まのこい天秤   作:雪無い

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お正月休み終わったので週に2回投稿できたらいいなの気持ち


6話『残響キャッチボールとその周辺』

 

 放課後の教室はいつも通り、窓から差し込む斜陽と、紅茶の香りに支配されている。

 テーブルの上には、先週末の買い出しで手に入れた戦利品が並んでいた。

 

「美味しいですね!大鐘さんが命懸けで獲得したお菓子!」

「VRデスゲームに参加した覚えは無い」

「昔流行りましたわね」

「でも、本当に美味しいよ。ありがとう大鐘くんっ」

 

 桜羽がふわりと花が咲くような笑顔で高級クッキーを口に運ぶ。

 ふと、彼女と目が合った。桜羽はクッキーを小さく齧りながら、潤んだ瞳でじっと俺を見つめてくる。その瞳を見ると、俺の胸にすっぽりと収まった時のあの体温や、至近距離で嗅いだ甘い花の香りが脳裏をよぎる。

 思わず視線を逸らす。あの目は危険だ。心臓の鼓動が不自然に跳ねるのを自覚し、俺はあえて熱い紅茶を啜って誤魔化そうとした。だが、そんな俺の動揺を見逃すほど、この場の面々は甘くない。

 

「あら、功労者が何縮こまってますの」

「大丈夫?大鐘くん?」

「……なんでもない。ちょっと温度間違えただけだ。それより、このダージリン選んだ甲斐あったな」

「はぐらかしましたわね。……でも、確かにそうですわね」

 

 誤魔化すように話を逸らすと、遠野はすぐ納得したように頷いてくれた。

 桜羽と二人で選び、体を張って手に入れたお菓子セット。それを囲む今、魔法クラスの教室は、俺にとってかつてないほど居心地の良い場所になりつつあった。

 だが、時計の針が刻む現実は、俺に席を立つことを促す。

 

「……悪い、今日はそろそろ行くわ」

 

 俺が席を立った瞬間、教室内を流れていた穏やかな空気がピキリと凍りついた。

 

「事件です! 大事件の予感ですよこれは!」

「最近離席が多いですわね」

 

 橘が椅子を鳴らして立ち上がる。

 

「大鐘さん、あなたは今、スマホの通知を三回も確認しましたね? しかもその際、口角がわずか0.5ミリ上がっていました!それは、大鐘さんが途中離席する時の特徴です!さては、秘密の特訓ですか!? 名探偵を凌駕する新技術でも習得するつもりですか!?」

「……深読みしすぎだ。ただの先約だ」

「……その先約、楽しみなんだよね?」

 

 桜羽がクッキーの欠片がついた唇の端を指で拭いながら首を傾げる。その問いかけは純粋すぎて、俺は咄嗟に答えに詰まった。

 

「ねぇ、大鐘くん」

 

 不意に、桜羽が俺の足元をじっと覗き込みながら、鈴の鳴るような声で言った。

 

「今日の大鐘くん、靴紐をいつもよりキツめに結んであるよね。何か運動でもするのかな?」

 

 鋭すぎる推測に、俺は一瞬息を呑んだ。二人の買い出しを経て、彼女の視線は俺の無意識の領域にまで届き始めていた。たじろぐ俺に、今度は遠野が追い打ちをかける。

 

「大鐘さん、あなたのその目の輝き、見覚えがありますわ。……ナノカさんと会うんでしょう?」

 

 遠野の言葉に心臓が跳ねる。彼女は、俺と黒部に繋がりがあることを知っている。そして俺が魔法に異常なまでの情熱を持っていることを一部知っている。さらに、同じく魔法を使える黒部ナノカと会うことを心待ちにする俺の感情を、彼女は二人の秘密である魔法の練習を通じて見抜いていた。

 あの時、俺が夢中で浮遊の魔法を語る姿を彼女はただ静かに聞いてくれた。そして、その秘密を口外しないと約束してくれたことに俺は心の中で感謝した。

 

「もうお前ら3人で探偵やれよ……」

 

 半ば開き直って、俺はそう投げ捨てるように言った。3人の瞳に火がつく。

 

「えええーーー!?いつの間にナノカさんと!?あの寡黙でミステリアスな神秘担当のナノカさんと密会!?名探偵として黙っていられません!私も同行します!」

「お前が来たら密会にならないだろ」

 

