まのこい天秤   作:雪無い

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 いつも感想評価お気に入り誤字報告ありがとうございます。感想ドシドシ送ってくれると嬉しいです。
 
 すみません野球回続きます。なので女の子をいっぱい出して読者に許しを乞うわけです。よろしくお願いします。


3話『銀幕少女とストームキャットの長い夜』

 

 ホームルームの終わりを告げるチャイムが鳴り終わり、教室が放課後のざわめきに包まれ始めた。

 今日は橘たちの所へ向かうか、黒部にキャッチボールを付き合ってもらうか、紫藤を連れ回すか、どうしようかと俺が悩んでいたその時だった。

 

「すまない、大鐘はいるか」

 

 凛とした、けれど喧騒をすっと切り裂くようなよく通る声。

 前扉の枠に手をかけ、堂々とした佇まいで教室内を見据えている小柄な少女。隙一つなく完璧に着こなされた制服と、背筋のピンと伸びた美しい立ち姿は、彼女の強靭な芯の強さを物語っている。

 他者の視線を一切恐れない理知的な瞳が、迷いなく真っ直ぐに俺の席を射抜いた。その場にいるだけで周囲の空気を引き締めてしまうような、圧倒的な存在感。

 

 いきなり教室に入ってきたのはなんと、二階堂ヒロだった。

 もしこれが、いつものように橘シェリーであれば、クラスメイトたちも「またか」と慣れた温かい目で俺の方を見てくるだけだっただろう。

 しかし、成績優秀で品行方正、生徒会長として学園内で一目置かれている二階堂が、直接ここまでやってくるのは極めて珍しい。用があるなら呼び出すはずだ。

 

 当然のように、周囲の生徒たちは何事かとざわつき始め、好奇の目を隠すこともなくこちらをチラチラと窺ってきた。

 まるで、俺がこの学園に転校してきて間もない頃の、あの浮いたような空気感がフラッシュバックするようで、とても気まずい。

 だが、そんな周囲の視線など意に介する様子もなく、二階堂は迷いのない足取りで俺の席まで歩み寄ると、ピタリと立ち止まった。

 

「大鐘。君に少し、頼みがあるのだが」

「頼み?俺に?」

 

 帰り支度をしていた手を止め、俺は唐突な申し出に首を傾げた。二階堂が俺個人にわざわざ用件を持ってくるなど、予想もしていなかったからだ。

 

「ああ。君に会ってもらいたい人がいる」

 

 二階堂は、どこまでも毅然とした態度でそう告げた。その瞳は一点の曇りもなく俺を真っ直ぐに射抜き、この申し出が単なる思いつきや遊びではないことを物語っている。他者にも自分にも妥協を許さない、彼女特有の芯の通った強い声だった。

 

「……わかった。とりあえず出よう。ここは目立ちすぎる」

 

 周囲のヒソヒソ声と視線に耐えきれず、俺は鞄を掴むと立ち上がった。

 

「すまないな」

 

 二階堂は短くそう言うと、わずかに目を伏せた。その生真面目な響きには、彼女なりの気遣いが見えた。

 俺は、クラスメイトたちの好奇の視線から逃れるようにしてそそくさと教室を後にした。

 廊下に出ると、開いた窓から吹き込んでくる少し冷たい秋の風が、張り詰めていた空気をわずかに緩めてくれた。

 面倒ごとに巻き込まれるのはごめんだが、以前、手伝えることがあれば手伝うと俺から彼女に申し出た手前、無碍に断る理由もなかったのだ。

 

「こっちだ。ついてきてくれ」

 

 一切の無駄がない動作で踵を返し、先導していく二階堂。

 俺は黙って頷き、小柄ながらも強い意志を感じさせるその背中を追って、放課後の廊下を歩き出した。

 

