ミネルバの格納庫へと向かう、緑色のザクウォーリアのコックピット内。
重苦しい沈黙を破ったのは、カガリ・ユラ・アスハの、震えるような叫びだった。
「……あ、あり得ない。何なんだ、今の女は……!? ラクスなのか!? いや、ラクスなわけがない、彼女は今オーブに……!」
カガリは、操縦席の後ろでアスランの背中にしがみつきながら、モニターに映る前方の「ピンクのザク」を凝視していた。
平和の象徴、戦いを厭う慈愛の少女。カガリが知るラクス・クラインという少女の虚像を、今の戦いは無残なまでに、それでいて鮮烈に塗り替えていた。
「アスラン! お前も見たろ!? あの身のこなし……ただの替え玉が、あんな最新鋭機相手に立ち回れるはずがない!」
「……ああ、分かっている」
アスラン──アレックス・ディノは、低く、苦渋に満ちた声を絞り出した。
サングラスの奥の瞳は、鋭くピンクの機体の背中を射抜いている。
(機体スペックは、間違いなく新型の方が上だ。なのに、あいつは一度も『力』で負けていなかった。……いや、力でねじ伏せていたのか)
アスランは戦慄していた。
今はオーブに居る親友の傍らにいる少女。その姿と声を完璧に模倣した何者かが、ザフトのエースパイロットすら凌駕しかねない卓越した操縦技術を披露した。
ビームランスを奪い取り、高飛びのようにMSをジャンプさせ、敵の懐へ飛び込み、蹴りまで入れてみせた。
あれは、付け焼刃の訓練で身につくものではない。戦場という狂気を知り尽くし、その上で自らの機体の限界を正確に把握していなければ不可能な、極めて高度な格闘戦術だ。
(声も、言葉も、ラクスそのものだ……。だが、あの戦い方は……あんな『苛烈なラクス・クライン』など、俺は知らない)
アスランの脳裏に、先ほどの彼女の言葉がリフレインする。
『想いだけでも、力だけでも、成し遂げられないことがあります』
それは確かに、本物のラクスが辿り着いた哲学だった。
だが、目の前の女がそれをもぎ取ったビームランスを振るいながら叫ぶと、それは「護るための誓い」ではなく、「敵を討つための意志」として重く響いた。
「アスラン……あれは、本当に『偽物』なのか?」
カガリの問いに、アスランはすぐには答えられなかった。
オーブに本物がいる。それは事実だ。
だが、今、目の前で「平和を護るためにザクで敵を蹂躙した」あの少女の存在感は、あまりにも強固で、迷いがなかった。
「……偽物だ。あんな戦い方を、本物のラクスがするはずがない」
自分に言い聞かせるように、アスランは呟いた。
だが、握りしめた操縦桿を伝わってくる微かな振動が、彼の動揺を物語っていた。
もし、デュランダル議長が「完璧なラクスのコピー」として彼女を用意したのだとしたら。
歌だけでなく、そのカリスマ性と、さらにはキラ・ヤマトに匹敵するような「強さ」までも兼ね備えた「ラクス・クライン」を作り出したのだとしたら。
(……恐ろしい男だ、ギルバート・デュランダル。あんな『バケモノ』を、懐に隠し持っていたとは)
アスランは、前を行くピンクのザクの、ライブ仕様の派手なマーキングを見つめた。
それは皮肉にも、血の流れる戦場において、誰よりも冷酷で、誰よりも美しい「戦女神」の紋章のように見えていた。
「艦に入るぞ。……気を引き締めろ、カガリ。あの中にいるのは、俺たちの知っている『ラクス』じゃない……別の、もっと得体の知れない何かだ」
アスランはそう告げると、自分を助けたはずの「救世主」の背中に、かつてないほどの警戒心を抱いた。
◇◇◇
「ふぅ……。ひとまず、無事に着きましたわね」
ミネルバの格納庫にピンクのザクウォーリアを滑り込ませ、私はシートに深く背を預けた。
アドレナリンが切れて、指先が微かに震えている。そりゃそうだ、いくら知識とシミュレーターの腕があっても、実戦でアビスを蹴り飛ばすなんて命知らずにも程がある。
ハッチを開け、昇降ワイヤーで床に降りると、そこには案の定、驚愕で固まった赤服の少女がいた。
「ら、ラクス様!? なんでMSに……しかも、そのザク、ライブ用ですよね!?」
「こんにちは、ルナマリアさん。議長との会談中、戦闘に巻き込まれて已む無く乗りましたの。彼らも同じく、私を助けてくださいましたわ」
私は優雅に、あくまで「不可抗力ですわ」という顔で微笑んだ。
ルナマリア・ホーク。
原作だと、ここで素性の知れないアスランとカガリに銃を向ける場面だけど、私の仲介のおかげで最悪の初対面は回避できた。
それに、彼女やレイ、シンとは、私がワガママを言って借りていたアカデミーのシミュレーターで、名前も知らぬままスコアを競い合っていた「顔なじみ(?)」。
ルナマリアも、まさか自分が必死に追い抜こうとしていた「謎の高スコアラー」が、目の前のラクス・クライン(偽)だとは夢にも思っていないだろう。
続いて緑のザクから降りてきたアスランとカガリを見て、私はこっそり安堵した。
よし、カガリも無事ね。コックピットで頭をぶつけた様子もない。
「ルナマリアさん。こちらへデュランダル議長が移っているのは存じております。内線でブリッジに連絡と、道案内をお願いしますわ」
「は、はいっ! わかりました。こちらです、ラクス様!」
ルナマリアの先導で、私たちはミネルバの通路を急ぐ。
その途中、艦内に鳴り響く警報。
『コンディションレッド。ミネルバ、発進準備!』
「……戦闘に出るのか? この艦は」
焦燥に駆られたアスランの呟き。
すると、隣のカガリが不安げに、けれどはっきりとその名を呼んでしまった。
「アスラン……っ、これじゃあ……!」
「……!」
一瞬、ルナマリアの足が止まり、怪訝そうに振り返る。
そりゃそうだ。「アレックス・ディノ」と名乗った男を、オーブの代表が、元プラントの英雄と同じ名で呼んだのだから。
(カガリぃぃッ! 脇が甘い、脇が甘すぎますわよ!)
