遊戯王ARC-V 最初から揺れていた振り子 作:名もなきWater
『まだだ。俺はまだ、満足していない』
低く、重く、そして確かに――自分ではない声。
一瞬、遊矢の指が震える。
だが、遊矢自身は気づかない。否、気付こうとしない。
気付いてはいけないと、本能的に感じたのだ。
『それで、『楽しいデュエル』のつもりか?』
その声は、怒りでも焦りでもない。
ただ――“飢え”だった。
もっと壊せ。もっと奪え。足りない。もっと、もっと……
「――ぁ」
フィールドに立つ遊矢の瞳が、一瞬だけ赤く揺らぐ。
『聞こえているはずだ』
脳裏に浮かぶのはいつもの夢。
『分かっているはずだ』
一人の決闘者が、龍を従えている。
『観客を沸かせるには。笑顔にするには』
笑顔の観客。歓声を浴びるその男。後ろに控えた勇ましき龍。
『――力が、必要なのだと』
その直後、映像が途絶える。まるで、その先の未来を意図的に隠すかのように。
——静寂。
心臓の鼓動だけが、やけに大きく響く。
「力……か」
遊矢は、ゆっくりと息を吸った。
恐怖はあった。
この声が危険であることも分かっている。
それでも……俺は今、ここに立っている。
デュエルは終わっていない。
観客は、まだ目を離していない。
――なら。
遊矢の瞳に、決意の色が灯る。
「ドロー!
俺は魔法カード《リロード》を発動! 手札を全てデッキに戻してシャッフルし、戻した枚数分カードをドローする!」
遊矢は、手札の四枚をデッキに戻す。
迷いも、未練も、一緒に押し戻すように。
「俺の手札は四枚。よってデッキから、カードを四枚ドロー!」
一気に引き抜かれるカード。
風を切る音。
指先に伝わる、確かな重み。
――そして、新たな鼓動。
四枚を確認した瞬間、遊矢の表情がはっきりと変わった。
まるで最初から、そこに来ることが決まっていたかのようなカード達。
『準備は整った』
胸の奥で、あの声が呟く。
『さあ、今こそ目覚めの時』
低く、確信に満ちた囁き。
抗いがたい重みを持つ声。
遊矢は目を閉じる。
力が欲しいのは事実だ。
このデュエルに勝つために。
観客を笑顔にするために。
……だが。
「違う」
はっきりと。確かな声で、遊矢は否定する。
『……何?』
僅かに、その声の調子が変わる。
遊矢は、手札のカードを強く握る。
《リロード》で引き寄せた今の自分の選択。
「確かに力は必要だと思う。
でも、それをどう使うか決めるのは――俺だ」
胸の奥が僅かにざわつく。
声は、すぐには返ってこなかった。
沈黙。
それは、怒りでも拒絶でもない。
――想定外を突き付けられた者の間。
『……いいだろう』
胸の奥で低く、押し殺した声が響く。
『……今のところはな』
その言葉と同時に、ぞくり、と背筋に冷たいものが走った。
だが――遊矢は振り返らない。
今、この舞台に立っているのは自分だ。
観客のざわめきと、石島の視線。
フィールドには、巨大な《バーバリアン・キング》。
全てが現実。
遊矢はデュエルディスクを構え直した。
手札には、見たこともないカードが光っている。
だが遊矢は、その力を本能で理解していた。
「俺はスケール1の《星読みの魔術師》と、スケール8の《時読みの魔術師》で、ペンデュラムスケールをセッティング!」
左右のペンデュラムゾーンに二体の魔術師が設置される。
星を刻む白衣と、時を操る黒衣。
「これでレベル2から7のモンスターが同時に召喚可能!」
振り子が揺れる音。魂の奥底で、確かに鳴っている。
「揺れろ、魂のペンデュラム! 天空に描け、光のアーク!」
光が立ち上る。虹色の弧が、空を裂く。
「ペンデュラム召喚!」
光の奔流の中心から、巨大な影が現れる。
赤と緑、相反する二色の眼。
かつてのドラゴンと同じ瞳。
――だが、姿は違う。
別物ではない。失われたわけでもない。
