総力戦研究所・特別御前会議
勝利という名の猛毒
一九四四年四月。
東京、皇居地下深く——分厚いコンクリートと鉛の壁に守られた『大本営・総力戦研究所合同特別会議室』。
室内は、文字通り「帝国の頭脳」がすべて集結していた。
巨大な楕円形の円卓には、内閣総理大臣を筆頭に、大蔵・外務などの各国務大臣、陸海空の三軍を統括する兵部大臣、そして陸軍参謀長、海軍参謀長、空軍参謀長とそれぞれの幕僚たちが顔を揃えている。
さらにその後方には、総力戦研究所の各部門を束ねる学者や経済人、地政学の権威たちが控え、分厚い資料の山を前に厳しい表情を浮かべていた。
そして、円卓の最奥。
一段高くなった玉座には、金糸の御簾(みす)が下ろされ、その奥に大元帥たる昭和天皇が静かに着座している。一切の言葉を発することなく、ただ帝国の行く末を見届ける絶対的な存在として、会議の行方を公聴されていた。
「……これより、第四回・総力戦経過評価会議を開始する」
内閣総理大臣の重々しい宣言により、静寂に包まれていた会議室の空気が微かに震えた。
「各員、ご存知の通りである。我が大日本帝国ならびにユーラシア・ブロックは、開戦より二年半にして、ハワイ無血開城、パナマ運河閉塞、大英帝国の休戦、そして先のアメリカ西海岸(カリフォルニア州等)の単独講和という、有史以来類を見ない輝かしい戦果を挙げた」
総理の言葉に、軍の幕僚たちの胸が誇らしげに張られる……はずだった。
しかし、円卓を囲む者たちの顔に「勝利の美酒に酔う」ような余裕は一切ない。むしろ、徹夜明けのような土気色の疲労と、見えない重圧に対する焦燥感が張り付いていた。
「だが」と、総理は視線を総力戦研究所の所長へと向けた。
「本会議の目的は、戦果のひけらかしではない。……我々が犯している『計算違い』の洗い出しと、軌道修正である。所長、報告を」
「はっ」
総力戦研究所所長が起立し、室内を薄暗くして巨大な世界地図のプロジェクターを点灯させた。
「率直に申し上げます。我が研究所が立案した『絶対国防圏の構築と地球規模の兵糧攻め』は、軍事的には一〇〇パーセント、いや、一二〇パーセントの成功を収めました。……しかし、その『完璧すぎる成功』が、現在、大日本帝国の国家財政とロジスティクスを、内部から食い破ろうとしています」
「どういうことかね、所長」
兵部大臣が、眉間に深い皺を寄せて尋ねた。
「敵を殺さなすぎたのです、大臣」
所長は、冷徹な響きを持つ声で言い放った。
「我々は『戦わずして人の兵を屈する』という孫子の兵法を徹底しました。結果として、我が軍の将兵の損害はシミュレーションの数百分の一以下に抑えられました。しかしそれは同時に、敵の市民も『無傷で生き残っている』ことを意味します」
所長は、プロジェクターの光をアメリカ西海岸、そしてハワイへと合わせた。
「現在、我が軍の軍政下、あるいは保護下に入ったアメリカ市民の数は、西海岸とハワイを合わせて約一千二〇〇万人に上ります。彼らはアメリカ連邦政府から見捨てられ、我が国の『配給』に完全に依存しています。……この一千二〇〇万人という巨大な胃袋を養うための食糧費、インフラ維持費、そして治安維持費が、今や我が国の国家予算の三割を呑み込んでいるのです」
「ふざけるな!」
円卓を叩いて立ち上がったのは、大蔵大臣(国務大臣)だった。
「南米のアルゼンチンから牛肉や小麦を買い付け、それをわざわざ太平洋を横断させてカリフォルニアの敵国民(白人)に食わせているのだぞ!? しかも、支払いは我が国の外貨準備と戦時国債だ! 国債の引き受け額はすでに危険水域を突破している。このままではあと二年で、大日本帝国の経済はハイパーインフレを起こして自壊するぞ!」
「落ち着きたまえ、大蔵大臣」
陸軍参謀長が、苦々しい顔で口を挟んだ。
「食わせなければ、彼らは暴徒と化す。一千万人のアメリカ人が自暴自棄になって蜂起すれば、西海岸に駐留している我が陸軍部隊など一瞬で飲み込まれる。我々は今、カリフォルニアという巨大な猛獣の檻の中で、必死に餌を与えて大人しくさせている状態なのだ。これ以上、陸軍に治安維持の負担を押し付けないでいただきたい」
「陸軍は泣き言ばかりだな。サンフランシスコでパンを配るのが君たちの仕事かね?」
海軍参謀長が、皮肉っぽく鼻で笑った。
