ニューメキシコ州の荒野を東へ向かってひた走るジープの車内には、エンジンの低い唸り声と、タイヤが砂利を弾く音だけが響いていた。
運転席のケンジ・タナカは、ヘッドライトの明かりを極限まで絞り、月明かりだけを頼りに夜の砂漠道をトレースしている。
助手席に座るエリヤ(アーサー・エリソン大尉)は、膝の上に置いた軍用の短波ラジオのダイヤルを、闇の中でゆっくりと、そして精密に回し続けていた。
「……大尉。そんなものを鳴らしていて、すれ違うパトロールに怪しまれませんか?」
ケンジが不安げに視線を送る。
「問題ない。アメリカ軍の通信規律は、今夜、完全に崩壊している」
エリヤは、緑色に光る真空管のメーターを見つめながら、冷徹に答えた。
「東海岸と北部の防衛司令部は、極秘の暗号通信を使う余裕すら失っている。パニックに陥った前線の部隊が、平文(暗号化されていない無線の音声)で泣き叫んでいるのだ。……聞け、これが『大国が死ぬ音』だ」
エリヤがボリュームを少し上げると、ザーッという激しいノイズの向こうから、悲鳴にも似たアメリカ英語の怒号が車内に流れ込んできた。
『——こちらデラウェア沿岸防衛大隊! 繰り返す、デラウェアのビーチに敵の強襲揚陸艦が接岸! 嘘じゃない、空母じゃなく、腹から直接兵隊と戦車を吐き出す巨大なバケモノ船だ! 敵兵力、一万以上……いや、もっとだ!』
ノイズが弾け、遠くで凄まじい爆発音が無線越しに響く。
東海岸。本来であれば大西洋艦隊が守るべき絶対の海域に、日本の第一連合艦隊が艦砲射撃の雨を降らせ、その隙を突いて大規模な上陸部隊を叩き込んだのだ。
『第74機甲連隊、応答しろ! そっちのシャーマン(M4中戦車)を出せ! ビーチの敵戦車を海へ追い落とすんだ!』
『無理だ! 撃ち合えない! 敵の新型戦車は……化け物だ! 我々のシャーマンの砲弾は正面装甲で弾かれる! なんだあの主砲は……我々の戦車の砲身より、異常に長い! あんな長砲身から撃ち出されたら……!』
『こちらブラボー・ツー! 小隊の三両がやられた! 敵は我々の射程外から、正確に装甲をブチ抜いてくるぞ! 逃げろ、後退しろ! 止められない、防衛線がグズグズに食い破られていく……!』
『……司令部! 敵はすでにビーチから数十キロ内陸へ侵入! 繰り返す、たった一時間で数十キロだ! 誰も奴らを止められない!』
無線はそこで、耳をつんざくような爆発音とともに途絶え、ただのザーッというノイズだけが残った。
「……M4が、まるでブリキのおもちゃ扱いだ」
ケンジが、ゴクリと唾を飲み込んだ。
―――
【制式名称】昭和18年式戦車 (1943年仕様・75mm L/55型)
1. 車体寸法・重量
* 全長: 約 7.50 m(主砲先端まで) / 6.30 m(車体長)
* 全幅: 2.95 m
* 全高: 2.49 m
* 全備重量: 約 34 トン(主砲を75mmクラスに最適化したことで、88mm想定時より軽量化され、懸架装置や駆動系への負担が劇的に減少)
2. 機動力・航続性能
* 最高速度: 48 km/h
* 加速性能: 200m区間加速走行時間 22秒
* 行動距離: 360 km
* 懸架方式: トーションバー式独立懸架(整備性の高い中型転輪配置を採用)
3. 武装
* 主砲: 75mm×55口径 長砲身戦車砲(初速720m/sの優秀な高角砲をベースに、砲身を10口径延長)
* 使用弾薬規格: ベースとなった高角砲と完全に同一の薬莢・装薬を使用(既存の生産ラインや高射砲部隊との弾薬共有が可能という、兵站上の絶大なメリットを持つ)。
* 砲口初速と弾種:
* 一式徹甲榴弾(APHE): 約 750〜770 m/s(同一装薬ながら、長砲身化の恩恵で初速と貫徹力が向上)
* タ弾(HEAT・成形炸薬弾): 距離減衰のない安定した貫徹力。長砲身化により低伸弾道となり命中率が向上。
* 特甲弾(APDS・装弾筒付徹甲弾): 約 950〜1,000 m/s 以上(軽量弾頭×長砲身の相乗効果で、重戦車を沈める超高初速を実現)
* 装填機構: 砲塔の延長バスル内に「半自動装填用砲弾レール」を備え、弾薬の小型化(88mm比)と相まって、極めて高い連続発射速度を実現。
