神武天皇の幼馴染 作:橿原
大和神話起源説。
主流の説は何故か世界各地の神話を知っていたヨミがそれを周囲に伝えた結果大和神話になったというものだ。ただこの説では説明つかないものがある。古事記成立時点で存在しないキリスト教やイスラム教、アステカ神話などに触れている点が矛盾している。
キリスト教イスラム教はユダヤ教について鋭く考察したヨミの言説が周囲に伝わってまるで予言のようになった。アステカについては古代のオルメカやテオティワカンなどのメソアメリカ文明について知っており、すでに原型は出来ていた、などの説明がなされるのが通例であるが、苦し紛れと批判されることもある通説だ。
一方で大和神話起源説では逆に大和神話、その原型が元々あり、そこから世界に伝播していったという説だ。
この説では先程の時系列の矛盾が解決されるが、そうなると今度は大和の相当な古代に原型が全てできていたということになる。何故なら古事記にはギルガメシュ叙事詩を始めとした古い伝承についての記述があるためだ。
どちらの説を取るにしても時系列の矛盾が生じる。
これらの解決にはおそらくヨミ自身が記述したであろう史料を所有していると目される月詠神殿並びに皇室の史料の公開を待つより他ないだろう。
「いや草」
ヨミの鋭い考察て。ヨミって人そこまで考えてないと思うよ。
ネットで変な記事を見つけたので読んでみたらこれである。他にもヨミ千里眼持ち説とか異世界人説とか未来人説などのとんでも説が色々あるよと記事で紹介されているが、とんでも説の方が正解に近いのが笑える。
私は現在、英国の大学で時間を潰していた。
何故かというと、例によって金城教授の手伝いである。金城教授の講演会が開かれることになったのだが、英語を専門用語も交えて流暢に話せる人材となるとプロの通訳でも滅多にいない。というわけで白羽の矢がたった私がいつものように連れ回されているのだった。
「橿原ー。会場開いたぞ」
「うす。行きます」
私の役割はパソコンの設定や講演中のスライド操作らしい。
そんなもん本人がやれ。私以外の英語喋れるやつがやれ。何なら現地の職員でもできるだろ。
そう思っていたのだが、いざ始まると教授が私を連れ出した理由がわかってきた。
教授は業界でそこそこ有名人らしく、ひっきりなしに挨拶やら何やらで手が開かない。
そうなると教授の講演内容や教授の癖を知っていていい感じに現地のスタッフと調整する人員が必要だった。つまり私である。
講演が終わると今度は撤収作業だが、準備の段階から人だかりに囲まれていた教授だ。今度は聴衆に囲まれて動けないので現地スタッフと共同で片付けていく。
『今日はありがとうございました』
『いやこちらこそだ! 君は学生? 何だかとても詳しいね。一向に教授の手が空かないから困ったと思ったけど君がいてくれて助かったよ』
『あー。一応学生です。博士課程の』
『なるほど。じゃあ今度は君が講演しに来るかもしれないね。その時はよろしく!』
『はは。俺も楽しみにしています』
「橿原。飯食いに行くか」
全てが片付き、現地スタッフと挨拶を交わしていると教授が漸く現れた。タイミングのいいことである。わざとだろ。
「……教授、飯って」
「んだよ。イギリス飯ってったらこれだろ?」
教授に連れ出された場所はパブであった。しかも現地民が通う本格派。当然夕食はフィッシュ&チップスだ。
別に不味いわけではなかったが、結構苦労した報酬がこれと思うとげんなりした。
「んでどうすんのよ」
「教授最近主語抜きすぎです。博士論文のことですか」
「わかってるじゃねぇか」
年を追うごとにフランクになっていく教授。連れ回され過ぎて大体教授の言うことがわかるようになってしまった私もいけないのかもしれない。
博士論文。あいも変わらず教授にせっつかれて論文を書き散らかしていると、いい加減前世由来の知識を元にしてもネタが尽きてきた。前世の知識が、というより出典となる史料の問題だ。
どうも前世に私が書いたダ・ヴィンチ手稿ならぬヨミ手稿の全てが月詠神殿と皇室によって秘されている為、ネタを思いついても史料がないという事態になっているのだった。
解決策は望み薄だが一応思いついていた。
「一度橿原の月詠神殿に行ってみようかと」
「あん? ……史料、引っ張れるのか?」
「拝み倒すだけっすね。出来なきゃもう今までの論文のまとめ的な内容になります」
「くつくつ。引っ張れること祈っとくよ。引き出せたら僕にも読ませてくれ」
「史料の又貸は信用落とすんでその時は教授がご自分で拝み倒してください」
笑う教授は酒を頼むと、何が楽しいのかそのまま酔い潰れるのだった。世話するの私なんだからやめてくれよ。
しかし、橿原の月詠神殿か。
前世ぶり。実に2500年、いや2600年ぶりの里帰りである。
散々古事記について書き倒してきたのに、大本に行ってないのもどうかと考えていたところだ。ちょうどいいだろう。どうなってるかな。
そんな遠い故郷に想いを馳せることで、酔い潰れた教授の世話を忘れたい私だった。
※※※
橿原の月詠神殿に行く、と決めた私だがすぐに向かえるわけではなかった。何故なら金城教授の講演は一回ではなかったからだ。
英国の講演が終わると欧州に飛び各地で連日講演である。パブで酔い潰れる余裕があったのは英国のそれっきりであった。
