クルトレスの死体が見つかったのは、最上階の書庫だった。
書庫と言っても、それは魔王城の中での話。実際は、図書館よりもより大きい博物館と言えるほどの広さを持つ、巨大な書庫だった。
その部屋には本棚がパズルのように幾重にも並べられ、積み重ねられており、窓が見えない程の本がぎゅうぎゅうに詰められている。
そんな部屋で四天王のドラキュラは、漆喰に塗られた本棚の前に無数の散らばった本と共に、うつ伏せになって倒れ伏していた。
だから僕らには、クルトレスの後頭部がよく見える。
彼の頭は陥没し、髪は出血して赤く濡れていた。割れた頭からは頭蓋骨だけでなく、桃色の脳みそまではみ出している。
そして大量に飛び散ったクルトレスの血で、当たりの本棚は血まみれになっていた。
試しにいくつかの本棚を押してみると、かなり頑丈な作りになっており、僕の力程度ではびくともしない。
「これは、鈍器で思いっきり殴られたのでしょう。もっとも本棚が凶器なのであれば、どれが使われたのかは判断するのは難しそうだね」
「それは、血だらけだから、ってこと?」
「それもあるけど、本棚が頑丈過ぎて殴ったとしても本棚に跡がつかなさそうなんだ」
シルナにそう答えた後、僕は高く積み上げられた本棚を見上げる。
「まぁ、今この城には本棚なんて使わなくても、弱ったドラキュラ相手なら簡単に撲殺出来る人たちばかり揃っているんだけど」
「そ、そうよ。クルトレスは、殺されたのよ! クルトレスは、魔王城にいる誰かに殺されたんだわ!」
悲鳴に近い声を、ナウルフルが上げる。
「王座の間で、クルトレスが確認していたわよね? この城にいるのは、わたくし達しかいない、って。だったら、この中に犯人がいるっていう事でしょ?」
「それ、嘘かもしれない」
ヴォッセがそう言うが、それは他ならぬ同じ人間側のシルナが首を振って否定する。
「いいえ。その話をしていた時、クルトレスは嘘はついていなかった。だから、この城にいるのは、ここにいる私達だけだよ」
人間側は、勇者のシルナ、弓兵のシェルサ、重戦士のヴォッセ、冒険家のズリモスに、僕。
魔族側は、ドラゴンのヴルボ、グリフォンのナウルフルに、ダークエルフのモックス。
「容疑者は、この八人、っていう事かな?」
「そうなるね、リト」
「いいえ、五人よ」
シルナの言葉に、ナウルフルがそう言って反応する。
グリフォンは僕ら人間側を射殺すように睨みながら、口を開いた。
「だって、そうでしょう? どうしてわたくし達が仲間のクルトレスを殺さなくてはいけないわけ? どう考えても、魔族を殺したいと思っているのはあなた達人間側の方でしょう?」
「ちょっと待って欲しいさね」
そう言ってシェルサは、自分の髪を掻き上げる。
「どうして私達が、そこのドラキュラを殺さないといけないのさ?」
「そもそもあなた達は。わたくし達魔族を殺しに魔王城までやってきたのですわよ? 動機ならそれで十分過ぎますわ!」
「しかしのぅ、そういう事情も含めて、魔王ザへキース様を探すために、吾輩達は手を組んだのではなかったのか?」
「ちょっと、ヴルボ! あなた、一体どちらの味方ですの? わたくしの味方をしなさいな! ほら、モックスも何か言っておやりなさい!」
「……」
「ちょっと! 今ぐらい何か話しなさいなっ!」
「おいおい、お前ら、わーざとやってんのかぁ? いるじゃねぇですか。最も疑わしく、最も怪しい容疑者が、ねぇ?」
そう言ってズリモスは、しししっ、と鼠の様な笑い声を上げた。
彼の言葉に、ナウルフルが反応する。
「誰? 誰ですの? その、最も疑わしく、最も怪しい容疑者というのはっ!」
「そんなの、決まってまさぁ。オレ達が今必死に探している人物、百年前から姿をくらませている、あいつの事ですぜぇ?」
「ま、まさか! あなた、言うに事欠いて――」
「魔王ザへキース様がクルトレスを殺したと申すのかっ!」
ナウルフルとヴルボが驚愕の声を上げ、モックスは絶句して身動きを止めている。
そんな魔族達の反応が面白かったのか、ズリモスはさも楽しげに手を叩きながら笑い声を上げた。
「だって、そーじゃねーですか? そー考えるのが、自然じゃねーですかねぇ? リト先生が言ってたじゃねぇですか。オレ達の誰もが一対一なら四天王には負けねー状況なんですぜ? それなのに、わざわざこんなコソコソと殺したりします? いや、そんな事する必要ねぇ。だって、真正面から戦っても、勝てるんですから」
「じゃが、そうなると、魔王様はどこへ消えたというんじゃ? ザへキース様が犯人というのであれば、この最上階に姿をお現しになられたという事になるが。生憎、吾輩は見ておらんぞ?」
「そ、そうよそうよ! ヴルボの言う通りだわっ!」
ドラゴンの言葉に、グリフォンが勢いを取り戻す。
「そもそも、最上階には他の人間二人もいたのよね? どうなの? 見たの? 魔王様のお姿を」
「そ、それは……」
「ふふふっ、見たわけないわよね? そうよね? だってわたくし達が百年探して手がかりすら見つけられなかったんですもの。それなのに、そんなにすぐにザへキース様御本人が見つかってたまるもんですか!」
「ナウルフル。それだとこの者達に協力を依頼しておる吾輩達の立場がないぞ」
「でも、あのドラキュラを殺せる暇があったかなかったかで言えば、下の階を捜索していた私達には犯行は無理なんじゃないか?」
「そうでも、ない」
シェルサの言葉を否定したのは、頭上を見上げるヴォッセだった。
「本を、ひとまとめにする。それ、時間が来たら、高い所から、落ちるようにしておく。それなら、どこにいても、殺せる」
「……なるほど。時限装置、ってわけかい。仕掛けを準備する時間は必要だが、もし魔法を使えばそんな事は全く関係ない、って、さっきから何をしているんさね、リト」
「ん? ああ、死ぬ直前にクルトレスが読んでいた本を見てたんだよ。多分、だけどね」
