○第四章
「ちょ、ちょっと、裕兄」
俺の部屋に、吐息混じりの琴奈の声が響く。
「待って、私、もう、無理。限界、だから。ちょ、やめ――」
「駄目だ、琴奈。まだまだ、やれるだろ?」
「無理、だよぉ、裕にぃ……」
「おいおい、こっちはまだ手加減してるんだぞ?」
「嘘、でしょ?」
「嘘なんかじゃないさ。さぁ、どんどん行くぞ」
「え、ちょ、やっ、ヤダ、そんなの、無理だって……!」
喘ぐ従妹に、俺は情動を叩きつけた。
「ほら、まだ遮蔽物から出ない! ちゃんと自分の位置と相手の位置を考えて、次にどう動くべきなのか常に頭の中にイメージしろ!」
「だから、そんな事言われてもすぐには無理だって、裕兄!」
半泣きになる琴奈に向かい、俺は毅然とした表情で首を振る。
「いいや、これぐらいこなしてもらわないと困るんだよ」
「どうして裕兄が困るの? っていうか、何で急にそんなにやる気になってるの!」
「備えあれば憂いなしって言うだろ?」
「何の備えにされてるの? 私」
「ほら、プレイスキル上達させるんだろ? また撃ち負けるぞ」
「だったらゲーム中に喋りかけるのやめてよ! せめて終わった後にしてっ!」
ぎゃあぎゃあ言いながら、今日も俺は学校帰りに自分の部屋で琴奈にゲームを教えていた。
やっているゲームは、もちろんレジェだ。
琴奈のプレイを観ながら、俺は昨晩交わした大塩さんとの通話の内容を思い出していた。
◆◆◆◆◆◆
『今日もお疲れ様、裕夫くん』
「お疲れ様です、大塩さん」
もはや毎晩の日課になりつつある大塩さんとの通話だが、配信を終えた後の会話は結構長くなりがちだ。
……ショート動画も順調に伸びてて、おりおりチャンネルの登録者数も伸びてるみたいだし、本当に順調だな。
このままいけば、一ヶ月の収入は家賃以上は確保出来るだろう。
推しのバズり具合に満足げに頷いて、俺は口を開く。
「とりあえず、六回目の配信もなんとか終わりましたね」
『本当に、ここまでこれたのは裕夫くんのおかげよ』
「いやいや、大塩さんがあの時続ける決断をしたからやれてるんですから」
『それを支えてくれたのは、裕夫くんでしょ?』
「俺は単に、推しを推してるだけですよ」
『……もう。すぐそういうこと言うんだから』
俺にとって最大の賛辞を送ったつもりだが、ヘッドホンから聞こえてくる声から大塩さんはあまりお気に召さなかったみたいだ。
……こういう時は、すぐに話題を変えるに限るな。
そう思いながら、俺は慌てた感じを出さないように気をつけつつ口を開く。
「それで? 通院の結果、どうだったんですか?」
『ああ、腕の怪我? うん、順調だって。予定通り来週末にはギブス外せるみたい』
「それはよかった」
骨のヒビが治るのに後一ヶ月かかると聞いていたが、人によっては治りが遅くなることもある。
順調に治っているということで、俺は一安心した。
「これで来月からは、大塩さん一人でゲームが出来るようになりますね」
『それは、そうだけど……』
「どうしたんです? 順調に治ってるんだから、いいことじゃないですか」
そう言うと、ためらいがちに大塩さんが言葉を紡ぐ。
『やっぱり、怪我が治った方がいいって思う?』
「え? そりゃそうでしょう」
『……そうなんだ』
……何故、残念そうな声なんだ?
そう思いながら、俺は口を開く。
「だって、約束したじゃないですか。一緒にゲームしようって。大塩さんの腕の怪我が治ってないと、ゲームできないですよ」
『っ! そ、そうだったわね! うん、やっぱり、怪我は治った方がいいわよね!』
……今度は、急に元気になったぞ?
疑問に思うものの、推しが元気なのは俺も嬉しいのでそれで良しとする。
「そうですよ。大塩さんの怪我が治ってたら、マイクが突然倒れてもあんなに慌てなくてすみますし」
『ああ、五回目の配信のときのやつ?』
「そうです。確か、緩んでたネジが取れてマイクが傾いちゃったんでしたっけ?」
『そうそう。本当にびっくりしたわ』
「びっくりしたのは、こっちですよ。突然、ゴツン、って音が聞こえてきて」
配信中、こちらは大塩さんの家の状況がわからないので、本当に何が起こっているのかわからなかった。
「そしたら大塩さん、大声で『マイクが倒れちゃったから、ちょっとプレイ中断するね!』って言い始めて」
『だってそうしないと、裕夫くんにこっちの状況が伝わらないでしょ? それに私がマイクを直している時に裕夫くんがゲームを続けてたら、見てる人にゲームのプレイは別の人がやってるってバレちゃうし』
それは、その通りだ。
『おりおり』の中の人が、マイクを直しながらゲームも同時に出来るわけがない。
人間の目は二つしかなく、腕は二本しかないのだ。何を見て何を掴むかは、その都度選ぶ必要がある。
「しかし、あの時の大塩さんはファインプレーでしたね。こっちに状況を伝えて貰わなかったら、そのままプレイを続行する所でしたよ」
『そうでしょそうでしょ』
ちょっとだけ得意そうな声が、ヘッドホンから聞こえてくる。
『でも、凄いといったら四回目の配信も凄かったでしょ?』
「全然マッチしなかったやつですか?」
『そうそう。レジェのサーバが落ちたのかと思ったわ』
「あれは本気で焦りましたよ。コメント欄には自分はレジェつながる、って書かれてたんで、俺のネットワークの問題なのかと焦りまくって」
『結局、PCの有線ケーブルの接続が不安定になってただけだったんだよね?』
「あの状態で画面共有が切れてなかったのが奇跡ですね。つなぎ直したら、すぐ繋がりましたし」
急ぎ大塩さんにLINEをして配信を一度止めてもらい、再度配信をやり直すということで事なきを得た。
それから、配信をする時の二人のルールを作ったのだ。有事の際は即LINEを送るので、配信中互いにスマホを近くに置くようにする、という緊急対応のためのルールを。
LINEに即レス出来なくても、スマホのプッシュ通知の内容だけで行動の指示だけは出来る。全く互いの状況がわからないより、かなりマシだった。
「あの時は、本当にすみませんでした。後日琴奈を問い詰めたら、あいつのイタズラだってわかって」
『……いいな、私も行ってみたい。裕夫くんの家』
「着ても何もないですよ。普通の家ですし」
『でも、裕夫くんは私の家に来たことがあるのに、私が裕夫くんの家に行ったことがないのは不公平でしょ?』
「……どの辺りがですか?」
苦笑いを浮かべる俺をよそに、大塩さんはつまらなさそうな声色になる。
『あーあ。配信中も、私の部屋と君の部屋を互いに共有出来たらよかったのに。そしたら配信中のトラブルとか、今そっちの状況とか、すぐにわかるんだけどな』
四回目、五回目の配信と、どちらかの家で問題が発生しいてしまった。
そのため六回目の配信前に、互いのカメラの映像も共有できないか試してみたのだ。
しかし、残念ながらその結果は――
「仕方ないですよ。そこまでやると通信のラグが出始めちゃいますから」
『……そうだよね。やっぱり、配信しながら色々やるのなんて、無理だよね』
「大塩さん?」
僅かに沈んだような声色になった彼女に向かい、俺は問いかける。
「ひょっとして、あのストーカーの事を考えてますか? 益戸がどうやってライブ配信をしながら大塩さんを襲い、俺の家に脅迫状を入れられたのか、そのアリバイの事を」
『……気づかれちゃったか』
そう言った後、大塩さんは溜息を零す。
『警察の人からはもう家の周りに不審な人影はいないって聞いているし、大学でももう益戸先輩の姿すら見かけない。だから、もう諦めてくれたんだと思うんだけど、どうしても気になっちゃって』
「そうですね。顔出ししてないとはいえ、喋っている声は本人のもので、投げ銭にも反応してますし」
『そうなんだよね。そうやって視聴者のコメントにもリアルタイムで反応しているから、ゲームはちゃんとやってるんだよ。でも、私はその時間帯に襲われたし、裕夫くんの家には脅迫状を持っていけた』
「俺の脅迫状は最悪誰かに運ばせる事が出来ますが、大塩さんの方は益戸に腕まで掴んでますからね。実際に大塩さんの前に、確実にやつは姿は現しているわけですから」
『でも、ライブ配信はしてるんだよね。私も生配信してるけど、配信しながら何かやる余裕なんてないよ。裕夫くんもそう思うでしょ?』
「そうですね」
改めて思うが、おかしな話だ。
だが、今日で配信も六回目が完了した。
残る配信は、後二回。
「でも、後二回乗り切ればいいんですから、大丈夫ですよ。そもそも、俺は大塩さんの家に行かないので、もう益戸って人に狙われる心配もないですし」
『……そうだよね。ごめんね、ちょっと考えすぎちゃった』
「いえいえ。推しが安心して活動出来るのが、俺にとっては一番重要なことですから」
『ありがとう。それじゃあ、後二回、頑張ろうね』
「はい。それじゃあ、おやすみなさい」
そう言って通話を切り、俺は椅子の背もたれに体重をかける。
ヘッドホンを外しながら考えるのは、さっき大塩さんと会話した内容だ。
……ストーカーは、どうやってアリバイを作ったのか?
