DollsNest 外伝 『定めと意志と世界の終わり』   作:Kazuha.Y

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第十二話です。よろしくお願いします。

前話から1ヵ月以上空いてしまい大変申し訳ない……


『終焉の合図』

「……もうすぐ着くぞ」

 

 エレベーターの扉が開くと同時に、冷たい中層の空気が肌を刺した。

 

 深層での時間が嘘のように感じられるほどの静けさ。

 

 壁に等間隔で設置された非常灯が薄暗い空間を淡く照らしていた。

 

「変な感じ。たった二日しか経ってないのに久し振りに感じる」

 

 レーヴの呟きにシロは小さく頷く。 

 

 これまで生きてきた日々と比べれば、一瞬の出来事。

 

 けれども、随分と長い時間を過ごしていたような気がした。 

 

 セラとの出会い。そして母との別れ。 

 

 自らに課した十字架を背負い直すように、シロはゆっくりと息を吐いた。

 

「……行こう。道案内は任せたよ」

「あぁ」

 

 ヴォーグは短く答えると先導するように歩いていく。 

 

 三人はその後を静かについて行った。

 

「にしても、本当に統幕に乗り込むの?いくら曹長が強いとはいえ、危ないんじゃ……」

「霧の名が残り続ける限り……ガーディナが我のことを忘れることは無い。いきなり撃ってくることは無いだろうよ」

 

 不安そうな様子のレーヴに、ヴォーグは苦笑交じりに返す。 

 確かに彼女の言う通り、正面から堂々と進んだところで拘束されることはないだろう。 

 もし戦闘になったとしても、負けるつもりは毛頭無かったが。

 

「でも……本当に種子が動き出したのを信じてくれるかな」

 

 セラの問いに少しだけ考える素振りを見せた後、首を縦に振った。

 

「年寄り連中はどうにも腰が重いが、副総裁のロゼッタは頭の回転が速い。同じ結論に辿り着いていてもおかしくないくらいには、な」

「一番の年上がヴォーグでしょ……」

「……久々に一戦やるか?」

「ごめんごめん。そんな目で見ないでってば」

 

 目の前から放たれた凄まじい殺気を浴び、シロはおどけた様子で両手を挙げる。 

 

 それを見て溜息をつくヴォーグだったがその表情はどこか楽しげだった。 

 

「っと。ここが連絡路の入り口だ」

 

 しばらく歩き、辿り着いたのは無骨な隔壁。 

 

 その脇には古びた操作パネルが設置されていた。 

 

「ふむ……セキュリティは変わってないな。よし」

 

 呟きながら彼女は慣れた手つきで数字を入力していく。 

 数秒後、低い唸り声のような音と共に鋼鉄の門が開き始めた。 

 

「うわぁ……すごい厚みだね、この装甲」

「多分お前のアレを使っても何発かは耐えると思……待てシロ試そうとするな、銃を下ろせ」

「いつ交戦してもいいようにだよ……余程の事が無い限りあれは使わないから安心して」

 

 疑いの眼差しを向けるヴォーグにシロは肩を竦める。 

 

 耐久性が若干気になっていたのは、事実だったが。 

 

「ほら行くぞ。時間がない」

 

 ヴォーグが先導し、一行は連絡路の中へと足を踏み入れた。 

 壁面を這うパイプから漏れ出る蒸気、無機質な照明に照らされる薄暗い通路。 

 静寂の中で、それぞれの駆動音だけが響き渡る。 

 

「ねえ……何か変じゃない?」

 

 不意に立ち止まったレーヴが周囲を見回した。

 

「静かすぎるよ。人がほとんどいない……」

 

 シロは壁に手を当て、耳を澄ます。 

 

 遠くからかすかに聞こえるのは、銃声ではなく空気の流れる音だけ。 

 

「……罠だったりしない?」

「まぁ、それならそれで構わんさ。どうせ……」

 

 意味深に言葉を切った刹那、通路の天井が爆ぜた。 

 

 飛び散った破片をレーヴが大剣で弾き飛ばし、シロはセラを押し倒して衝撃波をやり過ごす。

 

 一方、ヴォーグは微動だにせず前方を見据えていた。 

 

「久しいな、姉上。よくもまぁぬけぬけと顔を出せたものだ」

 

 土煙が晴れた先に立っていたのは、片眼を眼帯で覆った黒髪のニンフ。

 

 深紅の鎧殻に身を包み、義手の右手に握られた散弾銃(SG T34A1 TOZ)は真っ直ぐヴォーグへと向けられていた。 

 