「え、そんなの、どうやってわかったの?」
シルナが興味深そうに、僕が読んでいる本を覗き込む。
僕は皆も見えやすいように、本を広げてみせた。
「これは、クルトレスの周りに散らばっていた本の一つさ。ほら、このページを見てみてよ。血が、べっとりとついてるでしょ?」
「本当だ。まだ乾いてないから、今日ついた血だって考えて、間違いなさそうだね」
「うん。だからこの本は、クルトレスがまだ殺される前に開いていたページで、撲殺された時に血がついたんじゃないかと思うんだ」
「なるほど、確かにそうだね!」
お手柄だ、とばかりにシルナは笑うが、シェルサは肩を竦めるだけだった。
「ドラキュラが読んでいた本がわかったのはいいけれど、それが一体奴が殺された事と何の関係があるんさね?」
「そもそも、その本をクルトレスが死ぬ直前に読んでいたとは、断定しきれんじゃろ」
ヴルボは難しげにそう言ってから、更に僕の考えについて反証を述べる。
「クルトレスが殺され、当たりに血が飛び散る。その後死んだ奴の方へ、本が上から落ちてきた。すると何冊かの本は、落下しておる最中に開くじゃろ。その状態で血溜まりが出来た床に落ちてくれば、床についた血で本のページが汚れた事になる。つまり、偶然その本がクルトレスの血で汚れただけの可能性が高いのではないかのぉ?」
「その血で汚れたページを、クルトレスが開いていた証拠があったとしても、ですかね?」
「何じゃと?」
ドラゴンの瞳が、獲物を前にしたかのように怪しく光る。
そのギラつく眼に見えるように、僕は再度本を掲げてみせた。
「このページは、クルトレスの血でベッタリと汚れています。そして、汚れていない部分をしっかりと見てください」
「こ、これは!」
「汚れていない部分が、指の形をしているわね」
「そうです。クルトレスは、この本を開いて読んでいたんです。このページを、自分の指で抑えながら。そしてその時、殺された。だから彼がページを指で抑えていた部分だけ、血がついていないんです。まるで、自分の手形を取ると時は、逆の様に」
僕の言葉にヴルボが驚愕で目を見開き、シェルサが訝しげに目を細める。
彼らが見ている前で、僕は本に残された指の跡と、クルトレスの指の形を比べてみせた。
その結果は、完全に一致していた。
「でも、それが一体何だというの?」
冷たい声で、ナウルフルが僕にそう言った。
「さっき、弓兵の女が言っていたでしょ? クルトレスが読んでいた本がわかった所で、あいつが殺された事と一体何の関係があるのかしら?」
「クルトレスが殺されたのは、この本を読んでいたからではないのでしょうか?」
僕の言葉に、一気にこの場の緊張感が増す。
そんな中、最初に口を開いたのは、ズリモスだった。
「どういう事でさぁ? リト先生。その本が、一体何だっていうんです?」
「僕達がこの城でやろうとしていた事を、もう一度思い出してみてよ」
「思い出すまでも、ない。オデ達、魔王、探してた」
「そうじゃの。魔王ザへキース様を探すため、吾輩達は協力しておったんじゃ」
「そうよそうよ。わたくし達が人間と協力する理由だなんて、それ以外ありえませんわ」
「……ちょっと、待つんさね」
シェルサはそう言って、自分の手を口元に当てる。
そんな彼女を、シルナが不思議そうに視線を向けた。
「どうしたの? シェルサ。何か、気付いたの?」
「リト。ひょっとしてお前は、逆だって言いたいのかい?」
「逆?」
「そうさ、シルナ。逆なんだ。私達が、やろうとしていた事の、逆」
つまり、それは――
「ドラキュラが殺されたのは、魔王ザへキースを見つけられないようにするためだって、リトはそう言いたいのかい?」
「な、何を言っとるじゃ!」
ヴルボが、まるで悪い夢でも見てしまったかのような表情を浮かべている。
たとえるのなら、海に流れる川の水が逆流し、山頂へと戻っていくのを見た様な、頭の中ではあり得ないとわかっているのに、眼の前の現実ではそれが起こっている場面に出会ってしまったかのような、そんな表情だ。
「吾輩達は、ザへキース様を探すために手を結んだんじゃぞ! それなのに、魔王様を見つけられないようにするために、クルトレスを殺した、じゃと? ありえん! そんな事、道理に反するわっ!」
「でも、リト先生の言うことにも、一理ありやすぜ?」
ズリモスはそう言って、意味ありげに残りの四天王達へ視線を向ける。
「確かにあんたらは、魔王に会いたがっている。そいつは、シルナ様も嘘じゃないと、そうおっしゃられているから事実なんでしょう。ですが、その魔王との再会は、何もオレ達人間が居合わせている必要なんてない。いや、むしろいないほうがいいに決まっている。特に百年ぶりにやってきた勇者が一緒じゃ、久々の再会も喜びあう時間もえねぇでしょうし」
「……迂遠な言い回しをせずに、ハッキリ言いなさいな」
「では、率直にオレの意見を言わせていただきやしょう。ドラキュラを殺したのは、同じ魔族のあんたらの誰かだ! 殺されたドラキュラが、このタイミングで魔王の手がかりを本当に見つけちまった。そして魔王会いたさにドラキュラはそれを後先考えずに使って魔王に会おうとした。だがさっきも言った通り、魔王との再会の場に、勇者が居合わせるのは都合が悪い。だからドラキュラを殺して、魔王と勇者を引き合わせないようにした! 噂じゃ、百年前の勇者との戦いで、魔王は傷を負ったって話ですしねぇ。その傷は、まだ癒えてないかもしれない。そんな状態で勇者との戦闘になれば、今度こそ魔王は殺される。魔王を守るために、お前らの誰かが、ドラキュラを犠牲にしたんだっ!」
「馬鹿なことを言わないで頂戴! わたくし達は、嘘をついていたらすぐに勇者にバレるのですよ? それなのに、そんな衝動的な反抗に及ぶだなんて、ありえませんわ!」
「そうですかい? ですがシルナ様がわかるのは、嘘をついているか否か。たったそれだけなんですぜ?」