 橘が興奮して立ち上がり、今にも飛びかかってきそうな勢いだ。遠野は扇子で口元を隠し、呆れた目つきでこちらを見ている。

 

「ナノカちゃんと……」

 

 桜羽の笑顔から、ふっと温度が消える。その瞳に冷や汗が流れる。しかし気にしてはいられない。約束の時間に遅れてしまう。

 

「悪い桜羽、こいつら抑えといてくれ」

 

 一番冷静であろう桜羽に俺はそう言い残し、逃げるように教室を飛び出した。背後から「あー! 逃げました!」「追尾魔法の展開準備ですわ!」という物騒な声が聞こえてくる。そんな魔法使えないだろ。だが、最後の一人、エマだけは何も言わなかった。

 振り返ると、彼女はただ、完璧な微笑みを浮かべて俺を見送っていた。その無感情な優しさが、夕暮れの廊下に長く伸びる俺の影を、ひどく歪んだものに見せているような気がした。

 

 

 

 

 学園の敷地の最果て。旧グラウンドの奥にあるバックネット裏。 

 そこには一人の少女が、夜の欠片のような黒髪を揺らして立っていた。

 

「……待ってたわ、大鐘くん」

 

 黒部ナノカが、左手に嵌めた借り物のグラブを軽く叩いた。

 

「悪いな、こっちから頼んでるのに」

「大丈夫。さあ、始めましょう」

 

 今日も静かに始まった。

 

 

 

「……上手くなったな、黒部」

 

 俺が放った緩やかな一球が、黒部の左手のグラブに吸い込まれた。

 バシュッ、と。

 夕暮れの静寂に、乾いた捕球音が心地よく響く。

 彼女はグラブの中からボールを取り出すと、その指先で白球の縫い目を確認するように一度だけなぞり、それから俺の方を見つめた。

 

「そうかしら。 大鐘くんが丁寧に教えてくれたから」

 

 黒部ナノカ。出会った当初の彼女は、グラブの嵌め方すらおぼつかない様子だった。不器用ではあったが、指針があると飲み込みが早くなる。教え甲斐があるタイプだった。

 同じバックネット裏。数日前、初めてここでボールを投げ合った時のことを思い出す。

 

 

「黒部、もう一回。指先は空に向けない。相手の胸元にグラブの面を真っ直ぐ向けるんだ」

「こう……?」

「そう。脇を締めて、ボールを『捕りに行く』んじゃなくて、そこに『置いてある場所』に手を添えるイメージだ」

 

 彼女は、俺の言葉を一つも漏らさないように、真剣な眼差しで聞いていた。

 魔法クラスの他の連中のように、賑やかなわけではない。彼女はただ、俺が教える技術という名の言葉を、一滴もこぼさぬように心のバケツで受け止めていた。

 

「大鐘くんの言う通りにすると、不思議ね。ボールが、自分から私の手の中に入りたがっているみたい」

「それは、お前がその場所を正しく作ってやってるからだよ」

 

 俺は彼女の背後に回り、細い腕を取って位置を調整した。

 華奢な肩。少し力を入れれば折れてしまいそうなほど、彼女は繊細な存在だった。だが、その瞳に宿る光だけは、決して折れることのない強固な芯を感じさせた。

 

「捕手っていうのはな、投手が一番投げやすい場所を『用意して待つ』のが仕事なんだ。黒部は今、俺が一番投げたい場所に立ってる。だから、ボールはそこに行く」

「……用意して、待つ」

 

 彼女はその言葉を噛みしめるように呟いた。

 その時、彼女の指先がわずかに俺の腕に触れた。一瞬、俺の脳裏に、泥にまみれたあの日のグラウンドが、雨の匂いと共にフラッシュバックした気がした。彼女の魔法『幻視』。触れたものの過去を映し出す力。

 だが、彼女は何も言わなかった。ただ、少しだけ悲しそうに、そして慈しむように目を伏せただけだった。

 

 

 

 引き戻されるように、再び黒部からの返球が届く。

 今の彼女の送球は、以前よりもずっと真っ直ぐで、力強い。

 黒部が投げ返してくるボールは、時折、俺の胸元を少しだけ逸れる。

 それを捕球するたび、左手の掌を通じて彼女の「意識」が流れ込んでくるような錯覚に陥る。

 

