ミーア・キャンベル()の憂鬱   作:星乃 望夢

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STAGE:30 真実の告白

 

宇宙の守りをイザークとディアッカのジュール隊に託し、ミーアたちは、地中海の要衝ジブラルタル基地へと降下した。

 

眼下に広がるのは、ロゴス殲滅という大義の下に集結したザフトおよび地球軍義勇兵による大艦隊の威容である。

 

その中心には、数々の死線を潜り抜けてきたミネルバが、次なる決戦を待つ巨鳥のように翼を休めていた。

 

ジブラルタルの司令部に入った直後、レイ・ザ・バレルに一通の呼び出しが届く。

 

送り主は、プラント最高評議会議長、ギルバート・デュランダル。

 

レイは、自らの決意を胸に、静寂に包まれた議長の執務室へと足を踏み入れた。

 

「……来たね、レイ」

 

窓の外、夕日に染まるジブラルタルの港を見つめていたギルバートが、ゆっくりと振り返る。

 

その慈愛に満ちた瞳は、かつての迷える少年ではなく、一人の強い意志を宿した「人間」として立つレイを静かに捉えた。

 

「レイ、君の報告書は読ませてもらったよ。ジュール隊と共にあった日々、そして……『彼女』が君に語りかけたこともね」

 

レイは真っ直ぐにギルバートを見つめ、一歩も引かずに口を開いた。

 

「ギル。俺は……俺に与えられた『ラウ・ル・クルーゼ』としての役目を、果たせそうにありません」

 

その告白に、ギルバートは微かに眉を動かしたが、何も言わずに続きを促した。

 

「俺は、クローンとして短命な自分の運命を、貴方のデスティニープランに委ねることで納得させようとしていた。……けれど、ミーアが教えてくれたのです。明日を願うことは、罪ではないと。俺は……シンやルナマリア、そしてミーアと共に、笑い合える明日を歩きたい。たとえその時間が短く、不確かなものであっても……運命に縛られ、友を利用する世界を、俺は肯定できません」

 

レイの声は、震えていながらも確かな熱を帯びていた。

 

かつてのように議長の言葉を絶対的な正解として飲み込むのではなく、自らの内側から湧き上がる「願い」を言葉にした瞬間であった。

 

ギルバート・デュランダルは、しばらくの間、黙ってレイの顔を見つめていた。

 

やがて、彼の口元に一瞬だけ浮かんだのは、政治家としての冷徹な笑みではなく、わが子の成長と自立を目の当たりにした親としての、寂しげで誇らしげな微笑であった。

 

「……そうか。君もまた、彼女の奏でる『自由』という名の不協和音に、心を奪われてしまったのだね」

 

ギルバートは立ち上がり、デスクのモニターを操作した。

 

「ならば、その願いを叶える力を授けよう、レイ。君が友を守り、自らの明日を切り拓くための剣を」

 

ハンガーの隔壁が開き、そこには一機の最新鋭MSがその禍々しくも気高い姿を現した。

 

【ZGMF-X666S レジェンド】

 

プロヴィデンスの流れを汲み、第2世代ドラグーン・システムを搭載した、伝説の名を冠する機体。

 

本来はデスティニープランの執行者として与えるはずだった「摂理」の完成形。

 

「君がラウの影ではなく、レイ・ザ・バレルとしてその機体を駆ると言うのなら……それもまた、一つの結末だ。受け取りなさい、レイ。君の語る『明日』が、ロゴスの闇を撃ち抜くに値するものかどうか……その力で私に証明してみせるがいい」

 

「……感謝します、ギル」

 

レイは深く、一礼した。それはかつての盲目的な従属ではなく、恩義ある者への、最後の決別の礼でもあった。

 

伝説の翼が、宿命を拒絶した少年の手に渡った。

 

ミーア・キャンベルが蒔いた希望の種は、プラントの指導者の懐深くにおいてさえ、抗いがたい力となって芽吹き始めていた。

 

ジブラルタルの空に、決戦の鐘の音が響き渡る。

 

