作戦会議を終えたアスランは、グラディス艦長とアーサー副長と共に、砂埃の舞う道を歩いてミネルバへと戻る途中だった。
ふと、アスランの足が止まる。
視線の先には、現地レジスタンスの家族だろうか、薄汚れた服を着た難民の子供たちが集まっていた。
そして、その輪の中心にシン・アスカがいた。
屈み込んだシンは、子供の遊び相手をしているようにも見えた。
だが、アスランの目が捉えたのは、子供が手に持っている無骨な拳銃と、その構えを矯正しているシンの手だった。
「──ッ!」
背筋に冷たいものが走る。
アスランはタリアたちに断るのも忘れ、大股でシンの方へと歩み寄った。
「何をしている……!? 民間人の子供に銃など持たせるな!」
鋭い叱責に、シンが顔を上げる。
彼は悪びれる様子もなく、淡々と答えた。
「……俺が持たせたわけじゃありませんよ。コイツが練習してたから、俺はちょっと撃ち方を教えてただけです」
そう言って、シンは銃を持つ少年の頭を、優しく、慈しむように撫でてやった。
その手つきは、弟を可愛がる兄のそれだった。
アスランは絶句した。
こんな年端もいかない、まだ遊び盛りであるはずの子供が、人を殺す道具を「練習」しなければならないほど、彼らは追い詰められているのか。
「……ほら、もう行け」
「ありがとう、お兄ちゃん!」
シンに促され、子供たちはライフルを抱えて去っていく。
その小さな背中を、アスランは苦々しい思いで見送るしかなかった。
「アンタだってもう聞いたでしょ。アイツらは地球軍の侵攻で、自分達の家から追い出されたんですよ」
シンが立ち上がり、埃を払いながら、彼らの背中を睨むように見つめた。
「アイツもそれで親を殺されて……。だから地球軍を追い出して、町を取り返すんだって……。戦おうとしてるんだ、アイツは」
その言葉には、かつて家族を奪われたシン自身の痛みが重なっていた。
力なき正義が無力であることを、誰よりも知る少年の慟哭。
「……シン。良いことをしている気でいるのか? お前は……」
アスランの声は低く、震えていた。
だが、シンはその言葉に噛み付いた。
「? 戦場に出るなら必要でしょう? 自分が強くなきゃ、ただ殺されるだけだ! それともアンタは、それで良いとでも言う気ですか!?」
「……あんな子供が戦場に出ようとする……。出なきゃならないこと自体が問題だろう!?」
アスランの脳裏に、あの笑顔が過った。
ニコル・アマルフィ。
まだ15歳だった。ピアノが好きで、穏やかで、誰よりも優しかった少年。
彼もまた、プラントを守るために銃を取り、そしてアスランを庇って散った。
だが、今目の前にいた子供は、ニコルよりもさらに一回り幼い。
そんな幼子が銃を取る異常さ。
その「歪み」が、シンには見えていない。あるいは、見えていても「力」で塗りつぶそうとしている。
シンの表情が歪み、侮蔑の色が混じる。
「ああ……アンタ、オーブ被れでしたもんね。それが何でまたザフトに戻って、FAITHだかなんだか知りませんけどね……」
シンが一歩、アスランに詰め寄る。
「言ってることとやってる事がめちゃくちゃだよ、アンタは! オーブと同じで! 理想論振りかざしたって、戦場でそんなモンなんの役に立つ!? 撃たなきゃ撃たれるんだ! やらなきゃやられるんだ! アンタだって、そうやってきたから今ここに居るんだろう!?」
その言葉は刃となってアスランに突き刺さる。
かつてキラと殺し合った日々。生き残ってしまった自分。
だが、だからこそ、アスランには譲れない一線があった。
「ああ、そうさ。……だから知ってる!」
アスランは叫んだ。シンを、そしてかつての自分を否定するように。
「撃って撃たれるその力の怖さ、殺したから殺されて、殺されたから殺して! それで全部平和にならない事を、お前なんかより遥かにな!!」
アスランの気迫に、シンが僅かにたじろぐ。
そこにあるのは、ただの綺麗事ではない。血反吐を吐くような後悔と、実体験に基づく重みだった。
「銃で解決できる事など……本当は何一つないんだ。戦争は、ヒーローごっこじゃない!」
アスランはシンの胸倉を掴まんばかりの距離で、その瞳を射抜いた。
「撃つものなら、力を持つものなら、その力を正しく扱う想いを持て! ……せめてそのことだけは、覚えておけ!!」
吐き捨てるように告げると、アスランは踵を返した。
その背中は、FAITHとしての威厳よりも、深い悲しみを背負って見えた。
「……ッ」
シンは何も言い返せなかった。
いつもなら「何を偉そうに」と反発できたはずだ。
けれど、今のアスランの言葉には、シンと同じ「喪失の痛み」が確かにあり、そしてシンがまだ持っていない「その先を見据える覚悟」があった。
立ち尽くすシンの拳は、行き場をなくして震えていた。
ただ、子供たちに教えた銃の冷たい感触だけが、いつまでも手のひらに残っていた。
◇◇◇
マハムール基地の片隅、夕闇に沈み始めた難民キャンプの区画。
アスランに叩きつけられた正論と、自分の中に渦巻く割り切れない怒りの狭間で、シン・アスカは行く当てもなく歩いていた。
足元の砂を蹴り、やり場のない苛立ちに唇を噛む。
(正しく扱う想い……? ヒーローごっこ……!?)