「……迂遠な言い回しをするなと、先程も申し上げたばかりですわよ」
「気づかないんですかい? それとも、気づいていて気づかないふりをしているんですかい? おたくらの仲間に、いるじゃぁありませんか。嘘をつくかつかないかじゃなく、そもそも言葉を今の今まで一度も発していないお方が、ねぇ?」
「まさか、貴様!」
「モックスが犯人だとおっしゃるのですか!」
「……」
この場にいる全員の視線が、ダークエルフへと向けられる。
しかしそんな状態であったとしても、モックスは固く口を閉ざしたままだった。
「ちょっと。流石に何か言いなさいな!」
「……じゃが、モックスはクルトレスが殺された時は、下の階を捜索しておったはず。物理的に犯行は不可能じゃて」
「そ、そうですわよ。ヴルボの言う通りですわ!」
「でも、そのダークエルフ、暗殺、得意、言ってた」
「おぉ、木偶の坊にしちゃぁ、よーく覚えてたなぁ。そうさ、そのドラゴンが言ってたんだぜ? そのダークエルフは気配を消すのが上手で、暗殺が得意だ、ってよ。だからそいつには、出来たんじゃねぇんですかぁ? 下の階にいる奴らに気づかれず最上階へと移動し、ドラキュラを暗殺することが、ねぇ?」
しししっ、と笑う冒険家に向かって、手を挙げる人物がいる。
それは、勇者シルナだった。
「ごめん、ズリモス。私、それは出来ないと思うな」
「ど、どーしてですかい? シルナ様!」
「だってモックスは、私と一緒に下の階を捜索していたんだよ? 一人いなくなれば、流石に気づくよ。私、伊達に勇者やってないし」
「そうさね。それに四天王は、今の私達がタイマン張れば倒せるぐらい、リトがズタボロにしてるんだ。そんな状態で、勇者のシルナに気づかれないように行動出来るわけないさね」
「シェルサの言う通りだと私も思うよ。それにそんなに自由自在に動けるのなら、魔王の手がかりをクルトレスから簡単に奪えるんじゃないかな? わざわざ殺す必要なんてないよ」
「シルナ、どっちの味方?」
「私は、正しい方の味方でありたいよ。今は、何が正しいのかはちょっと揺らいじゃってるけど、でも、眼の前にぶら下げられたそれっぽい答えに簡単に飛びついて、今起こっている事を正しく認識しないまま軽率な判断だけはしたくないんだよ」
「……ですが、だったら、どうするんです? シルナ様」
そう言ってズリモスは、鼻を鳴らす。
「理想を掲げるのは、結構ですがねぇ。生憎現実はまっちゃくれねぇ時だってあるでさぁ。魔王を探そうと手を組んだ奴が、この城にいる誰かに殺された。それなら、次に狙われるのはオレ達の誰かかもしれねぇんですぜ? それなのに、悠長なこと言ってられますかね?」
「殺されたくないなら、殺るしか、ない。オデ、死にたく、ない。怪しい奴、殺した方が、いい」
「おい、ズリモスもヴォッセも、相手を挑発するような真似はやめるんさね!」
「……それを言うのなら、いつでも吾輩達を殺せるお前達の方が怪しく見えるがのう」
「そうよそうよ! わたくし達が、あなた達より今は力が劣っているのは事実なんですから、そうやって無理やりわたくし達を殺そうとしている、あなた達の方が逆に怪しいですわよ!」
「ヴルボもナウルフルも、待ってください! 疑心暗鬼に陥っては、犯人の思う壺ですよ!」
「……」
シルナとシェルサは止めようとするが、人間側と魔族側の不安と不満は止まらない。
元々、魔王を見つけるためだけに結ばれた、仮初の同盟だったのだ。
この様な結末を迎えるのは、致し方がない事なのかもしれない。
しかし――
……それで真実が闇の中に葬り去られるのは、僕の望む所じゃないや。
だから僕は、口を開く。
「それじゃあ、皆で解いてしまいませんか?」
「な、何をですか? リト」
「クルトレスが殺されている時に読んでいた、この本の謎についてだよ、シルナ」
そう言って僕は、ドラキュラの指の跡がついていた本、『エキドナに学ぶ大家族の生き方』というタイトルの本を皆に見せる。
「クルトレスは、この本を読んでいる最中に殺された。それは間違いない。そしてそれは、犯人が魔王へと繋がるのを嫌がったから。逆に言えば、この本の謎を解けば、僕らは消えた魔王の秘密に迫ることが出来るわけです」
「……そうか。私達は全員、魔王の居場所を知りたがっている。だから皆、その本の謎を解くのに協力してくれるはず。魔王を見つけられなくない、犯人以外は」
「なるほどのぅ。魔王様へ繋がる謎を解くのを妨害する者、それこそがクルトレスを殺した犯人じゃと、そう断定出来るわけかの」
「いいじゃないの、それ! ここにいる全員得する方法ね。犯人を除いて、だけれども」
「私はそれで構わないが、ズリモスとヴォッセはどうだい?」
「オレも構いやしませんぜ? 元々魔王を殺すために魔王城まで来たんですから」
「オデも、それで、いい」
「では、意見がまとまった所で、この部屋をもう少し調べてみよう。できれば、この『エキドナに学ぶ大家族の生き方』が並べられていた棚がわかると、僕としては嬉しいんだけど」
「それなら確か、目録があったはずじゃ」
「それじゃあ、散らばった本を元に戻すところから始めるとするさね」
シェルサのその言葉で、僕らは一斉に書庫の中を散らばっていく。もちろん、一人で行動するようなことはしない。
体の大きいものは本棚の位置を直し、そうでないものは本を元々入っていた棚へと戻していく。
そんな作業をしている中、シルナが僕の方へと近づいてきた。
「リト。さっきは、その、ありがとうね」
「ん? 何がだい?」
本気で何の話をされているのかわからず首を傾げる僕に、勇者は少しだけ怒ったような表情を浮かべる。
「だから、さっき一触即発の雰囲気になった時の事だよ。リトがこうやって皆で協力する案を出してくれなかったら、きっと誰かが死んじゃってたから」