「……」

「……ええ」

 

 会話は、それで十分だった。

 

 彼女の魔法『幻視』は、触れたものの過去を断片的に映し出す。俺が彼女に投げ方を教える際、その肩や腕に触れるたび、彼女が俺の泥まみれの過去を視ているであろうことは、想像に難くない。

 彼女の瞳の奥に時折切ない影が差すのを見るたび、俺はそれを感じ取っている。

 だが、黒部ナノカは、決して口にしない。

 

「かわいそう」とも言わないし、「大変だったわね」という安っぽい同情も投げかけてこない。

 俺もまた、視るなとは言わなかった。

 もしそれを口にすれば、この静かな時間は音を立てて崩れてしまう。

 

(わかっていて、触れている……)

 

 俺が教える「技術」に、彼女は俺の「痛み」を見出し、それでもなお、ただの一球として受け止めようとしている。

 それは、言葉よりもずっと重く、深い肯定だった。

 

 俺たちは、暗黙の了解という薄い氷の上で、危ういバランスを保ちながらボールを投げ合っている。

 過去を視る少女と、過去を乗り越えたい男。

 共有されているのは、事実ではなく、その事実を秘密のままにしておくという共犯関係に似た体温だけだ。 

 

「大鐘くん……今の、いい球だったわ」

 

 黒部が小さく、本当に小さく微笑む。

 その微笑みが、俺の肺に溜まった澱を少しだけ掃き出してくれる。

 俺は、彼女が何かを視てしまっていることを知っている。

 彼女もまた、俺がそれに気がついていることは承知だろう。

 

 それでも、俺たちはただの友人として、バックネット裏に立っている。

 この沈黙こそが、今の俺にとっては、どんな魔法よりも救いだった。

 

「……そうか。じゃあ、今の感覚を忘れるなよ」

 

 俺はあえてぶっきらぼうに返し、右手にボールを握り直した。

 

「大鐘くんの投げるボール、今日は……少しだけ、温かい気がする」

「……ただの摩擦熱だろ」

 

 俺は照れ隠しに短く答え、彼女の胸元へ投げ返す。少しずつ、あの日の冷たさが溶かされていく。その温度が、ボールに移っていくような気がした。

 

「もう一球、いいかしら」

「ああ。いくぞ」

 

 彼女が振りかぶろうとした、その時だった。

 

「あれれ〜? こんな寂しいとこでどしたんナノカ?」

 

 静寂を掻き分けて現れたのは、制服姿でありながら、全身から奔放なオーラを放つ少女だった。

 まず目を引いたのは、肩のあたりで跳ねるように切り揃えられた黒髪のウルフカット。前髪の右側に差し込まれた鮮やかなオレンジのメッシュが火花のように覗いている。

 頭頂部からは猫の耳のように二房の髪がピンと跳ねており、その上からネコ耳型の大きなヘッドフォンを装着している。猫のように吊り上がった琥珀色の瞳は、好奇心と悪戯っぽさを隠そうともせず爛々と輝き、口元からは鋭く尖った八重歯がチラリと覗いていた。

 

「……沢渡ココ」

 

 黒部がその名を呼ぶ。

 

「えっ、それってもしかしてカレシ?マジ!?大スクープじゃん!」

 

 沢渡ココは手に持ったスマホをこちらへ向け、小動物のような素早さで距離を詰めてきた。あどけなさが残る顔立ちだが、その瞳の奥には冷ややかな観察者の色が混じっている。ニヤリとした笑顔を作りながら、獲物を見つけた猫のように俺の周りをチョロチョロと動き回るその姿は、一瞬にしてこの場の神聖な空気を掻き消してしまった。

 

「黒部、知り合いか?」

「ええ、同じクラスの沢渡ココよ」

 

 黒部は困惑したように眉を下げ、グラブを抱え直した。一方の沢渡は、俺の顔を至近距離で覗き込むと確信犯的な笑みを深める。

 

「あてぃしの名前、もう呼ばれちゃった? そう、みんなのアイドル、沢渡ココちゃんだよーん! ってか誰だよこの男! ナノカが男とキャッチボールとか、あてぃしの千里眼でも予測不可能なんですけど!」

 

