まのこい天秤   作:雪無い

26 / 30

 お待たせしました
 再開していきます
 
 シェリールートです。シェリールートはミステリーをやらないことにしました。いつも通りラブコメ一本で行かせていただきます


シェリー√
1話『空飛ぶ容疑者』


 

 

 

 

 

 

 

「さあさあハンナさん、大鐘さん!次はあっちの特別棟ですよ!パンフレットによれば、あちらのエリアにはまだ見ぬ未知の催しが目白押しです!」

「んもー!少しは落ち着きやがれですわ!」

 

 十一月の高く澄み切った青空の下、学園は普段の規則正しい顔を完全に脱ぎ捨て、熱狂に包み込まれていた。

 校門にそびえ立つ手作りの巨大アーチをくぐり抜けると、そこはもう完全に非日常の空間だ。中庭にひしめく模擬店からはソースの焦げる香ばしい匂いが漂い、遠くから聞こえる賑やかな歓声と音楽が、冷たい秋の空気を熱く震わせている。

 

 人混みを掻き分けるようにして先陣を切るのは、青い髪を弾ませる橘シェリー。制服の上にいつものケープを羽織り、片手には学園の文化祭マップ、もう片手にはお決まりの虫眼鏡を握りしめている。その橙色の瞳は、新しい事件もとい、未知の娯楽を求めてキラキラと輝きっぱなしだった。

 

 その後ろを呆れたように歩くのは、金髪のツインテールを揺らす遠野ハンナ。お嬢様然とした振る舞いを崩さないように努めているようだが、祭りの空気に当てられて、隠しきれない年相応の無邪気さがその軽い足取りに表れている。

 

 今朝、クラスメイトたちの粋な計らいにより、俺は自分のクラスの出し物から完全に放り出されてしまった。一人で手持ち無沙汰に校舎を彷徨っていたところを、ちょうどクラスの出し物がないというこの二人に運良く拾われ、こうして三人で連れ立って文化祭を回っているというわけだ。

 

「……でも、やっぱりエマさんがいないのは少し寂しいですわね」

 

 ふと、遠野が周囲の喧騒を見渡しながら少しだけ声を落とした。

 本来なら一緒にここを歩いているはずだったもう一人の少女、桜羽エマ。彼女は数日前から運悪く風邪をこじらせてしまい、今日は寮で大人しく寝ているのだ。

 

「仕方ない。無理して出てきて長引くよりは、しっかり治してもらった方がいい。今頃、二階堂が看病……いや、監視してるだろうしな」

「確かに、ヒロさんがいればエマさんがベッドから抜け出す隙なんて一ミリもありませんね。完全なる密室事件です!」

 

 橘が明るく声を上げる。

 こんなにも賑やかなお祭り騒ぎの中に彼女が参加できないのは、純粋に気の毒に思う。来年は元気に回れたらいいなと、少しだけ同情を寄せずにはいられなかった。

 

「それで橘。これって今どこへ向かってるんだ?」

 

 人混みの中を迷いなくズンズンと進んでいく橘の背中に向かって、俺は少しばかり声を張り上げた。

 ケープを翻し人波を縫っていくその姿は、目当てのものを絶対に見逃すまいとする執念を感じさせた。

 

「ふふふ!それは着いてからのお楽しみです!もうすぐですよ、もうすぐ!」

 

 振り返りながら、橘は弾むような声で高らかに宣言する。

 手にした虫眼鏡を空高く掲げ、まるでゴールを示す旗のように振っている。その後ろを歩く遠野は完全に呆れた顔になっていた。

 

「もう……シェリーさんったら。そんなに急がなくても、出し物が逃げていくわけではありませんのに。大鐘さんも、もう少し彼女の手綱を引いてくださらない?」

「無茶言うな。とんでもないじゃじゃ馬だろ」

 

 遠野の不満げな言葉に俺が苦笑いしている間にも、橘の足は止まらない。

 やがて、騒がしい中庭から、文化系の部活の展示が並ぶ特別棟の一階へと差し掛かった。途端に周囲の喧騒が少しだけ遠のき、静かな廊下が広がる。

 

