一九四三年。
大日本帝国が古の兵法『兵糧攻め』を地球規模で適用し、大英帝国を餓死・降伏へと追い込んだこの年。その冷徹なる刃は、太平洋を隔てた超大国・アメリカ合衆国の「両沿岸部(西海岸と東海岸)」の肉を削ぎ、骨を砕き、国家の血液(物流)と神経(電力)を完全に切断する最終段階へと突入していました。
「いかに巨大な胃袋と筋肉(工業力)を持っていようと、血管を縛り、神経を焼き切れば、巨人は自らの重みで腐り落ちる」
総力戦研究所が描いたこの冷酷な数式は、西海岸の巨大航空機工場と、東海岸の巨大火力発電所群において、最も凄惨な形で実証されることになります。
第一部:干上がる西の果て(完全海上封鎖と巨大工場の餓死)
太平洋のへそ・ハワイ諸島が、一滴の血も流さずに日本の「無敵の不沈空母(巨大要塞)」へと変貌して以降、アメリカ西海岸(カリフォルニア州、オレゴン州、ワシントン州)の運命は完全に決定づけられていました。
それは、史実のアメリカが日本に対して行った「飢餓作戦」を、数十倍の規模と緻密さでそっくりそのままやり返されるという、悪夢のような因果応報の光景でした。
1.死の海(ハワイからの無限の刺客)
ハワイとアリューシャンという二つの絶対的な前線基地を手に入れた大日本帝国は、そこからアメリカ西海岸に向けて、絶え間ない「死の狩人」たちを放ち続けました。
伊号潜水艦群のウルフパック:
ハワイの潜水艦基地から出撃した日本の大型潜水艦(伊号)
伊号第400型潜水艦(通常型)
【基本諸元】
艦種: 巡潜型(長距離・ステルス艦隊型潜水艦)
水上排水量: 約 2,400トン
*水中排水量:約 3,500トン
* 船体構造:完全流線型・サドルタンク式複殻構造
* 機関: シュノーケル対応・高出力ディーゼル 2基2軸
* 最高速力: 水上 22ノット / 水中 14ノット(巨大な格納筒がないため、水中での機動性に優れる)
* 航続距離: 約 25,000海里
【兵装】
* **魚雷: 艦首 53cm魚雷発射管 8門
* 主砲: 14cm単装砲 1門(艦橋後部・格納隠顕式)
**【設計思想と独自技術】:「隠密性」と「雷・砲撃能力」の高次元融合**
**1. 徹底した水中抵抗の排除「格納隠顕式・14センチ主砲」**
史実の潜水艦の甲板砲は、むき出しの砲身と砲座が強烈な水中抵抗とキャビテーション(水切り音)を発生させる最大の要因でした。
本型では、艦橋後部のフェアリング(整形カバー)の内部に14センチ砲を完全に格納する「隠顕式(リトラクタブル)」を採用。浮上時は油圧でカバーがスライド(または展開)して主砲がせり出し、潜航時は完全に艦橋の流線型フォルムと一体化します。これにより、須号型の「フラッシュ・デッキ」と同様に、水中での抵抗と騒音を極限まで殺すことに成功しています。
**2. 須号型と共通する「ステルス艦橋」と流線型フォルム**
航空機格納筒という「大荷物」を持たない本型は、潜水艦本来の理想的な涙滴型・流線型に近いフォルムを持っています。艦橋自体も小型化され、潜望鏡やシュノーケルなどのマスト類もすべて艦橋内部に格納可能。敵のソナー波を逸らす曲面構成となっており、被探知率が劇的に低下しています。
**3. 「MBF鋼紙」がもたらした静粛性と居住性の革命**
須号型では航空機の保護に貢献した「MBF鋼紙」ですが、通常型である伊号400型では「吸音材」および「環境維持材」として船体内壁に全面採用されています。