「今更何しに戻って来た?裏切り者が」

「……マリーナ」

 

 硬い表情の彼女を見てヴォーグは微かに眉を寄せたが、それも一瞬のことだった。 

 

「そこを退け。我はロゼッタに会いに来たのだ、お前に構ってやる暇は無い」

「寝言は寝て言え……姉上がガーディナを捨てたその日から、ずっとこの時を待ち望んでいたんだからな」

 

 マリーナが指を鳴らすと、それを合図に鎧化兵が次々と姿を現した。

 

 第一特殊作戦連隊本部管理中隊第1鎧化小隊、総勢40機。

 

 総指揮官であるマリーナ直属の隊であり、その中にはかつて霧に所属していた者もいた。

 

「武器を捨てろ。反抗するようなら……容赦はしない」

 

 狭い通路を塞ぐように展開し、全員が銃を構える。 

 

 一触即発の空気の中、シロはゆっくりと手を挙げた。 

 

「姉さん……?」

「先に撃たれたならまだしも、そもそもの目的は話し合いをすること。わざわざ戦う理由は無いからね」

 

 困惑するセラを諭しながら、彼女は無抵抗の意思を示す。

 

 その行動に毒気を抜かれたようにマリーナは舌打ちすると、残る二人の方へ向き直った。

 

「この期に及んで逃げようなど考えるなよ?殺されないだけ有難いと思え」 

「……仕方あるまい。ほら、好きにしろ」 

 

 そう言ってヴォーグもまた両手を上げる。 

 

 レーヴは最後まで不満そうな表情だったが渋々それに倣った。 

 

「拘束して連れていけ。余計な傷は付けるなよ」

 

 命令を受けた兵士たちによって後ろ手に縛られる四人。

 

 そのまま輸送車に乗せられようとした時、マリーナが不意に足を止めた。 

 

「……姉上」

「なんだ?」

 

 振り返ったヴォーグに向けられたのは憎悪でも敵意でも無かった。

 

 先程までの溢れ出す殺気とも違う。

 

 それは、姉を慕う妹の姿に他ならなかった。

 

「帰ってきてくれて、嬉しい。でも、生きていたのなら早く連絡してくれたらよかったのに」 

「…………すまない」

 

 たった一言だけ絞り出すと踵を返し歩き出す。

 

 残されたマリーナは悔しさとも嬉しさともつかない感情を抱えつつ姉の背中を見送った。

 

 

「うぅ……視線が凄い」

 

 統幕施設内を歩きながらレーヴは辟易とした表情を浮かべた。 

 

 すれ違う誰もが好奇の色を向け、噂話が囁かれる。

 

 それは至って当然の反応だった。

 

 中層最強と謳われる第一特殊の総指揮官、そして連れられているのが"裏切り者"として有名なヴォーグだけでなく謎のニンフ二名と全滅したはずの第三特殊の生き残りがいるのだ。 

 

「見世物じゃないぞ。そんな暇があるなら手を動かせ!」

 

 護衛の一人、ランツの怒声が廊下に響き渡る。 

 

 その声に萎縮する周囲を他所に、マリーナは憮然とした態度のまま先頭を歩いていた。 

 

 程なくして昇降機へ乗り込み、辿り着いたのはガーディナの頭脳たる司令部。

 

 普段は閑散としている筈の室内は多くの鎧化兵や士官で溢れ返っていた。 

 

「失礼。客人を連れて来た」

 

 よく通るマリーナの声に一瞬場が静まり返る。 

 

 そこに居合わせた全員が彼女の後方にいる人物を見て固まった。

 

 ……ただ一人を除いて。

 

「おかえり。随分と遅かったな」

「あぁ、ただいま。そっちは変わらないようで安心したさ」 

 

 部屋の奥から響いた声の主へ向け、ヴォーグは軽く手を振る。 

 

 穏やかな笑みを浮かべている彼女こそが、ガーディナ帝国副総統のロゼッタだった。 

 

「立ち話もなんだ、座ってくれ」

 

 テーブルを挟んだ向かい側に腰掛けたシロは改めて室内を見回す。

 

 壁のモニターには中層全域を細分化した地図が所狭しと映し出され、各地の部隊の動きがリアルタイムで更新されていく。

 

 中でも一際大きく表示されていたのは、西側にある上層方面への層間連絡線付近。

 

 突如としてアルカンド連邦が侵攻を開始してから二日経つが、その戦況はお世辞にも良いとは言えない。 

 

