元ヤン×文学少女 作:エンドレスG5
夏と本と海の家
白い砂浜に、夏の光が惜しみなく降りそそいでいる。
波はキラキラと太陽の光を反射して輝きながら砕け、寄せては返すたびに、小さな貝殻を転がしていく。
潮の香りを含んだ風が頬を撫で、遠くでは小学生達の笑い声が陽炎の向こうに揺れていた。
水平線はまっすぐに伸び、空と海の境目が溶け合うその青さに、俺はどこか懐かしさを感じながら心を落ち着かせる。
濡れた砂の上には、まだ消えきらない足跡。それらは波にさらわれながら、数秒前の記憶を、静かに海へと返していく。
俺の実家は海の家を営んでいて、この時期になると大勢のお客さんがこの浜に押し寄せ、海水浴を楽しむ。やってきたお客さんからお金を受け取り、代価としてイカ焼きを提供する。特に店のこだわりもない平凡なイカ焼きだ。そんなイカ焼きでも、海を見ながら口へ入れると思い出として脳に刻まれて、かけがいのない味へと変化する。
海開きは済んだが、まだ本格的に夏休みのシーズンではないからか、今日はまだお客さんが少ない。皆んな今頃ダイエットでもして友達に見せても恥ずかしくない身体を作っているのだろう。今の時期はそんな事を気にしない子供しかいない。
お客さんが少ないおかげで店も忙しくないので、俺は自分で作ったイカ焼きを浜辺で1人で食べていた。
「…………あちぃな……」
夏のクソ暑い時に焼きたてのイカ焼きなんて食べたらそりゃ暑いし熱いに決まってる。我ながらに阿呆な事を口に出したもんだ。
相変わらず自分の頭の悪さを自嘲し、砂浜に座りながら水平線を眺めていると横目で誰かがこちらへやってくるのが見えた。女性の方だ。幼い雰囲気があるが格好だけでいえば大人びていて落ち着いた雰囲気も感じ取れる。
彼女の白いワンピースは風を受けてやわらかく揺れ、薄布の隙間から夏の光がにじむ。素足は砂に沈み、波の気配を確かめるように、かすかに体重を預けている。
つばの広い帽子を押さえる指先には、ためらいのない優雅さがあった。髪を結ぶ黒いリボンが背で揺れ、特徴的な美しい銀髪は太陽の光と呼応して輝いている。片手には大切そうに本を抱えていた。
水着を着たパリピ達が集いそうな海水浴場には中々いない優雅な少女だ。今日はお客さんが少ないから良かったが、普段通りの活気ある浜辺だったら確実に浮いていただろう。例えるならそう、久しぶりに孤島の田舎の実家に帰ってきた美少女、的な雰囲気。
まぁ彼女がなんであれ俺には関係ない事だよな。だって俺はイカ焼き売ってる海の家の番人であって、ナンパ師でもなければパリピでもない。そしてこんなに美しい雰囲気を纏っている美少女がイカ焼きなんて買うはずもない。何だか俺の方へと向かって歩いてきている気がするが、やれやれ自意識過剰もいいとこだな。
「こんにちは」
「………………こんにちは」
「それ、イカ焼きですよね。どこで売ってますか?」
「あ〜、これウチが売ってるやつっすね。買います?」
マジで俺に話しかけてきた!?しかもイカ焼き買うの!?ちゃんと食べるよね?SNSに投稿する専用じゃないよね?
