先のオーブ戦での屈辱的な敗北を受け、ジブリールは苛立ちを隠そうともせず、艦隊再編の指揮を執っていた。
「急げ! グズグズするな! 使える艦とMSを掻き集めろ! オーブへの雪辱戦だ!」
だが、その怒声は、けたたましい緊急警報によって遮られた。
「報告! 月軌道にて大規模な戦闘勃発! ザフト軍月軌道艦隊が動きました!」
「チッ、デュランダルめ。ハイエナのように嗅ぎつけてきたか」
ジブリールは舌打ちをした。オーブでの敗北を見て、好機と捉えたのだろう。
だが、続く報告が彼の思考を停止させた。
「敵艦隊の目標は、月の表側『アルザッヘル基地』! ……そして、月の裏側『ダイダロス基地』も同時に攻撃を受けています!!」
「……何だと?」
ジブリールは持っていたペンを取り落とした。
「アルザッヘルは分かる。だが……なぜダイダロスだ? あそこは極秘中の極秘、地図にも載っていない資材搬入基地だぞ!?」
「そ、それが……! ダイダロスを攻撃しているのはザフト正規軍ではありません! 識別信号……『アークエンジェル』です!!」
「なんだとッ!?」
ジブリールは素っ頓狂な声を上げ、椅子から転げ落ちそうになった。
「アークエンジェルだと!? 馬鹿を言うな! 奴らはつい先日、オーブで我々の艦隊を追い返したばかりだぞ!?」
彼はモニターに喰らいつき、送られてきた映像を確認する。
そこには間違いなく、あの白い足つきの戦艦と、ナスカ級ザフト艦が、ダイダロス基地の防衛線を食い破っていく姿が映っていた。
「なぜだ! なぜ奴らがそこにいる! 瞬間移動でもしたと言うのか!? それ以前に……なぜ『そこ』をピンポイントで狙う!?」
オーブで傷ついた羽を休めているはずの時間だ。
それが、休息もそこそこに宇宙へ上がり、一直線にここへ来たというのか。
「まさか……知られたのか? 『レクイエム』の存在を……!」
ジブリールの顔から血の気が引いた。
世界を恐怖で支配するための最終兵器。
月の裏側から地球を狙い撃つ「神の鉄槌」。
それが、完成直前に嗅ぎつけられ、喉元に刃を突きつけられている。
「ええい、死守だ! 何としても守り抜け! アルザッヘルから増援を出させろ!」
「で、出来ません! アルザッヘルはザフトの大艦隊に包囲され、釘付けにされています! 一隻たりとも外には出せません!」
「ぐ……ぬうううっ!」
デュランダルの陽動か。
完全に嵌められた。
地球にいるジブリールには、月で起きている惨劇に対して、指一本触れることができない。
「おのれ……おのれぇぇッ! またしてもか! またしても私の邪魔をするか、アークエンジェル!!」
彼はモニターを拳で殴りつけ、泡を飛ばして絶叫した。
「神の座に手をかけた私を、貴様らはどこまでコケにすれば気が済むのだ! 呪ってやる……! 貴様らなど、宇宙の塵になって消え失せろぉぉぉッ!!」
世界を操る黒幕の部屋には、もはや何の力も持たない、敗北者の遠吠えだけが空しく響き渡っていた。
◇◇◇
プラント、アプリリウス市。
最高評議会議長執務室。
モニターに映し出される戦況図は、月の裏側にある極秘基地「ダイダロス」が、アークエンジェルとザフト有志連合によって蹂躙されている様を冷酷に示していた。
ギルバート・デュランダルは、愛用のチェス盤の前で、ナイトの駒を指先で転がしながら、感嘆と愉悦が入り混じった溜息を漏らした。
「ダイダロス基地……まさか、月の裏側の資材搬入基地とはね」
彼は独り言つ。その声音には、珍しく素直な驚きが含まれていた。
