大西洋連邦軍の完全撤退を確認し、アークエンジェルへと帰投したMS部隊。
格納庫は、帰還した機体の熱気と、整備班の喧騒、そして何より勝利の興奮に包まれていた。
整備ドックへと収容されたデスティニーインパルス。
そのコクピットハッチが開き、パイロットスーツ姿のシン・アスカがリフトを使ってフロアへと降り立った。
「ふぅ……。なんとか、守りきったな」
ヘルメットを脱ぎ、乱れた黒髪をかき上げながら安堵の息を吐くシン。
あの巨大な怪物たちを相手取った連戦による疲労は、確実に彼の体を重くしていた。
その時である。
「シン!!」
弾むような声と共に、ピンク色の髪をなびかせた少女が駆け寄ってきた。
ミーア・キャンベルである。
彼女は、シンが汗で汚れていることなど一切気にする素振りも見せず、勢いよくその胸へと飛び込んだ。
「わ、わっ!? ミ、ミーアさん!?」
シンが慌てて受け止める。
柔らかい感触と、甘い香り。
至近距離で見上げられ、シンは瞬く間に顔を赤く染めた。
「凄いですわ! 本当に凄かった! あの巨大な化け物たちを、貴方は本当に……ちぎっては投げ、ちぎっては投げ!」
ミーアは感極まった様子で、シンの首に腕を回し、その身体を強く抱きしめた。
「私の言った通り……いえ、それ以上でしたわ! 貴方は最高の
彼女の興奮は当然であった。
ザムザザー、ゲルズゲー、そしてデストロイ。
それらは単なる兵器ではなく、連合軍が誇る「恐怖の象徴」であり、兵士たちの心を折るための精神的支柱であった。
それを、シンは正面から、しかも圧倒的な力で粉砕してのけたのだ。
「あ、ありがとう……ございます。……ミーアさんが、俺を信じてくれたから」
シンはおずおずと、けれど確かな充足感と共に、彼女の背中に手を回した。
周囲の整備兵や、ハイネたちがニヤニヤと見守る視線が痛いほどだが、今のシンにとって、この温もりは何よりの安らぎであった。
この抱擁は、死線を潜り抜けた戦士への労いであり、同時に、不可能を可能にした功績に対する、彼女からの最大級の「褒賞」でもあったのである。
かくてオーブ防衛戦は、若きエースの武功と、それを支えた歌姫の絆によって、完全なる勝利として幕を閉じたのであった。
◇◇◇
格納庫の喧騒が少し離れた場所で、キラ・ヤマトはひとり、巨大な機体を見上げていた。
そこに佇むのは、ミーア・キャンベルの乗機、プロヴィデンス。
背負った円盤状のドラグーン・プラットフォーム。重厚な装甲。そして、威圧的なその面構え。
キラの脳裏に、嫌でもあの日の記憶が蘇る。
憎悪に満ちた声で、人の業と世界の滅びを叫んだ男、ラウ・ル・クルーゼ。
そして、その機体が放った光に焼かれ、宇宙の塵となったフレイ・アルスターの最期。
(……分かってはいるんだ。機械に罪はないって)
だが、そのシルエットはあまりにも鮮烈に、キラの心に刻まれた「呪い」を刺激する。
今は頼もしい味方であり、シンの背中を守り、敵を退けた守護神だ。
それでも、キラの胸中には、割り切れない黒い澱のような感情が渦巻いていた。
「……怖い顔、していますわね」
ふと、横から声をかけられた。
シンへの抱擁を終え、興奮冷めやらぬ様子から一転、穏やかな表情に戻ったミーアが立っていた。
「ミーア……」
「クルーゼ隊長の機体……。貴方にとっては、悪夢そのものですものね」
ミーアはキラの視線を追い、自らの愛機を見上げた。
彼女は知っているのだ。この機体がかつて何を成し、何を奪ったのかを。
「……正直、複雑だよ。あの機体が、僕たちの味方としてここにいるなんて」
キラは正直な想いを吐露した。
「かつてこの機体は、世界を呪い、滅ぼそうとした人の『絶望』そのものだったから」