最近の白ワンピース美少女はイカ焼きも食べるのか……いや〜時代は変わったな。解釈不一致すぎて一瞬俺の脳がもっと馬鹿になったのかと思ったぜ。
「あ、イカ焼き屋さんだったんですね」
「はい、海の家やってるんすよ」
「休憩中でしたか?申し訳ありません」
「いえいえ、お客さんが少なくて暇してただけなんで、今準備しますね」
「ありがとうございます」
俺は砂浜にズッポリ埋まっていた尻を抜いて腰を上げ、自身が営む海の家まで小走りで向かう。一応、急いであげてるフリくらいはしておかないとな。店側の人間として、お客様は神様だし。
厨房に向かいイカをクーラーボックスから取り出して焼き始める。お客さんが少ないから作り置きとかしてなかったんだよな〜。今になってほんのちょっと後悔。
ソースを塗って、イカが網に引っ付かないように整えながら焼いていく。
それにしても綺麗な人だ。有名人か?もし本当にSNSでこのイカ焼き投稿されたらどうしよう。悲報、○○市の海の家のイカ焼き、不味すぎて死ぬ!なんて書かれたらうちの店終わるぞ。
変なところで心配性になってしまう俺はいつもより丁寧に焼いて、いつもは適当だが今回ばかりは完全にレシピ通りの配分でソースを塗り、焼き時間まで正確に測って焼き上げる。美少女のお客さんは店のイートインスペースに座り、本を読んでいた。ブックカバーを使っているため、何を読んでいるのかは分からないが、何やら真剣な面持ちだ。普段本なんか微塵も読まないが、彼女が読んでいる本というだけで何故か少し興味が湧いてくる。これあれか。全く化粧に興味ない人が好きなアイドルがその化粧品の広告をやってるってだけで化粧に興味を持ち始めるアレと一緒か。ってかその理論で言ったらあの美少女が俺にとってのアイドルになるじゃねぇか。何それキモすぎ。
色々考えてるうちに時間がやってきた。俺はイカ焼きをトレーに移して彼女の元へと運んだ。
「お待たせしました。熱いうちにどうぞ」
「熱いうちでないとダメな理由が、あるんですか?」
「え?いや、別にそういうわけじゃ……ないっすけど。その、熱いうちに食べた方が美味しいかなーって。すみません、もしかして熱いの苦手でした?」
「いえそういう事ではありません。なるほど、イカ焼きは熱いうちに食べた方が美味しい、という事ですね」
「えぇ…………はい。どうぞ」
何言ってんだ俺。何言ってんだコイツ。お互い何言ってんだ状態なんだが。熱いの苦手ならそもそもイカ焼きなんて頼まねぇし、料理はなんでも熱いうちに食った方が美味いに決まってるし、なんなんだ今の会話。
何だか不思議な人だな。まぁこういう意味不明なお客さんはたまにいるし、どうでもいっか。
俺はお客さんも少ないので、美少女が食べている席から少し離れた場所に座り、ぼーっと海を眺めた。
相変わらず綺麗な海だ。小さい頃から嗅いできた潮の匂いはいくつになっても色褪せない新鮮さがある。あと数日もしたら賑やかで活気のある場所に変貌するとは思えない静けさだ。
そういえば、イカ焼きだけだと喉が渇くよな。ラムネの1本くらいはサービスであげよう。
俺は立ち上がって、イカが入っているものとはもちろん別のクーラーボックスからキンキンに冷えたラムネを取り出し、彼女の机へ置いた。
「え?」
「イカ焼きだけじゃ喉も渇きますよね。サービスっす」
「いただけませんよ、そんな」
「じゃあシェアしますか。俺が飲もうとしてて、余った分をあげただけっていうていで。瓶から直接飲まない分、風情には欠けますけど」
「い、いいんですか?」
「もちろん」
普段ならこんな事絶対にしない、なんて事は言う必要ないな。俺も自分で何してるんだろって思う。でも喉が渇いてる人を横目に自分だけラムネを飲むなんて、普通に飲みづらいし。それに何だか今は気分が良い。風鈴、ラムネ、海、イカ焼き、潮風、そして中々お目にかかれない白ワンピース美少女。これら夏の風物詩に囲まれたおかげでテンションがバグってるのかもしれないな。
「では、お言葉に甘えていただきます」