 平時より上層の監視に務め、対アルカンド戦術を得意とする第二特殊作戦連隊を持ってしても前線を押され、後退を余儀なくされていた。 

 

「……何故今になって姉さんが戻って来たのか、聞きたいことは山ほどある。だが、その前に一つ」

 

 そこでロゼッタは一度言葉を切り、ヴォーグの隣にいるシロへと視線を向ける。 

 

 琥珀色の双眸には、驚きと懐かしさが混ざっていた。

 

「"蜃気楼"。貴方がそうなんだな?霧の背中を護った英雄は」

「……覚えてる人がいると思わなかった。そうだよ、わたしがそう」

 

 シロが肯定すると共に、周囲の空気が一変した。 

 

 一部の兵士は戦慄した表情で後退り、マリーナに至っては手にしていたショットガンを取り落としていた。

 

「もしかしてだけど姉さんって凄く有名なの……?」 

 

 隣から身を乗り出してきたセラの問いに苦笑しつつ、シロは口を開く。 

 

「昔の話だよ……ヴォーグと一緒に戦ってた時のね。まぁ、ここまで知られてるとは思わなかったけど」

 

 中層戦争で敵味方双方に恐れられ、畏れられた存在。 

 

 颯爽と現れギプロベルデ鎧化兵を蹂躙していく姿は多くのガーディナ兵の羨望の的となっていた。 

 

 世代を重ねてもその逸話は姉から妹、そしてその妹へと語り継がれて今に至る。 

 

「……取り敢えず現状の整理からだ。リーフ、説明してやれ」

「私が?今忙しいんだが……まぁ構わん。他にに適任も居ないだろうしな」

 

 ロゼッタに促され、モニターと戦術端末を睨み付けていたニンフが立ち上がった。

 

 統合幕僚監部のみ着用を許される桔梗色の制服に、輝く四つの星。 

 

 ガーディナ帝国軍で最高位の階級、幕僚長たる彼女の名をリーファと言った。 

 

「連邦が連絡線を突破し中層へ足を踏み入れたのが今から64時間前。連絡線監視隊は2時間後に壊滅。付近で宿営中だったルーンが迎撃に向かったが……」

 

 そこまで言ったところでリーファは画面を切り替える。 

 

 表示されたのは各部隊の損害状況だった。 

 

「……酷いね、これは」

 

 シロの呟きに一同は無言で頷く。 

 

 派遣された第二特殊作戦連隊の兵力は全体の3割を喪失していた。

 

 現代戦に於いてこの損耗度は部隊の機能維持は不可能であることを意味し、本来ならば撤退以外の選択肢は無い。 

 

 しかし未だに彼らが後退しながらも戦線を維持できているのは、偏に指揮官を務めているフローレスの手腕だろう。 

 

「増援は?」

「第39普連と第44普連、第3鎧化団を丸ごと放り込んだ。それと昨日の夜に出発させたリジル(第四特殊)が今頃合流していると思う」

「あそこの連中じゃ荷が重いのではないか?戦車型を仮想敵にしているのにアルカンドの相手をさせれば下手し潰されるぞ」

「仕方無いだろ、いつどこに連邦の敵が空から降ってくるか分からないんだ。これ以上戦力を割いたらそこから中央都市に攻め込まれる可能性すら出てくる」 

 

 ヴォーグの苦言にリーファはため息を吐きながら答える。

 

 カルディアが率いる第四特殊の主任務はギプロベルデ兵の残党狩り。

 

 正反対とも言える航空鎧化兵との戦闘に慣れていない状態で投入するのは諸刃の剣と評するのが妥当だ。 

 

「……打つ手なし、か」

「分かってる。正直言ってこの戦いは防衛以外打てる手が無いんだ。封鎖してある他の連絡線から攻めようと思えば攻められるかもしれんが、どうせ迎撃されて終わりだろう……残念ながらな」

 

 元より不利な状況で始まった戦争であり、状況が好転する兆しもない。 

 

 そして更にもう一つの、最大の懸念点をシロたちは知っていた。

 

「……私からも話があります。三特に何があったのか。そして異形と種子の関係について」

 

 レーヴがそう切り出した瞬間、室内の空気が凍り付いた。 

 

「種子?まさか本当に奴が動き出したのか!?」

「落ち着け。とにかく話を聞くのが先だ」

 

 リーファに宥められ、席に座り直すマリーナ。 

 

 それを見届けてからレーヴは口を開いた。 

 

「副総統。貴方は気付いていたんですね?下層の異形がなぜ増えていたのかを……だから私を、私たちを第3連絡線へ派遣した。違いますか?」

「……その通りだ。本当ならばただの調査の筈だったんだ……!」

 