「王座の間に入る前は、『魔族を積極的に殺そうとしないのは感心しないな』って言ってた人と同一人物の発言だとは、とても思えない発言だね」
「……もう、リトのイジワル」
いじけたようにそう言ってから、シルナはすぐに寂しそうに笑った。
「本当に私、あの時は魔族が絶対的な悪だって思ってたんだ。でも、なんで私、そう思い込んでたんだろう? 人間を殺す魔族が悪なら、人間を殺す人間も同じ様に悪だし、そもそも人殺しは悪いことだから、そんな事をする奴は悪い奴だって、当たり前にわかる事なのにね」
「でも、その人殺しだって、自分の大切な人のためにすることだってあるかもしれないよ? それでも、人を殺した人は悪なの?」
「……本当に、リトはイジワルだなぁ。そんな事言われ続けたら、絶対これが正しいって、いつまで経っても決められないよ」
「そうだよ。この世に、絶対的な正解なんてないんだ。その時その時の状況に応じて、その時々に選べる、よりマシな方を選んでいくしかないんだよ」
「それでリトは、辛くないの? 苦しくないの? 自分の選んだ答えが、間違っているかもしれないんだよ?」
「それでも、選ぶしかないからね。選ばないという選択も含めて、選んで生きていくしかないんだ。それに、僕はもう、選んじゃったから」
「選んだ? リトは、何を選んだの?」
「僕の、死に方(生き方)だよ」
「……出来るかな? 私にも」
「出来るさ。なんて言ったって、この物語の主人公は勇者シルナなんだから。今は少しだけ、脇役の僕にスポットライトが当たっているだけだよ。物語の結末を迎える頃には、観客達の注目を一身に集めるのは君の方さ」
「シルナ、リト。ある程度本棚と本を元に戻せたみたいさね。ちょっとこっちに来て、見てもらえないかい?」
そこで会話を切り上げて、僕らを呼んだシェルサの方へと向かっていった。
するとそこには、確かに元の位置に戻されたであろう本棚とその中に収められている本達の姿があった。
「『エキドナに学ぶ大家族の生き方』が入れられていた棚は、丁度クルトレスが殺されていた場所の、眼の前にあったんですね」
「そうみたいさね。ほら、下から三番目の棚が、件(くだん)の本が収められていた場所さ」
言われて見れば、その棚には他にもいくつかの本が並んでいる。
それぞれタイトルは、こんな感じだった。
『ニンフと踊りはご用心』
『愕然、Eを消されてゴーレムは死んだ』
『ああ、愛しの君へセイレーンの歌声を』
『ルビーよりも赤い瞳の魔族(君)に口づけを』
『機織りの天才、アラクネから学ぶこと百選』
「目録を見るに、『愕然、Eを消されてゴーレムは死んだ』と『ああ、愛しの君へセイレーンの歌声を』の間にクルトレスが殺される直前まで持っていた『エキドナに学ぶ大家族の生き方』が並んでいたそうよ」
そう言ったナウルフルの方へ、僕は視線を向ける。
「ここだけ、ずいぶんスカスカなんですね。他の棚は、かなり本が詰まっているのに」
「そうなのよ。どうやら、元々正しく棚に本が入れられてなかったみたいなの。『エキドナに学ぶ大家族の生き方』が入っていた棚には、全く別の棚から持ってきた本が、なんと十三冊も入っていたわ」
「今まで、魔族の方々はその事に気づかなかったんでしょうか?」
「わたくし達は、本を読むより実践を重んじるタイプが多いですもの。それに、この階は魔王ザへキース様がいらっしゃった階。この階は百年前から静寂に包まれていて、ここに来るとあのお方の不在を強く感じる事になります。それが嫌で、皆自然と足が遠のいていったのでしょう」
「……そうですか」
そう言いながら、僕は『エキドナに学ぶ大家族の生き方』を元々収められていた場所へ仕舞う。
すると、足りなかった所に何かが丁度収まったかのような、そんな満足感を得ることが出来た。
雪が溶け切り、地肌が剥き出しになった山脈が、またあの純白模様を取り戻したのを見た時のような、それは安心感にも似た感情だ。
「他の棚には、何か気になる点はあったりしましたか?」
「それが、特に見当たらなくてね」
「正直、もうお手上げ、というのがわたくし達の本音ですわ」
シェルサとナウルフルが、口惜しそうにそう言った。
グリフォンはそれでは後悔を吐き出し切れないのか、なおも言葉を紡いでいく。
「この書庫の本が、そして棚の位置が、てんでばらばらになっていると気づけたのが、もう少し早ければ、魔王様の手がかりが残されていたのかもしれませんのに」
「それが、百年も前の話さね。魔王に繋がる手がかりも、ひょっとしたら風化してなくなってしまっているのかもしれないよ」
「そうかな?」
そう言ってシルナが、『エキドナに学ぶ大家族の生き方』を収めている棚を覗き込む。
「犯人は、風化していないと思ったからこそ、クルトレスを殺したわけだよね? だったら、残っているんじゃないかな? 百年経った今でも、何かしらの手がかりが」
僕らの話が盛り上がっているのに気づいたのか、ズリモスにヴォッセ、ヴルボにモックスもこちらの方にやってきた。
近づいてくる彼らを横目に、勇者はグリフォンの方へと視線を向ける。
「そういえば、目録も百年前のものになるんですよね? それは、百年経っても残っていたものになります。他に、そういったものに心当たりはありませんか?」
「……そうか。記録か」
そうつぶやいたシェルサに、僕は頷きながら口を挟む。
「歴史、と言い換えてもいいと思います。何故なら、過去は変える事が出来ませんから」
「……百年前に起こった歴史に残るような事といえば、勇者が魔王城に乗り込んできたわよね」
ナウルフルの言葉を受けて、僕は皆に問いかける。
「皆さん、覚えていらっしゃいますか? 百年前に魔王に傷を負わせた、勇者の名前を」
「勇者、エルニ」
この場にいる誰かが、そうつぶやいた。
その言葉を受けて、当代の勇者、シルナが本棚の方へと目を向ける。