彼女はそう言ってすでに開けてあるラムネを手に取り、俺が予め用意しといたグラスに注ごうとする。
──────その瞬間だった。
「…………っ!?」
突然の強風が吹き、彼女の帽子とイカ焼きとトレーが風に飛ばされてしまった。イカ焼きとトレーはそのまま砂浜に落ちてしまったが、帽子は風に流されたまま海の方へと流されていく。
「あっ……!帽子が!」
「……っ!ごめん!俺のイカ焼き持ってて!」
「えっ、あ、はい!」
半ば強引に俺のイカ焼きを彼女に渡し、俺はイートインスペースから柵を乗り越えて直接砂浜に出て、海に向かって流されていく帽子を追いかけた。
幸い風が吹き荒れているおかげで、帽子は真っ直ぐ海へと流されてはいない。全力で追いかければ浸水する前にキャッチできる……はず、多分。でもやるしかない。
「待てー!」
気づけばサンダルは脱げており、裸足の足裏に焼けた砂の感触が走り、息が喉に引っかかる。波音が一気に近づき、視界の端で白い飛沫が弾けた。
帽子は風に弄ばれながら、青の上を跳ねる。
────もう少し、あと一歩。
腕を伸ばすたび、距離は残酷に縮まらない。胸いっぱいに潮の匂いを吸い込み、心臓が悲鳴を上げても、足を止めない。
────追いかけているのは帽子だけじゃない。
この夏、この瞬間、彼女に出会った今日という日の思い出。
走っている間に気づいた。俺はちょっと悔しかったのかもしれない。俺の中では、この人気のない浜辺で出会った彼女はとても印象的で頭に残り続けるだろうに、きっと彼女の中では俺はただのイカ焼き屋で、数時間も経てば俺の顔すらも忘れるだろう。自分勝手にそう解釈して、俺は自分勝手に悔しがった。だからラムネなんか出して、柄にもないサービスなんかしちゃって。それでも帽子が海に落ちて取れなくなったらきっと、彼女は悲しい顔をする。俺はそんな悲しい顔を見たくない。
そして、浅瀬から足が届かなくなるギリギリのところで、俺は最後の力を振り絞り、海へと身を投げ出した。まるで太陽を掴もうとしている少年かのように、白い帽子へと手を伸ばす。手のひらで感じた柔らかな手触り。それを感じた瞬間、その感覚を握りしめた。
──────そして俺は海に沈んだ。
沈んだ直後、足の疲労ですぐに水面に顔を出す事ができなくて詰んだかと思ったが、海辺育ちの俺は泳ぎが不得意なわけもないので、溺れる事なく浅瀬まで泳いで戻ることができた。しかし浅瀬から急に深くなってダウンカレントの恐れがある場所に飛び込んだのは危なかったな。あの水温が変わって下半身が急に冷える瞬間はマジで恐怖だわ。
「大丈夫ですか!?」
「あ、はい。ってか帽子濡れちゃってすみません」
「いえいえっ、戻ってきただけでも十分有難いです。正直風に飛ばされた瞬間、諦めてましたから……」
まぁ確かに、あの強風が吹いて海に向かって帽子が飛ばされたら追いかけるのも諦めたくなるよな。実際、泳げない人があの帽子追いかけて、俺みたいに海にダイブしたら終わるだろうし。
「帽子が乾くまで店にいても大丈夫っすよ」
「え、いいんですか?」
「はい。どうせ今日はお客さんも少ないんで、回転率云々とか関係ないし」
「すみません、ありがとうございます」
水が思いっきり滴ってる帽子を持って帰る事なんてできないし、やっぱり今日はお客さんが少なくて良かったな。
俺はそのまま海の家に向かい、ひとまず水着に着替えて軽くシャワーも浴びた。
潮水で髪がゴワゴワする前にしっかり水で洗い流すのは大事な事だ。関係ないが、俺の爺ちゃんは禿げてるから、多分俺も禿げるし。
シャワーから戻ってくると、彼女はまたイートインスペースで座り、ラムネを飲みながら本を読んでいた。
不思議な事に、一度彼女のために本気で身体を酷使したおかげか、先程まであった彼女との間の壁が無くなっているような気がして、俺は彼女の前の席に自然な流れで座れた。
「あ、イカ焼き返します」
「どうも」
「そ、その……」
「……?」
返してもらったイカ焼きを頬張ると、彼女は本を閉じて何だか改まった様子で俺の目を見て話す。