さっきも話していた通り、生配信をしながら別のことをする余裕はない。
益戸がゲームをしている自分自身を共有していない、という一点が怪しさを感じるが、投げ銭にも反応しているので、リアルタイムにコメントに回答していた。
……事前に録画した映像を流してるだけだと、コメントに反応するのは絶対に無理だからな。
そんな事が出来るのは、これから先何が起こるのか知っている未来人か、未来が見える超能力者だけだ。
自分がそうだと言い張る黒歴史を持っている人ならいるかも知れないが、生憎、この世には未来人も超能力者も存在しない。
……だから、出来るはずなんだ。未来人とか超能力者じゃなく、普通にこの時代を生きている俺みたいな人間でも。
そう思いながら、俺はキーボードに手をかけた。
自分が知っている知識の範囲内で、そういった事が出来そうなものがないか、見落としがないか確認するために。
◇◇◇◇◇◇
「ほら、見てみろ琴奈。既にここに敵が陣取ってるだろ? 向こうはお前を狙い撃てる場所にいるんだ。それなのにお前はこの後前に出て――」
「ねぇ、ちょっと休憩しようよ、裕兄ー」
机の上で、水揚げされたタコみたいにへばりつく琴奈を見て、俺は大きく溜息を吐いた。
「お前が指摘をプレイ後にして欲しい、っていうから、こうして動画撮って見返してるんだろうが。要望に沿った指導をしてるんだから、お前はしっかり受けなさい」
「いや、流石に休憩したいよ。スパルタ過ぎるよ裕兄」
「……そう言ってお前、五分前にポテチ食ったばっかりだろうが」
悪態を吐きつつベッドに腰掛ける俺へ、琴奈が視線を向けてくる。
「でも、本当に何で急にやる気になったの? 前も結構無茶苦茶言ってたけど、今週はなんというか、鬼気迫るみたいな感じじゃん」
「ん? まぁ、そろそろヒーローチャンネルの投稿を再開しようと思ってな」
それは、嘘ではない。
大塩さんの手伝いも後二回の配信で終わりだし、そろそろ自分の動画を撮ろうと思っていたのだ。
俺の話を聞いた琴奈は、机から体を起こす。
「あ、そうなんだ。楽しみだなー」
「だから、お前にゲームを教える時間が今後なくなる」
「ちょっと! 私にゲームを教える時間削って自分の動画作成の時間に割り当てるのやめてよね!」
「本当に無茶苦茶言うな、お前は。お前が俺のPC占領してるから、こっちの動画作成も編集も出来ないんだよ」
「それじゃあ、これから私はどうやってゲームしたらいいの?」
「俺に聞くな。自分の親を頼るか、ネカフェにでもいけ」
「裕兄が行けばいいじゃん、ネカフェ」
「何故に俺が? そしてもし俺がネカフェに行ったとして、それでお前にどうやってゲーム教えるんだよ」
「画面共有して、コメントとかはLINEでいいじゃん」
……相変わらず無茶苦茶言うな、こいつ。
「っていうか、琴奈はPCもゲーム機も持ってないのに、どうやって配信者になるつもりだったんだ?」
「もちろん、ここからだよ」
「何当たり前に俺の部屋乗っ取ろうとしてんだよ」
……全く悪びれてなかったから、一瞬何言ってるのかわからなかったぞ。
「とにかく、レジェの立ち回りぐらい早く覚えてくれ。そうすりゃ動画でコラボぐらいやってやるからよ」
これは、嘘であり、本当でもある。
俺は今大塩さんの手伝いで『おりおり』のゲーム部分を担当しているわけだが、その俺が怪我をしてしまう可能性もゼロではなかった。
そうした場合の俺の代打、つまり保険としての代役に使えるよう琴奈を育てようと思っていたのだ。
……特に、益戸みたいなやつの存在で、怪我をさせられる可能性は高くなったからな。
だから大塩さんにも琴奈のプレイ動画を観てもらったりもしたのだけれど、大塩さんいわくストーカーの影も見えなくなっているようなので、俺が怪我を負う可能性はかなり低くなった。
……とはいえ、後二回。今週俺が事故にあうかもしれないし、念には念を入れておいた方がいいからな。
だが、肝心の琴奈のプレイスキルの上達がてんで駄目なので、この計画は絵に描いた餅になってしまうかもしれない。
そうならないよう、俺が大塩さんを手伝う終わりが見えてきた今だからこそ、琴奈にはここでレジェのスキル上達を成し遂げて欲しいと思い、スパルタ指導をしていたのだ。
だが、残念ながら効果は芳しくない。
そこで承認欲求モンスターの琴奈が食いつきそうな、動画再生数に直結しそうなコラボという話題を出してみたのだが――
「え、裕兄と私がコラボ? 本当!」
思った以上に前のめりで食いついてくる琴奈に、俺は一瞬圧倒される。
「お、おう」
「絶対? っていうか『ヒロ』ってまだどこともコラボしてないよね? するなら私が初めて?」
「まぁ、そうなる、な。でも、お前がゲーム上手くなったらの話だ――」
「大丈夫、やる! 私が裕兄の初めてになるから!」
「そ、そうか」
……何だ? こんなに効果があるなら、もっと早めに言っておけばよかったな。
「よし。それじゃあ、さっきの動画の続きを確認するか」
「うん、お願いします」
そんな感じで琴奈にゲームを教えていると、あっという間に数日経過した。
そして、ついに。
あの、七回目の配信日となってしまったのだ。
◇◇◇◇◇◇
『さっきのゲームは惜しかったわね。体力がもう少し残っているかシールドがもう一段強化出来ていたら、勝っていたのはこっちだったと思うけど』
《負け惜しみ》
《負けても可愛いおりおり》
《ぼむあげしないから負けた》
《敗因はぼむあげ》
《びくちょりまでの道のりは長い》
『パンダコッタさん、スパチャありがとう。そうね。次はびくちょりって言えるように頑張るわ』
ヘッドホン越しに聞こえる大塩さんの言葉を聞きながら、俺は満足げに頷いていた。
……うん、今回も順調に来ているな。
互いの家でゲームと実況をするようにしてから、一番スムーズに生配信が行えているかもしれない。
最初の対戦は負けがちだったけれど、今日は結構いい線までいけている。
……この調子で、七回目の配信も乗り切りたいな。
『それじゃあ、次のゲームを始めるわね』
《ぼむあげ》
《ぼむあげに期待》
《おりおりとマッチした!》
『ネギカモさん、本当? ぼむあげだったらごめんなさいね』
コメント欄にも冷静に反応する大塩さんの言葉を聞きながら、俺はキャラクターをフィールドに降下させた。
建物に入ってアイテムを回収していくと、いきなりスナイパーライフルが手に入る。
『あら、幸先いいわね。ネギカモさんが運も運んできてくれたのかしら?』
《おりおり語録更新か?》
《鴨が葱を背負って来るってこと?》
《うまい事言った》
《俺もマッチしたい》
《見つけた》
銃に弾丸を込めながら、二人の仲間と共にフィールドを駆けていく。
『隠れやすい場所に陣取れたから、ここで相手チームを迎え撃ちましょう』
《ヘッドショット期待》
《おりおり頑張えー》
《びくちょり待機中》
《ぼむあげ来ないかー》
《ぼむあげ》
《何でゲーム出来るんだ?》
スコープを覗き、敵に照準を合わせて引き金を引く。
銃声が鳴り響き、敵チームの一人を吹き飛ばした。
「この位置なら、どんどんヘッドショット狙えるわね」
その言葉が言い終わる前に、俺はキャラクターを操作している。
ヘッドショットが決まり、コメント欄も沸いた。
《ヤバ》
《おりおりうますぎ》
《結婚して》
《調子いいね》
《うまを通り越して梅》
《スナイパーライフル持ったおりおりは無敵》
《ぼむあげという迷言を生み出した人と同一人物だとはとても思えない》
《びくちょりもね》
《可愛いから何でもいい》
《おりおりはやっぱりクールな時が一番いい》
《はっきりわかんだね》
《腕怪我してるのに何で?》
《なんか、変なの沸いてね?》
俺がコメント欄の異変に気づいたのは、丁度敵チームを倒しきった後だった。
リロードしつつアイテムを回収するため、手を動かしてキーボードとマウスを操作している。
そうしながらも、俺の目はコメント欄に向けられていた。
確かに、怪しい書き込みが見受けられる。
《荒らしか?》
《糖質帰れ》
《荒らしが現れるのは人気者の証》
《負けないでおりおり》
《左腕怪我してるのにゲーム出来るわけがない》
……何で、大塩さんの怪我の事を知ってるやつがいるんだよ。
そう思いながら、そいつのアカウント名を確認する。
そこには、KatuMasuと表示されていた。
……大塩さんをストーカーしていた、益戸のアカウント名か!