 拳が机に叩き付けられる音が響く。 

 

 これまで穏やかな表情を見せていたロゼッタの顔は明らかに焦燥に駆られていた。

 

「最初は確証が持てなかった。十数年周期に起こるいつもの事だと思っていたんだ……だが、下層にいた斥候からの連絡が途絶えたのは初めてだった」

「それで万が一に備えて動ける私たちが派遣されたって訳ですか」

 

 レーヴが確認すると彼女は静かに首肯した。

 

 下層は異形が蔓延る魔界と化した地。

 

 偵察として向かわせた兵士はその誰もが紛れも無い実力者だった。

 

 数名が命を落とすことはあれど、各地に散らばっている全員が死んだとは到底考えられない。 

 

 しかし、それが現実に起こり得てしまった以上、その奇異性を無視することは出来なかった。 

 

「何かがおかしい。そう思ったから君たちグレイヴ(第三特殊)に連絡線の監視を命じた。少なくとも中層への被害を食い止めることはできると考えたからだ」

 

 皮肉なことに、ロゼッタの予感そのものは当たっていた。

 

 訪れた結果が考えうる限り最も悪い方向へ傾いていたという事実を除けば。 

 

「私の所為だ。種子が噛んでいる可能性を念頭に置いて作戦を立案していれば……」

「落ち着け、承認した私の責もある。それに……今は悪役探しをしている場合ではない。違うか?」

「そう……だな……」

 

 取り乱した様子のロゼッタに対しリーファは冷静に言葉を掛ける。 

 

 ガーディナを統べる者として、弱音を吐くことを許されなかった彼女の精神はとうに擦り切れていた。 

 

 同じように、仲間を喪ったレーヴもまた心の傷を抱えていた。

 

 誰を責めればいいかすら分からずに。

 

「ここからはわたしが話すよ。レーヴは座ってて」

「……うん」

 

 震える身体を必死に抑えようとする彼女の肩に手を置き、シロは立ち上がる。

 

 そして真っ直ぐロゼッタへ視線を向けた。 

 

「全部話す。これからどうするか決めるために、必要な情報を全て」

 

 そう前置きをしてからシロは語り始めた。

 

 自らの生い立ち、そして定めについて。

 

 レーヴと出会ってからの旅路について。

 

 メーヴェの目的、これから何が起きるのかについて。 

 

 己が知る、その全てを。

 

 

「冗談なら、どれほどよかっただろうな……」

 

 聞き終えたロゼッタは呆然とした表情を浮かべたまま呟く。 

 

 シロから告げられた真実は、あまりにも残酷すぎた。 

 

 上層のアルカンド、下層の異形。そして、種子。

 

 絶体絶命の状況に陥ったガーディナに残された手段は、一つだった。

 

「全てを仕組んだのが種子だと分かった以上、目標はシンプルだ。奴は必ず女神の一部を奪還しにこの中層へやって来る。我々はそれを全力で叩き潰すだけだ。そうだろう?」

 

 リーファの言葉に室内にいる全員が同意するように頷いた。

 

 どれほど困難であっても、不可能に限りなく近かろうとも、それは一縷の望みを手放す理由にはならなかった。 

 

「作戦司令部の者は前へ!通情は全軍へコード『スリーナイン』を飛ばせ!総力戦だ!!!」

「デフコンを3から1へ引き上げろ!第一種戦闘配置!」

 

 掛け声と共に部屋全体が慌ただしく動き始める。 

 

 コード『スリーナイン』、それは中層以外からの脅威によってガーディナ存亡の危機が訪れた際に下される緊急の出動命令。

 

 持ちうる全ての兵力を以て対象を撃滅する事を最優先目標とし、各連隊長を始めとした部隊の指揮官には一時的にあらゆる権限が解放される。 

 

 一々上層部に報告するなどといった行為は、非常時に於いては時間の無駄でしかないからだ。

 

 それぞれが与えられた任務を遂行するため奔走する姿を横目に見ながら、ヴォーグは静かに立ち上がった。 

 

「……ロゼッタ。折り入って頼みがある」

「あぁ。大体予想はつくが、一応聞いておこうか」

「霧を再編したい。ガーディナを捨てた我にまた付いて来てくれる妹たちがどれだけいるか分からないが……」

「ははっ……そう言うと思って準備しておいた甲斐があったな」

「何?」

 

 困惑するヴォーグを他所にロゼッタは一枚の書類を取り出す。

 

