弟視点。姉を忘れる話。時系列は学祭後。
恋愛要素・意図はないですがキスシーンがあります。
ある朝目覚めると、自分の部屋の隣に知らない女の子が住んでいた。
気づいたその日はテスト期間中で、朝練もなく、時間に余裕があるため弁当作りをしていた。昨日の夕食の残りである母の煮付け料理を電子レンジで加熱し醤油を垂らし味を濃くしておき、ウインナーを焼き、卵焼きを作った。それらを母が毎日タイマーセットしてくれている炊き立てのご飯と共に弁当箱へ詰め、熱が冷めるのを待ちがてら調理に使った器具や食器を洗い、朝食を用意し食べようとしていた。
「お前自分の作るなら私のも作れよ、気が利かないな」
耳慣れない声がそんなことを言った。声の方へ顔を向けると、そこには女の子が立っていた。パジャマを着ていて、寝起きだとわかるように髪はボサボサで、しかし朝だというのに目元には濃い隈がくっきりと刻まれている。
その女の子に俺が何か言うより先に、続くように母が居間へとやってきて、呆れたように言った。
「トモコも自分でお弁当作っていいんだからね」
「……私はほら、お母さんの美味しい手料理を毎日食べたいから」
「調子の良いこと言って。さっさと身支度整えなさい。弁当も朝ごはんもお母さんが用意してあげるから」
「はあい」
そうしてあくびをしながら女の子は扉の向こうへと消えて行き、母はキッチンに入り料理をし始めてしまったため、俺はたずねるタイミングを逃してしまった。というより、混乱していた。
母は突然現れた女の子に親しげに応対しており、女の子は当たり前のように母をお母さんと呼んでいた。そして何より生活感溢れるあの風体。我が物顔で居間に現れた出立ち。俺に対する気易い言いがかり。
俺にとって初対面の知らない女の子でしかないはずなのに、状況がそれを否定していた。
突然の異常事態に、しかしどうすればいいかわからず、とりあえず目の前に並べた朝食に向き合う。用意した納豆をご飯にかけたが、醤油もなしに混ぜもしていない塊がただご飯の上に乗っかった。
キッチンから鮭を焼く香ばしい匂いがしてくる頃、女の子が再び居間に現れた。制服を着ている。その制服は俺が通っている高校と同じもので、ネクタイの色を見て彼女が三年生で年上であることを知る。
女の子は躊躇なく俺の隣に座った。
母は食べている俺の前に焼き鮭を置いて、隣のテーブルにはご飯や納豆、昨日の残りのおかず、そして焼きたての鮭を並べていく。
女の子がじっとこちらへ視線を向けてくるのを感じる。察して俺は手元にあった醤油を手渡す。無言で女の子は受け取り納豆へ醤油をかけていた。
母も向かいのテーブルへご飯や納豆を用意して食卓につく。女の子は醤油を母側へ置き直した。母がテレビをつける。
三人でテレビの音をBGMに食事をする。恐らく、二人にとっては、この状況は何も不自然ではないのだろう。黙々と食事を摂り、時々気になる話題があればテレビの方へと視線をチラと向ける。そんな時間が続いた。
「お前今日はお姉ちゃんと学校行きたくてこんな時間までいるんだろ? 仕方ないから一緒に登校してやんよ」
そろそろ俺が食べ終える頃合いに女の子は言った。やはり彼女が一歳年上の女の子であることに間違いはないようだ。自分は特別身長があるわけでもないが、俺の目から見て彼女はずいぶん小柄で細身に見えるので、年上と推察できても出会い頭の「女の子」という印象が拭われることはなかった。それに声も高く少々舌足らずで、こういってはなんだが年上のように思えない。
しかし状況から見て、どうやらこの女の子は俺の家族であり、姉であるらしい。
俺に覚えがないだけで。
俺が考えあぐね返事をしかねていると、それを気にすることなく彼女は食事をし続けていた。俺の返事などどうでも良いのだろうか。彼女の考えは見当もつかないが、その無関心な態度が今の俺にはありがたい。そのまま俺が返事をせずにいても催促をする様子もなかった。
「本当に一緒に登校したかったんか」
準備を終えて玄関まで来たものの、さっさと家を出て良いものか悩んで結局女の子を待っていたらそんなことを言われた。出てしまってよかったのかもしれない。
いつもの通学路を女の子と一緒に歩く。無言を貫く俺を、全く気にする様子もない女の子。それ自体は気楽で助かるが、現状を把握しきれていないこの状況はストレスだ。
何事もないまま登校を終え、玄関ホールでお互い何も言わずに別れた。するとたまたま会った部活の同期に声をかけられる。
「何女子と登校してんだよ、彼女?」
「姉だけど」
実感はなく口慣れないがそう答えるしかない。
「……あーそういやいるもんなお前。全然話題にしないから忘れてたわ」
その言葉に軽く失望する。