大塩さんもそれに気づいたのか、ヘッドショット越しに彼女が息を呑む音が聞こえてくる。
俺はキャラクターを遮蔽物の中に隠しながら、急いで大塩さんにLINEでメッセージを送った。
《益戸は無視して。スパチャのメッセージだけ拾って》
ゲームをしている最中にブロックをするのは一人で配信をしているのであれば不可能だと考え、ここはひとまず無視する事を選択した。下手にブロックしてしまえば、ゲームを別の人が担当しているとバレてしまう可能性がある。
『ひ、ひとまず一チームは倒したわ。これでびくちょりに近づけたわね』
平静を装っているように喋っているが、大塩さんの声は僅かに震えている。
俺の頭の中にも、何で? とか、どうして? という単語が無数に増殖していく。
でも、今は配信中だ。ここで俺が慌てて変な行動をしてしまえば、『おりおり』の配信を楽しみにしてくれている人が悲しむ。
そして大塩さんは、そうした自分を応援してくれる人を優先的に幸せにするんだと言っていた。
彼女の決意を、俺のせいで駄目になんかしたくない。
だから俺は、そうした雑念を吹き飛ばすように、引き金を引いた。
『距離が保てるから、スナイパーライフルがやっぱり有利ね。一方的にヘッドショットも狙えるし』
《流石おりおり》
《かっこいい》
《びくちょりびくちょり》
《あの男か?》
『ふぃ、フィールドが狭くなってくるけど、もう少しここにいようかしら? 的が近づいてきてくれるのなら、そっちの方が私も助かるし』
《は?》
《男とか何いってんの?》
《無視しろって》
《ブロックしろ》
《おりおり気にせずゲームしてー》
《おりおりが男なわけないだろ》
《絶対糖質だわ》
《あの男が家にいるのか? あいつがゲームしてるのか?》
『ひっ! ひ、ヒットエンドランも、いいけど、飛んで火に入る夏の虫を狙い撃つのも、いいものでしょ?』
……マズい。大塩さんが益戸を無視できなくなってきている。
というか、コメント欄が荒れはじめている。
俺はまた、LINEを送った。
《もうコメント欄は見ないで。ゲームの実況にだけ集中して》
『ちょ、ちょっと、ごめんね。私、集中するからコメント読めないかも』
《全然大丈夫》
《マジで荒らすのやめろ》
《ここはあなたの妄想を吐き出す場ではありません》
《人気出ると変なのも沸くなぁ》
《おりおり気にしないでー》
《警告したはずだぞ》
『あ、あ! ほ、ほら、皆。相手を倒したら、ドロップしたアイテムから手榴弾手を見つけたわ!』
《ぼむあげキタ》
《ぼむあげ》
《あいつ通報して》
《ここからおりおりの本領発揮》
《おりおり頑張ってー》
《次はもうない》
『ぼ、ぼむあげ行くわよ! 手榴弾投げるからね!』
なんとか場を盛り上げようと、大塩さんが懸命に声を振り絞る。
俺も彼女の意図を理解し、銃で撃つべき場面でも手榴弾を投げ込むようにキャラクターを操作した。
《期待通りのぼむあげ》
《これはいいぼむあげですね》
《荒らしいやだー》
《おりおり支援》
《ナイスパ》
《人違いだから別チャンネルに行ってどうぞ》
《ここであってる》
『お、おっとっとーねさん、スパチャありがとう。が、頑張ってびくちょり、するね』
……コメント欄見なくてもいいのに!
配信している時の、いつもの癖なのだろう。
『おりおり』は基本的に、スパチャを拾ってくれる。俺が投げ銭した時もそうだった。
だから反射的に、彼女はスパチャの内容に反応してしまったのだ。
しかしそれは、今このときだけは一つの危うさを兼ね備えている。
……もし益戸がスパチャをしてきたら、大塩さんはそれに反応してしまう。
大したことない内容であれば、問題ない。
でも、たとえば大塩さんの個人情報でも公開されてしまったら、流石にこのまま配信を続けるのは不可能だろう。
それどころか、今後Vtuberとしての活動していくことすら危ぶまれる。
配信をやめなければならないっていうことは、大塩さんが、『おりおり』がやろうとしている世界全員を幸せにする決意が、踏みにじられるっていうことだ。
それは彼女を推している俺にとって、彼女を支えきれなかったという絶望的な状況でもある。
……それだけは、それだけは、絶対に阻止しないと。
しかし、コメント欄を見ると、どうやら益戸は俺が大塩さんの代わりに彼女の家でゲームをしていると勘違いしているみたいだ。
脅迫状を俺に送り付け、警告してきた事にも触れているので、こちらに対するヘイトは相当なものだろう。
……でも、次はもうないっていうことは、今は俺たちに何か危害を加えるつもりはないのか?
そう思いながらも、俺は益戸の動きに対応しづらさを感じていた。
ここで相手が殺してやるとでも書き込んでくれれば、それだけで脅迫罪を適用出来る。
しかし、やつは微妙な言い回しをして、一発で警察沙汰に出来ないぐらいの言葉しか使っていなかった。
……アリバイ工作といい、そういう事に頭を回せるならもっと大塩さんの気持ちを考える方に使えよ。
そうすればストーカーなんかにならず、今頃大塩さんも怯えずに堂々と『おりおり』を続けられていたはずなのに。
たとえそれで俺が大塩さんと出会えなくなってしまったとしても、推しが幸せなら俺はそっちの方がいい。
そう思いながら、俺はキャラクターを操作してバトルロワイヤルを生き抜いていく。
『あ、後残っているのは、一チームね』
もう少しで勝利できるという所で、コメント欄がまた荒れ始める。
《適当なこと言うな》
《おりおりは一人で頑張ってる》
《大好きなおりおり侮辱するのやめて》
《だから相手にするなって》
《おりおりに彼氏なんているわけないだろ》
《それはそれで失礼》
《おりおりが実は男の可能性が微レ存?》
《男の娘ってこと?》
《それはそれで推せる》
《でも本当に怪我してるのなら無理しないで》
《おりおりのびくちょり待ってる》
《もう米欄見なくていいよおりおり》
《荒れすぎー》
《人違いじゃないっていうのなら証拠を出せよ》
……マズい!
煽られた益戸が、証拠として大塩さんの個人情報を書き込みかねない。
名前や住所に大学を書き込まれたとしても、そんなの適当に持ってきたんだろうと流されるかもしれない。
でもその情報がネットに出回って、イタズラ半分で大塩さんを追い回すやつが出てくる可能性もある。そもそも、個人情報をネットに出されて嬉しいわけがない。
……今からでも、LINEで益戸をブロックするように伝えないと。
メッセージを送ろうとするが、相手の方が早くコメント欄に書き込んだ。スパチャだったので、大塩さんもそれを見てしまったことだろう。
だがその内容は、幸いにして大塩さんの個人情報ではなかった。
しかし益戸の言葉は、俺の想像を絶するようなものだった。
コメント欄には、こんなメッセージが表示されている。
《僕なら、声だけで君だってわかる》
『ひっ!』
何かが、倒れたような音がヘッドホンから聞こえてきた。
恐らく、大塩さんが恐怖でカメラを倒してしまったのだろう。配信中の動画から、『おりおり』の映像が消えている。
もしくは、もうやつから自分の姿を見られたくなくて、彼女が自分でカメラを倒したのかもしれない。
そんな状況なので、『おりおり』がゲームを継続できるわけがなかった。
そのため俺はキーボードから手を話して、プレイの続行を放棄する。
画面上でキャラクターが敵チームに蹂躙され、簡単に倒されてしまう。
せっかく視聴者の人とマッチングしたのに、チームはそのまま敗北した。
でも俺は、大塩さんを攻めるつもりはなかったし、攻める気にもなれなかった。
何故なら俺も、益戸のメッセージを見て、凍りついてしまったからだ。
……なん、だ、こいつ。何なんだ、こいつは。
怖い。
怖かった。
会話が、全く成り立っていなかった。
ただ自分の言いたいことだけを書き込み、自分の書き込みの信頼性を問われても、自分が知っているからそれを他人に共有しないし、する必要性もないと考えている。
全て自分の中に閉じていて、自分で全て完結してしまっているのだ。
自分だけの何かとか、自分だけの特別だとかじゃない。
こいつの中には、益戸の世界には自分自身しか存在していなかった。
だからこいつは、平然と大塩さんを追い回すことが出来る。
だって、自分がそうしたいから。そうすることが、彼の世界では許されているから。
そういえば大塩さんに怪我を負わせた時にも、益戸は『どうして無視するんだ!』と言っていたらしい。これも、彼の世界では許されている事が、拒絶されたから出てきた言葉なのだろう。
恐ろしかった。
何が恐ろしいって、俺も一歩間違っていたら、あいつと同じような存在になってしまうかもしれないから。
……今は大塩さんは受け入れてくれているからいいけど、俺の押し付け(好意)が拒絶された時、自分は益戸と同じにならないって言い切れるか?