 二階堂の少し後ろを歩き、無言のまましばらくついていく。

 辿り着いたのは、放課後の生徒たちがまばらに行き交う中庭だった。秋の斜陽が差し込むその場所には、すでに一人の長身の少女が待っていた。

 

「レイア、待たせた」

「ああ、ヒロくん。構わないよ」

 

 二階堂の声に応えて振り返ったその少女の姿に、俺は思わず目を奪われた。

 艶やかな色素の薄いショートカットに、息を呑むほど整った中性的な顔立ち。制服を一切の隙もなく着こなしているが、その佇まいには隠しきれない華と非日常的なオーラが漂っていた。彼女が一歩こちらへ歩み寄るだけで、中庭の空気がふっと舞台の上へと切り替わったかのような錯覚に陥る。

 

「君が大鐘くんだね。ヒロくんから聞いているよ。私は蓮見レイア、今日はよろしく頼むよ」

「……ああ、よろしく。大鐘ヒカリだ」

 

 蓮見がふわりと微笑んだ。完璧で、一切の淀みがない美しい笑顔。どこか慣れているような仮面めいた響きが、その表情の奥に見えた。

 差し出された白い手を握り返す。

 ほっそりとした見た目に反して、その掌は驚くほど力強く、一本一本の指に確かな芯が通っているのがわかった。

 

 スッと手を離し、俺は改めて蓮見の全身を観察した。

 背が高い。俺より数センチほど低いくらいだろうか。しかし、腰の位置が非常に高く、全体的な骨格が細くしなやかなせいか、実際の身長よりもずっと高く見える。制服の上からでも、無駄な脂肪が削ぎ落とされ、しなやかな筋肉で鍛え上げられているのが伝わってきた。

 

 ……綺麗な立ち姿だ。

 そう感心して見つめていた、その時だった。

 

(……ん?)

 

 ふと、視線を外そうとしたのに、なぜか彼女の身体から目が離せなくなった。

 首から肩のライン、腰のくびれ、重心の置き方。俺の目はまるで強力な磁石に吸い寄せられたかのように、蓮見レイアという存在にガッチリと固定されてしまっていた。

 

「こら、大鐘。いくらなんでもじろじろと見すぎだ。不躾にも程があるぞ」

 

 隣から、二階堂の生真面目で咎めるような鋭い声が飛んできた。

 

「いや、違うんだ。なぜか視線が外せない……」

「……レイア。悪戯はやめろ」

 

 二階堂が呆れたように深い溜め息をつき、非難がましい視線を蓮見へと向ける。

 

「あはは、ごめんね。大鐘くんがあまりにも熱心に見てくれるものだから、ついね」

 

 蓮見がパチンと軽く指を鳴らすと、目元に張り付いていた見えない接着剤のようなものがスッと溶けて消えた。

 ようやく視線を外せた俺は、小さく瞬きを繰り返しながら、悪戯っぽく笑う蓮見と、眉間を揉む二階堂を交互に見た。

 

「……今の、もしかして魔法か?」

「ああ、そうだよ。驚かせてすまなかったね」

 

 二階堂から聞くところによると、蓮見の持つ魔法は『視線誘導』。

 相手が少しでも自分に興味を持った瞬間、その対象へ強制的に視線を固定させることができるという魔法らしい。 

 

「なるほど……自身や物質に変化を与えたりさせたりするのではなく、他者にのみ直接影響を与える魔法か。分類するなら妨害型や支援型。物理的な干渉がない分、発動条件が軽くて回避が困難というわけか……うん、素晴らしい魔法だな、小回りが利きそうだ」

「……大鐘。感心しているところ悪いが、君の趣味は後にしてくれ」

 

 二階堂がピシャリと冷ややかな声で俺の考察を断ち切った。その毅然とした瞳には、「これ以上脱線するな」という強い意志が込められている。

 

「あはは……。ヒロくんから聞いていた印象とかなり違うようだね」

 

 蓮見は目を丸くして軽く吹き出しながら、興味深そうにこちらを見つめていた。

 