「ええ。ですがキラ。力は、ただ力ですわ」
ミーアは静かに、けれど強い意志を込めて告げた。
「銃も、剣も、モビルスーツも。……それを良きことに使うのも、悪しきことに使うのも、全ては人の意志次第」
彼女はプロヴィデンス、そしてその奥にあるフリーダムを指し示した。
「『自由』も、扱いを誤れば無秩序な破壊になります。『正義』も、独善になればただの殺戮です。……そして『摂理』もまた、人を滅ぼす運命ではなく、人を守るための導きとなり得るのです」
「……!」
「想いだけでは、守れません。力だけでも、届きません」
ミーアはキラに向き直り、真っ直ぐにその瞳を見つめた。
「想いを遂げるための力。そして、その強大な力を正しく導くための想い。……その二つが揃って初めて、この『摂理』は呪いではなく、守るための剣として機能するのです」
かつてラクス・クラインが語った言葉に似て非なる、より現実的で、痛みを伴った覚悟。
それを聞いた瞬間、キラの中にあった霧が晴れていくような感覚があった。
(ああ……そうか)
キラは、アスランの顔を思い浮かべた。
再会した時、迷いの中にいた彼が、なぜ今はあんなにも迷いなく、澄んだ瞳で戦場に立てているのか。
その理由が、今ようやく理解できた。
自分たちは、ずっと悩み続けていた。「何と戦うのか」「どう戦えばいいのか」と。
だが、目の前の彼女は違った。
「戦う理由」と、それに伴う「痛み」を知り、それでもなお、その足で立っている。
理想だけを語るのではなく、清濁を併せ呑み、泥に塗れてでも未来を掴み取ろうとする確固たる意志。
それが、アスランの背中を押し、シンの暴走を止め、そして今、キラの迷いをも断ち切ろうとしているのだ。
「……ありがとう、ミーア」
キラは憑き物が落ちたような顔で微笑んだ。
「君のおかげで……僕も、この機体を『仲間』だと思えそうだ」
「ふふ、良かったですわ。……頼りにしていますよ、キラ」
ミーアは優雅に微笑み返すと、踵を返して歩き出した。
その背中は、可憐な少女のものではなく、時代を導く指導者の風格を確かに帯びていた。
キラは改めてプロヴィデンスを見上げ、今度は恐怖ではなく、頼もしさを込めてその鋼鉄の巨神を見据えたのであった。
◇◇◇
地球連合軍最高司令部、ロゴスの奥の院。
その豪華絢爛な執務室は、いまや氷点下まで凍りついたかのような静寂と、爆発寸前の殺気に満ちていた。
大型モニターには、大西洋連邦が誇る太平洋艦隊の無惨な敗走記録が、そしてロゴスの「絶対的な力」の象徴であったデストロイが、一機の紅い機体によって一刀両断される光景が、何度も、何度もリフレップされていた。
「……何だ……これは。一体……何なのだ、これはぁッ!!」
ロード・ジブリールの絶叫が、防音の壁を震わせた。
彼は手近にあった高級なクリスタル製の水差しを、モニターに向かって叩きつけた。ガシャァン!という不快な破砕音と共に、水が画面を濡らし、火花が散る。
「太平洋艦隊の主力MS40機! 陽電子リフレクターを備えた最新鋭MAが6機! それだけでもオーブのような小国を三度焼き払って余りある戦力のはずだ! それが……たった数分!? 冗談にもほどがあるッ!!」
ジブリールは乱れた息を整えようとするが、こみ上げる怒りで顔は真っ赤に充血していた。
「不殺の英雄だか何だか知らんが、あのフリーダム……。そして、あのドラグーンを操る灰色の亡霊ども! 何なのだ、あれはッ! あれはプラントのクルーゼがヤキン・ドゥーエで使い潰したはずの欠陥機ではないのか!」
彼の指が、モニターの静止画に映るミーアのプロヴィデンスを、憎しみを込めて指し示す。