 そこには部隊の人員に関する資料と任命書が添えられていた。 

 

「地下の訓練所に集めてある。SOR(特殊作戦連隊)MLAG(中層方面隊)に行った奴は居ないが、代わりを入れておいたから好きに使え。……いやなに、ただの勘さ」

「……確かに、昔からお前はそうだったな。だがいいのか?こうも易々と復帰して」

「今のガーディナには必要なのさ。英雄がな」

 

 ヴォーグは一度目を伏せた後、感謝の言葉を述べながら部屋を出ていく。

 

 慌ててその背中を追いかけるレーヴに手を振り、シロは深く息を吐いた。 

 

 長い、永い旅路が終わる予感を、きっと肌で感じていたのだろう。

 

 愛銃を撫でるその指先は微かに震えていた。 

 

「姉さん……大丈夫?」

「平気だよ。とっくの昔に覚悟は出来てるから」

 

 心配そうに覗き込んで来たセラを安心させるように微笑む。 

 

 そして、一回り小さな身体を抱き締めた。 

 

「わたしが、全部守ってみせる。だから……ね」

「……うん」

 

 セラは静かに目を閉じ、姉の胸に頭を預けた。

 

 溢れた涙を拭うように顔をぐりぐりと押し付け、零れ落ちそうになる嗚咽を必死に堪える。 

 

 それはまるで炭素生物の幼子が母親に甘えるような仕草で。 

 

 愛しい光景を、シロは深く心に刻み込んだ。

 

「……行って来る。いい子にしてるんだよ?」

「無理はしないで……ちゃんと、ちゃんと待ってるから」

「もちろん。ここにいるお姉さんたちの言う事はよく聞くように」

「うぅ……」

「それじゃあ、おまじないをしよっか」

 

 苦笑を浮かべながら不貞腐れる妹の長い前髪を払い、同じ2色の虹彩が交わる。

 

 ゆっくりと瞳を閉じたセラに唇を重ねようとした時。

 

「……んっ」

「へ?」

 

 呆気に取られるシロを他所に、彼女は恥ずかしそうに頬を赤らめた。

 

 不意打ちによる無邪気な口づけを脳が理解する間も無く、再び温かい感覚が訪れる。 

 

 今度は少し長く。互いの輪郭が溶け合うように。 

 

「……わたしからしてあげるつもりだったんだけどなぁ」

「戦うのは姉さんだから……だから、ぜったい生きて帰ってきてね」

「はは……敵わないな、もう」

 

 降参とばかりにシロは両手を挙げる。 

 

 こんなにも健気で可愛い妹がいるのだ。尚更死ぬわけには行かない。 

 

__少なくとも、この身体が朽ちるまでは……ね

 

「行ってらっしゃい、姉さん」

「うん。行ってきます」

 

 もう一度セラを強く抱き締め、シロは立ち上がった。 

 

 振り返りはしない。

 

 たった一人の妹のたった一人の姉として、涙を見せるわけにはいかなかったのだ。

 

「……いいのか。連れて行かなくて」

「あの子にはまだ早い。死に慣れるのは今じゃなくていい」

「……そうか」

 

 作戦会議が白熱する司令部を離れ、扉の前で待っていたロゼッタと共に廊下を歩く。 

 

 途中でエレベーターに乗り、数分もすれば目的地である訓練所に辿り着いた。 

 

 中から聞こえる銃声に警戒するシロの袖を引きながら彼女は足を止める。 

 

「そうだ、ずっと昔からこれを渡したかったんだ。受け取ってくれ」

 

 思い出したように差し出されたのは、霧で霞む摩天楼が描かれた部隊章と小型の無線機。 

 

 刻まれた文字、そして割り当てられた番号は、シロが霧として迎え入れられたことを雄弁に物語っていた。

 

「……いいの?つい最近まで敵だったようなものなのに。割と洒落にならないくらいの犠牲者は出してると思うけど」

「構わん。此方の教育が行き届いてなかった責任だ、英雄に対して銃口を向けてしまった事を詫びさせて欲しいくらいさ」

「まぁ、副総統様がそう言うなら……」

 

 悪戯っぽく笑う彼女に肩を竦める。

 

 シロが端末を拡張頭環に接続している間にロゼッタは手際よくワッペンをコートの右腕へと縫い付け、仕上げに一つのバッジを胸元に飾った。 

 

 それはガーディナで見慣れたものより一回り大きく、これまで目にしたことのない意匠をしていた。

 

「これは……」

「あぁ。お前の……"蜃気楼"のために作らせた一点物だ」

「わざわざわたしなんかに?嬉しいけど」

 

