○終章
十一月になった、休日のお昼時。
俺は今、大塩さんと共に、最初に出会ったレストランでコーヒーと紅茶を飲んでいる。どちらがどちらの注文なのかは、もはや語らなくてもいいだろう。
「はい、それじゃあこれが約束の収入ね」
そう言って、大塩さんが俺に茶封筒を差し出した。
その封筒には、彼女の両手が添えられている。
「あ、ありがとうございます」
大塩さんから封筒を手渡され、その場で俺は中身を確認した。
思った以上の金額が入っていたので、俺は驚いてしまう。
「大塩さん、これ、金額間違ってませんか?」
「間違ってないわ、と言いたい所だけど、実はちょっと色を乗せさせてもらってるの。ショート動画も好評だし、何より最後の八回目配信が、ね」
「ああ、あれですか」
ショート動画の方は、既に話を聞いていたので驚きはない。
問題は、あの八回目の配信だ。
琴奈にレジェのプレイを変わらせたため、今までの配信とちがってプレイスキルは格段に下がったものとなっていた。
益戸を捕まえるためとはいえ、ひょっとしたらおりおりチャンネルの登録者数が減るかもしれない。そうしたリスクを説明した上で、大塩さんはそれを飲んでくれた。
『一時的に観てくれる人が減っちゃっても、私は今後もVtuberとして活動出来る道を選びたいわ』
とは、大塩さんの談だ。是非是非これからも推させてもらいたい。
そして配信当日、予想通り琴奈は今までの俺のプレイや大塩さんのプレイとレベルが格段に低いプレイを、おりおりチャンネルで見せつけた。
そして、それを見せつけられた大塩さんは、その予測不可能な行動に無我夢中、というよりヤケクソを通り越して逆ギレ的に実況をつけたのだ。
それが、まさかの大バズリ。
登録者数は減るどころか激増し、このままいけば、本当に動画配信者として生活していくのも夢ではない、かもしれない、という所まできた。
「好評だったのは嬉しいと言えば嬉しいんですが、俺のショート動画より、琴奈のプレイでバズったというのがちょっと癪ですね」
「むしろ、ショート動画でバズってた所でのあの配信だったのが良かったんだと思うよ。裕夫くんに手伝ってもらってから、焦った私のギャップがいい、っていうコメントもあったし」
そう言った後、大塩さんが苦笑いを浮かべる。
「でも、癪というのなら、私の方が癪よ。今までの配信より、あの八回目の方が人気出ちゃったわけだし。《やっぱり本当に腕怪我してんじゃね?》みたいなコメントもあって、相当コメント欄も沸いてたしね。アーカイブにも乗せて欲しいってコメント、凄いんだから」
「そいつはまた、中々ですね」
苦笑いを浮かべる俺に、大塩さんが問いかけてくる。
「それで? 裕夫くんの方はどうだったの? 琴奈ちゃんに、コラボするって嘘付いたんでしょ?」
「ああ、あれは問題ないです。録画した動画見せて、本当にこれを世界に向けて配信するのか? ってガン詰めしたら、勝手に折れました」
「……本当に、容赦ないわね、琴奈ちゃんに対しては」
「今まで散々迷惑かけられてますからね。こういう時ぐらい役に立ってもらわないと」
そう言ってコーヒーを啜ると、大塩さんも紅茶のカップを傾ける。
しかし彼女は、何故か少しすねたように唇を尖らせた。
「裕夫くん、琴奈ちゃんには遠慮がないけど、私にはまだ壁あるよね?」
その疑問に、俺は本気で首を傾げる。
「一緒にストーカー撃退した仲なのに、壁なんてありますか?」
「あるわよ! たとえば、その、名前とか」
「名前、ですか?」
「ほ、ほら、あれよ! 一ヶ月とはいえ、一緒に私たちは二人で『おりおり』だったわけじゃない? それなのに、いつまでも大塩さん、っていうのも、あれだと思わないかしら?」
数秒考えて、俺は口を開く。
「それは、志織さんと呼べ、ってことですか?」
「き、強制じゃ、ないのよ? 嫌なら、別に、いいんだけど……」
「いえ、ではこれからは志織さんと呼ばせてもらいます」
「う、うん。裕夫くんがいいなら、それでいいと思うわ」
そこで、僅かに沈黙の時間となる。
ここだ、と思った。
言うなら、このタイミングしかない。
益戸と対峙してから、俺の中に、ある一つの願いというか、願望みたいなものが芽生えた。
それは――
……俺は、まだ続けていたい。
推しを、『おりおり』を、志織さんと一緒に。
元々一ヶ月という話だったし、怪我が完治した彼女にとって、俺は不要な存在なのかもしれない。
……でも俺は、もっと志織さんを手伝いたいんだ。手伝うことで、応援したいんだ。
そして、彼女に笑顔になって欲しい。いや、俺が笑顔にしたい。
だから――
……だから、言うんだ、俺。
キモがられるかもしれないし、怖がられるかもしれないし、一秒後には真っ黒すぎる黒歴史になるかもしれないけど、それならそれで、今まで通りただ数いる『おりおり』にスパチャを投げる、顔も知らない誰かの一人として『おりおり』を推せばいいんだから。
「あの、志織さん」「あのね、裕夫くん」
二人同時に口を開き、そしてまた同時に口をつぐむ。
しかし次に口を開いたのは、大塩さんの方だった。
「ど、どうしたの? 裕夫くん」
「いえ、志織さんの方から」
「でも、裕夫くんの方が年下だし――」
そう言った後、彼女は首を振る。
「いえ、こういうのは、やっぱり私がしっかり言うべきだと思う。だから、ごめんね。最初に私の話からさせてもらっても、いいかな?」
「は、はい。どうぞ」
「あのね」
緊張したような面持ちの志織さんに、俺の方も緊張してくる。
短く息を吸い込んだ後、彼女はハッキリとした口調でこう言った。
「よければこのまま裕夫くんに、おりおりチャンネルを手伝ってもらいたいの」
……。
…………。
………………え?
え? 今、なんて?
「前にも言ったかもしれないけど、ショート動画の編集とか私出来ないし、教えてもらっても配信と並行して編集するの、大学もあるし、難しいかな? って。それに、その、色々あったじゃない? そ、それで、や、やっぱり裕夫くんと一緒に活動出来ると、安心するっていうか、その」
そう言った後、志織さんが上目遣いで俺を見上げてくる。
「ど、どう、かな? ヒーローチャンネルの活動の、負担にならないぐらいでいいからさ。ま、また、私と一緒に『おりおり』になってくれないかな?」
俺は一度天井を見上げ、そして顔を下ろす動きで頭を下げる。
「是非、よろしくお願いします」
「ほ、本当? ほんとに、本当?」
「はい。これからもよろしくお願いします、志織さん」
「ありがとう!」
そう言って、俺たちは両手で二人、握手を交わす。
「それじゃあ、次は裕夫くんの番ね。さっき、何を言いかけていたの?」
「大丈夫です。俺が言いたかった事は、先に全部言われてしまったので」
「えっ、それって……」
「はい。俺の方からも、活動のお手伝いをさせてもらいたいってお願いしようと思っていたんです」
そう言うと志織さんは、今までに見たこともないぐらいの満面の笑みを浮かべた。
その笑みを見ていて、改めて思う。
いつまでも推しには元気で活動していてもらいたいし、推しには笑顔でいてもらいたい。
そして何より、推しは、推せるうちに推すべきだ。
だから俺は本格的に。
今日から推しになります。