ミーア・キャンベル()の憂鬱   作:星乃 望夢

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STAGE:09 去り際のロマンティクス

 

プラント最高評議会議長室。

 

柔らかな間接照明が照らすその部屋で、ギルバート・デュランダルは手元のグラスを揺らし、メインモニターに映し出された戦闘ログを眺めていた。

 

映っているのは、ドラグーンウィザードを装備したピンクのザク・ウォーリアが、かつての「英雄」──キラ・ヤマトの乗るストライクを網状のビームで撃墜する瞬間だ。

 

「……信じがたいな」

 

デュランダルの口元に、微かな、しかし歪んだ笑みが浮かぶ。

 

手元にあるミーア・キャンベルの遺伝子データによれば、彼女の空間認識能力は「平均的」なカテゴリーに分類されている。カオスの機動兵装ポッド技術を転用した、第二世代ドラグーンという「常人でも扱えるはずの」プロトタイプを用いたとはいえ、ここまでの練度を発揮することは理論上あり得ないはずだった。

 

「遺伝子が示す限界を、これほどまでに鮮やかに塗り替えて見せるとは。……まさに『運命』への反逆だね、ミーア」

 

彼はログを一時停止させ、撃墜の瞬間のドラグーンの軌道に注目した。

 

効率的で、無慈悲で、そして見る者に絶望を抱かせる全方位攻撃。

 

「この動き……まるでラウを彷彿とさせる。彼女の中に眠っていたのは、平和の歌姫の才能ではなく、戦場を支配する破壊者の才だったというのか」

 

デュランダルは、当初彼女に与えるはずだった「露出の激しいポップな衣装」のプランを、頭の中から完全に消去した。

ただの替え玉。ただの偶像。

 

そんな安っぽい記号では、この「怪物」を収めることはできない。

 

「キラ・ヤマト……私の描く世界の最大の障害となるであろう少年。その『影』を、たかだか一般市民であったはずの少女が打ち破った事実は重い」

 

彼は席を立ち、窓の外に広がる月軌道の静寂を見つめた。

 

今、ヴォルテールはアルザッヘル基地の動向を監視すべく月へ向かっている。そこには、地球軍がプラントへ向けて放とうとする「理不尽な矛」がある。

 

「ミーア。君はもう、私の操り人形ではないのかもしれないな。……だが、それもいい」

 

彼にとって、デスティニープランの最大の証明は「適材適所」だ。

 

もし彼女が、遺伝子的特性を越えて「ラクス・クラインという最強の守護者」になり得るのであれば、それもまた一つの真実。

 

「君がその力でロゴスを討ち、世界を導く『剣』となるならば……私はそれを歓迎しよう。君の両親の安全という『報酬』を、より確固たるものにしてもいい」

 

デュランダルは、手元の端末を操作する。

 

そこには、新型機──レジェンド、そしてデスティニーの設計図が広がっていた。

 

「戦う歌姫、か。……民衆は、より強い光を求めるものだ。かつてのラクス・クラインがそうであったようにね」

 

彼はグラスに残った琥珀色の液体を飲み干し、静かに呟いた。

 

「見せておくれ、ミーア。君という『バグ』が、この閉塞した世界にどのような旋律を奏でるのかを。……君の言う『解釈違い』の結末が、私のデスティニープランさえも超えていくというのなら、私は喜んでそのステージの幕を引こう」

 

その瞳には、彼女を制御しようとする冷徹な計算と同時に、予期せぬ「進化」を目撃した科学者としての純粋な知的好奇心が渦巻いていた。

 

 

◇◇◇

 

 

オーブの静かな海辺。

 

寄せ波の音だけが響く中、キラとアスランは並んで水平線を見つめていた。

 

先日の「ブレイク・ザ・ワールド」の傷跡は、この穏やかな島にさえ不穏な影を落としている。

 

「おかえり、アスラン。大変だったね」

 

キラの言葉には、親友を労わる以上の、深い憂いが混じっていた。

 

モニター越しに見たユニウスセブンの惨状。そして、そこで戦っていた「桃色のザク」の姿。

 

「ああ……」

 

アスランの返事は重い。

 

彼の脳裏には、コックピットの中で震えながらも、自らの意志で引き金を引き、誰かの命を奪ってまで「今」を生きようとした少女の姿が焼き付いていた。

 

「あの報道、お前も見たろ?」

 

「……うん。犯人は、血のバレンタインで家族を失った人たちの一部……ザフトの脱走兵だって」

 

