籠は静かに完成した   作:鬼灯@東方愛!

1 / 6
3話まで書いた。
キリがいいから投稿。


籠はまだ、開いている

 目を覚ますと、琴里(ことり)はいつも通り逃げ場のない壁際に閉じ込められていた。

 

 背中から覆い被さるように重なった鎖夜(さや)との距離が、近すぎて。

 伝わる柔らかな感触と、温い体温に、全身を撫でられているような錯覚を起こす。

 

 布団は一組だけ――それが、この家の決まりだった。

 

 初冬の朝は、まだ薄暗い。

 障子の向こうから、朝の気配が滲んでくる。

 

「……琴里、起きてる?」

 

 寝起きの甘く掠れた声が、鼓膜を揺らす。

 

「……まだ」

 

 短く答えると、微笑むような息遣いが後頭部を掠める。

 余計なことを、考えてしまう。

 

 布団の中で体を丸めたまま、琴里は少しだけ肩をすくめた。

 

「寒い?」

 

「……べつに」

 

 言い切ると、鎖夜は小さく息を吐く。

 

「そう。私は、少し寒いかな」

 

 柔い声でそう溢すと、温もりを求めるように腕の力が強まる。

 琴里は返事をしない。

 

 返したら、何かが変わってしまいそうで。

 

 二年前。

 鎖夜との関係が変わった日――鎖夜の養女になってすぐの朝のことを、琴里は思い出す。

 

 沢山いた使用人たちが静かに去り、家の中が急に広く、そして狭くなった日。

 この布団も、その頃からずっと一組だけだ。

 

 背後の体温に、身じろぎしたくなる。

 でも、壁があって、布団があって、逃げ場はない。

 だから琴里は、ただ目を閉じる。

 

 朝の支度の時間が来るまで、あと少し。

 

 

---------------------------------------

 

 

 鎖夜の腕が離れると、布団の中の温度が一気に下がった気がした。

 

 琴里はゆっくりと体を起こす。

 逃げ場のない壁際から這い出るようにして座ると、鎖夜はもう半身を起こし、琴里を見下ろしていた。

 

 伏せがちな垂れ目の紫が、薄暗い朝の光を拾うたびに、色の深さを変える。

 

 その視線に、理由もなく背筋が伸びる。

 

「立てる?」

 

「……うん」

 

 答えるより先に、鎖夜の手が伸びてくる。

 肩に触れ、次いで背中に回り、軽く支えるようにして立たせてくれる。

 

 鎖夜みたいな大人ではないけれど、琴里だってもう十二歳だ。

 起き上がるだけで転ぶはずもないのに、必ずそうする。

 

「冷たいね」

 

 畳に触れた足先を見て、鎖夜が言う。

 琴里の足首はまだ細くて、鎖夜の指が回ると一瞬で囲える。

 

「すぐ靴下履こう。動かないで」

 

 琴里は言われた通り、その場に立ったまま動かない。

 鎖夜が屈んで、用意してあった靴下を手に取る。

 

 その距離が、やっぱり近い。

 

 顔を上げれば、すぐ視線が合ってしまいそうで、琴里は自然と視線を落とす。

 畳の目を数えるみたいに、意味もなく。

 

 靴下を履かせる手つきは、丁寧で、迷いがない。

 足首にきちんと合わせて整える。

 

「ほら、あったかい」

 

 両足を履かせ終えると、鎖夜は満足そうに頷いた。

 

 

-----------------------

 

 

「行こ」

 

 そう言って、今度は琴里の手首を取る。

 指を絡めるわけではない。

 ただ、離れないように。

 

 キッチンに入ると、鎖夜は何も言わずに椅子を引いた。

 自分が椅子を引き、琴里がそこに座る、それが当然だという仕草。

 

 琴里は素直に腰を下ろす。

 

 背中に手を添えられて、位置を整えられる。

 正しい配置があるのだろう。

 

 鎖夜はすぐに動き出す。

 昨日の夜に用意した物を手際よく温め直し、迷いなく皿に盛り付ける。

 

 配置も順番も、全部決まっているみたいだった。

 

 味噌汁の椀を手に取ると、鎖夜は自然な動作で息を落とす。

 

 ふう、ふう、と二度。

 

 湯気が落ち着いたのを確かめてから、琴里の前に置く。

 

 温度じゃなく、琴里の顔を見るために一拍置くところが、いつも通りだった。

 

