古の灯火   作:丸亀導師

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崩壊3

 

ニューメキシコ州、フロリダ山脈の麓。

深夜のロックハウンド州立公園は、巨大な軍営と化していた。

しかし、そこに駐留する数千のアメリカ陸軍の一般兵士たちは、自分たちが今、何の「番犬」をさせられているのかを全く知らされていなかった。

 

「……大尉殿。あの岩山の地下壕に運び込まれたのは、本当に東海岸と直接やり取りできる『新型の広域無線通信機』なのですか?」

 

ジープを降り、野営地の闇に紛れ込んだ『英国系日本人』の工作員、相模エリヤ(偽名:アーサー・エリソン大尉)に対し、歩哨のアメリカ兵が縋るように尋ねてきた。 

 

「ああ。あれが稼働すれば、バラバラになった全米の部隊が連動し、日本の装甲師団を一網打尽にする大規模な反攻作戦が始まる。……だから君たちは、何があってもこの陣地を死守するのだ」

 

エリヤは、完璧なアメリカ人将校の笑みを浮かべて兵士の肩を叩いた。

 

「イエッサー! 大統領万歳!」

 

歩哨は希望に満ちた顔で敬礼し、持ち場へと戻っていった。

その背中を見送りながら、エリヤの横に立つケンジ・タナカは、吐き気を堪えるように顔を歪めた。

 

「……むごいですね。彼らは、あの地下にあるのが『自分たちごとこの盆地を吹き飛ばす核兵器』だという真実を知らない。囮として、自分たちの火葬場を守らされているなんて」

 

「真実を知っているのは、最深部にいる一握りの将校だけだ。……行くぞ、ケンジ。我々があの『通信機』を壊せば、彼らも死なずに済む」

 

二人は闇に溶け込み、重武装した警備の網の目を縫うようにして、岩山の中腹に口を開ける天然の洞窟——極秘にコンクリートで補強された地下壕の入り口へと向かった。

東海岸と北部で数万人が死に絶えている「地球規模の陽動」のおかげで、指揮系統は混乱し、将校たちの意識は無線のノイズに釘付けになっていた。

 

地下壕の最深部。

冷たい岩肌に囲まれたその空間は、オゾンと機械油の匂いが充満していた。

薄暗い非常灯の下、鎮座していたのは、鈍く光る巨大な金属の球体。無数のケーブルと配管が蜘蛛の巣のように這い回る、ロスアラモスの狂気の結晶——『原子爆弾(プルトニウム・インプロージョン型)』の初期モデルであった。

 

「……なんて不格好で、おぞましい鉄の塊だ」

 

ケンジが息を呑む。

エリヤは音もなく球体に接近し、携行していた工具入れ(キャンバス地のロール)を床に広げた。拳銃、サブマシンガン、ペンチ、ニッパー、マイナスドライバー、ピンセット。そして、日本の兵站局から支給された銀紙包みの『エネルギーバー(チョコレート)』。

 

「起爆装置(デトネーター)は……予想通り、一つじゃないな」

 

エリヤの白皙の顔に、冷たい汗が伝った。

 

「メインは、上の指揮所と繋がっている『有線起爆』だ。将校がスイッチを押せばドカン、だ。これはいい。線を切れば済む」

エリヤはニッパーを手に取り、メインの起爆回路の極太のワイヤーを、ショートさせないよう慎重に切断した。

「よし、これで……」ケンジが安堵の息を吐きかけた瞬間。

 

「馬鹿野郎、動くな!」

 

エリヤの鋭い小声が、ケンジを金縛りにした。

 

「……ロスアラモスの科学者たちは、軍人を信用していない。有線が切断された場合、あるいは日本軍が突入してきた場合に備え、二つのフェイルセーフ(自律起爆装置)が並列で仕掛けられている」

 

