まのこい天秤   作:雪無い

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ハンナ√
1話『特等席の隣人』


 

 十一月の澄んだ空を突き抜けるように、学園の時計塔からファンファーレが響き渡った。

 

 文化祭本番。

 

 今日という日のために、学園は数週間前から熱病に侵されたような喧騒に包まれていた。校門には修理された巨大なアーチがそびえ立ち、各教室からは調理の匂いや、慣れない大工仕事の音が漏れ聞こえてくる。

 俺の所属するクラスも、その例外ではなかった。

 出し物は演劇。タイトルは聞き覚えのあるファンタジーものだが、配役も大道具の担当も、俺がこの学園に転校してくるずっと前から決まっていたことだ。

 教室の端で、俺は自分の役割をどう切り出すべきか考えあぐねていた。ゴミ拾いでも、パンフレット配りでもいい。この熱気の中に、何かしら自分の仕事を見つけなければならない。ベンチ外でただ試合を眺めているわけにはいかないだろう。

 

「大鐘くん、何難しい顔して突っ立ってるの?」

 

 不意に、衣装用のドレスを腕に抱えた女子クラスメイトが、呆れたような笑みを浮かべて近づいてきた。

 

「今日、君のシフトは入ってないよ。自由にしてて」

「自由って……俺もこのクラスの一員だ。何か手伝えることはないか?」

 

 食い下がる俺に、彼女は困ったように眉を下げた。

 

「あのね、大鐘くんは転校してきたばっかりでしょ。準備期間もまともに参加できなかったんだから、気にしなくていいの。クラスのみんなで決めたんだよ。大鐘くんには客として、この学園の文化祭を全力で楽しんでもらおうって」

「……いいのか。そんなに甘えて」

「いいのいいの! その分、他の行事で死ぬほど働いてもらうからね。ほら、行った行った!」

 

 彼女はシッシッ、と手を振り、俺を教室の外へと押し出す。

 正直、戸惑いはあった。だが、それ以上に胸の奥がじんわりと温かくなるのを感じた。

 初日の不祥事。そして支柱事件で耳にした俺に関する噂の数々。最初はどうなることかと思っていたが、このクラスの連中は俺が思う以上に、俺という異分子を仲間として迎え入れようとしてくれていた。その厚意が、今は何よりもありがたかった。

 

「……わかった。じゃあ、お言葉に甘えるよ。ありがとう」

 

 俺が素直に礼を言うと、彼女はふと、意地悪そうな笑みを口元に浮かべた。

 

「あ、そうだ。魔法クラスの彼女さんにもよろしくね。今日は二人でゆっくり楽しんできなよ」

「……彼女? 何の話だ」

 

 思わず聞き返したが、彼女は「えー、とぼけちゃって!」と笑いながら劇の準備へと戻っていった。

 ……結局、覚えのない噂はされたままらしい。

 俺は小さく溜息をついた。否定するタイミングを完全に逸してしまったのは俺の落ち度だが、それにしてもこの学園のネットワークを甘く見すぎていた。

 だが、今はそれも悪い気はしなかった。

 俺はもう一度、忙しなく動くクラスメイトたちに「ありがとう」と告げ、賑わう廊下へと踏み出した。

 

 

 

 

 

 

 自由にしていいと言われたものの、いざ一人で放り出されると何をすればいいのか見当もつかない。よく考えたら、俺の人生は常に野球を中心に回っていた。合宿や遠征、練習試合。季節ごとの行事など、ベンチ裏から眺めるだけの遠い世界の出来事だった。祭りというものに、当事者として参加した記憶が欠落しているのだ。人混みを避けるようにして、導かれるまま足を向けたのは、やはりあの場所だった。魔法クラスの教室。扉を開くと、そこには二人の少女がいた。

 

「あっ、大鐘さん! ちょうどいいところに!」

「あら。あなた、こんなところで油を売っていてよろしいのですか?」

 

 真っ先に声を弾ませた橘と、優雅に紅茶を啜りながら目を細めた遠野。俺は二人の視線を浴びながら、空いている席に腰を下ろした。

 

