ミーア・キャンベル()の憂鬱   作:星乃 望夢

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STAGE:05 アスランの決意

 

士官室の重厚な扉が閉まり、密閉された空間に私たち三人が残される。

 

ルナマリアの足音が遠ざかるのを確認して、私はようやく、張り詰めていた「歌姫」の糸を少しだけ緩めた。

 

「……ようやく、私たちだけになりましたわね」

 

空気を震わせるだけの、極限まで抑えた囁き声。

 

私の異様な雰囲気に、アスランとカガリが息を呑んで顔を寄せてくる。

 

「君は一体何なんだ? なぜラクスを騙り、あんな……」

 

アスランの問いを遮るように、私は彼の無骨な手を取った。

そして、その掌に指先でゆっくりと文字を刻む。

 

『お・ど・さ・れ・て・る』

 

アスランの手がピクリと跳ねる。私は構わずに続ける。

 

『お・や、た・す・け・て』

 

『ら・く・す・さ・ま、ち・ち』

 

書き終えて顔を上げると、アスランの瞳には激しい動揺と、それ以上の深い理解が宿っていた。

 

彼は私の手を握り返し、同じように文字をなぞる。

 

『クライン派か?』

 

私は小さく、一度だけ頷いた。

 

嘘はついていない。私はミーアだけど、今私が助かるための唯一の希望は、彼らを通じてクライン派とターミナルに繋がることなのだから。

 

「……おい、さっきから何をしているんだ。近くないか? お前たち」

 

不機嫌な顔で割り込んできたのは、カガリ様だ。

 

あ、やばい。この距離感、彼女からすれば「浮気現場」か「不穏な密談」にしか見えないよね。

 

「もう少し我慢、という物を覚えた方がよろしいかと思いますわ、カガリさん」

 

「うっ……そ、その調子で喋るなよ。まるで本物のラクスに説教されてるみたいで調子狂うだろ」

 

「あら。今は私が『ラクス・クライン』ですわ、カガリさん」

 

「いや違うだろ!?」

 

「カガリ……静かにしろ」

 

アスランのたしなめる声に、カガリがムスッとして黙る。

 

彼女はまだ、私の置かれた「綱渡りの状況」を完全には飲み込めていないみたいだけど、アスランには伝わった。それで十分だ。

 

「……ふぅ。仕方ないわね。と、く、べ、つ、に。私の『素』を見せてあげるわ」

 

私はすっと背筋の力を抜き、ラクス・クライン特有の「おっとりした聖女」の仮面を剥ぎ取った。

 

「うおっ、なんだお前。物凄く……普通だな」

 

「普通で悪かったわね。どーせ私は地味で地味で、声だけが取り柄の女の子ですもーんだ」

 

地声に戻った私の口調に、カガリが目を丸くする。

 

キラキラしたカリスマ性の欠片もない、どこにでもいる「ミーア・キャンベル」としての私。

 

「……これはこれで、なんか調子狂うな。さっきまでMSを振り回して新型を蹴り飛ばしてた奴と同一人物とは思えない」

 

「まっ、我が儘ね、アスハ代表。一応、国家最重要機密なのよ、私は。……バレたら消されちゃうんだから」

 

冗談めかして言ったけれど、言葉の端々に滲む「死」の予感に、アスランが居たたまれないような、痛々しいものを見る視線を向けてくる。

 

同情でも何でもいい。この「死ぬはずの運命(シナリオ)」を変えるためには、彼らの情に食い込むのが一番の近道なんだから。

 

「ねぇ、折角だからお友達になってくれない? 私、……友達、一人もいないの」

 

不意に出た本音だった。

 

ミーア・キャンベルとしての過去を捨て、家族を人質に取られ、偽物として生きる日々。

 

今の私には、味方も、本当の私を知る友も、誰もいない。

 

「あっ……ああ、いいぞ。私はオーブのカガリ・ユラ・アスハだ。よろしくな……名前、なんて呼べばいい?」

 