俺に姉がいることは事実らしい。
部活の同期は先程別れたばかりの女の子の小さな後ろ姿をじっと見つめる。物珍しそうな様子から、俺はまともに姉を紹介したことがなかったのだろうと思った。
たしか、
「お前も姉いたよな」
「まあな。でも同じ高校に通うほど仲良くはないわ。それに一緒に登校するとかないし」
その通りだ、と少し後悔した。朝の俺は見ず知らずの女の子の出現によっぽど気が動転していたようだった。いやしかし、仕方ないだろう。家にいるはずもない人間がいたのだ。以前ベッドに知らない女子が寝ていた経験があったところで慣れるわけがない。
そこまで考えて、何故自分にはそんな経験があるのか、その経緯を思い出せない自分に気づくのだった。
テスト間近というのに、授業中、自分の記憶を探るのに没頭してしまった。おかげで先生にあてられた時に即答できなかった。一応正解することはできたが。
他に経緯を思い出せない記憶があるかを中心に探ってみたが、直近の記憶では、どうも三年生、つまり一学年上の上級生で、その中でも女子が絡む記憶ばかりがそうだった。これを「姉」が関わった記憶と仮定してもみてもいいだろう。そもそも、俺に姉がいたという覚えはないものの、かといって一人っ子という自覚は不思議となかった。未だ確信は抱けないが、俺に姉がいることは疑いようのない現実であり、そして俺は原因不明にも姉の記憶を失くしてしまったのだろう。
他に失くした記憶がないか気になったが、気にしたところでどうしようもない。忘れているなら考えたところで思い当たるわけもない。目下の問題は、このなんとも奇妙な記憶喪失をどう扱えば良いか、だ。
昼休みになってふと、自分はこれまでどこで弁当を食べていたのかわからなくなった。これはやっと発覚した「姉」以外の記憶の抜けか、はたまたこれもまた「姉」関連の記憶なのだろうか。
教室でとは思えないので部室で食べていたのだろうか、と考えいる間にもクラスメイトが和気藹々と机を動かしてグループを作り始める。ひとまず席を立たなければ。
「智貴くん、よかったらお昼一緒に食べない?」
エナメルバッグから弁当の包みを取り出していると、そう声をかけてきたのはクラスメイトの井口だった。
「……」
正直面食らい返事が遅れる。
「朱里、今日は智貴くんと食べるんだね! あっ、私のことは気にしないで! 今日は……そう! 私、用事があるから! じゃあね!」
彼女のすぐ側にいた彼女の友人、与田は勝手気ままにそう宣い、颯爽と教室を去って行った。俺が了承したことになっているのは何故なのか。
相変わらずヤバい奴だな、と少し呆けていると、気不味そうにしつつも井口が口を開く。
「……で、どうかな?」
特に断る理由もないので。
「ああ。じゃあ、行くか」
天気も良いので、無難に中庭へ向かう。
「実はずっと誘いたいと思ってたの。誘えてよかった」
彼女のその言葉に安心する。記憶通り、これまでこうして食べるような仲ではなかったらしい。
「別に。今はテスト期間だし、部活もないから」
「いつも智貴くん休み時間になったらすぐ教室出てっちゃうから、中々タイミング掴めなくて」
やはり自分は普段昼休みをクラスで過ごしてはいなかったらしい。こうして得られる情報があるのは良いことだ。
「テスト勉強頑張ってるんだね」
少々決めつけたような物言いに首を傾げていると、彼女はクスリと笑った。
「今日当てられた時、智貴くん珍しくウトウトしてたんだなって」
そういうことか。
「いや……」
否定を口にしかけて言葉に詰まる。まさか自分が記憶喪失になっているようだから思い悩んでいたなんて言えるはずもない。
「……そっちは、どう? テスト勉強」
「え? あ、うん。ふつうに、コツコツやってるかな。もうテスト間近だし、あとはちゃんとテストまで覚えてたらいいなって。そんな感じかな」
「そうだな」
中庭では俺たちと同じように友人同士で食事をしているグループがいくつもあった。その光景をぼんやり眺めながら、これまでこうして日常的に人と昼飯をとっていた感覚はないな、と判断する。部活の集まりも兼ねて学食で食べることはあっても、何も予定がなければ気ままに一人で、あるいはたまたま居合わせた知り合いやチームメイトと食べていたんじゃなかろうか。今みたいに。
この半日を過ごしてみて、授業や教科書の内容がわからない、といったこともなかった。テストは無事受けることができそうだ。クラスメイトの名前も覚えているし、学校生活に支障があるように思えない。テスト後にはサッカーの試合も控えている。今すぐ解決に動くよりも、様子を見て、諸々が落ち着いた頃に対処すれば良いのではないだろうか。医者にかかるにしても、症状を話せるよう自分で出来る検証はすべきだ。それに案外、不意に記憶が戻るかもしれない。記憶を失ったのもまた、なんの予兆もなく突然だったのだ。
