ミーア・キャンベル()の憂鬱   作:星乃 望夢

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STAGE:15 不可能を可能にする男

 

マゼンタ色のウィンダムが沈黙し、指揮官機を失った連合部隊が撤退していく中、ミネルバのMSデッキは異様な緊張感に包まれていた。

 

回収されたウィンダムは、左腕を失い、頭部も粉砕された無残な姿でハンガーに横たわっている。周囲を囲むザフトの憲兵たちが銃を構える中、プロヴィデンスから降りたミーアは、ピンクのパイロットスーツ姿のままその機体へと歩み寄った。

 

やがて、ウィンダムのコックピットハッチが重々しく開く。

 

現れたのは、黒い連合士官服に身を包んだ一人の男だった。

 

その顔にあったはずの仮面はどこにもない。男は憲兵たちの銃口を気にする様子もなく、ゆっくりと機体を降り、そこに立つミーアとアスランの顔を交互に見て、ふっと口角を上げた。

 

「へぇ。こりゃ驚いたな。まさかあのジャスティス擬きと……アイツの機体に乗ってたのがお前らだったなんてよ」

 

男は後頭部を掻きながら、かつての仲間を見つめるような、懐かしさと茶目っ気が混じった笑みを浮かべた。

 

「一応、久し振りでいいのか? アスラン、それに……ラクスの嬢ちゃん」

 

「しょ、少佐……!? ムウ・ラ・フラガ少佐なのですか!?」

 

アスランが絶句し、震える声でその名を呼ぶ。ヤキン・ドゥーエでアークエンジェルの盾となり、宇宙の塵となったはずの英雄。その生存という奇跡を前に、歴戦の戦士であるアスランも動揺を隠せない。

 

「ご無沙汰しておりますわ、フラガ少佐」

 

ミーアは一歩前に出ると、凛とした声で周囲の憲兵たちに命じた。

 

「銃を降ろしてくださいませ。この方は敵ではありませんわ。……彼の身柄は、私とアスランが責任を持って預かります」

 

「は、はっ!」

 

FAITHの、そしてラクス・クラインの権限は絶対だった。憲兵たちは互いに顔を見合わせながらも、速やかに銃を収めた。

 

「ヒュー。相変わらずの人気者だねぇ、嬢ちゃんは」

 

ムウは肩をすくめておどけて見せたが、その瞳はプロヴィデンスの巨体を一瞬だけ鋭く射抜いた。自分がかつて戦った、あの亡霊の機体を。

 

「積もる話もございます。アスラン、貴方はグラディス艦長への報告を。……私はフラガ少佐を部屋へとご案内しますわ」

 

「ああ。終わったらすぐに行く」

 

アスランは未だに信じられないといった様子でムウを見つめていたが、ミーアの冷静な言葉に促され、ブリッジへと向かった。

 

「さて、少佐。規定ですので、これだけは我慢してくださいね」

 

ミーアは申し訳なさそうに微笑みながら、ムウの両手に手錠をかけた。

 

「ああ、分かってるよ。捕虜の扱いとしちゃ、上等すぎるくらいだ」

 

手錠の触れ合う冷たい音を響かせながら、ミーアはムウを自分の士官室へと案内した。

 

背後でザフト兵たちの困惑するさざめきが遠ざかる。

 

廊下を歩きながら、ミーアは必死に心臓の鼓動を抑えていた。

 

(やった……。ムウさんを、ネオのままで終わらせなかった。ステラたちを救うための、最大のキーマンを手に入れたんだわ……!)

 

「……本当なら、こんなことしたくないんですけど」

 

「いいって。……それより嬢ちゃん。あんた、本当にラクス・クラインなのか?」

 

ムウの鋭い視線がミーアを捉える。

 

記憶が戻りかけ、感覚が研ぎ澄まされた「エンデュミオンの鷹」の直感を、ミーアは静かに受け止めた。

 

「……今は、そういうことにしておいてくださいな。ムウ・ラ・フラガ少佐」

 

ミーアは瞳に、ほんの少しだけ「ミーア・キャンベル」としての寂しさを滲ませながら、優しく微笑んだ。

 

 

◇◇◇

 

 

手錠を外されたムウは、自分の手首をさすりながら部屋を見回し、やがてベッドではなく、備え付けの椅子にどっかと腰を下ろした。

 

「……悪いな、嬢ちゃん。いや、今のあんたにこの呼び方は失礼か」

 

ムウの瞳には、先ほどまでのネオ・ロアノークとしての虚ろな光はない。自分を縛っていた偽りの記憶の破片を一つずつ拾い集め、本来の「ムウ・ラ・フラガ」という形を繋ぎ合わせようとしている男の目だ。