カガリが真っ直ぐな瞳で手を差し出してくる。そのサバサバとした温かさに、鼻の奥が少しツンとした。

 

「……名前は、言わない。さっきみたいに、カガリさんがうっかりポカして呼び間違えたら、今度こそ私の命が飛んじゃうもの」

 

「うっ……わ、悪かったな。気をつけるよ」

 

バツが悪そうに頭をかくカガリ。

 

アスランも、まだ私の正体や目的を疑ってはいるだろうけれど、その表情からは敵意が消えていた。

 

「名前が言えないなら……今は『ラクス』と呼ぶしかないな。……だが、君が何者であれ、その窮状は理解した」

 

アスランが静かに、誓うように告げた。

 

「……ありがとう、アスラン。……あ、違うわね、アレックスさん」

 

私が茶目っ気たっぷりに言い直すと、アスランは困ったように、けれど少しだけ柔らかく微笑んだ。

 

その時、ミネルバが再び大きく揺れる。

 

敵との交戦が本格化した合図だ。

 

「友情を深める時間はここまでみたいね。……さて、ラクス・クラインに戻るとしましょうか」

 

私は再び背筋を伸ばし、慈愛に満ちた聖女の表情を「貼り付けた」。

 

カガリが「本当に別人のようだな……」と驚嘆の声を漏らす。

 

それに私は微笑みで返した。

 

クライン派へのメッセージは託した。アスランならきっとラクスへ私のメッセージを届けてくれる。

 

カガリという友人もできた。

 

死亡フラグが、少しずつ、けれど確実に軋んで壊れ始めている音が聞こえた気がした。

 

 

◇◇◇

 

 

モニターに映し出される戦況は、絶望的だった。

 

デブリ帯に潜んでいたボギーワン(ガーティー・ルー)の狡猾な罠。囮に誘い出されたシンとルナマリアは遠ざけられ、ミネルバは砕かれた岩塊の生き埋めとなって身動きが取れない。

 

襲い来るダガーLの群れ。孤軍奮闘するレイのザクファントム。

 

原作知識が、私の脳内で警報を鳴らし続けている。

 

(……このままじゃ、ミネルバが沈む。私が「死ぬ運命」を迎える前に、舞台そのものが壊されちゃう!)

 

待っていて誰かが助けてくれるのを祈るなんて、私の性分じゃない。

 

ラクス・クラインとして崇められ、奪われ、死んでいく「記号」で終わるなんて真っ平だ。

 

私は、私の意志で、私の生きる場所を掴み取る。

 

「……行きますわ」

 

私が立ち上がると、呼応するように隣の男も立ち上がった。

 

「俺も行こう」

 

アスラン・ザラ。

 

名前を隠し、力を封じ、それでも危機に際して体が動いてしまう男。

 

本当に、この人のお人好しさと「女難の相」は筋金入りだ。けれど、今の私にとって、これほど心強い背中はない。

 

「私も行く! 離せ、アスラン!」

 

「ダメだ」

 

「ダメですわ、カガリさん」

 

私とアスランの声が完璧に重なった。

 

カガリは食い下がるが、私はあえて冷徹な「ラクス・クライン」の仮面を被って彼女を射抜いた。

 

「貴女はオーブの代表です。万が一があれば、ウズミ様が命を賭して遺した理念の灯が消えてしまいます。……それが、貴女の望みですか?」

 

「うっ……だ、だが!」

 

「ラクスの言う通りだ。大人しく待っていてくれ、カガリ」

 

アスランの言葉に、カガリは悔しそうに拳を握りしめ、顔を伏せた。

 

「……くっ、わかった。だが……死ぬなよな。二人とも!」

 

「ええ、約束しますわ」

 

「ああ」

 

私とアスランは士官室を飛び出し、戦火に揺れるミネルバの通路を走った。

 

目指すは格納庫。整備班がパニック寸前で機体の点検に追われている中、ピンク色の機体を見つけて私は叫んだ。

 