アスランの言葉が棘のように胸に刺さって離れない。家族を失ったあの日の火の粉が、今も自分の心を焼き続けているというのに。
その時、風に乗って、震えるほどに澄んだ歌声が聞こえてきた。
「……僕たちは迷いながら、たどり着く場所を探し続け……」
シンは足を止めた。
粗末なテントが並ぶ一角。焚き火の淡い光に照らされて、一人の少女が座っていた。
薄紫の和服に、白い羽織。この埃っぽいキャンプにはあまりにも不釣り合いな、けれど救いのように美しいその姿。
「……哀しくて涙流しても、いつか輝きに変えて……」
歌っていたのは、ラクス・クラインだった。
彼女の周りには、さっきシンが銃を教えていた子供たちや、力なく座り込んでいた老人たちが、魔法にかけられたように静かに聴き入っていた。
「……なんで」
シンの口から、掠れた声が漏れた。
その声に気づいたのか、歌が終わると同時に、ミーアはゆっくりと顔を上げた。
「シン……。貴方も、お散歩かしら?」
「……なんで、そんな歌が歌えるんですか」
シンの声には、隠しきれない棘があった。
アスランにぶつけたのと同じ、絶望を知らない者への反発。
「『いつか輝きに変えて』……? 『明日への夢を捨てたくない』……? よくそんな綺麗なことが言えますね。何もかも失って、目の前で家族が肉片になった奴が……どんな思いで明日を見てるか、アンタには分からないだろッ!」
周囲の難民たちが怯えたように身を引く。だが、ミーアは逃げなかった。
彼女は静かに立ち上がり、シンの真っ赤に充血した瞳を真っ直ぐに見つめた。
「ええ、分かりませんわ、シン・アスカ。貴方が見た地獄を、私がそのまま体験することはできません。……でも」
ミーアは一歩、シンに近づいた。
「貴方のその怒りが、どれほど深い愛情から来ているのか。それは分かりますわ。……貴方は、大好きだったのでしょう? お父様も、お母様も……マユさんも」
妹の名を呼ばれた瞬間、シンの身体がびくりと震えた。
「アンタに……何が分かるんだよ……!」
「分かりますわ。だって、貴方はこんなに悲鳴を上げているもの。……『悲しみの理由でさえも、強く抱きしめていたい』。貴方の怒りは、亡くした人たちを忘れたくないという、切実な祈りなのでしょう?」
ミーアは、アスランのように「正しさ」を説かなかった。
彼女はただ、シンの傷跡を指でなぞるように、その痛みを肯定した。
「怒っていいのですわ、シン。泣いてもいいのです。貴方が今日、あの子に銃を教えたのは……もう誰も失いたくないと、あの子に自分と同じ思いをさせたくないと願ったからでしょう?」
「……っ……」
「それは、とても不器用で、けれどとても優しい『想い』ですわ」
シンの目から、熱いものが溢れ出した。
アスランには反発できた。だが、この「ラクス・クライン」の言葉は、彼の心の最深部にあった、自分でも気づかなかった「優しさ」を暴いてしまった。
「シン……」
ミーアは、無防備に泣き始めたシンの身体を、そっと、けれど力強く抱き締めた。
「……生きるほど、何かを失う。それはこの世界の残酷な真実。……でも、貴方が失ったものの代わりに、私がここにいますわ。アスランがいます。ミネルバの皆がいます」
羽織の柔らかな感触と、ミーアの温かな体温が、凍りついていたシンの心を溶かしていく。
かつて妹を抱きしめた時のように。母に抱きしめられた時のように。
「……ぁ、ああぁ……っ!!」
シンはミーアの肩に顔を埋め、声を上げて泣いた。
それは軍人としての涙ではなく、あの日、オーブの浜辺に置き去りにしてきた「子供」としての慟哭だった。
「大丈夫ですわ。貴方の怒りも、悲しみも、私が全部抱きしめてあげます。……だから、自分を嫌いにならないで。貴方の力は、誰かを守るためにあるのですから」
ミーアはシンの背中を優しく叩きながら、空を見上げた。