 ピタリ、と。

 先頭を歩いていた橘が、一つの教室の前で突然立ち止まった。

 

「こちらです!ご覧ください、お二人とも!」

 

 橘は、くるりと振り返り、最高に楽しげな笑みを浮かべて教室の入り口をビシッと指差した。

 その顔には、先ほどまでの無邪気なお祭り気分とは違う、獲物を発見したハンターのような熱が宿っていた。

 

「……あぁ、なるほどな」

 

 俺は小さく息を吐き出し、納得の声を漏らした。

 薄暗く照明が落とされた部屋の入り口には、重厚な黒い布が掛けられ、中が窺えないようになっている。そして、その入り口の脇に立てられた古めかしいデザインの看板には、こう書かれていた。

 

『文芸部主催・本格脱出アトラクション【三つの試練】──知恵と知識で、この密室から生還せよ』

 

 密室。試練。脱出。

 名探偵を自称するこの少女にとって、これほど魅力的なキーワードが並んだ看板は他にはないだろう。いかにも橘らしい、納得のチョイスだった。

 

「準備はよろしいですか?それでは名探偵の華麗なる脱出劇、いざ開幕です!入りましょう!」

「ちょっと、気が早いですわよ!」

 

 幸いなことに順番待ちの列はなく、橘は弾むような足取りでためらうことなく黒い布をくぐり抜けていった。遠野が慌てた様子で小走りにその後を追いかけ、俺も二人に続いてアトラクションの内部へと足を踏み入れた。

 

 

 

 

「おお〜、なかなか雰囲気がありますね!」

 

 橘が感嘆の声を漏らす。

 布の向こう側は、ほの暗い豆電球だけが頼りの、窓のない薄暗い小部屋だった。そして壁のあちこちには、知恵の象徴とされるフクロウの不気味な剥製──精巧なレリーフだろうが──がいくつも飾られており、ギョロリとしたガラス玉の目でこちらを見下ろしている。

 薄暗さと相まって独特の重苦しい空気が漂っており、俺のすぐ前を歩いていた遠野は、ビクッと肩を震わせて露骨に顔をしかめた。

 

「……なんだか、趣味の悪いフクロウですわね」

 

 遠野が腕をさすりながら不満げに呟くのをよそに、橘の橙色の瞳は暗がりの中でも爛々と輝いていた。彼女は部屋の中央にぽつんと置かれたアンティーク調の木製テーブルに駆け寄ると、そこに置かれていた羊皮紙のようなカードを素早く手に取った。

 

「ふむふむ……どうやら最初は、計算問題のようですね」

 

 問題文を一瞥した橘がそう告げた瞬間、俺の脳細胞は速やかに活動停止のスイッチを押した。

 

「計算か。後は任せた」

「諦めが早すぎですわよ」

 

 あっさりと白旗を揚げて一歩後ずさった俺の腕を、遠野がガシッと容赦なく掴んだ。そのままぐいぐいと強引に引っ張られ、俺は強制的にテーブルの正面へと引き戻されてしまう。

 

「もう……少しは頭を使う素振りくらい見せなさい。ええと、なになに……?」

 

 遠野は俺の腕を離すと、橘の手元にあるカードを横から覗き込み、そこに書かれたルールを流し読みし始めた。

 

「『黄金のリンゴは20gの重さを持つ。汝に与えられた銅は、1g、3g、9g、27gの四つ。これらを用いて天秤を釣り合わせ、知恵の扉を開け』……ですって」

 

 遠野が読み上げた通り、テーブルの上には真鍮製の古びた上皿天秤が置かれていた。

 左の皿には鈍い光を放つ金色のリンゴのオブジェが乗せられており、その重みで天秤は左側に大きく傾いている。

 そして右の皿は空っぽで、傍らの木箱には指定された四つの分銅が、大きさ順に整然と並べられていた。

 

 テーブルの端には小さな砂時計が置かれており、添えられたプレートには、砂が落ちきるまでの制限時間はわずか『二分』と設定されていることが記されていた。

 

「右の皿に20gになるように分銅を足せばいいだけですわね。大鐘さん、これなら計算が苦手なあなたでもできますわ」

 