「おぉい!!」
ビリビリと鼓膜をつんざくような咆哮。井口と思わず顔を見合わせていると「何見つめ合ってんだぁあ!?」と更なる追撃を受ける。
鬼気迫る顔つきの女子がこちらへ猛進してきたかと思うと、突然目の前でピタリと止まり、そしてサッと井口の隣に腰がけた。ある日俺のベッドに潜り込んでいた知らない女子──小宮山先輩だ。相変わらず空恐ろしい存在感である。
「先輩、大声出すのやめて下さい。みんなビックリしていますよ」
井口の毅然とした態度に目を見張る。学祭の時といい、井口のこうしたところには感心してしまう。
「……私もお昼、一緒に、いいですか?」
何事もなかったかのように、辿々しくも小宮山先輩はそう切り出した。しかし、何故敬語。
「先輩お昼食べたんじゃないですか?」
「そうだけど」
「じゃあいいですよね」
「よくないけど? 何智貴くんの昼休み独占してラブラブイチャイチャあーんし合ってんの?」
「してませんけど」
「してなかった? よかった。遠目で見たからかそう見えちゃった」
「そうですか。そのメガネ買い替え時ですね」
この奇怪な先輩と会話のキャッチボールができている井口へ尊敬の念を抱いた。言動が予測できず理解に苦しむ人間を相手取るのは骨が折れるし苦手意識がある。……はて、自分にとってそんな人物は小宮山先輩しかいなかったはずだが、果たしてこの身に染みた苦手意識はこの数年でできたものなのだろうか。
ふと気付けば弁当は双方食べ終えており、そろそろ教室に戻った方が良い時間だった。
「あの、じゃあ、機会があれば今度お昼ご一緒しますか?」
会話を切り上げるのも兼ねてそう先輩にそう投げかけると、「……え? えぇえ?」としどろもどろになる。困惑させてしまっただろうか。
「三人で、ですよね。井口が良ければ」
「……私は、良いけど」
「そ、そぉ? じゃあ、その、今度、よければ……へへへっ」
そうしているうちに予鈴が鳴り、具体的な約束もしないままお開きとなる。本当に昼を共にしたいならいずれあちらから誘って来るだろうし、まあいいだろう。
何事もなく一日を過ごして帰宅した。勉強をして、夕食の時間になったので一階へ降りて母の料理をテーブルに並べていたら女の子が現れる。女の子は朝そうだったように椅子へ躊躇なく座ると、まだ料理が揃ってもいないのに一人で食事をし始めた。もうすぐ並び終えるところではあったので特に何も言わず、俺も食事をし始める。
「お前とうとう本命絞ったの?」
しばらくすると女の子は出し抜けに言った。
「今日ちん子ちゃんと飯食べてたじゃん。何。付き合い始めたの?」
その、あからさまな蔑称にギョッとする。一緒に食べていたというなら該当するのはおそらく井口だろうが、そのような呼び名をつけられる謂れはないだろう。
「……誰」
ひとまずそう答えるしかできないでいると、女の子はきゃいきゃいと騒ぎ出す。
「ちん子ちゃんだよ、ち、ん、こ、ちゃ、ん。中学の時からずーっとお前のちんちんに一途な変態女のこと忘れてんじゃねーよ、可哀想だろうが」
その言葉の一つ一つが聞き間違いであることを願いたいぐらいだった。あまりに不快で食事どころではない。
「井口はそんな人じゃないだろ」
中学の時は特に接点もなかった同級生だったし、今でも友人の友人の友人、ぐらいの間柄である。その程度のクラスメイトだが、こんな風に口汚く言われるような人物とは思えない。
「えっ、……もしかして本当に付き合い始めた?」
その大きな目をひん剥いて俺を真っ直ぐ見据えてくるので少したじろいでしまう。それにしても、クラスメイトと一度ご飯を食べていただけで一体どうしてそうなるのか。
「今日はたまたま誘われただけだ」
「……ふーん。こちとら受験勉強一色の灰色の日々だっていうのに、そちらはラノベ主人公気取りの薔薇色学校生活でいいですね」
その、脈絡ない敬語はどこかで流行っているのだろうか。
「……本当に受験勉強一色なら弟がどこで何をしているかなんて知るはずもないだろ」
何かが気に入らなくてつっかかってきているのはわかるのだが、それにしても家族とはいえ干渉し過ぎやしないか。
「は? はあ? は~あ? あんなところでちちくりあってたら嫌でも目に入るだろ」
……なるほど、この女の子はそうしてわざわざ下品な言い回しをするのが口癖みたいなものなのかもしれない。
「いや他にも昼飯食べてるやつなんていたろ」
「ふつうに窓から見えたわ」
「見えたら何なんだよ」
「女といるの見せつけてんだろ」
「そんなつもりはないし、井口に失礼だろ」
