かつての議長室ほどの華美さはないが、落ち着いた知性が漂うその執務室に、白服を纏ったミーアの姿があった。
「知っていることを全部吐きなさい、デュランダル長官。貴方がかつてメンデルで何を、誰と見ていたのかを」
ミーアの突き放すような、けれど核心を突いた要求。
デスクで端末を叩いていたギルバート・デュランダルは、眼鏡の奥の瞳を細め、懐かしい教え子を迎え入れるような、あるいは優秀なライバルを称えるような笑みを浮かべた。
「……おやおや、手厳しいね。だが、そろそろ君が来る頃だとは思っていたよ、ミーア」
デュランダルは椅子を回し、手近な茶器に手を伸ばした。その動作一つ一つが、行政官という身分に収まりきらない不遜な優雅さを湛えている。
「アコード──だろう? 君が知りたいのは」
「……ええ。オーブへのフリーダム移送中に襲撃してきた連中よ。思考を読み、精神を汚染し、フェムテク装甲というチートまで持ち出してきた『新人類』様のことよ」
ミーアの言葉に、デュランダルは小さく鼻を鳴らした。
「アウラ・マハ・ハイバル……。かつてメンデルで、ユーレン・ヒビキと共に研究を競っていた同僚だよ。彼女が求めたのは、単なる能力の向上ではない。コーディネーターを超え、人を、世界を統べるための『絶対的な種』だった。人の可能性――心の揺らぎを読み取り、意思を疎通させ、あるいは支配する。そんな超心理学的な能力さえも遺伝子工学で引き出した存在、それが彼らアコードだ」
デュランダルは空中モニターに、アウラ・マハ・ハイバルの経歴データを映し出した。
「彼女は自分を『母』と呼び、彼らも彼女を慕っている。……いや、慕わせるように遺伝子に細工をしている、と言うべきかな」
「……細工?」
「あのアウラという女、性格は傲慢で執念深く、お世辞にも他者から尊敬を集めるような人格者ではない。そんな彼女が、なぜファウンデーション王国の『女帝』として君臨し続けられると思うかい?」
デュランダルの口調には、隠しきれない棘が混じっていた。
「アコードたちの遺伝子には、彼女に対する絶対的な忠誠と愛着が書き込まれているのさ。そうでなければ、普通の優秀な研究者に過ぎないアウラが、あのように崇められるはずがない。彼女はただ、自分が神として君臨するための『家族』を造り出したに過ぎないのだよ」
デュランダルは冷笑を浮かべ、資料をスクロールさせた。
「実務的なことはすべて、宰相を務めるオルフェ・ラム・タオに投げっぱなしだろう。彼女はただ、玉座で『子供たち』に愛でられ、復讐という名の遊戯に興じているだけのお飾りだ。そんな脆い虚像、維持できているのが不思議なくらいだよ」
ミーアはデュランダルの辛辣なプロファイリングを聞きながら、ファウンデーションという国家の歪な構造を理解し始めていた。
「アウラが作ったその『傑作』たちだけど、私に精神干渉は効かなかったわ。ドラグーンを動かしたのは、私ではない何かの意志……。ギル、貴方はこれも予想していたの?」
「いいや。それは私にも想定外だった。……だが、面白いね。神を気取ったアコードの旋律に、君という不協和音が混じった。……彼女の顔を拝める日が、今から楽しみだよ」
デュランダルは席を立ち、窓の外に広がるプラントの街並みを眺めた。
「アコードの弱点は、その『完成度』にある。決められた役割に殉じることでしか自分を保てない彼らに、自らの足で運命を蹴破ってきた君たちの自由が理解できるかな?」
「……理解させるつもりなんてないわよ。解釈違いの結末を、叩きつけてやるだけだわ」
ミーアは大佐としての凛とした所作で背を向け、執務室を後にした。
背後でデュランダルの「期待しているよ、ミーア・キャンベル」という囁きが聞こえた気がした。
