キャラクター設定やプロットを病的に詳細に組んだので、こっからは投稿後の手直しほぼなくなると思います。
小学校は休みで、鎖夜は休日出勤。
だから琴里は、今日も鎖夜と一緒に会長室に来ている。
特別な予定じゃない。
鎖夜に仕事がある日は、だいたいこうだ。
朝は少しだけゆっくり起きて、
用意された上品な服を着させられ、
運転手つきの大きな車で迎えにきて貰って、
ガラス張りのエレベーターに乗る。
高層ビルの上階に向かう間の、耳が塞がるような感覚も、もう慣れている。
この部屋も、慣れた物だ。
広いソファの柔らかさも、窓際の光の強さも、知っている。
窓ガラスの向こうでは、街がずっと下にある。
人も車も小さくて、音は届かない。
ここにいると、世界が少し遠くなる。
琴里はクラスで2番目に背が低いので、ソファに深く腰掛けると、足が床に届かない。
ぶらつかせながら、鎖夜に勧められた児童書を膝に乗せる。
文字が多いな、と思う。
執務机の向こうで、鎖夜は仕事をしている。
椅子に座ったまま、片手で紙の書類をめくり、もう片手でキーボードを打つ。
視線は忙しく行き来しているのに、動きに迷いはない。
それでも、ときどき。
ほんの数瞬、琴里を見る。
ページをちゃんと追っているか。
退屈していないか。
寒がっていないか。
確認するみたいな視線。
鎖夜と琴里の目の色は、よく似ている。
籠之家の血統に特有の紫で、
光の当たり方によって深さが変わる。
でもほんの少し、鎖夜のほうが濃い色をしている。
鎖夜の垂れ目の奥でその瞳が輝き、自分を見詰めていると、胸の奥が少しだけ落ち着くと琴里は感じている。
でも、決して口には出さない。
本に視線を戻すと、
鎖夜も何事もなかったみたいに仕事に戻る。
----------------------------
コンコン、コッ、コン! と、リズミカルなノックの音。
返事を待たずに、扉が開く。
「失礼しまぁすっ」
入ってきたのは、見覚えのある小柄な女性だった。
鎖夜と一緒にいる時にたまに会うけれど、琴里はあまり話したことがない。
しかしあまりにも目立つ格好をしているので、存在は忘れようもない。
だぶだぶで、完全にオーバーサイズの白いうさぎ耳のついたパーカー。
うさぎの左耳にはリングピアスが2個ぶら下がっていて、歩くたびに音が鳴る。
というか、袖の中にも何か入れているのか、金属質な音がたまに響く。
いつも軽そうな笑い方をしている人だけど、ショートブーツは鉄板入りのようで、足音だけは重たい。
首元に黒いスカーフを巻いているけど、たまにその隙間から抉れたような古傷が覗く。
明らかに、オフィスビルには似つかわしくない風貌の人だ。
名前は……たしか。
「お待たせー、当主さま」
「予定より早いね、兎斗さん」
ーーそうだ、月城 兎斗(つきしろ・とと)。
鎖夜は椅子から立たない。
書類に目を落としたまま、声だけかける。
「いやー、片付けが、思ったより静かで捗ってさあ。
棚の奥に隠れた小さいやつも、邪魔臭い重たいやつも、全部まとめて綺麗に整理できちゃった」
兎斗は、部屋を見回してから、ソファの方を見る。
視線が、琴里に止まる。
「こんにちはー、今日は読書の秋、もう冬かな?」
軽い声。
距離感も、軽くて近い。
琴里が返事をする前に、鎖夜の声が重なる。
「そう、読書中。お静かにお願いします」
言葉は穏やかだけど、間に入るのが早い。
兎斗は肩をすくめて笑う。
「はいはい。失礼しましたー」
鎖夜と兎斗の会話は、いつもどこか含みがあると琴里は思っている。
棚だの、整理だの、重さだの。
一見、日常的な会話に聞こえる。
でも、言葉通りの意味でないことは、なんとなくわかった。
会話の途中で、鎖夜の視線がふっと外れる。
琴里のほうを、じっと見ている。
琴里の膝掛けが、少しずれていた。
鎖夜は何も言わずに立ち上がる。
椅子を引く音が少し大きい。
ソファの前まで来て、しゃがむ。
指先で、そっと膝掛けを持ち上げ、丁寧に位置を整える。
琴里の膝をポンポンと軽く叩いて、顔を上げる。
「寒くない?」
囁くような小さな声。
柔らかくて、甘い。
兎斗と話していた時とは、違う声だ。
「……だいじょうぶ」
答えると、鎖夜は頷いて立ち上がる。
当然のことを済ませただけ、という顔だ。
「……いやー」
兎斗が、面白そうに笑う。
「相変わらず過保護だなあ、当主さま」
鎖夜は自分の肘にかけていた和柄のストールの位置を直しながら言葉を返す。
「必要なことしかしてない」
悪びれもしない。
当然といった態度。
「それがもう、過剰なんだって」
兎斗は、琴里の方を見て、にっと笑う。
「大事にされてるねえ」
その言葉に、鎖夜の視線が一瞬だけ鋭くなる。
でも、声は変わらない。
「話は終わり?」
「終わり終わり。じゃ、またね」
兎斗は軽く手を振って、部屋を出ていく。
扉が閉まる音が、遠く感じる。
静かになると、
鎖夜はすぐに琴里へ向き直る。
「おいで」
言葉とほぼ同時に、琴里の体が持ち上がった。
抱き上げられる、と思うより先に、もう鎖夜の腕の中だ。
鎖夜は琴里を抱えたままソファに腰を下ろし、そのまま膝の上に置く。
背中から腕が回り、腹のあたりで、きゅっと締められる。
距離が、ない。
空気の入る隙間さえない。
鎖夜の白い頬が、琴里の薄墨色の頭に擦り付けられる。
一度。
間を置いて、もう一度。
無意識の動きみたいだった。
「……いい子」
囁く声は甘く、やわらかい。
琴里は何も言わない。
言葉を返す必要がないことだけは、分かる。
そのまま、鎖夜の腕の中に収まっていた。
しばらくして、
鎖夜の視線が、ふっと外れる。
執務机の方へ。
書類が積まれた机。
いつもと変わらない配置。
見慣れた物。
だけど、視線は戻ってこない。
抱かれる腕は離れない。
むしろ、わずかに力がこもる。
琴里は知らない。
その机で何があったのかも。
鎖夜が、そこに何を見ているのかも。
確かめるみたいに、
鎖夜の腕の力が、またさらに強くなる。
逃がさない、というより、
離れてしまう可能性を、考えたくない、というふうに。
ーー鎖夜はなにも、言葉にしないから。
それは琴里の妄想かもしれないけれど。
抱き方が変わる。
腕が組み替えられ、胸元に引き寄せられる。
琴里の背中が、鎖夜の体温にきちんと重なる。
柔らかさに沈み込む。
呼吸の位置が、近い。
吸う息も吐く息も、重なってしまう距離。
鎖夜はやっぱり、何も言わない。
机から視線を外して、琴里を抱きしめ続ける。
琴里は動かない。
動かないまま、そこにいる。
それでいい、と
重なる温度が肯定する。
しばらくして、
鎖夜の顎が、琴里の頭にそっと乗る。
重さはない。
ただ、固定されている。
抱きしめる、よりも、
囲うに近い形で。