「改めてお礼を言わせてください。わざわざ身体を張って飛ばされた帽子を取ってきてくれてありがとうございました」
「いえいえ」
「…………やっぱりこのラムネの料金、払います」
「え、それは困るんすけど」
「払わないと私も困ります。身体を張ってくださり、ラムネまでサービスされてもらったら……もはや犯罪、そう、犯罪です」
「犯罪ではないっすよ……」
賢そうな雰囲気で何言ってんだこの人。どうやら今この人に何を言っても無駄そうだな。でも今更、じゃあラムネの料金払ってねー、なんて言ったらそれはそれで漢としてダサいというかなんというか。
しかし俺は誰かに感謝され慣れてない分、こういう時どうしたら良いのかサッパリ分からんな。
「ラムネいくらですか?」
「ちょ、ちょっと待ってください。分かりました。じゃあお礼はちゃんといただきます。ラムネ以外で」
「ラムネ以外……?」
何言ってんだ俺は。この場でラムネ以外で何かお礼を貰うなんて何もないだろうが。強いて言うなら連絡先交換か?いやいやそれだとただのナンパ師じゃねぇか。浜辺でよく見るあのガングロヤリ○ンと一緒の部類にはされたくない!何かないか、何かお礼になりそうなやつは……あ。
「じゃあ、その本とか」
「本?」
「そう、あなたが読んでいた本っす。俺本とか読んだ事なくて、調べ物も全部スマホで済ます超デジタル人間なんすよ。頭も良くないせいでお袋にも怒られてばっかなんで。本好きなんすよね?良い機会ですし何かおすすめの本とか教えてもらえたら嬉しいっす」
本は様々な知識が詰まってる書物だ。教養や感性も養われるし同じクラスで国語が得意なやつは皆んな小説好きだったしな。アイツらはえっと、らのべ?が好きらしいが、彼女もらのべを嗜むのだろうか。
「そんな事でよろしければ喜んでオススメします!」
お、急に雰囲気変わったな。
「そうですね……私が今読んでいた本は内容がやや上級者向けというか、読書の経験が浅い人にとっては取っ付き難い内容なので、こんな本とかはどうでしょう?」
彼女はそう言って2冊の本を机に置いた。いや今どっから出したんだよ。
「『私が星座を盗んだ理由』という短編集のミステリー小説です。短編集なので初心者の方でも読みやすく、かつしっかりとミステリー小説らしい圧倒されるような結末もあって、おすすめです。本当は内容についてたくさん語りたいのですが、ミステリー小説はミステリーな事に価値がある故、抽象的だとしても内容に関する説明は致しかねます……なので、ぜひご自身で読んでみてください」
「そ、そっすか……あざっす」
「これも少し取っ付き難いと思ったら、『謎解きはディナーのあとで』という推理小説もおすすめですよ。こちらは一度耳にした事があるのではないでしょうか。ドラマやアニメーションや映画にもされていて、どれも人気の作品です。執事とご令嬢の人間関係やその周りで起こる様々な殺人事件が没入感満載で、自分でも推理しながら読み進めていく読み方は非常におすすめです」
「な、なるほど。それは確かに気になるっすね」
目を輝かせながら意気揚々とした雰囲気で語る美少女。先程から発していたミステリアスなオーラを保ちつつも、今は本が大好きな文学少女といった印象だ。海の家で広大な海を前にして、イカ焼きを口に含んだ水着の男に白ワンピース美少女が飲みかけのラムネを横目に自身がオススメする本について熱弁する。何とまぁ異様な光景。せめて俺と彼女が制服で、紙パックジュースやら購買の焼きそばパンやらを片手に図書館で語り合っていたら様になっていたんだが。いや、それでも俺みたいな見た目ヤンキーのやつが文学少女に本について聞いてるのは異様な光景に見えるか。
「手持ちにあるのはこの2冊ですね。他にもオススメしたい本はいくつかありますが、ひとまずこの2冊のうち、どちらか読んでみてください」
「そうですね…………じゃあこれで」
「はいっ、どうぞ」