 遠野はふふんと得意げに鼻を鳴らし、迷うことなく木箱の中の分銅へと手を伸ばした。

 

「いや、よく見てみろ。どう組み合わせて足しても20gにはならないぞ」

 

 俺が指摘すると、遠野は分銅に伸ばしかけていた手をピタリと止めた。

 左のリンゴが20g。右に一番大きな27gの分銅を置けば、当然重すぎて天秤は右に傾ききってしまう。ならば27gを除外して残りの分銅を組み合わせるしかないが、1g、3g、9gをすべて足し合わせても合計は13gにしかならない。どう足掻いても、右の皿だけで20gを作ることはできないのだ。

 遠野も、すぐにそれに気がついた。

 

「え……? あっ、本当ですわ。27gは重すぎますし、残りを全部使っても13g……全然足りませんわ!物理的に20gを作るのは不可能ですわ」

 

 遠野は苛立ちを隠せない様子で、分銅とリンゴを交互に睨みつけた。

 

「そうですわ、きっとこれは引っかけですの。部屋のどこかに、もう一つ分銅が隠されているに違いありませんわ」

 

 遠野は壁際の不気味なフクロウの置物の裏や、テーブルの裏側をガサゴソと探り始めた。自らの計算結果を疑うのではなく、即座に問題の不備を疑って物理的な捜索に切り替えるあたり、彼女も中々である。

 

「遠野。カードにははっきりと『汝に与えられた銅は四つ』と明記されている。隠しアイテムを探すのはルールに無い」

 

 俺が冷静に指摘すると、遠野はピタリと動きを止め、「くっ……!」と悔しそうに唇を噛んだ。砂時計の砂は、すでに半分近く落ちてしまっている。

 

「ふふふ……どうやら行き詰まったようですね!ここは名探偵シェリーちゃんの魔法の見せ所です!」

 

 それまで腕を組んで黙って天秤を見つめていた橘が、バサァッとケープを大げさに翻し、ドヤ顔で胸を張った。

 

 魔法の出番。その言葉に、俺は少しだけ感心して橘を見た。

 

「橘の魔法は怪力だろ?どうやって使うんだ。27gの分銅から7gだけ引きちぎるみたいな微調整ができるのか?」

 

 俺が真面目に感心した眼差しを向けると、橘はきょとんとした顔で首を傾げた。

 

「いえ?あそこのドアをこじ開けます」

「本当に脱出するだけのゲームになるだろ!」

 

 橘は、部屋の奥にある次の部屋への扉をビシッと指差し、とんでもない解決策を笑顔で提示した。すでに彼女の足は天秤を無視して扉へ向かって力強く踏み出している。

 俺は慌てて橘の手を掴み、その場に引き留めた。

 

「名探偵には多少の強引さも必要です!常識に囚われてすぎてはいけません!」

「確かにフィジカルで何とかするミステリーあるけど」

 

 俺はそこまで言いかけて、ピタリと動きを止めた。

 その言葉が、固まっていた俺の思考に一つの風穴を開けた。

 俺は右の空の皿に、ちょうど20g分の分銅を乗せなければならないという条件に囚われすぎていたのだ

 天秤を釣り合わせる手段は、片方の皿で真面目に足し算をしていくことだけじゃない。 

 俺の視線が、再びテーブルの上のカードに吸い寄せられた。

 俺は橘から手を離し、静かに天秤の前に歩み寄った。遠野が不思議そうにこちらを振り返り、橘も小首を傾げている。

 

「大鐘さん? いきなりどうしましたの?」

「右の皿に20gを乗せて釣り合わせることに囚われているから解けないんだ。天秤は、左右の皿の重さが等しくなればそれでいい」

 

 独り言のように呟きながら、俺は迷いなく手を動かした。

 まず、金色のリンゴが乗っている左の皿に、さらに1gと9gの分銅を乗せる。

 これで、左の皿の合計は30gになる。

 

「大鐘さん?リンゴ側に銅を乗せたら、もっと重くなってしまいますわよ?」

 

 遠野が慌てて口を挟むが、俺は構わず、残った二つの分銅を手に取った。

 そして、完全に空になっている右の皿に、残った3gと27gの分銅を同時に乗せた。

 こちらも、合計は30g。

 