 嵐のようなテンションでまくしたてるココを前に、俺はただ呆然と立ち尽くすしかなかった。

 しかし、俺の耳は気になるワードを聞き逃していなかった。

 

「千里眼?沢渡の魔法か?」

 

 俺の問いに、ココは「あ、気になっちゃう?」と自慢げに胸を張った。

 

「そう! あてぃしの魔法は『千里眼』。あてぃしの姿が写った写真や動画を見てるリスナーがいれば、そのリスナーが今何をしてて、どんな景色を見てるのか、あてぃしは全部お見通しになれるわけ! いわば『全人類あてぃし専用カメラマン化計画』ってね!」

 

 それを聞いた瞬間、俺の脳内は音を立てて火を噴いた。

 

「……なるほど。自分から遠くを覗き見る能動的な千里眼じゃない。お前自身の姿を『観測されること』をトリガーにした、完全受動(パッシブ)型の広域索敵能力か。つまり、お前を盗み見ようとする奴がいれば、その瞬間に立場が逆転する。沢渡を狙っている暗殺者がスコープを覗いた瞬間に、お前は逆にそいつの視界をジャックして潜伏場所を特定できるわけだ。見ようとする意思そのものが、情報を献上するパイプになる。絶対に暗殺されない究極の防衛魔法だ。野球で例えるならもっとエグい。バッターボックスに立つお前をキャッチャーやピッチャーが見るだけで、お前には彼らの情報、サインが丸見えになる。相手が勝とうとしてお前を注視すればするほど、お前の手の内は増え、相手の秘密は筒抜けになるんだ。サインがバレたらバレたで戦略は無限にあるが、お前相手には意味がない。また、沢渡がネットに自撮りや配信を流すたびに、世界中に配置された無自覚な生きた監視カメラが増殖していく。本人が気づかないうちに、お前のためのスパイに仕立て上げられているんだ。とんでもない、なんて戦略的価値の高い魔法なんだ」

「う、うわ……なになに!? 急に怖いんだけど! 索敵とかサインとか、マジでキモいんですけど! オタクかよ!」

 

 本気で引いた顔をして、後ずさりした。琥珀色の瞳が引きつっている。

 

「そのツラで中身ガチオタクとか、ギャップ萌え狙い? 無理無理、マジ無理。ナノカみたいな不思議ちゃんのどこに惚れたんかと思ったけど普通にお似合いじゃん。あてぃし帰るから!よろしくやっとけし」

「待て沢渡」

 

 俺は去りかけようとした沢渡に声をかける。

 

「あてぃしの名前、安売りしてないんだけど。何?」

「お前の魔法、見せてくれないか。……頼む、一回だけでいい。どうしても見てみたいんだ」

 

 俺の目は、自分でもわかるほど熱を帯びていた。心の遠野が俺を呼び止めるが止まれない。沢渡は露骨に嫌そうな顔をして、あからさまに肩をすくめた。

 

「はぁ?なんであてぃしがそんなことしなくちゃなんねえの。……ま、いいけどさぁ。配信のネタ探しに来たわけだし。なんか面白いもの見せてくれたら一回だけ使ってやってもいいけど?」

 

 沢渡の挑発的な提案に、俺は一つ頷いた。面白いこと。それなら、今の俺たちがやっている対話で証明すればいい。

 

「黒部、あっちのバックネットの端まで行ってくれるか。俺が投げる」

「……え?」

「いいから。俺を信じてミット構えててくれ」

「……大鐘くん、そんな距離、私……捕れるか不安だわ」

 

 グラウンドの端までは約六十メートル。未経験の彼女にとっては、気の遠くなるような距離だ。夕闇が深まりつつある視界の中、頼りなさそうに彼女は言った。抱えられた借り物のグラブが、不安を体現するようにわずかに震えていた。

 

「大丈夫だ。前にも言っただろ。捕手は投手が一番投げやすい場所を『用意して待つ』のが仕事だ。今の俺が一番投げたい場所は、お前なんだ。だから大丈夫。動かなくていい。そこにいろ。俺がお前のミットにボールを届かせる。キャッチすることだけに集中すればいい」

「イチャついてんじゃねーよ!」

 

 横から飛んできた沢渡の鋭いツッコミをまるで無かったかのようにスルーし黒部は顔を上げる。 

 