 照れ隠しに頬を指でかきながら、シロは誇らしげに輝く徽章を見つめる。

 

 斜めに交わる狙撃銃と長剣、放射状に広がる三本の蒼炎にそれらを包むように広がる白銀の翼。 

 

 誰を表したものかは、言うまでもない。 

 

「ふふ、綺麗……」

「気に入ってもらえたなら何よりだ。さぁ、行ってこい。皆が待ってるぞ」

「はぁ……緊張する」

 

 ロゼッタに見送られながらシロは訓練所の扉を開く。 

 

 ひんやりとした空気が肌を撫で、火薬の匂いが鼻腔を刺激した。

 

 屋内とは思えないほど広い施設内はいくつかの訓練エリアに分けられている。

 

 霧に所属する者は近接戦闘や長距離狙撃を含めた全てを極める必要があるからだ。

 

 強者とは才能だけで成り立つものではない。

 

 絶え間ない鍛錬があってこそ、初めて形となる。

 

「……凄い」

 

 言葉が漏れた。

 

 狙撃手向けの射場には数名が並び、各々の銃から放たれた光弾が数百メートル離れた目標に的中する度に鋭い金属音が響き渡る。

 

 その隣では練習用のレーザーガンを手にした前衛隊員が模擬戦闘システムに接続された動き回る光学式電子標的を次々と沈黙させていき、表示されたタイムに歓声が上がっていた。 

 

 反対側には簡易的なフィールドがあり、行われていたのは実戦形式の模擬戦闘。 

 

 使用されているゴム弾は実弾よりも威力が低いが、被弾すればそれなりに痛い。

 

 故に誰一人として油断していないのだろう。

 

 互いの間合いを探り合うように距離を保ちながら牽制する姿は本物の戦場で見るものと何ら変わりはなかった。 

 

「お前もやるか?シロ」

「びっくりした……驚かさないでよ」

 

 背後から突然掛けられた声に振り返ると、そこにはニヤリと笑うヴォーグの姿があった。

 

 先程まで使っていた四脚から乗り換え、昔と同じ重量二脚を纏う様子にかつての記憶が蘇る。

 

「戻したんだ、それ」

「……あぁ、鎧殻のことか。やはりと言うか、使い慣れているこれが一番だからな」

「わたしもそっちの方が好きかな。なんかヴォーグって感じがする」

「褒めてるのか?」

「褒めてるよ。好きって言ってるでしょ?」

 

 自分より背が高い彼女をちらりと見上げ、シロは懐かしむように笑みを返す。

 

 中層戦争で戦っていた頃は毎日のように見ていた光景だった。 

 

「……それで、やらんのか?」

「うー……わたしが来る前になんて説明したのさ」

 

 ヴォーグの視線の先を辿るとそこでは丁度模擬戦が終わったらしく、装備を外して汗を拭き取っていた。

 

 隊員の多くがこちらを注視しており、特に若い世代の視線は期待に満ち溢れているように見える。

 

 深く、深くため息をつき、シロは自動装填に切り替えた愛銃を手に射場へと鎧殻を滑らせた。

 

「的までの距離は?」

『300mだ』

「そう……」

 

 拡張頭環を通じて聞こえる声に応えるようにスコープを覗く。

 

 空気を吸い、吐くと同時に息を止める。

 

 自分の心拍に合わせ、照準の揺れを調律するように。

 

 意識が十字の向こうへ吸い込まれた瞬間、世界は静寂に包まれた。

 

 僅かな手ブレさえも許さずトリガーを引く。

 

 閃光と衝撃が迸り、硝煙の香りが辺りに広がった。

 

 続く二発目。

 

 三発目。

 

 連続して放たれた弾丸は寸分狂わず全てが同じ箇所を穿ち、鋼鉄製の的を粉々に砕いた。

 

「次は?」

『500』

「分かった」

 

 遠くからどよめきが聞こえたが、シロの集中力は切れることはなかった。 

 

 銃口を僅かに上へ向け、再び銃を構える。 

 

 人型を模した的の頭部へ二発、胸部へ二発、そして両足に一発ずつ。

 

 大きな反動すら意に介さず、重機関銃のような連射速度でマガジンを撃ち尽した。 

 

『……流石だな。まだお前の腕は鈍っていなかったらしい』

「ふふ。これくらいはね」

 

 少しの間をおいてから賞賛するヴォーグの声が聞こえると同時に、シロは安堵の声を漏らしながら射撃姿勢を解除した。

 