益戸だって、大学のグループワークの時には大塩さんに受け入れてもらえていたはずだ。
俺も、彼女の手伝いを終えた後、どうして大塩さんから拒絶されないと言い切れるのだろう?
黒歴史を増やさないように、押し付けになりすぎないようにと、気をつけているつもりだ。
それでも自分の善意が拒絶された時、果たして俺は『どうして受け入れてくれないんだ!』と言わずにいれるだろうか? 考えずにいられるだろうか?
正直、自信がなかった。
自信がなかったが、それでも俺は良かれと思い、大塩さんにLINEを送っている。
《益戸をブロックして、気分が優れないから今日は配信はやめるって言って》
そのメッセージを送っている間にも、コメント欄は益戸を攻撃する内容と『おりおり』を心配するメッセージ、そして『おりおり』を攻撃する内容が書き込まれている。
『おりおり』を攻撃するメッセージは、プレイを中断したことに対してだったり、ゲームに負けたことに対してだったり、カメラが倒れた事に対してだったり、益戸の書き込み如きで配信を中断したことを攻める内容だったりと、様々だった。
『ご、ごめんね、皆。ちょっと気分が優れないから、今日はここで配信は終了させて。本当に、ごめんね』
《大丈夫?》
《気にしないで!》
《は?》
《ゆっくり休んで》
《何やめてんの?》
《せっかく見に来てやったのに》
《いいから新規は消えろよ》
《古参ウザ》
《来て損したわ》
《これぐらいでへこたれてたらVtuberとしての活動なんてもう出来ねーよ》
そこで、配信が終了した。
俺が大塩さんの手伝いをするようになって七回目の配信は、おりおりチャンネル史上最悪の配信となってしまった。
……でも、とりあえず今は早く大塩さんと話さないと。
Discordを立ち上げ、彼女のアカウントに向けてさっきから通話をしているが、出ない。
焦燥感が募り、焦りに埋もれて窒息しそうになる。
ようやく通話が繋がり、俺は咳き込むように口を開いた。
「大塩さん! 俺――」
『……ごめん、ごめんね、裕夫くん』
聞こえてきた第一声は、俺への謝罪だった。
泣き声で話す大塩さんに戸惑いながらも、口を開く。
「何で、何で大塩さんが謝るんですか。大塩さんは、何も悪くないじゃないですか!」
『だって、負けちゃったから、私』
「え?」
『私、裕夫くんに言ったのに。どんな事をしたって、自分に否定的な人は絶対出てくる、って。だから、応援してくれる様な人たちのために頑張ろうって、優先順位をつけて取り組もうって、言ったのに。でも、私、益戸先輩のコメントに、私を否定するコメントに負けて、配信、止めちゃった。私と裕夫くんの『おりおり』を、負けさせちゃったよぉっ!』
そう言って、大塩さんは大声で泣いていた。
彼女が、床に崩れ落ちたような音がヘッドホンから聞こえてくる。
ストーカーに対しての恐怖は、もちろんあるはずだ。自分の配信を探り当てられ、コメントまで送ってくる相手に恐ろしくて泣いたっておかしくない。
彼女に対しての心無い書き込みを読んで、もちろん心を痛めているはずだ。どんな状況が起こっているのか知らない、知ろうともしない第三者の好き勝手なメッセージに、傷ついて泣いたっておかしくない。
でも今、大塩さんはそうした理由とは別の理由で泣いている。
……俺と一緒にやっている『おりおり』が負けたことへの、悔しさで泣いているんだ。
自分の恐怖や、痛みではなく。
俺も一緒に負けさせてしまったという悔しさで、大塩さんは泣いている。
今すぐ、彼女の元に駆け出して行きたかった。
ゲームや配信なら一瞬で繋がるくせに、すぐに大塩さんのそばに行けないのがもどかしい。
だからとでも言うように、俺は口を開いた。
「違いますよ、大塩さん。あなたは悪くない。むしろ、調子に乗った俺が悪いんです。『おりおり』を推すためにショート動画とか勝手に作ってバズらせて。それできっと、益戸がおりおりチャンネルに辿り着いてしまったんです」
そう言いながら、俺は以前琴奈と裏垢について注意した話を思い出していた。
あの時俺は、従妹にこんな事を言っていた。
『でも、学校やお前の友達にバレる前に相談してくれたのが不幸中の幸いだったよ。前にも言ったが、ネットにアップした情報からリアルの情報は結構手にはいるんだからな? 画像だけじゃなく音声からだって、本人を特定されることもあるんだぞ』
……画像だけじゃなく、音声からも特定されることもあるって、知ってたのに。
「ストーカーの話を聞いていたのに、『おりおり』を推すのに夢中で、そんなの全然考えてませんでした。今日『おりおり』が負けたというのなら、推しのためだと勝手に自分の行動を押し付け、益戸を配信に呼び込んでしまった俺の責任です。大塩さんが泣く必要なんてありませんよ」
『……違うよ、裕夫くん。ちょっと気が動転しちゃったけど、こんな事、よく考えなくても、すぐわかる。私たちは、悪くないよ。悪いというのなら、誰かを傷つけようとした人だけだよ、きっと』
そう言った後、鼻をすする音が聞こえてくる。
『少なくとも私も裕夫くんも、私と裕夫くんの『おりおり』は、誰も傷つけようとはしていない。そうでしょう?』
「……はい、その通りです!」
『でしょ? なら、私たちは悪くないよ』
「本当に、大塩さんには敵いませんね」
そう言って俺は、力なく笑う。
「俺、一人だったら、もう駄目になってたかもしれません」
『それは、私も同じだよ。裕夫くんと一緒にやってなかったら、心が折れてたと思う』
そう言った後、大塩さんはしっかりとした口調で言葉を紡いだ。
『裕夫くん。八回目の配信、やるつもりなんでしょ?』
「……驚きました。脅迫状が届いた時にはやめるように言われたので、今回もそう言われるのかと」
『だって益戸先輩、裕夫くんが私の家に来てるって勘違いしてるでしょ? でも実際はそうじゃないじゃない。それに次はないって事は、警察が見回りをしていても、私の部屋に来ようとするかマンションから帰る裕夫くんを狙うつもりよね? そしてそれが確実に行えるのは、八回目の配信の時でしょ?』
「そうですね。だから当日は誰も家に上げずにいれば大塩さんは無事ですし、そもそも俺は大塩さんのマンションに行かないので襲われる心配はありません」
そう言うと、大塩さんは嬉しそうな声を上げる。
『ほら、だったら大丈夫よ。益戸先輩のアカウントはブロックしたし、もし別垢を使ってきても、同じ様にブロックすればいいんだから。それなら、問題なく配信を終えられるわ』
嬉しそうなその言葉に、俺は首を振る。
「でも、それだと益戸のストーキングは止められませんよ」
確かに、八回目の配信をするだけなら、俺たち二人の安全は保証されている。
しかし、それ以降は?