「熱くないよ」

 

 鎖夜がそう言うなら、そうなのだろう。

 琴里が舌を火傷することは絶対にない。

 

 鎖夜は隣の席に座る。

 距離は、やはり近い。

 

 箸を持った琴里の手元に、すぐ視線が落ちる。

 

「……それ、切ろうか」

 

 答える前に、鎖夜の箸が動いて、食べやすい大きさに整えられる。

 皿が少しだけこちらに寄せられて、次に口に運ぶ物まで自然に決められていく。

 

「はい」

 

 差し出されるタイミングが正確すぎて、琴里は反射で口を開ける。

 介護みたいだ、と思うのに、恥ずかしさより先に安心が来る。

 噛む間も、飲み込む間も、鎖夜は待つ。

 

 急かさない。

 目を、離さない。

 

「ちゃんと食べてえらいね」

 

 甘い声で囁かれる。

 異常だと、頭ではわかっている。

 

 でも、嫌だとは思えない。

 むしろ、任せてしまう。

 

 鎖夜自身も同じペースで食べている。

 琴里に手を伸ばしながら、合間に自分の分もきちんと口に運ぶ。

 動きに無駄がないから、結果的に食べ終わるのはほぼ同時だ。

 

 皿が空になる頃、鎖夜の物も琴里と同じくらい減っていた。

 鎖夜は空になった皿を見てから、琴里の口元に一度だけ視線を落とす。

 何かを確認するみたいに。

 

 食器を片付け終えると、鎖夜は迷いなく琴里の腕を引いて洗面所へ向かった。

 

 

-----------------------

 

 

 

「動かないでね」

 

 声が、やけに優しい。

 歯ブラシを取るのも、歯磨き粉を出すのも、全部鎖夜がやる。

 琴里はただ口を開けるのが仕事だ。

 

「はい、あー」

 

 言われる前から、自然と従ってしまう。

 それを当たり前みたいに受け取って、鎖夜は小さく笑った。

 

「いい子」

 

 褒められるようなことじゃないのに。

 胸の奥が、きゅっと縮む。

 

 歯ブラシが口の中に入る。

 力は驚くほど優しくて、痛くも不快でもない。

 むしろ、丁寧すぎるくらいだ。

 

「くすぐったい?」

 

 首を横に振ると、鎖夜は嬉しそうに目を細める。

 

「そう。じゃあ、このままね」

 

 磨かれている間、鎖夜の癖のある髪が頬に触れたり、吐息が首元をかすめたりして。

 そのたびに、どうしていいか分からなくなる。

 恥ずかしい、という感覚はちゃんとある。

 

 でも、それ以上に――安心する。

 

 それが、いちばん怖い。

 

「はい、終わり」

 

 口を閉じると、鎖夜はすぐにコップを差し出す。

 

「ゆすいで」

 

 言われた通りにすると、今度は口元を覗き込んで、満足そうに頷いた。

 

「うん、綺麗」

 

 その一言で、胸の奥がじんわり温かくなる。

 それを悟られたくなくて、琴里は視線を落とした。

 

「……自分でできる」

 

 小さく言うと、鎖夜は少しだけ驚いた顔をして、それから、困ったみたいに笑った。

 

「できるのは知ってるよ」

 

 否定しない。

 でも、やめない。

 

「私がやりたいだけ」

 

 そう言われると、それ以上は言えなくなる。

 

 鎖夜に触れられている時間が、当たり前になってしまった自分を、琴里はもう止められない。

 

「寒くない?」

 

 そう言って、タオルで口元を拭かれながら、琴里は小さく首を振る。

 

 寒くない。

 二人一緒なら、寒くない。

 

 鎖夜が微笑む。

 甘くて、柔らかくてーー絡めとるような笑顔。

 

 この家で、朝はいつもこうして始まる。

 鎖夜に包まれて、管理されて、甘やかされて。

 

 それだけの日々を、繰り返している。

 

-----------------------

 

 

 玄関を出ると、朝の空気がひんやりと頬に触れた。

 門の外に出たところで、鎖夜は一度だけ立ち止まる。

 琴里のマフラーを締め直し、風が入らないように、コートの前を指先で軽く整える。

 

「寒くない?」

 

「うん」

 

 答えると、ひとつ頷いて鎖夜が歩き出す。

 自然と、琴里の半歩前。

 そして、必ず車道側。

 