 シロが扱うBR T12A4 BSADの有効射程は2500m。 

 

 無論長距離であればあるほど弾道計算が精密になり命中率も低下していくが、今回のように射程内であれば目標に当てることは容易い。

 

 しかし、本器での連射になると話は変わってくる。 

 

 高威力であるが故の大きな衝撃で照準がブレるからだ。

 

 筋骨隆々なニンフならば無理矢理筋力で反動を抑えることは出来るが、可能な者は限られている。

 

 それをシロが制御できる理由は、自身で施した複数のカスタムにある。

 

 本来のものより遥かに大型化したマズルブレーキ、そして緩衝機構付きストックの組み合わせにより反動は本来の半分以下にまで抑えられていた。

 

「それで、これでいい?」

「あぁ。お前の実力を疑う奴も多かったのでな、だがこれで理解したことだろうよ」

 

 いつの間にかシロの隣にやって来ていたヴォーグが振り返ると、隊員たちは唖然とした様子で二人を見つめていた。

 

 帰還を待ち侘びていた隊長である白霧どころか、伝説と謳われた蜃気楼の両名が目の前にいるのだ。

 

 驚くなと言う方が酷だろう。

 

「さて、改めて皆に紹介しよう。我が友のシロだ。コールサインはHaze9……あぁ、ずっと欠番だったのはこれが理由だ。くれぐれも加速翅は引っ張らんようにな」

「えぇっと……よろしく?」

 

 何故か自慢げなヴォーグの紹介に戸惑いつつも頭を下げる。 

 

 憧憬の眼差しや歓喜の声など反応は様々だったが、総じて拒絶されなかったことにシロは胸を撫で下ろした。 

 

 いくら自分の名前が知れ渡っているとはいえ、ずっとガーディナの味方として戦っていたわけではない以上反感を持たれていてもおかしくはない。

 

 万が一の場合は戦闘になる可能性も視野に入れていたくらいだ。 

 

 何事もなく顔合わせが済み、少しだけ張り詰めていた気を緩ませる。 

 

「次はどうするの?」

「ブリーフィング……と言いたいが、まだ司令からの情報が来ていないから先に班決めだ。総員整列!」

 

 ヴォーグの号令に従い、45名の隊員が整然と横一列に並んだ。 

 

 身長や体格の差はあるものの、統一された薄茶の外套を纏い佇む姿はまさに精鋭と呼ぶに相応しい風格を漂わせていた。

 

 勿論レーヴもその一人。

 

 大剣を傍に突き立ててライフルを肩に掛けながら真剣な眼差しで前方を見つめている。 

 

「今回は普段のペアはそのまま、もう一つと合体させた4人一組とする。振り分けは__」

 

 リストを片手に指示を出すヴォーグの隣で、シロは内心焦っていた。 

 

__この短時間で全員の顔と名前を覚えるだなんて無理だってば……!

 

 これから命を預けるのだ、せめてコールサインと武装構成だけでも把握しようと必死に暗記を試みる。

 

 しかし、そんな努力は一瞬にして水泡と帰した。 

 

 視線の先。そこにいた3人の顔を、シロはよく知っていたから。

 

「……嘘」

 

 思わず漏れた言葉が静かに空気へと溶けていく。 

 

 見間違いじゃない。忘れるはずがない。

 

 忘れられるわけがない。

 

 かつて共に戦った、仲間の名を。 

 

「ジェーツ。ハデル。それに……カラン」

 

 掠れた声で呟きながらフラフラと歩き出す。

 

 突然の行動に周りは何事かと困惑していたが、今はもうどうでも良かった。 

 

「……シロ?」

 

 ヴォーグの呼び止める声にも振り返らず、ただ一直線に3人の元へと進む。 

 

 シロの脳裏に蘇っていたのは、あの日の記憶だった。

 

 仲間を庇って致命傷を負ったスウィンの身体から力が抜けた瞬間。 

 

 自分たちを先へ行かせるために無数の防衛型ニンフへ突っ込んでいくザンファの背中。

 

 最奥へ辿り着いたシロとヴォーグが女王を斃した時、周囲に仲間の姿はもうなかった。

 

 通信に呼びかけても、返って来たのは砂嵐だけ。

 

 安否を確かめる間も与えられず、四方から押し寄せるに鎧化兵に囲まれてただ必死に逃げることしかできなかった。

 

 全員死んだと、そう思っていた。

 

「……久し振りだな。シロ」

「……ッ!!!」

 

 ひどく懐かしい、低く落ち着いた声が鼓膜を揺らす。 

 