「何だ失礼って。それを言ったらお前の方が倍失礼だわ」
「何が」
「不誠実なんだよお前は」
段々とお互いの声が固くなっていったからか、キッチンから「なあに~? 喧嘩? 珍しい」と母の声が聞こえる。
「智貴が口答えしてくるから」
母に届くような声で女の子は言った。こんな些細な言い合いをこれ見よがしに言いつけるなんて、見た目通りの幼さに途方に暮れたくなる。それに自分が高校生にもなってこんな取るに足りない喧嘩をするとは思わなかった。
「……どうでもいいことを騒ぎ立てたのはお姉ちゃんだろ」
ぼやかずにはいられず、溜息混じりにそう口にする。
すると、女の子は虚をつかれた顔をして俺をまじまじ見てきた。しかしこれ以上口をききたくもなかったので、俺はなおざりになっていたご飯を口にかきこんだ。
風呂を終えて再び勉強に取り組む。時々隣から笑い声や話し声が聞こえる。あの女の子が誰かと通話でもしているのかもしれない。こうして自室の隣から物音が聞こえるのは新鮮な気分だ。だがこの感覚はきっとおかしいのだろう。もしも彼女が俺の認識通り、見ず知らずの赤の他人だったとして、俺は十数年をこの家で暮らしてきたにもかかわらず、隣の部屋の用途を問われれば何も答えることができない。そうした自己認識と実際との齟齬が、俺が姉という一人の家族を忘れていることを浮き彫りにする。
今朝は時間があるからと悠長に弁当作りをしてしまったが、思えばどうして朝練もないのに自分はあんな時間に起きたのだろう。とはいえ、明日も同じ時刻に起き早くに家を出れば女の子と鉢合わせになる機会を減らせるかもしれない。隠すことでもないため記憶喪失を姉本人に打ち明ける手もあるにはあったが、今日話した感触では、どうにも相談相手にふさわしく思えない。話せば不必要に騒いで大事にしてしまう懸念がある。この症状になんらかの決着がつくまでは女の子自身とはあまり接触しない方がいいだろう。あの女の子には、病院に行った上で診断結果を報告する形が妥当に思える。
申し訳ないが部活がある日と同様、調理の片付けは母に任せよう。
スマホのメモを立ち上げ、前日の出来事や記憶喪失に気づいた日時ときっかけ、今日自分自身で把握した記憶の欠落の範囲を簡素に記録するとその日は就寝した。
◇
朝練がある日と同じルーティンで家を出る。しかし慌てていたからだろうか、せっかく用意していた弁当を、キッチンに熱を冷まして置いたまま忘れてしまった。たまにするミスで初めてではないのだが、中々改善しない。今日は学食で済ませるしかない。
そう思っていたのだが、スマホが震えたので確認すると「姉ちゃん」から「お前の弁当は預かった。私の教室まで取りにくるがいい」とメールが届いていた。
そうか、俺はあの女の子のことを姉ちゃんと呼んでいたのか。こうして自分が分かりやすく登録してくれていてよかった。ただ、こうなっては本末転倒である。それにあの女の子が三年何組か知るはずもない。教室を一つ一つ確かめるしかない。
メールの存在に気づいてからは、休み時間ごとにこれまでのメールを眺めていた。あの女の子にとってはどうやら下品でくだらないことを言うのがジョークのつもりらしく、取り止めのない冗談(と思いたいもの)を弟である俺に気まぐれで送っているようだった。俺も俺でそういったものには返信していないようだ。ただこれまで俺が弁当を忘れた時にも姉が預かっていたようで、今日のようなメールがちらほらあった。
そんなことをしていたからだろうか。スマホを覗き込んでいる俺をクラスにいる部活の同期に「彼女?」とからかわれた。「ちげーわ」と即座に返す。そのネタはもういい。
昼休みになり三年生の階の廊下を歩いていると、「よぉ小僧!」と声がかかった。
「なんだよ奇遇だな! こんなところで何してんだよ」
「……ども」
背後から首へと衝撃が走る。茉咲先輩だ。首後ろから腕を回されてしまう。
「おー茉咲の男」
「バーカちげーって!」
茉咲先輩の友人からの野次が飛ぶが、ムキになって否定してくれる。
「んで、なんでここにいんだよ」
「……姉のところに弁当を取りに」
「なんだあいつ、弟に弁当作ってんのか?」
「いや、俺が持ってくるの忘れただけっす」
「なんだお前案外抜けてんな」
こうして捕まってしまっては女の子のクラスを探せない。しかしそうだ、この先輩との接点にも覚えがないので、女の子を介して知り合ったと考えていいだろう。とすれば。
「姉は教室にいました?」
「あーたぶんいんじゃね?」
茉咲先輩はそう言うと俺に回した腕をそのままに歩き出す。歩きにくいがついていくと、三年五組に着いた。
「おい、お前の弟分呼んでんぞ!」