 昔は、黒くて大きな車が迎えに来ていた。

 運転手付きで、音もなく門の前に止まるやつ。

 あれで学校に行くと、必ず視線が集まった。

 噂も、ひそひそ話も、すぐに広がった。

 それが嫌だと伝えたのは、ほんの一度だけだ。

 

「……歩いて行きたい」

 

 そう言ったとき、鎖夜は少しだけ驚いた顔をして、

 でも、理由を聞き返したりはしなかった。

 

「わかった」

 

 それだけ。

 次の日から、車は使われなくなった。

 

 大きな会社をいくつも抱えている人なのに。

 名家の当主で、忙しいはずなのに。

 

 朝も、夕方も。

 琴里の送り迎えだけは、欠かさない。

 

 歩く速度も、琴里に合わせている。

 速すぎず、遅すぎず。

 でも、琴里が立ち止まれば、すぐ止まる。

 

「……」

 

 黙ったまま歩くのは、別に気まずくない。

 むしろ、落ち着く。

 鎖夜の存在が、すぐ隣にあるのが当たり前になっているから。

 

 通学路の角を曲がったところで、突然、犬の吠える声がした。

 

「ワンッ!」

 

 金網越しに飛び出してきた茶色の影に、琴里は思わず肩をすくめる。

 

 その瞬間だった。

 

 無意識に、手が伸びて。

 鎖夜の人差し指を、ぎゅっと握っていた。

 

 鎖夜の歩みが、わずかに緩む。

 振りほどかれることも、握り返されることもない。

 

 けれど、指先はそのまま、琴里の手を受け入れる。

 

 犬はまだ吠えている。

 金網に体当たりする音が、思ったより近い。

 

 琴里は顔を上げられないまま、握った指に力を入れてしまう。

 鎖夜は前を向いたまま、視線だけをわずかに落とす。

 

 それから、何も言わずに琴里に体を寄せる。

 距離が、より近くなる。

 犬の声が遠ざかるまで、そのまま歩いた。

 鎖夜の指は、動かない。

 

 やがて吠え声が聞こえなくなると、琴里はようやく体から力を抜いた。

 そっと指から手を離す。

 

「……大丈夫?」

 

 少し遅れて、そう聞かれた。

 琴里は小さく頷いて答える。

 

「うん。もう平気」

 

 鎖夜も無言で頷く。

 歩調を落とし、さっきよりさらに、歩く位置を詰めてくる。

 

 肩が完全に触れる距離。

 

 胸が騒つく理由は、考えないことにする。

 今考えなくても、明日もこうして歩くのだ。

 

 校門が見えてくるころには、さっきのことはもう話題に上らない。

 でも、握った指先の感触が、てのひらに残っている。

 

 それが、いつからの癖なのか。

 琴里は、憶えていない。

 

 校門の前で、鎖夜は立ち止まる。

 朝の通学時間で、周囲には人の気配がある。

 でも、その中で二人、いつもの距離のままだった。

 

 鎖夜が琴里を見る。

 頭のてっぺんから足元まで、確かめるみたいに視線を滑らせてから、短く言った。

 

「……忘れ物、ない?」

 

「うん」

 

 答えると、それ以上は聞かれない。

 というか、忘れ物があるわけがない。

 準備も全部、鎖夜がやっているのだから。

 

 鎖夜は何も言わず、琴里のマフラーの端を軽く整える。

 少し手を上げて、頬に触れるか触れないかの距離で、指先が止まる。

 

 それで終わり。

 

「行ってらっしゃい」

 

 落ち着いた声音。

 特別な感情は、含まれていないように聞こえる。

 

 琴里は一歩、後ろに下がる。

 校門。

 この線を越えたら、朝の2人の時間は終わりだ。

 

「……行ってきます」

 

 そう言うと、鎖夜は小さく頷いて微笑んだ。

 背を向けて足を踏み出す。

 振り返らずに校門をくぐる。

 

 背中に視線を感じている気がしても、確かめない。

 門の内側に入ると、周囲の音が一気に現実に戻る。

 

 友達の声、靴音、朝のざわめき。

 琴里もその中に混じっていく。

 

 いつも通り。

 昨日と同じ。

 何も変わらない朝。

 

 それでも、指先を握った手だけが、まだ少し温かかった。

  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。