機関や乗組員の生活音を吸収して艦外への音響漏れを防ぐと同時に、艦内の結露を完全に防ぎます。これにより、計器類や電気系統のショートといったマイナートラブルが激減。さらに、劣悪になりがちな長期の潜航ミッションにおいても艦内が快適に保たれるため、乗組員の疲労度を大幅に軽減し、戦闘効率の維持に大きく貢献しています。
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は、サンディエゴからシアトルに至る西海岸の沿岸航路に完全にへばりついていました。彼らは魚雷のみならず、浮上しては一四センチ単装砲を用いて、沿岸を這うように進むアメリカの輸送船やタンカーを片っ端から海の藻屑に変えていきました。
軽空母群による『ウサギ狩り』:
さらに絶望的なことに、ハワイからは第一・第二機動艦隊から分派された「量産型軽空母」の任務部隊が、西海岸の沖合数百キロの安全圏を悠々と遊弋していました。彼らの甲板から飛び立つ『流星(艦上攻撃機)』には、最新鋭の空対水上電波探信儀(レーダー)が積まれています。
アメリカの輸送船が港を出た瞬間、あるいはアメリカの潜水艦が浮上した瞬間、上空から『流星』が急降下し、正確無比な爆撃と雷撃で撫で斬りにしていったのです。
2.巨大工場の餓死(鉄とゴムの枯渇)
この完璧な海上封鎖は、アメリカが誇る「世界最大の工業地帯(西海岸の航空機・造船工場)」を、文字通りの『巨大な鉄の墓場』へと変貌させました。
空っぽの巨大造船所:
カリフォルニア州のリッチモンドや、ワシントン州のカイザー造船所。史実では数日に一隻のペースでリバティ船(輸送船)を量産したこの巨大工場は、完全に沈黙していました。
船を作るための「鉄鉱石」を積んだ南米からの貨物船が、一隻も入港できないからです。さらに、溶接工たちは失業し、巨大なクレーンは赤錆を浮かせたまま、海風の中で空しく軋み音を立てていました。
飛べない爆撃機たち:
シアトルのボーイング社や、ロサンゼルスのダグラス社。彼らは内陸(ロッキー山脈以東)への工場移転を命じられていましたが、移転前の稼働中の工場ですら、すでに生産力はゼロに等しい状態でした。
マレーと蘭印を日本に奪われたことで**「天然ゴム」**が完全に枯渇。何万機というB-17や新鋭機の機体が組み上がっても、「タイヤがない」「エンジンのパッキンがない」「配線の被膜がない」という致命的な欠陥により、工場から一歩も外へ出せないのです。
「世界一の工場があっても、材料がなければただの巨大なトタン屋根の小屋だ」と、工場の経営者たちは空を仰いで絶望しました。
3.血液の蒸発(石油精製所の計画的破砕)
そして、日本の総力戦研究所は、西海岸の「最後の生命線」である石油インフラに対して、冷酷な外科手術を行いました。
アメリカは国内(テキサスやカリフォルニア)で原油を採掘できます。しかし、原油をそのまま飛行機や戦車のエンジンに入れることはできません。「高オクタン価の航空ガソリン」へ精製する施設(リファイナリー)が必要不可欠です。
蒸留塔への精密打撃:
夜陰に乗じて浮上した日本の伊号潜水艦、あるいは沖合の軽空母から発進した『流星』が狙ったのは、油井そのものではなく、沿岸部に林立する**「石油精製所の巨大な蒸留塔」**でした。
サンタバーバラやロングビーチの精製コンビナート群は、次々と正確な砲爆撃を受け、炎上。
生産能力の半減:
これにより、西海岸の航空ガソリン精製能力は、開戦前の「半分以下」にまで激減しました。
材料がなくて飛行機が作れない上に、わずかに残った防空戦闘機を飛ばすための「ガソリン」すら枯渇し始めたのです。西海岸のアメリカ軍基地は、自らの戦闘機を滑走路に並べたまま、空のガソリンタンクを前に座り込むしかありませんでした。