ロゴスという過去を葬り、自分たちの手で未来を掴み取るための戦いが、いよいよ最終章へと突入しようとしていた。

 

 

◇◇◇

 

 

最新鋭機レジェンドの受領を終え、退室しようとしたレイ・ザ・バレルは、扉の前で足を止め、最後の一つの問いをギルバート・デュランダルへと投げかけた。

 

「……議長。最後にもう一つだけ、お聞きしたいことがあります」

 

「何かな、レイ」

 

「ミーア・キャンベル……彼女の家族についてです。彼女をこの役割に縛り付けるための『人質』であった両親は、今、どうなっていますか」

 

レイの問いは、静かだが鋭かった。彼女の心を最も深く縛り、恐怖させていたその鎖の行方を確かめることは、彼女と共に明日を願うと決めたレイにとって、避けては通れぬ義理であった。

 

それを受けたギルバートは、まるで過去の些細な事務手続きを思い出したかのように、あるいは「そんな古い話もあったか」と言わんばかりの、あっけらかんとした態度で告げた。

 

「ああ、そのことか。案ずることはない。彼女の両親なら、既にクライン派のエージェントへと引き渡してあるよ」

 

「……クライン派に、ですか?」

 

予期せぬ回答に、レイは微かに目を見開いた。

 

「今の彼女の輝き、そして彼女が自ら作り上げたこの壮大な舞台(ステージ)に、人質などという無粋な鎖はもはや不要だよ。そのような不純物は、かえって彼女の旋律を濁らせる。彼女は今や、恐怖による支配など必要としない、唯一無二の歌姫だ。……ならば、その鎖は解いておくのが、演出家としての礼儀というものだろう?」

 

ギルバートは穏やかに微笑み、手元の端末に視線を戻した。

 

「これを彼女にどう伝えるか、あるいは伝えないままにしておくか……それは君に任せるよ、レイ。今の彼女なら、たとえ家族が安全だと知っても、その歩みを止めることはないと確信しているからね」

 

「…………」

 

レイは沈黙した。ギルバートという男の、底の知れない合理性と、美学に基づいた残酷なまでの「配慮」。それはかつて自分を縛っていた檻の一部であったが、今のレイには、それが彼女を解放するための最後の一押しに思えた。

 

「……承知いたしました。失礼します」

 

レイは感情を押し殺したまま、背筋を伸ばし、ギルバート・デュランダルへ向けて最後かつ完璧な敬礼を捧げた。

 

執務室を辞したレイの足取りは、先ほどよりも一層力強いものとなっていた。その手には最新鋭の『レジェンド』の起動キーがあり、その胸には彼女の絶望を終わらせるための真実が宿っている。

 

ジブラルタルの乾いた廊下を歩きながら、レイは遠くミネルバが待つ港を見据えた。

 

鎖は解かれた。あとは、彼女が「ラクス・クライン」として、そして「ミーア・キャンベル」として、真に自らの翼で羽ばたく瞬間を見届けるだけである。

 

物語の最終幕へ向けた準備は、皮肉にもその元凶であった男の手によって、完璧に整えられたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

ミネルバの静まり返ったブリーフィングルーム。

 

レイが、シン、ルナマリア、そしてミーアを呼び出した。

 

レイの表情は、いつになく穏やかで、それでいて揺るぎない覚悟に満ちていた。彼は卓上に一つの起動ディスクを置いた。

 

「ギルから、新たな剣を授かった。……『レジェンド』。プロヴィデンスの流れを汲む、究極のドラグーン搭載機だ」

 

その報告に、シンが「レイ……」と呟く。だが、レイの話はそこで終わらなかった。彼は視線をミーアへと向け、静かに、けれど決定的な言葉を告げた。

 

「それから、ミーア。……君の両親は、すでにクライン派のエージェントに引き渡された。議長が自ら、そう語ったよ」

 

「……えっ?」

 

ミーアの身体が、目に見えて震えた。

 

それまでの彼女を支えていた、ピンと張り詰めた「ラクス・クライン」としての糸が、音を立てて切れた。彼女はその場にへたり込むように椅子に深く沈み、和服の袖で顔を覆った。