別の日に大塩さんが買い物に出かける時や、俺が登校する時に狙われない、という保証もない。
「そして、その犯行を行ったとしても、やつには言い逃れする用意があります」
『……そっか。またアリバイを作られるかもしれないんだ』
「そうです。俺たちを襲った時間に、またライブ配信をしていたら、益戸にはアリバイがあることになりますから」
完全に目撃者のいない場所で襲われたら、益戸が断然有利になる。
『それじゃあ、やっぱり次の配信は見送らざるを得ないのかな? 少なくとも私のギブスが外れたら、一人で配信ができるようになるし。そうしたら裕夫くんが家にいるって勘違いもなくなって、君だけは狙われずにすむよね』
「……だから、それだとストーキングが止まらないんですって」
警察が見回りをしてくれているといっても、アリバイがあるため益戸が大塩さんを襲ったという事にはなっていない。
現状、警察に見つかっても益戸は注意を受けて、野放しになるだけだ。
苦笑いを浮かべる俺に、大塩さんが問いかけてくる。
『でも益戸先輩のアリバイ工作を崩さない限り、あの人の行動を止められないじゃない』
「ええ。だから、そのアリバイ工作を崩すために、八回目の配信は実行する必要があるんです」
そう言うと、驚いたというより焦ったような声が聞こえてくる。
『え! 裕夫くん、わかったの? 益戸先輩がどうやってアリバイを作っているのか』
「はい。もう益戸の姿を見なくなったと聞いていたので、実は八回目の配信を終えた後にでもお話ししようかと思っていたんです。とはいえ俺は警察でもないので、益戸の使っている証拠を確保出来ませんから、推測の域を出ないんですけど」
だが、こういう事態になってしまったのであれば、そうも言っていられない。
「八回目の配信を実行し、そして大塩さんのマンションの前で益戸を現行犯逮捕します。それでこの件について決着をつけましょう。大塩さんにも、手伝って欲しいことがあるんですが」
『元々私の問題だもん。なんでも協力するわ』
「ありがとうございます。では、八回目の配信なんですが――」
そして俺は、益戸を捕らえるための計画を大塩さんに話した。
途中彼女から大反対を受けたが、やつを確実に捕まえるために必要なことだと納得してもらった。
通話を終えて、俺は一息つく。
……さて、後は琴奈に協力を取り付ける必要があるけれど、こっちは適当に言い包められるだろう。
そう思いながら、俺は従妹にも連絡を取った。
この作戦は、色んな意味で綱渡り要素が強い。
だが、確実に益戸が行っている大塩さんへのストーカー被害をなくすことが出来る。
そのためなら、俺はどんな労力もいとわない。
……俺の推しを泣かせた責任、きっちりとってもらうからな。
◇◇◇◇◇◇
僕(・)は震える手でスマホを握りながら、画面を眺めていた。
『こんばんは。皆、前回は急に配信を止めてしまってごめんなさい。今日はその分も取り戻すぐらい楽しんでもらえるよう頑張るわ』
イヤホンから聞こえてくる声は、おりおりチャンネルの『おりおり』こと、志織さんだ。
彼女は今日の配信でも、FPSのゲームであるレジェをプレイするらしい。
……次はないって、言っておいたのに!
サバイバルモードのランダムマッチを選択する様子が動画で流れてくるが、志織さんが一人でそんな事をするのは不可能だ。
何故なら彼女は先月、話しかけた僕に驚いて、自分で勝手に転んで左腕を怪我している。とてもFPSをプレイ出来るような状態じゃない。
……そうだ。志織さんは、勝手に転んだんだ。悪くない。僕は、何も悪くない。
何か悪いというのであれば、それは僕以外の全てだ。
志織さんは、とても素敵な人だ。
今まで友達もいなくて大学でもパッとせず、何かを変えようと思ってTwitchでライブ配信をやってみた。けど、同接も全く伸びずに動画をほとんど見られなかった。
こんなに頑張っているのに、誰にも認めてもらえない。
友達もいないから趣味は一人でするものだけに偏り、それを誰かに話す機会もないから、自分の必要で都合のいい情報だけをネットで漁るようになった。SNSでも、耳当たりのいい言葉をくれるアカウントだけフォローして、聞きたくない意見はブロックしていった。
今この瞬間にだけ必要な情報があればいいから、将来とか未来の話なんて考えないし、考えたくもない。
だって将来なりたい『何か』なんて僕にはないし、考える意味がわからなかった。
何故ならそれを考えるのは、苦痛だから。
決めることは責任が伴うし、何より怖い。自分が間違っていることが、この上なく耐えられない。
だから身体測定とかテストが、昔から嫌いだった。
今の自分の状態を、赤裸々に明らかにされるから。
どれぐらいの運動能力しかないとか、どれだけの点数しかとれないと、可視化されるから。
だから大学は推薦で入ったし、何かのサークルに入ろうとも思わなかった。そこがクソだったら、自分がそのクソを選んだことになる。だから僕は、何も選ばなかった。
そして僕自身も、薄々それじゃマズいとはわかっていた。でも、変えられなかった。今まで選んでこなかったから、何かを選ぶという選択肢が自分の頭の中に出てこない。
でも、僕は悪くないと思っていた。だってそんな事、誰も教えてくれなかったから。
そんなチートみたいなスキル、義務教育の中の一体どこで身につけるチャンスがあるというのだろう?
『何か』を選ぶための選択が必要なら、その選択肢とやり方を教えておくのが筋というものだ。それなのに、何故学校でそれを教えてくれない?
皆が『何か』を決めていくのに決められない僕は、確かに誰かに認めてもらえるような存在ではないのだろう。
……でも、僕は、僕は、悪くない。大切なことを教えてくれなかった世間が、この世界が悪いんだ。
しかし、そんな僕を認めてくれる人が現れた。
彼女と出会ったのは、そう。いつものように、大学卒業後『何か』になるイメージすら持たず、ただ惰性で出席していた講義での出来事だった。
能動的に講義を受けていないから昨年落としてしまった講義だったので、今年もグループワークがあるのはわかっていた。
昨年行っているグループワークだったので、何をどうすればいいのかはわかっている。
だからこの、他人と関わらなくてはならない苦痛だらけの課題を早く終わらせるため、僕は昨年グループワークで好成績を収めたグループの内容を口にした。
そこで僕は、天使に出会ったのだ。
いや、女神と呼び替えてもいいのかもしれない。
『なるほど、確かにそう考えるのが良さそうですね』
そう言って志織さんは、僕の事を褒めてくれたのだ。
そしてそれを皮切りに、グループワークで一緒になった人たちも僕の意見に賛同してくれるようになったのだ。
衝撃だった。誰かに認められるだなんて、初めての体験だったから。
……あの時、僕は気づいたんだ。志織さんは、違うって。志織さんだけは、違うって。
この、間違いだらけの世界の中で、彼女だけが僕を認めてくれる人なのだ。
僕はあの日、運命に出会ったのだ。
僕一人しかいなかった世界が、僕と志織さんの二人の世界になった。
それから僕は、こちらの世界に入ってきた志織さんに積極的に話しかけた。
それは講義の移動中だったり、学食で見かけた時だ。会う約束をしていないのにこんなに出会う機会があるだなんて、やっぱり運命なんだと思った。
彼女になら自分の全てを差し出してもいいと、単位が取りやすいと他の人が話していた内容を教えてあげたり、彼女との時間を作るためわざわざ受けていない講義にも出たりした。
僕の言葉に相槌をうって聞いてくれていた彼女も、きっと楽しんでくれていたんだと思う。嫌なら、僕の事を拒絶するからだ。そうしないということは、僕を受け入れてくれているという事だ。
次第に二人の仲も深まっていき、志織さんは僕の話を無言で聞くようになっていた。沈黙を無理に言葉で埋める必要がなくなったのは信頼の証だし、そもそも無言は肯定の証。彼女は僕を深く受け入れてくれていた。
それなのに、おかしなことが起こり始めた。
彼女の友達を名乗る奴らが、事もあろうに僕と志織さんの仲を引き裂こうとしてきたのだ。
『もう志織に付きまとうのは辞めてください』
『彼女、嫌がってるじゃないですか』
『何でわからないんですか? こんなに震えて怖がってるのに』
……そんなわけがあるか!
彼女は、僕のことを褒めてくれたんだぞ?
僕を認めて、受け入れてくれる彼女が、僕のことを拒絶するわけがない。
震えて怖がっているのは、お前達がいるせいだ。
でも、以前のように大学で志織さんに話しかけようにも、邪魔が入って話しかけられない。一人でいる所を狙って声をかけても、彼女は足早にその場を去ってしまう。
僕には、意味が分からなかった。
……どうして僕を無視するんだ。僕を受け入れてくれたのは、僕の世界に入ってきたのは、志織さんの方なのに!
大学内で話せないのなら、外で話をするしかない。
僕の献身的な努力のおかげで、ついに彼女の家を見つけ出すことが出来た。これも全て愛故、運命故に成し遂げれた奇跡なんだと思う。
いよいよ久々に彼女と会話をしようと決めたあの晩、僕には心配事があった。
僕と志織さんが愛し合っているのは疑いようもない事実だが、それでも彼女の友達を自称する奴らはそうは思っていない。
数では負けているので、彼女に会いに行って僕に不利な証言をされたら、もう二度と志織さんに会えなくなってしまう可能性もある。
それを避けるために、何かあったときに言い逃れが出来るよう自分のアリバイを確保することにした。まさかそれに、全く観られなかった自分のTwitchが使えるとは思ってもいなかった。本当に、奇跡だったと思う。
そうした万全の準備を期して、僕は彼女に会いに行った。
でも、久々に話すためか、僕も興奮していたんだと思う。
思わず僕は、彼女の手を掴んでしまったんだ。突然の事で驚いたのか、志織さんは悲鳴を上げた。
……そ、それに驚いて、ちょっとは彼女を押してしまったのかもしれないけど、そんな、ほんのちょっとだよ。転ぶほどじゃないよ。
だから転んだのは、志織さんが悪い。だって、僕は悪くないんだから。
愛しているとはいえ、愛しているからこそ、相手が間違っているのならそれを指摘すべきだと思う。
……それなのに、どうして警察になんて連絡するんだよ!
