ミーア・キャンベル()の憂鬱   作:星乃 望夢

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STAGE:31 レイ

 

ジブラルタル基地、ミネルバの格納庫。

 

決戦前の張り詰めた空気の中、整備デッキの一角だけは、どこか穏やかな時間が流れていた。

 

レイ・ザ・バレルは、自らの新たな愛機となる『レジェンド』のコクピットで、OSの最終調整を行っていた。

 

モニターには、膨大な戦闘データが流れている。

 

ベースとなるのは、自身が駆っていたプロヴィデンスザクのデータ。

 

そして、そこに新たに統合されているのが──ミーア・キャンベルから譲り受けた『プロヴィデンス』の実戦データだった。

 

「……凄いな」

 

レイは作業の手を止め、思わず独り言を漏らした。

 

画面上のシミュレーションで、ドラグーンが描く軌道。それはあまりに有機的で、鋭く、そして美しい。

 

空間認識能力において、自分はクローンとして高い適性を持っている自負があった。

 

だが、ミーアのそれは、レイの数段上を行っていた。

 

戦場全体を俯瞰し、直感的に死角を突き、踊るように敵を殲滅するセンス。

 

トップエースとしての彼女の技量は、疑いようのない本物だった。

 

(このデータを反映させれば……この機体は、正真正銘『伝説』の名に恥じぬものとなる)

 

レイは敬意を込めてエンターキーを叩き、調整プログラムを保存した。

 

「レイ、そろそろ一旦休憩にしない?」

 

開かれたハッチから、明るい声が降ってきた。

 

見上げれば、そこにはピンク色の髪を揺らし、バスケットを手にしたミーアが覗き込んでいた。

 

その服装は、ラクス・クラインのドレスではなく、動きやすいカジュアルな私服。表情も、演じられた淑女のものではなく、等身大の少女のものだ。

 

「ああ……もう少しだけだ」

 

「もう、根詰めすぎは毒よ? ……はい、コーヒー。少しは甘くしたから」

 

「……すまない」

 

レイは降りてくると、彼女からボトルを受け取り、自然な動作でその隣に並んだ。

 

ミーアは今、レイの前では完全に「OFF」の状態――素のミーア・キャンベルとして振る舞っていた。

 

公の場や作戦会議ではラクス・クラインの仮面を被るが、それ以外の時間、特にレイと過ごす時だけは、嘘を吐きたくないという彼女の誠意だった。

 

当然、ミネルバのクルーたちは当初、度肝を抜かれた。

 

「えっ、ラクス様……じゃないの?」

 

「やっぱり影武者だったのか……」

 

という、薄々感づいていたけれど公然の秘密だった事実が確定し、複雑な空気が流れたのも事実だ。

 

だが、そんな「ラクス・クラインの正体」にまつわる衝撃など、その後に発覚した事実に比べれば、そよ風のようなものだった。

 

艦内を駆け巡った特大ニュース。

 

それは――

 

『あのレイ・ザ・バレルに彼女ができたらしい!!』

 

という、天地がひっくり返るような仰天情報だった。

 

「信じられん……あの鉄仮面のレイが……」

 

「しかも相手があのミーア様だぞ!?」

 

「いや、見てみろよあそこ!」

 

整備兵たちが遠巻きに囁き合う視線の先。

 

そこには、ミーアの言葉にふと表情を緩め、慈しむような眼差しを向けるレイの姿があった。

 

いつも冷静沈着で、任務以外には興味がないと思われていた男が、穏やかに微笑んでいる。

 

シンやルナマリアに対してもそうだ。

 

以前のような張り詰めた冷たさは消え、時折冗談交じりに笑い合う姿さえ目撃されている。

 

「……人間、変われば変わるもんだな」

 

「恋の力ってやつか……すげぇな」

 

もはや「偽物か本物か」などという政治的な問題はどうでもよくなっていた。

 

急激に人間味を増し、幸せそうに「明日」を見据えるレイの姿。

 

それこそが、決戦を控えたミネルバにおいて、一番の衝撃であり、同時にクルーたちの心を密かに温める希望の話題となっていたのである。

 

 

◇◇◇

 

 

決戦を控えたミネルバの居住区。かつては氷のように冷たい拒絶のオーラを纏っていたレイ・ザ・バレルが、意を決したような面持ちで一人の男の私室を訪ねた。

 