第二部:切断された神経網(東西両沿岸の完全ブラックアウト)
西海岸の物流と工業が完全に餓死していく中、絶対的な安全圏であると信じられていた東海岸(大西洋側)においても、大日本帝国は「新たな恐怖の概念」を植え付けていました。
それは、国家という巨人の神経(電力網)を根こそぎ焼き切る、**『須号潜水艦による戦略的ブラックアウト(大停電)作戦』**の本格化です。
1.ヘルゲートの悪夢、再び(東海岸の電力網崩壊)
初撃であるニューヨークの「ヘルゲート発電所」の粉砕は、単なるデモンストレーションに過ぎませんでした。
ドイツの軍港で補給と『パッシブ式・赤外線感知器(暗視装置)』の提供を受けた日本の超大型潜水空母『須号第一〇〇型』の六隻は、大西洋の深海に潜みながら、アメリカ東海岸の心臓部を次々と抉り取っていきました。
見えない死神の連撃:
新月の夜。ボストンのミスティック発電所、フィラデルフィアのリッチモンド発電所、そしてボルチモアの巨大火力発電所。
アメリカの防空レーダーが全く機能しない海面スレスレから『晴嵐』が侵入し、赤外線スコープで「熱源(ボイラー)」だけを正確に捉え、八〇〇キロ徹甲爆弾を叩き込む。
工業地帯の心肺停止:
東海岸の主要な火力発電所が尽く破壊されたことで、巨大な送電網(グリッド)は連鎖的に崩壊。ペンシルベニアの製鉄所も、コネチカットの軍需工場も、電気という「神経」を絶たれて完全にストップしました。
工場の機械は止まり、溶鉱炉の火は消え、ニューヨークの摩天楼は二度と明かりを取り戻すことはありませんでした。
2.西海岸の連鎖(暗黒のパニック)
この「発電所を狙う」という極めて合理的かつ致命的な戦術は、すぐさま西海岸にも適用されました。
変電施設と火力発電所の蒸発:
西海岸の電力は、内陸の巨大な水力発電(フーバーダムなど)に頼る部分もありましたが、沿岸部の都市(ロサンゼルスやサンフランシスコ)を支える火力発電所や巨大な変電ネットワークは、海沿いに集中していました。
ハワイから飛来した『深山』や、潜水艦から発射された砲弾が、これら沿岸の電力インフラを的確に破壊。
両沿岸部の完全なる沈黙:
これにより、アメリカ合衆国は建国以来初めて、**「東海岸と西海岸の巨大都市群が、同時に、そして恒久的に真っ暗闇に沈む」**という未曾有の事態に陥りました。
3.恐怖と暴動(内部から崩れ落ちる社会)
電気が消え、工場が止まり、物資が入ってこない。
東西の沿岸部(アメリカの人口と富の半分が集中する地域)は、一九四三年の夏を待たずして、完全に「スラム化」と「暴動の震源地」へと化しました。
配給制度の崩壊:
冷蔵庫の電気が止まったことで、食糧はすぐに腐敗しました。西海岸でも東海岸でも、スーパーマーケットの前に何キロもの長蛇の列ができ、わずかな缶詰を巡って市民同士の殺し合い(暴動)が日常茶飯事となりました。
ルーズベルトへの怨嗟の声:
暗闇の中で震える東西の市民たちは、ホワイトハウスに向かって呪詛の声を上げました。
「大統領は我々を見捨てた! 軍隊は内陸の工場建設を守るばかりで、我々の生活を守ろうとしない!」
「日本に降伏しろとは言わない。だが、もうこれ以上戦争を続ける意味があるのか! ハワイもフィリピンもくれてやって、さっさと休戦しろ!」
【総括:檻の真ん中へ追いやられた巨人】
大日本帝国は、アメリカという巨大な怪物と「正面から殴り合う」ことを徹底的に避けました。
その代わりに、巨人の両手(西海岸の工場)に向かう血管を縛り上げ、両足(東海岸の工業地帯)を動かす神経(電力)を焼き切りました。