「……話が逸れたな。本題に戻ろう。それで、俺への頼みっていうのは?」

「逸らしたのは君だろう」

 

 蓮見はそんな俺たちのやり取りを見て楽しそうにくすくすと笑っていたが、やがて表情を引き締め、コホンと小さく咳払いをして気を取り直した。

 

「実は、来年の春に開催されるプロ野球の国際大会、その壮行試合で私が始球式を務めることになったんだ」

「始球式?」

「ああ。せっかく大勢の観客の前でマウンドに立つからには、美しいフォームで、見事なストライクを投げてみたいと思ってね。ヒロくんに話したところ、適任がいると君を紹介してくれたというわけさ」

「……?いや、始球式はたった一球で終わる式典だろう。あそこで求められているのは蓮見が投げるという事実だけであって、投球の精度じゃない。それに壮行試合ってまだ結構先だし、練習する必要はないんじゃないか」

 

 それが俺の率直な考えだった。本職の選手でもない彼女に、キャッチャーミットへ寸分違わず収まるようなストライクなど求められないはずだ。届かなくても、あるいは暴投になったとしても、それはそれで愛嬌として会場は盛り上がるものだ。

 だが、蓮見はスッと目を細め、俺の言葉を静かに、しかし明確な意志を持って否定した。

 

「たった一球かもしれない。本業には関係のない余興に見えるかもしれない。けれど、その一瞬の無関係な経験に全力を尽くすことが、巡り巡って舞台の上の私に血を通わせるんだ。やるからには、完璧にこなしたいと思う。その準備も怠りたくないんだ」

 

 俺を射抜く蓮見の真っ直ぐな瞳には、一切の妥協を許さない真剣な熱が宿っていた。なるほど、役者か。

 単なる見栄えや体裁のためだけではない。泥臭いまでに本物を追求し、すべての経験を自らの血肉に変えようとする、役者としての確固たるプロ意識。その真摯な思いを前にしては、先ほどの俺の言葉がいかに浅はかで無粋だったかを思い知らされる。

 気がつけば、俺の口元は自然と緩んでいた。

 

「わかった。俺で良ければ喜んで引き受けよう。ノーバウンドなんていわず、狙った所に投げ込ませてやろう。厳しく行くぞ」

「本当かい!ありがとう、大鐘くん!」

 

 パッと花が咲くように表情を輝かせた蓮見は、勢いよく俺の両手を取ってギュッと握りしめた。背が高いから目が合いやすい。

 

「とりあえず、俺が見本を見せたい。シャドウピッチングでも良いんだが、やっぱり実際に投げたほうがイメージしやすいよな」

「用意してある。ひとつしかないが」

 

 そう言って、二階堂はどこからか一つの白球を取り出し、俺に手渡してきた。それだけでなく、彼女は持参していたらしい革のグラブを、極めて自然な手つきで自らの左手にはめたのだ。

 ポン、ポンと軽くポケットを叩くその一連の動作があまりにもスムーズで、俺は少しばかり違和感を覚えた。

 

「えっ、お前が捕るのか?」

「レイアが見る以上、実際に受ける相手が必要だろう。……私が相手では不服か?」

 

 毅然とした態度で、わずかに目を細めて見返してくる二階堂。

 その有無を言わせぬ迫力に、俺は思わずたじろいだ。

 

「……いや、そんなことはない。任せる」

 

 グラブを構える二階堂の立ち姿は、制服のままでありながら妙に隙がなく、凛としている。学園でも一目置かれる文武両道だという噂は聞いているが、いくらなんでもキャッチャーマスクもプロテクターも着けていない、完全な無防備だ。

 素人の女子に万が一にも怪我をさせるわけにはいかない。絶対にコントロールを乱さず、適度にスピードを殺した捕りやすい球を投げなければと、俺はボールの縫い目に指をかけながら密かに気を引き締めた。

 