そこには、明日から始まる凄惨な作戦を微塵も感じさせない、静かな星空が広がっていた。
(ごめんね、シン。私は本物のラクス様じゃない。……でも、貴方のこの痛みだけは、私が誰よりも知っているわ)
知識としての物語ではない。
今、腕の中で震える一人の少年の体温を通じて、ミーアは自分がこの世界で「ラクス・クライン」として生きる本当の意味を、誰よりも深く刻み込んでいた。
「……僕たちは、変わってゆく。夢も心も見てきたけれど……。それでも、変わらない想いがあるのですわ」
ミーアは、泣き疲れて震えるシンの耳元で、静かに歌の続きを囁いた。
その歌声は、マハムールの砂塵に巻かれる難民たちの心に、そして復讐の炎に焼かれていた一人の戦士の心に、小さな、けれど確かな「灯火」を灯していた。
◇◇◇
瓦礫の影が長く伸びる、夕暮れのキャンプ地。
ミーアの歌声と、シンが声を殺して泣く気配だけが響くその場所から、少し離れた建物の陰に三人の男たちが佇んでいた。
アスラン・ザラ、ハイネ・ヴェステンフルス、そしてムウ・ラ・フラガ。
ザフトの赤服二人と、連合の黒服一人。
奇妙な取り合わせの三人は、言葉もなくその光景を見つめていた。
「……完敗だな、こりゃ」
沈黙を破ったのは、腕を組んで壁に寄りかかっていたムウだった。
彼は苦笑いを浮かべ、肩をすくめてみせた。
「正しい理屈で殴っても、子供の癇癪は収まらない。……今のあいつに必要なのは『正論』じゃなくて『逃げ場所』だったってことさ」
その言葉は、先ほどシンと正面から衝突したアスランに向けられたものだった。
「……分かっています」
アスランは痛ましげに目を細め、ミーアの腕の中で震えるシンの背中を見つめた。
「俺は……あいつに、かつての自分を見ていたのかもしれない。力が全てだと勘違いして、取り返しのつかない過ちを犯す前に……止めなければと、焦っていた」
正しさへの強迫観念。
ニコルの死、キラとの殺し合い。
その痛みを知っているからこそ、アスランはシンに「近道」を教えようとした。
だが、傷ついた獣には、どんな高潔な道徳も届かない。
「ま、お前の言ってることは間違っちゃいねぇよ、ザラ隊長」
ハイネがポンと、アスランの肩に手を置いた。
その表情は、弟分を諭す兄貴のように穏やかだった。
「だが、人間ってのはそう単純には出来てねぇ。特にああいう、傷口が開いたままのガキはな。……まずは『痛かったな』って言ってやらなきゃ、耳なんか貸さねぇよ」
「ハイネ……」
「そこを行くと、あの歌姫様は大したもんだ」
ハイネは感心したように口笛を吹きかけたが、空気を読んで音を出さずに止めた。
「自分の涙も、他人の涙も知ってる。……ただのお飾りのアイドルだと思ってたが、とんでもねぇ女傑だぜ。ありゃあ、本物のカリスマだ」
「ああ……。俺には出来ないことを、彼女はやってのける」
アスランは認めざるを得なかった。
自分は厳しさでシンを突き放してしまったが、ミーアはその全てを受け止めてみせた。
論理のアスランと、感情のミーア。
今のミネルバ隊には、その両方が必要なのだと。
「へっ。役割分担ってやつだろ?」
ムウがニカッと笑い、二人を見回した。
「厳しい父ちゃん役はお前がやればいい。その分、母ちゃん役がああしてフォローしてくれる。……で、俺たちみたいな親戚の兄ちゃん連中は、適当にガス抜きしてやりゃいいのさ」
「……随分と複雑な家庭環境ですね」
アスランが呆れたように返すと、ハイネが声を上げて笑った。
「違いねぇ! だが、悪くないチームだ」
三人の視線の先で、泣き止んだシンが、照れくさそうに、しかし憑き物が落ちたような顔でミーアから離れるのが見えた。
最強のMS部隊でありながら、どこか危ういバランスで成り立っていた
それが今、ミーアの歌声と抱擁によって、本当の意味で一つに繋がろうとしていた。
「……行こうぜ。若者たちの邪魔をするのは野暮だ」