 

「……あ。……あぁ……よかった。本当によかった……!」

 

漏れ出したのは、凛とした歌姫の声ではない。

 

恐怖と責任感に押し潰されそうになりながら、たった一人で戦場を駆けてきた「ミーア・キャンベル」という一人の少女の、偽りのない安堵の吐息だった。

 

「……ちょ、ちょっと待ってくれ! 両親って、どういうことだ!? 」

 

事態が飲み込めないシンが身を乗り出す。

 

ルナマリアもまた、困惑した表情でレイとミーアを交互に見つめていた。

 

「議長は、彼女を『ラクス・クライン』として完璧に演じさせるために、彼女の両親を人質に取っていたんだ。拒めば、家族の命はない……彼女は、そう脅されてこの舞台に立っていた」

 

「なっ……何だって!?」

 

シンが絶句し、ルナマリアの顔からは血の気が引いた。

 

自分たちが心から信頼し、正義の体現者だと信じていたギルバート・デュランダル。

 

その男が、一人の少女の家族を奪い、死の危険がある戦場へ身代わりに放り込んでいた。

 

「そんな……議長が、そんなことを……嘘でしょ?」

 

ルナマリアの声が震える。だが、レイは冷徹に現実を突きつけた。

 

「政治は綺麗事だけでは回らない。ルナマリア、それが現実だ。……だが、議長は今、その鎖を自ら解いた。ミーアの『利用価値』が、人質などという手段を必要としないほどに高まったからだ」

 

レイは一度言葉を切り、震えるルナマリアを真っ直ぐに見据えた。

 

ここからが、彼が彼女に伝えたかった「本当の爆弾」だった。

 

「ルナマリア。これからロゴスを討った後に、議長は世界にある『計画』を発表する。……デスティニープラン。遺伝子によって人の適性を決め、職業も役割もすべてを固定する世界だ。そこに自由も、夢も、迷いもない。ただ決められた運命に従うだけの、静かな停滞……」

 

「……デスティニー、プラン……」

 

「俺たちは、それに『否』を告げる。……議長を裏切り、一人の人間として、不確かな明日を生きるために戦う。俺もシンも、そしてアスランも……皆、もう決めている」

 

レイの言葉は、ルナマリアの価値観を根底から揺さぶった。

 

信頼していた上官。愛する国。そのすべてが、自分たちの尊厳を奪うための巨大な装置へと変わろうとしている。

 

「ルナマリア・ホーク。……その時、お前はどうする? 議長の示す安定を選ぶか、それとも、俺たちと共に泥を啜ってでも自由を求めて戦うか。……君の意志を聞かせてほしい」

 

沈黙が部屋を支配した。

 

泣き腫らした顔で顔を上げたミーア、怒りに拳を震わせるシン、そして冷徹な覚悟を崩さないレイ。

 

かつて「仲良し三人組」と呼ばれた赤服たちの間に、もはや逃げ場のない「決断」の刻が訪れていた。

 

ルナマリアは、自分の震える手を見つめ、絶望と希望が入り混じった瞳を、仲間たちへと向けた。

 

 

◇◇◇

 

 

ルナマリアにとって、この数分間に突きつけられた事実は、あまりにも重く、あまりにも非現実的だった。

 

憧れていた議長の裏の顔、友人だと思っていたミーアの正体と過酷な境遇、そして親友レイの死の宿命。

 

けれど、こんがらがりそうな頭を一度振って、彼女はいつもの不敵な笑みを浮かべてみせた。

 

「……なによ。今更アタシだけ仲間外れにするつもり? 冗談じゃないわよ。そもそも、アタシが居なかったら、シンの面倒を誰が見るっていうのよ」

 

「ルナ。……これは、そんな軽い問題じゃないんだ。軍を、議長を裏切るんだぞ。最悪、死ぬかもしれないんだ」

 

シンが焦ったように声を荒らげる。だが、ルナマリアは真っ直ぐにシンの瞳を見つめ返し、一歩踏み込んだ。

 