彼女は微笑みながら俺に本を渡した。選んだ本は『謎解きはディナーのあとで』という本。理由は彼女が言っていた通り万人受けする本だからだ。それにこの題名はテレビでちょっと聞き覚えもある。別に気になっていたから、というわけではない。それにしてもこの俺が読書か。お袋もビックリするだろうな。
「いつ返せばいいっすか?」
「あげますよ。もう何十回も読んだ本ですので」
「え、何十回って……いや、流石に貰うのは」
「あげますよ。内容もほぼ全て覚えていますし、持っていては本棚のスペースを取るだけ……オブラートに包めると、コレクションとして保管するだけになりますので」
「そういう、もんなんすか?」
「あ、私が読み終わった本をどんどん捨てていくような性格という事じゃないですよ?できるだけ本はたくさん保管しておきたいですし、本は自分の頭の中に入った知識の保管庫というか、知識そのものなので、普段はちゃんと本棚に全てしまってありますよ」
「じゃあこの本は保管しなくても良い、って事っすか?」
「そういうわけでは……」
あ、我ながらに少し失礼な質問をしてしまったか。こんなに本が好きそうな人が保管しなくてもいい、なんて言うはずないのに。
少し野暮な事を聞いてしまったかと思い、慌てて質問し直そうとしたが、俺は代わりとなる言葉が見当たらなかった。俺も本が好きで、真面目な性格だったら、こういう時でも気の利く言葉を言えたかもしれないのに。
「あ、えーっと、その、別に本を捨てる事が悪いなんて言ってるんじゃなくて、えーっと」
「私は、本が好きです」
俺が慌てて変に取り繕うとすると、彼女は立ち上がって2冊の本を大切そうに両手で抱え、俯きながら話す。
「小さい頃から本を読んでて、読むたびに自分の知らなかった言葉や世界に出会えるのが楽しくて、誕生日プレゼントも周りの子が可愛い洋服や話題のゲームを買ったりしている中、私は本を買ってもらっていました。でも残念な事に、今時の同年代の子達は本をあまり読みません」
彼女は俯いていたが、それでも暗い表情をしているのは読み取れる。確かに本を読む人は年々減っているだろうし、今は読まれてても漫画やアニメ化された小説とかがほとんどだ。実際俺も、手に取ったのはアニメ化や映画化された推理小説で、彼女が話す本好きが読むような本を読もうとはしていない。
「学校でオススメの本を共有する友達はいませんし、学校の外でも読書好きの人はあまり多く見かけません。ですから私はあなたが本に少しでも興味を示してくれた事がとても嬉しいんです。本は大切なもの。その大切なものが誰かにとっても大切なものとして存在する事って、素敵な事だと思いませんか?」
「…………そうっすね。俺もこの海が好きですし、実際あなたと海を眺めていたあのひと時も、自分の好きなものを共有している感覚がして、とても楽しかったです」
俺は本心を伝えた。海水浴にくるお客さん、イカ焼きが好きで買って食べてくれるお客さん、砂浜で城を作ったり、ビーチバレーをしたり、そうやって楽しんでくれてる人を見ると、自分まで嬉しくなる。たまにえげつない迷惑客もいるけど、そんな人も含めて全員、この海が好きなんだ。
「だから、この本はあなたにあげます。この本を読んで本を好きになってくれたら、とても嬉しいです」
「絶対読みますよ。ラムネ代の元取るくらい読みまくります」
「ふふっ、そうしてくれると有難いです。次、またどこかで会えたら感想聞かせてくださいね」
「もちろんっす」
彼女は静かな場所に溶け込むように微笑んでいた。そっと閉じられた瞳は長い一日の終わりに訪れる安らぎのようで、力の抜けた口元が心からの穏やかさを物語っている。銀色の髪が肩に流れ、風でふんわりと揺れるたび、彼女の柔らかな性格がそのまま形になったように感じられる。そこには駆け引きも虚勢もない、ただ純粋な少女の感情がこもっていた。
「すみませーん!イカ焼き売ってますかー?」
「あ、はーい!売ってますよー」
「1本くださーい!」
「あ、僕も僕も!僕も買う!」
「私も買う買う!」
「合計3本っすね。焼き上がるまでちょっと待っててください」