「破砕作業に出たら、彼らがいたんだ。彼らは……本気で地球を焼き尽くそうとしていた」

 

アスランは拳を握りしめる。

 

あの戦場で、彼は見たのだ。偽物だと思っていた少女が、誰よりも必死に、その「偽物の立場」を武器にして敵の憎悪を引き受け、破砕作業を完遂させようとした姿を。

 

「……あのラクスのことは、君は何か知ってるの?」

 

キラの問いは、核心を突いていた。

 

アスランは一瞬、水平線に目を細め、静かに答えた。

 

「名前は、彼女が伏せた。だが、彼女は掌に文字を書いて、俺に助けを求めてきたんだ。……両親を人質に取られ、脅されて、ラクスの代わりをさせられていると」

 

「……そうなんだ」

 

キラの胸に、鋭い痛みが走る。

 

自分たちがここで平和に、静かに暮らしていたその裏で。

 

自分たちの「安らぎ」を守るための盾にされ、望まぬ仮面を被らされ、たった一人で血を流していた女の子がいる。

 

その事実は、キラの優しさを深く抉った。

 

「俺は、ラクスに話すつもりだ。そして……プラントに戻る」

 

「その子を助けるために?」

 

「ああ。彼女は……、自分が何と戦うべきか、何をすべきかを、俺たち以上に知っているように見えた。そんな彼女が今、誰にも守られず、敵のど真ん中で一人で戦っているんだ。……放っておけるか」

 

アスランの言葉には、確固たる決意が宿っていた。

 

かつての彼は、迷い、揺れ、流されることもあった。けれど今の彼は、守るべき「一人の少女」の存在を胸に刻んでいる。

 

「……カガリは、どうするの?」

 

「『友達を助けに行け。むしろ私が行きたいくらいだ』と言っていたよ。……キラ、悪いが、頼む」

 

キラは少しだけ驚いたように目を見開き、それから優しく微笑んだ。

 

「……うん。お兄ちゃんだからね。アスランがいない間は、カガリは僕が守るよ」

 

「ありがとう、キラ」

 

その時、家のバルコニーから鈴を転がすような声が響いた。

 

「キラ、アスラン。お茶が入りましたわ」

 

本物のラクス・クラインが、二人を呼んでいる。

 

これから話さなければならない。

 

自分たちの名を騙り、自分たちの代わりに世界を背負わされている、もう一人の「ラクス」のことを。

 

二人は顔を見合わせ、同じ道の先を見据えながら、ゆっくりと歩き出した。

 

宇宙では、偽物の孤独な歌姫が。

 

地上では、本物の歌姫と、彼女を守る剣たちが。

 

運命という名の巨大な嵐が吹き荒れる中、彼らの物語は、今度こそ正しい「救い」へと向かって、静かに動き始めた。

 

 

◇◇◇

 

 

「──お二人とも」

 

バルコニーから、鈴の音のような、けれどどこか張り詰めた声が届いた。

 

振り返ると、そこには夕闇に溶けそうなほど白いドレスを纏ったラクスが立っていた。

 

彼女はいつものように穏やかに微笑んでいる。けれど、その瞳だけは誤魔化せなかった。

 

繰り返される悲劇の予兆、そして愛する者たちが再び戦火に身を投じようとする気配。それを、彼女の聡明さが逃すはずもなかった。

 

「……話があるのですね?」

 

キラは視線を逸らしかけて、踏みとどまった。

 

アスランが、決意を込めて一歩前に進み出る。

 

「ラクス。聞いてほしいことがあるんだ」

 

ラクスの微笑みが、わずかに引き締まる。

 

「はい」

 

その短い返事の中に、彼女の覚悟が宿っていた。

 

「君の代わりをしている少女がいる。……デュランダル議長に家族を人質に取られ、脅されて、君を演じさせられている女の子だ」

 

ラクスの瞳が、驚きに大きく見開かれた。

 

アスランは言葉を継ぐ。

 

「彼女は、密かに俺に助けを求めてきた。手のひらに文字を書いて……『助けて』と」

 

ラクスは沈黙した。

 

さざ波の音だけが響く中、彼女はそっと自分の胸に手を当て、深く、静かに息を吸い込んだ。

 

その瞳の奥で灯ったのは、自分自身への同情ではない。自分の名を騙る者への嫌悪でもない。

 