 ギィィ……と、金属の軋む音を立てて、左に傾ききっていた天秤がゆっくりと動き始めた。右皿と左皿が、同じ高さでピタリと止まる。完全に均衡を保った天秤。その瞬間、部屋の奥から「ガチャン!」という重々しい機械音が鳴り響き、固く閉ざされていた出口の扉の鍵が外れた。

 

「……開いた」

 

 俺が安堵の息を吐き出すと、橘と遠野は目を丸くして、釣り合った天秤と開いた扉を交互に見つめていた。

 

「なるほど……!リンゴの20gに1と9を足して30g。反対側に27と3を乗せて30g……引き算と足し算を両方の皿で行うトリックだったんですね!」

「……片方の皿を空にしておくというルールなんて、どこにも書かれていませんでしたものね」

 

 橘がポンと手を打ち、遠野も少し悔しそうに頷いた。

 

「さすが大鐘さん!素晴らしい閃きでした!」

 

 橘が満面の笑みで俺の背中を軽く叩き、遠野は悔しそうにしながらも、確かな称賛を込めてこちらを見た。

 

「……たまたまだ。力で解決しようとした迷探偵がいたおかげで、逆に頭が冷えただけだ」

「むっ、名探偵ですよ!」

「ほら、砂が落ちきる前に次の部屋に行くぞ」

 

 俺が開いた扉を指し示すと、二人は顔を見合わせ、楽しげな笑みを浮かべて並んで歩き出した。薄暗いフクロウの間を抜け、俺たちは第二の密室へと足を踏み入れていく。

 

 

 

 

 フクロウの間を抜けた俺たちを待ち受けていたのは、埃っぽい古紙の匂いが鼻をくすぐる、薄暗い書庫を模した小部屋だった。

 壁際には段ボールを精巧に塗装して作られたダミーの書棚が並び、部屋の中央にはアンティーク調の譜面台が一つ、ぽつんと置かれている。そして部屋の奥にある重厚な鉄扉には、四つのアルファベットを合わせるダイヤル式の南京錠がかけられていた。

 

「今度は文字の入力錠か。ヒントは……これだな」

 

 俺は譜面台の上に置かれた一枚の羊皮紙を手に取った。

 そこには文字の代わりに、奇妙な幾何学模様がいくつか並んで描かれている。四角形の枠の一部が欠けたような記号や、V字型の記号。そして、それぞれの記号の中には、黒い点が一つ打たれているものと、そうでないものがあった。

 

「なんですの、これ。古代文字か何かですの?」

 

 隣から羊皮紙を覗き込んだ遠野が、眉をひそめて首を傾げる。

 俺もその不可解な図形の羅列に目を凝らしてみたが、先ほどの天秤のようなパズルとは根本的に毛色が違っていた。法則性を見出そうにも、取っ掛かりが全くない。これは知っているかを問われる、純粋な知識問題のように見える。

 

「ダメだ、見当もつかない。暗号の類だとは思うが、解読の鍵がないことには手も足も出ないな。……どうする、これ」

「うーん、困りましたわ……」

 

 俺と遠野が完全に手詰まりとなり、顔を見合わせて溜息を吐き出そうとした、その時だった。

 

「ふふふ……!」

 

 突如として、背後から高らかな、そして自信に満ち溢れた笑い声が響き渡った。

 振り返ると、橘がケープをバサァッと大げさに翻し、手にした大きな虫眼鏡をビシッと羊皮紙に向けていた。その橙色の瞳は、先ほどまでのどの瞬間よりも眩しく、嬉々とした光を放ってキラキラと輝き乱れている。

 

「ついに来ましたね!ハンナさん、大鐘さん!少し下がっていてください!ここは間違いなく、この名探偵の出番です!」

「橘、もしかしてこの暗号がわかるのか?」

「もちろんです!」

 

 橘は得意げに胸を張り、譜面台の前に進み出た。

 

「これは古典的かつ非常に有名な暗号手法、『ピッグペン暗号』……別名『豚小屋暗号』と呼ばれるものです!某秘密結社が使用していたことでも知られる、換字式暗号の基本中の基本です!」

 

