クルーゼが絶望を撒き散らすために駆ったその機体で、彼女は「ラクス・クライン」として何を世界に齎そうというのか。
並走する二機の機体。
セイバーのコックピットの中で、アスランは隣を飛ぶプロヴィデンスの機影を見つめていた。
彼女が掲げる「摂理」がどのような結末を書き換えるのか、それを一番近くで見届け、守り抜くこと。それが、今の自分に課せられた、真実の戦いなのだと彼は確信していた。
宇宙の暗闇を切り裂き、二つの光は青い地球へと向かって降下を開始する。
交差する運命の先、待ち受ける戦火の渦中へと。
救世主と神意──相反する名を冠した二機が奏でる旋律は、もはやデュランダルが描いた台本を遥かに超え、新たな歴史のページをめくろうとしていた。
◇◇◇
大気圏を突破し、摩擦熱の残光を背負いながら、私たちは青い空へと舞い降りた。
私の駆るプロヴィデンスは、その外見こそ重厚で鈍重に見えるが、背負った巨大なドラグーン・プラットフォームのメインスラスターは、重力の枷を嘲笑うかのような推力を叩き出す。フリーダムやジャスティスの兄弟機であるというその「血統」は伊達ではなかった。
(……飛べる。地上でも、問題なく!)
空戦特化のセイバーのような軽やかさはない。けれど、灰色の巨体が雲を切り裂き、安定して高度を維持する姿には、独特の威圧感と頼もしさがあった。
本来の物語なら、アスランはオーブの情勢を確認するため、オーブへ立ち寄るはずだった。
そこで地球連合に加盟した母国から門前払いを食らい、混乱と共にミネルバに戻る……というのが原作の流れ。
けれど、今の彼の隣には「ラクス・クライン」である私がいる。
「アスラン、真っ直ぐに向かいましょう。カーペンタリア基地へ」
「……ああ、分かった。ミネルバと合流する」
迷いのないアスランの操縦で、私たちはオーブを飛び越え、ザフトの重要拠点であるカーペンタリア基地へと降り立った。
ミネルバの格納庫に着艦すると、またたく間に人だかりができた。
最新鋭の可変機セイバーの物珍しさ。そしてそれ以上に、前大戦の終焉で世界の敵となったラウ・ル・クルーゼの愛機──「プロヴィデンス」が、なぜ今のザフトに、しかもこのミネルバに現れたのか。クルーたちの視線には驚愕と、隠しきれない不気味さが混じっていた。
プシュー、という排熱音と共にハッチが開く。
昇降ワイヤーを降りてきたアスランは、かつての「ザフトの英雄」に相応しい、気高き紫のパイロットスーツに身を包んでいた。
私もまた、淡いピンクのパイロットスーツを纏い、ヘルメットを抱えて地上に降り立つ。
「ラクス様……!? それに、アスランさんも!」
真っ先に声を上げたのは、ルナマリアだった。驚きのあまり、敬礼も忘れて立ち尽くしている。
「特務隊FAITH所属、アスラン・ザラだ。グラディス艦長へ、乗艦許可を願いたい」
アスランの声は、低く、力強く響いた。
続いて、私も一歩前に出て微笑みを浮かべる。
「同じくラクス・クライン。私にも、乗艦許可を願えますでしょうか?」
格納庫の空気が一瞬で凍りついた。
プラントの歌姫と、姿を消していた英雄。この二人が揃ってFAITHのバッジを付けて現れたのだ。その「パンチ」の強さは、ミネルバのクルーたちを黙らせるには十分すぎた。
「な……なんでアンタが!? いったいどういうことだ、アスラン・ザラ!」
その沈黙を切り裂いたのは、シン・アスカの刺すような叫びだった。
アスランに詰め寄るシンの目は、混乱と不信に燃えている。
「見ての通りだ。……戦う理由ができた。だから俺は戻った。それだけだ」
「なっ……!」
突き放すような、けれど一切の迷いがないアスランの返答。
シンはそれ以上言葉を続けられず、苛立たしげに唇を噛んだ。
私はその光景を隣で見ながら、内心で首を傾げていた。
(……あれ? おかしいわね)
原作のこの時期のアスラン・ザラといえば、カガリのことで悩み、キラのことで悩み、デュランダル議長の言葉に翻弄されて、セイバーに乗っている間はずっと「迷走」していたはずだ。
その迷いがシンの反発を招き、二人の関係は最悪なものになっていく……。
けれど、今、私の目の前にいるアスランには、そんな煮え切らない影がこれっぽっちも感じられない。
背筋を伸ばし、やるべきことを確信している「戦士」の顔だ。
(……もしかして、私の正体を知って『守らなきゃいけないもの』が明確になったせいで、逆に吹っ切れちゃったのかしら?)