「なんだと? 貴様ら海軍こそ、アイスランドの沖合に大艦隊を浮かべたまま、一年近くも何をしている! 大和や翔鶴を一日動かすだけで、どれほどの重油が消え飛ぶか分かっているのか!」
「海軍を愚弄するか! 我々がアイスランドから睨みを利かせているからこそ、アメリカ東海岸は身動きが取れんのだ! これぞ抑止力の極致——」
「両名とも、陛下の御前であるぞ。慎みたまえ」
兵部大臣の一喝で、陸海の参謀長は舌打ちをしながら席に着いた。
「……所長。経済学的な観点は分かった。だが、軍事的な優位は絶対に揺るがないはずだ。そうだろ?」
兵部大臣の問いに、今度は総力戦研究所の経済学・地政学の権威である老齢の学者がゆっくりと口を開いた。
「大臣。軍事的に無敵であることと、戦争を終わらせる(講和する)ことは、全く別のパズルなのです」
学者は、プロジェクターの地図のアメリカ内陸部——広大なロッキー山脈の東側を指した。
「我々の最大の誤算は、ルーズベルト政権の『狂気』を甘く見ていたことにあります。通常の国家であれば、首都の電力が失われ、西半分が離反した時点で、内閣が総辞職して講和のテーブルに着くはずです。……しかし、アメリカはそれをしなかった」
「うむ……」
「連邦政府は、西海岸の国民をあっさりと切り捨て、内陸の絶対安全圏へと逃げ込みました。国家を分断してでも、我々との戦争を継続する道を選んだのです。我々はアメリカの『両手両足』を完璧にもぎ取りましたが、結果として、彼らを『絶対に交渉に応じない、復讐の権化』へと変異させてしまった」
空軍参謀長が、腕を組みながら重々しく頷いた。
「空軍からも報告させてもらう。……現在、新型の超重爆撃機を用いれば、西海岸の基地からアメリカ内陸部の中西部(シカゴやデンバー)の工場群を直接爆撃することは可能だ。だが、ロッキー山脈特有の悪天候と、広大すぎる国土の前に、ピンポイントでの完全破壊は極めて困難だ。我々は空から嫌がらせはできても、内陸の生産力をゼロにすることはできない」
会議室に、再び重苦しい沈黙が降りた。
大日本帝国は、完璧すぎた。
完璧に兵糧攻めを行い、完璧に敵の艦隊を封殺し、無血で領土を広げすぎた。
その結果、日本は「自国の財政がパンクする前に、内陸に引きこもって絶対に降伏しないアメリカ政府から、どうやって『講和のサイン』を引き出すか」という、時間切れスレスレの泥沼のチキンレースに自らを追い込んでいたのである。
「……やはり、陸戦か」
陸軍参謀長が、覚悟を決めたような低い声で呟いた。
「我が装甲師団の全力を以て、カリフォルニアからロッキー山脈を越える。敵の陸軍は燃料もゴムもなく、機動力は皆無だ。一気に中西部まで突破し、ルーズベルトの首を物理的に獲るしか——」
「なりません!!」
突如、総力戦研究所の所長が、顔を蒼白にして円卓に身を乗り出した。そのあまりの剣幕に、参謀長たちは息を飲んだ。
「陸軍の東進(内陸侵攻)だけは、絶対に許可できません。それこそが、ルーズベルトがロッキー山脈の奥深くで口を開けて待っている、我が帝国を滅ぼすための『最悪の罠』だからです!」
「罠だと……? 燃料もない敵陸軍が、どうやって我が無敵の機甲部隊を罠にかけるというのだ」
「兵器の次元が違います。参謀長。……彼らは今、砂漠の地下で『神の領域』に踏み込もうとしているのです」
所長は、手元の分厚いファイルの封印を切り、数枚の不鮮明な航空写真と、暗号解読のレポートを円卓の上に滑らせた。
写真に写っているのは、ニューメキシコ州の荒野に建設された不気味な巨大施設(ロスアラモス)と、そこへ向かう異常な数の有蓋貨車であった。
「……先日、南米の特務機関経由で、恐るべき情報がもたらされました。アメリカは現在、国家予算のすべてを注ぎ込み、ウランを用いた『新型爆弾』の開発を行っています。……その威力は、たった一発で、東京を地図から消し去るほどのものです」
会議室の空気が、文字通り凍りついた。
御簾の奥で、昭和天皇の衣擦れの音が微かに響いた。
「ば、馬鹿な! そんな魔法のような兵器が……!」
「存在します。我が国の仁科機関も、理論上は可能であると結論付けています。……ルーズベルトは、この爆弾を日本本土へ落とすための爆撃機の完成が間に合わないと悟りました。ならば、彼らはどうするか」
