魔王の消えた魔王城で   作:メグリくくる

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○第四章

 死体の中でも目を引くのは、ドラゴンのヴルボのものだった。

 ズリモスがそもそも僕よりも小柄という事もあるのだけれど、体の大きい死体の方がどうしても目立つ。

 それに、体が大きいということは、それだけその体に血が流れているということだ。

 見張り台に入った時に強烈に感じた血の匂いは、その体から大量の血が流れ出ていた事が理由だろう。

 それを示すように、ヴルボの首からは、まだ血が流れている。

 上に乗ったズリモスの死体が、もっと血を流せるだろうと、ヴルボの死体を圧迫しているかのようにも見えた。

 体重が軽いであろうズリモスを見てそう思うのは、彼の体がドラゴンの傷跡、致命傷付近に倒れているからかもしれない。

 首筋だ。

 ヴルボは今までの死体、クルトレスやシェルサとは死因が違う。

 撲殺ではない。

 首が、掻っ切られているのだ。

 深々と切り裂かれ、ヴルボの首からはまだ血が滲み出している。

 雨が降った後、山の岩と岩の間からちょろちょろと流れ出る、泥水みたいだ。

 その、泥水のようなドラゴンの血は、ズリモスの死体の左足を濡らしていた。

 冒険家は、ドラゴンの首の部分に覆いかぶさるような形で事切れている。

 彼が肩からかけている鞄の口は、持ち主の死体が口を半開きにしているのと同じ様に開いていた。

 そのズリモスの後頭部は陥没しており、白い頭蓋骨と桃色の脳みそが飛び出しているのが見える。

 ……こっちは、撲殺か。

 殺され方としては、クルトレスの時と同じ様に見える。

 ヴルボの血で血溜まりというより血の沼みたいな床を歩き、僕は二つの死体に近づいていった。

 だが、その周りにはズリモスを殴り殺したような凶器を見つけることは出来ない。

 二人が丁度重なった所に立って、見張り台の中を一周するように見渡してみる。

 すると、ヴルボの首に残った傷跡に、その首に乗っているズリモスを一直線で結んだ方向に、あるものが見えた。

 それは――

 ……外から見えた、見張り台の小窓、か。

 その開けられた小窓には、大量の水飛沫が浴びせられている。

 それが原因で、そこから水が見張り台の中にも流れ込んでいた。

 それは血の沼にも一部混ざって見張り台の入口からも流れ出ており、仮に犯人の足が血で汚れていたとしても、足跡は洗い流されてしまっているだろう。

 ……防御壁がまだ安定していれば、何か証拠が掴めたかもしれないのに。

 と、そこで僕の足が何かに当たる。

 沼の様な血で見えづらかったが、そこになにかあるようだ。

 拾い上げると、それはどうやら刃物の様に見えた。

 魔法で水を生み出し、その血をすすいでやる。

 するとそれは、ズリモスが使っていたナイフだという事がわかった。

 ……どうしてズリモスのナイフが、こんな所に?

 もしや、と思い、僕はそれをヴルボの首へと、深々と切り裂かれた傷跡へと持っていく。

 しかし――

 ……駄目だ。このナイフの刃渡りじゃ、ヴルボの首をこんなに深々と傷つけることは出来ない。

 ズリモスがヴルボを殺害した可能性も一瞬考えたが、彼のナイフはドラゴンの死因と一致しなかった。

 そして改めて二人の死体を前に、僕は考え込む。

 ……ズリモスは、どうしてヴルボの死体の上に乗って死んでいるんだろう?

 そう思ったのは、ズリモスの足が左足しか血で濡れていないからだ。

 自分の足元を見ると、僕の両足はドラゴンの血で濡れている。

 もしズリモスが歩いてヴルボの死体に近づいたのであれば、僕と同じく両足に血がついていないとおかしい。

 ……シルナは、犯人がズリモスを殺して、その後にヴルボを殺した、っていう順番を考えていたけれど。

 もしその順番で二人が殺されたのであれば、犯人はヴルボを殺した後、先に殺したズリモスの死体をドラゴンの上に置いたことになる。

 ズリモスを殺したところをヴルボに見られ、やむなくヴルボを殺したというのであれば、そんな不合理な事をする必要がまったくない。

 ……放っておけばズリモスとヴルボの死体は濁流に流されるのに、どうして二人の死体は見張り台に集められていて、そして何故重なり合っていたんだろう?

 ナウルフルの話だけではわからないことが多く、シルナの静止を振り切って現場に来てみたが、情報が増えた結果謎も深まってしまった。

 でも、この事件を引き起こした容疑者は限られている。

 この魔王城で狼藉を働いた人物は、僕らの中に確実にいるのだ。

 ……何か、見落としているはずだ。この物語の本当の結末に至るために必要な、何かを。

 焦燥感に責め立てられるが、どうやら脇役の僕には時間は味方してくれないらしい。

 視界がぶれ、全身が大きく傾くぐらいの揺れが、見張り台を襲う。

 もう、防御壁が崩れるのだ。

 それはつまり、魔王城の崩壊を意味している。

 荒れ狂う濁流に飲まれて、この城は崩れ去ってしまうだろう。

 この城に残った謎と、僕自身も一緒に巻き込んで。

 ……もう、ここまでなのか?

 諦めという文字が、脳裏にどんどんと溢れてくる。

 それと同時に見張り台の外壁が崩れ、小窓の硝子も割れて粉々になった。

 四散したそれらは流れ込んでくる水と混じり合い、木材や石、そして切れた縄もごちゃまぜにして、巨大な龍の様に僕に迫ってくる。

 ……ここまで来たのに。やっぱり僕じゃ、無理なのか? たどり着けないのか? この物語の、結末に。

 水が僕を飲み込む前に、足元の床が完全に崩壊した。

 ズリモスとヴルボの死体が、重なり合って僕の視界から消えていく。

 ……それなら僕は、一体何のために、魔王城までやってきたんだ?