「……少佐。今、よろしいでしょうか」

 

ドアを開けたムウ・ラ・フラガは、手にしていたコーヒーカップを止めて目を丸くした。

 

「お、レイか。珍しいな、お前から俺を訪ねてくるなんて。またレジェンドの調整か?」

 

ムウは軽口を叩きながら彼を招き入れた。

 

遺伝子的には、レイはムウの父アル・ダ・フラガのクローンだが、年齢が離れているため、感覚的には「年の離れた兄弟」に近い。

 

かつてのレイはこの「血の繋がり」を呪い、ムウを拒絶していた。だが、死の運命を否定し、明日を願うと決めた今のレイに、そのわだかまりはもうない。

 

しかし、椅子に座ったレイの口から飛び出したのは、戦術でも機体の話でもなかった。

 

「……女性との、その……『交際』というものについて、ご教授いただきたい」

 

「…………は?」

 

ムウは、思わずコーヒーを吹き出しそうになった。

 

「不可能を可能にする男」と言われた彼でも、この展開は予測不能だった。

 

「いや、ちょっと待て。お前、今なんて言った?」

 

「俺には、そういった経験が皆無だ。……ミーアと共に歩むと決めたが、具体的にどう振る舞えばいいのか、何をすれば彼女が喜ぶのか……論理的な答えが出ない」

 

レイは至って大真面目だった。生真面目に、けれど耳の先を赤くして語るその姿は、冷徹な兵器などではなく、恋に悩む等身大の少年そのものだった。

 

「……参ったな。あのレイ・ザ・バレルに、恋愛相談を受ける日が来るなんてよ」

 

ムウは呆れたように頭を掻き、同時に、言いようのない温かな感情が胸に込み上げるのを感じた。

 

かつて父が執着した「完璧な自己の再現」としてのクローン。ラウ・ル・クルーゼが絶望の末に呪った、その命。

 

その末弟とも呼べる少年が、今、自分の人生を謳歌しようと四苦八苦している。これほど「不可能を可能にした」光景があるだろうか。

 

「いいか、レイ。相手はあの『ミーア・キャンベル』だ。ラクス・クラインっていう巨大な仮面を被りながら、お前を抱きしめることを選んだ、とんでもなく強くて、とんでもなく寂しがり屋の女の子だぜ」

 

ムウは椅子を回し、レイと視線を合わせた。

 

「マニュアルなんていらねぇ。あの子が欲しいのは、完璧なレジェンドのパイロットじゃない。……時々ポカをやらかしたり、言葉に詰まったりしながらも、自分だけを見てくれる『レイ』なんだよ」

 

「……飾らずにいろ、ということでしょうか」

 

「そう。お前、あいつの前で時々笑うだろ? あの顔を見せてやりゃ、それで十分なんだよ。あとは……そうだな、たまには歌でも褒めてやれ。あの子の本当の価値を認めてるのは、今や議長じゃなくてお前なんだからな」

 

ムウの言葉は、レイの心にすとんと落ちた。

 

理論や戦術ではなく、血の通った経験則。

 

マリュー・ラミアスという強くて脆い女性を愛し、守り抜こうとしているムウだからこそ言えるアドバイスだった。

 

「……ありがとうございます、少佐。参考になりました」

 

「少佐はやめろ。……俺とお前は、同じ顔をした『フラガの男』だ。外ではともかく、ここでは……まあ、好きに呼べ」

 

ムウが照れ隠しに不敵に笑う。レイは一瞬、きょとんとした顔をしたが、やがて小さく、本当に小さく微笑んだ。

 

「……分かりました。兄さん」

 

「……っ。おいおい、そいつは予想外に効くな」

 

レイが部屋を出ていく背中を見送りながら、ムウは目元を指で拭った。

 

父が、兄が成し遂げられなかった「家族の対話」が、今、この戦火の艦の中で、奇跡のように成立していた。

 

ミーア・キャンベルという一人の少女が起こした「解釈違い」の旋律。

 

それは、呪われた遺伝子の連鎖さえも、不器用ながらも温かい「兄弟」の絆へと書き換えていたのである。

 

レイは通路を歩きながら、ムウに教わった「飾らない自分」という言葉を反芻していた。

 

次にミーアに会うとき、自分はどんな顔をすればいいのか。

それだけを考えながら歩く彼の背中には、もう「亡霊」の影はどこにもなかった。

 