エリヤがペンライトで照らした先には、悪魔のようなアナログ機構が二つ、球体の側面にへばりついていた。

一つは、ガラス管に入った『硫酸』が、極細の金属ワイヤーをゆっくりと溶かし続けている「化学式タイマー」。

もう一つは、無数の歯車とゼンマイが噛み合う「機械式(ネジバネ)タイマー」だった。

 

「硫酸タイマーのワイヤーの張力が失われれば(溶け切れば)、バネが弾けて雷管を叩く。機械式タイマーも、設定時間が来れば電気回路をショートさせて起爆する」

 

エリヤはギリッと奥歯を噛んだ。

 

「しかも、両方とも極めて厄介な『衝撃センサー』と連動している。少しでも振動を与えれば、即座にドカンだ」

 

「……硫酸のワイヤー、もう半分以上溶けかかっていますよ!」

 

ケンジが悲鳴のような声を上げた。ワイヤーから、チリチリと白い煙が上がっている。あと数分、いや数秒で断裂してもおかしくない。

 

「ケンジ。お前の出番だ」

 

エリヤは工具袋から『ピンセット』を取り出し、ケンジの震える手に握らせた。

 

「いいか。このピンセットで、硫酸が溶かしている部分の『すぐ後ろ』のワイヤーを挟み込め。そして、バネの張力と『全く同じ力』で引っ張り続けろ」

 

「そ、そんなの無理だ! 素人の俺に、そんなミリ単位の力の加減なんて……!」

 

「やるんだ。お前が張力を維持している間に、俺がマイナスドライバーを楔(くさび)として起爆機構の隙間に打ち込み、物理的に固定する。……ワイヤーが切れるのが先か、お前が手を滑らせるのが先か。失敗すれば、俺たちも上のアメリカ兵たちも、まとめて太陽の温度で蒸発する」

 

ケンジは、自分の呼吸すら爆発の引き金になるという極限の恐怖に支配されながら、ピンセットの先端を、溶けかかったワイヤーにそっと添えた。

ギリッ……。

ピンセットがワイヤーを挟み込む。その瞬間、硫酸に食われていた箇所が限界を迎え、音もなくプツリと切断された。

 

「ぐっ……!」

 

ケンジの腕の筋肉が悲鳴を上げた。

バネの強烈な張力が、ピンセットを通じてケンジの右腕にダイレクトに襲いかかってきた。少しでも力を緩めれば、ストライカーが雷管を叩き、核の炎が解放される。逆に強く引きすぎても、内部の摩擦センサーが作動するかもしれない。

 

「大尉……早く! 楔を……!」

 

汗がケンジの目に入り、視界を滲ませる。彼は今、自らの肉体を『人柱』として、悪魔の兵器の暴走を素手で食い止めていた。

エリヤがマイナスドライバーを手に取り、固定位置を探り当てようとした、その時。

ザクッ……ザクッ……

地下壕の通路の奥から、複数の軍靴の足音が響いてきた。

 

「……おい、通信機の区画に誰かいるぞ」

 

「見回りだ。ライトを照らせ」

 

アメリカ兵の巡回部隊だった。

彼らはこれが核爆弾だとは知らない。ただの重要機材の点検のつもりで、暗闇の中をこちらへ向かって歩いてくる。

 

「……」

 

エリヤとケンジの目が合った。

銃は撃てない。発砲の衝撃音や、弾丸が金属に当たる振動は、目の前の機械式タイマーの衝撃センサーを一発で作動させる。かといって、逃げることもできない。ケンジはピンセットを握ったまま、一歩も動けないのだから。

 

「……張力を保て。絶対に動くな」

 

エリヤはドライバーを置き、音もなく立ち上がった。手には銃を持たない。

彼は、漆黒の軍用ナイフ(短刀)だけを逆手に握り、完全な無音のまま、通路の闇へと溶け込んでいった。

 

ケンジは、震える腕の激痛に耐えながら、闇の奥から聞こえてくる「見えない死闘」の気配に全神経を集中させていた。

 

「誰だ! そこで何をして……ぐっ!?」

 