「……桜羽は? 今日は来てないのか」

「エマさんなら、今日は体調不良でお休みだと聞きました」

「無理して来ようとしたところを、ヒロさんが鬼の形相で止めて、寮に連れ戻したそうですわ。まったく、騒がしいことです」

 

 橘の説明に、遠野が呆れたように付け加える。庇護モードの二階堂ヒロに睨まれては、さすがの桜羽も大人しく寝ているしかないだろう。

 

「そうか……。無理しなきゃいいんだが。それで、このクラスは何かしないのか? 出し物とか、手伝いとか」

「何もしませんよー! 私たちは完全フリーです!」

「学園側から、人数が少ないクラスは準備の負担が大きすぎるという理由で、活動を自粛するようにと通達がありましたの。……私としては、甚だ不満ですわ」

 

 不服そうに唇を尖らせる遠野に対し、俺は眉をひそめて困惑した。また、この学園特有の変なルールか。人数が少ないからこそ、何か小規模なものでも用意するのが文化祭の醍醐味だろうに。わざわざ「やるな」と釘を刺すのは、どうにも釈然としない。

 

「まぁ、何かやるとしても、このクラスをまともに仕切れそうなヒロさんやレイアさんは、生徒会やお仕事で多忙を極めていますからね」

「シェリーさんのような破天荒な方が多いクラスですもの。まとめ役が不在では、収拾がつかなくなると判断されたのでしょう。……にしても、仲間外れにされているようで、気分が良いものではありませんわ」

 

 特に不自由を感じていなさそうな橘と対照的に、遠野は手元のカップを見つめて静かな不満を滲ませていた。彼女にとって、この何もしないという状況は、単なる暇ではなく、疎外感に近いものがあるのかもしれない。ふと、遠野が顔を上げ、探るような視線を俺に向けた。

 

「ところで……大鐘さん。あなたこそどうしましたの? こんな場所でくすぶっているなんて」

「てっきり、自分のクラスの出し物で引っ張りだこなんだと思ってました!」

 

 二人の問いに、俺は先ほど教室で交わしたやり取りを、かいつまんで説明した。転校生への配慮として客に専念しろと送り出されたこと。その厚意を無駄にするわけにはいかないこと。

 

「なるほど、それは素敵なクラスメイトをお持ちですこと」

「では、私たちと一緒に回りましょう! 文化祭特別事件編の開始です!」

「……今日は普通に楽しませてくれ。まぁでも、よろしく頼む」

 

 二人がいて助かった。一人で歩くより間違いなく良い。俺たちは連れ立って教室を後にした。賑やかな喧騒が渦巻く校舎へと、三人の影が溶け込んでいく。

 

 

 

 

 

 模擬店がひしめく中庭へ向かって歩きながら、俺たちは他愛もない会話を交わしていた。

 橘が「お二人は中学校の文化祭どうでしたか」と聞けば、遠野は「特にそれらしい思い出はありませんわ」と答える。俺も特にない。野球一筋だった俺にとって、行事は常にカレンダーの余白に過ぎなかった。いつもの放課後と変わらない光景が、文化祭の喧騒の中で少しだけ特別に感じられた。

 

「お二人とも寂しいですねー。私も似たようなものなんですけど」

「中学の文化祭なんてそんなもんだろ」

 

 そんなやり取りをしていた矢先、橘の視線が一点に止まった。

 

「大鐘さん、来ました!これですよ、これ!」

 

 橘が急に足を止め、獲物を見つけた猫のように耳をピンと立てた。彼女の視線の先では、腕章を巻いた生徒が数人集まって、困り顔で相談し合っている。

 

「橘、どうかしたか」

「あちらです! 『展示用の備品が予定数と合わない』……そんな不穏な会話が聞こえてきました! これは事件の予兆に違いありません!」

 

 俺も耳を澄ませて内容を聞いてみる。だが、聞こえてきたのは「予備の椅子が二脚足りない」「倉庫の台帳を確認しに行こう」という、どこにでもある事務的なミスについてのやり取りだった。