 瞬きをする間すら惜しいと開きっぱなしになった双眸からは、自然と涙が零れ落ちていた。

 

「生きててくれて……よかった……!!!」 

 

 溢れ出す感情を止めることができず、シロは加速翅を吹かしてジェーツの胸へと飛び込んだ。 

 

 不意を突かれた彼女は少しだけバランスを崩したが、しっかりとシロの身体を受け止めた。

 

「すまない。随分と遅くなった」

「……謝らないでよ。こうしてまた会えたんだから」

 

 泣き笑いのような顔でシロは首を横に振る。 

 

 あの時は誰もが自分たちの生き死になど大して気にしていなかった。

 

 勝利か敗北か。

 

 生と死は紙一重であり、どちらへ転ぶかも分からない戦いばかりだったからだ。

 

 だからこそだろう。こうして再会できた奇跡に胸が震えるのは。 

 

「もう……もっと早く帰ってきてくれればよかったのに」

「全くだ。お前は相変わらず昔から泣き虫だな」

「うるさい……誰のせいだと思ってるのさ」

 

 ため息を吐いて苦笑するハデルと揶揄うようなカランに目元を擦りながら抗議する。

 

 当時と変わらない、他愛もないやり取りが心地よかった。 

 

「ったく。感動の再会のところ悪いがな。そろそろ話が進めたいんだが」

 

 ヴォーグの呆れたような声が飛んでくると同時に拍手が巻き起こる。 

 

 いつの間にか全員が整列を解き、温かい視線で4人を見守っていた。 

 

「……お前はいつもそうだよな。人が盛り上がってる時程水を差す」

「おい、聞こえてるぞ……!」

 

 揶揄うジェーツに抗議の声を上げるも、その顔はどこか嬉しそうで。 

 

 かつての戦友と今こうして笑い合うことが出来るという事実だけで、シロは救われたような気持ちになった。 

 

「話は済んだか?続きを__」

『統合作戦司令部より霧へ通達。1630より作戦の説明を行う、一言一句聞き漏らさんように準備しておけ』

 

 気を取り直したようにヴォーグが咳払いをする間も無く、訓練所に設置されているスピーカーからリーファの声が響き渡る。 

 

 それまで和やかな雰囲気だった空気は、一瞬で終わりを迎えた。

 

「……各自解散して休憩を取れ。5分前までに会議室へ集合」 

「了解」

 

 重なった声が訓練所内に木霊する。

 

 素早く敬礼をし各々が持ち場へと戻っていく中、シロは何処へ行くわけでもなく一人で訓練所の隅に座り込んでいた。 

 

「……大丈夫?」

「ちょっと緊張してるだけだから。平気……だと思う」

「……そっか」

 

 隣に腰掛けて心配そうに覗き込むレーヴに乾いた笑みを浮かべる。 

 

 全員が生きて帰れる保証なんかどこにもない。

 

 また友を失くすかもしれない。 

 

 そんな恐怖がシロの心を蝕んでいく。

 

__だから一人の方が好きなんだ。失うことが怖くなるから……

 

 纏わりつく不安を振り払うようにぎゅっとコートの袖口を握り締める。

 

__どうせ自分は長くないクセに皆には死んでほしくないだなんて……我儘だよね

 

 それでも、誰かがいてくれることに安心している自分がいた。 

 

「……もう大丈夫。レーヴは先に行ってて」

「分かった。あんまり無理しないでね」

「ありがと」

 

 立ち上がり去っていく友の背中を見送りながら深呼吸を繰り返す。 

 

 気付けば傍にいたヴォーグに苦笑し、シロはゆっくりと立ち上がった。 

 

「ねぇ、ヴォーグ」

「なんだ?」

「この戦いが終わるときには、きっとわたしは死んでると思う」

 

 ぽつりと漏れた弱音に自分で驚きながらも、シロは続けた。 

 

「それでも、最後まで付き合ってくれる?」

「……」

 

 問うように向けられた視線にヴォーグは一瞬だけ黙り込む。

 

 だがすぐに笑みを浮かべた彼女はシロの頭を優しく撫でた。

 

「当たり前だ。約束しただろう?我の命はお前のものだ」

「そう……だったね」

 

__ごめん

 

 心の中でだけそう呟き、シロは愛銃を担ぎ直した。

 

 ヴォーグの碧い瞳から涙が零れているのを見た者は、誰も居なかった。




ここまで読んでいただき、ありがとうございました。

いよいよ最終局面です。

最後まで頑張るので、温かく見守ってやってください。
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