 彼らが流した鮮血が、血の雨の様に下へ降っていくが、それもすぐに大量の水に飲まれて消えていった。

 そして、それを見ていた僕も、なすすべもなく重力に引っ張られるように落ちていく。

 ……でも、元々僕には無理だったのかもしれない。脇役の僕なんかが、フィナーレを迎えることが出来るはずなかったんだ。

 落下する僕の体を、ついに龍の様な奔流が捉えた。

 渦を巻くような水の流れに引きずられ、錐揉みしながら落ちていく。

 そしてそのまま自分の中に残っていた希望と意識を、僕は手放そうとした。

 その時――

 

「リトっ!」

 

 全身を、巨大な樹の幹で殴りつけられたような衝撃が走った。

 ともすればそれだけで死んでしまいかねない様な、そんな衝撃。

 それを僕に見舞ったのは、死と諦めの境地から僕を救ったのは、やはりこの人物しかいないだろう。

 こちらを脇から抱える彼女に向かって、僕は口を開いた。

「……やっぱり、この物語の主人公は君だよ。シルナ」

「いいから、喋る前に回復魔法で自分を治療して!」

「それよりも魔法が使える状態なのでしたら、一瞬でもいいから川の水をどうにかしてくださりませんこと? このままだとわたくし達、本当に巻き込まれて死にますわよ!」

 見ればシルナは、ナウルフルの背にまたがっていた。

 グリフォンの力を借りて、勇者は僕を助けに来てくれたのだ。

 だが、それで窮地を脱したわけではない。

 今もまた濁流に押し崩され、魔王城の最上階が崩れてくる所だった。

 外壁が崩れて岩の様な瓦礫となり、その瓦礫同士がぶつかって礫の様な雨が降る。

 更に相変わらず激流も頭上から降ってきて、それらのどれかに当たっただけでも、僕らは一瞬で木っ端微塵になってしまいそうだ。

 それでも。

 そんな中でも、彼女達は僕を見捨てずに助けに来てくれた。

 その僕らの頭上に、かつて書庫だった部屋そのものが降り注いでくる。

 それでも。

 ……僕もまだまだ、足掻かないと。

「物語の結末を、見届けるんだ。彼女と一緒に!」

 僕は手を伸ばし、魔法で爆炎を放つ。

 書庫だったそれは火炎とぶつかり、爆散。

 本は燃え、本棚は燃え、そして岩をが燃えて、散らばっていく。

 だが散らばせたが故に、小さな破片はどうしても生まれてしまう。

 拳よりも大きな瓦礫が燃え上がりながら、僕らの方へと向かってきた。

 そしてそれと同時に、前方から水柱が上がる。

 まるで、刺突が繰り出されたかのように、それはこちらに向かってきた。

 その柱に触れた瞬間、木材は散り散りになり、岩は砕けて石に、そして石も砕かれて砂になった。

 生物が触れれば、一瞬にして血の花火に変えられてしまうだろう。

 頭上からは炎の礫が、前方からは水の激流が迫ってくる。

「ちょっと! 流石のわたくしでも全ては避けられませんわよ!」

「リトは水柱の方をお願いできる? 私は上を!」

「わかった!」

 そう言っている最中に、業火の雨が僕らに降り注いだ。

 それら全てを、勇者は手にした剣で切り結ぶ。

 炎と剣がぶつかり合い、火花が散って新たな炎を生んだ。

 その煌めきが戦乙女の如きシルナの顔を照らすよりも前に、彼女は斬撃を放って火花を散らす。

 勇者の強い意志を更に燃え上がらせるように、それらの炎は彼女の瞳を輝かせた。

「ちょっと! もう少し上手く弾いてくださらない? わたくしの羽が焦げて――」

「ちょっと黙ってて、ナウルフル!」

 僕はそう言い放つよりも早く、魔法を展開。

 触れたもの全てを凍らせる、凍てつく吹雪を生み出した。

 それらは大気に浮かぶ全てのものを氷結させながら、狼が獲物に噛みつくがごとく水柱に絡みつく。

 しかし、触れたものを凍らせる吹雪であっても、凍った直後にその場所を割って新たな水が吹き出すのでは、いたちごっこだ。

 膨大な量、そして猛烈な勢いのある水の流れは、凍らせたら凍らせた分そこから染み出して、まるで積雪の内側から花が咲いてくるかのように新たな水柱という花びらを咲き乱らせる。

「ちょっと! 全然止められてませんわよ!」

「こっちに迫るスピードは落としたんだから、後はなんとか避けてください!」

「っ! 結局わたくし頼みですのね!」

 ナウルフルが叫び、体を左方向へ、水平にせんばかりに倒す。

 当然僕らの視界も傾くが、それでシルナは剣を振るうのを辞めず、僕も魔法を発動し続けるのをやめはしなかった。

 相変わらず炎の礫が頭上から降り注ぎ、前方から迫る水柱は完全に止められない。

 それでも僕らは自分に出来ることを、ただ全力でやり続けてきた。

 だがそれでも、脅威は相変わらず僕らに襲いかかってくる。

 魔王城が更に崩れ、四階の壁面がそのままこちらに倒れてきた。

 どう考えても、シルナの剣だけで防ぎようがない。

 それなら僕の魔法はどうかというと、それも対応出来なかった。

 何故なら相変わらず水柱はこちらに迫り、少しでも意識を逸らせば一瞬であれに貫かれて僕らは死んでしまう。

 更に言うと、今の僕が全力で対応しても、その勢いが止まらなくなってきた。

 氷を割って生まれる水柱が、僕らへと肉薄する。

 躱せるか躱せないかは、五分五分と言ったところだ。

 それでも僕らは、前に進むしかない。

 

「いっけぇぇぇえええっ!」

 

 それは果たして、誰の言葉だったのだろうか?

