ミーア・キャンベル()の憂鬱   作:星乃 望夢

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STAGE:29 変革の序曲

 

プラント最高評議会議長室。

 

ダイダロス基地の陥落、そして戦略級兵器『レクイエム』の完全沈黙という報せが届いた瞬間、ギルバート・デュランダルは静かに瞳を閉じ、深く、満足げな息を吐いた。

 

「……終わったか。実に見事な幕引きだ」

 

彼は即座に、アルザッヘル基地正面で睨み合いを続けていた月軌道艦隊へ通信を繋いだ。

 

「全艦隊に通達。陽動任務は完了した。直ちに防衛ラインまで後退せよ。……深追いは無用。我々の目的はすでに果たされた」

 

ザフトの精鋭艦隊は質において連合を圧倒しているが、物量においては依然としてあちらが上。

 

ダイダロス攻略という「奇跡」のための時間稼ぎという大任を果たした今、貴重な戦力を無意味な消耗戦に投じる必要はない。

 

それがデュランダルの下した冷徹かつ合理的な判断であった。

 

命令を終えたデュランダルは、サイドボードから一本のヴィンテージ・ワインを取り出した。

 

真っ赤な液体をグラスに注ぎ、月面を映し出すモニターに向かって、それを静かに掲げる。

 

「さて、ジブリール……。今の君の顔は、どれほど無様で、どれほど蒼白なものかな?」

 

想像するだけで、極上の音楽を聴いているかのような愉悦が全身を駆け抜ける。

 

太平洋艦隊という「手足」をもがれ、レクイエムという「心臓」を撃ち抜かれた男。

 

ロゴスという巨大な闇を背負い、世界を意のままに操ってきたと信じていた守銭奴たちが、たった一人の少女が奏でる旋律の前に、今や丸裸にされているのだ。

 

「乾杯だよ、ミーア・キャンベル。……君は期待以上に、この盤面を美しく壊してくれた」

 

デュランダルは一口、芳醇な香りを喉に滑り込ませた。

 

だが、彼は立ち止まらない。これがゴールではないことを、彼は誰よりも知っているからだ。

 

「さあ……舞台を整えよう。古い時代の『解釈違い』を、根底から清算するために」

 

デュランダルはグラスを置き、全世界へと繋がる緊急放送のコンソールを起動した。

 

その瞳には、知的な好奇心を越えた、冷徹なまでの「正義」が宿っている。

 

数分後。

 

地球、プラント、そして各コロニーの全モニターが、一斉に最高評議会議長の姿を映し出した。

 

『世界中の同胞たちよ。そして、平和を願うすべての人々へ……。私は今、あまりにも恐ろしい真実を皆に告げねばならない。我々がこれまで流してきた血、その裏側で、それを啜り、戦争を商品として売買してきた者たちの名を』

 

デュランダルの静かな、けれど有無を言わせぬ説得力を持つ声が、惑星の隅々にまで浸透していく。

 

『その名は、ロゴス。……我らの平和を食い荒らす、この世界の真の病巣である』

 

次々と映し出される、ロゴス各員の顔写真と、彼らが関与してきた非人道的な兵器開発の証拠──そして、ダイダロスに隠されていたレクイエムの残骸。

 

ミーアが物理的に牙を抜いた今、デュランダルは情報の刃を以て、ロゴスの息の根を止めにかかった。

 

それは「運命」という名の濁流が、最後の一点──ロゴスの殲滅、そしてデスティニープランの成就へと向かって、爆発的に加速し始めた瞬間であった。

 

 

◇◇◇

 

 

月面のクレーターを背に、静かに翼を休めるアークエンジェルのブリッジ。

 

モニターに映し出されたギルバート・デュランダルの演説が終わり、静寂が戻った室内で、ミーア・キャンベルはマリュー・ラミアスの前に立った。

 

「……ここまでのご協力、感謝いたしますわ。ラミアス艦長」

 

ミーアは穏やかに、しかし一国の指導者としての重みを伴った動作で右手を差し出した。

 

マリューはその手を見つめ、慈愛と敬意の入り混じった複雑な表情でそれを取り、力強く握りしめた。

 

「こちらこそ、感謝してもしきれません。……貴女がいなければ、フラガ少佐との再会も、この世界の破滅を止めることも叶わなかったでしょう」

 

二人の女性が交わした握手は、一つの大きな悲劇を共に乗り越えた同志としての「証」であった。

 

だが、ミーアの瞳には冷徹な現実が映っていた。

 