僕は悪くないのに、皆が寄ってたかって僕を悪者扱いする。
でも、アリバイを作っておいたおかげで、助かった。あれがなかったら、捕まっていたかもしれない。僕は悪くないのに、そんなの理不尽過ぎる。
理不尽といえば、警察からの注意も理不尽だ。僕はただ志織さんと話したいだけなのに、注意される意味がわからない。
しかも、警察の見回りまでする始末。これは、国家ぐるみの陰謀だ。
僕と志織さんをくつけないよに、ついに国家権力まで出てきたのだ。
……でも、それぐらいじゃ僕を止めることは出来ないぞ。
オンラインの宅配サービスの配達員が背負うカバンがあれば、志織さんのマンションまで近づくのは難しくない。とはいえ、長時間同じ場所を徘徊するのは怪しまれるので、道に迷ったフリをして数分うろつくのが限界だ。
彼女の不注意だったとはいえ、怪我をしたのが心配で僕はマンションの近くを通っては彼女の家を見守っていた。
……そうしたら、見つけたんだ。あいつが、あの男が、志織さんの家に入っていくのを。
最初見かけた時、高層階のエレベーターに乗ったりゴミ捨て場に現れたので、あのマンションの住人かと思っていた。
でもある日、迷うことなくエレベーターに乗って志織さんの家まで辿り着き、エントランスから帰宅したのを見て、僕は激怒した。
……志織さんと会っているのを誤魔化すため、わざと見つかりづらい工作をしていたんだ!
そんな姑息な事をする男だから、純情な志織さんはころっと騙されてしまったに違いない。
やっぱり彼女には、僕が付いていないと駄目だ。僕しか彼女を守れない。彼女を助け出さなくては。
僕はすぐにあの男へ志織さんから離れるように警告をしたが、またしても警察から注意を受けた。理不尽だ。しかし相手が姑息な手段に出ることがわかっていたので、またアリバイを作っておいたのが功を奏した。
それでも一度、あの男の姿をマンションで見かけた時は、心が滅茶苦茶に掻き乱された。でも警察の姿があったので、近づけなかった。
それならばとあいつの家に向かったが、そこでも警察が現れるようになったので、少し時間を置くことにした。
でもひとまず僕は、そこで満足していた。彼女のマンションに、あの男が現れなくなったからだ。
……やっぱり、僕のやってることは間違ってなかったんだ。僕は、正しいんだ。あいつらが、他のやつらが皆悪なんだ。
悪だと自覚しているから、あの男は志織さんの近くに現れなくなった。
だから僕は、ここだと思った。僕の正義を証明するのは、このタイミングしかない。
……志織さんと、結婚するんだ。
彼女が通っている病院は、もう調べがついている。
彼女の怪我がいつ完治するのかはわからないが、定期受診の日時は把握していた。
……志織さんが病院帰りにギブスがいつ取れていたその日に、プロポーズしよう。
彼女の間違いで怪我をしてしまったことを許して、これからは僕が守ると誓おう。
具体的に何から守るのか? だとかどう守るのか? だとかはわからないけど、志織さんと一緒ならどんな障害も乗入越えられるはず。
だって困難は、一人で乗り越えるものではないからだ。これからの『何か』は、志織さんに考えてもらおう。
僕の未来は、バラ色に輝いていた。
だがその色は、すぐに曇ってしまう。
きっかけは、Vtuber界隈でバズっていた、あるアカウントの存在を知ったのがきっかけだ。
SNSに流れてきたショート動画を観た時、僕は確信した。
……この声は、『おりおり』は志織さんじゃないか!
もう僕は、自分の運命を確信していた。この広いVtuber界隈で、志織さんがVtuberになっていて、それに僕が気づける確率は天文学的な数字になるだろう。
急いでチャンネル登録しようとすると、丁度よく生配信をやっていた。
奇跡を越えた、超奇跡が起こっている。
僕はすぐに動画にアクセスするが、違和感があった。
まだ怪我をしているはずの志織さんが、レジェをプレイしているではないか。
……あの男だ!
でも、志織さんの部屋には誰も入っていないのは僕が見ている。
しかし、マンションの近くにいられるのは数分だ。ひょっとしたら、僕が見ていない隙にマンションに忍び込んだのかもしれない。
……あいつが志織さんの部屋でゲームをしてるんだ!
そうしなければ、説明できない。
志織さんも、志織さんだ。あんな男に、そう何度も言い包められるだなんて。
……でも僕は優しいから、もう一度だけ志織さんとあの男にチャンスを与えたんだ。それなのに――
『スナイパーライフルを持ったはいいけど、至近距離は中々当たりづらいわね。わかってる、わかってるんだけど、そこでスコープ覗くの? 駄目よ。だってもう弾はないんだから、早く退避しないといけないのに!』
スマホから、生配信を続ける志織さんの言葉が僕の耳に届く。
つまり、今志織さんはあの男と自分の部屋で配信をしているのだ。
……せっかく、チャンスを上げてやったのに!
スマホ上に、アカウント名が非表示になったキャラクターがフィールドを駆け、その状況を志織さんが実況している。
でも、今日はあの男がマンションに訪れた所は見ていない。
どうやって彼女の家に忍び込んだのかはわからないが、また卑怯な手段を使ったに違いなかった。だってそうしないと、志織さんがゲームのプレイ動画を生配信していることに説明がつかない。
……もう、許さない。僕の善意を、踏みにじりやがって!
あの男はもちろんだが、志織さんも同罪だ。今回は流石に、彼女にも罰を受けてもらう必要がある。
スマホをしまって、配達員を装うためのカバンを背負い直す。マンションの住人にインターホンで片っ端から連絡すれば、何処か一室ぐらいは宅配を頼んでいるだろう。
そうすれば、エレベーターに向かうためのガラス扉を解錠してもらえる。
後は志織さんの家の前で待ち伏せして、アリバイが作られていることを確認する。
……そしてその後に部屋から出てきた男を襲い、志織さんの部屋に入り込めばいい。完璧な計画だ。
懐に忍ばせた刃物の重さに、思わず口角が吊り上がる。
邪魔者を排除して、改心させた志織さんとの未来を考えて、僕の心臓は高鳴った。
その鼓動に急かされるよう、エントランスに入ろうと一歩を踏み出した、その時。
「ちょっといいですか」
◇◇◇◇◇◇
「ちょっといいですか」
そう言って、俺(・)は大塩さんのマンションへ入ろうとしていた男を呼び止める。
配達員用のカバンを背負った男が、驚いたようにこちらに振り向いた。
男は眼鏡をかけており、ひょろっとした印象を受ける。背負うカバンの重さで、彼はたたらを踏んだ。
その様子を見ながら、俺はスマホを仕舞う。そしてBluetoothのイヤホンの位置を直しながら、口を開いた。
「益戸勝信さんですね?」
「ど、どうしてお前がここにいるんだ!」
その反応を見て、内心俺は安堵していた。
……あぶねぇ。今度こそ益戸本人だった。
八回目の配信前に益戸がマンションにやってくることを考慮して、俺は一時間前からエントランス前を見張っていたのだ。
大塩さんから益戸の背格好は聞いていたが、変装ぐらいはしてくるはず。
そのため、郵便局や宅配員を始め、大塩さんのマンションを訪れる人には片っ端から声をかけていたのだ。
……その度に声をかけていたから、その都度すっげー白い目で見られてしまった。
警察にも益戸が今日マンションにやってくる可能性が高い、という事は説明しているが、あまりにも俺が色んな人に声をかけすぎたので、もはやオオカミ少年的に見られている。
……でも、大塩さんを守るためだ。多少の悪評ぐらいどうってことないさ。
そう思っている俺に向かい、困惑しながらも益戸が俺を睨む。
「な、なんでお前が、ここに? 志織さんは、ゲームの配信を続けているのに!」
「さぁ? どうしてでしょう。でも、大塩さんが誰と何をしていようが、あなたには全く関係のないことだと思いますけど?」
そう言った俺の耳に、イヤホンから悲鳴に近い大塩さんの声が聞こえてくる。
『だから、遮蔽物に入ら、ないのよ! ねぇ、どうして? っていうかそこで手榴弾? ぼむあげだー! もうこのバトルはぼむあげで行くわよー!』
……相変わらず、俺の言ったこと守らずにプレイしているんだな、あいつ。
当たり前だが、俺が家の外にいる以上、ゲームをすることは出来ない。大塩さんには反対されたが、益戸を確実に捕まえるために、この場に赴かなくてはならないからだ。