 

「ただの数え間違いだろ。どこかの教室が間違えて持って行っただけじゃないか。大した問題じゃない」

「いいえ! その二脚の椅子が、世界の命運を左右するギミックの一部かもしれませんよ。これこそ名探偵の出番です!」

 

 橘は鼻息を荒くして、今にも現場へ突撃しそうな勢いだ。一方、隣に立つ遠野は、呆れを通り越して無感動な溜息を吐き出した。

 

「シェリーさん……。そんな些細なことに首を突っ込むなんて、相変わらず落ち着きのない方ですわね。もっと優雅に楽しめませんの?」

「ハンナさん、これは文化祭に現れた神出鬼没の怪盗による、宣戦布告かもしれませんよ!大鐘さんもハンナさんも、一緒に来てください!」

 

 一瞬、彼女の熱量に絆されて付き合ってもいいかと思ったが、脳裏に先ほどのクラスメイトの笑顔がよぎった。自分を客として送り出してくれた連中の顔が。

 

「悪い、橘。俺はパスだ。今日は客に専念しろって送り出されたんでな」

「あー! そうですか、残念です。でも名探偵は無理強いしません!私一人でサクッと解決して、あとで泣いて感動させてみせますからね!」

 

 橘はあからさまに唇を尖らせたが、その瞳に不快な色はなかった。彼女はこういう時、空気が読めないように見えて、相手の事情を察すると深追いはしない。彼女の芯の通った気遣いができるところが、俺はとても好きだった。

 

「……無理はするなよ。何か手に負えないことがあったら、すぐに呼べ」

「わたくしからも。あまり大きな問題は起こさないように。クラスの品位に関わりますわ」

「お任せください! 最高の解決と土産話に期待して待っていてくださいね!」

 

 橘はマントを翻すような身軽さで、人混みの向こうへと駆け出していった。

 嵐が去った後のような静けさが、俺と遠野の間に残る。

 

「……相変わらず、嵐のような方ですわね」

「全くだ。……さて、二人になったな」

 

 賑やかな喧騒の中、俺たちは顔を見合わせ、苦笑い混じりの息を吐いた。

 橘がいなくなったことで、周囲の熱気が急に遠のいたような錯覚に陥る。隣を歩く遠野の纏う空気は、この騒がしい祭りの中心にあっても、どこか凛としていて涼やかだった。

 

「こうして、あなたと二人きりになるのは……あの時以来ですわね」

 

 遠野が少し視線を落とし、独り言のように呟いた。

 あの時。放課後の誰もいない教室で、俺が彼女の魔法に口を出し、二人で浮遊の感覚を共有した静かな時間。あの秘密の共有が、俺たちの距離を決定的に変えたのだと改めて自覚する。

 

「好みの女の子と二人で文化祭を回れるなんて、光栄すぎて緊張するな」

「……また、そうですわね。あなたという人は、本当にその口がよく回りますこと」

 

 好みの女性は?とからかい目的で聞いてきた遠野を逆にからかったあのやり取りを蒸し返すと、遠野は呆れたようにこちらを見た。しかしその頬が僅かに赤らんでいるのを俺は見逃さなかった。彼女は軽く咳払いをし、誤魔化すように歩調を速める。

 

「大鐘さんは、わたくしと二人の時だけ、やたらと余計なことをおっしゃいますわ。エマさんや橘さんの前では、あんなに冷静ぶって格好つけていらっしゃいますのに」

「そう見えるか? ……まあ、遠野はなんていうか、安定感があるからな。つい、余計な冗談を言いたくなるのかもしれない。あと冷静でクールなのは事実だ」

「安定感……? 褒めているようには聞こえませんわ。そもそも、あなたのどこがクールですの。わたくしが少し浮かせただけで、子供のように声を上げていらっしゃったくせに」

「痛いところを突くんじゃない」

 

