古の灯火   作:丸亀導師

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斜陽の帝国 2

凍てつく秋と崩落の冬(一九四二年 九月〜十二月)

秋風がドーバー海峡を吹き抜ける頃、ロンドンの地下指令室に届く報告書は、もはや「戦闘の敗北」ではなく「国家という生命体の壊死」を告げるカルテへと変貌していた。

大日本帝国の「絶対国防圏」とドイツの「Uボート封鎖網」によって手足を切断された大英帝国に対し、枢軸陣営はついに、その首に巻き付けた縄を最後まで締め上げる『最後の一撃』を振り下ろす。

それは、地中海の西の出口、イギリスにとって最後の砦である**「ジブラルタル要塞」の陥落**であった。

 

1.ヘラクレスの柱の崩壊(ジブラルタル陥落)

一九四二年九月。

イベリア半島の南端、地中海と大西洋を結ぶチョークポイントである「ジブラルタル(ザ・ロック)」。この巨大な岩山をくり抜いて作られたイギリスの難攻不落の要塞は、地中海を封鎖しようとする枢軸軍にとって、喉に刺さった最後の小骨であった。

史実において、中立国スペインの総統フランシスコ・フランコは、ヒトラーの参戦要求をのらりくらりと躱し続けた。

しかし、この世界線のフランコは、目の前に突きつけられた「極東の超技術国家とドイツが結びついた、ユーラシア・ブロックの圧倒的な重力」を前に、早々に計算を終えていた。

「イギリスは間違いなく餓死する。ならば、勝ち馬に乗り、我が国の経済を円・マルク経済圏に接続する方が遥かに国益だ」

スペインは「枢軸軍の無害通航」を極秘裏に承認。

一九四二年九月一五日、スペイン領内を堂々と通過してきたドイツ・イタリアの装甲部隊と重砲兵部隊が、ジブラルタルの背後に突如として姿を現した。

 

「馬鹿な! スペインが道を開けただと!?」

 

ジブラルタル守備隊が恐慌状態に陥る中、空からはさらなる絶望が降り注いだ。

北アフリカの飛行場から飛び立ったイタリア空軍の重爆撃機と、同盟国ドイツへ密かに供与されていた**日本製の『八〇〇キロ徹甲爆弾』**である。

大和型戦艦の主砲弾にも匹敵する装甲貫徹力を持った日本の特製爆弾が、ジブラルタルの分厚い岩盤を文字通りブチ抜き、地下の弾薬庫と通信施設を次々と粉砕していく。

さらに海からは、イタリア海軍の戦艦部隊が猛烈な艦砲射撃を加え、完全に補給を絶たれたイギリス守備隊の士気を物理的にすり潰した。

わずか十日間の包囲と砲爆撃の末、一九四二年九月末。

二百年以上もの間、大英帝国の地中海支配の象徴であったユニオンジャックが、ジブラルタルの岩山から引きずり降ろされた。

「ヘラクレスの柱」は、枢軸の手に完全に落ちたのである。

 

 

2.黄金の大動脈の完成(ユーラシア・ルートの結合)

ジブラルタルの陥落は、単なる一拠点の喪失にとどまらない。

それは、地球の半分を覆い尽くす**「巨大な枢軸の血脈(ユーラシア・サプライチェーン)」が、物理的に完全に開通した**ことを意味していた。

* 東の起点: 日本本土および満州(韃漢国)の巨大な重工業地帯。

* 中継地1: 無傷で接収された蘭印(パレンバン)の油田と、マレーのゴム農園。

* 中継地2: 完全に日本の制海権下にあるインド洋から、親日国ペルシア(イラン)のアバダン製油所。

* 中継地3: エチオピア軍とアラブ反乱軍によってイギリスの手から解放された紅海とスエズ運河。

* 西の終点: ジブラルタルが落ち、完全に「枢軸の湖」と化した地中海を通って、イタリア・ドイツの工業地帯へ。

この「黄金の大動脈」を、日本の最新鋭STEL(蒸気タービン・電気駆動)貨物船と、ドイツ・イタリアの輸送船団が、敵の潜水艦に怯えることなく悠々と行き来し始めたのである。

極東からは、アメリカの軍需工場すら喉から手が出るほど欲しがっている**「高品質な天然ゴム」「タングステンなどのレアメタル」「MBF(特級硬化繊維素材)の規格パネル」がヨーロッパへと無尽蔵に注ぎ込まれる。