 ボールを持ったまま軽く右肩を回して肩周りをほぐす。

 すると、グラブを構えていた二階堂がピタリと動きを止め、怪訝そうな顔でこちらを睨んできた。

 

「君、投球の時は左だろう」

 

 鋭い指摘に、俺は内心でわずかに動揺した。

 

「蓮見は右利きだろうし、右投げのフォームを見せた方が参考にしやすいだろ。それに、制球だけを重視するなら、俺は右の方が都合が良いんだ。怪我はさせられん」

「……そうか」

 

 俺の理屈に納得したのか、二階堂は短く頷くと、そのまま俺との直線上を後方へと離れていく。

 その凛とした背中を見つめながら、俺の胸の奥には小さな疑念が渦巻いていた。

 二階堂はなぜ俺が左投げだと知っているんだろうか。

 俺が本来左投げだということは、学園では黒部とのキャッチボールで一度見せたきりだ。二人はそれなりに交流があるようだし、黒部から聞いたと考えるのが自然だろうか。

 ひとまずその疑問は頭の片隅に追いやり、俺は遠ざかる二階堂との距離を視覚と感覚ですり合わせた。

 

「二階堂、そこでストップ」

 

 俺の声に、二階堂はピタリと足を止めてこちらを振り返る。

 そのやり取りを隣で見ていた蓮見が、不思議そうに目を丸くした。

 

「今の、何か目印でもあったのかい?」

「いや、マウンドからホームベースまでの実際の距離は、感覚でわかるんだ」

「へえ……」

 

 蓮見はひどく感心したような声を漏らし、スッと口元に指を当てた。ただそれだけの何気ない仕草なのに、彼女がやるとすべての動作が舞台のワンシーンのようにいちいち様になる。

 

「蓮見は手足が長い。それに、見ている限り、バランス感覚もかなり良いだろ。普通に投げるより、大きく体を使うワインドアップにすると見栄えが良いんじゃないか」

「ワインドアップ……大きくバンザイをするような構えのことだね」

「そうだ、蓮見なら、きっと似合うはずだ。……緩く投げるぞ、二階堂」

 

 俺は前に立つ二階堂に向けて、ゆっくりと大きく振りかぶった。

 多分素人である彼女が相手なのだから、球速は極限まで落とす。だが、腕のしなり、連動するフォーム、そして重心移動の滑らかさだけは、一目で伝わるように研ぎ澄ませた。

 しなやかに腕が振られ、指先から放たれたボールは、綺麗な放物線を描いて飛んでいく。そして、構えられた二階堂のグラブのど真ん中へ、パシッと心地よい音を鳴らして収まった

 

「おお……!」

 

 隣で見ていた蓮見が、目を輝かせて感嘆の声を漏らした。

 完璧に作り上げられた役者の顔つきではなく、その表情には純粋な驚きと熱が浮かんでいる。

 

「素晴らしい……! 一切の無駄がない軌道……私が思い描いていた通りの美しいフォームだ!」

「良かった。じゃあ、まずはこれを練習しよう」

 

 裏表のない、あまりにも真っ直ぐな褒め言葉の連続に、俺は少し気恥ずかしくなりながらも、誤魔化すように短く答えた。

 

「二階堂、あと何回か投げる」

「もう少し強く投げてこい」

 

 

 

 そこからの練習は、俺の予想を遥かに超えるほどスムーズに進んだ。

 まずはボールを持たずに、シャドウピッチングでフォームの確認から行う。

 蓮見の身体能力と自己認識能力は圧倒的だった。俺が口頭で伝えた重心の移動や腕のしなり、足の上げ方を、彼女はその要領の良さで瞬時に自身の肉体へとトレースしていく。慣れない動きに慣れているというべきだろうか。