心の中で絶叫する。
2年後の『FREEDOM』なら、カッとなっても深呼吸して「今は耐える時だ」と判断できる立派な国家元首になっているけれど、今の彼女はまだ「守られる立場」から抜け出せない18歳の少女だ。
アスランという「力」が隣にいないと、不安で仕方ないのだろう。
「仕方ありませんわ、アレックスさん」
私はあえて被せるように、落ち着いた声を出した。
「港をこれだけやられては、ドックから直接外へ出られるこのミネルバくらいしか、ここを脱出する術はありませんもの。……そうですわね、アレックスさん?」
「……っ。あ、ああ……。そうだな」
アスランも私の意図を察し、苦々しく頷いた。
ルナマリアはまだ少し首を傾げていたけれど、今はそれどころではない。
「……とにかく、急ぎましょう。議長がお待ちですわ」
私は歩を早める。
とりあえず「アレックス」呼びで誤魔化しはしたけれど、アスランの正体がバレるのは時間の問題だろう。
でも、それでいい。
むしろ、アスランがザフトの制服を再び着るまでの流れを、少しでも「私の味方」になるような形へ誘導しなきゃいけないんだから。
(議長、カガリ、アスラン……。このミネルバという狭い船の中で、私の化けの皮が剥がれるのが先か、それとも運命を書き換えるのが先か……)
ブリッジへと続く扉の前に立ち、私は一度だけ深く呼吸した。
鏡の中ではない、本物の「ラクス・クライン」を、今ここで完璧に演じきるために。
◇◇◇
「……こちらです」
ルナマリアさんが自動ドアを開け、私たちを先導する。
その背中から、微かな「戸惑い」と「好奇心」が滲み出ているのを私は感じ取っていた。
さっきのカガリの「アスラン」発言。
ルナマリアさんは間違いなく聞いていた。
私が即座に「アレックスさん」と言い直して上書き保存を試みたけれど、彼女は鋭い。
(……あとでレイあたりに相談するわね、これ)
「あのアレックスって人、カガリ代表にアスランって呼ばれてなかった?」とか言って。
まあ、レイは全部知ってるから「空耳だろう」とでも言って誤魔化してくれることを祈るしかない。
まったく、18歳の国家元首カガリ・ユラ・アスハ。
『SEED FREEDOM』の姿を知っているからこそ、今のこの危なっかしさが歯痒い。
でも、これも彼女が成長するための必要なステップ……と思えば、温かい目で見守れなくもない、か。
ウィーン、と重厚な音がして、ブリッジのドアが開く。
「艦長、議長がお呼びだった……ラクス様と、ゲストの方々をお連れしました」
ルナマリアさんの報告に、張り詰めた空気が漂うブリッジのクルーたちが一斉にこちらを振り返る。
その中央に座る白服の女性艦長、タリア・グラディスが目を丸くした。
「ラクス様!? なぜここに……それに、そちらの方々は」
「緊急事態ゆえ、避難して参りましたの。グラディス艦長」
私はあくまで優雅に、しかし足早にブリッジの中へと進む。
その後ろから、居心地の悪そうなアスランと、不安げなカガリが続く。
「やあ、無事だったねラクス嬢。それにアスハ代表も」
奥のシートから、ギルバート・デュランダル議長が立ち上がる。
その表情は安堵を浮かべているが、目は笑っていない。
計算通り、あるいは計算外の要素を即座に計算式に組み込んでいる目だ。
「議長! これはどういうことだ。この艦は戦闘に出るのか?」
カガリが堪えきれずに叫ぶ。
その剣幕に、ブリッジのクルーたちがざわめく。他国の代表が軍艦のブリッジで喚いているのだから無理もない。
「見ての通りですよ、代表」
議長が答えるより早く、タリア艦長が鋭い声で割り込んだ。
メインスクリーンを指差す。
そこには、火煙を上げる港と、宇宙へ向かって逃走する三機のガンダムの軌跡、そしてそれを追う敵母艦が映し出されていた。
「港は壊滅。現在、即座に動けるのは本艦のみ。敵を追撃し、奪われた機体を取り戻すには、我々が出るしかありません」
「しかし……!」
「議論している時間はありません! アーサー、機関始動! 急いで!」
タリア艦長の一喝で、ブリッジが再び戦闘モードへと切り替わる。
カガリは言葉を詰まらせ、アスランは悔しそうに拳を握りしめた。
彼は分かっているのだ。
軍人として、この状況で追撃しないという選択肢があり得ないことを。