見返りとしてヨーロッパからは、「ドイツ製の最新精密光学機器」「ウルツブルク・レーダーの技術」「化学合成プラントのノウハウ」**が日本へと送られる。

日・独・伊、そして共栄圏の国々は、互いの弱点を完璧に補完し合い、その国力(戦争経済)は開戦前とは比較にならないほどの爆発的な成長曲線を描き始めた。

そして、そのユーラシアの輝かしい繁栄のド真ん中で、ただ一国、大英帝国だけが暗闇の中で凍死しようとしていたのである。

 

 

3.絶望の冬将軍(ロンドン凍死限界線)

一九四二年十一月。

イギリス全土に、観測史上稀に見る「早すぎる寒波」が襲来した。

ジブラルタルとスエズを失い、大西洋をUボートに封鎖されたイギリスには、もはや冬を越すための「石炭」も「石油」も残されていなかった。

「……寒い。ストーブの火が消えてから、もう三日だ」

ロンドンの下町。防空壕の中で身を寄せ合う市民たちの吐く息は、真っ白に凍りついていた。

配給される食糧は、一日にわずか数百キロカロリー。おが屑の混ざった代用パンと、泥水をすすったような薄いスープのみ。極度の栄養失調に陥った彼らの肉体には、寒さに抗うための「熱(カロリー)」を生み出す力が全く残っていなかった。

生き延びるため、市民たちは家の中にある燃えそうなものをすべて暖炉にくべた。

椅子、テーブル、本、ついには家の床板や階段の手すりまでもが剥がされ、わずかな暖をとるために燃やされた。しかし、それも数週間で底をつく。

 

「……ママー、手が動かないよ……」

 

毛布にくるまった子供たちが、眠るように冷たくなっていく。

毎朝、凍りついた路上には、夜の間に凍死や餓死、あるいは肺炎で息絶えた老人や子供の遺体が、ゴミのように転がるようになった。

遺体を回収するトラックすら、ガソリンがないため動かない。

 

「これは戦争ではない。虐殺でもない。ただの『自然淘汰』だ」

 

冷酷な物理法則が、イギリス国民の精神を根本からへし折っていった。

空から爆弾が降ってくるのなら、怒りを持って空を睨むこともできる。しかし、ストーブの火が消え、胃袋が空になり、ただ静かに体温が奪われていく「寒さと飢え」に対しては、人間の尊厳など何の役にも立たない。

 

「もうたくさんだ! アメリカは助けに来ない! チャーチルは我々を殺す気か!」

 

ついに、飢えきった市民たちの暴動が各地で発生した。

バッキンガム宮殿やダウニング街の前に数万人の群衆が押し寄せ、「パンと石炭を!」「戦争を止めろ!」と絶叫する。

警備の近衛兵たちですら、ライフルを構える手が寒さと飢えで震え、暴徒を鎮圧する気力を持っていなかった。

軍隊も同様であった。

スコットランドのスカパ・フローに停泊したままの「本国艦隊」の戦艦群は、燃料の重油が完全に底をつき、暖房すら入れられず、鋼鉄の艦内は外の氷点下よりも冷え切っていた。

偉大なるロイヤル・ネイビーの将兵たちは、艦の甲板に積もる雪を払い落とす体力すら失い、毛布にくるまって死を待つだけの「鋼鉄の棺桶」の住人と化していた。

 

 

4.巨星墜つ(チャーチルの失脚)

一九四二年十二月中旬。

首相官邸、ダウニング街十番地の地下指令室。

いつもは葉巻の煙と怒声に満ちていたその部屋は、今や線香の火が消える寸前のような、死の静寂に包まれていた。

ウィンストン・チャーチルは、執務机に深く沈み込み、焦点の合わない目で一枚の報告書を見つめていた。

『一二月第一週における、ロンドン市内の凍餓死者推計:約一万二千名。次週はさらに倍増する見込み』。

 

「……ウィンストン。もう、終わりだ。我々は負けたのだよ」

 

外務大臣アンソニー・イーデンが、血の気のない顔で絞り出すように言った。

 

「保守党内からも、そして野党の労働党からも『内閣不信任案』が提出される。議会は完全に君を見限った。いや……国民全体が、これ以上の戦争継続を『集団自殺』だと認識している」

 

「……アメリカは! ルーズベルトはなんと!!」

 

チャーチルが枯れた声で吼える。

 

「アメリカはまだ戦っている! 彼らの工業力が目を覚ませば……!!」

 

「ルーズベルトからの最後の親電だ」

 