 彼女はチョークを手に取ると、部屋の隅に置かれていた小さな黒板に、スラスラと図形を書き始めた。

 井桁の形をした『#』の枠と、大きな『X』の形の枠。それぞれの中に、AからZまでのアルファベットを順番に割り当てていく。

 

「アルファベットをこの幾何学的な枠の中に配置し、その文字が位置する枠の形と点の有無の組み合わせによって文字を表現するんです。……さあ、この法則に従って、羊皮紙の記号を一つずつ当てはめてみましょう!」

 

 橘のチョークが黒板の上を小気味よく踊る。

 最初の記号は、上が開いたコの字型に点があるもの。黒板の図形と照らし合わせると、それは『O』の位置を示している。

 二つ目は、上と右が閉じたL字型に点があるもの。『P』。

 三つ目は、四角形の上だけが開いた形。点はなし。『E』。

 最後は、左と上が閉じた逆L字型。点なし。『N』。

 

「導き出された四つの文字は、『O・P・E・N』。つまり『開け』です!」

 

 橘がビシッと黒板を指差して宣言する。

 俺はその鮮やかな手際に感嘆の息を漏らしながら、急いで扉の南京錠へと向かった。ダイヤルを回し、『O・P・E・N』の四文字を合わせる。

 

 カチャッ。

 

 小気味良い金属音と共に、重かった錠のツルが跳ね上がった。重厚な扉が、ゆっくりと内側へ開いていく。

 

「……開いた。正解だ」

「やりましたー!名探偵の面目躍如です!」

 

 橘は虫眼鏡を空高く掲げ、その場でピョンピョンと飛び跳ねて全身で喜びを表現している。

 俺は振り向き、心からの感心と称賛を込めて彼女に声をかけた。

 

「すごいな橘。俺一人だったら、何時間ここに閉じ込められていても絶対に解けなかった」

 

 俺の真っ直ぐな言葉に、橘は少しだけ照れくさそうに頬を掻き、えへへとだらしない笑みをこぼした。

 すると、隣にいた遠野も歩み寄り、橘に向かって優雅に微笑みかけた。

 

「ま、名探偵を名乗るだけのことはありますわね」

「ハンナさん……!」

 

 遠野からの素直な称賛に、橘はさらに調子に乗って胸を反らせる。

 

「ふふん! もっと褒めてくれてもいいんですよ!さあお二人とも、私の素晴らしい活躍を称えて、こう復唱してください!『シェリーちゃん可愛い大好きえらいねすごいね天才』と!」

「……」

「……」

 

 無言のまま、俺たちはゆっくりと顔を見合わせる。

 そして、一切の言葉を交わすことなく、息の合った動作で同時に頷き合った。

 

「行くか」

「早く次に行きますわよシェリーさん」

「ええっー!?ひどくないですか!?」

 

 

 

 第三の扉を抜けた先は、これまでとは打って変わって、まるで中世の王城を思わせる豪奢な装飾が施された【王の間】だった。

 部屋の奥には立派な玉座が鎮座し、その手前には重厚な台座が置かれている。台座の上には、木製のマス目が引かれた正方形の盤と、精巧に彫られた動物の小さな木彫りの像がいくつか配置されていた。

 そして台座の縁には、真鍮のプレートでこう刻まれている。

 

『玉座のライオンを逃がすな。森の動物たちを動かし、百獣の王を仕留めろ。ただし、猟の好機は一度きり。汝に許された行動はただ一回のみと心得よ』

 

 その横には、無情にも「二分間」の砂時計が置かれ、すでにサラサラと砂が落ち始めていた。

 

「動物の像と……マス目の書かれた盤面。どうやら最後は、盤上遊戯のようですね!」

 

 橘が虫眼鏡を構え、盤面を舐め回すように観察し始めた。

 盤の奥側、最も守られたような位置には、立派なタテガミを持つ『ライオン』の像が置かれている。そしてその周囲や、少し離れた位置には『ゾウ』、『イノシシ』、『ウサギ』といった動物の像が、一見すると不規則な配置で、ライオンと向き合うようにして並べられていた。

 