「そして……あの紅い機体だ。デストロイを……我らロゴスの神を、あのように無造作に、ゴミを片付けるかのように……ッ!!」
ジブリールは恐怖に近い戦慄を覚えていた。
物量でもなく、技術でもない。ロゴスの支配を根底から否定する「圧倒的な個の暴力」。それが、二人のラクス・クラインという異質な象徴の下に集い、一つの意志で動いている。
彼が長年かけて築き上げた「ナチュラルがコーディネイターを支配し、管理する」という世界の秩序が、あの島の上で粉々に粉砕されたのだ。
「デュランダル……! あの狸め、これほどまでの『駒』を隠し持っていたというのか! あの小娘に、これほどまでの牙を与えたのは貴様かッ!」
ジブリールの独白は、もはや理性を失っていた。
彼は、自分たちが仕掛けた「スエズ攻略」も「オーブ独立阻止」も、すべてがミーアという一人の少女が奏でる狂った旋律に飲み込まれてしまったことを理解していた。
「……認めん。このような理不尽、断じて認めんぞ……!」
彼は狂気に染まった瞳で、通信端末を掴んだ。
「ロゴスの各員に伝えろ! 太平洋艦隊の生き残りは、全機、全艦を即座に再編。ヘブンズベースの戦力も動員しろ! オーブ一国ではない……プラントも、アークエンジェルも、二人のラクス・クラインも! 我らの秩序を汚す異物すべてを、地上から完全に抹消するのだ!!」
ジブリールの背中には、追い詰められた猛獣のような、どす黒い絶望と殺意が渦巻いていた。
ミーアが書き換えた「解釈違い」の物語は、いまやロゴスの首魁をその根城から引きずり出し、世界を巻き込む最後の決戦へと駆り立てようとしていた。
運命の天秤は、ジブリールの指先から零れ落ち、ミーアが掲げる「摂理」の手中へと、完全に移り変わっていた。
◇◇◇
プラント最高評議会議長室。
柔らかな月光さえも遮断されたその密室で、ギルバート・デュランダルは、世界中のネットワークを駆け巡る悲鳴と罵声のログを、まるで極上の音楽を楽しむかのように聞き入っていた。
特に、アイスランドにある地球連合軍最高司令部──通称ヘブンズベースの周辺から漏れ聞こえてくる、理性を欠いた絶叫のノイズ。
「……ふふ。酷い有様だね、ジブリール」
デュランダルは、手元のワイングラスに注がれた深紅の液体を、ゆっくりと、愛おしむように回した。
モニターには、かつて自分がシン・アスカのために用意しようとしていた『デスティニー』のプロトタイプが、ロゴスの「神」であったデストロイを紙屑のように切り裂く瞬間が映し出されている。そして、その傍らで優雅に舞う、自分が作り上げた「偽の歌姫」の機体。
「自慢の機動艦隊が塵に変わり、不沈の巨神が一刀の下に沈む。……プライドを何よりも重んじる君にとって、これ以上の屈辱はないだろう?」
デュランダルは椅子に深く背を預け、天井を見上げて小さく笑った。その笑いには、宿敵への嘲弄と、そして自分ですら制御しきれなかった「バグ」に対する、奇妙なまでの誇らしさが混じっていた。
「おやおや、ジブリール。……もしかして君は、ミーア・キャンベルの『ワガママ』を見るのは初めてかな?」
彼は独り言を続け、グラスを口に運ぶ。
「彼女は、私が書いた台本を『解釈違い』だと言って投げ捨てるような娘だ。露出の多い服も、民衆を惑わすだけの甘い歌も拒み、『摂理』を掲げながら戦場に飛び出し、『運命』の灯を唄う。……そんな彼女が、君の用意した程度の『予定調和の暴力』で満足するはずがないだろう」
デュランダルは、ジブリールが今ごろ執務室で家具を破壊し、部下に当たり散らしながら、のた打ち回っている姿を幻視していた。
ナチュラルがコーディネイターを支配するという「理屈」を信じ、己こそが正義だと疑わない男。