 シルナだったのか、僕だったのか、はたまたナウルフルのものだったのかは、わからない。

 だが結論として、僕らはどうにか水柱の奔流を、左下に避けることが出来たのだった。

 水柱は相変わらず勢いを止めることなく、僕に凍らせてもそこを割って更に水が吹き出してくる。

 そんな激流に、頭上から降ってきた魔王城の外壁がぶつかった。

 轟音にして、騒音。激音にして爆音が、僕らの鼓膜を容赦なく襲う。

 粉塵どころか砂塵に炭塵が舞い上がり、土煙に燻煙と水煙が吹き上がる。

 僕のローブはボロボロで、シルナの頬も傷だらけ。

 ナウルフルの羽に至っては、僕が魔法で倒した時よりも、酷い有り様となっていた。

 しかし、それでも。

 僕達はなんとか、崩壊する魔王城から脱出することが出来たのだった。

 ナウルフルが空高く舞い上がり、そこから魔王城を見下ろす。

 かの城は、かつて自然の要塞の役目を果たしてくれていた川に、容赦なく蹂躙されていた。

 濁流は獲物に絡みつく蛇の如く、とぐろを巻きながら城を崩していく。

 激流が全てを飲み込む前に、ナウルフルはそこから顔をそらした。

「そろそろ、行きますわよ」

「ヴォッセは、どこに?」

「もう少し進むと、川の側に平地がありますの。そちらでモックスと待っておりますわ」

 疑問に答えてくれたナウルフルに頷いて、僕らは彼らが待っている平地へと向かっていく。

 そして暫くも飛びもせずに、その平地が見えてきた。

 周りは木々が生い茂っているので、空からだと平地というだけで見つけやすい。

 待ち合わせ場所としては最適だろうが、川の側ということで地盤は弱そうではあった。

「モックス、只今戻りましたわ」

「ヴォッセもおまたせ」

 ナウルフルとシルナの言葉に、二人は無言で手を振ってくる。

 グリフォンに平地へ降ろされると、僕は少し緊張した面持ちで、皆を見回した。

 そんな中、モックスがナウルフルの方へと近づいていく。

「……」

「残念ながら、魔王ザへキース様のお姿は見当たりませんでしたわ。先に城を出ていたあなたも、魔王様は見ておりませんのよね?」

「……」

「そんな悲しそうな顔をなさらないでくださいませ。悲しいのは、わたくしも同じですわ。でも、あのお方がお決めになられたことなのであれば、そのお気持ちを尊重するのが配下の努めというもの。魔王城に残るという決断をなされたのであれば、魔王城と共にお逝きになる決断をなされたのであれば、わ、わたくしは……」

「……」

 涙を流すグリフォンを、ダークエルフが慰めている。

 その様子を見ていたヴォッセが、くぐもった声を発した。

「魔王、死んだのか?」

「……ええ、そうですわ」

「でも、死んだとこ、見てない」

「ですが、魔王城を脱出したのはわたくし達五人だけですわよ」

 そう言ってナウルフルは、モックス、そしてシルナに僕、そしてヴォッセへと視線を向けた。

「それとも、あなたは城から他の誰かが出ていくのをご覧になりまして?」

「……見て、ない」

「……では、そういう事です。魔王様は、愛しのザへキース様は魔王城と共に――」

「本当に、そうなのかな?」

 そう言ってナウルフルの言葉を止めたのは。

 

 勇者、シルナだった。

 

「魔王は魔王城と共に死んだ。それって、本当なのかな?」

「な、何を言い出しますの? あなたは」

 狼狽しながらも、ナウルフルはシルナを睨む。

「先ほども、申し上げたではありませんか。魔王城を脱出出来たのは、ここにいる五人だけですわ。あなたのお仲間もおっしゃっていたでしょう? わたくし達以外、魔王城を出たものはいない、と」

「うん。確かに、ヴォッセはそう言っていたね」

「でしたら、それで確定ではありませんの。魔王様は不甲斐ない四天王のわたくし達にお怒りになり、クルトレス達を殺した。ですから、魔王様は魔王城にいらっしゃったのです。死霊術を使い、百年も前から今日まで、ずっと」

「でもさ、それって、ズリモスの推理が正しかったら、の話でしょ?」

 その言葉に、ナウルフルとモックスの表情が固まる。

 けれどもグリフォンは、どうにか言葉を絞り出すことが出来た。

「さ、さっきから、な、なにをおっしゃっておりますの? ヴルボと一緒に死んでいたあの人間の推理以外、魔王城で起こった事件の説明が出来ませんわよ!」

「……うん、そうなのかもしれない」

「なら――」

「でも、私にはわかるんだ。私は、勇者だから」

 その言葉に、ナウルフルは苛立たしげに舌打ちをした。

「あなたが勇者だから、一体何だというのです? 一連の事件の真相も否定しない。それなのに、ザへキース様がお亡くなりになられた事は否定なさるのですか?」

「うん、そうだよ」

 そこで我慢の限界が来たのだろう。

 グリフォンは、最初僕らと魔王城で相対した時のように、全身を使ってシルナを威嚇する。

「とうとう気でも狂いましたの? 魔王城から脱出したのは、わたくし達五人のみ。それでも魔王様が生きていると言うのであれば、この五名の中にザへキース様がいらっしゃると、そう言っているも同然ではありませんのっ!」

 その激昂を前にして。

 シルナは、少し悲しそうな表情を浮かべて、こう言った。

「うん、そうだよ」

 あまりの怒りで、ナウルフルの顔は赤から黄色へと変色する。

 その内側に溜まった激情を吐き出すように、グリフォンは勇者へと問うた。

「でしたら、教えて下さいませんこと? 魔王様は、わたくし達魔族を束ねる唯一の存在、ザへキース様は、一体誰だというのですかっ!」

 その問いに。

 シルナは、ある人物を指さした。

 その事物とは――

「君なんだろう? 君が、魔王だ」

 

 そう言って、こちを指差す勇者を。

 僕は見つめ返す。

 