そこには、確かに百年前の記録が、その痕跡が残されていた。
「左詰めだよ、シルナ」
「うん。私も、そう思ってたよ、リト」
シルナが震える指で、棚の本を並べ替えていく。
左から順番に、勇者は本をこの様に並び替え終えた。
だが、『愕然、Eを消されてゴーレムは死んだ』、『ああ、愛しの君へセイレーンの歌声を』と『機織りの天才、アラクネから学ぶこと百選』の三冊は、あえて棚から抜き出している。
結果として棚の中に残ったのは、左から順に、この三冊だった。
『エキドナに学ぶ大家族の生き方』
『ルビーよりも赤い瞳の魔族(君)に口づけを』
『ニンフと踊りはご用心』
その頭文字を読めば、こうなる。
エルニ。
百年前、この魔王城に踏み込み、魔王ザへキースへ重傷を負わせた、勇者の名前だった。
ずんっ、と、体全体が沈んだような感覚を得る。
事実、魔王城が上下に大きく揺れた。
「何だい? 地震かい?」
「まさか。防御壁が張ってあるこの城が、地震ごときで揺れるはずあるまい」
シェルサの言葉を、ヴルボが否定する。
確かに周りの濁流の影響すら感じさせない魔王城が、地震ごときでこれ程揺れるはずがない。
だから魔王城が揺れているのは、魔王城の外に原因があるのではなかった。
この揺れは、魔王城自体が揺れたことで起こっている。
「見てくだせぇ! 書庫の棚が、動いてやす!」
ズリモスの言う通り、元の位置に戻したはずの棚が、まるで自分の意思を持っているかのように動いていく。
だが、その動きには統一感がない。
上に並んでいた棚が下に動き、下に並んでいた棚が横へずれ、その隣に立っていた本棚は、上下に分離して明後日の方向へと向かっていく。
完全な無秩序のように動くそれらは、しかし徐々にあるものを浮かび上がらせてきた。
空間だ。
本棚が分離し、移動することで、今までそんな余白は書庫になかったと思っていた部分が、徐々に出来上がってきたのだ。
「何が起こっているのか、リトにはわかる?」
「本棚を動かしているのは、魔法的な仕掛けだね。でも、書庫に元々存在していた空きスペースを気づかせないようにしていたのは、目の錯覚を起こさせるように本棚と、そして本が並べられていたためだよ。騙し絵を、書庫全体で行っている様なものだね」
シルナにそう答えている間に、今まで床だと思っていた部分が浮き上がり、本棚が垂直に飛び出してくる。
今まで床だと思っていた所は本棚で出来ていたようで、そして今の本棚は何かに操られるように書庫を飛び回っている。
床だった本棚もその例に漏れず、全く別の場所へと移動した。
そして、床から飛び出してきた本棚は、一つではない。
十や二十じゃ足りない程の本棚が浮き上がり、時にはバラバラになり、時には四分の一の大きさになったものが、元の場所へと戻っていく。
しかし、床からそれだけの数の本棚が飛び出してくれば、当然あるものが出現することになった。
穴だ。
床としての役割を持っていた本棚が別の場所に移動したのだから、床がなくなり、更に底が出来上がるのは、ある意味必然というものだろう。
そして小分けにされた本棚が、その穴の中に戻り、段差を作っていけば、当然あるものが出来上がることになる。
そう、それはまるで、山に降り積もった雪が溶けて川となる様に。
僕らの前には、下の階へと続く本棚で出来た階段が、一本道が、当たり前のように出来上がっていた。
「ま、まさか、わたくし達の城に、こんな仕掛けがあっただなんて……」
「魔王への思い入れがあった分城の最上階から魔族は足を遠ざけて、そして百年前に争った勇者を思い出したくもないという気持ちがあったから、気付けなかったんだろうさね」
「でも、これで、見つけた。魔王への、手がかり」
ヴォッセがそう言って、左手で盾を握り直す。
彼の言葉に、ズリモスが嫌らしく笑った。
「さてさて、ここからオレ達は下に降りる以外に進める道はなさそぉですが、ドラキュラを殺した犯人は、まーだ名乗りを上げないみたいですねぇ」
「今行動したとて、自分が犯人だと自白するようなものじゃろう」
「でも、それなら階段を降りる時が一番危ないんじゃないかしら? もし犯人が最後尾になったのなら、全員まとめて後ろから狙われる、っていう可能性だってあるわよ?」
「それを言うなら、先頭に立つ奴も怪しいさね。この階段の下に何があるかはわからないけど、魔王への手がかりを握りつぶされたら、そこで私達は永遠に魔王にたどり着くことが出来なくなる」
「逆にオレ達も危ないんじゃないですかい? シェルサ姉さん。もしこの下に、百年間隠れ続けてきた魔王がいるのであれば、人間を見た魔王がオレ達を攻撃する可能性だって十分ありやす。そうなると、こっちの命も危ないでさぁ」
「オデが、先頭、いく。オデなら、一撃は、耐えられる」
「……確かに、ヴォッセなら大丈夫かもしれないけど」
シルナのその言葉に、ナウルフルが猛反対した。
「何を言ってますの? もし魔王様がいらっしゃるのであれば、最初にお目通りをするのは、百年ぶりに再会するわたくし達魔族以外におりませんでしょう?」
「お主ならそう言うと思っておったが、それを言えば人間達からは、ザへキース様と先に合流して勇者達に反撃する気なのでは? と反論されるのが落ちじゃぞ?」
「それに、その、ひとっことも喋ってない、ダークエルフの容疑も晴れたわけじゃねぇんですぜ? 魔王への手がかりを独り占めして、タイミングを見計らってオレ達を殺そうとしているのかもしえねぇ」
「かといって、その理屈で言えばダークエルフを最後尾にすることは出来ないさね。私達が階段を降りている間に、背中から攻撃されるかもしれないんだからね」
「では、どうやってこの階段を降りるというのかね? 降りる順番が決まらないのであれば、降りるに降りれんじゃろうて」
「……なら、私が一番最後に階段を降ります」
そう言って手を上げたのは、シルナだった。