彼にとって、ミーアが作り上げた「自由、正義、運命、神意、黄金」が揃い踏みするオーブの戦場は、もはや悪夢を通り越して、宇宙の物理法則そのものが歪められたかのような恐怖に違いない。
「君は『数』で支配しようとした。だが、彼女は『想い』を遂げるために、私が用意できる最高の『力』をすべて奪い去っていったのだよ。シン・アスカを、レイを。……そして、あのキラ・ヤマトまでをも、自らの旋律に取り込んでね」
デュランダルは、グラスの中のワインを一口含み、その芳醇な香りを噛みしめた。
「可哀想に。……君がどれほど怒り狂おうとも、彼女のワガママは止まらない。次はヘブンズベースか、あるいはレクイエムか。……ミーアの歌が終わる時、君の居場所は、この世界のどこにも残っていないだろうね」
デュランダルはワインを飲み干すと、暗転したモニターに映る自分の顔を見つめた。
「さて……。君がのた打ち回る間に、私も彼女の『ワガママ』に相応しい、さらに大きなステージを用意するとしようか。……でなければ、彼女に飽きられて、捨てられてしまうのは……今度は私の方かもしれないからね」
議長の静かな嗤い声が、誰もいない夜の執務室にいつまでも、冷たく響き渡っていた。
◇◇◇
宿敵ジブリールの無様な狂態をひとしきり愉しんだ後、ギルバート・デュランダルは静かに椅子を引き、執務デスクの端末へと向き直った。
ディスプレイに表示されているのは、最高機密に属する一機のMSの最終調整記録、および配備認証書類である。
【ZGMF-X42S デスティニー】
ザフトの技術の粋を集め、セカンドステージの全ての機能を一機に統合した究極の多目的戦闘機。本来、それは彼の「デスティニープラン」が公に宣言された後、秩序の番人たるシン・アスカに授けられるはずの、文字通りの「運命」の剣であった。
デュランダルは迷うことなく、電子ペンを走らせてサインを記した。
「……真実を求める者には、それに相応しい翼が必要だ」
今、この機体をミーアたちの元へ送ることは、戦略上、自らの管理を離れた「不確定要素」をさらに強大にすることを意味する。
アークエンジェルという異分子に、オーブという不服従の国。
そこに、プラントが誇る最強の機体を与える。軍部が知れば狂気と断じるであろうその行為も、今のデュランダルにとっては必然の投資に過ぎなかった。
「シン・アスカ。君がミーアの腕の中で、あの日の怒りを『守るための想い』へと昇華させたというのなら……このデスティニーこそが、君を完成させる最後のピースとなるだろう」
デスティニーインパルスという「繋ぎ」ではなく、限界を知らぬ真の運命の翼。それがあれば、シンはもはや何者にも、たとえかつての英雄であるキラ・ヤマトにさえも、引けを取ることはない。
デュランダルは背もたれに深く身を預け、虚空を見据えた。
「ミーア・キャンベル……。君が私の用意した全ての駒を奪い、自らの旋律で世界を塗り替えていくというのなら、私はそれを全力で祝福しよう。……その旋律がより高く、より鮮烈に響くよう、私にできる最高の『塩』を贈らせてもらうよ」
彼が見ているのは、もはや自らの権力維持ではない。自分が創造し、そして自らの手すら離れて羽ばたき始めた「
「さあ、行ってくれ、私の『運命』よ。彼女のワガママという名のタクトのもとで、ジブリールが描き続ける『無知と欲望の残像』を、今度こそ根底から薙ぎ払って見せておくれ」
送信ボタンが押され、デスティニー受領の命令は秘密裏に、けれど最優先事項として、オーブ近海へと急行する輸送シャトルへと下された。
運命の脚本家は、今や最高の観客へと成り果て、ミーア・キャンベルという名の奇跡が起こす次なる大逆転を、心待ちにしていた。