 

ミーアは薄紫のドレスの裾を整え、ムウと向かい合うように座った。そして、一度深く息を吐くと、ラクス・クラインとしての完璧な微笑を、ゆっくりと解いていった。

 

「……いいえ。少佐の直感通りですわ。私は、本物のラクス・クラインではありません。……私の名前は、ミーア・キャンベル。ただの、代役です」

 

正直に告げた言葉に、ムウは驚くふうもなく、「やっぱりな」と短く笑った。

 

「あんなデカブツを、あのラクス様が振り回すわけねぇ。……だが、驚いた。あんた、自分が偽物だってことを俺に話しちまっていいのかい?」

 

「少佐には、本当のことを知っておいていただきたかったのです。……貴方を救うために、私はあの大戦の亡霊を呼び覚ましました。貴方の記憶を、力ずくでこじ開けるために。……ごめんなさい、乱暴なことをしてしまって」

 

ミーアが深々と頭を下げると、ムウは大きな手で自分の後頭部をがしがしと掻いた。

 

「謝んなよ。……おかげで、ようやく目が覚めた。あのままネオ・ロアノークって人形のまま戦わされてたらと思うと、ゾッとするぜ。……不可能を可能にする男が、とんだ道化を演じるところだった」

 

ムウは自嘲気味に笑った後、ふと真面目な顔になってミーアを見つめた。

 

「で、あんた……ミーアって言ったか。そんな爆弾抱えて、一人でこんな綱渡りしてるのか?」

 

その問いに、ミーアは首を横に振った。少しだけ、誇らしげに。

 

「独りではありませんわ。……アスランはもちろん、ジュール隊のイザークやディアッカも、私の正体を知った上で協力してくれています。それに……」

 

ミーアは窓の外の空を見つめるように視線を逸らした。

 

「本物のラクス様と、キラがいます。彼らも私の事情を知り、私の……人質に取られている私の家族を助け出すために、動き出してくれていますわ」

 

「キラ……あいつも、生きてたのか」

 

ムウの顔に安堵の色が広がる。

 

「ええ。そして……おそらく今はアークエンジェルを動かしているはずのバルトフェルド隊長、そして――マリュー・ラミアス艦長も」

 

「……マリュー」

 

その名を口にした瞬間、ムウの身体が微かに震えた。

 

失われた記憶のパズルの、最後の一片が、その名前によってぴたりと嵌まったようだった。

 

「マリュー……そうか、マリューか……。あいつ、まだあの船に乗ってんのか。ったく、相変わらず苦労してんだな」

 

ムウは目を閉じ、愛おしそうに、そして苦しそうにその名を反芻した。一人の女性の泣き顔と、温もりが鮮明に蘇ってくる。

 

「彼らもきっと、少佐が生きていたと知れば、何をおいても駆けつけるでしょう。……ですので少佐、それまでは私が貴方を守ります。このミネルバで、ザフトの特務官として」

 

ミーアは再び、凛としたラクス・クラインの表情を貼り付けた。けれど、その瞳に宿る意志は、かつてのミーアのような「誰かのため」だけのものではなく、自らの手で運命を掴み取ろうとする一人の戦士のものだった。

 

「ヘッ……。替え玉の歌姫様に、歴戦の勇者たちが勢揃いでバックアップ、か。こりゃ、俺も大人しく言うことを聞くしかなさそうだな」

 

ムウは椅子に深くもたれかかり、天井を仰いだ。

 

「不可能を可能にする男、再始動……ってわけだ。……よろしく頼むぜ、ミーア。お前さんのその『嘘』が、本物の奇跡を起こすところまで、俺も見届けさせてもらうよ」

 

ミーアは小さく頷き、ムウのために温かい茶を淹れるべく立ち上がった。

 

一人、また一人と、本来なら失われていたはずの絆、本来なら届かなかったはずの想いへと繋いでいく。

 

自分がこの世界に転生した意味。

 

それが「死ぬこと」ではなく、「運命を変えること」であると、ミーアは今、確かな確信と共に噛み締めていた。

 

 

◇◇◇

 

 

グラディス艦長への報告を終えたアスランがミーアの部屋に戻ると、そこには先ほどまでの「捕虜と監視役」という関係を超えた、奇妙な連帯感が漂っていた。

 

アスランの姿を認めるなり、ムウはそれまでの緩んだ空気を一変させ、真剣な眼差しで口を開いた。

 

「……助けたい奴らがいるんだ」

 

その言葉に、アスランは足を止めた。ムウの口から語られたのは、地球連合軍の「強化人間(エクステンデッド)」──スティング、アウル、そしてステラの三人のことだった。

 

