神武天皇の幼馴染   作:橿原

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壱 神武天皇の幼馴染

 夢を見た。懐かしい、生まれる前の夢だ。

 

「なあサノ」

「おん? なんだよヨミ」

 

 サノもヨミも幼名のようなものだったが、生まれた時からの付き合いである二人は五十路も近くなってきているというのにそう呼び合っていた。

 

「未来ではさ、この大地の裏側の出来事でもすぐに手に入るような板をみんな使ってるって話、前したじゃん」

「あー、あの。うん。覚えてる覚えてる」

 

 ヨミの未来の話。役に立つ話もあるが大概世迷言の類いが多いのでサノは話半分に聞き流すことが多かった。

 サノの雑な反応にヨミは眉をへの字に曲げ不満を示し、嘆息すると言葉を続けた。

 

「……いや、いいんだけどさ。で、その板使うとまあ大概のことは調べられるんだけど」

「おーすごいすごい」

「世界ではさ、まーひどい戦争とか飢餓とか疫病とか圧政とか、あるわけよ。でもさこの国は割と裕福で、なんだかんだ大体みんな平和に生きてんのよ」

「……へえ」

 

 何かを堪えるような、或いはすがるような。どこか遠くを見ながら、サノはそんな顔をしていた。

 ヨミもまたここではないどこかを見ながら言う。

 

「早く……そうなるといいな」

「ああ、そうだな」

 

 時は己未年、紀元前662年3月。中洲の平定を終え、奠都の詔を宣言する為に自軍を招集している最中の、他愛のない雑談を交わす男達の一幕だった。

 後の世にサノは神武天皇と呼ばれることとなる。

 そしてヨミは━━。

 

 本当に懐かしい夢だった。

 

 机から身を起こすと腕の下に下敷きになっているタブレットがあった。確か、そうだ。資料を読んでいる途中で眠ってしまったらしい。だからこんな夢を見たのだろう。

 スリープ状態になっているタブレットを起動する。読んでいた資料が映る。

 

 その資料は古事記といった。

 

 成立は西暦712年、ではない。

 私の知る歴史では国記や天皇記といった歴史書が大化の改新や白村江の戦い、壬申の乱などの動乱で失われた為に、新たに国史の編纂を命じられた稗田阿礼が完成させた物のはずだった。

 しかしこの歴史では違う。

 紀元前549年。第二代綏靖天皇が治世の大半を使って編纂した最大の事績。神話の始まりから神武天皇の崩御に至るまでを記した記録。ただあったことを記した為に古事記と称した歴史書にして神典。

 全30巻の大神典である。

 

 その特徴は天地開闢、国産み、天孫降臨などの神話と詳細に記された神武天皇の事績を記した歴史書が一体となっていること。

 そしてヨミという神武天皇の幼馴染であり生涯に渡り最も親しくしたという友人が残した数々の知識である。

 その知識の一部は予言のようであり、一部は技術書であり、一部は哲学書であった。

 

 ヨミの残した知識はその後の歴史を大きく動かすこととなる。

 

 タブレットを片付け、壁にかけられた世界地図を見る。なんとなく壁が寂しいと感じて貼った物だ。太平洋を中心にした地図で、この国では一般的な様式。国境がやや太い線で分かりやすく区切られている。太平洋沿岸地域を囲う線。太平洋の中心に国名が記されている。

 そこには大和帝国と書かれていた。

 

 いや、こうはならんやろ。

 

 かつてヨミと呼ばれた男は内心で何度目かになるツッコミを入れた。

 

 

 

※※※

 

 

 

 月詠神殿は奈良県橿原市久米町にある神社。式内社。勅祭社。神武天皇の御友人であるヨミが皇紀元年に創建。畝傍山の麓にあり、神武天皇陵の管理、神武天皇祭を執り仕切る。月詠神殿並びにその系列社のみを神殿と称し、神社本庁とは別に神殿庁という独自の運営組織を持つなど他の神社とは別格の扱いがなされている。

 

概要

 古事記によると神武天皇即位後、橿原宮の一角に月読尊を祀るとしてヨミが神殿を創建したとされる。ヨミが神武天皇の相談役のような役割をしていたこと、書記官のような仕事もしていたこともあり、この立地となった。

 神武天皇崩御後、陵の管理を担うことになる。また遷都後は橿原宮全てが神殿管理となり、以後畝傍山全域が神殿となる。

 系列社を全国に組織するなど独自の……

 

 

「橿原神宮なくなっとるやんけ」

 