 実際にボールを握らせて投げさせてみても、初めこそ野球特有の指先のリリース感覚に戸惑っていたが、少し指導しただけでものの数球ですぐにコツを掴んでしまった。彼女の長い手足が鞭のようにしなり、二階堂の構えるグラブへと、見栄えのする綺麗な軌道を描いた白球が次々と吸い込まれていく。

 

「よし、ある程度形になったな。あとは本番まで、今の感覚を忘れないように反復練習すればいい」

 

 小一時間ほど投げ込み、俺がそう告げて練習に区切りをつけると、蓮見は満足げに額の汗を拭った。

 

「本当に助かったよ、大鐘くん。君のおかげで、本番では胸を張ってマウンドに立てそうだ」

「急な頼みを聞いてくれて感謝する」

 

 蓮見の爽やかな笑顔と、二階堂の相変わらず毅然とした生真面目な声。

 二人に改めて礼を言われ、俺は「頑張れよ」と短く手を上げて応えた。

 夕暮れが迫る中庭を並んで去っていく二人の背中を見送った。

 

 俺はふと空を見上げた。

 時計を見ると、すでに日は傾き、空は深い茜色に染まり始めている。

 

「……もうこんな時間か」

 

 今から橘たちの教室に顔を出すには遅すぎるし、かといって不機嫌な紫藤をバッティングセンターに引っ張り出すのも気が引ける時間帯だった。

 

 今日はもう、大人しく寮へ帰ることにした。

 自室に戻り、制服からラフな部屋着に着替えると、ふうと息を吐いてベッドに腰を下ろす。

 

 静かな部屋の中で、一人ぼんやりと思考を巡らせた。

 最近になって、再び野球と関わることが多くなってきた気がする。すべてから逃げ出してこの学園に来たはずだった。なのに、いつの間にか俺の周りには、また野球の気配がちらついている。何なら自分から首を突っ込んでいる。結局、黒部の言う通り俺は野球が好きで、触れていたいのだ。

 しかし、かといってこれからどうするべきなのか、自分でもよくわからなかった。

 

 ──バンバンバンッ!

 

 そんな堂々巡りの思考を物理的に断ち切るように、ドアが無遠慮に叩かれる音が室内に響き渡った。

 小さく息を吐き、重い腰を上げて玄関へ向かう。鍵を開けてドアノブを引くと、そこには予想通りの人物が立っていた。

 

「やっほーオーガ。入れてくんね?」

 

 部屋の外に立っていたのは、制服から私服へと着替えた沢渡ココだった。相変わらず極彩色を取り入れた目に痛いほど派手なファッションで、首元にはトレードマークの猫耳ヘッドフォンが鎮座している。そしてその小脇には、なぜか見慣れない家庭用ゲーム機一式がしっかりと抱えられていた。

 

「入ってもいいけど、なんで?」

「なんでって、暇そうにしてるオーガを遊んでやろうと思ってさ! ほら、どいたどいた!」

 

 俺の返事もそこそこに、沢渡はズカズカと遠慮なく部屋に上がり込んできた。そのまま一直線にテレビの前へ向かうと、手慣れた様子でゲーム機とモニターのケーブルを接続し始める。そして、あっという間に準備を終えると、こちらへ乱暴にコントローラーを一つ押し付けてきた。

 

「今度配信でゲームやるから、その練習に付き合ってほしくてさ」

「いいけど、絶対人選ミスだぞ」

「キモオタなんだからイケるっしょ。いや、ホントはおっさんとやるつもりだったんだけどあいつ忙しいって言うからさぁ……」

「おっさん……?男……?」

 

 思わず聞き返してしまった。沢渡の口から飛び出したおっさんという単語と、彼女の友人関係がどうにも結びつかない。女子高生の口から出るにはあまりにも不釣り合いな響きに俺が露骨に怪訝な顔をしていると、それに気づいた沢渡がニヤニヤといやらしい笑みを浮かべた。

 