選択の先で辿り着いた、“次の形”だ。
「雄々しくも美しく輝く、二色の眼! 《オッドアイズ・ペンデュラム・ドラゴン》!」
――光が完全に収まり、ドラゴンの輪郭がはっきりと浮かび上がる。
相反する色が、一つの意思として静かに燃えている。
無駄のない引き締まった体躯の龍が、大地に支配するかのように堂々と、フィールドの中央に立っている。
観客席は、まだ言葉を失ったまま。
その沈黙を最初に破ったのは――柊柚子だった。
「これは……」
喉から零れた声は、問いでもあり、驚きでもあり――
――何より、期待でもあった。
その隣で、修造は大きく息を吸い込む。
「一体……」
言葉の先が続かない。
だが、説明はいらない。
理屈も、今は関係ない。
フィールドにいる“何か”が、確実に一線を越えた。それだけははっきりと分かっていた。
「なに、を……」
対戦相手である石島もまた、言葉を失っていた。
デュエルディスクに表示される召喚ログ。だが、そこに見慣れた文字はない。
通常召喚ではない。
では融合か? 否。
シンクロか? 否。
エクシーズか? 否。
「っ……ふざけた真似を」
吐き捨てるように言いかけて、止まる。
これはルールの外ではない。
数値も判定も、全てが“正しい”。
――イカサマじゃねえ。
あの腰抜け親父とは、違う。
観客席が、遅れて爆発する。
「な、なんだ今のは!?」
「モンスターが空から!?」
だが石島は、歓声にも混乱にも目を向けない。ただ、ドラゴンだけを睨みつける。
「……証明、か」
低く、噛みしめるように呟く。
「いいぜ……“榊遊矢”。何をどうやったかは分からねえ。
が――だからこそ、潰し甲斐があるってもんだ」
デュエルディスクが光り、数値が浮かぶ。
「《オッドアイズ・ペンデュラム・ドラゴン》。攻撃力2500。
《バーバリアン・キング》。攻撃力3000」
チャンピオンとしての余裕を取り戻すように、言い切る。
「どんな召喚だろうが、数字は嘘をつかねえ。お前のドラゴンじゃ、俺のバーバリアンには敵わねえ!」
「それはどうかな」
「何……?」
遊矢は、静かに言葉を継いだ。
「デュエルは数字だけじゃ決まらない。オッドアイズはバトルの“結果”に反応する。
《オッドアイズ・ペンデュラム・ドラゴン》は、モンスターとの戦闘で与える戦闘ダメージを二倍にするのさ」
「それがどうした!」
石島は鼻で笑う。
「いくら二倍になったとしても、元々の攻撃力がバーバリアンに届かなきゃ意味はねえ!」
「だったら見せてやる!」
遊矢はオッドアイズに攻撃命令を下す。
「行け! 《オッドアイズ・ペンデュラム・ドラゴン》! 《バーバリアン・キング》に攻撃!」
その瞬間、石島に動揺が走る。
いや――それは石島だけではない。観客席も同じだった。
オッドアイズの攻撃力はバーバリアン以下。これでは、ただの自滅――
「手札から速攻魔法《コンセントレイト》を発動!」
余裕を見せていた石島の表情が、わずかに強張る。
「モンスター一体の攻撃力を、その守備力分アップさせる!」
デュエルディスクが光り、数値が跳ね上がる。
「何ッ……!?」
オッドアイズの攻撃力が上昇する。《バーバリアン・キング》を超える数値――4500。
石島の表情から、確かな余裕が消え失せた。
螺旋を描く炎が、オッドアイズの喉奥に集束していく。
その光景に、石島は歯を食いしばる。
「……まだだ!」
視線が、フィールドの端を捉える。
瓦礫の影に、淡く輝くカード。
石島は地を蹴り、淡く輝くそれを掴み取った。確信と共に、デュエルディスクへ叩きつける。
「アクション魔法、《回避》を発動! モンスターの攻撃を一度だけ無効にする!」
――だが。
左のペンデュラムゾーンが、淡く脈動した。
星読みの魔術師。
星の運行を刻む者。
「《星読みの魔術師》のペンデュラム効果、発動!