これほど巨大な工場と、史実では指数120を誇った圧倒的な生産能力を持っていながら。
材料(ゴムと鉄)がなく、動かすための電気とガソリンがなければ、アメリカの工業力は「完全なゼロ(ただの鉄の塊)」でしかありません。
一九四三年の中旬。
東西の沿岸部を完全に破壊され、経済的・社会的に半死半生の生ける屍となったアメリカ合衆国。
ルーズベルト大統領と軍上層部に残された「安全な場所」は、もはや日本の爆撃機も潜水艦も絶対に届かない**「ロッキー山脈とアパラチア山脈に挟まれた、広大な内陸部(ハートランド)」**のみとなりました。
見捨てられた黄昏の街で(西海岸の市民と日系人の肖像)
総力戦研究所が描いた「兵糧攻め」の冷酷な数式は、地図上の矢印や統計データとしてだけでなく、アメリカ西海岸に住まう名もなき市民たちの「胃袋と精神」を直接的に破壊していきました。
かつて太陽と黄金に祝福されたカリフォルニア。その地で、暗闇と飢餓に喘ぐ一般家庭の惨状、そして、祖国と血絶の狭間で特異な運命を辿ることになった「日系人(日系アメリカ人)」たちの姿。
第一部:錆びた海風(ロサンゼルス・ある造船工の食卓)
一九四三年、秋。
カリフォルニア州ロングビーチの港を見下ろす小さな一軒家。
午後六時を回ったばかりだというのに、街はすでに深い闇に沈んでいた。窓には分厚い黒布が何重にも打ち付けられ、外の光を完全に遮断している。いや、そもそも街灯など一つも点いていないのだ。
トム・ミラー(三八歳)は、暗い部屋の隅で、冷え切った暖炉に丸めた新聞紙と壊れた椅子の脚をくべ、マッチを擦った。
微かな炎が上がり、妻のサラと、十歳になる息子レオの痩せこけた頬を照らし出す。
「……今日の配給は、これだけだ」
トムがテーブルの上に置いたのは、黒く変色した数個のジャガイモと、トウモロコシの粉を固めた味のしない代用パン、そして半分だけ中身の残ったスパムの缶詰だった。
「嘘でしょう……」
サラが力なく呟く。
「朝から五時間も配給所に並んだのよ。先週はまだ、少しだけ干し肉があったのに」
「南米からの船が来ないんだ。パナマが壊れてるからな。それに……生き残った貨物列車は全部、内陸のデンバーやシカゴへ向かってる。西海岸(ここ)に回す食糧なんざ、ワシントンDCの連中の頭にはもう無いんだよ」
トムは吐き捨てるように言い、息子にスパムの欠片を押し付けた。
かつて、トムはロングビーチの巨大な造船所で働く誇り高き溶接工だった。週に六日働き、週末には家族で海沿いをドライブし、ステーキを焼く。そんな絵に描いたようなアメリカン・ドリームは、開戦からわずか半年で完全に消し飛んだ。
鉄が入ってこない。電気が止まる。
巨大なクレーンは赤錆を浮かせ、数万人の労働者が一斉に路上に放り出された。
「軍の仕事がある内陸の工場へ移住しろ」と政府は言ったが、引越し費用すら出ない労働者たちは、ただこの暗闇の街に取り残されるしかなかった。
ウゥゥゥゥゥゥゥゥゥン……!!
突然、街の静寂を切り裂いて、空襲警報の不気味なサイレンが鳴り響いた。
息子が悲鳴を上げて母親に抱きつく。トムは慌てて暖炉の火を水で消し、部屋は完全な暗黒に包まれた。
「またか……! 今週で三度目だぞ!」
暗闇の中で、トムは窓の隙間からそっと漆黒の海を見つめた。
日本軍の上陸部隊など来ていない。空にも爆撃機の姿はない。しかし、沖合のどこかの真っ暗な海の中に、巨大な日本の潜水艦(伊号)が息を潜めている。時折、彼らが気まぐれに浮上して沿岸の製油所へ一四センチ砲を数発撃ち込むだけで、西海岸の防空部隊はパニックを起こし、何万発もの高射砲弾を闇雲に撃ち上げるのだ。
ドォォォン! ドドォォォン!!