「えっ、なにぃ?オーガ嫉妬? うっわぁ、あてぃしのこと好きすぎっしょ。ガチ恋NGだっての。でも安心しろって、女子だからさ」

「……言っとけ」

 

 ため息をつきながら、俺は押し付けられたコントローラーを握り直した。

 

 やらされたのは、ポップなキャラクターたちがカートに乗って順位を競うレースゲームだった。

 隣からは、沢渡がコントローラーのボタンを淀みなく叩く軽快な「カチカチ」という音が鳴り続けている。対して俺の指先はひどくおぼつかず、画面の中のカートはコースからの落下と壁への衝突をただただ繰り返していた。道具を扱った競技には慣れているはずなのに、この無機質でツルツルとしたプラスチックの塊はどうにも勝手が違った。力を入れすぎれば滑り、緩めればボタンを押し損ねる。感覚を落とし込むにはもう少し時間がかかりそうだ。

 

「ギャハハ!ほらほらオーガ、壁が友達なのはリアルだけにしとけっての〜!」

「クソっ、なんだこれ。全然操作感がつかめねえ」

 

 隣から絶え間なく聞こえてくる最悪な煽り文句よりも、自分の頭で考えている通りに画面のキャラクターを動かせないことへの苛立ちの方が勝っていた。

 

「キモオタのくせにゲーム下手かよ〜」

 

 沢渡は画面から目を離さずにニヤニヤと笑う。

 

「ま、オーガの無様な姿を見るのは、これはこれであてぃし楽しめるけどね」

「キモオタってのはお前が勝手にそう言ってるだけだろうが」

 

 悪態をついている間にレースが終了し、画面には無情にも結果が表示された。

 これで三回連続の最下位。何なら今回は完走すらできず、タイムオーバーの扱いだった。

 

「まじで下手じゃんオーガ。もしかしてゲームやったこと無い感じ?」

「無い」

「え、まじ?ヒロっちかよ」

 

 単なる煽りの冗談で言ったつもりが、あっさりと肯定で返され、沢渡は素っ頓狂な声を上げて目を丸くした。

 

「え、じゃあ放課後とか休みの日とか何してたん?」

「野球」

「マジの体育会系じゃん。……まぁ、文化祭のアレとか、ナノカに投げてたやつ見れば何となくわかるけどさ。ガチでゴリラだったし」

 

 沢渡は手元のコントローラーをカチャカチャと弄りながら、呆れたような、けれどどこか納得したような視線をこちらに向けていた。その橙色の瞳の奥で、腕相撲で無双していた姿や、グラウンドで黒部に向かって遠投をしていた俺の姿を思い出しているのが伝わってくる。

 沢渡は、俺がなぜ今は野球をやっていないのかなどと、それ以上追及をしてくることはなかった。

 

「よし、もう一回だ。次は勝つ」

「何回やっても同じだっての」

 

 再びコントローラーを構え、画面を見つめてニヤニヤと笑う沢渡。相変わらず生意気な煽り顔だったが、俺の気のせいか、その笑みはさっきまでよりもほんの少しだけ柔らかいような気がした。

 

「今、楽しい?」

「……まぁな」

 

 ぽつりとこぼされた沢渡の問いに、俺は画面から目を離さないまま短く返した。

 そこからは言葉を交わすこともなく、静かな部屋の中にはただ、激しくコントローラーのボタンを鳴らすカチカチという無機質な音だけが響いていた。

 

 何度かレースを繰り返すうちに、俺の指先も徐々に操作の感覚を掴み始めていた。コースの形状、カートの挙動、最適なライン取り。それらの情報が頭の中でパチリと繋がり始めると、無様にコースアウトすることは減り、最下位は確実に回避できるようになった。

 

 そして、徐々に順位を上げていき、ついに

 

「しゃあオラ!見たか、俺の勝ちだ!沢渡お前罰ゲームな!」

 

 画面に映し出された『1位』の文字を見て、俺は思わずコントローラーを握りしめたままガッツポーズを決めた。俺の負けず嫌いはゲームでももちろん発揮された。

 