「アイツらは、研究所で人間扱いされずに育ってきた。今は記憶調整を受けて俺のことも忘れているだろうが……それでも、放っておけねぇ。俺にとっては、手のかかる子供みたいな連中なんだ。アイツらだけでも、この地獄から救い出してやりたい」

 

ムウの切実な願い。それは、戦場で彼らと刃を交えたアスランや、彼らの悲劇的な末路を知っているミーアにとっても、無視できるものではなかった。

 

「……約束しますわ、フラガ少佐。私も、全力を尽くします」

 

ミーアは迷いなく答えた。

 

アスランもまた、静かに、けれど強く頷く。

 

「戦場では厳しい局面もあると思います。だが……俺にできる限りのことはする。彼らを『敵』としてではなく、救うべき命として見据えて戦います」

 

「……ありがてぇ。恩に着るぜ」

 

ムウは二人の若者に向かって、深く、静かに頭を下げた。かつての英雄が、偽りの歌姫と苦悩する戦士に自らの「心」を預けた瞬間だった。

 

その後、ミーアはすぐさまブリッジへと向かった。

 

薄紫の羽織を翻し、艦橋に足を踏み入れた彼女は、待ち構えていたタリア・グラディスの前に立った。

 

「グラディス艦長。フラガ少佐……いいえ、『ネオ・ロアノーク』の処遇について、お話しに参りました」

 

ミーアは、ムウが連合の非道な記憶操作によって無理やり戦わされていた事実を淡々と説明した。そして、彼の身柄を自分とアスランの責任で預かること。そして、彼を「オブザーバー」として今後の作戦に同行させることを告げた。

 

「──さらに、FAITHの権限において、予備のコアスプレンダーを一機、徴収させていただきますわ」

 

「なっ……本気ですか、ラクス様!?」

 

タリアが絶句する。コアスプレンダー──それはインパルスガンダムの中核をなす、ザフトの最新鋭技術の結晶だ。

 

「彼は元ストライクのパイロット。ストライクのコンセプトを受け継ぐインパルスなら、これ以上ない適任ですわ。彼こそが、今のミネルバに必要な『翼』になります」

 

「認められません。連合の士官に、いきなり我が軍の最新鋭機を預けるなど、裏切りのリスクが大きすぎます。艦を預かる身として、それは許可できませんわ」

 

タリアの拒絶は、軍人として至極真っ当なものだった。

 

だが、ミーアはそれを予想していたかのように、不敵な微笑みを浮かべた。

 

「では、こうしましょう。……私がプロヴィデンスを降りますわ」

 

「……なんですって?」

 

「あの灰色の機体をフラガ少佐に譲渡します。空間認識能力において、私など彼の足元にも及ばない。彼がプロヴィデンスを駆れば、まさに鬼に金棒。……そして、私が代わりにインパルスを使えばよろしいのでしょう?」

 

ブリッジのクルーたちがざわめきに包まれる。

 

自分の愛機を差し出し、最も危険な提案を平然と行う「ラクス・クライン」。

 

タリアは、目の前の少女が放つ異様なまでの説得力に圧倒されそうになっていた。

 

「……何故、そこまで彼に機体を与えるのです。リスクを冒してまで」

 

タリアの問いに、ミーアはカメラの向こうの世界を見据えるような、透徹した瞳で答えた。

 

「『エンデュミオンの鷹』が、ザフトの最新鋭機──かつてのストライクの正統進化を駆って、連合を討つ。……これほどまでに強力で、パンチの効くプロパガンダは他にありませんわ」

 

ミーアは、一歩も引かずにタリアを見つめ返した。

 

「民衆は『物語』を欲しています。連合の非道を暴き、かつての英雄が正義のためにザフトへ加担する。その衝撃こそが、この泥沼の戦争を終わらせる楔になるのです。……艦長、これは戦術ではなく、『戦略』のお話ですわ」

 

タリア・グラディスは、戦慄していた。

 

目の前にいるのは、ただの歌姫でも、議長の操り人形でもない。

 

世界の流れを、民衆の心理を、そして戦場の機微までも掌の上で転がそうとする、極めて恐ろしく、そして心強い「政治家」だった。

 

「……分かりました。コアスプレンダーの使用、およびフラガ少佐のオブザーバー就任を許可します」

 

「よしなに、艦長」

 

ミーアは優雅に一礼し、ブリッジを後にした。

 

背後でアーサーが「本当にいいんですか……!?」と狼狽える声が聞こえたが、ミーアはもう前だけを向いていた。

 

ムウ・ラ・フラガに剣を。

 