遠くで高射砲の音が響き、その破片がパラパラと屋根に降り注ぐ。敵の攻撃ではなく、味方の撃った弾の破片に怯えなければならないという滑稽な現実。
「……トム、もう限界よ」
暗闇の中で、妻がすすり泣く声が聞こえた。
「隣のジョンソン一家も、昨日、荷馬車に荷物を積んでネバダの方へ逃げていったわ。このままここにいたら、日本軍に殺される前に、飢え死にするか、暴動を起こした隣人に殺される……!」
「分かっている。分かっているさ……」
トムは拳を強く握りしめ、ワシントンDCがある東の空を睨みつけた。
彼の心にあるのは、日本の潜水艦に対する恐怖よりも、自分たちをこの巨大な檻の最前線に置き去りにし、内陸の安全圏で軍隊の再建に逃げ込んだ「ルーズベルト大統領」への底知れぬ憎悪だった。
「……明日、車に積めるだけの荷物を積む。ガソリンの闇値がいくらだろうと、手持ちの時計や指輪を全部売って買うんだ。内陸へ向かうぞ」
かつて大恐慌の時代、東の砂嵐から逃れるために夢を求めて西(カリフォルニア)へやってきた人々が、今度は絶対的な恐怖と飢餓から逃れるため、すり減ったタイヤの車を連ねて東(内陸)へと逆流していく。
黄金の州・カリフォルニアは、こうして完全に「見捨てられた幽霊地帯」へと転落していったのである。
第二部:鉄条網の向こうの帝国(マンザナー収容所と日系人の葛藤)
その頃。
西海岸から少し内陸に入った、カリフォルニア州オーエンズ・ヴァレーの荒野。
吹き荒れる砂埃の中に、粗末なバラック小屋が規則正しく並ぶ巨大な施設があった。有刺鉄線と監視塔に囲まれたその場所の名は、「マンザナー日系人強制収容所」である。
史実において、ルーズベルトの大統領令9066号により、西海岸に住む約十二万人の日系人(その大半がアメリカ市民権を持つ二世や三世であった)が、スパイの嫌疑をかけられ、財産を没収されて強制収容所に押し込められた。
この世界線でも、パニックに陥ったアメリカ政府は開戦直後に同様の措置をとった。
しかし。
彼ら日系人を取り巻く「絶対的な力関係」は、史実とは全く異なっていた。
「……おい、配給のトラックはまだ来ないのか!?」
監視塔の下で、アメリカ軍の警備兵デイヴィス伍長が、苛立ち紛れにライフルを地面に叩きつけた。
「もう三日もマトモな食い物が届いてねえぞ! ロサンゼルスの港が死んで、鉄道が軍の物資輸送にかかりきりだからって、俺たち看守まで飢え死にさせる気か!」
収容所の運営は、西海岸の物流崩壊のあおりをモロに受け、完全に破綻していた。
食糧も、医薬品も、暖を取るための石炭も届かない。看守であるアメリカ兵たちすらも、肋骨が浮き出るほど痩せ細っていたのである。
そんな看守たちを、有刺鉄線の内側から静かに見つめる目があった。
日系二世の青年、ケンジ・タナカ(二二歳)である。彼は元々サクラメントで大規模な農園を営むアメリカ市民だったが、今はただの「敵性外国人」としてここに囚われている。
「……ケンジ。彼ら(白人の看守たち)、ずいぶんと怯えているね」
隣に立つ父(一世)が、皮肉めいた笑みを浮かべて呟いた。
父の言う通りだった。
看守たちは飢えに苦しみながらも、絶対に日系人たちに対して横暴な振る舞いをしなかった。史実のような暴力や差別的な罵声は、ここでは一切聞こえてこない。
なぜなら、彼らアメリカ兵は**「有刺鉄線の中にいる日系人を傷つければ、日本帝国からどのような報復を受けるか分からない」**という極限の恐怖に支配されていたからだ。
数ヶ月前。
夜空から音もなく飛来した日本の爆撃機が、収容所の上空に大量の『ビラ』を撒いていった。そこには流暢な英語で、こう書かれていたのだ。