アメリカ兵の問いかけは、途中で不自然に途切れた。

通路の闇の中。

エリヤは、先頭の兵士の死角から音もなく滑り込むと、左手で兵士の口と鼻を完全に塞ぎ、同時に右手のナイフを延髄(頸椎の隙間)へと正確に突き刺した。

声帯を断ち切られ、悲鳴を上げることもできず絶命する兵士。

 

(……倒すな。床に倒れる振動すら、センサーを揺らす)

 

エリヤは、体重百キロ近い重装備のアメリカ兵の死体の「完全な脱力(デッドウェイト)」を、自らの両腕と背中で受け止めた。

筋肉が千切れるような重圧。しかしエリヤは顔色一つ変えず、その巨大な質量を、スローモーションのように、一〇秒以上かけてゆっくりと床に横たわらせた。一切の摩擦音すら立てずに。

 

「おい、どうした? 突然黙り込んで……」

 

異変に気づいた後続の兵士が、ライフルを構えてライトを向けようとした。

そのライトの光が空間を照らすより早く。

エリヤの身体が、床に這いつくばった低い姿勢から、豹のように跳躍した。

兵士が引き金に指をかける瞬間、エリヤの左手が銃の機関部をガシリと掴んで発砲を阻止し、同時に右手の掌底が、兵士の顎の先端(急所)をカチ上げ、脳震盪を引き起こした。

意識を失い、崩れ落ちようとする二人目の兵士。

エリヤはその身体の胸ぐらを掴み、力任せに引き寄せ、自らの身体をクッションにして静かに床へと着地させた。

 

カチリ、とも。

 

ゴトリ、とも。

 

何の音も、何の振動も、この地下空間には響かなかった。

数分後。

闇の中から、両手をべっとりと赤く染めたエリヤが、音もなくケンジの元へと戻ってきた。

彼は一切の感情を交えず、自らの軍服の裾で、血塗れの手を無造作に拭った。

 

「大尉……」

 

「よく耐えた。あと少しだ」

 

エリヤは再び核爆弾の前に膝をついた。

残るは、チクタクと不気味な時を刻み続けている『機械式(ネジバネ)タイマー』と、ケンジがピンセットで維持している『化学式タイマーの楔の打ち込み』である。

 

「機械式タイマーの残時間は……あと五分」

 

エリヤの目が、複雑な歯車の噛み合いをスキャンする。

 

「金属の工具を差し込んで強引に歯車を止めれば、アンチ・タンパー(破壊防止装置)がショックを感知して起爆する。……物理的な衝撃を与えずに、この強靭なゼンマイの動きを『粘り気』で殺す必要がある」

 

エリヤは、血の滲む手で、工具袋の中から銀紙に包まれた『エネルギーバー(チョコレート)』を取り出した。

 

「ケンジ、見ろ。……日本の後方支援部隊が作ってくれた、極上のカカオと水飴の塊だ。これほどの粘度と糖分を持った『流体』は、戦場にはそうそう転がっていない」

 

エリヤは銀紙を丁寧に剥がすと、分厚いチョコレートの塊を自らの口に放り込み、力強く噛み砕き始めた。

唾液と体温が、硬いチョコレートを、ドロドロの極めて粘着性の高いペースト状へと変えていく。

彼はその『泥のような甘い塊』を口から取り出すと、血に塗れた指先で、機械式タイマーの駆動部——最も高速で回転している主歯車の隙間へと、ゆっくりと、しかし大量に押し込んでいった。

チク、タク、チク……タ、ク……ギュ、ギチッ……。

強靭なゼンマイの力で回っていた金属の歯車が、高粘度のチョコレートペーストという「予期せぬ泥」に絡め取られ、その運動エネルギーを音もなく吸収されていく。

金属同士がぶつかる衝撃(ショック)は一切発生しない。ただ、圧倒的な粘り気によって、歯車はゆっくりと、まるで沼に沈むように、その回転を完全に停止した。

 

「……止まった。だが、これだけじゃ回路は生きたままだ」

 