大声で言うのでクラスの注目が一瞬集まる。目立つことはやめてほしい。いい加減鬱陶しいので腕は解いてもらった。
「だから実の弟なんだが……」
そう言いながら教室の中から女の子がやってきた。手には弁当の包みを持っている。
「よく来たな。ほれ」
意気揚々と手渡される。
「ありがとう姉ちゃん」
「……おう」
……なんだろう、やはり何か不自然だったのだろうか。女の子は一度目を見張りながらこちらを見上げ、そしてそらしてしまった。笑みもどこかぎこちない。
「と、智貴くん、こんにちは」
「……ども」
小宮山先輩もこのクラスだったのか。改めて教室を見渡してみればちらほら見覚えのある人がいる。知り合った経緯に覚えのない上級生は姉のクラスメイトだったようだ。想定していた通り、姉に関わる記憶だったのだろう。
そう確信を深めていたからか、すぐ去らずに足を止めていたのがよくなかった。
「よかったら、今日お昼一緒に、どう?」
昨日の今日だ、こうしてタイミングが合えば小宮山先輩から誘われるのは自明だった。
井口の予定がわからないことを理由に断ろうと口を開こうとすると、女の子が俺の前に立ちはだかり声を張り上げる。
「人の弟ナンパしてんじゃねえこの変態!」
「違います~、昨日智貴くんに誘われてたんです~」
「変態に加えて嘘つきとか最低最悪を更新するんじゃねえよ」
「本当だもん、嘘じゃないもん!」
「もんとか気持ち悪いんだよ」
言い争いを呆然と眺めていると、一緒に見ていた茉咲先輩がこそっと耳打ちをしてくる。
「本当か? お前が誘ったって」
「……ああ、まあ、はい」
「……ふーん」
そうしている内にも目の前の言い争いは終わらない。この二人は折り合いが悪かったのか。女の子にとっては家族に関わっただけでこうして過剰な口出しをするぐらいには嫌っている存在らしい。いやこの女の子の場合は弟に口出しをするのは特別なことではないのかもしれないが。
落ち着くまで付き合っていては食べる時間がなくなってしまうので、声をかける。
「先輩、すんません。今日無理っす。俺もう行きますね」
「えっ、あっ」
「じゃ……」
俺は後ろを振り向かないようにして、背後から聞こえる声も気づかないフリをして足速に女の子の教室を後にしたのだった。
どこで食べるか考えながら歩いていると後ろから声をかけられる。
「おーい黒木さんの弟くーん」
振り返ると、三年のネクタイをしている小柄な男子が走り寄って来ていた。顔にどことなく見覚えがあるのでこの人もまた女の子のクラスの人間のようだ。
「よかった足を止めてもらえて」
「……あの、俺に何か?」
「いやーずっとまともに謝れてなかったからさ。君も君で僕のこと避けてたでしょ? ……あ、待って待って」
以前の俺が避けていたなら無視してもよかったか、と足を進めようとしたが止められてしまう。
「お詫びになるかわからないけど何か奢らせてよ。男の子だしもっと食べれるでしょ」
そう言われ、弁当を片手に学食へ連れてかれてしまった。歩きながら軽く自己紹介され名前を知る。一応和田先輩と呼ぶことにしよう。
途中、和田先輩の友人が一人合流したのだが、なぜだか妙に睨みつけられている。過去の俺が反感を買うようなことでもしたのだろうか?
先輩は券売機に千円を投入してくれたので、じゃあ、とチャーシュー麺を奢ってもらうことにする。いったいこの人が俺にどのようなことをしたのか見当もつかないが。
出てきたお釣りを手渡す。
「後で購買でパンも買ってもらっていっすか?」
「おい、調子に乗るなよ」
先輩の友人がそう口出ししてくる。出方を探るためにも言ってみただけなのでむしろ止めてくれてよかった。この友人は友人だけあって事情を知っていそうだ。
「さすが運動部員、食べるの早いねー」
さっさとチャーシュー麺を片付け弁当を開けているとそう関心するように言われる。話すこともなく黙々と食べていたらそうなる。
「……君、サッカー部だし、学祭で注目を集めてたようだったし、ああいうノリ慣れてるのかなーって思っちゃったんだよね。本当にごめん。こうしてお詫びも遅くなっちゃったし」
「はあ……」
なんのことやらサッパリなので曖昧に相槌を打つほかない。女の子以外に覚えていないことがあったと知れたのは収穫だった。それともこれもまた女の子に関連する記憶だったというのだろうか。
それにしても「学祭」である。こうして話題にされるまで詳細を思い出そうともしなかったが、学祭の記憶が酷く曖昧だ。何より、あれだけ準備や練習に時間を割かれていたというのに当日の劇の記憶がない。
その事実に気を取られていると、ふいに和田先輩がテーブルごしに身を乗り出してきた。隣で友人が「和田っ!?」と慌てたように和田先輩の肩に手をかけるが、和田先輩はどこ吹く風で、俺と顔を突き合わせるとその片手をそっと俺の目元近くの頬に添える。