突然の来客。少し離れたところで遊んでいた小学生達だ。もうすぐ昼時だから腹を空かしたのだろう。
俺は急いで厨房に向かい、またクーラーボックスからイカを取り出して焼こうとする。その瞬間、会話の途中だった彼女の事を思い出し、イカを網の上に乗せてからイートインスペースへと目をやる。
「すみません!そういえば名前を…………って、あれ?」
彼女がいたはずの席には誰もいなかった。乾かしていた帽子は回収されていて、机の上には飲み干したグラスとラムネの瓶と、大切な一冊の本だけが置いてあった。
「…………帰ったのか?名前聞きそびれちまったな」
「俺ゆうと!んでこいつはリキで、こいつはさっちゃん!」
「お前らの名前は聞いてねぇよ…………」
「そうなの!?」
「はぁ…………まぁいいか。マヨネーズいる人ー?」
「はいはい!俺ほしい!」
小学生達もイカ焼きを食べ終え、俺もお袋と店番を交代し、本を持って家に帰った。部屋着に着替えて落ち着いてから自室の机に向かって本を開く。いつもは布団の上でスマホを開いてSNSばっかり見ていた過去の自分からしてみればあり得ない行動を取っている。
本の内容は面白かった。彼女の言っていた通り、好奇心旺盛な令嬢と有能で博覧強記な執事との掛け合い、人間関係、そして周りで起こる殺人事件、それらの推理と、様々な事象が複雑に絡めあい、綺麗な起承転結が構成されている物語は読書初心者の俺でも読みやすくて面白いと思えた。
正直、本を受け取った直後はこの一冊を読み終えても結局スマホを開いてゲームやらSNSやらに没頭するんだろうなと思っていたが、本を読み終えても不思議とそんな気分にはならず、むしろもっと色々な本を読みたいと思うようになった。どうやら俺は本に対して適正があったのかもしれない。
しかし家にある本はほとんど漫画で、それもお袋が買ってる大人向けの恋愛漫画ばかりだ。ミステリー系にハマった俺からしてみれば微塵も興味がない。
そこで俺は夏休みの国語の宿題で、いくつかの文章の読解問題が出されていた事を思い出し、そのまま鉛筆を持って宿題を始めた。
ただ小説を読むのとは違って、読解問題は読み込み具合や、本の感想を聞かれているような感覚がして、とても面白く感じた。その流れで俺は1日で国語の宿題を終えた。
次の日も俺は不思議と彼女からもらった推理小説を読んでいた。すでに1周して、内容も把握しているはずなのに、2周目も1周目とはまた違う面白さがあって読めてしまう。
そうして読み終えると、今度はあの博識な執事に憧れるようになった。あの人のようになるには俺はどうすれば良いのだろうと考える。何だか厨二病チックな思考だが、この憧れのおかげで俺は勉強に興味を持つようになった。あの執事のようになるにはまず勉強からだ。
しかし勉強は読書と違って辛いものでしかなかった。国語の現代文は楽しいが、古文や漢文はつまらない。数学はもちろん理科目なんて言うまでもなくつまらない。歴史学は多少、物語っぽい部分もあって勉強はできた。だが推理には科学的知識も必要。俺はそう思い込んで勉強に励んだ。
勉強しているうちに世界の事を色々知りたいと思うようになり、俺はするつもりがなかった高校受験をすることにした。だがうちはあまりお金がないのでお袋に迷惑はかけれない。だから俺は国立の高校を目指すことにした。すっかり勉強にも慣れた俺はあの夏休みから必死に勉強して、とある国立高校に合格し、進学することになった。
そこは『高度育成高等学校』
就職率100%、全寮制を謳う国内トップクラスの超難関校。お袋は喜んだ。死んだお父さんも喜ぶって言ってくれた。正直お袋1人残して全寮制の高校に入るのは不安だったが、自分のやりたい事を実現できるチャンスは早々ない事も事実だ。入学式当日、俺はお袋に今までの感謝を伝え────
────そして、彼女から貰った本と共に家を出た。
風で飛ばされたイカ焼き「解せぬ」
風で飛ばされたトレー「解せぬ」
主人公のイメージ画像とか見たい人がいたらAIに作らせます