『大日本帝国は、合衆国政府による我が同胞(日系人)の不当な収容を、国際法および人道に対する重大な犯罪と認定する。もし収容所内で彼らの生命や尊厳を著しく損なう真似があれば、我々は直ちに報復として、アメリカ西海岸の残存インフラならびに軍事施設を徹底的に破砕する。彼らを保護せよ。我々は常に見ている』
圧倒的な軍事力を持つ「絶対強者」からの、冷徹な死刑宣告。
西海岸がいつでも日本の艦砲射撃で火の海になることを知っている看守たちにとって、このビラは「絶対に逆らってはいけない神の警告」に等しかった。
「ケンジよ。見てみろ」
父は、粗末なバラックの奥に隠し持っていた「手製の短波ラジオ」のスイッチを入れた。
ピー、ガー、というノイズの向こうから、ハワイ(すでに日本の完全統治下にある)の放送局から流れる、力強い日本語と英語のバイリンガル放送が聞こえてくる。
『……本日、我が大日本帝国ならびに共栄圏の連合軍は、イギリス政府との間に休戦協定を締結。大英帝国のアジア・アフリカにおける植民地支配は、ここに完全に終焉を迎えました。……アジアの民は、数百年にわたる白人の搾取から解放されたのです!』
「おお……! イギリスが、あのイギリスが降伏したぞ!」
集まっていた一世の老人たちが、涙を流して歓喜の声を上げた。
「聞いたかケンジ! 日本は勝ったんだ! ただ勝ったんじゃない。白人たちの横暴な支配を終わらせ、有色人種の誇りを取り戻してくれたんだ!」
しかし、ケンジの心境は複雑だった。
彼はアメリカで生まれ、アメリカの教育を受け、星条旗に忠誠を誓ってきた。史実であれば、彼のような二世の青年たちは「第442連隊戦闘団」に志願し、ヨーロッパ戦線で血の海を這いずり回って、アメリカへの忠誠を証明しようとしただろう。
だが、この世界線のアメリカは、彼らを守るどころか、自国民すら守れずに内陸へ逃げ込み、西海岸の暗闇の中で飢えている「惨めな敗者」に過ぎなかった。
一方で、自分たちを「同胞」と呼び、絶対的な技術力でイギリスすら屈服させた大日本帝国は、まるでSF小説から抜け出してきたような無敵のユートピアに見えた。
「俺は……アメリカ人のはずなのに」
ケンジは自分の手のひらを見つめた。
祖国アメリカは自分たちを鉄条網の中に放り込み、見捨てた。しかし、その鉄条網の外で看守の白人たちが飢えに苦しんでいる時、鉄条網の内側では、農業のプロフェッショナルである日系人たちが荒野の土を耕し、自給自足で立派な野菜(ダイコンやトマト)を育て上げ、皮肉にも看守たちよりも「豊かな食生活」を送っていたのである。
「……おい、タナカ」
金網越しに、デイヴィス伍長が情けない声で声をかけてきた。
「その……お前たちが育てたそのトマトと芋を、少し分けてくれないか。もう二日もマトモに食ってないんだ。代わりに、俺のタバコの配給と交換してくれ」
かつての支配者であった白人の兵士が、有刺鉄線越しに、囚人である日系人に向かって食糧を乞うている。
それは、アメリカという国家の「力と権威」が、西海岸の地で完全に逆転し、崩壊した瞬間を象徴する光景だった。
ケンジは無言で、カゴに入れたトマトを金網の隙間から押し出した。
「サンキュー、サンキュー……!」と貪り食うアメリカ兵の姿を見下ろしながら、ケンジの心の中で、祖国アメリカへの忠誠心は、静かに、そして完全に音を立てて崩れ去っていった。
大日本帝国の兵糧攻めは、単にインフラを破壊しただけではない。
「白人至上主義」というアメリカの精神的な背骨すらも、この荒野の収容所で無惨にへし折っていたのである。