「勇者である私が、魔王と相対したいと考えることに否定的な人はいませんよね? 魔王と会って、今後どうするのかはまだ決めきれていません。でも、だからこそ、魔王と会えない状況を作るというのは、私にとって望ましい状況ではありません。だから、私が皆さんを裏切る可能性は低いと信じていただけませんか?」
「しかしその理屈じゃと、もう二度と魔王様を見つけれないようにするのであれば、お主を悩ましとる問題自体を解消出来ると思うんじゃが? つまり、魔王様と会ってどうするのか悩んでいるのなら、そもそもザへキース様への手がかりを消すことで、永遠にあのお方に会えないようにする。それならば、魔王様と会った時の事を考える必要はない」
「でもそうなると、魔王を殺すと私が決意した時、それを実現するのが不可能になってしまいます。それは、勇者としてありえません。討ち滅ぼすべきだと判断したのであれば、そうします。だって、私は勇者だから」
その言葉に、ヴルボは目を細めた。
だが特に、追加での反論はなさそうだ。
それを確認すると、シルナは更に口を開く。
「もしこの下に魔王がいるのであれば、勇者の私と会えば必ず戦闘になります。でも最後尾なら、少しだけだけど私が悩む時間を確保できますよね? ほんの少し、ですけど」
「オレもシルナ様が殿を務めてくださるのであれば、安心でさぁ。魔族がくだらねぇ嘘をついても、シルナ様が背後から攻撃してくださるのであれば、簡単に制圧出来やすし」
「ちょっと待ってよ。その理屈なら、魔王様への手がかりを見つけたから、もうわたくし達は不要だと、下に降りている途中に攻撃される可能性もあるのではなくって?」
「もし本当にそう思っているのなら、もう殺ってますよ。今ここで」
シルナの言葉で、ナウルフルは黙り込む。
それを確認してから、シェルサが手を挙げた。
「それなら、私はシルナと一緒に行動するさ。目端の利く私がついていた方が、降りている途中に何が起こっているのか把握しやすいしね」
弓兵のその言葉を聞き、モックスも手を挙げる。
「……」
「確かに、吾輩達の中で一番疑われているお主は、身の潔白を証明するためにも勇者の近くにいたほうがいいじゃろう。どれ、そういう事であれば、吾輩もモックスの近くにいることにするかのう」
「ちょっと、ヴルボ! 魔王ザへキース様との再会は、どうするのよ?」
「なぁに、百年お会いできんかったんじゃ。ほおんのちーっとばかし時間が遅れたとしても、誤差じゃろ誤差。それに、まだこの下にザへキース様がいらっしゃるとは、決まったわけではないからの。あまり欲をかいても、足元を救われるだけじゃろうて」
「……あぁ、もう、しょうがないわね! それなら、わたくしもあなた達と一緒に下に降りるといたしますわ。もし魔王様がいらっしゃったのなら、わたくし一人だけが他を押しのけて降りてきたみたいで、はしたないですもの」
「既にもう、ずいぶんとはしたない状況だったと思うがのう」
「う、うるさいですわね!」
「それじゃ、なんだ? 結局、ヴォッセが先頭でいい、ってことですかねぇ?」
「いや、ちょっと待ってもらえないかな?」
そう言って僕は、ズリモスの言葉を止める。
「先頭は、僕がいかせてもらいたいんだ」
「リト先生が、ですかい?」
「理由、聞きたい」
ヴォッセの言葉に、僕は頷く。
「単純に、どちらが人間側にとって安全なのか? っていう話さ。最後尾の方から降りる順番が決まっていったから、少し整理しようか」
そう言って僕は、上空に八つの光の玉を浮かび上がらせる。
「一番左が先頭で、一番右側が最後尾だ。今までの会話で、一番右の玉がシルナになったよね」
「うん、そうだよ、リト」
シルナの言葉に反応するように、一番右側の玉が赤く点灯する。
それを見て、シェルサが口を開いた。
「それなら右から二番目、左から七番目が私さね」
「そうだね。そして右から三番目がモックスになった。身の潔白を証明するために、シルナ達に近い位置になったんだよね」
僕の言葉に反応するように、二つ分の球体が青色に点灯する。
「そしてモックスの前には、ナウルフルとヴルボが――」
「ちょっと! わたくしの方を先頭に近い方にしてくださいませ! もし魔王様がいらっしゃるのでしたら、少しでも早くお会いしたいですわっ!」
「……吾輩は、どちらでも構わんぞ」
「では、左から四番目がナウルフルで、五番目がヴルボという事で」
苦笑いをしながら、僕はナウルフルをオレンジ色、ヴルボを緑色として、球体に色をつけた。
結果として八つの光の玉は左側、つまり先頭から三つが何の変化もさせていない球体となる。
その隣に、オレンジ色、緑色、二つの青色に、最後が赤色の玉が順に並ぶこととなった。
それを見て、ズリモスが口を開く。
「この順番なら、別にオレ達はどんな並びでもいいんじゃないですかい? むしろ、魔王がいた場合に備えて、先頭である一番左側の球体の位置にヴォッセを置くのがいいと思うんですがねぇ」
「本当に、そう思うかい? もし下の階に魔王がいるのなら、僕とズリモスは魔王の攻撃を盾で受け止めるヴォッセと、ナウルフルの間に閉じ込められる事になっちゃうよ?」
「きょ、挟撃されるって、リト先生はそう言いたいんですかい? でも、もし戦闘になっても最後尾にはシルナ様にシェルサ姉さんが――」
「忘れてないかい? 二人の前にはダークエルフのモックスと、そしてドラゴンのヴルボがいるんだよ? シルナ達の攻撃をナウルフルへ届かせるには、モックスとヴルボを殺した後になる。つまり、時間差が生まれる事になるのさ」
そう言って僕は、緑色の球体と二つの青色の球体、そのより左側に近い球体を点滅させた。
「僕らが手を組んで魔王を探しているけど、その手が組まれているのは魔王を見つける所まで。だから、魔王がいるとわかった時点で、僕らは敵同士に戻る事になる。シルナはまだ悩んでいるみたいだけど、四天王達の方針は、一貫していると思うけどな」
