鏡の中に立つ私は、もはや「地味な女の子」ではない。
薄紫の小袖に、白い羽織。
かつて第一次連合・プラント大戦の終盤、戦場を駆ける戦艦エターナルの指揮官席で、本物のラクス・クラインが纏っていた「決意」の衣装だ。
「……よし。やっぱりこっちの方がしっくりくるわ」
原作のミーアが着ていた、あの際どいポップな衣装も悪くないけど、今の私にはこっちの方が都合がいい。
「平和を希求する、凛とした聖女」
議長が望むプロパガンダとしての機能も果たしつつ、何より私自身の「格」を上げておかなければ、いざという時にアスランやアークエンジェル一行に信じてもらえない。
「ただ一点、ラクス様より勝っている部分があるとすれば……」
私は鏡の中で、帯の上に少し強調された「膨らみ」を眺める。
「……ふっ、勝った。こればかりは私の勝利ね!」
なんて、一人でバカなことを言って緊張を紛らわす。
でも、ふざけていられるのも今のうちだ。
私は、20年待って『SEED FREEDOM』まで見届けたオタクなんだ。
ラクスがどれほど孤独で、どれほど重いものを背負っていたか。キラを愛しながらも、どれほど「役割」という鎖に縛られていたか。
今の私には、当時のミーアが知り得なかった「ラクス・クラインの真実」が知識として備わっている。
だから、レッスンも徹底した。
媚を売るような派手なダンスは一切拒否。その代わり、歌には魂を込める。
『君は僕に似ている』や『去り際のロマンティクス』。
時空を超えた名曲を、このラクスと同じ声で歌い上げる快感。
「何その曲? 新曲?」とスタッフが不思議そうな顔をしていたけれど、いいのよ。心に響けば。
「……でも、歌ってるだけじゃ死にフラグは折れないのよね」
そう。私が手に入れたもう一つの武器。それが「MS(モビルスーツ)の操縦技術」だ。
「ラクス・クラインを演じるストレスが凄すぎて、何か没頭できるものが欲しいんです。……例えば、シミュレーターとか」
そう言って、議長に泣きついた。
あの男は、能力の有無を見極める目は天才的だけど、乙女心の裏側を読む力は意外と抜けている。
「それはいい。君が壊れてしまっては困るからね」なんて言って、あっさり許可が出た。
そこからの私は、まさに「ゲーム廃人」の如くシミュレーターに潜った。
だって、生き残るために必死だもの!
戦場は地獄だ。アスランと一緒に逃げるにしても、自分で自分の身を守れなきゃ、撃墜されておしまいだ。
「……よし、またスコア更新」
モニターに表示される「RANK: SSS」の文字。
軍の教官は、最初は「アイドルの遊び」だと馬鹿にしていたけれど、今じゃ私を見る目が完全に「エースパイロットを見る目」に変わっている。
『……素晴らしい。ラクス様、本当にザフトの赤服でもやっていけるんじゃないか? 反射神経もさることながら、機体制御の正確さが異常だ。誰かと競っているのかい?』
「あはは……まあ、抜かれたら抜き返さないと気が済まない質でして」
そう。シミュレーターのランキングには、たまに正体不明の凄まじいスコアを叩き出す奴がいるのだ。
多分、ルナマリアか、レイか……あるいは、シン・アスカか。
彼らのスコアを「未来知識」と「必死さ」で塗り替えるのが、今の私の唯一のストレス発散であり、生存率を上げるためのトレーニング。
「歌えて、踊れて(踊らないけど)、MSも動かせるラクス・クライン」
我ながら、盛りすぎなスペックになってきた気がする。
でも、これくらいやらないと、あのデュランダル議長の手の平からは逃げ出せない。
「……お父さん、お母さん。待ってて。必ず助け出すから」
私は羽織の裾を強く握りしめた。
家族の身の安全。そして、私自身の自由。
それらを手に入れるための「最初のステージ」が、もうすぐ始まる。
プラントの国民の前に。
そして、いずれ再会する「彼」の前に。