「我々の諜報網ですら、『レクイエム』の所在を完全には特定できていなかった。……てっきり、廃棄コロニー群の陰にでも隠しているかと思っていたのだが」
灯台下暗し、ならぬ、月の裏側という永遠の死角。
デュランダルにとっても、そこは盲点だった。
もしミーアからの情報提供がなければ、プラントは、あるいはデュランダル自身の計画さえも、あの一撃によって灰にされていたかもしれないのだ。
「フフ……それを看破し、あろうことかオーブ戦の傷も癒えぬまま宇宙へ駆け上がり、即座に喉元へ食らいつくとは」
デュランダルは、モニターの向こうにいるであろう「元・影武者」に思いを馳せ、クククッと喉を鳴らした。
「見事だよ、ミーア。……君は私の予想を裏切り続けることで、私をも救ってみせたわけだ」
そして、彼の思考は、地球で地団駄を踏んでいるであろう宿敵へと向く。
「哀れだねぇ、ロード・ジブリール。……オーブでの敗走など、まだ可愛げのある遊戯だったと思えるほどの悪夢だろう?」
想像するだけで笑いがこみ上げてくる。
「虎の子」どころか、世界を脅迫し、支配するための「王手」の駒。
それを、盤上に置く前に粉砕されようとしているのだ。
今のジブリールの狂乱ぶりは、恐らく血管の一つや二つでは済まないだろう。
「怒り狂い、叫び、呪詛を吐くがいい。だが、もう遅い」
デュランダルは、手にしたナイトの駒を、盤上の敵陣深くへと突き刺すように置いた。
「彼女は……ミーア・キャンベルという歌姫は、もう誰にも止められないよ」
その瞳は、制御不能な奔流となって歴史を突き動かす少女への、歪んだ、しかし確かな愛着に満ちていた。
「止められるものか。……彼女は今、自分自身の意志で、世界という舞台のセンターに立っているのだからね」
議長室には、策士の意図すら超えて羽ばたく蝶を愛でるような、静かで熱っぽい笑い声が響いていた。
◇◇◇
ダイダロス基地の防衛網は、いまや断末魔の叫びを上げていた。
月面の地平線を埋め尽くす爆炎の中、レクイエムの本体を保護する巨大な隔壁がその威容を現す。
発射時以外は閉じられたその鉄壁を破るべく、作戦は最終段階へと移行した。
「正面の敵に構う必要はありませんわ! 私はこれより搬入口より内部へ侵入、コントロール施設を叩きます!」
ミーアはプロヴィデンスを加速させ、巨大なハッチが開いたままの貨物搬入口へと機体を滑り込ませた。
ドラグーンを自機の周囲に盾として浮遊させ、迎撃の対空砲火を次々と無力化していく。
だが、ロゴスも最後の手を打たずにはいられなかった。
月面のクレーターを割り、地響きと共に三機の巨神──デストロイガンダムが姿を現した。
「シン! 俺たちであのデカブツをやるぞ! お兄さんの新しい翼の性能、見せてやろうじゃないか!」
『了解、ハイネさん! 露払いは俺たちが引き受けます!』
ハイネのデスティニーインパルスと、シンのデスティニー。
二つの「運命」が背中の翼を最大出力で解放した。
ヴォワチュール・リュミエールが生み出す光の奔流が、月面に幾重もの残像を刻みつける。
デストロイが放つ全方位の火線を、その圧倒的な機動力で「すり抜ける」ように回避。
一瞬の交差。
ハイネのエクスカリバーとシンのアロンダイトが、重力下ではあり得ない速度で巨神の胴体を何度も切り裂いた。トランスフェイズ装甲の閾値を超える斬撃の嵐に、二機のデストロイは爆発を待つ間もなく沈黙し、月面の塵へと帰した。
残る一機。その射線上に立ちはだかったのは、キラ・ヤマトのフリーダムであった。
「これ以上、撃たせはしない……!」
キラは、精密な射撃と計算し尽くされた機動で三機目のデストロイの注意を完全に引きつけた。