所長のメガネの奥の目が、ゾッとするほどの冷光を放った。
「彼らは、この『核爆弾』を、進軍してくる我が陸軍の足元……アメリカ自身の領土に『地雷』として埋め込み、我が軍の主力が足を踏み入れた瞬間に、自国の山野ごと起爆させるつもりなのです」
「自国の領土を……自らの手で、その『核兵器』とやらで吹き飛ばすと言うのか!?」
陸軍参謀長が、信じられないものを見る目で所長を睨みつけた。
「いかに鬼畜米英とはいえ、自国民が住む国土を巨大な爆弾の道連れにするなど……正気の沙汰ではない! ルーズベルトは発狂したのか!」
「発狂させたのは我々です、参謀長」
総力戦研究所の所長は、静かに、しかし冷酷な事実を突きつけた。
「西海岸を奪われ、大西洋艦隊を無力化され、物流も電気も断たれた。通常戦力による反撃の目が『物理的にゼロ』になった国家が、最後にすがるのは『理不尽なまでの復讐心』だけです。……彼らにとって、西海岸の裏切り者(カリフォルニア州民)と、そこへ進駐した我が大日本帝国軍は、もはや同じ『排除すべき汚物』に過ぎません」
所長はプロジェクターの地図を操作し、ニューメキシコ州南部、フロリダ山脈の麓にある小さなポイントを赤く拡大した。
「標的……いや、彼らが我が軍を誘い込もうとしている『死の罠(キルゾーン)』はここです。ニューメキシコ州、ロックハウンド州立公園。……カリフォルニアから東(内陸部)へ向けて進軍する場合、必ず通らねばならない南部のチョークポイント(関所)です」
「岩山、か」
空軍参謀長が、地形図を見て唸った。
「盆地を見下ろす岩山……。待ち伏せには最適の地形だ。だが、そこに大部隊を隠せるわけが……」
「大部隊は必要ないのです」
兵器開発部門の学者が、震える声で補足した。
「たった一発。その『核』という超爆弾を、ロックハウンドの硬い岩盤の奥深くに『地雷』として埋め込んでおく。……そして、我が軍の誇る装甲師団の先鋒数万人が、眼下のデミングの盆地に差し掛かった瞬間、起爆する」
学者は、チョークを手に取り、黒板に恐るべき破壊のメカニズムを図示した。
「核爆発の熱線と衝撃波は、背後の岩山によって『反射』され、逃げ場のないすり鉢状の破壊力となって盆地の我が軍に襲いかかります。……いかに装甲ある戦車といえど、太陽の中心温度に匹敵する数百万度の熱線と強烈な放射線を浴びれば、乗員は一瞬で蒸発し、装甲はドロドロに溶け落ちます」
「……数万の将兵が、一瞬で、消滅するだと……」
陸軍参謀長は、顔面を蒼白にして椅子に崩れ落ちた。
「これが、ルーズベルトの描いた『最後の一撃』です」
所長が重い声で締めくくった。
「もしこの罠に嵌まれば、無敵を誇った帝国の陸軍主力が消滅するだけでなく、『アメリカは悪魔の超兵器を完成させた』という事実が、我が国とユーラシアの同盟国に計り知れない恐怖を与えます。……戦意は崩壊し、巨額の戦時国債で首の皮一枚繋がっている我が国の経済は、その日のうちに信用不安を起こして紙屑と化すでしょう」
「完璧な勝利」を追求しすぎた結果、敵に「自爆」という最強のカードを切らせてしまった。
これこそが、総力戦研究所の天才たちが直面した、戦略的矛盾の極致(完璧なる破綻)であった。
会議室に、死のような沈黙が降りた。
このまま西海岸に居座り、アメリカ人を養い続ければ、日本の財政がパンクして経済的に死ぬ。
かといって、戦争を終わらせるために内陸(ワシントンDC)へ進軍すれば、ロックハウンドの核地雷で軍事的に死ぬ。
「……前門の虎、後門の狼、というわけか」
兵部大臣が、ギリリと奥歯を噛み鳴らした。
「ならばどうする。このまま座して、財政破綻による帝国の自死を待つのか? それとも、西海岸を放棄してハワイまで撤退するか?」
「どちらも下策の極みです。撤退すれば、アメリカは息を吹き返し、数年後には完成した核爆弾を積んだ長距離爆撃機が、帝都の空を覆うでしょう」
所長は、メガネを押し上げ、円卓の全員を、そしてその奥の御簾を真っ直ぐに見据えた。
「我々に残された道は、ただ一つ。……アメリカの『最後の希望(核兵器)』を、彼らが起爆ボタンを押すより前に、音もなく完全にへし折ることです」
「音もなくへし折る……? 具体的にはどうするのだ」