「軽くなんてないわよ、シン。……アタシがアンタと一緒にいたいから言ってるの。それくらい、察しなさいよ……この、バカ」

 

「ルナ……」

 

シンに向けられた言葉は、突き放すような響きの中に、痛いほどの愛情が混じっていた。

 

危なっかしくて、目が離せなくて、何事にも一生懸命なこの少年を、隣で守り続けたい。

 

それを口にするのは女として負けたような気がして、「察しろ」と逃げたけれど、その潤んだ瞳は隠せていなかった。

 

シンは呆然としたまま、けれどどこか救われたような顔で立ち尽くした。

 

そんな二人を、レイは静かな眼差しで見守っていた。

 

そして、彼はゆっくりと、隣に座るミーアへと向き直った。

 

「……ミーア」

 

レイが彼女の手を取る。その手は、軍人として幾多のトリガーを引いてきた硬さがありながら、僅かに震えていた。

 

「俺はクローンだ。人と同じ時間を歩むことはできない。残されている時間も、……そう長くはないだろう」

 

「レイ……」

 

「それでも良ければ、俺の手を取ってほしい」

 

ミーアの心臓が跳ねた。

 

(……え? ええええ!?)

 

内心では、かつてないほどのパニックが渦巻いていた。

 

(ちょっと待って! 私、いつの間にレイにこんなフラグ立てた!? いつレイ√が解放されたの!? 全然そんなつもりじゃなかったのに!)

 

転生者としてのメタな思考が頭をよぎるが、レイの言葉は止まらない。

 

彼は、逃がさないと言わんばかりに彼女の手を強く握りしめた。

 

「……俺に、明日を生きたいと願わせた責任は、取ってもらいますよ。ミーア・キャンベル」

 

そう告げるレイの顔は、いつもの冷徹な仮面を被っている。

 

けれど、その瞳だけは、拒絶を恐れる一人の少年のように、不安に揺れていた。

 

ミーアは、その揺らぎを逃さなかった。

 

(……ずるい。そんな顔で言われたら、断れるわけないじゃない)

 

一人の男の子が、死を待つだけだった人形が、自分の歌を聴いて、自分の言葉を信じて、初めて「生きたい」と願ったのだ。

 

その覚悟を、ラクス・クラインの真似事で曖昧に濁すのは、女が廃る。

 

「……ふふっ」

 

ミーアは瞳を閉じ、深く己の身の内に埋没する。

 

「ラクス・クライン」としての演技プランを捨て去り、一人の女性としての感情を掬い上げる。

 

情はある。仲間としての親愛も。

 

それが恋に変わるかはまだ分からないけれど、彼の「明日」を一緒に紡ぐことはできる。

 

ミーアは瞳を閉じ、深く、深く息を吸い込んだ。

 

そして、ラクス・クラインとしての優雅さを捨て、ミーア・キャンベルとして、その華奢な腕でレイの身体をそっと抱き寄せた。

 

「……不束者だけど。よろしくね、レイ」

 

耳元で囁かれたその言葉。

 

それは、古風な婚約の挨拶であり、ミーアが「偽物の役割」ではなく「自分自身の人生」として彼を受け入れた、初めての誓いだった。

 

「…………っ、ああ」

 

レイの腕が、ミーアの背中に回される。

 

先ほどまで戦略や陰謀を語っていたブリーフィングルームは、今、四人の若者たちの、不器用で、けれど純粋な「明日への誓い」に満たされていた。

 

「よしなに、なんて言わないわよ」

 

ミーアはレイの肩に顎を乗せ、少しだけ悪戯っぽく笑った。

 

「精一杯、長生きしてよね。……私のワガママ、全部付き合ってもらうんだから」

 

運命を司る摂理の機体を持つ二人が、神の書いた台本を破り捨て、自分たちの物語を綴り始めた。

 

シンとルナマリア、そしてレイとミーア。

 

地獄のような戦場へと向かうミネルバの中で、彼らは初めて、本当の意味で「家族」になった。

 

 

 

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