 そんな僕の前で、ナウルフルが必死になってモックスを手で押し留めていた。

「……」

「落ち着きなさい、モックス。気持ちはわかりますが、本気で殺そうとしてもあの勇者は倒せませんわ。ええ、あの魔法使いは、体の大きさも魔王様とは全く違いますもの。わたくし達のザへキース様を侮辱した行為は万死に値しますが、だからこそ無駄死はおやめなさい」

 勇者に斬りかかろうとしたダークエルフをなだめるグリフォンを見ながら、僕は苦笑いを浮かべる。

「そうだよ、シルナ。ナウルフルとモックスの反応も頷ける。よりにもよって、僕が魔王だなんて。そんなわけないでしょ?」

「……駄目だよ。言ったでしょ? 私にはわかるんだ。私は、勇者だから。それに、リトも言っていたでしょ?」

 そしてシルナは、僕が以前口にしたセリフを告げる。

 その内容は――

 

「勇者である私は、魔族からの詐称行為に耐性があるんだ。だから私には、魔族の嘘は勇者には通用しない」

 

 シルナの言葉に、ナウルフルとモックスが動きを止める。

「……まさか、反応しましたの? 魔族が嘘をついている、って」

「でも、リト、ずっと一緒に、旅、してきた」

「そ、そうですわよ。鎧の男の言う通りですわ。あなた達、魔王城までパーティーとして旅をしてきたんでしょ? それまでの間に気付きそうなものじゃありませんの!」

「うん、そうだね。だから、私も今まで気づかなかったんだ。リトは、不確かな約束は、してくれなかったから」

 ……ああ、やっぱりあの時、気づかれてしまったんだね。

 勝手にいなくなったりしないと約束した、あの時に。

 そう思っている僕の前で、シルナは目を伏せる。

「でもね? リトが魔王だっていうんなら、今まで感じてた違和感が、全部説明できちゃうんだ」

 もはや悪あがきだとわかっている。

 それでも僕は答え合わせをするように、シルナとの会話に興じる事にした。

「違和感? 例えば、どんな事?」

「うん。魔法の研究中に火傷を負ってリトは全身を隠しているっていう話だったけど、本当に火傷をしているのか、誰も君の素顔を見たことがないんだ」

「ボロボロの顔を見せれば良かったのかな? お世辞にも人様に見せれるようなものは持ち合わせていないんだけど」

「……でも、見せれないでしょ? 薬草と薬品の匂いで自分の香りを隠しているんだし」

「僕の匂いはキツくてね。何もせず、わざわざ周りの人を不快にしたいと思わないんだ」

「それなのに、私と一緒に旅をしていたの? 勇者パーティーに加わったのに、魔族を殺そうともせずに」

「魔族の毛や角は、魔法の触媒としては非常に優秀なんだよ」

「それなら、殺して奪っても良かったじゃない。それなのに、魔王城での四天王との戦いは、リトが率先して倒したよね」

「ラスボスとの大一番前だったからね。それなのに、シルナに怪我はさせれないでしょ?」

「……うん、そうだね。大一番。最終決戦とか、最後の戦いとか、リトはあの時魔王と私達が戦うって、一言も言わなかった。だから私も、あの時は嘘だってわからなかった」

「だって、嘘じゃないでしょ?」

「うん、うん、そうだね。そうだよね。だってリトは無駄な闘いを省くため、派手な魔法を使って四天王以外の魔族を魔王城の外に逃がしてたんだ。それがバレたら、不審がられちゃうもんね。うん、確かに大一番だ。しかもその後しっかりと、重傷を負って城から抜け出せないような魔族が残っているって、四天王がまだ城にいるって、嘘をつかずに私達に教えてくれていた」

 僕を魔族だと仮定して、勇者としてこちらの発言が嘘だと反応しなかった過去の会話について、シルナは検証を続けていく。

「リトは、知ってたんだよね? 四天王が二人死んだら、魔王城に張られている防御壁がなくなっちゃう、って。だからそうならないようにするために、率先して彼らを倒した。間違って私達が殺してしまったら、皆死んでしまうって知っていたから」

「でも、それって変じゃない? 僕が魔王なら、勇者である君達に死んでもらった方がいい」

「そうだね。だからリトは、そもそも僕の旅に同行しなければ良かったんだ。でも、君は同行した。ずっと離れていた、魔王城に戻ってくるために」

「ずっと、離れていた?」

「だって、王座の間が空席だったって、リト、知ってたんでしょ? 魔法を使うまでもなく、長く使っていないって言ってたじゃない」

「ちょ、ちょっと待ちなさいな!」

 ナウルフルが、僕らの会話に割って入ってくる。

「た、確かにその魔法使いが嘘をついて、勇者のあなたが反応したというのなら、そいつは魔族だって納得できますわ。でも、それだけですわよね?」

「それだけ?」

「ですから、その魔法使いが魔族だからと言って、それが魔王だという証拠にはならないじゃありませんの!」

 その言葉に、モックスも頷く。

 そして以外にも、シルナも頷いた。

「確かに、それはそうかもね」

「でしたら――」

「でもね? やっぱり、リトが魔王なんだよ」

 そして勇者は、口を開く。

 絶対的な正しさを持って、悪を捌くように。

「クルトレスが殺された後、リトは容疑者を八人だと断言した」

「……ですが、それはこういう場合も嘘だと判断されないのではなくって? 魔法使いが魔王城に魔王様がいらっしゃると知らなかった。自分が言っていることが真実だと信じて、嘘だと思っていなければ、あなたも嘘だと判断出来ないのではありませんの?」

「それはないよ。だってリトは王座の間で、『魔王は必ず、この魔王城にいるよ』って言っていた。そしてリトはシェルサが殺されたあの部屋でも、こう言い切ったんだ。『あの棺は、間違いなく魔王が作ったもの』だ、って」

「それだって、魔法使いが本気でそう思い込んでいただけかもしれませんわ!」

「でもね? さっきリトは、決定的な嘘をついたんだ。それを勇者の私は、絶対に嘘だって気づけるんだよ」

「何を、言ったというのです? そこの魔法使いは、一体どんな嘘をついたというんですのっ!」

「リトはね? さっき、こう言ったんだ」

 