「さあ、始めましょうか。ミーア・キャンベルの……いえ、『ラクス・クライン』の物語を」
私は優雅に、かつ不敵な笑みを浮かべて、部屋のドアを蹴破らんばかりの勢いで開けた。
◇◇◇
アプリリウス市街を見下ろす、最高評議会議長室。
柔らかな月光が差し込む部屋で、ギルバート・デュランダルは手元の端末に映し出される映像を、興味深げに眺めていた。
スピーカーから流れるのは、どこか物悲しく、けれど強い意志を感じさせる旋律。
『去り際のロマンティクス』。
彼の指示したポップな新曲を「解釈違いです」と一蹴し、彼女自身が「今の私が歌うべき歌」として持ち出してきた曲だ。
「……『人生には「それでも」がついてくる』、か」
デュランダルは、琥珀色の液体が揺れるグラスを傾け、小さく独り言を漏らした。
「『それでも』……。私が最も忌み嫌い、そして
当初の予定では、ミーア・キャンベルはもっと扱いやすい駒であるはずだった。
適度に虚栄心があり、憧れのラクス・クラインになれることを喜び、与えられた派手な衣装を喜んで着る。民衆を熱狂させるための、記号としての「ラクス」。
だが、現れた彼女はどうだ。
薄紫の和服を纏い、背筋を伸ばして歩くその姿。
瞳に宿る、全てを悟ったかのような深く静かな光。
それは、デュランダルですら把握しきれていない「ラクス・クライン」という少女の核心部分を見事に捉えていた。
「驚いたな。遺伝子上の適正だけで人を選別してきた私の目に、狂いがあったというのか。彼女の中に眠っていた『ラクス・クライン』という概念の再現性は、私の計算を遥かに超えている」
さらに、彼を驚かせたのはシミュレーターのログだった。
遺伝子データ上、彼女のパイロット適正は「下の中」。平凡な市民レベルだ。
だが、現在の彼女のスコアは、ザフトの現役赤服兵に比肩する。
「『誰かがスコアを更新するたびに、それを塗り替える』……か。その執念は、もはや生存本能に近い。遺伝子が定める限界を、自らの意志で上書きしていく。……フフ、皮肉なものだね」
デュランダルは、口角をわずかに上げた。
予定とは違う。だが、面白い。
当初の計画では、彼女はプロパガンダの象徴として使い潰し、本物が現れれば不要になるはずだった。
しかし、これほどまでに「本物」を、あるいは「本物を超える偶像」を演じきり、かつ自衛の力まで備えつつあるなら、使い道はいくらでもある。
「君は、私が考えていた以上の『ワガママな娘』だ、ミーア。……だが、嫌いじゃない。自らの役割を理解し、その上で私に条件を突きつけてくる。その知性は、実に美しい」
彼女が両親を人質に取られていることで、従順さを保っているのは分かっている。
だが、彼女の瞳の奥にある「何か」は、すでに恐怖に支配された者のそれではない。
「いいだろう。君が望むなら、その『ラクス・クライン』を演じ続けるがいい。たとえその歌が、私の描く未来への反逆を孕んでいたとしても……」
彼は端末を閉じ、暗闇の向こうを見つめた。
「君がどこまでその『それでも』を貫けるか、見せてもらおうか。……期待しているよ、私の『ラクス・クライン』」
デュランダルの笑みには、冷徹な計算の中に、自分を驚かせた「想定外のバグ」に対する、歪んだ愛情のようなものが混じっていた。
彼はまだ気づいていない。
そのバグが、すでに彼の盤面を根底から揺るがし始めていることに。
◇◇◇
「ラクス様、ザクの搬入が終わりました」
スタッフのその声に、私は現実に引き戻された。
見上げれば、そこには目に痛いほどのピンク色に塗装された、巨大な鋼鉄の塊。
ライブ仕様のザク・ウォーリア──通称「ピンクちゃん」だ。
「ありがとうございます。ピンクちゃんも喜んでおりますわ」
私は優雅に微笑み、その装甲にそっと触れる。
全身に施された派手なマーキング。
ガンダムの長い歴史の中でも、モビルスーツをそのまま「アイドルステージ」にするなんて発想、ミーア・キャンベル以前には存在しなかった。