それはつまり、魔王との再会。
そして、魔王の生存だ。
「だから、魔王がいるとわかれば、彼らは遠慮なく僕らに攻撃してくる。もちろん一対一ならこちらが勝てる状況だけど、シェルサが言っていた通り、それはあくまでタイマンを張れる時だけさ。背後から狙われたら、流石に無傷じゃいられないよ」
「でも、そんな事をしたって、奴らはシルナ様達に殺されるのには変わりねぇんですぜ?」
「それでもいいんだよ。少しでも勇者パーティーの戦力を削れば、魔王の生存率が上がるから。シルナも言っていたでしょ? 勇者と魔王が会えば、絶対に戦闘になる、って」
四天王の方へ視線を向けるが、彼らからは特に反論はない。
嘘をついたとしても、シルナにバレてしまうからだろう。
……ナウルフルが最初にこだわっていた先頭になるのを簡単に諦めたから、そんな魂胆なんだろうって思ってたけど。
そう思いながら、僕は肩を竦める。
「そこで、さっき僕が言った話に戻る。つまり、『単純に、どちらが人間側にとって安全なのか?』っていう話にね」
そう言って僕は、ズリモスへ視線を向ける。
「魔王が下の階にいた場合、ヴォッセなら一撃は耐えられる。でもその間に、僕かズリモスはナウルフルから攻撃を受けることになるよ。そしてその状態で魔王の二撃目が来たら、僕ら三人はどうなると思う?」
「……全滅しやすね。あ、だったら、シルナ様が先頭になれば――」
「結局、同じなんだよ。下に魔王がいる、という状況なら、隊列をどう組み替えたとしても、殆どのパターンで人間側の誰かが魔族と魔族に挟まれる状態になるんだ。唯一挟撃されないのは先頭三人を四天王三人で固める場合だけど、そうなると今度は魔王と合流した彼らの攻撃を受けることになる。そっちの方が、受けるダメージは大きそうだよね」
「……だったら、リト先生はどういう隊列が一番いいと思うんです?」
「それはもちろん、人間側に一番被害が少ない方法だよ。つまり、僕が先頭に立ち、二番目にズリモス、三番目がヴォッセ、という順番だね」
そう言って僕は、空に浮かべていた球体に色を付ける。
一番左を紫色、二番目が灰色、そして三番目に金色を付けた。
「魔王の一撃に耐えられるヴォッセは、当然四天王達の攻撃も受け止めることが出来る。だからナウルフルの攻撃を、ヴォッセに受け止めてもらうんだ」
そう言うと金色の球体と、オレンジ色の球体が点滅した。
「ヴォッセが攻撃を受け止めれば、二番目の灰色(ズリモス)はダメージを受けることはない。そしてその間にシルナがナウルフル達を倒して、皆で合流することが出来る」
今度は灰色と金色の球体が点滅。そしてオレンジと緑、その緑の隣の青色の球体が黒色になる。
「ね? こうすれば、残りの四天王達を封殺できるでしょ?」
「で、でもそれだと、リト先生が一番最初に魔王と相対する事になるじゃねぇですか!」
そう言ってズリモスは、紫色の球体を指さした。
「そんなの、わざわざ魔王に殺してくれ、って言ってるようなもんでさぁ。自殺行為ですぜ!」
「それなら、ズリモスが先頭になるかい?」
「……え?」
「言ったでしょ? 『どちらが』安全なのか? って。ズリモスは、魔王と相対して一人で生き残れるかい?」
「そんなもの、答えるまでもねぇですぜ」
「そうだね。人には、向き不向きがある。僕には確かにヴォッセの様な高い防御力はないよ? でもその代わり、魔法が使えるんだ」
「それで、魔王の攻撃を防ごうっていうんですかい? そりゃ無茶ってもんでさぁ」
「でも僕は、致命傷を負わなければ、回復魔法でどうにかなるかもしれない。だから、僕とズリモス、どちらが先頭になった方が安全なのか? という問いには、僕が先頭になった方が安全だ、っていう答えになるんだよ」
「リトは、それでいいんだね?」
シルナにそう言われて、僕は頷く。
「もちろん。それに、まだ下の階に魔王がいると決まったわけじゃないからね。誰もいなければ、そもそも誰も被害は出ないはずさ。クルトレスを殺した犯人が、何かしない限りは、ね」
「……うん、そうだね。わかった。それじゃあ、それで行こう」
勇者の言葉を合図に、僕らは先程決めた順番で階段を降りていく。
先頭から順に、僕、ズリモス、ヴォッセ、ナウルフル、ヴルボ、モックス、シェルサに、そしてシルナの足音が、階段の外壁に反響した。
階段は元々が棚だったからか、木の板を踏んだ時の様に、ギシギシと音がする。
ゆるい螺旋を描くような階段の壁には、薄っすらとした明かりが灯っていた。
それを見て、後ろを歩くズリモスが口を開く。
「こいつは、『蛍光石』みてぇだな」
「蛍光、石?」
首を傾げるヴォッセに対して、ズリモスは呆れたように口を開く。
「おめぇは本当に何の学もねぇ木偶の坊だな。『蛍光石』ってーのは、簡単にいやぁ、光る石の事だ」
「なんで、光る?」
「ちったぁそのスッカスカな頭で考えろよ。魔力だよ、ま・りょ・く。といっても、魔法の媒体に使えるほど強い魔力を含んでるわけじゃねぇ。だから少しでも欠けたら、簡単に光らなくなっちまう。だが逆に言えば、割れなければずーっと光りっぱなしってわけさ。明かりの強さは見ての通り、そんなに強くはねぇけどな」
「道しるべに、便利」
「まぁな。こーゆー所に蝋燭置いてたって、入れ替えるのも面倒だしよ。ズボラなてめぇみてぇな奴とは、相性がいいんだろうさ。おっと、お前をズボラというと、ズボラな奴に失礼か。お前はオレがいないと何にも出来ねぇ、ズボラ以下だからよ!」
それから暫くの間、僕達は階段を降りることになる。
段数的には既に魔王城の地下へと到達しただろう、という頃合いで、階段の終わりが見えてきた。
階段と同じく斜めに並んでいた『蛍光石』も、今では水平に並んでいる。
そしてその先に、大きな扉の姿があった。
それを見て僕は、ヴォッセへと振り返る。