しばらく俺の顔を間近で覗き込んでいたかと思えば、ニッコリと微笑まれた。
「もう顔色も良いみたいだね。隈もずいぶん薄くなってるみたいだし。立ち直ってくれてよかった」
そうニコニコと見られるのがどうも据わりが悪く、俺は弁当を片すと「ごちになりました」と言い捨て、その視線から逃れるように教室へと戻った。
今日の帰宅後もまた自室でテスト勉強し過ごしていると、突然背後で部屋の戸が開け放たれる。
驚きのまま振り向くと女の子がいた。
何を言うでもなく女の子は部屋に入り床へと座り込む。いくら家族とはいえノックもなしに人の部屋に、それも無言にとは。
「何か用?」
自分でもずいぶん冷たい声が出たと思った。
それでも女の子は俺のそうした様子を気にも留めていないみたいで、カーペットの毛先を指で弄りながら口を開く。
「お前さー……何なんだよ」
弄っている自らの指先をじっと見つめ、恥じらうかのように女の子は言う。
「この前から……私のこと、お姉ちゃんなんて呼んで、何だよ」
女の子の言い分は、それが何かと一蹴できるようなものだった。しかし自分の事情が事情なだけにすぐに言葉を返せなかった。
「あー……嫌ならやめるけど」
苦し紛れにそういうと女の子はバッと顔を上げる。
「は? 別にそういうことじゃないし? ただ人前だと、ちょーっと、恥ずかしいだけだし? 呼ぶななんて言ってないし?」
そう捲し立てられ呆気に取られていると、それに気づいたようで女の子は身を乗り出していた体勢を引っ込めた。
「……だからその、家とか、そう、二人っきりの時とか、そういう時ならいいぞ。うんそれがいい」
そうやって一人で納得する様に頷きながら言う女の子。
何だそりゃ、とさらに呆れつつ、俺はたずねる。
「じゃあそれ以外はなんて言やいいんだよ」
「別にそんなの前みたいにクールぶってイキってりゃいいだろ。仕方ないから特別に許可してやるよ」
その「前みたい」がわからないからこうなっているのだが。
「まあ、わかったよ。姉ちゃん」
ひとまずそう返事をしてやると、「わかればいいんだよわかれば」とぶつぶつ呟きながら女の子は去った。出て行くなら戸ぐらいきちんと閉じてほしい。俺は自分で戸を閉め直しに行く羽目になった。
しかし、こうして取り繕って過ごすのも、そろそろ限界だろう。
◇
無事テストを終え、部活が再開する日ではあったのだが、放課後は病院へ行くことにした。公表することでもないので顧問には体調不良のため休む旨を伝える。滅多に休まないからか真っ当に心配され、次の試合には出られるのかときかれ、軽い風邪だと思うので今日中に治すと答えた。
テスト終了日の前日には母に記憶喪失を打ち明けていた。気づいてあげられなくてごめんねと謝られいたたまれなかった。父へは母から言ってもらって構わないが、姉へは病院での結果次第がいいと伝えると、母も同意してくれた。
病院では、脳の異常や外傷などの他の原因が見当たらず、診察を重ねた末に解離性健忘と診断された。記憶を早急に思い出したい場合は医師による面談を重ねる方法があるとのことだったが、生活に支障がないのはこれまでの日常で明らかだったので様子観察となった。
「智子と……お姉ちゃんと何かあったの? ……ああ、それを忘れてるんだったわね」
「思うんだけど、何かあったとか、何かされたとかじゃなくて、たまたまなんじゃないかな。姉ちゃんが俺に何かするとも思えないし」
病院からの帰り道。俺が記憶を失っているのを黙っていたこともあり、母が気に病んでいる様子なので無難にそう答える。すると少しは表情が和らいだようだった。
解離性健忘──ストレスを原因とする記憶障害。ピンポイントで姉の記憶を失ったとあれば姉が何かしたと思われても無理もない。とはいえ、あの女の子がいかに俺に対して無遠慮で癇に障るところがあったとして、あの幼稚さを思えば記憶を失うほどのストレスになるようにはとても思えないのだった。なのでこの診断は、俺からすれば原因不明と同義だ。
俺としては病院に行ったことで身体的な異常はなかったと確定しただけよかった。それを一番知りたかったとも言える。姉の記憶への気がかりがないといえば嘘になるが、何より直近のサッカーの試合に響くような事態にはならず、チームに迷惑をかけずに済むならいい。
母と相談し、姉には母から話してもらうことにした。俺が直接言うことも考えたが、記憶を忘れるという、ともすればセンセーショナルなニュースをあの女の子に落ち着いてきいてもらえる気がしなかった。何より忘れられた本人なのだしショックがあるだろう。