「……うん、わかった」

 

 黒部は小さく、だが力強く頷くと、そのままグラウンドの端まで走っていった。そのシルエットは先ほどよりも大きく見えた。

 構えた彼女を見て、俺は投げる合図を送る。

 

「よし、じゃあいくぞ!」

 

 俺は深く、一度だけ息を吸い込んだ。右手の指先に、白球の縫い目の感触を刻み込む。

 左足を踏み出し、全身のバネを右腕へと集約させる。指先に伝わる感覚、肩の開き、足の踏み込み。かつて数え切れないほどの白球を捌いてきたその蓄積は、今、彼女の手元へ最速で届くための確かな力に変わっていた

 指先が空を切り裂き、放たれた白球が夕闇のキャンバスに一本の鮮烈な白い線を引く。

 一切のブレがない、完璧なフォーシーム。

 それは放物線を描くことすら拒むような直線的な軌道で、六十メートルの空間を貫いていく。風を切り裂く低い唸り声。黒部の瞳が、迫りくる光を捉えて離さない。

 ──バシュッ!

 静まり返ったグラウンドに、重厚で乾いた捕球音が爆ぜた。

 黒部のグラブは、本当に一ミリも動いていなかった。まるで最初からそこにボールが収まることが世界の摂理であったかのように、白球は彼女のミットに置かれていた。

 

「……マジ? 凄っ……!マジでドンピシャじゃん……」

 

 沢渡は今日初めてスマホを操作する手を止め、信じられないものを見るような目で俺と黒部を交互に見つめていた。

 

「約束だ。見せてくれ」

 

 俺が歩み寄ると、沢渡は「はいはい、鼻息荒くすんなし」と渋々スマホを取り出した。彼女はパシャリと自撮りを一枚撮ると、手早く俺の端末と連絡先を交換しそれを送りつける。

 

「あてぃしの魔法の条件はあてぃしの姿を見てる第三者の存在、準備いい?」

 

 俺は頷き、沢渡に背を向けて十メートルほど離れた。スマホの画面には、先ほど撮影されたばかりの彼女の写真。猫のように吊り上がった琥珀色の瞳と、悪戯っぽく覗く八重歯。

 

「……いくぞ」 

 

 俺は沢渡から絶対に見えない位置で、写真を見つめながら左手の指を三本立てた。

 

「三本でしょ」

 

 即答だった。俺は息を呑み、今度は五本立てる。

 

「はい、パー。五本。あてぃしの写真を見ながら指立てる顔、マジでマヌケ。リスナーにお届けしたいわ」

「……っ!」

 

 俺は思わず振り返った。背筋にゾクりとした震えが走る。

 すごい。今、間違いなく視線が「繋がった」感覚があった。俺が見ているこの写真の「瞳」を通じて、俺の視界が、俺の立っているこの景色が、そのまま沢渡へと流れ込んでいったのだ。

 

「すげぇ……! 本当に、俺が見ている景色がお前に見えてるのか!? 誰かがお前の姿を見るだけで、お前はその瞬間に監視者になれる……。なんて完成度の高さだ!完璧な能力じゃないか!」

 

 俺は興奮を抑えきれず、沢渡に詰め寄った。

 

「やっぱキモ……さっきのはちょっとかっこいいかもって思ったあてぃしが馬鹿だったわ。台無しじゃん。じゃあなキモオタ!あてぃしの配信見ろよ!」

「キモオタ!?」

 

 人生で初めて受けた罵倒にショックを受けていると、沢渡は今度こそ、全速力で逃げるように去っていった。

 残された俺は、少しだけ傷つきながら立ち尽くす。

 

「帰ってしまったわね」

 

 いつの間にかこちらに戻っていたらしい黒部をチラリと見る。

 

「ふ、ふふふ……道化を演じることによってあいつを遠ざけ、俺達の時間を守る作戦は成功したらしいな……」

 

 強がり、という言葉すら生ぬるいほどの虚勢を張る。黒部は、グラブを胸に抱えたまま、心底感心したように俺を見つめていた。

 

「すごいわ」

「……」

「すごいわ」

「……」

 

 せめてツッコんでください黒部さん。

 

 

 

 

 

 




ココちゃんは個別ありません。全国一億人のココちゃん視聴者の皆様ごめんなさい
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