巨大なビーム砲がフリーダムを追うが、キラの技量はその全てを空に逸らしていく。
その「隙」を、レイ・ザ・バレルが逃すはずもなかった。
「……チェックメイトだ」
プロヴィデンスザクから射出された大型ドラグーンが、デストロイの死角を完璧に包囲する。
陽電子リフレクターがフリーダムに集中しているその一点を、逆方向から飛来したビームスパイクが貫通。高出力の光の鏃がデストロイの動力源を直撃し、巨大な爆炎が真空の宇宙を白く染め上げた。
「……皆さま、感謝いたしますわ。あとは任せて!」
味方の完璧な援護に背中を預け、ミーアはプロヴィデンスを基地深部へと突入させた。
薄暗い通路の先にある、レクイエムの心臓部。
ロゴスが世界を統べるために作り上げた「絶望のタクト」を叩き折るため、摂理の手が、今まさにその喉元へと届こうとしていた。
◇◇◇
通路の最奥部。冷たい電子音と無機質な灯りに包まれたレクイエムのコントロールセンターへと、灰色の巨神プロヴィデンスが辿り着く。
「……これで終わりですわ。ロゴスの皆さま」
ミーアは一切の躊躇なく、大型ビームライフル『ユーディキウム』のトリガーを引いた。放たれた高エネルギーの閃光が、世界を絶望の淵に追いやるはずだった制御端末群を次々と貫き、爆砕していく。
連鎖する爆発がコントロールルームを飲み込み、指揮系統は一瞬で消滅した。
だが、ミーアの「ワガママ」はそこでは終わらない。
「形すら、残させませんわ!」
ミーアは機体を鮮やかに反転させると、背部のプラットフォームに接続されたままの全ドラグーン端末を前方へと展開した。
「いけぇぇぇぇッ!!」
ビームライフル、左腕の複合兵装防盾に備えられたビーム砲、そしてドラグーンが一斉に火を噴いた。
密閉された空間を無数の光条が埋め尽くし、レクイエムの心臓部である砲塔基部を滅多打ちに叩く。
装甲が融解し、エネルギー導管が誘爆を起こすと、巨大な要塞の深部で断末魔のような地鳴りが響き渡った。
一方、月面地上ではシンのデスティニーが暴風となって荒れ狂っていた。
「逃がさない……! ここにあるものは、全部壊してやるッ!!」
ヴォワチュール・リュミエールの残像を引き連れ、シンは港湾施設へと突入。
アロンダイトが巨大なクレーンを切り裂き、長射程ビーム砲が逃げ惑う連合の艦を次々と沈めていく。
司令部施設はデスティニーが放つ火線の雨によって、文字通り紅蓮の炎に包まれ、崩壊していった。
守備隊の通信は途絶え、迎撃の火線は一筋、また一筋と消えていく。
やがて。
激しい爆発の余波が収まると、そこにはただ、音のない月面の静寂だけが戻っていた。
地球のどこへでも死の歌を届けるはずだった「レクイエム」は、その旋律を奏でる前に、ミーアたちの手によって物理的に、そして完全に沈黙させられたのである。
(……救えた。プラントも、地球の街も。もう、理不尽な光に怯える必要はない……)
モニターの端には、基地の残骸を背に、静かに翼を休めるデスティニーとフリーダム、そしてヴォルテールの艦影が映っていた。
本来の物語ではプラントに甚大な被害を出し、多くの命を奪った忌まわしき兵器。
それを、歴史の表舞台に出る前に叩き潰すという「最大級の解釈違い」。
ミーア・キャンベルの生存戦略は、いまや人類を滅亡の危機から救うという、未曾有の戦果を月面に刻み込んだ。
「……お疲れ様でしたわ、皆さん。帰りましょう。私たちの、誇れる明日へ」
ミーアの穏やかな声が、戦火の消えたダイダロス基地の廃墟に、静かな勝利の祈りとして響き渡った。