内閣総理大臣が、身を乗り出して問うた。
「通常戦力による正面からの攻撃は、すべて却下します」
所長は断言した。
「艦隊の砲撃も届かず、空からの爆撃も、地下深くに隠された核地雷(あるいはロスアラモスの地下施設)を完全に破壊できる保証はありません。失敗すれば、敵はすぐさま別の場所に爆弾を移すでしょう」
「ならば……『特務機関』か」
陸軍参謀長が、ハッとしたように顔を上げた。
「御意」
所長は深く頷いた。
「すでに我が国は、開戦前から中南米(メキシコ等)を経由して、多数の『陸軍中野学校』出身の潜入工作員をアメリカ本土に放っています。さらに、西海岸が降伏した現在、我々に協力的な日系人ネットワークや、ルーズベルトを見限った白人の離反者たち(二重スパイ)が無数に存在します」
所長は、新たな作戦ファイルを円卓の中央に置いた。
表紙には、極秘の赤いスタンプで**『最終作戦・草薙(クサナギ)』**と記されていた。
「神話において、八岐大蛇(ヤマタノオロチ)の尾から見出されたという神剣の名か」
兵部大臣が呟く。
「はい。現在、アメリカという巨大なオロチは、その身をロッキー山脈の内側に隠し、尻尾(ニューメキシコ)の先に『核』という毒の剣を隠し持っています。我々はこの剣を、オロチが振り回す前に、外科手術的に『奪取』あるいは『完全解体』します」
作戦の全貌が、淡々と語られていく。
目標は、ロスアラモスの研究施設、およびロックハウンドへ輸送されつつある(あるいはすでに設置された)核兵器のコア(プルトニウムまたはウラン)。
西海岸から陸路で潜入した特務部隊が、現地(ニューメキシコ)の地理に明るい協力者とともに、完全なステルス状態で砂漠の監視網をすり抜ける。
「空軍と海軍には、この特務部隊の『目』と『耳』になっていただきます」
所長が両参謀長を見た。
「高高度を飛ぶ偵察機『彩雲』や、須号潜水艦からの電波傍受網をフル稼働させ、ロスアラモスとワシントンDC間の『起爆に関する暗号通信』をすべて傍受・解読してください。……特務部隊が物理的に核の起爆装置を無力化(あるいはコアを破壊)したその瞬間、我々はルーズベルトに対し、最後通牒を突きつけます」
「……『お前たちの最後の希望は、たった今、灰になった。これ以上の抵抗は無意味である』、とな」
総理大臣が、その恐るべきシナリオの結末を口にした。
「その通りです。総理」
所長の目に、ついに微かな、しかし確信に満ちた熱が宿った。
「頼みの綱であった絶対兵器が、自らの領土の奥深くで、日本の少数のスパイによって知らぬ間に無力化されたと知れば。……ルーズベルトの心は、完全に、そして修復不可能なまでに折れます。それこそが、一滴の血も流さずに巨人を降伏させる『真のトドメ』なのです」
「しかし、困難な作戦だぞ。敵の最深部に潜り込み、悪魔の兵器を素手で解体しようというのだ」
大蔵大臣が息を呑む。
「もし特務部隊が失敗すれば……」
「我が国は財政破綻による『経済的死』か、核地雷による『軍事的死』のどちらかを迎える。……我々総力戦研究所の完璧な計算が招いた、これが唯一の『ツケ』です」
所長は、自らの責任を負うように、深く頭を下げた。
円卓は、深い静寂に包まれた。
これはもはや、軍艦や戦闘機が主役の戦争ではない。
国家の存亡を賭けた、暗闇の中での「一手の読み合い」——スパイと暗号と科学技術が交錯する、冷酷なチェスゲームの最終局面であった。
「……よかろう」
内閣総理大臣が、静かに、しかし断固たる声で沈黙を破った。
「本会議の決定として、最終作戦『草薙』を正式に承認する。陸海空の全軍は、特務機関の作戦行動を最優先で支援せよ。……大日本帝国は、この一手で、長きにわたる大戦に終止符を打つ」
その時であった。
円卓の最奥、一段高い玉座の御簾の向こう側で、わずかに衣が擦れる音がした。
全員が息を止め、深く頭を垂れる。
言葉は、ない。
しかし、大元帥たる昭和天皇が、静かに目を閉じ、微かに、しかし確かに「頷かれた」気配を、その場にいた全員が感じ取っていた。
絶対なる承認。
こうして、太平洋のドンパチとは全く無縁の、アメリカの砂漠の奥深くを舞台にした、人類史上最も過酷で、最も隠密裏に行われる**『核兵器解体作戦』**の幕が切って落とされたのである。