オーブの解放は成った。レクイエムという理不尽な矛も折った。これらはオーブにとって、自衛のための正当な戦いであったと言える。

 

しかし、デュランダルがロゴスという「共通の敵」を公表した今、これ以上の共闘はオーブの理念──『他国を侵略せず、他国の侵攻を許さず、他国の争いに介入しない』という国家の背骨を根底から揺るがしかねない。

 

「オーブは、オーブであらねばなりません。……これ以上、私たちがここに留まっては、カガリさんの掲げる中立の旗が、プラントの色に染まってしまいますわ」

 

「……ええ、分かっています。オーブは再び、自分たちの足で歩み始めなければならない。それがカガリさんの選んだ道ですから」

 

マリューの言葉に、ミーアは深く頷いた。呉越同舟の旅は、ここで一度幕を閉じる。

 

数刻後、アークエンジェルのハッチが開き、4機のMSが月面へと飛び出した。

 

シンのデスティニー。

 

ハイネのデスティニーインパルス。

 

レイのプロヴィデンスザク。

 

そして、ミーアのプロヴィデンス。

 

彼らはそのまま、少し離れた位置で待機していたナスカ級『ヴォルテール』のハンガーへと滑り込んでいく。

 

「よう。……随分と派手な戦果を引っ提げて戻ってきたな、お前ら」

 

「ふん! あれだけの戦力で基地一つ落とせなければ、無能の極みだ」

 

格納庫で彼らを迎えたのは、腕を組み、不敵な笑みを浮かべたイザーク・ジュールと、その隣でやれやれと肩をすくめるディアッカ・エルスマンであった。

 

「よう、イザーク! ディアッカ!」

 

ハイネがタラップを降りながら快活に声をかける。

 

シンやレイも、信頼を置く先輩たちの姿に、戦場での高揚を僅かに和らげた。

 

ヴォルテールのブリッジに上がったミーアは、メインモニター越しに遠ざかっていくアークエンジェルの雄姿を見つめていた。

 

「キラ……ラクス。どうか、オーブをお願いしますわ」

 

通信機を通さない、独り言のような呟き。

 

青い地球へと向かって、重力に引かれるように加速していく白い木馬。そこにはキラ・ヤマトが、そしてオーブの未来が乗っている。

 

一方で、ミーアたちの戦いはこれからが本番であった。

 

ロゴスという闇を討ち払い、デュランダルが加速させる「運命」の先を見極める。

 

その道は、アークエンジェルが選んだ平穏への道よりも、遥かに険しく、血生臭いものになるだろう。

 

「ヴォルテール、回頭。……我々も、次なる戦場へ向かうぞ」

 

イザークの号令が響き、快速艦はその船体を反転させた。

 

漆黒の宇宙の向こうには、ジブリールという獣が潜む地球の影が横たわっている。

 

二隻の伝説的な艦は、月軌道の静寂の中でそれぞれの航路へと別れた。

 

ミーア・キャンベルの書き換えた物語は、今、プラントとオーブという二つの正義を互いの掌に託し、最終決戦の地へと収束し始めていた。

 

 

◇◇◇

 

 

月面の熱気が嘘のように静まり返ったヴォルテールの士官室。

 

そこには、今や「世界の命運」という重すぎる天秤を掌に乗せた六人の男女が、円卓を囲むように集まっていた。

 

ミーア、ハイネ、シン、レイ。そして、この艦の主であるイザークとディアッカ。

 

先ほどまでの華々しい戦勝の余韻は微塵もなく、室内にはただ、これから訪れる「本物の闇」に対する緊張感が重く沈殿している。

 

沈黙を破ったのは、薄紫の和服の裾を静かに整えたミーアであった。

 

「ロゴスを討てば、この戦争は終わりますわ。……けれど、それは平和の始まりではありません。もっと冷たく、逃げ場のない『停滞』の始まりです」

 

ミーアは、ギルバート・デュランダルがロゴス殲滅の先に用意している終着駅──『デスティニープラン』の全貌を語った。

 

遺伝子によって個人の才能を定義し、職業を割り振り、争いの原因となる「欲望」や「迷い」を根底から排除する社会。

 

戦いはない。けれど、そこには個人の夢も、希望も、明日を変えようとする野心も存在しない。

 

「私は……そんな、人の心を死なせる世界に、否を告げますわ」

 

ミーアの断固たる言葉に、レイが静かに同調した。

 