「百獣の王を仕留めろ……つまり、このライオンを他の動物たちを使って倒せばいいということですの?」

「その通りですハンナさん!となれば、考えるべきは動物界における物理的な力関係、あるいは生態系のピラミッドです!」 

 

 橘は閃いたとばかりにポンと手を打ち、自信満々に語り始めた。

 

「ライオンを倒すには、圧倒的な質量を持つゾウの踏みつけが最も有効です!次点で、イノシシの突進による物理的ダメージ!つまり、このゾウとイノシシの像をライオンの周囲に配置して包囲網を敷けば完璧です!」

「うーん、謎解きっぽくはないですが一理ありますわね。それでいうと、このウサギのような非力な動物は戦力外ですわ。ライオンの前に出せば一瞬で食べられてしまいますもの。盤面の端にでも退けておきましょう」

 

 遠野が納得したように頷き、ウサギの像を摘み上げて適当な場所へどかそうと手を伸ばした。

 

「遠野、ストップだ」

 

 俺は慌てて遠野の手首を軽く掴み、その動きを制止した。

 

「大鐘さん?どうしましたの、いきなり手を掴んだりして」

「……悪い。でも、それ、適当に動かしていいルールじゃないはずだ」

 

 俺は遠野の手からそっとウサギの像を受け取り、元の位置へと戻した。

 二人の話を聞きながら盤面を眺めていた俺の脳内で、情報が一つの輪郭を結んでいた。

 

「ルールには『許された行動は一回のみ』と書いてあった。つまり、何か一つでも像を動かして不正解だったら、その時点でゲームオーバーになる。適当に退けるのはダメだと思う」

「で、でも、ゾウかイノシシで攻撃するしか……」

「いや、それがそもそも違う」

 

 俺は盤上の動物たちを指差した。

 

「確かに、動物間の力関係に見える。だが、この盤面をよく見てみろ。マス目は縦に9つ、横に9つ。全部で81マスある。そして、チャンスは一回。……言い換えれば、一手だ」

「9×9マス……それに、一手……」

 

 小首を傾げる橘に対し、俺は確信を持って頷いた。

 

「チェスなら8×8だ。9×9のマス目を使う盤上遊戯といえば、将棋だ。そして、この動物のチョイスにも意味がある。中国の将棋であるシャンチーなんかじゃ、『象』の駒は斜めに動くんだ。そして『猪』は猪突猛進って言葉があるように、前に進む。……『兎』は、ピョンと跳ねて前の障害物を飛び越えることができる」

「斜め、前進、飛び越える……まさか!」

 

 橘がハッとして目を見開く。

 

「そうだ。ライオンが『王将』。ゾウが斜めに動く『角行』。イノシシが前に進む『香車』。そしてウサギが、桂馬跳びの『桂馬』の動きを暗示しているんだ。……これはただの動物パズルじゃない。動物の特性を将棋の駒の動きに見立てた、一手詰めの詰将棋だ」

 

 謎の正体を看破した俺の言葉に、遠野が声を漏らした。

 

「動物を将棋の駒に見立てるなんて……そんなの、将棋のルールを知らないと絶対に解けませんわ……」

「いや、実はご丁寧に裏側に薄く矢印が彫ってある。だが、普段から将棋を指してる人間なら、この配置を見た瞬間にピンとくる」

 

 俺は盤面全体を改めて俯瞰した。

 ライオン(王将)は奥で逃げ道を固めているように見えるが、すでにゾウ(角行)とイノシシ(香車)の利き筋が、逃げ道を絶妙に塞いでいる。

 残る最後の一手。相手の玉の息の根を止める、鮮やかな一手。

 

「百獣の王を仕留めるのは、ゾウの力でもイノシシの突進でもない。生態系の頂点を狩るのは……」

 

 俺は、先ほど遠野が「非力だ」と退けようとしたウサギの像を、人差し指と中指でスッと挟み上げた。

 そして、ライオンの斜め前のマス。前の障害物を飛び越える桂馬跳びの位置へと、パチリと小気味良い音を立てて置き直した。

 

「一番非力に見える、ウサギの一手だ……これで王手」

 