――“ホロスコープ・ディビネイション”!」
白衣の魔術師が、棒状の武器を掲げた。
その瞬間、石島の発動したアクション魔法が光となって霧散した。
まるで最初からその未来が定められていたかのように。
「な……ッ!?」
「《星読みの魔術師》の効果により、ペンデュラムモンスターが戦闘を行う時、相手は魔法カードを発動できない!」
砕け散ったアクション魔法の光の中で、石島は息を呑んだ。
だが、すぐに歯をむき出しにして笑った。
追い詰められた獣のような、闘争の笑みで。
「なるほどな。だが、まだ終わりじゃねえ!」
石島には秘策があった。
直前のターンにセットした、一枚の罠カード。
「罠発動! 《聖なるバリア-ミラーフォース-》!
相手が攻撃してきたとき、相手の攻撃表示モンスターを全て破壊する!」
バーバリアンの周囲に巨大な鏡面が展開される。螺旋の炎を跳ね返すべく、歪んだ光がうねりを上げた。
――だが。
今度は、右のペンデュラムゾーンが脈動する。
時読みの魔術師。
時の流れを操る者。
「《時読みの魔術師》のペンデュラム効果発動!
――“インバース・ギアウィス”!」
黒衣の魔術師が小手をかざす。
歯車が逆回転するような音と共に、空間が軋んだ。
次の瞬間――鏡面は、逆再生するかのように消滅した。
まるで、最初から存在しなかったかのように。
「な……にッ!?」
「《時読みの魔術師》の効果により、ペンデュラムモンスターが戦闘を行う時、相手は罠カードを発動できない!」
これですべての妨害が消え去った。
オッドアイズは喉奥に炎を集める。
そして――《コンセントレイト》。
遊矢の補助を受け、龍の炎はさらに威力を増していく。
「行け、オッドアイズ!
――“螺旋のストライクバースト”!」
放たれた螺旋の奔流が、一直線にフィールドを貫く。
次の瞬間、《バーバリアン・キング》は爆炎に飲み込まれた。
爆炎が晴れた、その向こう。
立っていたはずの《バーバリアン・キング》の姿は、もうない。
デュエルディスクが、低く警告音を鳴らした。
石島のライフポイント表示が、音を立てて減少していく。
2750――
2000――
1000――
そして――0。
数値が消えた瞬間、フィールドから音が失われた。
石島はしばらく動かなかった。
敗北を受け入れられないのではない。ただ、目の前の出来事を咀嚼しているかのようだった。
次の瞬間、観客席が爆発する。
歓声。拍手。叫び声。
波のような熱がフィールドを揺らす。
だが、その中心で遊矢は、ほんの小さく息を吐いただけだった。
――勝てた。
胸の奥に溜まっていた緊張が、ゆっくりとほどけていく。
恐怖も、焦りも、いつの間にか消えていた。
観客を沸かせること。
デュエルを楽しませること。
その想いは、確かに届いた。
……同時に。
歓声の奥。
胸のさらに深い場所で――
『……まだだ』
誰にも届かない声が、確かに囁いた。
遊矢はわずかに眉をひそめる。
理由は分からない。ただ、胸の奥に僅かな違和感が残っていた。
『…………』
だが今は、それ以上考えない。
観客の熱が現実へと引き戻す。
歓声は、なおも鳴り止まなかった。
◆
歓声が渦を巻くフィールドの外。
高所の観覧席で、一人の男が腕を組んでいた。
赤い眼鏡の奥底。鋭く細められた目が、まだ熱を残すフィールドを見下ろしている。
「……ペンデュラム召喚」
低く、確かめるように呟く。
既存の召喚法の枠には収まらない。
だが、破綻もしていない。
理論は未完成――それでも、あの少年は使いこなしていた。
「偶然ではないな」
視線が、フィールド中央に立つ遊矢を捉える。
歓声に包まれながらも、どこか落ち着いた佇まい。
勝利に酔っていないその姿に、零児は小さく息を吐いた。
「……面白い」
それは称賛ではない。
評価だ。
「接触する価値はある」
赤馬零児は踵を返す。
この出会いが、やがて世界を揺らすことなど――
まだ、誰も知らない。