「出撃します! ピンクちゃん……ザクを動かして!」

 

「ら、ラクス様!? 無茶です、この状況で!」

 

「このままでは艦が沈みます。道を空けて!」

 

私の気迫に圧された整備兵たちが、慌ててピンクのザクウォーリアのハッチを開く。隣ではアスランが緑色のザクウォーリアへと跳び乗っていた。

 

緊急発進(スクランブル)だ。装備はライフルだけでいい! 急げ!」

 

アスランの鋭い指示に、整備班が神業のような手際でビーム突撃機銃を用意する。

 

私はパイロットスーツも着ないまま、再びあの冷たい金属の座席に身を沈めた。

 

システム起動。

 

モニターが、岩塊に閉ざされた暗闇を映し出す。

 

カタパルトの先は崩れた岩で埋まっているが、スラスターの出力で押し通るしかない。

 

「アスラン、準備はいいかしら?」

 

通信ウィンドウに、アスランの顔が映る。

 

彼は一瞬だけ迷うような表情を見せたが、すぐに覚悟を決めた戦士の目になった。

 

『ああ。……行くぞ!』

 

カタパルトハッチが開く。

 

「ラクス・クライン、ザク、発進します!」

 

「アスラン・ザラ、出る!」

 

二機のザクが岩の隙間から宇宙へと飛び出した。

 

一機はド派手なピンク、一機は無骨なザフトグリーン。

 

原作のレールを大きく踏み外した「あり得ないコンビ」が、絶望に染まるアーモリーワン近海へと舞い降りた。

 

「……運命(デスティニー)なんて、蹴散らしてやりますわ!」

 

ピンクの閃光が、暗黒の宇宙を鮮やかに切り裂いていった。

 

 

◇◇◇

 

 

(……なんなんだ、この感覚は)

 

アスラン・ザラは、操縦桿を握り直し、モニターの端で躍動するピンク色の残像に目を見開いた。

 

ザフトグリーンとライブピンク。

 

全く不釣り合いな二機のザク・ウォーリアが、暗黒のデブリ帯で完璧なコンビネーションを見せていた。

 

アスランがビーム突撃機銃で敵を牽制すれば、彼女は即座にその死角を埋め、ダガーLの懐へ飛び込む。彼が回避行動を取る瞬間には、すでに彼女がその先に弾幕を張っている。

 

(まるで、キラと一緒に戦っているみたいだ……)

 

それはかつて、ジャスティスとフリーダムで背中を預け合った時に感じた、言葉を必要としない「阿吽の呼吸」。

 

だが、彼女の戦い方はキラのそれとも、そして軍事教練を受けたザフト兵のそれとも決定的に違っていた。

 

無駄のない洗練された挙動ではない。むしろ、泥臭く、必死で、一瞬先を生き延びるためだけに全ての神経を研ぎ澄ませた「喧嘩殺法」に近い。

 

独学で積み上げ、実戦に近いシミュレーションを狂ったように繰り返した者だけが辿り着く、生存への執着の塊。

 

(キラと同じだ。彼女も……戦いたくて強くなったわけじゃない)

 

アスランの胸を、鋭い痛みが突き刺す。

 

本来なら、スポットライトを浴びて歌うだけのはずの少女が、なぜこれほどの「殺しの方程式」を身につけなければならなかったのか。

 

自分の素性を隠し、ラクス・クラインという偶像に成り切り、さらにモビルスーツを駆って血を流す。

 

それが、デュランダル議長という男の下で「生き残る」ための唯一の手段だったのだとしたら。

 

「……っ、そんなことがあっていいはずがない!」

 

アスランの叫びと共に、緑のザクが急加速し、迫るダガーLのシールドをビームトマホークで叩き割った。

 

その直後、背後から放たれたピンクの機体の弾丸が、トドメと言わんばかりに敵のコクピットを正確に貫く。

 

爆散する炎が、暗い宇宙を赤く染め上げた。

 