 像を置いた瞬間。

 台座の内部からカチャリという小さな機械音が鳴り、部屋の奥の玉座の後ろにあった隠し扉が、重々しい音を立ててゆっくりと開いた。

 同時に、どこからともなくファンファーレのBGMが鳴り響き、開いた扉の奥には小さな宝箱が置かれているのが見えた。

 

「……開きました!脱出成功です!」

 

 橘が両手を高く挙げて歓声を上げた。

 

「お見事です大鐘さん!名探偵のライバルに相応しい、鮮やかな大立ち回りでした!」

「なんだかんだ言いながら、いつもノリノリですわよねあなた……」

 

 興奮冷めやらぬ様子で、橘がパチパチと拍手を送ってくれる。遠野は少し複雑な表情で称賛を送った。

 二人の称賛を正面から浴びて、俺は少しだけ気恥ずかしくなり、視線を逸らしながら頭を掻いた。

 

「……ありがとう。趣味の知識がたまたまハマっただけだ。それより、あの宝箱の中身を見てみよう」

 

 促されて橘が意気揚々と宝箱を開けると、中には特製クレープ無料引換券と書かれたカードが収められていた。

 

「やりました!謎を解き明かした勇者への、甘いご褒美ですね!」

「あら、これは嬉しいですわね」

 

 引換券を手に取って嬉しそうに微笑む二人を見て、俺も自然と口角が上がった。

 頭を使った後の甘いものは確かに悪くない。

 

「外に出るか」

 

 俺が二人の背中を押すようにして隠し扉の先へ進むと、暗い密室から一転、眩しい秋の日差しと賑やかな文化祭の喧騒が再び俺たちを迎え入れたのだった。

 

 

 

 

 

 

 見事に文芸部の脱出アトラクションをクリアした俺たちは、手に入れたクレープを抱え、再び文化祭の熱気が渦巻く校舎へと戻ってきた。

 

 無事に生還した祝いだと言わんばかりに、屋台で引き換えたばかりのクレープを両手に持ち、橘はいつもの笑みを浮かべている。遠野もこぼしそうになりながらもチョコバナナクレープの端を齧り、満足げに目を細めていた。

 

「いやー、素晴らしいチームワークでしたね!このクレープ、頭を使った後の体に染み渡ります!大鐘さん、ほら、私のイチゴスペシャルも一口どうですか?」

 

 橘は自分の食べていたクレープを、有無を言わさぬ勢いで俺の顔面へと突き出してきた。

 避ける間もなく、甘い生クリームとイチゴの香りが鼻先を掠める。ここで顔を背ければ、間違いなく鼻や頬にべっとりとクリームが付着する絶妙な軌道と速度だった。俺は半ば反射的に口を開き、突き出されたクレープをガブリと囓り取った。

 

「おっ、いい食べっぷりです!美味しいですか?」

「あぁ、甘すぎなくて美味いな。……少しは加減しろ」

 

 モグモグと咀嚼しながら文句を言うと、橘は悪びれずに笑っている。

 そんな俺たちのやり取りを横で見ていた遠野が、信じられないものを見るような目でこちらを凝視していた。

 

「……その距離感は何なんですの、あなたたち」

 

 遠野の声には、常識を逸脱した男女のスキンシップに対する呆れで満ちていた。

 

「こいつがいきなり口に突っ込んできたから、仕方なく食べただけだ。避けたら顔面がクリーム塗れになるところだったんだから正当防衛だ」

 

 俺が弁解し、橘の無軌道な行動のせいにしようとすると、遠野は「はぁ」とわざとらしく深く、溜息を吐き出した。

 

「あなたがシェリーさんに構いたくて仕方ないのは、今更ですわね……」

 

 まるで出来の悪い飼い犬を躾けるような口調だった。

 聞き捨てならない言葉に、俺が眉をひそめて反論の口を開きかけた、ちょうどその時だった。

 

「……なんだ?人だかりができてるぞ」

 

 ふと前方に視線を向けると、廊下の奥にある一つの教室の前に、何人もの生徒や実行委員が群がり、深刻な顔で話し合っているのが見えた。普段なら通り過ぎるだけの場面だが、隣を歩いていた橘の頭のアンテナが、ピコンと鋭く反応した。

 

「……事件の匂いがします!行きましょう!」

 