彼は自らがクローンであり、プランの先取りとして「役割」を与えられていた事実を、ここにいる全員に改めて突きつけた。

 

「……議長の描く世界は、効率的で美しいだろう。だが、それは俺のような『部品』を量産するための工場に過ぎない。俺は……シンやルナマリアと笑い合える、不確かな明日を歩きたい。だから、俺も否を告げる」

 

「俺もだ!」

 

シンの声が響く。デスティニーの操縦桿を握り、自分の意志で故郷を守り抜いた少年の瞳は、もはや迷走していた頃のそれではない。

 

「運命なんて誰かに決められたくない。俺たちがどこへ行くか、何になるか……それは俺たちが決めることだ。レイやルナ……ミーアさんと一緒に、俺は明日を作りたいんだ!」

 

ミーアは、次に視線をハイネへと向けた。

 

オレンジ色のエースは、ミーアの「値踏み」するような視線に、ふっと苦笑いを浮かべて後頭部を掻いた。

 

「……いやぁ、バレてたか。俺が議長から『ラクス様の動向を見守れ』って特命を受けてたこと」

 

ハイネはあっけらかんと認めた。彼はFAITHとしてミーアに随行しながら、その一挙手一投足を本国へ報告するスパイとしての役割も担っていたのだ。

 

「でもさ……遺伝子で全部決められちゃあ、俺のこの派手なパーソナルカラーも『無駄』だって切り捨てられちまうだろ? 俺は俺の生きたいように生きて、守りたいもののために死にたいのさ。……悪いな、議長。お兄さんは、こっちのワガママな歌姫様に賭けることにしたぜ」

 

ハイネが軽やかに「否」を突きつける。

 

残されたのは、イザーク・ジュールとディアッカ・エルスマンの二人であった。

 

彼らにとって、この決断は他の者たちよりも遥かに重い意味を持っていた。

 

二年前、ヤキン・ドゥーエの戦いにおいて、彼らは自らの正義に従ってプラントを救った。

 

その後の軍法会議で、彼らが極刑を免れ、今こうして白服を纏い部隊を率いていられるのは、偏にデュランダル議長による恩赦と引き立てがあったからである。

 

イザークは腕を組み、険しい表情で目を閉じていた。

 

その額には青筋が浮き、内心の激しい葛藤を物語っている。

 

ディアッカもまた、いつもの軽口を封印し、手元の空になったカップを見つめたまま動かない。

 

恩義ある指導者か。それとも、目の前で奇跡を形にしてきた「偽物の歌姫」の意志か。

 

「……イザーク」

 

ミーアが静かにその名を呼ぶ。

 

彼女は知っている。この二人が加わるか否かで、プラント本国における軍事的・政治的発言力が劇的に変わることを。

 

イザークはゆっくりと目を開けた。その瞳に宿っているのは、かつてガンダムを追って戦場を駆け抜けていた頃の狂気ではなく、一人の指揮官としての、そして一人のザフト兵としての誇りであった。

 

「……貴様は言ったな。想いを遂げる力が、力を導く想いが必要だと」

 

イザークの低い声が士官室に響く。

 

「デュランダル議長には、報いきれぬほどの恩がある。政治というものが清濁併せ呑むものだということも、今や理解しているつもりだ。……だが」

 

イザークは立ち上がり、ミーアの瞳を真っ向から射抜いた。

 

「プラントの全市民を首輪で繋ぎ、それを『平和』と呼ぶ。……そんな欺瞞、俺の誇りが許さんッ!!」

 

「イザーク……!」

 

ディアッカが驚いたように相棒を見るが、すぐに観念したように笑みを浮かべた。

 

「……ま、そう言うと思ったぜ。俺も、あんな退屈そうな世界じゃ、操縦桿を握ってる意味がねぇからな。恩返しは別の形でしてやるさ。……ミーア、俺たちも乗るぜ。あんたのワガママにな」

 

イザークとディアッカ。ザフト正規軍の象徴とも言える二人が、ついにその旗をミーアへと預けた。

 

「……感謝いたしますわ。二人とも」

 

ミーアは深く、深く頭を下げた。

 

ロゴスを討つ戦いは、同時にデュランダルの理想を討つ戦いへと変貌した。

 

ヴォルテールの密室で結ばれたこの小さな同盟は、やがてプラント全土を、そして世界を揺るがす巨大な叛逆の狼煙となる。

 

「作戦の第一段階は、ジブリールの排除ですわ。……ですが、それはプランを止めるための『手段』に過ぎません。……行きましょう。私たちが、本当の明日を手にするために」

 