 以前の特訓で、空中に放り出された時の醜態を思い出して口を噤む。彼女にはどうも、余裕のある自分を見せきることができない。シニア時代は堅牢と呼ばれた捕手だったのだが。

 

 そんな軽口を叩きながら歩いていると、広場の噴水近くで、ふと足が止まった。

 楽しげな親子連れや学生たちの輪から少し外れた場所に、一人の小さな女の子が立っていた。彼女は不安げに左右を見渡し、今にも泣き出しそうな顔でその場に立ち尽くしている。

 

「……ねぇ、大鐘さん。あの子」

「ああ。間違いないな」

 

 遠野が問いかける前に、俺は頷いて彼女の隣を離れた。周囲は祭りの喧騒に溢れ、誰もその小さな異変に気づいていない。だが、常にフィールド全体を俯瞰してきた俺の目は、その少女が抱える孤独を即座に捉えていた。

 

「ちょっと、大鐘さん。今日は客として楽しむのではなくて?」

 

 背後から遠野の困惑したような声が飛んでくる。だが、俺は振り返らずに足早に少女へと歩み寄った。

 

「それより大事なことだ、これは」

 

 たとえクラスメイトの厚意を裏切ることになっても、見て見ぬふりをして後で後悔するくらいなら、今ここで首を突っ込む方がマシだ。

 自分の納得のために、最善を尽くす。

 それはかつて、全てを失った俺が、今この場所で後悔しないために課した譲れないルールだった。

 

「遠野も来てくれ、頼む」

「はぁ……あなたはそういう人でしたわね」

 

 呆れながらもついてきてくれる遠野。俺は少女の傍に屈みこみ、視線を合わせた。恐怖で強張った顔。俺の顔を見るなり、今にも決壊しそうな大きな瞳に涙が溜まっていく。

 

「怖いことはない。お父さんか、お母さんと離れちゃったのか?」

 

 なるべく柔らかい声を出したつもりだったが、少女の小さな唇は震えるばかりだ。そこへ、背後から凛とした、けれどどこか温かみのある声が重なった。

 

「大鐘さん、どいてくださいな。男の方にそんな低い声で凄まれたら、この子も怯えてしまいますわ」

 

 遠野が膝をつき、俺を軽く押し退けて少女の前に出た。彼女は自分のハンカチを取り出すと、優しく少女の頬を拭う。

 

「大丈夫ですわよ、小さなお嬢様。わたくしたちが、必ずあなたのご家族を見つけ出してみせますから」

 

 気品溢れる振る舞い。だがその眼差しは、普段見せる厳格さとは違い、驚くほど慈愛に満ちていた。

 少女はその空気に毒気を抜かれたのか、「……うん」と、震えの無くなった手で遠野の手を取った。

 

「確かインフォメーションセンターみたいなのが設置されてたはずだ。そこに行こう」

「えぇ、行きましょうか」

「……うん」

 

 俺はパンフレットを取り出しマップを確認する。ここから一番近い北校舎一階にあるらしい。

 俺が先導すると、遠野は少女の手を優しく握り、ゆっくりと歩き出した。その手つきは、まるで撫でるように慎重で、けれどもしっかりとした力強さがあった。

 

 

 五分後。

 北校舎の受付近くにたどり着いた時、向こうから必死な形相で駆け寄ってくる女性と、その影に隠れるようにして近寄ってくる、少し年上の女の子の姿が見えた。

 「本当にありがとうございます」と何度も頭を下げる母親に対し、俺は「いえ、お気になさらず」と短く返した。

 安堵のため息をついて、迷子だった少女とその姉らしき女の子を見る。二人はもう怯えなど無く、こちらを見て笑顔になった。安心感からか、俺も思わず笑みをこぼした。

 

 離れていく親子三人の背中を、俺はしばらくの間、満足感と共に見送っていた。だが、隣に立つ遠野が、合流してから妙に静かであることに気づく。

 

「……悪いな、遠野。橘の誘いは断ったくせに、俺の独断には付き合わせちまって。迷惑だった───」

 

 言いかけて、言葉が喉の奥で硬直した。

 