 またか、と俺が溜め息をつく間もなく、橘は俺と遠野の腕を掴み、野次馬の最前列へと猛烈な勢いで突進していった。

 人垣を掻き分け、教室の中を覗き込んだ瞬間──俺たちは思わず息を呑んだ。

 

 

 そこには、文化祭の展示空間とはおよそかけ離れた、無惨な光景が広がっていた。

 教室の中央には、本来なら美術部の目玉として展示されていたはずの、石膏と発泡スチロールで作られた巨大なモニュメントがあったとのことだ。しかし今、それは見る影もなく粉々に破壊され、無数の白い残骸となって無惨に散乱している。

 さらに異様なのは、その残骸のど真ん中に、赤いペンキの入っていた大容量の金属バケツがひっくり返っていることだ。

 バケツから溢れ出したドロドロの赤い塗料は、モニュメントの破片を飲み込みながら床一面に広がり、まるで凄惨な事件現場の血の海のような、生々しい水溜まりを作り出していた。白い石膏と真っ赤なペンキの強烈なコントラストが、見る者の不安を酷く煽り立てる。

 

「こ、これは……ひどいですわね……」

 

 遠野が顔を青ざめさせ、口元に手を当てた。

 教室の入り口では、美術部の部長らしき男子生徒が、頭を抱えて半狂乱になりながら叫んでいる。

 

「昨日、夕方の六時に鍵を閉めた時は何ともなかったんだ!今日の午後の一般展示に向けて、さっき鍵を開けたらこのザマだよ!誰だ、こんな酷いことをしたのは!」

 

 すると、状況を調査していた腕章姿の実行委員が、血の気を引かせた顔で立ち上がり、震える指で床を指し示した。

 

「でも、おかしいぞ……。窓から吹き込んだ風のせいか、ペンキは完全に乾いてるみたいだが……この部屋一面に広がってる赤いペンキの海に、『足跡』が一つもない!」

 

 その言葉に、野次馬たちが一斉にざわめいた。

 実行委員の言う通りだった。入り口からモニュメントの残骸に至るまでの床の余白、そして赤いペンキの海面には、誰かが踏み入った痕跡も、破壊して逃げ去った形跡も、一切残されていない。

 

「バケツはど真ん中にあるんだぞ!それじゃ、ペンキをぶち撒けた犯人が、どうやって部屋から出て行ったのか説明がつかないじゃないか!」

 

 足跡のない現場。

 その不可解な状況が提示された瞬間、周囲の生徒たちの間に、奇妙で不穏な沈黙が落ちた。論理的な思考が限界を迎え、非日常の力が介在したのではないかという疑心暗鬼の空気が急激に膨れ上がっていく。

 

 誰かが、ポツリと、その決定的な言葉を口にした。

 

「足跡をつけずに……部屋を出たってことか?」

 

 バッ、と。

 その場にいた十数人の視線が、まるで示し合わせたかのように、野次馬の最前列に立っていた一人の少女へと集中した。

 

 この学園で唯一、浮遊の魔法を所有している少女。

 遠野ハンナである。

 

「…………えっ?わ、わたくしですの!?」

 

 突然、全員からの疑惑の視線を一身に浴びた遠野は、持っていた食べかけのクレープを取り落としそうになりながら、パチクリと目を丸くした。

 

 俺はまたこのパターンかと、少し頭が痛くなった。

 

 

 

 

 

 

 

 

 







 シェリールートとヒロルートを作り直したり、他のラブコメ書いたりしてたら遅れました。誠にごつです

 
  1. 目次
  2. 小説情報
  3. 縦書き
  4. しおりを挟む
  5. お気に入り登録
  6. 評価
  7. 感想
  8. ここすき
  9. 誤字
  10. よみあげ
  11. 閲覧設定

▲ページの一番上に飛ぶ
X(Twitter)で読了報告
感想を書く ※感想一覧 ※ログインせずに感想を書き込みたい場合はこちら
内容
0文字 10~5000文字
感想を書き込む前に 感想を投稿する際のガイドライン に違反していないか確認して下さい。
※展開予想はネタ潰しになるだけですので、感想欄ではご遠慮ください。