だから今『おりおり』のゲームプレイを担当しているのは俺ではなく、従妹の琴奈だ。
琴奈がゲームのプレイスキルを上達させたいと言ってきたので、俺が怪我をした時に備えてレジェを仕込んでおいたのだが、残念ながら全く上達してくれていない。
……今頃、生配信のコメント欄は凄いことになっているんだろうな。
この策は事前に大塩さんに伝えてはいるものの、実況する琴奈プレイの酷さは以前リモート配信を試した時に彼女も把握している。
ある程度の心づもりはしてくれているだろうが、もはやヤケクソ実況になっている所を鑑みるに、リアルタイムで観る俺の従妹のプレイは筆舌に尽くしがたく、相当大変な事になっているに違いない。
この八回目の配信は琴奈に観られると自分のプレイだとバレるので、アーカイブには残すことは出来ない。意図せず色んな意味で『おりおり』の伝説回を今晩作ってしまった事になる。
では、その伝説の大部分を作っている琴奈はというと――
『ねぇ、裕兄! ちゃんと聞こえてるの? 動画撮れてる? ヒーローチャンネルにアップしても大丈夫そう?』
《聞こえてる聞こえてる。使えるかどうかは、編集する時に考えるから》
イヤホンから聞こえてきた従妹の声に、スマホのLINEでメッセージを送る。
琴奈の中で、今俺はネカフェで画面共有をしながら一緒にゲームをしている事になっている。
俺がネカフェに行く理由は、琴奈の家にPCがないからだ。俺の家でレジェをプレイさせて、ネカフェからレジェで琴奈と一緒にプレイしている。
俺がLINEでしか反応しないのは、以前話していた通り、俺がネカフェで画面共有しながら指示を出しているためだ。他の人がネカフェにいるのに、大声で喋れるわけもない。
そして現在、俺と琴奈でヒーローチャンネルにアップするための動画を撮影している真っ最中。初コラボというわけだ。
と、琴奈は信じて、実際彼女は『おりおり』のゲームプレイを担当している。
……あいつ、何度言っても立ち回りやアカウント名の表示の有無も気にしないからな。
サバイバルモードでマッチした二人の仲間のうち、そのどれかが俺だと思っているんだろう。これはもう、何度説明しても理解しようとしないあいつが悪い。何より、琴奈のチャンネルはまだ開設されていないのに、コラボもクソもないだろう。
しかし、今回はそれが功を奏した。
琴奈がゲームをしてくれているおかげで、俺がこの場にやってくることが出来る。
……益戸を大塩さんのマンションに誘き出し、警察が来てくれるまでの時間稼ぎをするためにな。
やつはきっと、俺と大塩さんを害するための凶器を持っているはず。職質を受ければ、その時点で現行犯逮捕だ。
現行犯で捕まれば、いくら自分の家でアリバイ工作を仕込んでいたとしても、それは無効になる。
だから益戸は、現行犯で捕まえる必要があった。
……変装して凶器を持ち込もうとして、更にアリバイ工作までしてたら、流石にストーカー規制法に引っかかるだろ。
《悪い、ちょっとスマホの電源なくなるかも。連絡なくても、そのままゲーム続けてていいから》
『嘘でしょ? 裕兄。え、ちょっと待ってよ!』
その声を聞きつつ、スマホの画面をタップし、それを再び仕舞っていると、益戸が激昂していた。
「僕に関係ない、だと? 関係あるに決まってるだろ! 僕の志織さんなんだぞっ!」
わかっていたことではあるけれど、益戸の世界はやはり益戸に閉じている。
実際にやつと対峙して思うのは、黒歴史って案外悪くないものなんじゃないか? ということだった。
黒かろうが白かろうが、歴史は歴史。
歴史は、誰かが何かを選び、行動しなければ生まれない。
黒歴史が出来るということは、それは何かを失敗した、つまり、行動したということに他ならない。
たとえそれが最終的に苦々しい思いでになり、思い出したくもなく、そして思い出した瞬間バタ足して死にたくなるようなものであったとしても。
自分だけの何かが欲しくって、自分だけが特別なんだと勘違いしたくって。
そやってとった行動は、自分だけの大切な経験値だ。
経験値は、正解するだけじゃなく、間違うことでもちゃんと得ることが出来る。
やってはいけないことを学べば、知っていれば、それだけでその人と世界の繋がり方を変えてくれるだろう。
黒歴史という道標があるから、失敗して、悩んだ経験があるから、きっとその辛さで俺たちは他人と言葉を交わせるのだ。
失敗したことがなければ、悩んだことがなければ、成功したことや成し遂げた達成感を理解できないから。
それはきっと、お菓子にひとつまみの塩を混ぜるようなものなのだろう。
辛い味を知っているからこそ、より甘みを感じることが出来るのだ。
……でも、こいつには、益戸には益戸しかいない。
「だからお前の口からは、お前のことしか出てこねぇんだよ」
「……何だと?」
「僕の、志織さん? 人を、あの人を勝手にモノ扱いしてんじゃねぇよ!」
思った以上に大きな声が出て、益戸以上に俺も驚く。
しかし、一度口にした激情は、止めることが出来なかった。
「お前のやってることは、全部押し付けなんだよ。お前のことばっかりで、お前の話ししか出てこねぇ。お前に都合のいい話ししか出てこねぇ。大塩さんはお前にとって都合のいいお人形じゃねぇし、何しても許してくれるお前の母親代わりでもねぇんだぞ!」
「ち、違う! 僕はそんな事思ってない。彼女だって、僕のことを受け入れてくれている!」
「突き飛ばして怪我させたくせによく言うぜ……」
「違う、あれは彼女が勝手に転んだんだ! ちょっと突いただけなのに、大げさなんだよ。だから、だから僕は悪くない!」
あまりの醜悪さに、反吐が出そうになる。
でもこんなやつが持っている一面も自分も持ち合わせているという自己嫌悪に、その気持ち悪さを吐き出すように俺は口を開いた。
「だったら、お前はあの人の何を知っているっていうんだよ」
「知ってるさ。ここの住所だって僕が――」
「……違う。あの人の口から、大塩さんからあの人のことを何か聞いたことがあるのか? って聞いてるんだよ。あの人がここに住んでるのは何でだ? あの人が何で、どういう気持でVtuberをしているのか、知ってんのか?」
そう言いながらも、俺は歯噛みしていた。
そうした大塩さんの事情を俺が知っているのは、たまたま彼女の活動を手伝っているからだけに過ぎない。
つまりは、ただの偶然だ。
大塩さんの存在すら知らず、ただ『おりおり』を推していた未来のほうが、本来はあり得たのだ。
どことなくずるをしているような、そんな感じる必要がない後ろめたさを感じながら、俺は益戸の答えを待った。
だがやつは、俺の言葉が理解できないとばかりに、こう口にする。
「何で、そんな事を僕が知らないといけないの?」
「……は?」
「だって、僕は彼女がいればそれでいいんだよ。彼女が何をしたいとか、何を大切にしているとか、どうでもいい。好きにしたらいいじゃない。好きに頑張れば」
「好きに、頑張れば、って。何か、ないのか。応援したいとか、手伝いたいとか、そういうのって」
「だって、僕のことじゃないもの。どうでもいいよ。あ、もちろんそれで僕に関係する事がなおざりになるのなら困るけどね。だってそれは、彼女にやってもらわないといけないんだから」
「……お前、大塩さんが好きなんじゃ、ねぇのかよ。好きって感情は、そうじゃねぇだろ?」
「だから、何で?」
益戸は心底不思議そうに、首をひねる。
「彼女は、僕を受け入れてくれたんだ。だから僕には彼女が必要なんだよ。大体、人の愛し方なんて、それこそ人の数ほどある。お前に人の愛し方を否定できる権利でもあるわけ?」
「……少なくとも、お前のそれは愛でも恋でもねぇよ。お前が欲しているのは、自分を認めてくれる機能だけだ。それを与えてくれたと勘違い出来た最初の一人が大塩さんで、他にそれをくれる人がいたら別にお前は誰でもいいんだろ?」
「でも、それをくれるのは今は志織さんだけだよ」
「そのもらったものに対して、お前は何を返せるんだよ」
「何、を? 返す? 僕が?」
そこで益戸は、完全に固まった。まるで今まで考えたこともない難問を出されて、戸惑っている数学者のようだ。
その表情を見て、俺は確信する。
……違う。やっぱり俺は、こいつとは全然、全く違う!