「それじゃあ予定通り、僕が先に見てくるね。何かあったら、ズリモスを守ってあげて」
「リト先生、気を付けてくだせぇ」
その言葉を背に受けて、僕は扉のドアノブへと手を伸ばす。
扉を開けると、空気の動きで埃が舞った。
そしてすぐにカビ臭さが、鼻腔を刺激する事になるだろう。
扉を開けただけなのに、この部屋は長らく使われていなかったのだと推測するには、十分すぎる証拠が揃っていた。
中に入ると、想定通り部屋には誰の姿もない。
しかし不思議と、光は灯っていた。
この部屋の壁にも、『蛍光石』が埋め込まれていたのだ。
そんな、小さな講堂ぐらいの大きさの部屋には、あるものが置かれている。
それは――
……あれは、棺だ。
部屋の中央に、上質な木目の巨大な棺が横たわっている。
『蛍光石』の淡い光に照らされたそれは、海の中に沈んで決して顧みられる事もなくなった、沈没船の様にも見えた。
そしてその棺の上にも、白い埃が溜まっている。
部屋の様子をじっくり観察した後、僕は後ろへ振り返った。
「入ってください。どうやらこの部屋も、長らく使われていなかったみたいです」
他の七人を、僕は部屋の中へと案内する。
彼らの様子をつぶさに見ていると、部屋の中に入った人から、横たわる棺の姿を見て息を呑むのがわかった。
特に四天王三人は、明らかに狼狽していた。
「な、なんという事じゃ。あの棺は、あの大きさは、もしや――」
「やめて、ヴルボ! 縁起でもない!」
「……」
他の二人の仲間の声を聞きながら、モックスは震える手で自分の口を元を隠す布を握っている。
そんな彼らに向かって、僕は口を開いた。
「あの棺は、間違いなく魔王が作ったものです」
「っ! どうしてそんな事が言いきれるのよ!」
「状況証拠からも、明らかじゃないですか。四天王も知らなかった隠し階段。その先にある部屋に、置かれた棺。魔王以外に、あれを一体誰が作れたというんです?」
「なら、魔王はもう死んでいるのかい?」
「それはないよ、シェルサ。だって、私が生まれてるんだもの」
そう言って、勇者シルナは当たりを見渡す。
「それに、『尽忠の紋章』も残ってる」
「そ、そうじゃ! あれがある限り、ザへキース様がまだこの世にいらっしゃるのは確実!」
「でも、そうしたらこの棺は、一体何のためにここに?」
「開けてみようよ、それ。きっと、魔王へ繋がるヒントがあるはずだよ」
ナウルフルの疑問の答えを知るために、シルナはハッキリとした口調でそう言った。
「し、しかしのう」
だがヴルボは、魔王の作った棺を開けるのに及び腰のようだ。
その姿は、箱の中身を確定させるのを恐れている科学者の様でもあった。
それはまるで、蓋を開けさえしなければ、自分にとって不都合な事実が確定しないと、悪あがきをしているようでもある。
だがしかし、それはただ見えないだけで、箱の中で何が起こっているのかは、既に決定されているのだ。
それは海の水位が長年変わらないように見えたとしても、毎年確実に山から海へ雪解け水が流れ込んでいるのと同じ様に、確実なことだった。
「僕も手伝うよ、シルナ」
「私も手伝うわ」
「オレも」
「オデも」
「……」
結局人間側六人とモックスの合計七人で、ゆっくりと棺の蓋を開けていく。
蓋に積もった埃がこぼれて、白い煙がたなびいた。
その煙が空へと舞い上がる魂のように錯覚したのは、きっと僕らが手にしているもののせいだろう。
そして、その煙が消え去る前に、棺の蓋が取り払われる。
棺の中に入っていたのは。
ただの、闇だった。
「空、ってこと?」
「何も入っていないさね」
シルナとシェルサが、困惑げな表情を浮かべる。
ズリモスも同じ様な表情で、ヴォッセは兜のせいで表情がわからない。
一方、四天王三人は、露骨に安堵の表情を浮かべていた。
「あ、ああ、『尽忠の紋章』でわかっていたことじゃが、改めてあの方の存命を信じることが出来る」
「……全く、人騒がせなんだから。煽ってわたくしを驚かさないでくださいまし!」
「とりあえず、部屋の中を捜索しましょう」
「そうだね、リト。魔王へ繋がるヒントが、絶対あるはずだよ」
勇者の言葉で、皆が思い思いに行動を開始する。
僕はそれを、部屋の入口付近で眺めていた。
その中で一番人が集まっていたのは、やはりあの棺だ。
シルナは手先が器用なズリモスを呼んで、棺の蓋に何か仕掛けがないか調べている。
蓋を取られた棺を調べているのは、あの四天王三人組だ。
ヴルボが尻尾でそれを持ち上げて、モックスが板を手で触りながら確認し、そんな彼らへナウルフルが口やかましく指示を出していた。
……調べるのに夢中になってて、他の事に目を向ける余裕がなさそうだな。
残りの二人、ヴォッセとシェルサは棺の調査には加わっていない。
ヴォッセは棺の近くにいるものの、壁の方へと目を向けている。
一方シェルサはそこから少し離れた位置で、部屋全体を見渡していた。
そして少し歩いた所で、彼女は何かに気づいたのか、その場で急にしゃがみ込む。
「リト。悪いんだけど、もう少し強い明かりを付けて――」
シェルサの言葉が、破砕音で遮られる。
聞こえてきたのは、何かが砕かれるような音。それが連続して部屋中に響き渡る。
そして、起こったのはそれだけではない。
部屋の明かりが、全て消えたのだ。
……壁に埋め込まれていた『蛍光石』を、全部砕かれたのか!
そう思うのと同時に、何か重たいものが地面に落下する音が聞こえてくる。
シルナとズリモスの悲鳴が聞こえ、何かがひしゃげ、砕ける様な音がした。
そして、何か液体の様なものが、辺りに飛び散った様な音も。
僕はすぐに、魔法で部屋に明かりを灯す。
『蛍光石』よりも強い光が、部屋の中を満たした。
そしてその光が、この部屋で何が起こった現実を、僕らの眼の前にまざまざと見せつける。
僕が生んだ魔法で白日の下に晒された現実は。
シェルサが殺されているという、悪夢の光景だった。