(……『専用ザク』か。甘美な響きよね)
内心、オタクとしての血が騒ぐ。
かつてジオンの猛者たちだけが許された「パーソナルカラーの専用機」という称号を、まさかこんな形で手に入れることになるとは。
ライブ中はマニュピレーター(手のひら)の上で歌うだけだから、基本は無人機。でも、今の私にはシミュレーターで鍛えた腕がある。
いざとなれば、この派手なだけの機体を「戦うための剣」に変えて見せる。そんな密かな自負が、私の胸を少しだけ熱くした。
けれど、場所が問題だ。
ここはアーモリーワン。プラントの最新工廠。
視線を巡らせれば、すぐ側には進水式を控えた最新鋭艦「ミネルバ」が、巨大な翼を休めている。
「おかしいわね……。予定より、出番が早すぎるわ」
本来なら、ミーアの初登場はもっと後。
「ユニウスセブン落下」の混乱で開戦した地球連合の核攻撃で不安に陥った市民を、ラクスとして勇気づけるのが最初の役目だったはずだ。
なのに、私は今、物語の「始まりの地」に立っている。
しかも、デュランダル議長からは信じられない言葉を投げかけられた。
『オーブから非公式に訪れるカガリ・ユラ・アスハ代表。彼女を迎える場に、君も立ち会ってほしい』
オーブ。
そこには「本物のラクス」が、キラ・ヤマトと一緒に静かに暮らしている。
そしてカガリの護衛として隣に立つ「アレックス・ディノ」ことアスラン・ザラは、今この瞬間も、本物のラクスを思い浮かべているはずなのだ。
(議長、あなたの狙いは何?……アスランへの揺さぶり?)
「名前を変えてもラクスとして責務を果たす私」と、「名前を変えて役目から逃げているアスラン」を対比させ、彼を再びザフトへと引き戻すための残酷なデモンストレーションか。
それとも、私の「ラクスとしての精度」を、本物を知る彼らにぶつけてテストしようというのか。
どちらにせよ、最悪だ。
だって、もうすぐここには「ファントムペイン」が襲撃してくる。
カオス、アビス、ガイア。三機の新型ガンダムが強奪され、この基地は地獄の戦場と化す。
原作にはなかった「ラクス・クラインとしての立ち会い」のせいで、私はその真っ只中に放り込まれようとしていた。
(別の死亡フラグがバッキバキに立ってる気がするんですけど!?)
でも、絶望してばかりはいられない。
これはピンチだけど、チャンスでもある。
アスランとこれだけ早く接触できるなら、ディオキアまで待つ必要はない。彼がミネルバに乗り込み、戦いに巻き込まれる前に、私の存在を「ただの偽物」以上の何かとして印象づけることができるかもしれない。
「ラクス様、議長がお呼びです。カガリ代表が到着されました」
「……わかりましたわ」
私は一度だけ、ピンクのザクを見上げた。
ライブ用機材? 笑わせないで。
もし混乱が起きたら、私はこの子と一緒に生き残ってやるんだから。
私は薄紫の和服の裾を捌き、凛とした足取りで歩き出した。
カガリ・ユラ・アスハ。そして、アスラン・ザラ。
彼らが知っている「ラクス・クライン」とは少し違う、でも、誰よりも「ラクス」を知り尽くした「私」を見せてやるために。
「……行きましょうか、ハロ」
『ハロ! ラクス! Going My Lord!』
スカーレット色のハロを引き連れて、私は運命の会談場所へと向かった。
開戦の砲声が鳴り響くまでの、残り少ない静寂の中を。
◇◇◇
「お待たせいたしましたわ、議長」
私は一歩、踏み出した。
凛とした所作、静かな微笑み。薄紫の和服が擦れる音さえも、計算し尽くされた「ラクス・クライン」のそれだ。
その瞬間、ハンガーの道路を歩いていたその場の空気が凍りついたのを肌で感じた。
「ラクス…………?」
絶句したのは、カガリ・ユラ・アスハだ。
彼女の隣でサングラスをかけ、「アレックス・ディノ」として控えているアスラン・ザラに至っては、その視線だけで私を射殺さんばかりの衝撃を受けている。