アコードの正体。ファウンデーションの女帝の欺瞞。
ミーアの脳内では、来るべき決戦に向けた戦略が、さらに冷徹に、精密に組み上がっていった。
残されたデュランダルは、再び紅茶を口に含み、苦味と共に呟いた。
「……アウラ。君の作った『運命』と、私の選んだ『未来』。……どちらが強いか、答え合わせの時間だ」
◇◇◇
ザフト軍情報省局長室。
膨大なモニターと書類の山に埋もれるようにして、イザーク・ジュールは不機嫌そうに眉間の皺を深くしていた。
「……で、わざわざ通信ではなく直々に足を運んできたということは、それ相応のネタなんだろうな?」
彼はペンを投げ出すと、執務机の前に立つ白服の少女──ミーア・キャンベルを睨みつけた。
もっとも、その視線に敵意はない。多忙を極める彼にとって、時間を割くだけの信頼が彼女にはあるという証左だ。
「ええ。もし通信で話せば、傍受されるリスクがありますわ。……相手は、私たちの『思考』すら覗き見る連中ですもの」
「……は?」
イザークが怪訝な顔をする。
ミーアは懐からデータチップを取り出し、彼のデスクに滑らせた。
「ファウンデーション王国の親衛隊、ブラックナイトスコード。……彼らはただの新型MS乗りではありません。遺伝子操作によって他者の思考を読み、精神に干渉する能力を持った『アコード』と呼ばれる新人類です」
「思考を読む……だと? バカバカしい。オカルトか貴様は」
イザークは鼻で笑おうとしたが、ミーアの瞳が真剣そのものであることに気づき、口を噤んだ。
「私も最初は疑いました。でも、これが証拠です。……先日の襲撃時、私の脳波に記録された『外部からの強制干渉』のデータ。それとデュランダル元議長からの証言もありますわ」
イザークは無言でチップを端末に読み込ませる。
表示される波形データ。通常あり得ないスパイク。
そして、デュランダル元議長からの裏付け証言。
「……チッ。あの古狸も、知っていて黙っていたのか」
イザークは舌打ちをし、ソファの背もたれに深く身体を預けた。
「で、そのふざけた連中が、何らかの計画……恐らくは世界規模の何かを画策していると?」
「ええ。その裏取りのために、今、アスランが動いています」
「──ッ!」
アスラン・ザラの名が出た瞬間、イザークの顔が露骨に歪んだ。
「またアイツか! コンパス発足からコソコソと裏を嗅ぎ回るのが好きだな、アイツは!」
「ふふっ、でも適任でしょう? 彼はメイリンと共に、既にファウンデーションの懐深くに潜り込んでいます」
ミーアの言葉に、イザークは「フン」と鼻を鳴らした。
文句は言いつつも、アスランの能力と、彼が動いているという事実の重みは誰よりも理解している。
「いいだろう。……話は分かった。公式には動けなくとも、こちらも『備え』はしておく必要があるな」
イザークは鋭い目つきで、プラント周辺の防衛ラインが表示された地図を睨んだ。
「思考を読む相手か……。厄介極まりないが、対策がないわけでもない」
「え? 何か策が?」
ミーアが身を乗り出すと、イザークは不敵に笑い、自分のこめかみを指差した。
「読む暇も与えないほどの『速度』と『火力』で圧倒すればいい。……考えてから動くのではない。本能と反射で叩き潰す。我々ザフトのエースならば、その程度の芸当は可能だ」
それは極めてイザークらしい、力技の理論。
だが、戦場の真理でもあった。
「それに、貴様が持ち帰ったフェムテク装甲のデータもある。技術部の尻を叩いて対策兵器を急造させる。……我がプラントに弓引く者がどうなるか、その身に刻んでやるさ」
イザーク・ジュール。
かつての激情家は、今やザフトの守護者として、頼もしいほどの貫禄を身に纏っていた。