イーデンは一枚の電報を机の上に置いた。

 

「『合衆国は、大英帝国が単独で休戦交渉に入ることを、もはや引き止めない。我が国は内陸で態勢を立て直す。……幸運を祈る』とある。……パナマを破壊され、西海岸を封鎖されたアメリカには、大西洋を渡って我々を救う船を出す能力はない。彼らもまた、自国の崩壊を食い止めるだけで手一杯なのだよ」

 

チャーチルの太い指から、火の消えた葉巻がコトリと床に落ちた。

彼の心の中で、大英帝国という巨大な城が、完全に音を立てて崩れ落ちた瞬間であった。

どれほど雄弁な演説も、どれほど強靭な意志も、カロリーと熱力学の法則(物流の完全な切断)を前にしては無力だった。

極東の島国が数年前から冷徹に引き回した「兵站とインフラの線(ブロック経済)」は、気がつけば大英帝国の首に幾重にも絡みつき、全く血を流すことなく、その息の根を止めていたのである。

一九四二年十二月二〇日。

ウィンストン・チャーチル首相、辞任。

後任には、開戦当初から対独融和派(徹底抗戦反対派)であったハリファックス伯爵が就任し、直ちに「これ以上の国民の無用な餓死を防ぐための緊急措置」を発表した。

 

 

5.冬の白旗(血を流さぬ休戦協定)

一九四二年十二月二四日。クリスマスイブ。

中立国スイスのジュネーヴにおいて、イギリス新政府の全権大使が、ドイツ第三帝国および大日本帝国の代表団とテーブルを挟んで向かい合っていた。

かつてこのジュネーヴの地で、米英仏は結託して日本に「完全なる経済封鎖(トータル・エンバーゴ)」という死刑宣告を突きつけた。

それからわずか二年半。今度はイギリス自身が、自らが発動した経済封鎖の何十倍もの威力を持つ「物理的完全封鎖」によって首を絞められ、休戦の書類にサインをするためにこの地にやってきたのである。

提示された休戦協定(事実上の無条件降伏)の条項は、大英帝国の完全な解体を意味する冷酷なものであった。

 

【ロンドン休戦条約・主要項目】

一、 大英帝国は、ドイツ、イタリア、および大日本帝国に対する一切の敵対行動を即時停止する。

二、 スカパ・フローを含む英本土および海外のすべての海軍艦艇は、武装を解除し、枢軸側の監視下に置かれる。

三、 アフリカ、中東(エジプト・スエズ等)、インド、マレーにおけるすべての植民地権益ならびに軍事拠点を放棄し、当該地域の「独立(事実上の枢軸ブロックへの編入)」を承認する。

四、 イギリス本国は「非武装中立国」となり、ユーラシア・ブロックとの間に設定された枠組みの中で経済再建(配給の受け入れ)を行う。

 

「……我々に、選択の余地はない」

 

イギリスの代表は、ペンを持つ手を小刻みに震わせながら、条約書にサインをした。

サインが完了したその瞬間、イギリスという国は「世界帝国」から、北海のどん詰まりにある「ただの貧しい島国」へと転落したのである。

 

翌日、十二月二五日。

ロンドンの街に、久方ぶりに教会の鐘の音が鳴り響いた。

休戦協定の成立と同時に、フランスの港から出発した巨大なドイツの輸送船が、ドーバー海峡を越えてテムズ川へ入港してきた。

船から陸揚げされたのは、爆弾ではない。

ドイツの石炭、ウクライナの小麦、そして遠く蘭印(パレンバン)から運ばれてきた重油であった。

 

「……火が、ついた。電気がついたぞ!」

 

ロンドン市内の発電所が再び稼働し、真っ暗闇だった街の街灯が、一つ、また一つと点灯していく。

凍え死ぬ寸前だった市民たちは、支給された石炭をストーブにくべ、温かいスープを啜りながら、涙を流して崩れ落ちた。

彼らの命は救われた。

 

しかし、その窓の外を照らす街灯の光は、もはや「大英帝国の栄光」ではなく、ユーラシア大陸を支配する枢軸という巨大な『新しい主人』によって与えられた、従属の光でしかなかった。

一九四二年末。

 

アメリカの最後の防波堤であった大英帝国は、完全に陥落した。

世界に残された最後のプレイヤーは、両膝を砕かれ、内陸の砂漠で狂気の超兵器(マンハッタン計画)の開発にすべてを賭ける**「孤立無援のアメリカ合衆国」**のみとなったのである。

 

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