当然だ。彼はつい先日まで、オーブのほとりでキラと一緒に隠遁生活を送る「本物のラクス」の隣にいたのだから。
「カガリさん、お久しぶりですわ。オーブよりの遠路、ご苦労様です」
私は努めて穏やかに、本物そっくりの声で告げた。
アスランの拳が微かに震えているのが見える。
『偽物だ。お前は誰だ』。彼の心の叫びが聞こえてくるようだったけれど、私はあえてそれを無視し、デュランダル議長の隣に立った。
会談の内容は、平行線だった。
カガリの主張は、オーブから流出した技術や人材の軍事利用の即時停止。
「強すぎる力は、再び争いを呼ぶ……!」と、彼女は悲痛な面持ちで訴える。
けれど、私は知っている。
彼女が今、オーブでどれほど孤立しているかを。
セイラン家が大西洋連邦との癒着を強め、ウズミ様が命をかけて守った「オーブの理念」が、内部から食い荒らされていることを。
「カガリさん。あなたのおっしゃることは、一つの真実ですわ」
私は静かに、しかし遮るように口を開いた。
デュランダル議長が面白そうにこちらを見る。
「ですが……想いだけでも、力だけでも、成し遂げられないことがあります。想いを貫くには力が、力を正しく導くには想いが必要ですの」
それは、かつて本物のラクスが辿り着いた答え。
そして、この『SEED』という物語が繰り返してきたテーマだ。
「今の世界には、まだ前大戦の火種が燻っています。もしプラントが自らを護る牙を捨ててしまえば……かつての血のバレンタインの悲劇を、誰が止められるというのでしょう? 弱すぎる力もまた、悲劇を招く火種になり得るのです」
カガリが息を呑む。
彼女は今、力なき理想がセイラン家という「現実」に踏みにじられる痛みを、誰よりも知っているはずだ。
「オーブの理念は尊いものです。……ですが、その理念を守るための『力』さえ否定してしまえば、残るのは支配される未来だけではありませんか?」
私の言葉は、カガリへの助言であると同時に、アスランへの痛烈な皮肉としても響いたはずだ。
『お前は力を捨てて、名前を変えて、何を守れているんだ?』と。
アスランの視線が、サングラス越しに突き刺さる。
彼は混乱しているだろう。目の前の女は明らかに偽物なのに、語っている言葉は、あまりにも「ラクス・クラインの本質」を突きすぎている。
(ごめんね、アスラン。でも、これが今の私の戦いなの)
私は内心で謝りながらも、完璧な聖女の微笑みを崩さなかった。
デュランダル議長が満足げに頷く。
「彼女の言う通りだ、アスハ代表。我々には護るべき民がいる。そのためには、残念ながら……備えが必要なのだよ」
議長の言葉に、カガリは悔しそうに唇を噛んだ。
彼女を論破したいわけじゃない。でも、ここで私が「お花畑な理想」だけを語る偽物でいれば、議長に利用されるだけの駒として終わってしまう。
私は、議長にとっても、アスランにとっても「無視できない存在」にならなきゃいけないんだ。
その時だった。
──ズズンッ……!!
地響きのような衝撃が、アーモリーワン全体を揺らした。
「な、何!? 爆発!?」
カガリが立ち上がる。
始まった。ファントムペインによる新型機強奪作戦だ。
「議長! 避難を!」
護衛の兵士たちが駆け込んでくる中、私は混乱するフリをしながら、辺りを見た。
工廠のあちこちから火の手が上がっている。
(来たわね……。私の「初陣」が)
私はスカートの裾を握りしめ、混乱に紛れてアスランの近くに寄る。
そして、一瞬だけ、ラクス・クラインの仮面を脱ぎ、地声に近いトーンで彼に耳打ちした。
「……死なないでね、アスラン」
アスランが目を見開く。
私が何者か問い詰めようとした彼を置き去りにして、私は駆け出した。
目指すは、ライブ機材の格納庫。
平和の歌を歌っている場合じゃない。
この混乱の中、私は私の意志で、この「死の運命」に介入してやる。