「ルナマリアさん。グラディス艦長はブリッジでしょうか?」
私の問いかけに、ルナマリアがハッと我に返る。
「あ、はい! 確認して、すぐにご案内します!」
「よしなに」
私はアスランと視線を交わし、一歩踏み出した。
このミネルバは、これから過酷な戦いへと身を投じることになる。
けれど、迷いのないアスランと、未来を知る私が揃っている今。
この艦の「運命」さえも、私たちが変えてみせる。
プロヴィデンスの巨体を見上げながら、私はピンクの髪を風になびかせ、ミネルバの通路へと歩みを進めた。
◇◇◇
ミネルバの艦長室。そこには、卓上に広げられた命令書を囲んで、タリア・グラディス、アーサー・トライン、そして新たに合流したアスラン・ザラと「ラクス・クライン」の姿があった。
タリアは、端末に表示された幾つもの「FAITH」の紋章を苦々しげに見つめ、こめかみを指で押さえた。
「……貴方を軍に戻し、ラクス様と共にFAITHに任命し、その上で私まで。いったい何を考えているのかしらね、議長は」
独り言のような呟き。かつて恋仲にあったギルバート・デュランダルという男の思考は、その知己であるタリアをしても、今や深淵のように計り知れないものとなっていた。
彼女から命令書を受け取ったアーサーが、内容を確認するなり素っ頓狂な声を上げる。
「ええっ!? 我々がこれからスエズの支援に向かうんですか!?」
「そうよ。ユーラシア西側で、連合の圧政から独立しようとするレジスタンスの紛争もあって、今地上で一番ゴタゴタしている場所ね。議長が何を狙っているかはともかく、発進準備が整い次第、我々はここを出航することになるわ」
「はぁ……。ミネルバはもともと大気圏内用というより、最新鋭の宇宙艦なんですけどねぇ……」
自信なさげに肩を落とすアーサーのぼやきは、プラント生まれの人間としては無理もない反応だった。彼らにとって地上の地政学や兵站の重要性は、どこか遠い世界の出来事のように感じられるのだろう。
その時、薄紫の和服の袖を静かに整えながら、ミーアが口を開いた。
「議長の狙いは明確ですわ、アーサー副長」
その凛とした声に、室内全員の視線が集中した。
「積極的自衛権の行使の名のもとに、今、地上のザフト軍の補給路を繋げようとしているのです。具体的にはスエズ運河を連合の制圧から解放し、このカーペンタリアと、ヨーロッパのジブラルタルを結ぶ巨大な兵站線を構築すること……」
淀みなく語られる戦略的分析。ミーアはアスランを見やり、穏やかに言葉を続ける。
「私やアスラン、そしてグラディス艦長をFAITHに任命し、議長の名代として現地へと遣わせる。それはプラントがこの『解放』に本気であるという政治的デモンストレーションでもありますわ。兵士たちの士気を高め、同時に連合の支配下にある人々に希望を与える……少々複雑な、政治の絡んだ命令ですわね」
「え、ええっ!? そんな、軍師みたいなことまで我々がやらなきゃいけないんですか?」
目を白黒させるアーサーに対し、ミーアはくすりと慈愛に満ちた笑みを漏らした。
「いいえ。戦争はただの陣取り合戦ではありませんが、実戦を担う方々が難しいことを考える必要はありませんわ。我々は、現地の圧政に苦しむ人々をその手で解放すれば、それで良いのです。あとの政治の話は、議長が引き受けてくれますわ」
その言葉には、かつてのミーアが持っていた卑屈さも、表面的なラクスの模倣もなかった。未来の知識を持ち、現実の戦場をその目で見てきた彼女だからこそ言える、極めて実利的で、かつ力強い「答え」だった。
(……この少女は)
タリアは、目の前の「ラクス・クライン」を凝視した。
ただの歌姫、ただの象徴だと思っていた。だが、今ここで戦略の核心を突いてみせた彼女の眼差しは、プラントのどの最高評議会議員よりも冷静に、この世界の「形」を捉えているように見えた。
「……分かりましたわ、ラクス様。ミネルバ、これよりスエズへと向かいます」
タリアの返答に、迷いはなかった。
歌姫が戦う理由を示し、英雄が剣を握り、艦長が舵を取る。
デュランダルが仕掛けた複雑な盤面の上で、ミーア・キャンベルという「バグ」が、ミネルバという駒をかつてないほど強固な意志で繋ぎ止めていた。