 小学校の社会の授業中、教科書の授業範囲ではない歴史の箇所をなんとなく読んでいると月詠神殿の記述があった。前世での終の住処となった場所でもあるので気になり、帰宅後インターネットで調べたらこれである。思わずツッコミが口から漏れた。

 

 月詠神殿。

 サノが天皇として即位が決まった後、ヨミの扱いは周囲にとって少々の悩みの種となった。というのも本人はこれという決まった仕事をするわけではない。ただ天皇の親友であり、何かにつけて相談する相手だ。では何かあればヨミに言えば天皇の行動を誘導できるかと言えば、そういうわけでもない。天皇の相談に適当な相槌を打つだけなのだ。

 周囲の人々は扱いに困って、ついに神武天皇に訴える。

 結果仕事がないのが問題なら与えてしまえということになる。それが月読尊を祀る神社の創建及び祭祀であった。

 なお月読尊を祭神にすることとなった理由は二つ。一つはヨミが一応月読尊の5世孫ということになっているから。もう一つは「三貴子の割に神話で影薄い月読尊なら私が扱っても大して歴史に影響しないだろ」というヨミの楽観の結果である。そもそも初代天皇の親友をやっている時点で歴史改変甚だしいということには目を瞑った。

 祭祀をする、といっても歴史の何もない神社。とりあえず月読というくらいなのだからと月の満ち欠けやら星の観測やらをしていると、暦を作れという話になり。

 暦についてなんとかなったらずっと空見てんだから天候の予報もやれということになり。

 色々と資料を書くついでに自分の知識も書いとくかと覚えている限りのことを書き出し。

 人手が足りなくなったので手伝いを育てるついでにいくらでも出てくる孤児を引き取り。

 引き取った孤児が育って、読み書き計算できるならということで神武天皇に引っ張られていきまた人手不足になり。

 

(まともに神社の運営した記憶ないな)

 

 やってたのは気象庁擬きと孤児院と書記官育成である。

 それが何やら立派な神社になっているのは、自分亡き後、子供達がしっかりと仕事をしたのだろう。

 

 てか神殿ってなんだ。神宮じゃないのか。系列社ってなんだ。企業か? 神武天皇陵の管理を月読尊を主祭神にしてる神社がやってていいのか?

 

 疑問は尽きないが、国が日本列島だけでなく太平洋を丸っと囲う大帝国になっていることに比べれば誤差かと無理やり納得した、小学生時代の淡い思い出である。

 

 

 

※※※

 

 

 

 中学に上がると学校で習う歴史も詳細になってくる。

 気になったことはインターネットなり図書館なりで都度調べているとはいえ、学校教育の現場でどのように教えられているかというのは興味深かった。

 前世では正直ここまでの歴史改変が起こると考えていなかったのだ。元々知っている歴史において実在すら疑われる神武天皇。その脇で適当に遊んでる友人Aなんぞ記紀に少し記述される程度で後は歴史の片隅に追いやられ忘れられる。そんな考えだった。

 

 まあやってしまったことは仕方ない。

 

 前世でも今世でもヨミは深く考えないタチだった。

 

 意外にもヨミの死後2000年ほどは大きな歴史改変は起こっていなかった。

 少しだけ災害や疫病の被害が減ったり、ヨミの作った暦が使用されていたりといった程度。それだけでも大きいと言えば大きいのだが、記憶している元の歴史との差異はあまり感じられなかった。バタフライエフェクトというのは案外大したことはなかったようだ。

 変わったのは西暦1582年。本能寺の変からである。

 

『本能寺の変は、天正10年6月2日早朝、明智光秀が謀反を起こし、京都本能寺に滞在する主君・織田信長を襲撃し、返り討ちにあった事件である。

 この事件をきっかけに織田信長は信忠に天下人としての立場を完全に譲り、自らは外征を開始する』

 

「ノッブ生き残っとる……しかも100歳まで生きてる……」

 

 その時歴史が壊れた。歴史改変の犯人は信長だった。本能寺の変以後の50年で大体現在の大和帝国の領土を征服していたのでもう全部ノッブが悪かった。ヨミ悪くない。

 

『━━一節には本能寺の変後、織田信長は奈良の月詠神殿を訪れ神殿長と会談。会談内容は残っていないが、それまで基本的に皇室以外に協力をすることのなかった月詠神殿が以後織田家に全面協力を始めたことから、何らかの密約があったとされる。月詠神殿の協力は織田政権にとって非常に重要なもので、織田政権の神話編纂事業、行政組織構築、技術開発、外交方針等々の全てに関わったとされている』

 

 やっぱ悪かったかもしれん。

 

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