『僕が魔王だなんて。そんなわけないでしょ?』

 

「それが、嘘だったんだよ」

「確かに、それは決定的だね」

 そう言って肩を竦める僕を、ナウルフルとモックスが絶句して見つめてくる。

 右手で盾を持つヴォッセはというと、僕から大きく一歩後ろへと下がった。

 この中で唯一いつも通りこちらを見つめるシルナに対して、僕は自分のフードを取って素顔を晒した。

 それを見て、誰ともしれず小さな悲鳴が漏れる。

 それは、致し方がないことだろう。

 何故なら僕は――

 いや、我は――

 

「いかにも。我が真の名前は、ザへキース。百年前に死にぞこない、死霊術で生き延びた、だったものの魔王の成れの果て。それが我の正体よ」

 

 そう言った我の声は、まるで枯れ果て、腐り落ちる直前の幹の間を吹き抜ける、風のような声色だった。

 ローブの中に絶えず漂わせていた薬がなければ、百年前の動くミイラの様な体躯から発せられる声というものは、こんなものになろうだろう。

 臭い消しのための香りも、フードを外せば効果をなくし、すぐに腐肉の死臭が漂い始めた。

 死霊術でギリギリ朽ち果てない肉体にしてはいるものの、だからこそ死の匂いを発してしまうのは致し方がないというものなのだろう。

 とはいえこの体になってから経った年月が年月だ。

 肉は削げ、骨も削れて、残せた体はこれが限界だった。

 もはや乾き切り、動かすと何かが剥がれるうような音がする眼球を動かして、我はかつて自分の配下だった二人へと視線を向ける。

「この様な生き恥を晒すのは、むしろお前らを幻滅させると正体を隠しておった。許せ」

「ま、魔王様……」

「……お会いしとうございましたっ!」

「も、モックス! あなた、言葉をっ!」

 我の前で跪くダークエルフの頭を撫でた後、勇者へと顔を向ける。

「我に、聞きたい事があるのではないか?」

「……うん、あるよ。いっぱい、いっぱいあるよ。でも、まずはこれを教えて」

 そう言ってシルナは勇者として、そしてこの物語の主人公として、物語を進めるための問を口にする。

「君は、魔王である君は、どうして勇者の私の旅に参加していたの?」

「それはな、見届けるためよ。百年前から続く、『勇者』の物語の結末を」

「百年前? それって、私の前の勇者エルニと戦った時の事?」

「そうだ。百年前、エルニは激闘の末に、我は重傷を負った」

「でも、エルニには君が勝ったんでしょ?」

「違う」

「え?」

「我は、エルニを殺してなどいない」

 その言葉に、シルナとナウルフルが騒然となる。

「ど、どういう事なの?」

「エルニを殺したのは、ザへキース様ではないのですか?」

 モックスも困惑げな表情を浮かべ、ヴォッセは先程から何も言えずに黙り込んでいる。

 それを見ながら、我は口を開く。

 百年前、この魔王城で起こったことを思い出しながら。

「シルナ。先程お前は、我が魔王城に戻ってきた、と言っていたな」

「う、うん。そうだけど」

「お前の言う通りだ。我は、戻ってきたのだ。百年前、我に打ち勝った勇者エルニを殺した、その真犯人を明らかにするためにな」

 

 ◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆◆

 

 我の振るう爪が石畳を削り、激しい火花が散る。

 その火花が宙に消え去る前に、ナイフよりも鋭利な爪を、勇者エルニに振るった。

 一つに縛った彼女の髪が逃げ遅れ、何本かがその刃の餌食となる。

 しかし肝心のエルニ本人には到達せず、彼女の振るう剣に簡単にいなされた。

 いなされた我の斬撃が、魔王城の壁に激突。

 瓦礫とともに土煙が上がるが、我と相対している勇者は涼し気な表情を浮かべている。

「うひゃー、身体能力だけでも余裕で私を殺せる力があるのに、魔法で鎌鼬を乗せるとかエグすぎでしょ」

「ほざけ! それを人の身で簡単に躱せる貴様の方が化け物だろうが!」

「えー? こんなうら若い女性相手にそれ言う? しかも魔王ザへキースに言われるとヘコむなぁ」

「死ねっ!」

 魔法で灼熱の業火を生み出すが、エルニが軽く振るった剣にかき消される。

 勇者の態度は、まるで勾配の緩やかな山を登るような気軽さだった。

 その余裕そうな態度が癪に障り、我は雷を走らせる。

「ちょっとちょっと! 城の中でそんな魔法バンバン出したら危ないでしょうが! そんなんだから他の魔族も今はキミの周りにいなんだよ!」

「我の魔法を余裕でいなす貴様の相手を配下に任せれば、いたずらに犠牲が出るだけだろうが! かくいう貴様も、他の人間を下がらせているだろうにっ!」

「魔王の相手が出来るなんて、勇者の私以外いないしね。連れてきても攻防の余波で死んじゃいそうだし。って、考えてることは同じだね、私達」

「っ!」

 話しながらの不意の三連突きが放たれて、我はギリギリの所でその切っ先を躱す。

 首筋に頬が切られて血が滲み、右耳は繋がっているのが不思議なぐらいに切り裂かれる。

 宙に我の血の花が咲くが、一歩下がった時にはもう傷は残っていない。

 魔法で即時回復し、魔法で氷の剣を作って袈裟懸けに斬りかかる。

「ちょっと、なにそれ反則じゃない? どれだけダメージ与えてもすぐに回復するなんて!」

「そもそも魔王の我に、そこまで簡単に傷を負わせれる貴様の存在が反則だろう。本当に貴様、人間か?」

「だから、失礼すぎるってばっ!」

 エルニの踏み込んだ足が、床をぶち抜く。

 白煙がたなびき、我らは落下する。床の破片が頭上から落ちてくる中、壁には剣戟の音が鳴り響いた。

 城壁がそれらの音を反響させ、落下する瓦礫を足場にしながら我らは死闘を繰り広げていく。

 奴の刺突が我の肩を抉り、その鮮血を目眩ましに勇者の裏へと回り込む。

 だがエルニはそれを予測していたのか、氷の剣は空を切った。

 回避運動を取っていた勇者がこちらに斬りかかろうとした所で、その動作を停止。

 エルニが避けると読んでいた我は、魔法で宙を浮遊。

 奴の頭上から火球を投げつけるも、その完全な奇襲にすら勇者は反応した。

 割断される魔法を見ながら、我は憎々しげに口を開く。

「流石は勇者。人に身でありながらそれだけの壮絶なる力を持ち、その上ここで我を討ったとなれば、英雄として祀られるだろう。それこそ、人類の希望として未来永劫語り継がれる存在になるであろうな」