散々連れ回されて、終盤には教授もぐったりした様子になっていたが漸く大和の本州に帰還。帰路の途中、教授から「本当はこの後軽く大和内の小旅行でもしようかと思っていた」という言葉に戦慄した。流石に体力が持たなかったようで本当に助かった。大和内ってどこだよ。見ろよこの世界地図。大和帝国内だけってどんだけ広いと思ってるんだ。
帰宅後丸一日はベッドの上ですやすや過ごし、翌日。
橿原の月詠神殿へ向かうためのスケジュールを立てる。
もし史料見せてもらえたら1日じゃ終わらないよな。ホテル取るか? いやでも断られたら即日トンボ帰りになりかねないし……。
そうして調べていると奈良に宿泊施設が少ないことに気がつく。なんでや。一応大和発祥の地やぞ。
どうやら大概の観光客は夜には京都大阪へ戻るらしい。もしくは日帰り客ばかりだとか。
少ないだけでないわけではないので何とかなるのだが……まあいいか。
考えるのが面倒になった私は当日の自分に期待して移動手段のみ確保すると手荷物の準備を始めるのだった。
「うおでっっっか」
橿原にサクッと到着。久々の里帰りだが2600年以上経っているので景色などは何もかも異なる。感慨深さなどかけらもなかった。
そして訪れた月詠神殿は、でかかった。
「そういや橿原宮やら神武天皇陵やら畝傍山全域管轄になってんだっけ」
最初は宮の片隅で始まったなんちゃって宗教施設が大したものである。庇を貸して母屋を取られるなんて言うが……いや、経緯的には要らなくなった母屋と墓を押し付けられたようなものか。
敷地内を散策しながら本殿へと向かう。
教授の伝手で神殿の神官に話が通っているという事になっているらしい。コネ万歳。なければ直に行って泣き落とすしかなかったので本当にありがたかった。教授に連れ回された甲斐があったというものだ。
本殿に到着し、神官の方に声をかけると奥へと通される。
そして相手してくれるのは神殿長だった。
「この度は本当にご対応頂きありがとうございます」
「いえいえ。私共としても若い方にこうして熱心に歴史を学んでいただけると助かるもので」
橿原の月詠神殿の神殿長。つまり太平洋各地に存在する月詠神殿の宗主だ。まさか全てのまとめ役に対応されるとは思ってもみなかったので恐縮しっぱなしである。教授のコネ強すぎ。
宗主は好々爺といった様子で物腰柔らかく、非常に話しやすかった。
いきなり「今まで外に出してない史料出して」などと要求できるわけもなく、話の枕に歴史研究をしていて、と適当に話題を振ると出てくるエピソードが全て強かった。
「ええ!? 秀吉もこちらに訪ねて来られていたんですか?」
「そうなんですよ。あまり有名な話ではないのですが、朝鮮出兵の折に信長公に勧められて訪ねて来られて」
いやまじで初耳。この世界では魔王軍筆頭とか呼ばれる秀吉。朝鮮出兵というと序盤苦戦するものの、秀吉が現地入りするや否や李舜臣を口説き落として離反させたエピソードが有名だ。つまりその前にここを訪れていたという事になる。
「となると、何か助言などされていたという事でしょうか」
「事の吉兆を占った、と聞いとります」
宗主はにこにこと語る。
私は出されたお茶を飲み一息つくと思う。
いや絶対嘘だろ。それだけなわけない。
李舜臣は確か割と朝鮮内の党争で苦労していた人物だ。となるとそのあたりの内情を秀吉に伝えた、といったところか。その辺のことも色々書き起こした記憶もある。
秀吉のこと以外にも歴史のこぼれ話がポロポロと出てくるので、何だかもうこれで良い気がしてきた。この話だけで論文書けそう。
いや目的は一応果たすか。
「それで、まあ教授からも聞いているかもしれませんがヨミの件なのですが」
「ああ、そちらはねぇ」
ダメそう。
聞くとやはり方々から問い合わせが来るそうだ。しかし全て断っていると。
「ないとは言わないんですね」
「まあありますからねぇ。古事記の研究を熱心にされてるとのことなのでご存じとは思いますが、あれにもヨミ様がよろずのことを書き留めたとありますので」
古事記をはじめとした外に出ている文献に、私が筆まめであったと色々書かれているためないと強弁はできないのだろう。筆まめというか、前前世のことは全て思い出せるものの、何を思い出して何を人に伝えたかみたいなことは普通に忘れるため、片っ端から書き留めていただけである。そのために竹簡やら木簡が煩わしくて和紙の開発を真っ先にした。頑張った。
しかし、ダメか。まあ、だよね。
今まで2600年以上、表に出す事のなかった史料だ。例外はそれこそ織田政権くらいだろう。その織田にしても織田から史料が漏れた形跡がないあたり、しっかりと管理してきたようだ。ぽっと出の博士志望相手に出してくれるわけなかった。
まあいいや。
歴史こぼれ話で満足感があった私は切り替える。収穫はあった。史料についてはダメで元々だったし、里帰りもできた。様変わりしすぎて里帰り感はなかったが。
すみませんねえと口だけでは申し訳なさそうにする宗主。白々しいが仕方のない事であるのだろう。にこにことする好々爺を見ると、ふと、悪戯をしたくなった。
茶を飲み干す。
席を立つようなそぶりをしながら、何でもないような口調で訊ねる。
「ああ、そうだ━━"私"の日記はどこかな」