その予想は的中したようで、けたたましい音を立てながら、またもや自室の戸がノックもなしに開け放たれた。
女の子が、その大きな目をこれでもかとかっ開いてこちらを凝視してくる。
その迫力に何も言えないでいると、女の子は点いていたテレビ画面をちらと見て静かに口を開いた。
「……何だよこれ」
俺は帰宅し夕食を終えると母にアルバムやホームビデオを出してもらっていた。テレビの液晶画面には自分と女の子の幼い頃の姿が映し出されている。
それを横目で見て、女の子は鼻で笑う。
「私を忘れてるってなんだよ」
幼い自分たちは映像の中で、笑い声を上げながらお互いの体を全身絡ませるように戯れ合っている。
「わからない。他にも忘れてることがあったから」
「例えば?」
「学祭の記憶が曖昧だ」
そう言うと、女の子は何かしら思うところがあったのか、寄せていた眉間を少し開かせた。
女の子の後ろから足音が聞こえてくる。母だ。
「智子、話の途中で。それに突然。驚くでしょう」
「だって、」
「智子も戸惑ってるでしょうけど、誰よりも智貴自身が困ってるのよ? 智貴はこうして自分のペースで思い出そうとしているんだから邪魔しちゃダメよ」
「そんなの病院で治療を受けたらいいじゃん」
「そう単純なものじゃないんですって。受けたからって必ずしも思い出せるとも限らないんですって」
「できることがあるならなんでもやってよ」
「お母さんもそう思うけど、……智貴が選んだやり方でするのが一番だと思ってる」
「……こいつ治療断ったの?」
「断ったとかじゃないわよ。様子観察ってことで、定期的に病院には行くわ」
「……ふーん、そう」
女の子はちっとも納得してなさそうだ。
女の子が俺を睨みつける。
「お前ただでさえラノベ主人公気取りだってのに、その上、記憶喪失? ガチでラノベ主人公なんじゃないの?」
そんな訳のわからない捨て台詞を吐いて女の子は部屋から飛び出すように出て行ったのだった。俺と母は開け放たれたままの戸を眺めるしかできなかった。
母も家事に戻り、自室に一人になった後も俺はホームビデオの視聴を続けていた。
ふと人の気配がして顔を向けると、戸の隙間から大きな目が一つこちらを覗いている。
「……入れば」
そう誘うと戸はゆっくりと開かれ、目をキョトキョトさせながら部屋に入ってくる。
女の子は逡巡する様に立ち止まると、俺の隣に座ってきた。
「俺たちって仲良かったんだな」
「……昔のことだろ」
女の子はボソリと言う。姉弟なんてそんなものなのかもしれない。
「……てかお前こんなの見てて恥ずかしくないのかよ」
女の子の言わんとすることはわかる。どうも昔の俺はお姉ちゃん子だったみたいだ。常に女の子について回り、くっつきたがる様子が目立つ。アルバムの写真からも幼い自分が女の子を慕っているのが目に見えてわかった。
「昔の自分なんて別人みたいなもんだろ」
「……でも、お前じゃん」
画面上の幼い自分は、男の子は、女の子から頬にキスをされ、はしゃいでいる。
「姉ちゃんはさ」
「姉ちゃんって呼ぶな」
「家で二人きりのときはいいって」
「忘れろ」
「記憶失くしてるやつに言うかそれ」
「知るかよ。お前が勝手に失くしたんだろ」
映像の二人は知育玩具を手に取り遊んでいる。
「俺がなんで記憶失くしたか、心当たりがあるのか?」
「知るかよ」
「さっき知ってるような顔してた」
遊んでいた男の子と女の子は見る間に互いを抱きしめ合いながら、大好き、好き、と言葉を交わす。男の子は結婚したいと女の子に告白し出して、女の子には姉弟だからと断られる。
「お前、学祭って自分で言ってたろ」
男の子は女の子に唇へのキスをねだり、二人は、
「あんなことで今更、記憶失くすなよ、バカ」
過去の俺たちはキスをする。
気づけば俺はリモコンを手に取りテレビを消していた。
ずっとテレビ画面に向けていた顔を女の子へと向ける。俺と違い、女の子は俺を見ていたようだった。こぼれんばかりのその瞳に酷く胸がざわついた。俺はこの女の子が泣くのが嫌なのだと直感する。
「私まで忘れて、満足かよ」
「……ごめん」
「許さない」
「どうしたら許してくれる?」
そう心から懇願する。
「私だけでも思い出さないと嫌」
とうとう女の子の目から涙があふれ出る。反射的にティッシュを取ってくると女の子の頬に押しつけるように渡した。しかし女の子は受け取ってくれなかったので、手ずから涙を拭っていく。こうしていると子供でも慰めているみたいだ。実際には女の子は姉であり、一才歳上の、もしかしたら成人している女の人なのかもしれないけれど。
そうして油断していたからか、急に頬へ衝撃がきた。
「ッヒヒ」