「んー、そうかな? そんなにいいもんじゃないと思うよ? 勇者って」

「何?」

 右目、喉元、左肺、心臓、水月と、急所を執拗に狙う斬撃を強化した腕で叩き落としながら、我は勇者の言葉を聞く。

「人間が今一致団結してるのなんて、魔族っていう外敵がいるからだけじゃん? 自分達が悪いのは、全部全部、あいつが悪いんだ、って具合にさ」

「……それの、どこがいけない? まとまらなければ生きられぬというのであれば、団結して生き延びようとするのは生物として正しい戦略だと思うが」

「でもさ、それって結局自分達のわがままじゃん?」

 そう言いながら、エルニは我が岩の槍を魔法で壁から生み出し、奴の左のこめかみ、顎、右肩口、左脇腹、右大腿を狙った攻撃を全てその剣で叩き切る。

「ちょっと前から、私達人間と魔族の諍いは減っていた。それをいい事に人類は魔族悪しを掲げて栄えた。それはいいよ? でもさ、それで住む所なくなったから魔族滅ぼすって、どうなの? って話じゃない?」

「……言っている事とやっている事が、矛盾していると思うが?」

「だって、仕方がないじゃん? 私は人間で、勇者なんだから」

 我の拳がエルニを捉えた、と思った時には感触がなくなっており、逆に投げ飛ばされているのはこちらの方だと気づく。

 壁に激突する前に魔法で風を生んで減速し、逆に城壁を足場に我は勇者へと跳んだ。

「我も魔王だ。魔族を束ねるものであり、故に魔族が滅びるぐらいであれば、人を滅ぼす方を選ぶ」

「うん。私もそれの人間版かな。でもさ、そんな魔族憎しでまとまっていた人間側に、魔王と戦える人間が生まれたんだよ?」

 我の踵落としを剣の腹で受け、勇者は困ったように笑った。

「魔族が悪いってまとまっていた人間の中に、魔王と同じぐらいの異物が生まれたんだ。だったら、その魔族(悪者)がいなくなったら、その異物である私はどうなっちゃうのかな?」