「はぁ!?今のは絶対マグレだろ!てか罰ゲームってなんだよ!それならこれまでの分、オーガは何十回罰ゲーム受けなきゃなんないわけ!?」

 

 沢渡が信じられないという顔で画面と俺を交互に見比べ、ギャーギャーと噛み付いてくる。

 

「過去は過去、今は今だろうが。結果がすべてだ、敗者は大人しく勝者に従うもんだ!」

「うっわ、サイテー!初心者のくせにちょっと勝っただけで調子のんなし!まじ理不尽!もう一回、次こそ完膚なきまでにボコボコにしてやるし!」

 

 顔を真っ赤にして怒る沢渡と、大人気なく言い返す俺。

 静かだった部屋は、あっという間にいつもの騒がしい口喧嘩で満たされていく。だが、その喧騒は不思議と嫌なものではなく、沈みかけていた俺の思考を完全に吹き飛ばしてくれていた。

 

「なら、車じゃなくて直接ボコボコにしてやるし!」

 

 ギャーギャーと騒いでいた沢渡は、突然思い立ったように画面を切り替え、猛然と別のゲームを起動し始めた。

 ポップなレース画面から一転、次にモニターに映し出されたのは、いかついキャラクターたちが向かい合う格闘ゲームの画面だった。

 

「おい、レースはどうした」

「あてぃしが勝つまで終わんないの!物理でダメなら拳で分からせてやんよ!ほら、さっさとキャラ選んで!」

 

 半ばヤケクソ気味に宣言され、俺は再びため息をつきながらキャラクターを選択させられる羽目になった。

 格闘ゲーム特有の複雑なコマンド入力に最初は戸惑ったものの、相手との間合いの管理や、攻撃のタイミングの読み合いとなれば話は別だ。少しの練習の後、本番に入る。

 思考を読んで裏をかく。培ってきた駆け引きの思考回路を活かすなら、レースゲームよりもこういった一対一の勝負の方が良い。入力精度で負けていてもやりようがある。

 

「そこだ」

「はぁ!?なんで今のタイミングでガードできんの!? てか投げんなし!」

「大振りすぎて隙だらけなんだよ。……よし、また俺の勝ちだ」

「っっっざけんな!もう一回!次こそ絶対泣かす!」

 

 そこからはもう、泥沼の戦いだった。

 当初の目的だったはずの配信のための練習など、俺も沢渡もすっかり頭から抜け落ちていた。ただ目の前の勝負に熱くなり、ムキになってコントローラーを叩き、くだらない煽り合いを繰り返す。

 

 ふと窓の外に目をやると、空は完全に暗くなり、時刻はとうに夜深くを指していた。ガラス越しに見える秋の夜の景色はひどく冷え込んでいるはずなのに、モニターの光に照らされたこの四角い部屋の中だけは、やけに騒がしくて、妙に温かかった。

 明日も学校があるというのに、帰る気配を全く見せない極彩色の台風。

 普段ならさっさと追い出しているところだが……くだらない口喧嘩と笑い声で満たされたこの部屋の居心地は俺にとってとても良かった。

 

「ほらオーガ、次!あてぃしの本気コンボ見せつけてやんよ!」

「ああ、かかってこい。返り討ちにしてやる」

 

 俺は内心、今日だけはこの騒がしい嵐が長引いてくれることを少しだけありがたく思いながら、再び熱を帯びたコントローラーを握り直した。

 

 

 

 

 





 うっ……ココちゃん、好き……
 レイアやミリアを相手にすると終始真面目になりそうな主人公。

 ナノカルートは登場キャラが多い分、前の二人より長くなります。作者の趣味パートなのも理由です。シェリールートとヒロルートはもっと長くなりそうなんですが。助けてくださいといった感じです。助けるついでにまのさば学園ラブコメものを書いてください
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