「頼りにしていますわ、イザーク」
「フン、礼には及ばん。……貴様も、あまり一人で背負い込むなよ。何かあればすぐに俺かディアッカを使え」
「はい!」
最強の味方を得て、ミーアは少しだけ肩の荷が下りるのを感じていた。
アスランが裏を暴き、イザークが表を固める。
盤面は整いつつあった。
◇◇◇
ザフト統合参謀本部、ミーア大佐に割り当てられた執務室。
コーヒーの湯気が立つマグカップを片手に、ミーアは窓の外に広がるアプリリウスの夜景を見つめていた。
(……詰んだ。思考が完全に袋小路だわ)
彼女の眉間には、深い皺が刻まれている。
問題は、ファウンデーション王国──アウラ・マハ・ハイバルが切るはずの「ジョーカー」についてだ。
彼らは戦略兵器『レクイエム』を修復・運用することで世界を恫喝した。
「従わなければ国ごと焼く」という、シンプルかつ絶対的な暴力。
それが彼らの掲げるデスティニープランを世界に飲ませるための、最強の交渉カードだった。
(でも、レクイエムは無い。絶対に無い)
ミーアは心の中で強く否定する。
なぜなら、前大戦のダイダロス基地攻防戦において、ミーア自身がレクイエムを徹底的に破壊したからだ。
さらに、廃墟となったダイダロス基地には、現在でもザフトの監視部隊が駐留している。
極秘裏に修復しようものなら、即座にイザークあたりが艦隊を率いてすっ飛んでいくだろう。
(じゃあ、どうやって世界を脅すの? アウラの性格上、ただの演説や政治的圧力だけで世界が膝を屈するなんて思っていないはず)
アコードたちのMS、ブラックナイトスコードは確かに強力だ。
フェムテク装甲は現時点では無敵に近いし、精神干渉も脅威だ。
だが、MS部隊だけで全世界を同時に制圧することは不可能だ。
数で押せば、いずれはコンパスや各国の軍隊にすり潰される。
「決定的な『何か』が欠けている……。それとも、私の知らない『新しい武器』がある?」
ミーアは爪を噛んだ。
これが、未来を変えてしまったことの代償だ。
彼女が持っていた「ネタバレ」という最強の予言書は、ページが進むごとに白紙の割合が増えている。
ここから先は、前世の記憶が通用しない。
「……怖いわね」
ふと、本音が漏れた。
今までは「正解」を知っていたから、大胆に動けた。
ドヤ顔で軍師を気取れた。
でも今は、一寸先は闇。
自分の判断ミスが、取り返しのつかない悲劇を招くかもしれない。
けれど──。
「……ふふっ」
ミーアは窓に映る自分の顔を見て、小さく笑った。
そこにあるのは、怯える少女の顔ではなく、覚悟を決めた一人の女性の顔だった。
「知らない未来……か。悪くないじゃない」
未来が分からないということは、運命が定まっていないということ。
デュランダル議長が定めようとしたレールから外れ、アウラたちが支配しようとするシナリオを破り捨てた証拠だ。
(私たちが、自分たちの手で明日を勝ち取ったからこそ、未来は白紙になった)
予測できない明日への不安。
それこそが、生きているという実感であり、自由の代償なのだ。
「上等よ。シナリオがないなら、アドリブで乗り切るまで」
ミーアは残ったコーヒーを飲み干し、ドンとマグカップを置いた。
分からないなら、調べればいい。
動けばいい。
今の自分には、アスランやメイリンという優秀な目があり、イザークやキラという最強の矛があり、ラクスやカガリという信頼できる背中がある。
「さあ、かかってらっしゃい、ファウンデーション。……あなた達の『おままごと』、私たちが終わらせてあげるわ」
彼女は思考の迷路から抜け出し、次なる一手を打つべく、端末へと向かった。
未知の脅威に対抗するための、最善の準備を始めるために。