確かに俺は、こいつと同じく大塩さんに対して良かれと思った行動の押し付けをしている。
その推しに対しての、自分では善意と思っているものが、好意が拒絶される恐ろしさは、もちろん今も持っている。
……でも、そういうもんだろうが。誰かを推すっていうのは、好きになるっていうことは。
これは、優先順位の話だ。
嫌われるかもしれない。怖がらせてしまうかもしれない。気持ち悪いと、完膚なきまでに、拒絶されてしまうかもしれない。
でも、それでもその人のために何かをしたいという、自分の感情を優先させること。
それがきっと、何かを好きになるというとなんだ。
いつまでも推しには元気で活動していてもらいたいし、推しには笑顔でいてもらいたい。
それを叶えるために俺がいない方がいいというのであれば、喜んでその場から立ち去ろう。
たとえ俺が大塩さんと出会えなくなってしまったとしても、推しが幸せなら俺はそっちの方がいい。
俺にとっての大切な『何か』は、きっとそういうものなんだ。
「俺は、大塩さんを笑顔に出来るよ。彼女を応援して、楽しんでもらって、配信だって手伝って、真正面から向き合える。時には間違ったことを言うかもしれないけど、その度ちゃんと謝って、次の配信どうしようかとか、『おりおり』の事について、将来について話し合える。これから先、辛いことも苦しいことも、二人で一緒に乗り越えていける」
……もちろん、それを大塩さんが望んでくれれば、だけど。
でも、これだけは断言できる。
「俺はお前とは違うし、お前のそれがたとえ愛なんだとしても、そんなものを受け入れてくれる人はこの世にはいないよ。そんな二人で一つじゃなくって、一人と一人で孤独な関係を、しかもお前が都合が悪くなったら寄りかかってこられるような関係を、一体誰が望むっていうんだよ!」
「……黙れ、黙れ黙れ黙れ!」
益戸は唾を撒き散らしながら、怒声を上げる。
「間違う? 謝る? どうしてそんな関係になれるんだ? だって、僕は悪くないんだぞ? 僕が悪くないのに、何で受け入れてもらえないんだよ! そんなの、そんなの世界の方が間違ってるだろうがっ!」
そう言ってやつは、懐からナイフを取り出した。
激昂に照らされ、刀身が鈍色に光る。
それを見て俺は、逃げ腰になった。
……お、おい、まだ警察は来ないのかよ!
益戸と思って色んな人に声をかけすぎた弊害か、まだ警察が来ていないようだ。
……あれだけ大声で叫んでたのに、早く来てくれっ!
そう祈るが、ただ大声で話しているだけでは、またオオカミ少年が騒いでいるだけだと勘違いされるかもしれない。
俺はとにかく警察がこの場に来てくれるようにと、口を大きく開いた。
「無駄な抵抗は止めて、大人しくナイフを捨てろ! もう少しでここに警察が到着する。無駄に罪を増やす気か?」
そう言うと、益戸は一度スマホを取り出して画面を確認し、不敵に笑いながらそれを戻した。
「それが、大丈夫なんだよ。僕には今、アリバイがあるからな」
「……ああ、あのTwitchのライブ配信か」
今のは、自分の配信がきちんと行われているか確認したのだろう。
俺はやつから視線を僅かに外し、小さく頷いた。
そんな俺を無視するように、益戸は上機嫌で口を開く。
「なんだ、知っているのか。だったら話は早い。今僕は、自分の家で配信を行っている。だからすぐにお前を殺して逃げれば、僕が捕まることはない。だって、僕はここにいないんだからな」
そのアリバイに絶対的な自信があるからか、もしくは勝者の余裕からか、益戸はべらべらと喋り出す。
「残念だったな。お前がいなくなれば、志織さんも自分の間違いに気づくだろう。少々灸を据える必要はあるんだろうけど、ね。まぁ、これから死ぬ君には、もう関係ないことだけどな!」
「……本気で言ってるのか?」
「何?」
「いや、だから人一人殺して捕まらないって」
「あ、当たり前だろう! 僕にはアリバイがあるんだ。捕まるわけが――」
「凶器は?」
「……え?」
俺の質問が想定外だったからか、益戸は呆けたような顔になる。
そんなやつを置き去りに、俺は益戸から距離を取るように、回り込むように動きながら、一方的に喋り続けた。
「だから、アリバイはあるとして凶器はどうやって隠すんだ? そのナイフで刺すつもりなんだろうけど、それはどうやって隠すんだ? って聞いてるんだよ。というか、刺されたら俺の返り血もつくだろ? 服の着替えは持ってきてるのか? その間どうやって目撃されないようにするんだ? その服の処分もあるよな? 俺の血が付いたナイフに服を持っていて、流石に無関係じゃすまされないだろ」
益戸は狼狽えるが、それでもどうにか言葉を絞り出す。
「う、うるさい! たとえどれだけ怪しくても、僕にアリバイがあれば犯行は出来ないんだ。推定無罪の原則で、僕が罪に問われることはない!」
「いや、無理だろ。だってお前、アリバイないんだから」
その言葉に、やつは絶句する。
だがすぐに自信を取り戻したような表情を浮かべた。
「ま、負け惜しみを言うなよ。言っただろ? 僕は今、家でTwitchのライブ配信を――」
「ああ。事前に撮影しておいた、パズルゲームのプレイ動画を流してるんだろ」
そう言うと、益戸の表情が固まる。
琴奈に配信を任せて今俺がこの場にいるのと同じく、配信をしているはずの益戸がここにいる以上、益戸のアカウントで別の存在が配信しているという事になる。
だが、やつのアカウントの配信で流れる声は、益戸本人のものだ。
それならば、可能性は一つしかない。
「予め撮り溜めた動画を流すことで、お前は今その場でゲームをしているように装っていたんだ。録画した映像だから、お前はゲームをプレイしている自分の姿を映像に出せなかったんだよ」
「ま、待てよ。仮に動画を流せたとしても、あれはどう説明するんだ? ビッツに僕は、投げ銭のコメントにちゃんと反応してるんだぞ!」
確かに、やつの言うとおりだ。
あれが録画だったとすのであれば、そんな事が出来るのは、これから先何が起こるのか知っている未来人か、未来が見える超能力者だけ。
自分がそうだと言い張る黒歴史を持っている人ならいるかも知れないが、生憎、この世には未来人も超能力者も存在しない。
だから益戸は、これからどんな投げ銭が送られるのか、事前に知っていたという事になる。
それが出来る方法は、一つだけ。
「そりゃ反応できるだろう。投げ銭を、自分自身で送ってるんだからな」
絶句する相手に向かい、俺は悠然と口を開く。
「お前は別のアカウントから、自作自演で投げ銭をしていたんだよ。だから動画を撮影する時、どのタイミングで、どんなコメントが来るのか知っていた。後はそのコメントが投稿されたタイミングで、それにあった返答を動画の中で話すように撮影しておけば、あたかもリアルタイムで回答しているかのようなライブ配信が出来上がる」
「投げ銭を、僕が? で、でも、今もライブ配信をしてるんだぞ? 僕はこの通り、スマホも触ってない。投げ銭なんてどうやって――」
「出来るだろ? スクリプトを組んでおけば」
ゲームのテストには、スクリプトを組めば自動で人の指の動きを表現してくれるものもある。
それを使えば時間を設定し、人間と同じ動作をさせて投げ銭を送れるのだ。
「細部は間違っている所もあるかもしれない。でも、俺の返り血や血痕付きのナイフを所持しているお前の家を、警察は徹底的に調査する。そうなれば今俺が言ったようなトリックに使える材料は、確実に見つかるさ。そうなれば、もう言い逃れ出来ないよ」
「で、でもそれも、今すぐお前を殺して家に帰って処分すれば――」
「今のは、自供って事でいいよな?」
そう言って俺は、スマホを取り出した。
「悪いけど、『僕に関係ない、だと? 関係あるに決まってるだろ! 僕の志織さんなんだぞっ!』辺りから、俺たちの会話は全て録音させてもらっている」
あの時俺がスマホを触っていたのは、録音アプリを起動させるためだったのだ。
「ちなみに俺のスマホを壊しても、音声データはクラウドにアップされてるから消せないぞ。俺が殺されたら警察がそれを調べる。悪いことは言わないから、ナイフを置けばまだ罪は軽く――」
「うるさい、死ね!」
益戸がそう言って俺に踊りかかる、ことはなく、駆けつけた警察官に取り押さえられた。
やつがTwitchのライブ配信を確認した辺りで、警察が近づいてきていたことに俺は気づいていた。
だからそちらに目が行かないよう、回り込むように移動していたのだ。
地面に押し倒され、警察に捕獲されながらも喚く益戸を、俺は冷たい目で見下ろす。
「殺すという発言だけならまだしも、実際に俺に襲いかかろうとしたんだ。殺人未遂も付いちまったな」
そう言ったタイミングで、イヤホンから大塩さんと琴奈の叫び声が聞こえてきた。
『えぇい! こんなんでびくちょり出来るか! あそこで綺麗にグレネードで吹き飛ぶとか、流石に想定してないわよ!』
『裕兄、まだぁ? 全然勝てないよ! こんなんじゃ初コラボ、大失敗だよ! 裕兄にも迷惑かけちゃうし、こんなんじゃ学校の皆に褒めてもらえないよぉっ!』
俺は溜息を吐き、二人にそろそろ配信を止めるようにLINEで連絡した。
パトカーがこちらにやってくる音を聞きながら、俺はもう十一月になろうという寒空を見上げていた。