ミーアの号令と共に、戦友たちはそれぞれの戦場へと戻っていく。

 

歴史の闇に埋もれるはずだった「替え玉」の物語は、今、本物の歴史をその背に背負って、最終局面へと突き進み始めた。

 

 

◇◇◇

 

 

ヴォルテールの士官室に、冷徹なまでの戦略と、それを上回る熱い覚悟が交錯する。

 

「……まずは、ロゴスを討ちますわ。これは避けては通れない道です」

 

ミーアは卓上のホログラムマップに浮かぶ、地球連合軍の拠点群を指し示した。

 

「ブルーコスモスの母体であり、反コーディネイター感情を煽り、戦争をビジネスに変えてきた彼らの中枢を叩き潰さなければ、現実問題として世界に平和を構築することは不可能です。議長がデスティニープランを掲げる前に、まずはこの『負の遺産』を清算しなければなりません」

 

その言葉に、室内の一同は深く頷いた。たとえデスティニープランに反対であっても、ロゴスという巨悪を野放しにすることの危険性は全員が理解している。

 

「ですが」

 

ミーアの声のトーンが一段、低くなった。

 

「本当の戦いは、ロゴスが消えた後に始まります。……議長が満を持してデスティニープランを発表したその時、プラント軍部、そして全市民は二つに分かれるでしょう。安定という名の支配か、苦難を伴う自由か。……その時、軍部で『否』を告げる者たちの受け皿が必要なのです」

 

ミーアは真っ直ぐに、イザークとディアッカを見据えた。

 

「イザーク、ディアッカ。貴方たちにお願いしたいのは、その纏め役です。議長への恩義と、人としての尊厳の間で揺れる兵士たちを導き、一つの『力』として繋ぎ止めてほしいのですわ」

 

「……軍内部での叛乱、あるいは派閥抗争の首魁になれ、ということか」

 

イザークが絞り出すような声で言った。それはザフトの正規軍人として、最も重く、苦しい道だ。

 

「ええ。ですが、安心してくださいな」

 

ミーアはふわりと微笑んだ。それは慈愛に満ちた、けれど何者にも屈しない最強の「偽物」の笑みだった。

 

「貴方たちを『逆賊』にはさせません。その時の旗頭は、この私が務めます。……プラントのラクス・クラインとして、デスティニープランを、そしてギルバート・デュランダルの欺瞞を、私が真っ向から否定して見せますわ」

 

「ミーアさん……」

 

シンの声が震える。

彼女は、本物のラクスが不在のこのプラントで、その名前の重みをすべて背負い、全責任を一人で被るつもりなのだ。議長に最も近い場所にいながら、最も苛烈な叛逆の狼煙を上げる。それは、文字通りの命懸けの舞台(ステージ)だった。

 

「……フン。これ以上ないほど、わかりやすい死地だな」

 

イザークはそう言うと、組んでいた腕を外して両腰に手をやって胸を張った。

 

「いいだろう。貴様がその派手な羽織を汚してまで先頭に立つというのなら、俺たちがその背中を支えてやる。ジュール隊の全兵力、そして俺の伝手で動かせる部隊すべて、貴様の旋律に合わせて動かしてやるよ」

 

「……ま、あんなガチガチに管理された世界じゃ、趣味の舞も踊れねぇからな。付き合うぜ、ミーア」

 

ディアッカの軽口は、彼なりの最大の誠意だった。

 

ミーアは深く、深く頭を下げた。

 

「……ありがとうございます。これで、ようやく譜面が完成しましたわ」

 

ロゴスを討つための「正義の軍」。

 

そして、議長に抗うための「自由の軍」。

 

ミーア・キャンベルが蒔いた小さな種は、ザフト最強のエースたちを巻き込み、一つの巨大な「意志」となって結実しようとしていた。

 

「行きましょう。まずは、ジブリールを。……そして、私たちの本当の明日を掴み取るために!」

 

ミーアの号令と共に、士官室の空気は一変した。

 

もう、誰も迷っていない。

 

灰色のプロヴィデンスを中心に、異端の戦士たちは、歴史の荒波を切り裂くべく次なる戦場──ヘブンズベース、そしてロゴス殲滅作戦へと、その目を向けた。

 

運命という名の脚本は、今、その著者であるデュランダルさえも予測し得ない、壮大な「反逆の序曲」を奏で始めていた。

 

 

 

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