それは、ひとりの少女の人生を奪い、戦いの道具に仕立て上げた者への、静かな、けれど烈火のような「怒り」だった。

 

「……そうですか」

 

ラクスは唇を噛み締め、震える呼吸を整える。

 

そして、隣に立つキラを見上げた。

 

「キラ。……あなたは、止めますか?」

 

キラは力強く首を振った。

 

迷いがないわけではない。再び自由の翼を広げれば、今度こそ引き返せない場所へ行くことになるかもしれない。けれど。

 

「……止めないよ。僕も、その子を放っておきたくない。僕たちがここで静かに暮らしている裏で、一人の女の子が僕たちの代わりに泣いているなんて……そんなの、僕は耐えられない」

 

ラクスの瞳が少しだけ潤み、柔らかくなる。

 

彼女は次にアスランを、かつての婚約者であり、今は志を共にする友を見つめた。

 

「アスラン。あなたは、プラントに戻るのですね」

 

「ああ。彼女を……名前も知らないあのラクスを助け出し、両親を救い出す。それが、彼女と交わした唯一の『約束』だから」

 

「ならば、私も──」

 

ラクスが言葉を繋ごうとした瞬間、キラがその手をそっと、けれど逃さない強さで握った。

 

「ラクス。僕も一緒に行くよ。一人で背負わせたりしない」

 

ラクスの目が、今度は「平和の歌姫」ではない、ひとりの恋する少女の形に細められた。

 

「……ありがとう。お二人とも」

 

三人の沈黙が、重なり合い、一つの方向を向く。

 

月軌道へ。プラントへ。

 

偽物が、自らの命を削って真実を掴もうと足掻いている、あの戦場へ。

 

ラクスが力強く、一歩を踏み出した。

 

「行きましょう。……彼女を、ひとりにさせてはいけません。私の名前を背負って戦ってくれている彼女に、私が、お礼を言わなくてはなりませんから」

 

キラとアスランも、同じ歩幅で並び立つ。

 

窓の外、夕暮れの海は鏡のように静かだった。

 

けれどその静寂は、古い運命を打ち砕くための、巨大な嵐の前の静けさだった。

 

三人は、もう振り返らなかった。

 

同じ道の先、遠く宇宙で待つ「もう一人の彼女」を救い出すために。

 

 

◇◇◇

 

 

アスランは、一人シャトルに乗り込み、漆黒の宇宙へと帰っていった。

 

胸に秘めたのは、掌に残る少女の震えと、「助けて」という無音の叫び。かつて、誰かのために戦うことを迷い続けた彼は、今、明確な目的を持ってプラントへと向かう。

 

「待っていてくれ。……君を、一人にはさせない」

 

一方、地上ではカガリを守ると誓ったキラが、再び戦場へと戻る覚悟を固めていた。

 

そんな彼を導くように、ラクスは秘密裏に修復・調整されていた「フリーダム」を再びキラへと託す。

 

「これは、望んで手に入れるべき力ではないのかもしれません。……けれど」

 

ラクスの声に、かつての迷いはない。

 

「あの場所で、私の名前を背負って独りで戦っている彼女を救うためにも。……キラ、お願いします」

 

「わかっているよ、ラクス」

 

キラは頷き、蒼き翼を起動させた。

 

しかし、事態は彼らの決意を嘲笑うかのように急変する。

 

オーブの理念を売り払おうとするセイラン家の暗躍──ユウナ・ロマ・セイランと、カガリ・ユラ・アスハの結婚発表。

 

ウズミが命をかけて遺した「オーブの誇り」が、物理的な婚姻という鎖で封じ込められようとしていた。

 

「……こんなの、間違っている」

 

真っ白なウェディングドレスを纏い、死人のような目で鏡を見つめるカガリ。

 

彼女の心は、重すぎる責任と、隣にいないアスランへの想いで、今にも折れそうになっていた。

 

その婚礼の儀を切り裂いたのは、高天から舞い降りた一筋の閃光だった。

 

「……フリーダム!?」

 

参列者の驚愕を余所に、キラの駆るフリーダムが式場に降臨する。

 

問答無用でカガリをその手に掬い上げ、空へと舞い上がる「略奪者」。

 

「カガリ、僕と一緒に来て。……君が本当に守りたいものは、ここにはないはずだ」

 

「キラ……! お前、バカなことを……!」

 

泣きじゃくるカガリを抱え、アークエンジェルは海へと潜った。かつての英雄の船は、今やオーブの追手から逃れる「反逆者の船」へとその姿を変える。

 