 遠野は、去っていく姉妹をじっと見つめていた。

 陽光が差し込む廊下で、彼女の瞳は潤んでいるようにも、あるいは絶望的な深淵を覗き込んでいるようにも見えた。

 まるで、二度と手に入らない宝物を、世界の果てから眺めているような。

 届かない星を、ただ一人で仰いでいるような。

 

 見たこともないほど、空っぽで、寂しそうな目だった。

 幸せそうに手を繋ぎ、祭りの喧騒へ戻っていく姉妹の影。その絆を、彼女は耐え難いほどの欠落感をもって見つめている。

 

 今にも壊れてしまいそうなほど脆く、そして果てしなく寂しそうな、見たこともない瞳だった。

 

「……遠野?」

 

 戸惑いながら名前を呼ぶと、遠野の肩がビクリと小さく跳ねた。

 

「……なんですの、その間の抜けた顔は。わたくし、ただ無事に解決して安心していただけですわ」

 

 瞬きをする間に、彼女の瞳からはそれが消えていた。

 いつもの冷たく、美しい翠色の瞳に戻り、彼女は不自然なほど素早く背を向けた。

 

 いつもの高慢な響き。だが、その声は僅かに震え、焦点が定まっていない。

 この震えを見逃すわけにはいかなかった。彼女の心の奥底で、何かが悲鳴を上げている。説明のつかないざわつきが、俺の胸を不快にかき乱した。

 

「……少し、疲れましたわ。どこか座れる場所に行きましょう、大鐘さん」

 

 強がってはいるが、彼女の足取りはどこか危うい。俺は彼女を思いやり、なるべく喧騒の少ない、けれど孤独を感じさせない場所を脳内のマップから探し出した。

 

「そうだな。……俺のクラスの劇がたしかそろそろ始まるはずだ。劇ってのは文化祭の目玉なんだろ。座って観ていこう」

「ふふ、いいですわね。あなたのクラスメイトたちが、必死に作り上げた舞台ですもの。見届けて差し上げましょう」

 

 遠野は小さく微笑んだ。

 その笑みは、いつもの呆れ混じりのものではなく、どこか儚く、守ってやりたくなるような柔らかさを湛えていた。俺はその表情の威力に、思わずたじろぐ。それを隠すように俺は歩き始めた。

 

「それじゃあ行くか、お嬢様」

「……なんですのいきなり。本当に、時々あなたという人は失礼ですわね」

 

 ふい、と顔を背けたものの、彼女の足取りは先ほどよりもずっと軽い。照れ隠しに歩調を速める彼女の隣を歩きながら、俺たちは一般クラスの校舎へと向かった。

 

 教室では、ちょうど演劇の幕が上がったところだった。演目は古典的な騎士道物語。手作り感溢れる甲冑や布を張り合わせた舞台装置は、プロのそれには程遠い。しかし、スポットライトの下で必死にセリフを叫ぶクラスメイトたちの熱量は、冷めかけた空気を一変させる力があった。

 

「……あら、見応えがありますわね」

「ああ、あいつら結構練習してたみたいだからな」

 

 客席の最後列で肩を並べて見届ける。騎士が姫を守り抜き、大団円を迎えるラストシーン。客席から大きな拍手が巻き起こり、劇は幕を閉じた。

 

「終わったか。……いい劇だったな」

「ええ。最後の一騎打ちは、少しだけ感動しましたわ。大鐘さんも、あの中で槍でも振るっていればお似合いでしたのに」

「俺が持ったら一人だけ構えが違うだろうな」

「確かにそうですわ」

 

 劇の終わりと共に、教室の明かりが灯る。先ほど廊下で見せた彼女の寂しそうな目の残影は消え、そこにはいつもの高潔な遠野がいた。

 教室を出ようと立ち上がった時、舞台袖から着替えを終えたクラスメイトの女子が勢いよく飛び出してきた。

 

「大鐘くん! 劇、見ててくれた!? ……って、やっぱり彼女さん連れてきてるし!」

「おう、めちゃくちゃ良かったよ。あと、彼女じゃないって。……悪いな遠野、変な噂を聞かせちまって」

 