ムウが歩き出す。
ハイネとアスランもそれに続く。
その背中は、これから始まる激戦を前に、頼もしい結束を滲ませていた。
◇◇◇
難民キャンプのさらに外縁、テントの影に潜むようにして、レイ・ザ・バレルとルナマリア・ホークもまた、その光景を立ち尽くして見つめていた。
シンを探して基地内を歩き回っていた二人がたどり着いたのは、焚き火の微かな光に包まれた、あまりにも痛切で、温かな「告解」の場だった。
「……シン……」
ルナマリアが、唇を震わせてその名を漏らした。
いつも強気で、生意気で、時に狂犬のように周囲を威嚇するシン。自分たちが知っている「エースパイロット」としての彼はそこにはいなかった。ただ、少女の腕の中で嗚咽し、震える、孤独な一人の子供の姿があった。
「あんな風に泣くなんて……」
ルナマリアの瞳に、熱い涙が溜まっていく。
彼女はシンの家族の悲劇を知っていた。けれど、その悲しみがどれほどの重さで彼の心を縛り続けていたのか、本当の意味では理解できていなかった。ミーアの歌声とシンの慟哭が、言葉にならない感情を彼女の心に直接流し込んでくる。
(ラクス様……。貴女は、あんなに優しく誰かを抱きしめることができるのね……)
ルナマリアにとって、ラクス・クラインは憧れの象徴であり、手の届かない星のような存在だった。けれど今、目の前で砂にまみれて少年を抱きしめるその姿は、神々しい歌姫ではなく、傷ついた弟を慈しむ姉のような、あまりにも「人間」の匂いがするものだった。
一方、レイは微動だにせず、ただ静かにその光景を注視していた。
その瞳は、いつものように冷徹な観察者のもののようでありながら、その奥底には説明のつかない「揺らぎ」が渦巻いていた。
(……シンの『不確定要素』が、彼女によって塗り替えられていく……)
レイは知っている。シンが抱える怒りは、デュランダル議長が彼を最強の戦士へと仕立て上げるための「ガソリン」でもあった。だが、今、ミーアがしていることは、その怒りを浄化し、全く別の「力」へと変えてしまう行為だ。
(議長は、これを予見していたのか? それとも……これも彼女の『解釈違い』なのか)
レイの耳に、ミーアの歌う歌詞が響く。
『僕らは生きる程 何かを失って それでも明日への夢を捨てたくない』
その言葉は、遺伝子によって定められた運命を生きるレイにとって、最も遠く、そして最も毒に近い「希望」の響きを持っていた。
「……ルナマリア。今は、行かない方がいい」
声を震わせるルナマリアの肩を、レイは静かに制した。その手は、いつになく冷たく、けれど確かな重みがあった。
「……うん。分かってる……分かってるけど……」
ルナマリアは顔を伏せ、溢れ出した涙を拭おうともせずに頷いた。
今、あの二人を邪魔することは、神聖な儀式を汚すことと同じだと、彼女の直感が告げていた。
「……ラクス・クライン。不思議な女性だ」
レイが、独り言のように呟いた。その視線は、シンを抱きしめるミーアの背中に釘付けになっている。
かつて自分がプロヴィデンスの影に感じた「業」や「呪い」とは対極にある、生身の人間が放つ生命の温もり。
「彼女の歌は……議長の言葉よりも、深く、冷たい場所まで届くらしい」
レイは自らの胸元に手を当てた。そこにあるはずのない心臓の鼓動が、わずかに早まっているのを感じて。
「戻るぞ。明日の作戦に支障が出る」
レイはそう告げると、一度も振り返ることなく暗闇へと歩き出した。
ルナマリアはもう一度だけ、焚き火の光の中にいる二人を見つめ、静かに、誰にも聞こえない声で祈るように呟いた。
「……頑張って、シン。……ありがとうございます、ラクス様」
砂塵の舞う夜の静寂。
ミーアが歌い上げた希望の旋律は、シンだけでなく、それを見守る若き兵士たちの心にも、消えない「傷」と、それを癒やすための「光」を刻み込んでいた。