その光に照らされたピンクのザクウォーリアは、あまりにも痛々しく、そして美しかった。

 

かつて、守りたいもののために、泣きながらストライクの操縦桿を握っていたキラ・ヤマト。

 

目の前の彼女もまた、自分の手を血で染めることで、必死に自分の命と、家族という名の未来を繋ぎ止めようとしている。

 

「君を……ただの『替え玉』のままでは終わらせない」

 

アスランは自分自身に誓うように呟くと、スロットルを全開にした。

 

彼女がキラと同じように、その優しさゆえに壊れてしまわないように。

 

今、この戦場だけでも、彼女の背中を守り抜くために。

 

二機のザクは、戦火の渦巻くミネルバの周囲を、守護者のように駆け巡っていく。

 

その姿は、狂い始めた運命の中で唯一放たれる、抗いの光だった。

 

 

◇◇◇

 

 

マゼンダ色のエグザスが、デブリの向こうへと消えていく。

 

撤退信号がモニターに灯り、機体をミネルバへと帰投させると張り詰めていた緊張の糸がぷつりと切れた。

 

「……終わった、のね」

 

私は震える手で操縦桿から手を離した。

 

その途端、身体の芯から突き上げてくるような激しい震えが止まらなくなった。カタカタと歯の根が合わない。

 

初めてだった。

 

シミュレーターの向こう側にある「ポリゴンの爆発」ではない、本物の火。

 

私が引き金を引き、放った弾丸が、あのダガーLの中にいた「人」を焼き尽くしたのだ。

 

5回。私は、5回も誰かの命を奪った。

 

「う、ぅ……っ」

 

急激に体温を奪われていくような感覚。コックピットの中は暖かいはずなのに、指先が氷のように冷たい。

 

画面に映る爆発の残光が、いつまでも網膜に焼き付いて離れなかった。

 

その時、外部ハッチが強引に開かれる音がした。

 

「ラクス……!」

 

「……アスラン」

 

聞き慣れた声に顔を上げると、そこには自分の機体を放置してまで駆けつけたアスランの姿があった。

 

彼は狭いコックピットに身を滑り込ませると、呆然と震える私を、その逞しい腕で力強く抱き締めた。

 

「っ……!」

 

温かい。

 

服越しでも伝わってくる、確かな鼓動と体温。

 

それは、さっきまで私が奪い続けてきたものと同じ、生きている人間の証だった。

 

「大丈夫だ。もういい……もう、終わった」

 

アスランの低い声が、耳元で優しく響く。

 

私は彼の胸に顔を埋め、子供のように縋りついた。

 

「私……殺したわ。私、あの人たちを……」

 

「……ああ。だが、君は生きている」

 

アスランは、より一層強く私を抱きしめた。

 

「君が戦わなければ、この艦も、カガリも、君自身も……今頃はもういなかった。君は、命を守ったんだ。そして、君自身も生き残った。……それでいいんだ」

 

「……私が、生きてる?」

 

「ああ。君は生きている。ここに、ちゃんといる」

 

その言葉が、凍りついていた私の心をじわりと溶かしていく。

 

そうか。私は死にたくなくて、必死に抗って、そして今、こうして誰かの腕の中で息をしている。

 

「死ぬはずのミーア・キャンベル」ではない。

 

私は今、確かに「生きている」一人の人間として、ここに存在している。

 

アスランの温もりに包まれながら、私はゆっくりと呼吸を整えた。

 

後でカガリに、こんな風に彼を独り占めしたことを謝らなきゃ。

 

でも、今は。

 

この温かさがなければ、私は自分を見失ってしまいそうだった。

 

「……ありがとう、アスラン」

 

私は小さな声で呟き、彼の背中にそっと手を回した。

 

皮肉なものだ。ラクス・クラインという偽りの仮面を被らなければ得られなかったこの温もりが、今の私を救っている。

 

戦火の余韻が残る暗いコックピットの中で、私は生まれて初めて「生きている」という実感に、静かに涙をこぼした。

 

 

 

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