 俺が苦笑いしながら遠野の方を見ると、彼女は面白がるように扇子で口元を隠し、俺の顔を覗き込んできた。

 

「あら。大鐘さん、あなたわたくしのことをそんな風に紹介して回っていますの? 隅に置けませんわね」

「……お前まで一緒になって茶化すな。俺が一番困ってるんだぞ」

 

 頭を抱える俺に対し、ハンナはどこか楽しげに、満足そうな笑みを浮かべている。

 

「ふふ、否定はしませんわ。……わたくしのような女子を連れ歩けるのですもの。光栄に思ってくださって構いませんのよ?」

 

 にこやかに、けれどきっぱりと言い放った彼女の言葉に、クラスメイトの女子は「うわ、めっちゃ公認じゃん!大鐘くん、幸せ者だね!」とはしゃいでいる。

 

「おい、勝手に公認にするな。……遠野、お前もだ。こいつらが勘違いするだろ」

 

 俺が慌てて割って入ると、遠野はくすくすと肩を揺らした。

 

「冗談ですわ。大鐘さん、顔が赤くなっていてよ? ……安心なさいな、わたくしとこの方は、ただ一緒に文化祭を回っていただけです。それ以上でも、それ以下でもありませんわ」

 

 彼女は優雅な所作で髪を払い、あくまで友人としての立場を強調してみせた。拒絶するような冷たさはなく、かといって肯定もしない。その絶妙な距離感の回答に、クラスメイトは「照れ隠しかー?」と囃し立てながらも、満足げに次の準備へと散っていった。

 ようやく静かになった廊下で、俺は一つ大きな溜息をついた。

 

「……お前、もう少し言い方があるだろ。心臓に悪い」

「あら、これくらいで動揺するなんて。少しは仕返せてやれましたわ」

「覚えてろよ……」

 

 意地悪な笑みが戻っている。それを見て、俺は少しだけ胸をなでおろした。先ほど見せた、あの消えてしまいそうな儚さは、今はもうどこにもなかった。

 

 だが、その平穏を破るように、廊下の向こうから騒がしい足音が近づいてきた。

 

「見つけましたよ、お二人ともー!」

 

 背後から突撃してきたのは、髪を振り乱し、息を荒くした橘だった。

 

「橘、どうだった」

「それが、事件が想像以上に迷宮入りしてしまいまして!遺失物捜索のプロである大鐘さんにご協力願えないかと」

「誰が何のプロだ」

 

 なぜかこの学園は物がよく無くなるらしい。治安が悪いようには思えないが。

 

「まぁいい。十分客として楽しめたからな。遠野もついてきてくれ」

「仕方ありませんわね。……大鐘さん、エスコートの続きは、あの騒々しい探偵の背中を追いかけることになりそうですわ」

 

 遠野は溜め息をつきながらも、その表情はどこか晴れやかだった。

 

「よし、プロの力を見せてやるとするか」

「結局認めてますわ」

「やったー!では、行きましょう!」

 

 駆け出す橘を追いかけて、俺たちは再び祭りの喧騒の中へと足を踏み出す。

 

 

 

 

 





 静かに始まったハンナルートです。

 ハンナといえばなんですが、まのさばの二次小説を書くと決めた時、実はこの小説以外にも案がありました。この作品とは全く違う、原作沿いの『遠野ハンナ不在if』を書くつもりでした。
 ハンナを仮想犯人に置いて議論を進めるというやり方ができなくなるのが裁判パートでの見せ場になるかと思ったのと、3章とそれ以降でオリジナリティを描きやすいと考えてました。あと魔法不明によって疑われるエマちゃんを書きやすいかなと。そんな感じのしっとりとしたシェリー×エマ小説を構想していたんですが、これ自分で書くより読者として読みたいなと思ってボツにしました。あと設定を詰め切れなくて折りました。同じ発想をした誰かが書いてくれることを信じてるぜ。
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