目尻を濡らしながらも女の子が笑っている。突撃されるように頬へキスをされた驚きが、そのしてやったりというような笑みでどうでもよくなってしまった。
「……さっきのビデオの真似?」
「それもあるけど、ショック療法。思い出した?」
頷いてやりたかったが嘘をつくわけにもいかなかった。
「それも、って他に何かあるのか」
「学祭。お前、キスされたんだよ。あっ頬とかじゃなくて唇にな。お前のクラスの知らん女子とうちのクラスのおと娘に」
「それは……学祭のノリで?」
「学祭のノリで」
「……俺、そんなしょうもないことで記憶失くしたのか?」
「知るかよ。でも学祭の記憶がないならそうなんじゃねーの?」
学祭でクラスの女子、といえばクラスの劇を共に配役されていた井口だろうか。フリとはいえ、脚本にはキスシーンが存在していた。しかし女の子は井口と面識あるようだし口ぶりからして違うだろう。他の女生徒ともなれば今の俺には誰なのか検討もつかない。もう一方の、女の子のクラスメイトで思い当たる人物といえばそれこそお詫びをしてきた和田先輩に違いない。あの時かけられた言葉を今なら理解できることもある。
確かにそんなことがあればショックは避けられないだろうが、それで記憶喪失ともなれば「そんなことで?」と思わずにはいられない。まさか自分がそんな繊細な人間だとは思いもしなかった。
酷く落胆してしまって大きな溜息が出る。
「思い出した?」
期待するような声に後ろめたさを覚える。
「リアルじゃそんな簡単には戻らないか……」
女の子のその呟きに胸が痛んだ。
◇
夢を見た。
夢の中で俺は記憶を取り戻していた。しかし夢なので、失った記憶がどういったものだったかはわからない。夢らしい夢。
夢で、泣いている女の子が俺にキスをした。キスは、現実での出来事とは違い、唇にだった。感触はしなかったが、唇にされたと思った。そして俺は思い出すのだ、生まれてからずっと俺には姉がいたこと、三年の先輩たちとの出会いや学祭の出来事、そしてそれらがろくでもない記憶であることを。思い出すべき記憶の詳細が一切わからないままのに、そう察しているのだ。
そのろくでもなさに顔が歪みそうになるも、俺の記憶が蘇ったと知った女の子はピタリと泣き止み、満面の笑みを浮かべる。そして喜びを表すように、また、俺にキスをする。今度こそ頬へ。頬骨に軽い痛みが走るようなそれは妙にリアルで、それこそ、現実にされたことの、記憶の再現だったのだろう。
バカなことに、夢の中の俺は頬をおさえながら、唇じゃないことにガッカリしていたのだった。
目覚めて、現実の自分は記憶を失ったままと知る。俺の部屋の隣にはやはり知らない女の子が住んでいる。でも今の俺は彼女が自分の姉であることを知っている。
あれから、女の子は俺と距離を置いたようだった。というより、受験勉強に本腰を入れたのかもしれない。次俺の部屋へノックもせずに入るようなことがあれば注意しようと思っていたが、その機会は来ないままだ。
それでも同じ家に暮らしていればどうしたって顔を合わせる。たまに話す時には相変わらず余計な口出しをしてきたり反応に困る冗談を言ってきたりする。女の子にとってそれはこれまでと変わらない態度を示しているだけなのかもしれないが、女の子の冗談は本当に反応に困るので改めてほしい。
気がかりだったサッカーの試合では無事勝利を収めたが、個人的には課題が残った。チームメイトからも、いつもの鋭い切り出しはどうしたとどやされてしまった。集中を欠いていたようで情けない。
定期的な通院で、日数を必要としていた検査の結果を知る。その結果もまた身体的な異常は見られないというものだった。医者との面談を通じて今後は記憶に何らかの変化があれば通院することとなる。
なぜ姉の記憶を忘れたのかなんて、きっと答えは単純で、どのような理由であれ俺にとって彼女がストレスだったからに他ならないだろう。しかしそんな真実を明らかにしたところで一体何になるというのか。
もしかしたら俺は姉がいない方がよかったのだろうか、と想像をすることもある。実際、記憶を失ってからの生活は、その異常性に反して穏やかなものだった。支障も問題も見出せないぐらいに。
でも、時折、女の子は目を赤く腫らせて言うのだ。「まだか」と。
夢での、ろくでもない記憶の感覚を思い出す。その鬱陶しく腹立たしい感情の残滓が、今もなお頭の片隅にこびりついている。所詮それは夢だとしても、忘れてしまったぐらいなのだ、思い出したところで俺自身にあまり良いことはないのだろう。
それでも。自分の快適な日々よりも、女の子が気を病まずに済むのなら、煩わしさに満ち溢れた毎日だって、まあいいかと思えるだろう。
25/09/28校了