* 副武装(同軸): 6.5mm 車載重機関銃
* 副武装(対空・近接): 11mm×80 重機関銃(砲塔上部・車長展望塔に配置)
* 車体機銃: 完全廃止(前面装甲の弱点排除を最優先)
4. 装甲・防御力
* 【車体装甲】(徹底した避弾経始と完全な滑らか装甲)
* 前面上部: 70 mm(水平から30°)※実質装甲厚 約140mm相当
* 前面下部: 50 mm(52°)
* 側面上部: 30 mm / 側面下部: 35 mm
* 後面上部: 25 mm(78°) / 後面下部: 20 mm(60°)
* 【砲塔装甲】(鍛造溶接構造・延長バスルによるトップヘビーの相殺)
* 主砲防盾: 125 mm(平面的な重装甲防盾)
* 側面: 60 mm / 後面: 35 mm
* 上面前端: 40 mm(30°) / 上面: 18 mm
5. 機関・駆動系
* エンジン: 空冷4ストロークV型12気筒 直噴式ターボチャージド・ディーゼルエンジン
* 排気量: 29,600 cc
* 最大出力: 570 hp / 2,100 rpm
* 駆動方式: 後方駆動輪方式(フロントの被弾による走行不能リスクを低減)
* 機関配置: パワーパック方式(野戦での迅速なエンジン交換が可能)
6. 乗員・視察装置
* 乗員: 4名(車長、砲手、装填手、操縦手)
* 視察装置(車体): 操縦手用ペリスコープのみ(※装甲貫通型の覗き窓・スリット等は一切存在せず、完全な防御を実現)
* 視察装置(砲塔): 車長用ペリスコープ(専用展望塔)
―――
「日本の新型戦車(昭和一八年式)……。大尉、あれが東海岸をこのままワシントンDCまで蹂躙するんですか?」
「いや。デラウェアの部隊は、あくまで『刺客』に過ぎない」
エリヤはラジオの周波数を合わせ直しながら、淡々と分析した。
「あれは陽動だ。敵の目を東に引き付けるための、とてつもなく贅沢な目眩ましだよ。……しかし、局地的な戦術で見れば、圧倒的な火力の差だ。アメリカ軍の士気は、あの長砲身の新型戦車を見ただけで吹き飛ぶだろう」
エリヤの指がダイヤルを回すと、今度は別の周波数から、さらに絶望的な通信が飛び込んできた。
『……こちらアイダホ・モンタナ防衛線、第4山岳師団! 敵の装甲部隊が峠を登ってくる! 砲撃要請、座標——』
『駄目だ! 陣地の砲座が沈黙している! 第5、第6トーチカからの応答がない!』
北のロッキー山脈。険しい山岳地帯にコンクリートで築き上げられ、半要塞化されていたはずのアメリカ軍の絶対防衛線。そこからの通信だった。
『空だ! 空から何か降ってくる! 爆撃機なんて見えないのに……正確に、換気口や銃眼の隙間を狙って爆弾が落ちてくるんだ!』
『熱だ……奴ら、我々の陣地の「熱」を見て爆弾を誘導しているんだ! 逃げろ、コンクリートの中にいても蒸し焼きにされるぞ!!』
赤外線誘導爆弾。
日本の総力戦研究所が開発し、東海岸の火力発電所をピンポイントで消し飛ばしたあの精密誘導兵器が、今度は山岳地帯のトーチカ群に対して使用されていた。
『……司令部。報告する。防衛線は次々と沈黙。我が軍の損害はすでに一〇パーセントを超越……部隊の維持は不可能。対する日本軍の損害は……推定、一パーセント未満……』
通信兵の掠れた声が、ジープの車内に響き渡る。
一対十。
防御側が圧倒的に有利なはずの山岳要塞戦において、日本軍は血を流すことなく、空からの精密爆撃と遠距離からの砲撃で、アメリカ軍の防衛線をジリジリと、しかし確実に削り取っていた。
さらに無線は、日本の空挺部隊が夜闇に紛れて敵地後方の山岳地帯へ強襲降下し、退路を断ち始めているというパニックを伝えていた。
「……一パーセントの損害に対して、一〇パーセントの出血」
ケンジが、悪寒に身を震わせた。
「大尉。これは戦争じゃない。……巨大な、屠殺場だ。日本軍は、アメリカ軍を完全に『解体』しようとしている」
「そうだ。そしてルーズベルトは今頃、地下壕の中で自国の地図が真っ赤に染まっていくのを見て、完全に発狂しているはずだ」
エリヤは、ラジオの電源をパチンと切った。
車内には再び、エンジンの音と砂漠の風の音だけが戻ってきた。