 

◇◇◇

 

 

ジブラルタル基地の夜。

 

ミネルバの士官居住区、シンとレイの相部屋には、以前のような張り詰めた沈黙はもうなかった。

 

「……で、シン。ルナマリアとはどうなったんだ?」

 

ベッドに横になり、本を読んでいたレイが、唐突に、しかし日課のように口を開いた。

 

「……またかよ、レイ」

 

シンは枕に顔を埋め、うめき声を上げた。

 

これで三日連続……いや、ここ最近は毎晩これだ。

 

あの冷静沈着で、任務と訓練のことしか頭になかったレイ・ザ・バレルと、まさか消灯後に「恋バナ」をする日が来るなんて、以前のシンなら天地がひっくり返っても信じなかっただろう。

 

「しつこいぞ、レイ。そんな毎日毎日、劇的な進展なんかあるわけないだろ」

 

「確認は重要だ。……お前とルナマリアは、俺にとって大切な友人だからな。二人が明日を共に歩むと決めたのなら、その進捗を見守るのは友としての義務だ」

 

「義務って言うなよ……」

 

レイの言葉は大真面目だ。

 

彼は本気で、シンとルナマリアの幸せを願っている。

 

だからこそ、世話焼きの保護者のように、あるいは進捗管理に厳しい上官のように、毎晩確認を入れてくるのだ。

 

シンはむず痒さと、少しの照れ隠しを込めて反撃に出た。

 

「そういうお前こそどうなんだよ。……ミーアさんと」

 

どうせ「順調だ」の一言で終わるだろうと思っていた。

 

だが、レイは本を閉じ、天井を見上げると、どこか陶然とした声音で語り始めた。

 

「ああ……彼女は素晴らしい。今日、俺のために淹れてくれた紅茶の香りもだが……何より、あの笑顔だ。俺の目を見て微笑んでくれる、あの一瞬だけで、俺の世界は色を変える」

 

「うぐっ……」

 

「彼女の手の温もりを知っているか? 儚くて、それでいて力強い。……俺は彼女に、生きる意味を与えられたんだ」

 

淡々と、しかし内容は純度100%の砂糖の塊のようなノロケだった。

 

シンは胸焼けを起こしそうな顔で、胸元を押さえた。

 

「うへぇ……ごちそうさま。聞くんじゃなかった」

 

「ふっ……」

 

そんなシンの反応を見て、レイは口元に微かな、しかし確かな「勝ち誇った」笑みを浮かべた。

 

「……悪く思うなよ、シン。俺は、俺の明日を手放すつもりはない」

 

「……あ? 何か言ったか?」

 

「いいや。早く寝ろということだ。……明日も、生き残らねばならないからな」

 

レイはそう告げると、毛布を引き上げ、安らかな寝息を立て始めた。

 

友情と、少々の独占欲。

 

運命を否定し、一人の男として「欲」を持ったクローンの騎士は、親友をからかう余裕すら手に入れて、心地よい眠りへと誘われていった。

 

その横で、シンは「ルナの奴、本当はどう思ってんだよ……」と独りごちながら、眠れぬ夜を過ごすこととなった

 

レイは知っていたのだ。

 

シンもまた、ミーア・キャンベルという少女に惹かれていたことを。

 

きっかけは、ガルナハンの夜。

 

デスティニーインパルスという重すぎる剣を背負い、期待に応えようと必死だったシン。

 

その苦悩と痛みを、彼女は歌と共に包み込み、抱きしめた。

 

あの時、シンの心に灯った淡い恋心に、レイは気づいていた。

 

だが、シンはルナマリアという存在に振り回され、「察しなさいよ」という難題に足踏みをしていた。

 

(早い者勝ちだ)

 

だから、レイは動いた。

 

シンがルナマリアとの関係に戸惑い、隙を見せている間に。

 

自分の想いを、そして残された時間を彼女に捧げることを告げ、その手を掴み取ったのだ。

 

(お前にはルナマリアがいる。……彼女とお幸せにな)

 

レイは心の中で友に詫びつつ、勝利の余韻に浸った。

 

シンとルナマリアには幸せになって欲しい。それは本心だ。

 

だが、それはそれとして。

 

この愛しい歌姫の隣という特等席だけは、誰にも譲るつもりはなかった。

 

 

 

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