「……なるほど。それが先程の、『そんなにいいもんじゃない』に繋がるというわけか」

「そ。そーゆー事」

 地面に着地するのと同時に、エルニの剣が煌めく。

 速すぎて光の波の様にすら感じる連撃を、絶対零度の氷壁で受け止めた。

 その衝撃波で、更に床が崩れていく。

「ならば、我の所に来るか?」

「……え?」

「感じているのだろう? お前も。ここで生き延びた後の、その先の閉塞感を」

 エルニが先ほど予見した通り、彼女が魔王を滅ぼしても、勇者という強すぎる異質が、新たな争いの火種となる。

 逆に我が勇者に勝ったとしても、魔族が増えれば魔族領という土地の問題にぶち当たる。

 最初は人間の領地に攻め入ればいいかもしれないが、守る土地が増えればその分隙も生まれる。

 力は強いが数では劣る魔族は、元々広い土地を治めるのは苦手で、結局一時的に栄えたとしても、すぐに人間に殺されて魔族領に押し込められる未来が見えていた。

 ジリ貧だった。

 どちらかを滅ぼしたとしても争いは終わらず、また別の形と違うお題目を掲げて、殺し合いは続いていく。

「だが、我と貴様が手を取り合えば、話は変わるのではないか?」

「何? 世界の半分でもくれるっていうの?」

「逆に我は、半分もいらん。そんなに広い土地を治めるのは疲れるだけだ」

「それは私も同じだよ。私はただ、大切な人と穏やかな時間を過ごしたい。故郷のアルブール王国にいるお父さんとお母さんと、ゆっくり暮らしたい」

「我も似たようなものだ」

 最初はただ、仲間がいたずらに犠牲になるのが嫌だっただけだ。

 それでどうにか足掻いていて、意地汚くも生きる方法を探って、気づいたらいつの間にか魔王という存在になっていた。

「だったら、ザへキースの方が私達人間側に来る?」

「人間としての意思統一が出来ていない状況で、我を受け入れる判断を人類が出来るわけがない。我がお前を誘えるのは、魔族を束ねている意思決定者が我だからだ」

「それなら、ザへキースを仲間に入れないと私も一緒に暴れちゃうぞ、って人類に言ったらどうなるかな?」

「……それは、お前が我の元に来るのと、一体何が違うというのだ?」

「あはははっ。そっか、そうだよね」

「ああ、そうなのだ」

「やっぱりさ、私達、似てない? 同じ様な事考えてるよね」

「……業腹だなが」

「もう、素直に同意してくれてもいいのにっ!」

 そう言いながらも、我らは気づいていた。

 同じであるが故に、互いに別々の道を歩むしかないということに。

 我が魔王に至り、そして勇者エルニを相手取るまでに歩んできたように。

 エルニが勇者として、魔王ザへキースを滅ぼさんとするまでの軌跡が存在しているのだ。

 互いに一歩、一歩と歩みを進めてきたからこそ、両者の姿は見えているのに、途方もない距離が離れている。

 山に降り積もった雪が溶けて川になるのが、どれだけ自然な事であっても。

 その雪解け水が海に至るまでの道のりは遠く、険しいものだ。

 気づけば我とエルニはもはや言葉を交わすことはなく、互いに交えるのは一撃必殺となる死の応酬となっている。

 先に交わした言葉の通り、魔王城にいるのは我とエルニの二人のみ。

 故に気兼ねなく、互いの全力と全力をぶつけ合う。

 斬撃に剣戟に衝撃が走り、痛撃を伴う打撃の直撃を躱すための一撃を放つ。

 もはや空に伸びる魔王城の地表部分では我らの戦う場としては狭すぎて、気づけば我が作りかけの地下室へと戦場が移っていた。

 もっともその移動は、エルニが我ごと一階の地面を崩壊させ、強引に落下させられたためになされたものであったのだが。

「……どうやら、我の負けのようだ――」

 最後まで言葉を紡ぐ事ができず、我は血の塊を吐き出した。

 勇者に地下室へと叩きつけられた際うつ伏せになっていたので、自分の吐いた血で自分の顔を汚す。

 ……我の攻撃は中々当たらず、相手の攻撃は回復可能とはいえダメージを受ける。この様な結末に至るのは、必然だったのかもしれんな。

 もはやこの身には、顔を上げる気力すら残されていない。

 この状態でも唯一使える魔法はあるが、それを使って生き残ろうという気力もなく、更にいえばそれを使ったとてそれはもはや生きているとは言えないものだ。

 ……ならば、潔く受け入れよう。この、我の結末(死)を。

 視界に映るのは瓦礫に炎、床に飛び散る鮮血。

 そして、こちらに歩いてくる勇者エルニの足元だけだった。

「……そっか。勝っちゃったんだ、私」

 そう言ったエルニの声は、流石に披露がにじみ出ていた。

 剣を構える力も残されていないのか、勇者の三つ目の足のように、だらんと刃が下げられている。

 それを握る腕は負傷しているのか、刃にはトロトロと血が流れ、切っ先からはポタポタと、地面に血が流れ落ちていた。

「なんだか、あっけないもんだったね。終わってみると」

「……案外、終わりなんぞ、そんなものなのかもしれん」

「そうかもね。あ、何か最後に言いたいこととか、ある? 似た者同士のよしみで、話ぐらいは聞いてあげるよ」

「……聞くだけなのか?」

「だって、叶えられないものの方が多いでしょ? この世の中」

「……それも、そうだな」

 恐らくエルニは、我が何を願うのか、既に予見していたのだろう。

 似た者同士の同じ様な事を考えているが故に、魔王ザへキースの願いは叶えられないと、知っているのだ。

 しかしそれでも、我は勇者エルニに乞い願う。

「……残った魔族の、安寧を。我が束ね、ここまで連れてきてしまった者達の、安全を」

 やはりエルニは我のその願いを予見していたようで、たっぷり十秒、その言葉の意味を噛み砕き、自分のものにする時間を経てから、ゆっくりと口を開いた。

「うん、わかった。魔王ザへキースのその願い、確かに勇者エルニが――」

 

 どふっ、とも、ごふっ、とも聞こえるような音がした。

 

 それでエルニの言葉が途切れ。

 我の視界に、倒れ込んできた勇者の顔が入り込む。

 彼女の体が完全に地面に倒れるのと同時に、微かな金属音の様な、爪を立てたような音がした。

 エルニの口元は、血で濡れていた様な気がした。

 勇者に負わされた傷が深く、視界が霞んでよく見えない。

 そして、まるで背中から刺された刃が引き抜かれた時のように、体を痙攣させて、更に血を吐き出した。

 そこでようやく我の耳は、何かが立ち去っていく足音を捉える。

 だが瓦礫が落下し、炎が燃え盛る地下という立地と、朦朧とする頭でその足音の人物像を想像することが出来ない。

 しかし、そんな死に体の我であっても、たった一つ、理解できることがある。

 それは――

 ……誰かが背後から、エルニを刺したのだ!