けれど、これは絶望の逃避行ではない。

 

プラントで独り戦うミーア。

 

オーブで国を奪われかけたカガリ。

 

交錯する少女たちの運命を救うため、キラとアスラン、そしてラクスは、再び世界の激流へと漕ぎ出した。

 

「マリューさん、全速です。……僕たちは、もう止まれない」

 

「了解よ、キラくん。アークエンジェル、発進します!」

 

激しく波打つ海原を裂き、白い翼が宇宙を目指して羽ばたく。

 

偽物が真実に手を伸ばし、本物が真実を守るために剣を振るう。

 

混迷を極める世界の果てに、彼女たちが笑い合える未来があることを信じて。

 

 

◇◇◇

 

 

アークエンジェルの静かなブリッジ。

 

プラントから全世界に向けて発信された「歌姫ラクス・クライン」の最新曲は、電子の海を越えて、隠遁の身であるはずのキラとラクスの耳にも届いた。

 

あまりにも重く、そして美しい旋律。

 

スピーカーから流れるその「声」は、まぎれもなくラクスのもの。だが、そこに込められた感情の深さは、キラとラクスの胸を締め付けた。

 

「……キラ、聴こえますか」

 

ラクスの小さな囁きに、キラは静かに頷いた。

 

モニターに映る「ラクス」──ピンクの髪を揺らし、凛とした和服姿で歌うミーア。その瞳は、カメラの向こうの民衆ではなく、もっと遠く、自分自身の運命を射抜いているように見えた。

 

『求められるまま あの椅子に座り続けたのは 通るべき約束だった』

 

その歌詞が流れた瞬間、ラクスは自らの手を強く握りしめた。

 

「あの椅子」──プラントの歌姫、エターナルの指揮官席、そして世界の運命を左右する指導者の座。

 

それが自分に課せられた「役割」であり、逃れられない約束であることを、偽物であるはずの少女が誰よりも深く理解し、肯定していた。

 

「彼女は……知っているのですね。私が、言葉にできなかった想いを」

 

ラクスの声が微かに震える。

 

誰かのために歌い、誰かのために微笑み、自分自身を手放していく。それは、本物のラクスがかつて歩み、そして今ふたたび歩もうとしている険しい路そのものだった。

 

『だけど人生には「それでも」がついてくる』

 

その一節に、キラの瞳が大きく揺れた。

 

「それでも」──。

 

守りたいもののために戦い、絶望に打ちひしがれながらも、それでも明日を信じようと足掻くキラの生き様、そのものを肯定する言葉。

 

「キラ……」

 

「……うん。まるで未来からの手紙みたいだ。僕たちが、これから何を背負って、どんな想いで戦おうとしているのか」

 

キラはラクスの肩を抱き寄せた。

 

歌の中のミーアは告白している。使命は愛から導かれるのだと。

 

平和を願う使命感ではなく、ただ隣にいる人を愛するという、たった一つの、けれど絶対的な理由。

 

『君はもう誰かのために歌わなくていいと』

 

この一節を聴いたとき、ラクスは涙をこぼした。

 

それは、世界中の誰からも言われることのなかった、けれど最も欲しかった救いの言葉。

 

それを、自分の偽物として戦場に立つ少女が、自分自身の「去り際のロマンティクス」として歌い上げている。

 

「彼女は……命を削って歌っています。私に、そしてキラに、この歌を届けてくれている」

 

「……アスランの言った通りだね。彼女は、ひとりで戦ってる。あんなに強い歌を、あんなに悲しい場所で」

 

歌が終わる。

 

最後の余韻が消えた後、ブリッジには長い沈黙が流れた。

 

かつて、ラクス・クラインという偶像は、民衆を導くための希望だった。

 

けれど今、モニターの中で微笑む「彼女」は、本物さえも救うための「真実」を歌っている。

 

「行きましょう、キラ。彼女が、その『再生の記録』を終わらせる前に」

 

「うん。彼女を……今度は、僕たちが自由にする番だ」

 

ふたりのラクスの想いが、歌という架け橋によって、時空を超えて重なり合った。

 

キラとラクスは、もう迷わない。

 

その歌に込められた「愛」と「それでも」という意志を、自分たちの力に変えるために。

 

アークエンジェルは、水面を切り裂いて加速した。

 

月の光を浴びて歌い続ける、孤独な歌姫の元へ。

 

 

 

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