「東海岸への艦砲射撃と強襲揚陸。北の山岳要塞の精密破壊。……帝国は今夜、アメリカ全土で数万発の砲弾と爆弾を消費している。だがな、ケンジ」
エリヤは、闇を見つめる鋭い視線を細めた。
「これほどの血と鉄を浪費して行われているド派手な大戦争は、すべて、たった一台のこのジープを、誰にも気づかれずにニューメキシコの砂漠へ通すための『壮大な舞台装置(囮)』に過ぎない」
大日本帝国の真の狙いは、ワシントンDCの占領でも、五大湖の工業地帯の破壊でもない。
アメリカの最後の希望であり、最大の復讐の刃である『ロスアラモスの核兵器』。
それを、起爆前にこの手で解体すること。それこそが、一滴の血も流さずにこの世界大戦を終わらせる『草薙』作戦の絶対目標であった。
「……大尉。前方に、光が見えます」
ケンジが、緊張した声で前方を指差した。
漆黒の砂漠の彼方に、煌々とサーチライトの光が交差する一帯が現れた。
東海岸とは異なり、内陸の、それも極秘施設が集中するこの地域には、独立した発電機による電力が生きている。
「位置からして、デミングの街……いや、ロックハウンドの手前だな」
エリヤは、座席の下から地図を引き出し、手元の小さな赤いペンライトで確認した。
「アメリカ軍の南部防衛線は、わざと開け放たれた『死の漏斗』だ。我々は今、その漏斗の底の、一番細い部分に差し掛かろうとしている」
ジープが近づくにつれ、その光景の異様さが明らかになってきた。
ルート66から南へ分岐し、フロリダ山脈の麓(ロックハウンド州立公園)へと向かう脇道。そこは通常、地元の人間しか通らないような荒れた道のはずだった。
しかし今、その分岐点には、有刺鉄線のバリケードが何重にも築かれ、重機関銃を備え付けた装甲車が道を完全に封鎖していた。
それだけではない。
「……見ろ、ケンジ」
エリヤが、声を潜めて指差した。
バリケードの奥、ロックハウンドの岩山へと続く道を、巨大なコンボイ(車列)がゆっくりと進んでいくのが見えた。
先頭と最後尾を、憲兵隊(MP)の重武装した車両が固めている。そしてその中央には、所属部隊のマークも、荷物の内容を示す標識も一切ない、のっぺりとした灰色の大型トレーラーが数台、不気味なほどの低速で連なっていた。
「……あれは、普通の弾薬輸送じゃない。車両のサスペンションの沈み込みからして、異常な重量物を積んでいる。それに、あの警備の数は異常だ」
エリヤの『英国系日本人』としての端正な顔立ちが、初めて、極度の緊張に歪んだ。
「大尉。……まさか」
「ああ。ロスアラモスの地下から運び出された『毒の剣』だ。……ルーズベルトは、ついに決断したのだ。未完成かもしれないが、あれをあの岩山の奥深くに設置し、追ってくる日本軍の主力ごと、自国の領土を吹き飛ばす気だ」
アメリカ軍の無線が伝えていた、東海岸と北部での絶望的な敗北。
それが、ルーズベルトの背中を「核地雷の設置」というルビコン川の向こう側へと、完全に突き落としたのだ。大日本帝国の陽動作戦は完璧に成功し、同時に、最悪のカウントダウンのスイッチを入れさせてしまった。
「大尉、どうしますか。あのコンボイを追いますか?」
ケンジが、腰の拳銃のホルスターに手をかけながら尋ねる。
「馬鹿を言え。あの警備の中をジープで強行突破すれば、一瞬で蜂の巣だ」
エリヤは冷静に首を振った。
「奴らは、あの岩山(ロックハウンド)の内部に、すでに起爆用の配線と施設を作っているはずだ。トレーラーが到着すれば、あとは『コア』をセットして、遠隔操作の信管を繋ぐだけ。……我々が潜入すべきは、コンボイの背後ではない。あの岩山を管理している、防衛線の『内側』だ」
エリヤは、ジープをデミングの街の方向、つまりコンボイとは別の、正規軍の野営地が広がる方向へと向けさせた。
「我々はカリフォルニアから逃げてきた伝令部隊だ。堂々と野営地に入り、彼らの『ジャズ・タイム』に紛れ込む。……そして、あの岩山の設計図と、起爆コードの管理地点を探り出す」
深夜のアメリカの砂漠。
遠く東と北で数万の兵士が殺し合う音を背に受けながら、たった二人の日本の工作員は、アメリカが世界を終わらせるために用意した『核の祭壇』へと、軍服という偽りの皮膚を纏い、静かに、そして深く潜行していった。