「あ、はははっ。しくじっ、ちゃった、な。魔王、との話に、夢中、で、後ろ、いるって、気づかな、かった、よ」

「……もういい。喋るな」

「そういう、わけにも、いかない、でしょ? 私のお願い、聞いて、もらわな、きゃ」

「……何?」

「わかる、の。もうすぐ私、死ぬ、から」

「……馬鹿な事をっ!」

 体を動かし、勇者に触れようとする。

 しかし、そもそも我の体は動かせない状況で、故に回復魔法が使えるわけがなかった。

 第一、魔法が使えるのであれば、自分の傷を癒やしている。

 それなのに、すぐにエルニを治そうと考えたのは、きっと彼女に自分の願いを託したからだろう。

 自分が死ぬ事を受け入れ、その後の事を彼女に乞い願ったからだろう。

 しかし、そんな彼女は、もう死ぬという。

 許せるわけがなかった。

「……ふざけるな。貴様、勇者なのだろう? 勇者ならば、簡単に生きるのを諦めるでないわっ!」

「あ、はははっ。それ、魔王に、言われるとは、思わな、かった、な」

「……エルニ!」

「ごめん、聞いて? ザへキース。最後の、本当に、私、の、最後の、おね、がい」

 そう言われては、我としても黙るしかない。

 それを気配で察したのか、エルニは安心したように口を開いた。

 それはまるで、赤子を抱く、母親のような口調だった。

「勇者を、お願い」

「……勇者は、貴様だろうが」

「違、うの。次の、勇、者」

「……何だと?」

「私、死んだら、きっと、生ま、れる、から。いつか、必、ず。だか、ら――」

「……守れというのか? 我に、その勇者を」

「その、子に、ね? 私みた、いな結、末、迎えて、もらいたく、ない、の。もっと、素敵な、物語、を、人生、を、生きて、欲しい、から」

「……だが、我ももう、死にゆく時を待つばかりの身。貴様の願いは――」

「使える、んでしょ? 死霊、術」

 死に体の我でも唯一使えるその魔法の名を聞き、我は驚愕でうめき声を上げる。

「……貴様、どこでその術の存在を!」

「私の、国が、ちょっと、ね?」

 そう言ってエルニは、言葉を重ねてくる。

「おね、がい、ザへキース。貴方、だけ、なの。貴方、にしか、頼め、ない」

 今この場にいるのは我とエルニのみ。

 故にそんな事、わざわざ口に出すまでもなかった。

 だが、それでも口にしたという事実に、彼女の切実さを我は感じ取る。

「……わかった。勇者エルニのその願い、確かに魔王ザへキースが叶えてみせよう」

「あ、はははっ。魔王の、クセに、サービス、いい、な。叶え、られな、いも、多い、よ?」

「……それでも、それでも今は、言わねばならんだろうが」

「あり、がとう。そして、ごめん、ね?」

「……謝るな。似た者同士のよしみだ」

「う、ん、そうだ、」

「……エルニ?」

 問いかけるが、もはや勇者からの返答はなかった。

 死んだのだ、勇者エルニは。

 何故か?

 決まっている。

 殺されたからだ。

 ボロボロになりながらも魔王に打ち勝ち、そして我の願いに耳を傾けてくれた勇者を、誰かが背後から刺し殺したのだ。

 それを改めて認識した時、我の中に生まれたのは。

 

 純然たる、怒りだった。

 

 その激情に突き動かされるように、我は自らに魔法をかける。

 今唯一扱える魔法、魔族であっても忌み嫌われている魔法。人間が使っていると知られれば、国ごと滅ぼされかねん最悪の外法。

 すなわち、死霊術を。

 死に体だった我の体を中心に、竜巻の様な風が巻き起こる。

 辺りに散らばった瓦礫や炎が、一瞬にして塵となった。

 自らの血肉を屍肉に変え、屍体を動かすというねじ曲がった道理を通すために、周りに存在する物質も、死霊術の糧としていく。

 その中には当然、エルニの死体も含まれていた。

 勇者としての肉体も、死にゆくはずだった我の糧に変わっていく。

 我の今際の際、その願いを聞き届けようとしてくれたエルニの願いだ。

 もちろん、次の勇者が生まれれば、その存在を守護しよう。

 しかし――

 

 ……許さん。許さんぞ! 死ぬはずだった我を生ける屍とさせ、本来生きるはずだったエルニを殺した不届き者めっ!

 

 卑しくも生き恥をさらし、屍肉となりながらも、まだこの世に自らの魂を留まらせる決意をさせたのは、エルニを殺した何者かへの怒りだった。

 確かにあの勇者とは、特に親しい間柄ではなかった。

 そもそも今日が初対面で、それどころか互いに殺し合う関係だった。

 それでも。

 それでも我とあの者は、似た者同士だったのだ。

 あの時交わした言葉の数々が。

 立場は違えど互いを理解し、そしてそれ故交わることのなかった一人の勇者と一匹の魔王の二つの孤独が。

 その孤独の片割れを奪った相手を誅するべしと、我の心の奥底が、生命を喰らいながら叫ぶのだ。

 やがて我は、骨と皮だけのような体となり、どうにか残った燃えカスみたいな布を体に巻く。

 そして、エルニを殺した不届き者を探るため、奴がどの様にしてこの場に現れたのか、想像することにした。

 まず犯人は、我とエルニの戦闘音が聞こえなくなったのに気付いたのだろう。

 そして魔王城に戻り、地下で死に体となっている我と、満身創痍となったエルニを見つけた。

 我は放置しておいても、死ぬのはわかっただろう。

 だが、勇者はまだ死んではいない。

 しかし、殺すのであれば、今がチャンスだった。

 だから、殺したのだ。

 ……だとすると犯人は、人間か?

 エルニは自分が我に勝てば、自分が新たな火種になると予見していた。

 故にその火種を今消そうと、人間の誰かが彼女を亡き者にしようと考えても、不思議ではない。

 ……いや、魔族の可能性もありえるな。

 動機は単純な所では、我の仇討ちであろう。

 もう少し複雑な所でいえば、魔族の結束を保っておきたい、という所だろうか?

 ……ここでエルニを殺せば目撃者もおらず、魔王ザへキースが死んだ事実を隠蔽することも容易だろうからな。

 魔王は深手の重傷を負ったので隠居した事にすれば、魔族の結束はもう暫くは保てるだろう。

 ……くっ、せめて、エルニを刺したのが、剣か爪なのかがわかるだけでも、対象が絞り込めるというものを!

 だがあの時の我の意識では、そこまで細かい情報まで集めることが叶わなかった。

 しかし幸いなことに、我には死霊術で生ける屍となった。

 不届き者の存在を調べるために、無限に等しい時間を得たのである。

 一方犯人には、寿命が存在するだろう。

 だが、それがどうしたというのだ?

 ……生きている間に見つけ出せたのであれば、その場で殺す。死んでいるのであれば、其奴の一族、血脈に連なるその全て、尽くこの世から消し去ってくれるわ!

 憤怒に突き動かされるように、魔法を発動。

 その怒りを忘れないために、エルニが殺されたその時の状態で部屋を修復していく。

 砕かれた『蛍光石』も、元通りに直した。

 更に誰にもここを暴かれないようにするため、地下室としての仕掛けを施していく。

 そして――

 ……今日で、魔王ザへキースは死んだ。

 魂は残っているが、肉体は完全なる死を迎えた。

 で、あればこそ、ここは我の墓場として相応しい。

 その思いで、生前の自分の肉体が入るであろう大きさの棺も部屋の中に生成する。

 ……この場でやり残したことは、もうないな。

 そう思い、我はこの部屋から地上へ、そして魔王城の外へと抜け出した。

 全ては、エルニに託された、新しい未来の勇者の物語の結末を見届けるため。

 そして。

 自らの、復讐という物語に、結末を迎えさせるために。

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