エリヤは、チョコレートを包んでいた『銀紙(アルミ箔)』を指先で細く折りたたみ、導線のような形状に作り変えた。

そしてそれを、機械式タイマーの電子基板の『起爆回路の手前』と『アース(安全端子)』の間に、極めて慎重に貼り付けた。

 

「これで、仮に電気が流れても、銀紙を通って回路がバイパス(短絡)される。機械式は完全に死んだ」

 

残るは、限界を超えて腕を震わせているケンジの『ピンセット』だけである。

 

「限界です、大尉……もう、指の感覚が……!」

 

ケンジの顔は蒼白を通り越し、歯を食いしばりすぎて唇から血が流れていた。

 

「よくやった、ケンジ。お前はアメリカと日本、両方の歴史を救った英雄だ」

 

エリヤは、マイナスドライバーを手に取った。

 

「俺が『離せ』と言ったら、同時にピンセットを開け。……コンマ一秒のズレも許されない。俺がドライバーの楔を打ち込む一瞬の隙間を、お前の反射神経で埋めるんだ。……いいな?」

 

「……はいッ!」

 

エリヤは、ピンセットが挟んでいるワイヤーの直下、起爆ストライカーの隙間にマイナスドライバーの先端を合わせた。

血塗られたプロのスパイと、泥と汗にまみれた元農園の青年。

二人の呼吸が、極限の静寂の中で完全に同期する。

 

「……三、二、一。……離せ!!」

 

ケンジが叫び声とともにピンセットの指を開放した、その刹那。

エリヤの腕が閃刃のように動き、マイナスドライバーの太い金属軸が、弾け飛ぼうとしたストライカーの根元に、ガチリと、完璧な角度で打ち込まれた。

ギィン……ッ!

バネが解放されようとする強烈な運動エネルギーが、ドライバーの金属軸に激突し、甲高い金属音を鳴らした。

しかし、ストライカーは雷管を叩く数ミリ手前で、完全に固定(ロック)され、ピタリと動きを止めた。

ドライバーは、岩のようにビクともしない。

完璧な、物理的封殺であった。

地下壕に、甘いチョコレートの匂いと、血の匂い、そして深い、深い静寂が戻ってきた。

 

「……終わった」

 

ケンジが、その場にへたり込み、荒い呼吸を繰り返しながら床に突っ伏した。

 

「……止まったんですね。悪魔の火が……」

 

エリヤは、血とチョコレートで汚れた手を軍服で拭いながら、深く息を吐き出した。

 

「ああ。ロスアラモスの天才たちが組み上げた狂気の箱は、日本の町工場で作られたマイナスドライバーと、兵隊用のチョコレートの前に敗れ去ったのだ。……これで、この盆地は『ただの砂漠』に戻った」

 

エリヤは、ポケットから小型の秘匿無線機(発信機)を取り出し、あらかじめ決められていた『特定の暗号周波数』のボタンを、三回、強く押し込んだ。

それは、遥か西のカリフォルニアから進軍を開始しようとしている大日本帝国陸軍・STEL装甲師団の司令部へ向けた、「作戦完了(草薙の剣は折れた。進軍を開始せよ)」のサインであった。

 

「……さあ、ずらかるぞ、ケンジ。数時間後には、我が軍の装甲部隊が、この盆地を無傷で蹂躙しにやってくる。アメリカの『最後の一撃』は、幻に終わったのだ」

 

二人の日本の工作員は、機能を停止した巨大な鉄球を振り返ることなく、血に染まった地下壕の闇を抜け、夜明け前の冷たい砂漠の風の中へと消えていった。

一九四四年、五月。

アメリカ合衆国が自らの命運と引き換えに用意した『核地雷』は、一滴の放射能も撒き散らすことなく、一人の白人の顔をした日本のスパイと、一人の日系人の手によって、歴史の闇の中で静かに解体された。

この瞬間、大日本帝国は真の意味で、アメリカという巨人に対する「完璧な勝利(降伏の強制)」への、最後の扉をこじ開けたのである。

 

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