「総員、対ショック防御!」
艦内放送が響く。
私は手近な手すりに掴まり、アスランとカガリにも目配せをする。
「つかまって! 行くわよ!」
船体が大きく震える。
物語の揺りかごだったアーモリーワンを離れ、戦火の海へと漕ぎ出す瞬間。
(さあ、始まった)
私は揺れる視界の中で、デュランダル議長の背中を見つめた。
ここから先は、もう後戻りできない。
原作というレールの上を走りながら、私は私の「生存ルート」を切り拓くのよ。
◇◇◇
ミネルバがドックを蹴り、宇宙へと躍り出る。
凄まじい加速Gが全身を襲い、私は手すりを握る手に力を込めた。和服の袖が激しく揺れる。
「……出航しましたわね」
独り言のように呟いた私の声は、騒然とするブリッジの中でも不思議とよく通った。
メインスクリーンには、遠ざかるアーモリーワンと、その外壁に大きく開いた無残な穴が映し出されている。
「代表、落ち着いてください。今の我々にできることは、これ以上の被害を食い止めること……そして奪われたものを取り戻すことだけです」
デュランダル議長が、宥めるような口調でカガリに歩み寄る。
だが、その視線は一瞬、カガリを通り越して私に向けられた。
……気づいている。
この男、私がザクでアビスと渡り合ったことを、すでに報告を受けて知っているんだ。
「ラクス嬢。君も驚いたろうが、君の咄嗟の判断には救われたよ。ライブ用の機体であそこまで時間を稼いでくれるとは、想定外の『才能』だ」
「……お褒めに預かり光栄ですわ、議長。守りたいものがありましたから」
私は微笑を崩さずに答える。
「守りたいもの」──それは家族であり、私自身の命だ。だが、この場にいる人間には「プラントの平和」や「隣にいる友人」のことだと好意的に解釈されるだろう。
(……怖い。この男の目は、私の内側を透かして見ようとしている)
その時、アスランが私の前に一歩踏み出した。カガリを背にかばうような、
「議長。このまま追撃するというなら、我々も無関係ではいられない。……オーブの代表をこのような危険な戦場に同席させるつもりか?」
「アレックスさん。言葉が過ぎるわ」
私はわざと彼を制するように、その肩にそっと手を置いた。
アスランの体がビクリと硬直するのがわかる。
「今は緊急事態です。艦長や議長を責めても、状況は変わりませんわ。それよりも……」
私はメインスクリーンを指差す。
そこには、逃走するガーティー・ルーを追うシンのインパルスとそしてレイのザクファントムが映っていた。
「戦っている彼らのために、私たちができることを考えましょう」
「……っ。君は、本気で言っているのか?」
アスランの低い声。
彼は私の耳元でだけ聞こえるような小声で、鋭く問いかけてきた。
『お前は、何を知っているんだ』と。
私は彼を見つめ返し、ラクス・クラインの慈愛に満ちた瞳のまま、心の中でだけ「ミーア・キャンベル」として答えた。
(知ってるわよ、アスラン。これから始まる泥沼の戦いも、あなたが再びザフトの服を着ることも。……そして、私が死ぬはずの運命もね)
「……デュランダル議長。私とカガリさん、アレックスさんも疲れていますからお部屋をお借りしたいのですが」
「それもそうだろう。艦長」
「わかりました。ルナマリア、士官室にご案内して」
「了解しました。ではラクス様、代表、こちらへ」
「あ、ああ」
「フフ。大丈夫ですわ、カガリさん。今は彼らを信じましょう」
私はカガリの手を優しく取り、促した。
カガリは悔しそうに唇を噛みながらも、今の自分にできることが何もない無力感に打ちひしがれているようだった。
通路に出た瞬間、艦体が激しく揺れる。
ミネルバの主砲──トリスタンの発射衝撃だ。
「……始まったわね」
私は、誰も見ていないところで、ほんの少しだけ口角を上げた。
原作通りなら、ここから物語は加速する。
でも、今の私には「エース級のMS操縦技術」と「議長の信頼」という、原作のミーアが持たなかったカードがある。
私はただの「着せ替え人形」じゃない。
(死なないわよ、絶対に。……神様、見てなさい。バグが本筋を食い破るところをね)
私は薄紫の和服をなびかせ、戦火に揺れるミネルバの通路を、確かな足取りで進んでいった。