エクステンデッドの子供たちに救いを。

 

そして、自分を縛る「運命」という名の鎖を、今度こそ根底から破壊するために。

 

ミーア・キャンベルの「解釈違い」の物語は、いよいよ誰も止めることのできない領域へと踏み出そうとしていた。

 

 

◇◇◇

 

 

「お待たせしましたわ、少佐。貴方のための機体、用意できましたわ。早速調整に参りましょう?」

 

部屋に戻ってきたミーアが事も無げに告げた言葉に、ムウは思わず耳を疑った。

 

ブリッジへ向かってから、まだ十分少々。

 

いくら「ラクス・クライン」の威光と、最高評議会議長直属の特務官「FAITH」の権限があるとはいえ、連合の捕虜、それも記憶を失っていた素性の怪しい男に最新鋭機をあてがうという決断。そしてそれを実行に移す速度。

 

(……本物のラクス嬢ちゃんも大概だったが、この娘はさらに「強い」な)

 

平和を願う慈愛の影に、冷徹なまでの合理的判断と実行力を秘めている。ムウは目の前の少女に、かつての戦友以上の、一種の畏怖すら感じていた。

 

案内された格納庫でムウを待っていたのは、ザフトの最新鋭システム──『コアスプレンダー』だった。

 

「これは……連合のストライクの焼き直しか? いや、もっと複雑だな」

 

「ストライクの設計思想を、ザフトの技術で再構築した機体ですわ。……見せてあげてくださいな。レッグフライヤー、チェストフライヤー、ドッキング!」

 

ミーアの合図と共に、小型戦闘機であるコアスプレンダーが変形し、飛来した上下半身のパーツと空中で合体。瞬く間に、一機のMS──インパルスガンダムが組み上がった。

 

ムウはMA乗りであり、戦闘機の操縦もお手の物だ。

 

しかしミーアは実戦での合体シーケンス技術習得の手間を省くため、まずはMS形態として固定した状態での慣熟訓練を提案した。

 

シミュレーターに乗り込んだムウは、次々と「シルエット」を換装させていく。

 

「ほう……。フォース、ソード、ブラストか。なるほどな、エール、ソード、ランチャーのストライカーパックを乗り回す感覚でいける」

 

ムウの空間認識能力が、インパルスのセンサー情報を瞬時に処理していく。

 

高機動戦でのフォース。

 

大剣を軽々と振り回すソード。

 

そして、圧倒的な火力を叩き込むブラスト。

 

モニターに表示されたシミュレーションスコアは、驚異的な数値を叩き出した。

 

それは、現役でインパルスを駆るシン・アスカの最高記録を、初乗りで、それも圧倒的な差で塗り替えるものだった。

 

「……嘘だろ。なんなんだよ、あんた!」

 

たまらずシミュレーターのハッチに駆け寄ったのは、その結果を影で見ていたシンだった。

 

自分の誇り、自分だけの力だと思っていたインパルス。

 

それを、昨日今日捕虜になったばかりの、どこの馬の骨とも知れない男が自分以上の精度で使いこなしている。

 

「あ? ああ、驚かせて悪かったな。昔取った杵柄ってやつだよ、ボウズ」

 

ムウはシミュレーターから降りると、汗を拭いながらニカッと笑った。

 

「いい機体だな、インパルス。……昔、これの先祖みたいなヤツで死にかけた甲斐があったぜ」

 

「……っ!」

 

シンは言葉を失った。

 

連合からやってきた「他所様」。自分たちが憎むべきはずの相手。

 

その男が、自分が認めたくない圧倒的な「経験」と「実力」を誇示してそこに立っている。

 

シンは、組み上がったインパルスの巨体を見上げた。

 

これまで自分を支えてきた「最新鋭機の選ばれたパイロット」という自負が、目の前の男の余裕によって、音を立てて軋んでいく。

 

(……救世主(セイバー)に、天帝(プロヴィデンス)、そしてこのおっさんのインパルス……)

 

シンは拳を握りしめた。

 

ミネルバに集った、規格外の「力」たち。

 

その中心にいるのは、微笑みを絶やさない、あのピンク色の髪の「ラクス・クライン」。

 

「シン、貴方も良い刺激になったでしょう? 切磋琢磨して、強くなってくださいな」

 

ミーアのその言葉が、今のシンには慈悲ではなく、これ以上ない冷酷な挑戦状のように響いていた。

 

運命の歯車が、本来の軌道を大きく逸れて、加速していく。

 

ミネルバという小さな箱舟の中で、かつての大戦の亡霊と、新しい時代の戦士たちが、一つの巨大な「意志」の下に収束しようとしていた。

 

 

 

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